NHK BS世界のドキュメンタリー

(26.7.13) BSドキュメンタリー 「植物の帝国」 植物と動物の間 ウミウシ人間の可能性

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 思わず身をのりだしてしまった。NHKのBSで放送されている世界のドキュメンタリーシリーズで、フランスのプロダクションが制作した「見えざる力 植物の帝国」の3部作のことである。
「征服」「対話」「戦略」という内容で3週間にわたり放映されていたが、最初私は何気なくこの放送を見ていた。
植物がにおいによるコミュニケーションをしていたり、音楽はクラシックファンだったりしていたのは微笑ましかったが、「戦略」シリーズになって、人間のDNAを植物のペチュニアに組み込んで葉脈を人間の血管の DNAで代替したのには驚いてしまった。

 このDNAは研究者のDNAを組み込んだものだが、この研究者はこのペチュニアをプランティマルと名付けていた。動物と植物のハーフという意味だ。
もともと動物も植物も同じ単細胞生物から進化したのだから、DNAの組み込みが行われても不思議ではないのだが、いくらなんでも植物と人間ではかけ離れすぎていると思うのが普通だ。
だが植物と動物のDNAが代替できるとなると動物と植物の相違は一体何なのだろうかということになる。

 一方は動き回ることができない代わりに光合成という炭素と水と太陽エネルギーさえあれば生きられるという特性を持ち、一方動物は移動ができる代わりにみずから食料を生産できないから、他から炭水化物や脂肪やたんぱく質をとりこまなくてはならない。
私はこの区別は絶対的なもので植物と動物は異なると思っていたが、境界はそれほど明確ではないという。

 番組ではある種のウミウシが紹介されていたが、このウミウシは周りに藻がある限りその藻を食べるのだが、いったん藻がなくなると体内に取り込んだ藻の葉緑素によって光合成を行い、何と1年も何も食べずに生き続けることができるのだという。
研究者が「このウミウシは私の息子と同じで食べ物がある限り食べつくすので藻がなくなってしまう。そうすると自ら光合成を行って生きるのです」と説明していた。
どうやら動物も体内に葉緑素さえあれば光合成ができ、自ら食料生産ができるようだ。

 私など年をとったせいもあるが食事が何とも鬱陶しくなっている。そのうち老齢化が進み食事そのものができなくなると胃瘻いろう)というf方法で無理やり食料を胃に注ぎ込まれる可能性がある。こうした方法は何か自然の法則を無視しており私は絶対に胃瘻は拒絶するつもりだが、この葉緑体をとりこむという方法は実に興味がある。
よっしゃ、ならばウミウシのDNAを体内に植え込んで葉緑素人間になってしまえば食事問題は一気に解決するのではなかろうか・・・・・・・
ウミウシのDNAを人間に組み込む実験の第一号はぜひとも自分にしてほしいものだと夢想した。

 最も葉緑素は緑色をしているから体中緑色になってしまい、ディズニーの映画に出てくる妖怪みたいになってしまうかもしれない。
しかしこれはあり得ない想像ではなく、すでにペチュニアに人間の血管のDNAを組み込んでプランティマルを作っているくらいだから、ウミウシ人間を作ることなど造作もないことだろう。

 この実験が成功すれば人類の食糧問題は一気に片付いてしまう。これなら人類がいくら増えても全く問題がなく、みんな海岸で日光浴さえしてくれればいい。
真っ青な海辺の白浜で緑の皮膚をしたウミウシ人間が寝そべっているなんて光景は実に壮観なものだと思わず笑ってしまった。

注)なお世界のドキュメンタリーシリーズは以下にまとめて入っております。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/nkk/index.html





 

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(25.11.15) NHK ケネディ大統領への背信 後篇 強硬派との対立

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注)この記事は昨日の前篇の続きです。

http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-cb23.html

  このドキュメンタリーを見てつくづく感じるのは、なぜケネディが暗殺され、フルシチョフが解任されたか推定できることだ。
ケネディの暗殺は1963年、そしてフルシチョフの解任は1964年だった。
ともに軍部強硬派からその弱腰外交を非難され、米ソの共存などはあり得ないと確信していた反対派から排除されたのだ。

 ピッグス湾侵攻作戦の失敗から立ち直れなかった1961年秋、今度は南ベトナムでホーチミンが支援した民族解放戦線に南ベトナムのゴ・ジィン・ジェム政権が窮地に陥り始めていた。
CIAや軍部強硬派は気が気ではなかった。
このままいくと東南アジアはすべて共産主義勢力に乗っ取られる。ケネディを脅し上げてでも南ベトナムにアメリカ軍を派遣して、ベトコンを殲滅しなければならない。二度とピッグス湾の失敗を繰り返してはならない

 1961年11月、CIAと軍部強硬派はテイラー・ロストン報告書を作成してケネディ大統領に迫った。
4万人の戦闘部隊を南ベトナムに派遣し、さらに北ベトナムに対する13万人の抑止部隊を展開すれば南ベトナムからベトコンを排除できる
しかしケネディは民族独立運動の歴史的趨勢を理解していたのでこれに反対した。
上院議員であったときベトナムを訪問し次のように述べている。
たとえベトコンが共産主義者の指導の下にあったとしても、民族独立運動そのものを武力で押しつぶすことは不可能だ

 結局軍部強硬派とケネディの妥協案は軍隊でなく軍事顧問団を南ベトナムに送り込むことだった。ケネディは軍や警察の指導はしてもアメリカ軍が戦闘に出ることを禁止したが、軍首脳は反対になし崩し的にベトナム戦争への参戦を目指していた。
指導中にベトコンから襲われたら反撃せざる得ないではないか!!」同床異夢だったのだ。

注)私は長い間アメリカの南ベトナムへの介入がケネディによってなされたことが不思議だったが、今回初めてこれが軍部強硬派との妥協案だったことを知った。

 政権内にはアチソンを中心とする強硬派がおり、また軍参謀本部はそのトップをケネディが交代させても軍事侵攻論を弱めることはなかった(軍部は誰もが強硬派だった)。
特に戦略空軍を指揮していたルメイ将軍はケネディの弱腰外交を非難してやまなかった。
ケネディのおかげでキューバは共産主義者の巣窟になり、南ベトナムはベトコンの餌食だ。ケネディにはこの問題を解決する能力はなく、われわれだけが真の愛国者で共産主義者の棟梁跋扈を防ぐことができる

注)戦略空軍とはソ連との核戦争を準備していた部隊。B52戦略爆撃機や核搭載ミサイルを配備していた。

 一方ソ連のフルシチョフもケネディをなめきっていた。1961年のベルリン封鎖をケネディが黙認していたからだ。
よし、あの若造の鼻をへし折るにはキューバに中距離弾道ミサイルを配備し、ワシントンとニューヨークを標的にすればおじけづいて何もできまい。我々はキューバを起点に中南米で革命を起こせる

 1962年10月、アメリカの偵察機がキューバに中距離弾道ミサイルが配備されていることに気が付いた。急遽ケネディは戦略会議を開催したがそこでの意見は強硬派一辺倒になった。
ルメイ将軍は「すぐさま空爆でミサイル基地を叩き潰す。もしこれにソ連が反対して核戦争に打って出るなら応じてやろうではないか。すでに戦略空軍にいつでもソ連を核攻撃できる配置を命じてある
陸軍も上陸作戦に賛成し、ノルマンディー上陸作戦と同規模の上陸作戦の用意があると進言した。

 しかしここでもケネディは強硬策をとることに反対し、海上封鎖というより穏やかな措置をとることにした。
核戦争だけは何としても防ぐのがケネディの方針だったからだ。そうしておいて今度はソ連を脅し上げた。
キューバからの核ミサイルの発射はソ連によるアメリカへの核攻撃とみなして全面的な報復攻撃を実施する

 海上封鎖のアメリカとソ連のやり取りは何度も映画化され迫真の場面になっているので映画を見た人はイメージを沸くことができるだろう。
ケネディは核戦争を防ぐためにフルシチョフと直接交渉をして、最終的にはキューバから中距離弾道ミサイルの撤去を認めさせた。
交換条件はアメリカが二度とキューバ侵攻をしないと約束したことと、トルコから秘密裏に核ミサイルを撤去するというものだった。

注)当時アメリカはトルコとイタリアに中距離ミサイルを配備していた。

 この交渉は一般的にはアメリカの勝利と評価され、そのためフルシチョフの立場は急激に悪化し、ソ連強硬派の巻き返しで1964年に第一書記の立場を解任され幽閉の身に堕ちってしまった。
一方ケネディも急進派から強く攻撃された。
ルメイ将軍は「我々は負けた。キューバに侵攻すべきだった。もっと早く手を打てばこんなことにならなかった。ケネディはチェンバレンのように弱腰だ

注)チェンバレンとはヒットラーとの妥協政策をとったイギリスの首相。

 だがケネディも軍強硬派に負けてはいなかった。フルシチョフとの対話の窓口が開かれたことを機会に、ソ連と核実験禁止条約を締結する交渉を開始し、「アメリカが率先して核実験を行うことはない」と演説して、ソ連へ条約参加へのシグナルを送った。
ケネディは核攻撃も核実験にも反対だったからだ。
さらにカストロとの対話路線さえ模索したため、ついにCIAと軍部強硬派は切れてしまった
ケネディをこのまま大統領にしておくと、再選されて都合8年間も融和政策をとり続けることになる。そんなことをさせれば世界中が共産主義国家になり、アメリカは包囲されてしまう。あの若造にそんなことはさせてなるものか

 1963年11月22日、ダラスでケネディ大統領は暗殺されたが、いまだ犯人像は明確になっていない。
当時はマフィアによって殺害されたということになっていたが、それはあり得ない。
やはり確信的にケネディを排除し、そうすることがアメリカの利益になると盲信していたCIAと軍部強硬派がケネディの排除を狙ったものだろう。
ケネディとフルシチョフはともにその融和策で核戦争を回避したが、そのことが国内の強硬派を激怒させ、日本的なイメージでいえば2.26事件のようなものを起こしたのだと私は思っている。

なおBS世界のドキュメンタリーシリーズは以下にまとめて入っています。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/nkk/index.html

 

 

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(25.11.14) NHK ケネディ大統領への背信 前篇 強硬派との対立

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(軽井沢 雲場池)

 とても興味深いドキュメンタリー番組をBS世界のドクメンタリーで放送している。ケネディ大統領が暗殺されてから50年たったのを機会にアメリカのプロダクションが製作したものだ。
前篇はケネディが強硬派の意見に押し切られキューバへの反革命、ピッグス湾事件を起こして大失敗した経緯を詳細に追っていた。

 ケネディが大統領に就任したのは1961年1月、そしてダラスで暗殺されたのが1993年11月だから、ケネディが大統領でいたのはたった3年間だったが、アメリカのどのような大統領より印象に残る大統領だった。

 大統領が暗殺された日のことは今でもはっきり覚えている。私は当時高校生だったが日米間の衛星放送が始まったその日だった。私は衛星放送を非常に楽しみにしていたが、流れた画面が大統領の葬儀だったのには驚愕した。当初これは非常に悪い冗談だと思ったほどだ。

 しかしこのドキュメンタリーを見直してみて1961年と言う年が世界史のエポックだったことがよく分かった。
1961年4月15日、突如亡命キューバ人によるキューバ奪還作戦ピッグス湾で敢行されたが、これはケネディ大統領をだましてCIA長官ダレス軍首脳が実施した戦争だった。

注)1959年1月1日にキューバ革命がカストロ達によって達成され、アメリカ資本の接収が行われていた。当時のキューバの支配者層はキューバを逃れてフロリダに亡命政権を作っていた。

 ケネディが聞かされていたのは、亡命キューバ人が立ち上がればキューバ国内で半カストロ勢力が立ち上がって、反革命は成功すると言うものだったが、CIA長官ダレスの真意は違っていた。
アメリカ空軍の支援なくして亡命キューバ人部隊は勝てない。国民はカストロを支持しており、反革命など起こらない。だからアメリカ軍が直接参戦してカストロ政権を打倒する以外に方法はない。ケネディはお坊ちゃんで何も知らないから、いったん事を起こせば空軍の投入を認め、次は陸軍の派遣を認めるに違いない

 しかしダレスや軍首脳の予想に反してケネディはそんなお坊ちゃんではなかった。
この戦争に仕掛けられていた罠を見破ると、アメリカ軍の投入にGOサインを出さなかった。
亡命キューバ人部隊はアメリカ軍の支援を失いたちまちのうちにカストロの軍に打ち負かされて、1000人以上の捕虜を出して撤退した。
ベトナム戦争以前に行ったアメリカの軍事作戦の最大の汚点になった作戦である。

 私は当時まだ高校生でありアメリカの政治情勢など全く理解できていなかったが、1961年1月17日に、前大統領だったアイゼンハワーが歴史に残る離任演説をしていた。
軍産複合体が不当な影響力を獲得することに用心しなければいけない。この見当違いの勢力が悲劇をもたらす可能性は存在し、今後も持続していくだろう」と言ったのだ。

 アイゼンハワーと言えば第二次世界大戦の英雄で、実際対ドイツ作戦の最高責任者だった軍人の中の軍人だが、彼でさえ1961年当時は軍産複合体を制御する力を失っていた。
ケネディはアイゼンハワーの後継者となったが、ケネディを補佐する軍首脳やCIAは全くケネディを馬鹿にしており「あの第二次世界大戦の時に中尉どまりの男に、アメリカの戦略など任せられない」とたかをくくっていたという。
CIAや軍首脳はロシアを核戦争で殲滅する計画を立てており、それを青二才のケネディ(大統領就任時43歳だった)に認めさせるのが彼らの使命だと思っていた。
そしてキューバを奪還し、さらに核戦争によるソ連殲滅プランを盛んにケネディにブリーフィングしていたという。

注)ケネディの軍事スタッフはアイゼンハワーのスタッフを引き継いだものだが、アイゼンハワーが「見当違いの勢力」と呼んだいわゆる対ソ強硬派のグループだった。

 一方ケネディの思惑は違っていた。ロシアのフルシチョフ首相と話し合いを行って、何とか東西冷戦、わけてもドイツ問題に決着をつけたいと思っていた。
ケネディは対ソ強硬派と異なりソ連との共存路線を模索していたことになる。
当時ベルリンはロシアが占領していた東ドイツのただなかにあった孤島で、ベルリンそのものも4か所に分断され、それぞれアメリカ、ロシア、イギリス、フランスが部分占領していた。
ケネディはこのベルリンを何とか守りたかったが、それにはフルシチョフの暗黙の了解が必要だと考えていた。
そのためキューバで戦争を起こすことに反対していた。

 キューバ侵攻作戦に失敗すると「キューバ侵攻作戦は失敗だった。責任はすべて自分にある」とケネディは国民向けに演説し国民は一応納得したが、納得しなかったのは政権内にいた強硬派とケネディ本人だった。
ケネディは張本人のGIA長官ダレスを首にするとともに、以下のような挑戦的な演説を行っている。
CIAを粉々にくだき、風に向かってまき散らしてやる

 一方政権内で強硬外交を推進してきたアチソンは自分の仲間内の会合ではケネディをこき下ろしていた。
率直に言おう。この国にはリーダーシップを欠いている
さらに強硬路線をともに推進してきた元トルーマン大統領あてに「ケネディの弱腰外交がロシアを喜ばせ、我が国は危機に直面している。核戦争を起こすこともできない」と伝えていた。

注)アチソンはトルーマン政権の国務長官で、ロシア封じ込めを目指したトルーマンドクトリンの実質的な起草者。外交問題のエキスパートとしてケネディ政権のアドバイザーになっていた。なお日本に原爆を投下する許可を与えたのがトルーマン。

 ケネディは国内の強硬派を抑え、フルシチョフとの交渉にかけたが、こちらの方も一筋縄ではいかなかった。
1961年6月3日と4日に行われた会議は明らかにケネディの位負けだった。
フルシチョフはケネディが自分の息子と同じ年だと確認して、ケネディをガキ扱いしたからだ。
「今年の冬までに西ベルリンを封鎖する。文句は言わせない」とフルシチョフはケネディを脅し上げた。

 実際その年の8月からベルリンには東西を分断するベルリンの壁が建設されたのだが、ケネディはこれに対して黙認を決め込んだ。
ケネディとしたら黙認することでベルリン問題をこれ以上悪化させず、一種の安定状態にするつもりだったが、フルシチョフの判断は違っていた。
アメリカは不幸な国だ。あんな男を大統領にえらぶなんて」と公言していたし 、実際脅し上げれば引き下がる弱虫男とみなしていた。
よっしゃ、アイゼンハワーと違ってケネディはガキだ。この機会に世界中に民族独立運動を起こしてアメリカを叩き潰そう

 こうして1961年はケネディにとって散々な年になってしまった。ピッグス湾事件では保守強硬派がケネディを見限り何とかしてケネディを大統領から引きずりおろそうとしていたし、一方ロシアのフルシチョフはケネディを見下げはてた男とみなして世界共産主義運動を推進していた。
そうしたなかでケネディは国内保守強硬派とロシアのフルシチョフの強硬路線に板挟みになって、背中の激痛を我慢しながら、世界平和を模索していたといえる。
私ははたして核戦争から世界をすくえるのだろうか
弟のロバート司法長官と二人になるとそういって涙を流していたという。

 
 私は当時の情勢をよく覚えているが、世界中が今にも共産主義国家になりそうな勢いになり、日本国内では左翼勢力が言論界を圧倒していた。
私が通った高校では共産党員の教師が何人もいて、そうした教師が左翼教育を行い生徒に圧倒的な人気を誇っていた。
世界中が共産主義運動に熱狂していた時代だったといえる。

(前篇終了、後篇に続く)

なおBS世界のドキュメンタリーシリーズは以下にまとめて入っております。
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(25.11.6) NHKドキュメンタリー 「科学捜査官 シャーロック・ホームズ」

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  NHKが放送しているBS世界のドキュメンタリーシリーズは時々興味深い番組を放送する。
今回はイギリスのプロダクションが制作した「科学捜査官 シャーロック・ホームズ」という番組だったが、この番組を見て警察の科学捜査がこの小説を契機に世界中に広まったということを初めて知った。

 それまでの警察の捜査方法は事件が起こるとまず目撃者を捜し、次にこうした事件を起こしやすい人物をしょっ引いてきて泥を吐かせるという手法で、もちろん泥を吐かない場合は拷問によって無理やり供述させていた。
日本でも江戸時代までは典型的にこの方法が採用され自白こそがすべての証拠だったし、その後も長く自白が捜査のきめてだった。

 現在でも多くの事件が自白優先主義になっていて、その後裁判でこの自白の信ぴょう性が争われている。
さすがに最近は自白よりも物的証拠が重視されるようになったが、こうした捜査方法を確立させた契機になったのがコナン・ドイル1888年に作り出したシャーロック・ホームズだという。

 ホームズの手法は事件現場を詳細に調査し、そこにある何気ない証拠から事件のいきさつを推理するという方法で、これは最近再放送されている刑事コロンボの捜査方法に受け継がれている。
あたしゃ、何かとてもつまらないことにこだわりがあって、これが解決しなければどうしても気が落ち着かないんですよ

 私は全く知らなかったがドイルが生きていた今から120年以上も前は、遺留品を集めることはせず、血痕は調べようがなく、弾痕から銃が発射された位置を測定する方法も確立されていなかったのだという。
小説の中でホームズが人間の血痕を調べる画期的な方法を開発したことになっているが、実際は1900年ウーレンフートによってその方法が確立された。

 また弾痕によってどこから銃が発射され、その銃の特定も小説の中で披歴されているが、実際にその方法がFBIによって確立されたのは小説が発表されてから40年後だという。
現在の科学捜査官はいわばホームズの弟子で、現場にまず行ってどんなに細かい証拠でも収集し、そこから演繹的推理を働かして事件の全貌に迫るのだそうだ。

 シャーロック・ホームズは何回もドラマ化しているので私も見ているが、ホームズワトソンが住んでいたベイカー街の部屋が一種の科学実験室になっていることに私はいつも驚いていた。
いくらなんでも家の中で科学実験をするのはやりすぎじゃないか・・・・・・
しかしこの科学実験がドラマで重要な役割をするのは、当時はどこの警察署にもこうした科学実験を行う施設がなかったからで、この部屋は世界初の科学捜査実験室だったことになる。

 私は長い間この小説をとても興味ある探偵小説とだけ思ってみていたが、実際は現在の科学捜査方法を予言した実に先駆的な取り組みであったことを知った。
そしてこのホームズにはモデルがあって、それはドイルが師事したエジンバラ大学ベル医学部教授で、ベル教授は患者が診察室に入ってきた途端に、細かな特徴から経歴や病歴を推理してしまったという。
彼は除隊したばかりの○○軍にいた兵士だ

 ドイルはこのベル教授の推理法を小説に応用したわけだが、それがくしくも近代的な科学捜査方法の最初の教科書になった。
一方私の悩みはホームズと異なり演繹的な推理力が不足していて、何よりも注意力が足らないことだ。細かな点を見落とすのは日常茶飯事でこれは昔からそうだったらしく、親父から「お前は注意散漫だ」とよく言われたものだ。
この年になって無理かもしれないが、何とかホームズの注意力と演繹的手法を身に付けたいものだと、ひそかに努力はしているのだが・・・・。

なお世界のBSドキュメンタリーシリーズは以下にまとめて入っております。
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(別件)「絵てがみ」始めませんか?


苅田郷の蔵の2階、畳の間で「絵てがみ」教室開催いたします! 2013年11月18日(月) 
午前10時~12時

場所:苅田郷 蔵の2階 畳の間
   千葉市緑区刈田子町13
講師:中川 美穂(日本絵手紙協会 絵手紙公認講師)

参加費:1500円
申し込み:電話・ちらしのFAX・苅田郷ホームページより
     ホームページ問い合わせ

     http://www.kattago-tougei.com/
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(24.11.29) BS世界のドキュメンタリー 「中国 教育熱のゆくえ」 中国の私立大学は粗製乱造  

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 今回見たBS世界のドキュメンタリー「中国 教育熱のゆくえ」は非常に興味深かった。
このドキュメンタリーはNHKとの共同制作で、登場人物は中国武漢市にあるかなりいかさまの私立大学の講師3年制だったから日本的な意味では専門学校)と、そこに入ろうとしていた武漢市の近在に住む貧しい農村の女性の受験生、そして武漢大学と言う二流大学を出て就職活動をしている青年を追ったものだ

 私立大学の講師は毎年夏休みに主として農村地帯の高校を巡り歩いて受験生の募集活動をするのだが、この講師は150回の募集活動と、一回当たり3人の登録受験意思の確認書)をとることをノルマとされていた。

 問題はこの大学は大学とは名ばかりのいかさま大学で、リクルート場で講師図書館、実験室、会議室、講堂、自習室があり、優秀な講師陣がそろっていると説明していたが、実際は校舎以外は何もなく講師陣は9割が無資格だと言うと講師がカメラに向かって説明する)。

 この大学の授業料は年間25万円程度で3年間で75万円かかり、生徒数は約5000人だから年間12億円規模の授業料が入ることになる(講師は8億円といっていたので生徒数に水増しがあるのかもしれない)。
この大学はただ金儲けのためにのみ生徒をかき集めていると講師は言い、「教える側は時間を無駄にしているし、教わる側も同じだ。ただ卒業証書がほしいだけだ」という。

注)中国人の平均所得は北京市では65万円程度、農村部はその3分の1程度だから20万円程度。したがって1年間の授業料が年収より多いことになる

何だ、それでは日本のほとんどの大学と同じじゃないか」と思ったが、日本の場合はさすがに金儲けのための経営などと恥ずかしいことは言わない。
この大学はオーナーが詐欺容疑で捕まり結局閉鎖し、件の講師は転職してIT産業で勤めていた。。

 一方この学校に入ろうとしていた少女は以下のような状況にあった。
中国では日本と同様な統一大学入試試験があり、これで高得点を取らないと希望した大学には入れない(日本的な感度では国立大学や有名私立大に入れない)。
この女性は勉強が苦手らしく統一試験の成績がかなり悪かったため私立大学(日本的な感度では専門学校)にしか入れない。
それでも大学に行こうとするのは貧農から抜け出す唯一の手段が大学卒の証書をもらって大企業に就職することだからだ。

 娘の両親はレンガ工場を経営していたが、ある日の収入が34元400円程度)ぐらいだから、とても娘を大学に入れる資金はない。
こうした場合中国では親戚一同の互助組織があって、食事会を開催してカンパ(実際は借金)を集める。
番組ではその様子を追っていたが、入学先の大学は本当は卒業後の就職先などほとんどないいかさま大学なのに、借金しても両親は娘を大学にやろうとしていた。
そして件の講師は「田舎の高校生と両親をだまして授業料をせしめ上げるのが目的だ」と嘯いていた。

注)この大学が倒産後この娘は他の大学に移っていたので、番組のスタッフが「あれはいかさま大学で、そのうちにつぶれる」とでも教えたのだろうか?

 もう一つの事例は武漢大学 珞珈学院を卒業して就職活動をしている青年を追ったものだ。
当初どこでも入社できると青年は考えていたが実際は就職先はなかなか見つからない。
ようやっと見つかっても1週間の試験期間と、3ヶ月の仮採用期間があって、その後でないと本採用にはならない。

注)この武漢大学 珞珈学院は一流校の武漢大学とは別物でいわゆる三流大学だそうです。

 この青年は試験期間までは行くのだがパソコンの操作が苦手ですぐに首になってしまう。
大企業でも仮採用期間中は月額1500元約1万8000円)程度で、実際は仮採用にもならないからほとんど収入はない。

注)中国の初任給で最も高いのはIT 産業で3500元(42000円)程度。この青年の給与は相当に低い。

 武漢市での生活は最低でも1000元1万2000円)程度はいるようで、家賃に500元6000円)必用だといっていた。
この青年はいずれも就職活動に失敗していたが、中国全土でこうした若者約200万人規模でいて、中国では蟻族というのだそうだ。

注)前にクローズアップ現代で放送されたときは新卒の大学生約500万人のうち約200万人が就職できなかったと伝えていた。
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/21528-d770.html

 中国では大学を出なければホワイトカラーになれず、しかしそのためには一流校を出なければならない。このため子供も親も大学入試に血眼になるが、成績の悪い子はかなりいかさまな私立大学に入らざるえず、しかもそうした大学を出ても就職先はない
蟻族といってただひたすら就職先を求めて歩き回る人生が待っていると言うのがこのドキュメンタリーのレポートだった。

 中国の教育事情は日本より劣悪で粗製乱造の私立大学の卒業生は就職できず、あるいはしたとしても低賃金労働者となるようだ。

注)なおこのドキュメンタリーは日本で言うドキュメンタリーとは異なり、後から場面をいくつも挿入していると思われた。
いわばリアル場面とドラマ場面があるのだが、それをすべてドキュメンタリーと称していた。


なお中国の社会問題の記事は以下に纏めてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat48428075/index.html

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(24.7.27) シリーズ 消費社会はどこへ 食品廃棄物は減らせるか 生産した食料の半分が捨てられている 

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 シリーズの4作目は2010年に製作されたドイツのドキュメンタリーで、「食品廃棄物は減らせるか」と言うテーマを扱っていた。とても生真面目なドイツ人らしいドキュメンタリーだ。

 最初にとりあげていたのは賞味期限で、これはメーカーが一定の品質を保障している期限で、食べたからといって食中毒にはならない期限である。
しかしスーパーやコンビニでは賞味期限(消費期限)が近づくとこうした食料品を廃棄処分にしており、その理由は「顧客が買わなくなるから」だという。

注)賞味期限(おいしく食べられる期限)と消費期限(これ以上経った食品で中毒を起こしてもメーカーの責任でない)は異なるが実際はほとんど同じ意味に使用されている。
なお消費期限問題については以下の記事に詳述してある

http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/20514.html

 
 私は近くのジャスコで食料品を購入しているが、今まで賞味期限(消費期限をチェックしたことはない。
食べてみておかしい味がすれば確かに賞味期限なのだろうが、特別に腐っていない限りは何でも食べてしまう。
しかし一般の先進国の人は違うらしい。
賞味期限が近づくと顧客が購入しないし、もし購入しても期限がきたら捨てるので私どもが捨てるほうが面倒がないのです」と番組に登場した店員が述べていた。

 食料は常に捨てられており、実際はこうしたスーパーやコンビニで捨てられる前に、農場でも大量に廃棄処分されるという。
レポートに出てきたドイツのジャガイモ農家では小さすぎるジャガイモと大きすぎるジャガイモは直ちに畑に捨てられていた。
小売店からの注文で大きさが決められており、それ以外のジャガイモは受け取ってくれないから」と農場主が寂しそうに述べていた。
こうして遺棄されるジャガイモは収穫量の半分に達し、それは掘り起こして霜に当てて発芽させないようにしなければならないのだそうだ。

注)近所の住民が捨てられたジャガイモをかごに拾って入れていた。農業主にとってジャガイモが少しでも役立つことは嬉しいので黙認している。

 フランス最大の卸売市場ランジスの事例も興味深かった。ここでは当日せりで落とされなかった野菜や魚介類はすべて廃棄処分されていた。
もちろんほとんどのものは食べれるので、この廃棄物をフード・バンク貧しい人に無料で食料を配る組織)のメンバーが回収していたが、ホンの一部の回収に留まりほとんどの食料品が廃棄されていた。

注)私は今まで卸売市場に出された食品はすべて競り落とされるものと思っていた。

 このフード・バンクのメンバーに出身がカメルーンの女性がいたが、「カメルーンでは世界中から輸送されてきたバナナの一房も買えない人がいるのに、ここではいとも簡単に捨ててしまう」と嘆いていた。

 国連食料農業機関の推計では収穫された農産物の約半分が何らかの形で廃棄されていると言う。
貧しく飢えている人々を救うのに十分すぎる量だが、実際はそうした貧しい人々の口に入ることなく処分場に廃棄されている。

 どうしたらいいのだろうか。
食料を無駄にしないいくつかの方法が紹介されていた。

① 廃棄物を計量してその情報を調理場にバックアップするアメリカの病院の事例。

② 冷蔵庫のようなしまいこんでしまう器具を使わずに、目に見える形で食料品を保存している韓国人のアーチストの事例。

③ 上記に記載したフード・バンクに食料を回収してもらうか、信念を持ってスーパーのゴミ箱をあさってそれを食料にする事例。

④ 廃棄されたパン(20%相当は廃棄される)を燃料に使って再びパンを焼く事例。

⑤ 食料品から出るバイオガスを使って発電をする事例


 この番組ではこうした事例を紹介していたが、いづれも「いまひとつだなあ。これでは食料の半分が廃棄されているのをカバーする訳にはいかないだろう」と言うのが番組を見ての印象だった。

 番組のまとめで、「消費者は賢く食べ、小売業者は責任を持って売り、行政は廃棄物に罰金を科せ」といっていたが、このうちでもっとも効果がありそうなのは罰金を科すことだろう。

 スーパーやコンビニや卸売業者に対して、一定の重さの食料品の廃棄物に罰金を科せば確かに廃棄物は減りそうだ。
家庭ごみについては千葉市で検討している有料化が有効だろう。

 ただこうした無駄のサイクルはわざわざこの市場経済で多くの人の生活を支えるために行っている無駄だから、実際に実施されると農家やメーカーは生産縮小に追い込まれることは確かだろう。

なお、この消費社会シリーズのNO1は以下参照。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-2667.html

 
 

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(24.7.18) シリーズ 消費社会はどこへ 電球をめぐる陰謀 商品は意図的に老朽化されている

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 海外のドキュメンタリー番組は当たり外れが大きいが、現在NHKが放送している「シリーズ消費社会はどこへ」はなかなかの番組だ。
第一回は「電球をめぐる陰謀」でフランス・スペインの2010年の作品だが、20世紀を通じて最も重要な商品だった電球1925年から国際的なカルテルが結ばれて寿命を1000時間に制限してきたと言うのには驚いた。

 私は裸電球はそもそもフィラメントの関連から寿命は長く保てないのだと思っていたがそれはまったくの間違いで、1895年に製作された裸電球が、アメリカのリバモアにある消防署で今も使用され続けていると聞いて再度びっくりした。この電球は100年以上も寿命を保っている。

 1925年以前は電気メーカーは電球の寿命を長くすることに懸命に取り組み、平均寿命が2500時間になっていた。
このあまりに丈夫な電球の出現によって電球が売れなくなり、当惑した世界の電機メーカーがスイスに集まって秘密会議を開き、今後電球の寿命を1000時間にするように国際カルテルを結んだ。それをボイホス・カルテルと言う。

 このボイホス・カルテルの伝統がその後の世界の資本主義の根底を支えるようになり、電球以外の商品もメーカーは意図的に製品が一定時間で壊れるように設計していると言う。
これを「意図的な老朽化政策」と言うのだが、現在の資本主義はこの隠れた思想の上に成り立っている。

 番組の冒頭に出てきた事例ではプリンターの寿命を印刷枚数で決定し、その枚数に達するとプリンターが動かなくなるように設計されていた。
お客さん、買い替えのときが来ました。修理部品がないので買い換えてください」と言うわけだ。

 実は私も経験的にとても不思議に思っていることがある。それは電気製品クーラー、テレビ、パソコン、プリンター、電話機等)が平均して10年経つと壊れることだった。もちろん修理部品はもうないから買い換えることになるのだが、これはすべて物理的な磨耗のせいだとばかり思っていた。

 だが、最近の電気製品は電子部品の塊の様なものであり、パソコンでも磨耗と言えるのはディスクぐらいなものなので、「なぜ電気製品の寿命は10年か?」とても不思議に思っていたものだ。

 番組ではメーカーの技術者が盛んにより壊れやすいものを作るために研究している有様が出ていた。
たとえばデュポン社は当初絶対に破れないナイロンストッキングを開発し、それで自動車を引っ張ることもできたのに、「これでは消費者が一生に一回だけナイロンストッキングを購入すればよい」ことに気付き、急遽破れやすいナイロンストッキングの開発を行っていた。

 アメリカの大恐慌時代バーナード・ロンドンと言う実業家が「商品にはすべて寿命を設定して、使用できるか否かにかかわらず寿命が来たらすべて商品を廃棄処理することを法律で定めよう」と提案していた。
こうすれば企業の生産も労働者の職場も維持できると言う訳だ。
この提案は受け入れられなかったが、現在のコンビニスーパー賞味期限を設け、食べられるか否かに関係なく廃棄処分をしていることと何か深いところで思想が似ている。

 思わず笑ってしまったのは旧共産圏諸国では「意図的な老朽化」と言う思想がまったくなく、ひたすら長持ちする製品が作られていたことだ。
たとえば東ドイツの冷蔵庫は25年の寿命を保証していて、実際に使ってみるといくらでも使用が可能になっている。
旧東ドイツでは冷蔵庫を作るための資源が常に足りなかったため、長寿命型の開発が好まれいつまでも使える商品に人気があったのだそうだ。

 一方アメリカや西欧や日本では戦後は常に大量消費がもてはやされ、機能的には従来の商品でまったく支障もないのにテレビ広告等でダサイと思わせる消費の誘導がなされている。
携帯電話でまったく支障がないのにスマートフォンを持っていないと片身が狭いと言う感じだし、古い車をいつまでも乗っていると「山崎さんの家計はやっぱり厳しいのね」なんて思われてしまう。

 フランスの経済哲学者のセルジュ・ラトーシュが「限りある地球で限りない成長が可能だと考えるのはエセエコノミストか愚か者だが、現実はエセエコノミストと愚か者ばかりの世界になっている」と嘆いていた。

 私もこのブログで日本がもはや経済成長をすることなく、新しい中世といった静かでものを大事に使う文明に入っていくと主張しているが、なかなか賛同を得ることはない。
成長なくして財政再建なし」などと常に政治家が言っているので一般の人が惑わされるのは無理からぬところもあるが、実際は日本の経済成長は1990年を境に止まっている。

注)日本が新しい中世に入っていくと言う私の主張については以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-4a0a.html

 いつまでも「意図的な老朽化」の企業戦略に惑わされることなく、地球資源の限界を考慮して足るを知る生活を営むことが私たちに今求められている。倉本 聰氏が描く「北の国から」の五郎のような生活だと言ったらイメージがわくだろうか。

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(24.5.5) BSドキュメンタリー 癒しロボットで認知症治療 ドイツの現状

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 いやはや驚いてしまった。日本のロボット技術が世界最高であることは知っていたしアシモ君が走ったり踊ったりしているのは知っていたが、癒しロボットのパオが現実の介護に使用されているのは知らなかった。

 癒しロボットのパオ
とは産業技術総合研究所の柴田博士が開発したアザラシ型ロボットで人工知能が内蔵されていてあたかも本物の子供のアザラシのように動き鳴く。
この癒しロボットパオドイツのブレーメンにある認知症患者専門の病院介護のサポート役として導入の実験をしていた。
このドキュメンタリー番組はドイツで2011年に制作されたものである。

 日本でも認知症介護施設でこのアザラシ型ロボットを使用している介護施設はあるようだが、ドイツではもっと本格的にロボットを介護現場に導入しようとしている。
とうとうロボットが本格的に人間とかかわるようになってきたのか・・・・」
鉄腕アトム世代としては感無量だ。

 この介護施設には重症の認知症患者やそれより症状の軽い認知症患者が80名程度療養介護されていたが、特に重傷者になると介護士の働きかけにまったく反応しない。
このため介護士も精神的に疲れてしまって悲観的になることが多いのだそうだが、このアザラシ型のロボットパオがいると、ちょうど患者と介護士の仲介の役割を演じてくれて介護がしやすくなるのだそうだ。

 このロボットの日本名のパオを、ここドイツではドイツ式にオーレという名前が付けられていた。
施設には介護犬も導入されていたが、本物の犬は長時間の介護は無理で2時間程度でお役ごめんになる。人間と同じで介護犬もストレスに弱い。
それにウンチや毛が飛ぶ問題もあってオーレのように充電さえすれば何時間でも介護に携わってくれない。
ロボットは介護士や介護犬や認知症患者と違ってまったくストレスを感じず、いつまでも愛らしく振舞うので仲介役としてはもってこいのようだった。

 この介護ロボットが認知症を改善するかどうかはまだ実験段階で結論は出されていないが、薬を使った実験と違って副作用がないのがいいと開発者の柴田さんが言っていた。
ロボットを使った介護がここまで進んでいたのは驚きだが、この試みは日本の新しい産業芽生えを感じさせた。
特に
人間型やアザラシ型のようなロボットは日本の独壇場と言っていいくらい開発が進んでおり、ドイツのように日本でも積極的に使用すべきだと思う。

注)海外のロボットは機能優先で人間や動物の形をしていない。

 しかし問題はあって、ここでもロボットを介護に入れてはならないとか、ロボットを使用した治療は保険対象ではないとか、そういった規制が存在して特に日本ではせっかくの新産業が花開いていないことだ。
かえってドイツで花開こうとしているのは皮肉だが、どこの国でもいいから積極的に使用してその効果を確認してくれたら日本でも大々的な導入が可能になるだろう。

 日本では新産業が育たず、経済は萎縮の一方だがこのロボット産業には大いに期待が出来そうだ。

なおBS海外ドキュメンタリーシリーズは以下にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/nkk/index.html

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(24.4.18)  中東の核の歴史 イスラエルの秘められた核の開発 その2

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  昨日に引き続きイスラエルの核開発の後編である。この番組は2001年にイスラエルで制作され元首相だったペレス氏がインタビューに答えている。
そうした意味では政権担当者としてのバイアスがかかっている可能性は否定できないがとても興味深い番組だ。
特にペレス氏の温厚そうな表情の下に隠れている狸おやじとしての側面が垣間見られるのが面白い。

 イスラエルの核開発は初代首相ベングリオンと国防省のペレス氏が推し進めた秘密プロジェクトでイスラエル外務省はこの核開発にタッチをしていなかった。
1957年からネゲブ砂漠のディモナに秘密の核施設が建設され、フランスから核科学者と技術者が派遣されたが、フランス側も知っていたのは国防省と核関連の技術者だけだった。

 1958年になるとフランスではドゴールが大統領になり、ドゴールはフランスのイスラエルに対する核施設建設を取りやめさせようとした。
しかしドゴールの命令は軍と原子力関連組織から無視され、その後も支援は続けられたと言う。
ドゴールが本当の意味でフランスの関与を知ったのは1960年のことで、この年にイスラエルに対する原子力関連物質の禁輸措置を発令している。
それでもフランスの科学者と技術者はディモナの核施設の建設を止めず、1962年核施設を完成させた。

 この事実は驚くべきことだ。ドゴール大統領が停止命令を出しても軍はまったくその命令に従わなかったと言うのだから不思議だ。
どうやらこれはドゴールと軍の出来レースで、アメリカからイスラエルの核開発に対する中止要請が来ていたため、表面的には応じた振りをしたのだろう。何しろドゴールはアメリカ嫌いの自尊心の塊のような男だった。
アメリカの顔は立てるがまともに聞くな

 1960年にアメリカの科学者によってイスラエルに核施設があることがすっぱ抜かれたが、この情報はCIAがフランスを揺さぶるために科学者に教えたものと思われる。
1961年ケネディが大統領になるとアメリカは核拡散に本格的に乗り出した。ケネディにとってはイスラエルの核開発もその例外でなかった。
ケネディはイスラエルに核施設を国際機関の監視下に置くように強く迫りディモナへの立ち入り調査を求めた

 このあたりからは現在の北朝鮮イランとの交渉と同じなのには笑ってしまう。
イスラエルはしぶしぶ受け入れには応じたが、当然のこととして国際査察団を出し抜いた
アメリカからの二人の科学者が案内された場所はレプリカの操作室で、実際は地下にプルトニウム抽出施設があったのだがここには立ち入らせなかった。
アメリカの科学者はすっかりだまされ、イスラエルの核施設は平和目的だとケネディに報告している(爆の材料であるプルトニウムの抽出はされていなかったと報告した)。

 もっともケネディはこの報告を信じてはいなかったらしくベングリオンがアメリカを訪問したときに核開発の目的の念押しをしている。
このときそれに答えたのがペレスで「イスラエルは中東で最初に核兵器を導入する国にはならない」と答えたが、これは答えようがなかったための苦し紛れの回答だったとペレスが述懐している。

これがその後イスラエルのあいまい政策」として定着していったが、「核は持っているが先制攻撃には使用しない」と言う意味だ。
ケネディは不満だったようだが、ユダヤ資金はケネディ当選の資金源だったからそれ以上の追及はしなかったと言う。

 1963年ベングリオンが政権を追われると、核開発プロジェクトのメンバーはすべて地位を追われた。核開発がベングリオンの秘密プロジェクトで外務省や他の省庁の口出しを一切認めていなかったことを、新首相エシュコルが嫌ったからだ。
これからは核プロジェクトを首相官邸の直轄プロジェクトとする

 ケネディはこの首相交代を狙ってディモナ原子力センターの実態をアメリカに報告するように迫った。
ベングリオンは頑固だったがエシュコルは言うことを聞くかもしれない・・・
政府内で報告派の外務省秘密派の軍が激しく対立し、結果的にはペレスの「あいまい政策」を踏襲することになった。エシュコルもタフだった。

 その後イスラエルは1966年に核兵器の製造能力を獲得した。
この翌年の1967年イスラエルは電撃的にエジプトに攻撃をかけ勝利したが(第3次中東戦争)核開発に成功した自信からだろう。
この頃からイスラエルは毎年2~3個程度の原爆を製造し貯蔵できるようになっていたが、実際はとりあえず原爆が出来たといった状況だったようだ(本当に炸裂するか実験をしていないので分からなかった)。

 第3次中東戦争で苦杯をなめたエジプトは周到な準備の末1973年に(イスラエルにまねて)電撃的にイスラエルに襲い掛かった(第4次中東戦争)。
不意を撃たれてイスラエルは初戦は大惨敗だったが、その後押し戻してイーブン状態で停戦に至ったが、イスラエルが初戦といえども大敗北を喫したのはこれが初めてだった

 にがい初戦の敗北からイスラエルは核を確実なものとするため、1979年に南アフリカの協力の下インド洋で核実験を行ったが、アメリカのカーター政権はこの核実験を異常な気象状況が発生したものと言うことで黙認した。
この核実験によって始めてイスラエルは実戦可能な核兵器を得たことになる。

 現在イスラエルの核兵器製造能力は上がり年間3~5発の核兵器を製造していると見られ、地下に200発の核兵器が保管されていると言う。
イスラエルは最初に核を使用しないとアメリカに約束したが、どのような場合に使用するかの基準が存在している(核兵器が有るかないか分からないのに使用条件があるのはおかしいが、このあたりがあいまいになっている)。

① アラブの軍隊がイスラエルの人口密集地帯に侵攻した場合
② 空軍が破壊された場合
③ 生物化学兵器による攻撃にさらされた場合
④ 核による攻撃を受けた場合

 実際第4次中東戦争ではイスラエル空軍はほとんど崩壊の瀬戸際まで追い込まれたが、ここで核兵器を使用しなかったのは実戦配備されていなかったからだ
また1991年のイラク戦争のときはスカッドミサイルによる攻撃にさらされたが、アメリカが核による反撃を許さなかった。

 現在イスラエルは核拡散防止条約の批准をしていないから、条約上は自由に核開発が出来る。
だれもがイスラエルに核があることを知っているが、政治上はあいまいにされている。このあいまい政策はその後北朝鮮イランに踏襲され、核開発をする国家の常套手段となった。
ペレスの追い詰められた苦し紛れの一言がその後の世界史を変えてしまった。

注)私は今回のドキュメンタリーを見て、こうした番組をもっと早くからチェックしていなかったことを悔やんだ。私がブログを記載し始めたのは5年前からだが、さらにその5年前からチェックをして分析を続けていれば世界情勢を確実に把握できたのにと思うと残念でならない。

なおこの記事は昨日の記事の続きです。読んでいない方は以下の記事を読んでください。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-c89a.html
 

 

 

 

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(24.4.17) 中東の核の歴史 イスラエルの秘められた核の開発 その1

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 現在イスラエルによるイラン核施設攻撃が時間の問題になってきたことにあわせて、NHKが「中東の核の歴史」シリーズを放送している。
今回の「イスラエル 秘められた核開発 前編」はイスラエルが2001年に作成した番組で、日本では2008年にNHKから放送された。
今回はその再放送になるが、イスラエルの核政策が実に良く分かる構成になっており、私も始めて知る事実が多い。

 この番組はイスラエルの核開発の実質的責任者で後に首相になったシモン・ペレス氏へのインタビューがその骨子になっている。
シモン・ペレス氏はイスラエルの首相を2回も歴任しており、イスラエル政治の表と裏を知り尽くした人物と言える。

 現在イスラエルは核保有について「肯定も否定もしない」と言あいまい政策をとっているが、なぜこのような政策をとるようになったかをこのドキュメンタリーは教えてくれる。
この番組を見て私がもっとも意外だったのは、イスラエルの核保有について積極的に支援したのはアメリカではなくフランスだったと言う事実で、しかもこれはイスラエルとフランスの国防省が外務省に内密に推し進めた計画だったことだ。

 現在のアメリカイスラエルの蜜月関係から見ると信じられないようなイスラエルとフランスの結びつきだが、すべては当時の政治情勢にあった。
イスラエルは1948年に建国されたが、常に周囲のアラブ人からは殲滅すべき国家とみなされていて独立宣言と同時にアラブの攻撃が始まっている(第一次中東戦争)。

 初代の首相だったベングリオン第一次中東戦争には勝利したもののいつまたアラブが攻撃してくるか分からないと恐れていた。
そこでベングリオンはイスラエル生き残りのための戦略はアラブ諸国に先立った核武装をすることだと強い決心をした。1954年頃のことだと言う。

 ベングリオンは当初はアメリカに期待をし、日本や西ドイツに対したようにアメリカが核の傘でイスラエルを守ってくれると思っていた(ただし核開発は認めない)。
しかしアメリカはイスラエルとの間にそうした安全保障条約を結ぶことをしなかった。

注)これはドイツと日本は技術力があるので自由にさせると核開発を行ってしまうが、イスラエルにはそうした能力がないとアメリカが考えていたためと思われる。

 失望したベングリオンは当時30歳前だったペレスを核開発の責任者にして自主開発をすることにし、フランスと交渉をさせた。
なぜフランスかというと敵の敵は互いに友だからである。
50年代を通じてフランスはアルジェリアの独立運動に悩まされていたが、なぜアルジェリア民族解放戦線が強敵かと言うと、資金と武器の支援をエジプトのナセル大統領がしていたからだ(とフランスは確信していた)。
一方イスラエルは第一次中東戦争でエジプトと生存をかけた戦いをしていていつ報復されるか分からない犬猿の仲だった

 フランスはアルジェリアの植民地を守るためナセルをたたきたかったし、イスラエルは生存のためにナセルをたたきたかった。
こうしてフランスとイスラエルは急速に接近して行った。

注)アメリカは当時イスラエル防衛に強い関心を示さず、イギリスはイスラエルにとって独立運動の相手先だし、ソビエトはナセルに肩入れしていた。結局イスラエルは核開発についてはフランスに頼らざる得なかった。

 イスラエルは禁輸措置をかいくぐってフランスからミラージュ戦闘機を購入し、また核施設建設の科学者と技術者をフランスから極秘裏に派遣してもらい、核開発にまい進することになった。
そしてフランスによる核技術の移転の代価は、エジプトとのスエズ戦争参加である。
1956年ナセルがスエズ運河を国有化してイギリスとフランスを一方的に追い出したが、これに怒ったイギリスとフランスがイスラエルを誘って起こした戦争が第二次中東戦争(別名スエズ戦争)である。

 私の記憶もこの頃から確かになってくる。1956年時点で私は10歳だったが、知り合いのお姉さんが少年朝日年鑑をプレゼントしてくれたので、スエズ戦争と言うものがあったことを知った。
イギリスとフランスがスエズ運河を取り戻そうとしたことは分かったが、イスラエルの位置づけは分からなかった。
しかしナセルが強引にスエズ運河を国有化したことに何かとてもすがすがしさを感じたのを覚えている。
当時は社会主義も国有化も善でナセルは子供にとっても英雄だった(なお朝日年鑑のスタンスもそうしたものだった)

 イギリス・フランス・イスラエルの同盟軍は圧倒的な力でエジプトを圧倒したが、エジプトに拠点を持っていたソビエトが核兵器をちらつかせてイギリスとフランスを脅した。
「エジプトから撤退しないと核攻撃を辞さない
また信じられないことにアメリカもこのソビエトの脅しに同意したため、イギリスとフランスのスエズ運河奪還計画は失敗してしまった。
これ以降イギリスとフランスは植民地主義の限界を知ったのだが、一方イスラエルはフランスの支援の下に核開発を着々と進めていた。
イスラエルは核開発で漁夫の利を得たのである。

注)私にはなぜこの時期アメリカはイギリスとフランスの植民地主義を嫌ったのか良く分からない。アメリカの同意なく戦争を始めたことに怒ったのか、ソビエトが本当に原爆を使用することを恐れたのか、ナセル政権とイスラエルに両てんびんをかけたかったのか、植民地主義を嫌ったのか、こうした理由の複合だろうが現在のセンスから言うととても不思議だ。

(後編に続く)

なおイスラエルとイランの確執についての記事は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat48441473/index.html

 

 
 

 

 

 

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