旅行 蝦夷地周遊記

(28.6.11) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その16」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(22.9.26) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その16  最終回

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(帰りの車窓から撮る

 今回の蝦夷地探訪においてロドリゴがしみじみ感じましたのは、日本国の将来と言うことでございます。
この蝦夷地は間違いなく日本国の将来を指し示しているようにロドリゴには思えたのでございます。

 現在日本国は人口低下に悩まされ、老人の比率が高くなり、経済成長は止まって、残されたものは公共工事による道路や橋や港や空港の建設だけになっております。
そしてそれを最も特徴的にあらわしているのが紛れもなく蝦夷地でございました。

 札幌のような一部の都邑を除いて、あらゆる都邑や集落から人が消え、小中学校が次々に閉鎖され、集落で子供の影を見ることがほとんどまれでございました。

 農村地帯に参りますと数軒に1軒の割りで、放棄された農家とサイロがむなしく建っており、ほとんどの場合が雪の重みで半分つぶれておりました。
漁村地帯は農村地帯に比べるとはるかにマシで、昆布漁のおかげで家々は新築されておりましたが、ここも人口低下に悩まされているのは同様でございました。

 一方で道路や公園や港湾と言った公共設備はこれ以上はないというほどに整備され、社会資本の充実には驚かされましたが、残念なことにそれを使用する和人やアイヌはほとんどいないと言う状況でございました。

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 この人口減と公共設備のアンマッチほど蝦夷地を特徴付けているものはございません。
これは幕府が景気対策として公共工事ばかりに予算を配布した結果で、なにか古代ローマの遺跡群を見ているような感覚に襲われたものでございます。

 そして近い将来蝦夷地ばかりでなく日本国のほとんどもこのような状況になるのは明白でございます。

 こうした状況対処する方法は果たしてあるのでしょうか。
一つの方法は日本国を世界の裕福な人々に解放することではないかと思われました。
その理由は日本国は世界から見たら飛びぬけて生活するのに相応しい場所だからでございます。

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 故郷エスパニアにおいてもコスタ・デル・ソルというような風光明媚な避暑地を和人をはじめ多くの異国の民が別荘地として購入しておりましたが、蝦夷地や日本国ほど世界の別荘地として適したところはございません。

 風光明媚で気候風土が夏場を除けばマイルドで、かつ公共投資は古代ローマと同様に隅々まで行き渡り、医療も最先端、情報技術も一流で犯罪の少ない場所は、世界を見回しても日本国以外にないのです。

 ここは世界の金持ちにとって夢のような場所でございますので、多くの異国の民に居住してもらい、スイスのようなイメージの国家になるのが相応しいと思われます。

 政府を挙げてかつてオーストラリアがしていたような、お金持ちのシルバーの誘致を図るべきだと言うのがロドリゴの提案でございます。
それが過小人口と過剰な公共投資のアンマッチを埋める最適な方法のように思えるのでございます。


注)かつてオーストラリアでは日本円で5千万円以上の資産をオーストラリアの銀行に預金し、かつ仕事を求めなければ居住権が与えられておりました。
金持ち老人の優遇誘致策です。

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(28.6.9) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その15」

 

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(22.9.25) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その15

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 歩み続ければ人間どこへでもたどり着くものでございます。
様似を出発してから早2週間、約400kmの道のりでございましたが今日(元禄3年8月21日)ようやく目的地の納沙布(ノサップ)岬に立つことができました。
ここからは北方4島が見渡されるのでございますが、特にエトロフ島は近藤重蔵様が最初にここが日本国の土地だと明記した碑を建てた場所でございます。
だからエトロフ島は日本国の固有の領土であると和人が申しておりました。

 根室から納沙布岬まで行ってひき返しますと約50km程度あり、1日の行程としてはやや長すぎましたので、行きはバスで、帰りを納沙布岬から歩くことにいたしました。

 納沙布岬ではちょうどノサップ岬マラソンが開催されておりまして、ロドリゴが岬に着いたときに開会式を行っていました。
この開会式の主賓は蝦夷地の鈴木大酋長で、「北方4島問題の解決を図るため、鳩山総理の代理としてロシアと交渉し、かなり前進が見られたが、菅内閣になってもとの木阿弥になってしまった。大変残念なことだ」という趣旨の話をしておりました。

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 鈴木大酋長はこの蝦夷地に公共工事という一大産業を樹立させた功労者で、おかげで蝦夷地は高速道路や一般道、空港や漁港の整備が格段に進み、それでも足りないと熊や狐のための道路まで作ったのでございます。
蝦夷地では多くの和人やアイヌから尊敬され、特に熊や狐は「鈴木大明神」という祠を作って参拝しておりました。
これは熊や狐のことまで忘れずに道路を作ってくれた感謝の気持ちだそうでございます。

 しかし分からないものでございます。幕閣は大酋長が道路や空港を作るたびにその資金の一部をピンはねしているのではないかと疑い、江戸表に引っ立ててご詮議あそばされました。
その結果、「ピンはねは明瞭」との御沙汰となり、大酋長は鈴が森で斬首の刑に処せられたたのでございます。

 鈴木大酋長の最後の言葉は「蝦夷地を愛するものが蝦夷地のために努力してなにが悪い」という言葉でしたが、ピンはねは熊や狐の食糧確保のための政治的行為だとの説明でございました。

 ここ納沙布岬からは北方4島がくっきりと見える展望塔があり、ロドリゴも見ようとしたのですが、信じられないことに見聞料が900両もするということで、見聞を諦めたしだいでございます。

 納沙布岬一帯はほとんど平らと言ってよく、牧草地と原生花園が広がっている何とものどかな場所でございました。
道路もほぼ直線で10km以上先まで見渡すことができ、とても気持ちの良い場所でございます。

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 こうして様似から始まって納沙布岬の先端まで約400kmの距離を歩くことができ、蝦夷地の見聞は格段に広がったのでございます。
当初は気づきませんでしたが、かつて近藤重蔵様が歩いたであろう道をたどることができ、ロドリゴはとても満足いたしました。

 明日はおゆみ野の地に戻ると思うととても気持ちが落ち着きました。明日の旅の準備をいそいそとして深い眠りについたのでございます。

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(28.6.7) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その14」

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(22.9.21) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その14

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 この日(元禄3年8月20日)は、初田牛の誰もいない駅舎をたって根室に向かいました。
目的地のノサップ岬はもうすぐそこと言う感じになってまいりました。

 途中昆布森西和田という集落を通過しましたが、このあたりの森林の荒廃には驚いてしまいました。
道路に沿って松林が続いているのですが、風雪に耐えられず倒壊しておりました。
このあたりは風がことのほか強く、風力発電には好地のようですが、一方そうした場所に道路を作ると互いに寄り添って風雪をたえてきた森林がたちどころに支えがなくなって倒壊するようでございました。

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(松林が倒壊していた。森林は寄り添って生きているため、風の強い場所に道路をつくると高木は倒壊する


 初田牛から花咲線沿いに蝦夷の道が根室に向かって伸びており、約40km程度根室の都邑に到着する予定でございました。
ロドリゴが完全に誤解していましたのは、根室と言い、花咲と言いとてもよく聞く地名でしたので、根室釧路並みの大きな都邑だと思っていたのでございます。

 しかし着いた根室は人口3万人程度(80年代は4万人の、市とはとてもいえないような寂しげな集落でございました。
JRの駅舎も1階建てのこじんまりとした建物で、駅前も閑散としておりオテルもほとんどなく、かろうじて見つけたオテルは一階が飲食店で2階と3階がオテルになっておりました。

 ロドリゴは都邑ではオテルに泊まることにしていたのですが、「これなら公園にテントを張ったほうがましかもしれない」と一瞬思ったほどでございます。

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明治になり、この根室の和田村に屯田兵が置かれた

 根室とはアイヌ語でネモロといい、「河口に流木が寄り集まる小川」と言う意味だと聞きました。
ここは松前藩が交易所を設置した場所でございますが、もともと交易所は根室ではなく近くのノッカマップにありました。

 ところが松前藩のアイヌに対する年貢の取立てが極度に厳しく、これに怒ったアイヌと松前藩の間にクナシリ・メシナの戦いが繰り広げられ、松前藩の一方的な勝利に終わったのだそうでございます。
その結果多くのアイヌをノッカマップで斬首したため、ノッカマップを避けて根室に交易所を移したと聞き及びました。

注)根室の風土記には以下のように記載されております。

 ノッカマップ岬は根室半島の根室湾側に面する小さな岬です。ノッカマップ灯台以外は何もないおよそ観光とは無縁の岬ですが北海道の歴史上極めて重要な場所です。

 1789年当時の松前藩から蝦夷地の交易を一任された場所請負人の不当な交易や強制労働に対して憤りを爆発させた国後島のアイヌとこれに呼応したメナシ(現羅臼・標津付近)のアイヌが蜂起し和人商人を襲撃。
松前藩はこれを鎮圧し(クナシリ・メナシの戦い)蜂起に参加した者をこのノッカマップに集め取り調べを行った後、首謀者とされた37名をここで処刑しました。これ以降和人の蝦夷地支配は決定的なものとなっていきます


 根室は漁業と牧畜で生計を立てている場所のようで、駅前は閑散としていますが漁港周辺には松前藩の役所や両替所が立ち並んでおりました。
高札もオロシャ語で書かれている等、とてもオロシャとの関連が深い場所のようでございました。
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根室市周辺は平坦な土地が多く、ほとんどが牧場になっていた)

 ロドリゴはこのオテルでいつものようにすべての衣類を風呂に投げ込み、自身もその中に入って衣類と身体の洗濯をし、旅の汚れを落としたのでございます。

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(28.6.5) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その13」

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(22.9.19) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その13

018  

人間なれと言うものは恐ろしいものでございます。当初は30km程度歩くにも青息吐息で、「こんな馬鹿なことはさっさと止めておゆみ野に帰ろう」なんて気持ちでしたが、時がたつにつれて蝦夷地を歩くのがごく自然に思えるようになってまいりました。

 小指の水ぶくれは靴に穴を開けて小指があたらないようにしてからすっかり回復し、またアブの襲撃には長袖のヤッケと軍手で防備をしてから刺されることがまれになりました。
またヒグマの結界については、ヒグマ見切りの術を会得してから、どのような場所にヒグマがいるかたちどころに見抜いてしまいましたので、キャンプをしていても快適な眠りにつくことができるようになりました。
こうして段々とロドリゴは蝦夷地の男に変身していったのでございます。

 今日(元禄3年8月19日)は根室に向かって歩みを始めました。
霧多布岬から浜中湾に沿って海の道をたどり、初田牛はったうし)というところからJR根室本線に沿って、山中をたどる道でございました。

 初田牛まで約40kmでしたので、当日はここでキャンプを張ることにしておりました。
根室本線の駅なので駅舎や水道やトイレがあり、夜半は無人になるので泊まるのには最適と予想していたのでございます。

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秋には鮭がのぼる川

 しかしこの初田牛の駅についてびっくりしてしまいました。確かに駅舎はあるのですがドアが朽ち果て始め、ドアの下が穴が開いていて、外から雪や雨が自由に吹き込みそうな場所でした。
さらにここには水道もトイレもなく、またこの駅を利用していた集落の人々も何処かに移動してしまったような、なにか見捨てられたような駅舎だったのでございます。

すごい、これが駅か。まるで幽霊船のようだ
こうした駅には不思議な帳面が置いてあり、ここの駅を利用した人が感想文を書いて残してありました。

 どうやら人がほとんど訪れることのない駅に降り立ち、そこに設置されている帳面に自己の足跡を記載することが、鉄道マニアの鉄道マニアたる自己主張になっているようでございました。

何もない、霧につつまれた初田牛の駅に降り立った。ここは本当に何もなく、朽ち果てた人の気配のない人家がポツリポツリとあるだけだ。
こんなすばらしい駅が日本に存在していると思うと感激だ。ぜひともこの駅は残してもらいたい

このような文言で飾られておりました。

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(初田牛の駅舎。入口側のドアの下は穴が開いている。手入れがされていない)


一般に駅は生活の場として必要なのですが、ここはマニアのためにだけ存在しているような駅舎で、実際ロドリゴが到着した3時以降、乗降客は一人もおりませんでした。

注)1日に4本の根室行き列車が停車しますが、3時の次は8時でした。

 ロドリゴは一人でこの駅舎を占領して寝ることができたのできたものの、この根室本線沿線は寂しい蝦夷地の中でもことのほか寂しさを感じさせる場所でございました。

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(28.6.3) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その12」

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(22.9.18) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その12

017  

 蝦夷地はとても不思議な景観が広がっているところで、特に釧路から厚岸、浜中町にいたる海岸線は湿地帯が続いており、かつての日本国の原風景と言える場所でした。

 たとえば江戸ですが、今でこそ干拓がすすんで面影はありませんが、かつての江戸利根川当時は江戸に向かって利根川は流れておりました)の大湿地帯で決して人が住めるような場所で有りませんでした。
このため都から奥の国に向う旅人はこの大湿地帯を避けて、江戸湾フェリーの航路に沿って、上総の地に上陸していたものでございます。

 ロドリゴはこの海岸線に沿った蝦夷の道別海厚岸線)がとても気に入ったのでございます。
ときどき森が切れて海が広がると紺碧の海が広がり、また平地に下りると原始の湿地帯が広がっていました。
大和知りたきゃ 蝦夷地においで 葦の野原で 卑弥呼が踊る ハーヨイヨイ」と江戸の童が歌っていたわらべ歌が思い出されました。

注)このわらべ歌はロドリゴが作詞・作曲したものでございます。

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海がいつも開けて見えました

 今日(元禄3年8月19日)は浜中町にむけて愛冠(アイカップ)岬のキャンプ地を後にしたのでございます。
蝦夷の地はアイヌの地名をそのまま和人の言葉にしたものが多いのでございますが、ここ浜中町はアイヌのオタノシケ砂浜の真ん中)と言う地名を意訳して和人の地名にしたのだそうでございます。
人口は7千人ほどで、ここも80年代は9千人規模だったそうですので、人口低下に悩まされておりました。

 この浜中町周辺は釧路湿原に勝るとも劣らない霧多布キリタップ湿原が広がっており、特に山の中腹からこの湿原を眺めますと、バイキングが住んでいる北ユアロッパの景色と寸分違わない景観でございました。
ここは、間違いなく文化の中心、ユアロッパじゃないか

 浜中町には町営の温泉があり、汗と埃まみれのロドリゴにとっては天国のような場所でした。温泉は岡の上に建設されていたため霧多布湿原が一望の下に見え、露天風呂でしばし見とれておりました。

注)岡の上の温泉に行く道を古老に尋ねたのですが、明らかに痴呆症の症状がでており、かえって道が分からなくなったものでございます。

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霧多布湿原

 この日は40kmほど歩いておりましたので、ここの温泉の近くにキャンプを張ろうと思いましたが、約4km程度はなれた場所にキャンプ場があると聞き、そこまで歩いていくことにいたしました。
霧多布岬キャンプ場と申します。

 しかし行ってみてがっかりしました。
ここは自動の車やオートバイに乗った和人が多く、ロドリゴのような歩行者はほとんど天然記念物の絶滅種扱いでございました。
夜遅くまで騒がしく、ただ一人でキャンプを張ってきたものには神田明神のお祭りのように思えたものでございます。

 このテント場を利用した名簿がありましたので、確認したところ8月になって約400組の利用者があり、その中で徒歩は私ともう一人だけでございました。
そうか、友はたった一人か!!」

 蝦夷地はすでにカニ族が生息する場所ではなかったのでございます。

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(28.6.1) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その11」

(22.9.15) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その11

016  

 ロドリゴは今回の探訪によって、アイヌの人々を完全に誤解していたことに気づいたのでございます。
オロチョンの火祭りのイメージから、アイヌは常時熊狩りをしていた山の民だと思っていたのですが、実際にアイヌの人々が住んでいたのは、川や湖が海と接する河口であり、こうした場所は海獣や魚介類や海草の捕獲が容易で、かつ当時の交通手段カヌーで自由に移動が可能だったからのようです。

 一方山塊は当時も今も国の道蝦夷の道と言った道路が整備されていない場所は、ブッシュが生い茂り、アブや蜂の住処となってとても人が入り込めるような場所ではございません。
こうした場所に入り込めるのは春先の雪が地面を覆い、冬眠から目覚めた熊の足跡をたどって狩が容易にできる時だけだと言うことを知りました。

 狩は春先の一時的な出稼ぎのような仕事で、本来は海や川の民海から遡れる様な川の場合)と言えそうです。

  今日(元禄3年8月18日)は古番屋のキャンプ地を出発し、厚岸あっけし)に向かって歩き始めましたが、ここは厚岸湖という大きな湖が海に面した場所で、まさにアイヌが最も好んで住んだような場所でございました。

 厚岸はアイヌ語でアッケウシといい「オショウの皮をはぐところ」と言う意味だそうで、かつてここでオヒョウの捕獲がされていたことが分かります。
またここ厚岸も人口低下に悩まされており、80年代に1万6千人いた人口が今では1万1千人になり、とても静かな寂しさを漂わせる集落でございました。

 この厚岸の集落の外れに愛冠岬あいかっぷみさき)と言う場所がございましたので是非とも探査の必要を感じました。
ここは第2次世界大戦の北方戦線千島列島防御)の艦船や輸送船の通り道の一つで、ここに大きな砲台が築かれ本土防衛のための守備隊が駐屯していたのだそうでございます。

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愛冠岬の眼下

 愛冠岬は厚岸の集落から約4km程度離れた岬で、現在は緑のふるさと公園として整備され、近くに北大の臨海実験場がございました。

 私は当初愛冠岬の場所が分からず、地元の和人に場所を聞いたところ、「自動の車に乗りねえ、案内しよう」と言って緑のふるさと公園まで簡単に連れて行ってくれたのでございます。

 ロドリゴはどこに行くにも歩いていくつもりでしたので、一瞬驚きましたが、和人の親切心に答えるべくこの自動の車に乗せてもらいました。
おそらく70歳をはるかに越しているこの和人は、「戦争中は愛冠岬の下に防空壕を掘るために狩り出されたが、ありゃ何の役にもたたなかった」と述懐しておりました。

 愛冠岬は公園からさらに1kmほど海側に入ったところにありましたが、訪れる人もまばらなとても静かな、眼下に大海原が広がっているとても気持ちのいい場所でございました。

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テント場としては最高のロケーションだった

よし、今日はここでテントを張ろう」歩いた距離は25km程度で少し早かったのですが、ロケーションが気に入ったのでここで一夜を過ごすことにしたのでございます。

 この場所は夕方になると野生の鹿がいるだけで、人の気配がまったくしない場所でございましたのでいつものヒグマ見切りの法で見切ったのでございます。
鹿が安心して草を食べている ヨーシ。そばに厚岸の部落がある ヨーシ。愛冠岬は常時人が観光に訪れる ヨーシ。ヒグマの心配なし ヨーシ

 こうしてその日は蝦夷鹿が夕餉に鳴く「ピー、ピー」という鳴き声を聞きながら安眠することができたのですが、この愛冠岬は今回キャンプを張った場所としては最高のロケーションでございました。

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(野生の鹿がそばで草を食べている。人になれていて逃げない)

注)実は後で気がついたのですが、この愛冠岬はキャンプ禁止になっておりました。近くにキャンプ場があったのですが、ここの案内係の人に聞くと「自分は行ったことがないので知らない。道はあるが行けるかどうか分からない」などというので、仕方なしに愛冠岬にキャンプを張ることにしたのでございます。

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(28.5.30) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その10」

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(22.9.13) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その10

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 さすがにロドリゴも反省をいたしました。昨日白糠から釧路までのほぼ30kmをJRを使用してスキップしたことでございます。
このようなことがマラカのサンチアーノ大主教に知られますと破門は確実で、もし破門されれば老後の年金が支払われなくなることでございました。
まずい、年金めあてに真面目そうに修行しているのに、オジャンになってしまう

 ロドリゴがJRやバスに乗ろうとするのは、そうした乗り物があるからで、金輪際JRもバスも通っていない道を選べば、次のキャンプ地に到着するか行き倒れるかのどちらかしかないはずだと気がつきました。

 幸いなことに蝦夷地には海岸に沿って集落だけを結んだ蝦夷の道がございますので、今後はそうした道だけを歩むことにいたしました。

017_2  (海岸線の道は一気に視界が広がる場所が多い

 この道は集落の和人がカモシカやトナカイに乗って通る以外はほとんど人通りがなく、バスも通っていないのでひたすら歩く以外に方法はないのでございます。

 しかもこの道は海岸線に沿っていましたので、ときどき海が開けて見える場所があり、紺碧の海原が広がると気分的には実に爽快な気分になれるのでした。
海よ~ 俺の海よ~」ロドリゴは帆船の操縦が得意なのでございます。

 この日(元禄3年8月17日)は海岸縁にローソク岩とか立岩とかの奇岩が見える蝦夷の道(根室浜中釧路の道)を厚岸(あっけし)に向かって歩いていったのでございます。

 実はこの頃から大変不思議な現象が出てまいりました。
と言いますのも前から来るトナカイやカモシカに乗った和人が、なぜか停車し、あるいはUターンをしてもと来た道に戻っていくのでございます。
なんで、カモシカやトナカイが止まってじっとしているのだろうか?」

 ロドリゴが近づいていくとようやく動き出すのでございますが、すれ違いざまに「なんだ、お前は人間か!!!」と言う顔で通り過ぎるのでございました。
ようやく理解したことは、ここ蝦夷の地で歩く人は皆無のため、道の片側に異様な物体がうごめいていますと、「すわ、ヒグマか!!」と警戒していたのでございます。

006_2  (これは集落の名前の由来が書いてある

 蝦夷地に来てはや10日、段々とロドリゴは現地に溶け込み、和人やアイヌから見るとほとんどヒグマに変身してしまったようでございました。
中嶋敦山月記には世の中を悲嘆して虎になった男の話が出ておりましたが、ひたすら山野を歩き続けるロドリゴもいつしか動物となり、傍から見るとヒグマに見えるようでございました。

 こうした自分を感じながら、この日はキャンプに適切な場所を探し、約45km程度歩いてようやく古番屋という集落の海岸線にキャンプを張ることができました。
ここはやはり昆布漁で生計を立てている場所のようでございました。

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(28.5.28) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その9」

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(22.9.11) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その9

014

 ロドリゴが蝦夷地を探訪して最も驚いたことは、蝦夷地に対する印象が人によってまったく異なることでございました。
この年、私の妹マリアも偶然にも蝦夷地の知床半島の探索に出向いていたのですが、マリアの報告が私のそれとまったく異なっていることに目を見張ってしまいました。

 マリアによると「蝦夷地は特に山海の珍味が多く、宿舎は王子のオテルと言う場所で、毎日バイキングと称する宴会が開催され、ウニやホタテが食べ放題で、このためマリアの体重は日をおって増えてしまった」ということだそうでございます。
また移動はチーターの背に乗っての移動で、とても快適な気持ちになり、蝦夷地の牧場や農場の美しさにことの外感動したと言うのでございます。

 この報告はロドリゴが遭遇している見聞とは大いに異なりました。
ロドリゴの手はアブの襲撃で醜くはれ上がり、ヒグマ見切りの法を編み出すまではヒグマの襲撃におびえ、食べるものはセイコー・マートの軒先でむすびと牛乳をほうばるだけでした。
不幸にもセイコー・マートが見当たらない時はわずかに残ったカリントウで飢えをしのいでおりました。
「明日は食事ができるだろうか

 ロドリゴの体重は日を追って軽くなり、アバラが透けて見え、そこに触れるとまるで琴のような音を奏でるのでございます。
夜半テントにもぐりなすことがなくなると、このアバラを使ってバッハの「飢餓線上のアリア」を奏でたのですが、まるで胡人が奏でる一弦琴のような悲しい音がするのでございました。

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釧路市と幣 舞(ぬさまい)橋

 しかし今日(元禄3年8月16日)は釧路という蝦夷地ではかなり大きな都邑に向かっておりましたので飢えの心配はありませんでした。
釧路約19万人が住む都邑で蝦夷地では際立って大きな都邑ではございましたが、それでもかつてのような賑わいはないとのことでございました。

注)1980年には約23万人の人口だったそうでございます。

 キャンプ地を出立するとすぐにパクシル自然公園がありましたが、ここはその自然の美しさとは別に、かなり前に営業を止めたボート場や売店がむなしく崩落を待っているような場所でございました。
おそらく地元の和人が観光客目当ての遊興施設を作ったのでございましょうが、蝦夷地は自然そのものが美しく、ボート場などは醜い自然破壊だったからだと思われます。

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(パクシル自然公園

 白糠という集落まで10km程度歩いてきましたが、このあたりから急ににぎやかになり、道路は江戸やおゆみ野と変わらず、今までの何もない自然そのものとは大いに異なる風景でございました。
こんな場所を歩いても、江戸と変わらないじゃないか
本音を言えば歩き疲れていたこともあり、この日はついにJRに乗り込み約30kmあまりを釧路までスキップしたのでございます。

注)このことはマラカのサンチアーノ大主教には内緒でございます。

 その代わり釧路についてから釧路周辺を歩き回ることができました。釧路湿原は昔歩き回ったことがありましたので、今回は春彩湖と言う周囲約5kmほどの湖に行くことにしました。
蝦夷地ではこのような都邑のなかに信じられないような自然が残っており、ここの湖の周回路を和人が走っておりました。

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春彩湖

 しかし都邑はロドリゴにとってはあまり愉快な場所とはいえません。
それと言うのもロドリゴは旅の途中でもできるだけ川に入り、衣類の洗濯に勤めたのですが、日を追って衣類と自身から異様な匂いを発するようになってきたからです。
都邑の和人はひどく臭いに敏感で、ロドリゴが近づくと、そっと避けてしまうのでございます。

 確かに衣類に鼻をあてて臭いをかぐと、思わず顔をそむけるほどでしたので、宿泊を依頼したオテルのカウンターにいた女性が、横を向きよそよそしくロドリゴに対応したのはこの臭いのせいだと思われました。

まずい、いくらなんでもこれでは熊や蝦夷鹿と変わりがない
すべての衣類を風呂に投げ込み、その中に自身も入って衣類と自分を交互に洗濯してようやく江戸表の伊達男に戻ることができたのでございます

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(28.5.26) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その8」

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(22.9.9) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その8

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 蝦夷地はどこも寂しいものなのですが、特に農村部の寂しさはたとえようもありません。
牧場などは500mから1km程度離れて建っているのですが、その数軒に1軒は廃屋になっており、屋根が雪の重みでへこんで朽ち果てている様は、芭蕉翁が歌った「夏草やつわものどもが夢の跡」そのものでございました。

 江戸表の瓦版では、農業人口が05年対比約22%減少したと書いてありましたが、かつて大和の農業人口600万人と言われていた数も、とうとう260万規模になってしまいました。

 蝦夷地は牧草地にしても農耕地にしても江戸や大阪のそれよりはるかに大規模なものの、自由化の波に耐えられず農業経営に失敗しては農村部から消えていくようでございました。

 この様は著名な戯作作家、倉本 聰氏が「北の国から」で描いておりましたように、ちょっとした大雨で農地が流されたり、働き手の一人が不慮の死をとげるといった、ほんの少しのアクシデントで夜逃げ同然の状態になるようでございました。

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(こうした廃屋がいたるところに放置されている

  一方これはとても意外でしたのは漁村部が相対的に裕福で、家屋も瀟洒な建物が多く、一家そろって昆布漁にいそしんでいることでございました。
ここ蝦夷地の昆布漁は漁期が夏の4ヶ月で、しかも1日の漁の時間は3時間と決められており、各家屋に認められた和船は1艘と、完全に制限された中での競争が繰り広げられておりました。

自由化の波にもまれる大規模経営の農村部が疲弊し、一方制限競争の小規模経営の漁村部が裕福で集落が維持されており、子供たちも多いのはなぜか?」
これはロドリゴが蝦夷地を探訪していて最も印象に残ったことでございます。

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山間部の牧草地。あまりよい牧草は生えていない

 今日(元禄3年8月15日)は浦幌のキャンプ場を発って、釧路と言う都邑に向けて歩き始めました。
この道は十勝国道といって、昨日まで通ってきた蝦夷の道とは異なり、象やサイやライオンやチーターが疾駆する道でございました。

 歩道が整備されている場所はまったく問題がないのですが、困ったことにトンネル部分は歩く部分が50cm程度しかなく、リックが壁にぶつかったり、張られている電話線の突出部分があったりして歩道から落ちてしまい、なんとも生きた心地がしませんでした。
主よ、ロドリゴはここで象に踏み潰されるのでしょうか

 十勝国道直別と言う集落あたりから海岸べりに走っておりましたので景色が一気に開けて気持ちが明るくなるのでございます。
蝦夷地を歩いて山道に差し掛かると視界が極端に狭くなり、ただただ木立の中を歩いていると言うような状況でございました。こうした場所はアブの結界でありただでさえ憂鬱になるのですが、いたるところに「ヒグマ注意」の立て札が立っていて、気持ちがナーバスになるのでございました。

 今日の歩行は30km程度と決め、パシクル自然公園近くの海岸べりの防波堤の近くにキャンプを張ることにしました。
遠くに人家あり、ヨーシ。近くに道路あり、ヨーシ。近くに森なし、ヨーシ。
ヒグマの気配なし、ヨーシ

これは毎回キャンプを張るときに繰り返した確認点検で、剣豪宮本武蔵五輪書に書かれていた「ヒグマを見切る法」の極意でございます。

 私ロドリゴが蝦夷地の探訪を行い、修行にいそしんだ結果得た最大の成果はこの見切りでございました。
それまでロドリゴは夜中に異様な物音がすると「すわ、ヒグマか」などと慌てふためいて起き上がり、持っていた杖を小脇に抱えて戦闘態勢をとっておりました。
異様な物音は夜中に何回もしますので、神経が休まる時がなく寝不足になってしまうのでございます。

注)ロドリゴはサンチアーノ大主教からノミの心臓とあだ名されておりました。

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こうした海岸端がキャンプ地としては最適

 しかし、この武蔵の見切りの術を身につけたロドリゴはそれまでのロドリゴと別人でした。
遠くに人家あり、ヨーシ。近くに道路あり、ヨーシ。近くに森なし、ヨーシ。
異常音 アーリ、ただしヒグマの可能性 ナーシ

一度見切ってからは、いささかも幻覚におびえることがなくなったのでございます。

ロドリゴ様、ロドリゴ様が秘剣、ヒグマ見切りを編み出すたびに、このつうから離れていってしまうのが、悲しいのでございます
おつう、許してくれ。ロドリゴは剣の道でしか生きられないのじゃ
ああ、ロドリゴ様・・・・・・いっそ死ねと言ってくださいまし
おつう(叫ぶ)」
抱き合う二人(音楽、はげしく)


 このようにして熟睡できたのでございます。

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(28.5.24) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その7」

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(22.9.7) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その7

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 ロドリゴが本当にアブという生き物が恐ろしいものだと知ったのはこの日でございます。すでに腕を数箇所刺されて夜中のかゆみに耐えかねておりましたので、もうそれ以上刺されないために上半身にヤッケを着ることにいたしました。

 そうした装備で今日(元禄3年8月14日)は十勝川をさかのぼり、浦幌集落方面に向かったのでございます。
十勝川流域は広く開けた場所で、牧草地や農耕地がどこまでも続いておりましたが、こうした場所はアブの結界テリトリー)なのでした。

 アブは気温が高くなると活発に活動をはじめるのですが、ちょうどこの日は蝦夷地ではまれに見るような高温に見舞われました。
ロドリゴはヤッケで腕をガードしておりましたものの、手のひらは素肌のままでした。
手のひら位なら出しておいても大丈夫だろう

 ところがこの素肌の手をめがけ一斉にウシアブ細長の小さなアブ)が襲い掛かったのでございます。
左手にアブがとまれば右手で叩き落すのですが、その間に右手を刺され、それを左手でたたき落とすと、その間に左手を刺されるという具合で、アメリカの艦載機に襲われた戦艦大和という状況になってしまいました。

 しかも止まると攻撃が激しくなるので、猛烈な暑さの中を休むこともできず、両手で絶えずアブを振り払い、傍から見るとまるで阿波の男踊りを踊っているようなしぐさだったと思います。

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誰も通らない農道を歩いたためアブのえさになってしまった

  和人やアイヌはこうした場所は自動の車なるものに乗り、決して歩くことがないためアブの襲来とは無縁でございますが、最初にこの地に入植した開拓農民の本当の敵はヒグマではなくこのアブだったことは間違いございません。

 ようやくのことでアブの結界を突破し、浦幌の集落に逃げ込んだのは昼ごろでございました。手の甲を見ると左手に8箇所、右手に4箇所かまれた跡があり、ムヒを目一杯つけては見たものの夜中は煉獄の苦しみが予想されました。

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お岩さんのようになった手の甲。ひどくはれて痒い

 ロドリゴは決心したのでございます。

アブはメスしか血を吸わない。このようにメスアブに襲われるのは、ロドリゴが石川遼君のようにあまりに美しい男だからで、坊主になれば小椋ケイと思って襲わなくなるのではなかろうか
この案はまったく名案と思われ、浦幌の集落で床屋に飛び込み坊主になった時は心底ホットいたしました。

 浦幌とはアイヌの言葉でオーラポロと言い「川尻に大きな葉の生育するところ」と言う意味だそうです。そしてここ浦幌も人口減に悩まされておりました。
1980年に約1万人いた人口が今は約6千人であり、集落はとても静かで人の影を見ることはまれでございました。

 そして蝦夷地の集落は多くがそうであるように、近くにうらほろ森林公園と言う実に快適な公園が整備されておりました。
こんなにアブにかまれたのだから、気持ちを整理するためにここで休息するのがよさそうだ
この日歩いた距離は約20kmあまりで少し早かったものの、この森林公園にキャンプを張ることにしたのでございます。

 ここには近在の和人が多くキャンプを張っており、とてもにぎやかでヒグマの襲来をまったく恐れる必要な有りませんでした。
一方、アブに噛まれた手のひらは赤くはれ上がり、夜中そのかゆさに耐えかねて掻くと、さらにかゆくなり、一晩中このかゆみとの戦いが続きました。
もうやだ。俺は苦しい!!」

 しかも朝起きてみるとノミに右足を噛まれた跡まで有ったのでございます。

 こうして芭蕉翁が歌った「のみしらみ 馬の尿(しと)する 枕元」に近い状況になってきたのでございます。

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(うらほろ森林公園のキャンプ場

注)アブの研究
① アブはメスしか吸血しない。したがって美男の男が多く襲われる。
② 温度が高くなると活発になる。これはアブが熱をあげている為。
③ 止まると集団で襲ってくるので、相手にせず無視するのがいい。
④ 農道や山道にはこのメスアブが多く、普段は牛や蝦夷鹿を相手にしている。人間の男はこうした場所に近寄らないため、たまたま近づくと大歓待をしてくれる。

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