(28.11.20) JR北海道の苦難と日本の将来 人は消え田畑は原野に戻る!!
JR北海道が手をあげた。もうこれ以上の営業は不可能だという。具体的には全路線の約半分に相当する10路線13区間を廃止するか自治体で駅舎や線路の管理をしてもらいたいと宣言した。
これまでもJR北海道は10路線余りを廃止してきたが、JR北海道で黒字なのは札幌周辺の一部路線だけで、今後黒字が期待できそうなのは北海道新幹線だけになっている。
JR北海道はもともと赤字覚悟の会社で、国からの基金約8000億円で何とか営業赤字を補てんする構造だった。しかし昨今の資金運用難で補てん金額は毎年のように減少し現在は営業赤字400億に対し補てん金額は300億程度になっており、どのようにしても最終利益は100億程度の赤字になる。
このため維持している線路の保線や特急列車の保守に手が回らず、線路はいたるところで規格より広くなって脱線を繰り返し、特急列車は火を噴くありさまだった。
「もうとても経営できない。無理だ」こうした状況に思い余って次々に社長が自殺してしまった。
私は北海道ファンで夏になると必ずと言っていいほど徒歩で歩いたりマラソンをしたり自転車旅行をしてきたが、北海道のローカル列車の悲惨さは目に余った。一日数本の本数しかなく間違って無人駅などに降り立つと半日あまり列車が来ない。
周りには元は農家があったはずだがほとんど廃屋になり、半日いても自分以外にだれも人を見ない。駅舎には古い帳面がおいてありここに降り立った旅行者の感想文が書いてあるのだが、一冊で数年分の記載になっており、「こんなに静かで何もない駅があるなんて日本は素晴らしい」というような内容が書いてある。
ほとんど世界遺産並みの扱いだが、実際そこは人々が消えてしまった場所なのだ。
JR北海道の経営にとって最も重要なのは人々が多くいて鉄道を利用してくれることだが実際は真逆だ。
人口540万人だが1997年のピーク時より30万人も減って、さらに少子高齢化が進んでいる。子供がいなくなれば通学客が減り、残った人はもっぱら自動車で移動する。
一日数本の列車を待っていては何もできないからで、北海道では自動車が主要な交通手段になってJRは見捨てられてしまった。
今回のJR北海度の発表に対し関連の自治体からは「高齢者や通学客に支障が出る」と反対の声が上がっていたが、今回廃止を検討しているへき地にはほとんど子供はおらず、学校は次々に閉鎖され、老人はとても駅まで歩いていけないからもっぱら自動車を利用している。
現在のJR北海道はただ空気を運ぶための鉄道になってしまい「まあ、それでも補助金があるから仕事をしているふりさえしていれば生きていける」という失対事業に近くなっている。
だからまじめな経営者だったら、「これ以上経営は不可能だ」と匙を投げるのは当然なのだ。
現在日本では少子高齢化が進み子供はいなくなり、老人ばかりが増えている。特にその傾向は北海道で著しく北海道東部や北部の気候条件が厳しい場所からは人が消えつつある。私は北海道を自転車で走るたびに「またこの集落は寂しくなってるな。ここに生きている人の寿命がこの集落の寿命か」と感慨深い思いをするが、こうした場所で人に会うことはめったになくましてや子供を見ることはまずない。
だからJR北海道がどのように経営改善に取り組んでも、顧客がいないのだからどうにもならないのだ。
今日本は急速に人口が減少しつつあるが、これは日本だけでなくヨーロッパやロシアも同じで、またトランプ政権下のアメリカも急速に人口が減少するだろう。移民を制限すれば人口増の要因がなくなるからだ。
人が少なくなればそれに応じて経済が縮小するのは当然で、経営をスリム化して生きていくのは企業としては当然だ。
北海道は日本の将来の縮図をもっとも端的に表している場所で、いずれ四国や九州や山陰地方や北日本がこの北海道と同様の人口減少に襲われ経済の縮小が始まる。
人々は大都市周辺にだけ集まり田畑は耕作されずに荒れるに任され、昔の原風景に戻っていく。
陶淵明が帰去来の辞で歌った「帰りなんいざ、田園まさにあれなんとす」の世界が21世紀の原風景なのだ。
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