(28.9.20) 実にパラリンピックは興味深かった。 人間の強さの証明
いやはや驚いた。リオで開催されていたパラリンピックのことである。
従来私はパラリンピックには全く興味がなく、オリンピックが済めばもうおしまいという雰囲気だったのが、今回は全く違っていた。
実にまじめにNHKのパラリンピック放送を見続けたのだ。
見続けた最大の理由はパラリンピックの競技レベルが格段に上がり、特に陸上や水泳については健常者のそれとさして変わらないようなレベルになってきたからだ。
「本当にこれが障害者の記録だろうか・・・・」信じられないような思いだが、おおざっぱにいって一昔前のオリンピックとさして変わらないレベルになっていた。
障害の程度によってクラス分けされており、私にはそのクラス分けのレベルがわかりずらかったが、知的障害などは運動能力に何の支障もないのでほとんど健常者のレースを見ているような感じがした。
かみさんが「どこに障害があるの」と私に聞いたが私も同様の思いだ。
機能障害の場合も手や足の一部が欠損しているのだが、足についてはカーボン製の義足で100mをやすやすと走り切っていたし、走り幅跳びや走高跳などは実に豪快なジャンプをしている。
「いやはやこれは驚き以上だ。障害者といってもこれほどのパフォーマンスを示すことができるんだ・・・」感心してしまった。
私の住んでいるおゆみ野の四季の道でも最近カーボン製の義足をつけてジョギングをしている人を見かける。
しばらく前だったら奇異の目で見られていたが、パラリンピックのおかげで全く違和感がなくなった。
オリンピックでは人間の能力の最高レベルを確認できるが、パラリンピックではたとえ機能障害があってもここまでそれをカバーできるという人間の強さを証明してくれる。
観客席にも多くの観衆がいてオリンピックとほとんど変わらないような応援をしていた。
私など最近は聴力が極度に衰えてまともな会話ができなくなっているし、目は油断すると失明しそうで障害者認定を申請してもよいくらいだから、パラリンピックを見て強く心を動かされたのだろう。
それにしてもパラリンピックのレベルは向上した。日本はついに金メダルに届かなかったが、次回の東京大会ではパラリンピックの強化について真剣に取り組まなければとても金メダルはとれそうにない。
パラリンピックとオリンピックの差はかつてはサッカーのJ1と中学生レベルのサッカーの差だったが、現在は高校サッカー程度まで向上した。
人間の能力はどこまで維持できるのだろうか。とても興味が持てる。
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