旅行 自転車周遊記

(28.7.25) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。 「ロドリゴ自転車周遊記 その12」

(26.9.8) ロドリゴ自転車周遊記 その12(最終回) 神栖市 旭市 東金市 そしておゆみ野

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(利根川大橋のたもと)

 ロドリゴの自転車周遊記も最終回になりました。思えば御老中水野忠邦様に命じられて関八州の見回りに出立致したのですが、関八州は地獄の暑さで50年に一度の猛暑になっており、とても人間の住める場所ではありませんでした。
「これでは死んでしまう。どうせ死ぬのなら好きな蝦夷地を見て死のう」と決心し、大洗の港より北前船に乗り蝦夷地の苫小牧の港に降り立ったのが天明7年8月7日でしたが、それが昨日のように思われます。

 蝦夷地は期待通りの涼しく快適な気候風土でございましたし、ロドリゴが今回尋ねた支笏湖、積丹半島、洞爺湖は期待通りの風光明媚な土地柄でございました。
夏は絶対に蝦夷地が一番」というロドリゴの確信は今回も証明されたことになります。

 だが残念なことに蝦夷地はだんだんと見捨てられた土地になっており、大都市を除くと人口減少に歯止めがかからず、特に農村部では今住んでいる人の寿命がその集落の寿命になっておりました。
苫小牧の港には大きな工場団地が造成されておりますが、ここを拠点とする王子製紙がわずかに関連会社の工場を建設しているだけで、広大な造成地にはぺんぺん草が生えているのでございます。

 ジパングが世界の工場であった時代は今から約20年前に終焉し、その後から)が世界の工場になりましたがそれも賃金の高騰により終焉し、次は天竺かというような状況になっております。
したがって蝦夷地で工業を起こすなどは夢のまた夢で、工業以外の新たな産業の開発が急がれていますが、残念なことにそうした取り組みは遅々として進んでおりません。

 蝦夷地には北方領土問題があって熊のミーシャとは不仲でございますが、その原因の北方領土の実質的価値はほとんどなく、単に象徴的な問題に過ぎません。
蝦夷地は太古の昔から北に開かれた土地ですのでミーシャとの関係改善が進めば大いに発展性はありますが、今ミーシャはウクライナで吠えまくっておりますので、その可能性もほとんどなくなっております。

 工業は不振で人口が極端に少ない地方の残された資源は自然そのもので、観光産業だけが発展の余地はありますが、相変わらず自動車主体の観光行政では蝦夷地の特異性はありません。はっきり言って美しい自然の残された土地は世界にいくらでもあり、私の好きなニュージーランドやカナダなどはその双璧です。
昨日も提案した通り特異性を発揮させて蝦夷地を世界の自転車ツアーのメッカにするのが自転車好きのロドリゴの希望でございます。

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(利根川大橋 有料道路だが人と自転車は無料)

 そのようなことを考えながら今日も極端に暑さの増した国道124号線から126号線を南下いたしました。
この道は銚子の中心を通るのですが利根川大橋を渡って銚子市はバイパスいたしました。できるだけ早く故郷おゆみ野村に帰りつきたかったからでございます。
東金村近在まで来たときこの周辺はロドリゴがかつて見知った場所ですので「ああ、ようやく故郷に戻った」と感無量になりました。
特に昭和の森からは日常的に自転車を乗り回している場所ですので、完全に故郷という雰囲気でございました。

 故郷には老いた母親が1人このロドリゴの帰郷を待ち望んでおりましたが、最近は目がかすむらしく真っ黒に日焼けした私を見て「おや、どこの外人さんですかの?」と尋ねたほどでございます。
こうして天明7年8月15日は終わり、ロドリゴの今年の夏の自転車周遊も終わったのでございます。

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(28.7.23) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。 「ロドリゴ自転車周遊記 その11」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(26.9.6) ロドリゴ自転車周遊記 その11 大洗 鹿島市 そして神栖市

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(たぶん鹿島灘の砂防施設)

 とても魔訶不可思議なことにはフェリーに乗ってからは、ロドリゴをあれほど悩ました静御前の霊がぴったりと現れなくなりました。
どうしたことかとウキペディアで調べてみると、「妖怪は自身の結界を越えて現れることはなく、蝦夷地の妖怪は津軽海峡を越えられない」と記載されておりました。
そうかそれで昨晩は静御前は出現しなかったのか」理由は分かりましたが、出なければ出ないで何かとても寂しい気がしたものでございます。

 ロドリゴの乗ったフェリーは翌天明7年8月14日の午後2時には常陸国大洗の港に到着いたしました。
着いてみますと関八州は相変わらず灼熱の地獄で「こんなことならもう少し蝦夷地にとどまるのだった」と思いましたが後の祭りでございます。

 ここから我がおゆみ野郷へはおおよそ160km程度ありましたので夜半にどうしても一泊する必要がございました。
自転車の夜間走行は、特に荷駄が多く走るアッピア街道のような場所は危険で、いつ轢き殺されてもおかしくないからでございます。
まあ、今日は鹿島あたりの公園で一泊するか・・・・

 この鹿島灘の沿岸は蝦夷地とは全く異なり工業地帯が連なっており、潮騒ハマナス公園なるものもあるようでしたが、帰路を急いでいたロドリゴはそうした場所に目もくれず国道51号線を南下していったものでございます。
それにしてもこの暑さは何だ、たまったものではない・・・・・」体中が汗だらけになっておりました

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(鹿島アントラーズの鹿島スタジアム)

 鹿島村には鹿島アントラーズの鹿島スタジアムのそばに公園がありましたが、まだ日もかげっていないためもう少し進むことにしました。
しかしこの判断は最悪の判断だったことが後で明らかになったのでございます。
神栖市の中心を通り過ぎたころから積乱雲が空を覆い始めいつ大雨が降ってくるか分からないような状態になってまいりました。
まずい、雨が落ちてくる前にキャンプ地を探そう
しかしいくら探しても国道沿いに適当な場所が見つからなかったのでございます。

 そうこうしている間に大粒の雨が降り出し、たちまちのうちに豪雨になってしまいました。視界がなくなり目には雨が入って前を見るのも大変な状況になってまいりました。
完全にまずい。こうなってはどこでもいいから退避しよう
目の前に歩道橋が現れその下が調度雨よけになっていましたので、慌ててそこに退避しましたが待てど暮らせど雨が止む素振りを見せません。
仕方ない、今日はこの歩道橋の下で寝ることにするか
ロドリゴはキャンプをするときはたいていの場所に眠りますが歩道橋の下というのは初めてで、何か江戸界隈で隅田川の橋の下で寝ている乞食とさして変わらない有様でございました。

 体は汗と雨でびしょ濡れになっていましたので降りしきる雨をシャワー代わりに体を洗い、これも汗でべたべたになっている寝袋に入った時は、何かロドリゴの将来を彷彿とさせたものでございます。
実はロドリゴが日本橋の両替商で働いていたころ、東京駅の京葉線の地下コンコースで寝ている浮浪の徒を見て「ああ、ロドリゴもそうした安穏な生活をしたいものだ」と思っておりましたが、くしくも神栖市の歩道橋の下でその生活を余儀なくされたのでございます。

 外は荷駄がひっきりなしに行き交い明るい提灯などを照らしますのでおちおち眠ることができず、「こうした時は静御前が出てきて鎌倉幕府の裏話を聞かせててくれたらどんなに時間つぶしになったろう」思ったものでございました。
思えば8月14日はロドリゴの68回目の誕生日でございましたが、通常であれば少しはしゃれた料理屋で楽しげに食事でもしているところを、実際は降りしきる雨の中を歩道橋の下で冷たくなった寝袋をかぶって寝ていたのでございます。

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(28.7.21) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。 「ロドリゴ自転車周遊記 その10」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(26.9.4) ロドリゴ自転車周遊記 その10 伊達市 支笏湖 苫小牧 そしてフェリー

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(大滝から少し行ったところ)

 キャンプをしながら旅行する時一番困るのが、次第に寝袋が汗でべとべとになっていくことでございます。当初はサラサラに乾いて気持ちよく寝ていられたのが、時間がたつにつれてロドリゴの汗と油をたっぷり吸い込み、肌に接触するとベターとつくようになるのでございます。
途中で寝袋を天日干しできればよいのですが、自転車旅行の場合はそうした時間をとることができませんので、何か濡れた毛布で寝ているようになってまいります。
ああやだ、こんな気持ち悪いもので寝るなんて、最悪だ!!!」
こうしてキャンプ生活も終わりに近づくのでございます。

 またロドリゴの顔は照り付ける太陽光線で顔が真っ黒になり、遠くからは前と後ろの区別がつかないようになっておりました。光線除けに帽子の下に手拭いを垂らしておりますので、ちょうど南方戦線に派遣された旧日本軍の敗残兵のようであり、コンビニと称する茶店に立ち寄ると、茶店の娘が一瞬ぎょっとし、店の奥に逃げてしまうのでございます。
お父さん、大変、店にゴリラが押し寄せているわ!!」
実はロドリゴは精いっぱい愛想笑いをして娘を怖がらせまいとするのですが、真っ黒な顔の中で歯だけが真っ白に光って、あたかもキングコングが歯をむき出しにした様を彷彿させているようでございました。

 「だんだんと人間でなくなってきたので、そろそろ故郷おゆみ野村に帰って人間に戻る必要がありそうだ・・・・・・・
ここ伊達郷からは樽前国道を通って支笏湖のわきを通り、苫小牧に出る道を選択いたしました。ほかに山越えの道をたどって白老町に抜ける魅力的な山道もあったのですが、ロドリゴのマウンティンバイクの前ブレーキは壊れてしまっているため、下りの制御が難しくできる限り山道は避けたかったからでございます。
支笏湖から苫小牧への道は今回の旅ですでに通ったことがある道で、一度と通った道というものはライダーにとって非常に安心感を与えるものなのでございます。

 苫小牧からのフェリーは夕刻に出る予定でしたのでかなり時間的な余裕があり、ロドリゴは苫小牧の町を巡察することができました。
この街には高い煙突が駅のそばに林立していて、なにか四日市のような雰囲気なのでございますが王子製紙の工場でございました。ここは王子製紙の城下町なのでございます。

 ここ苫小牧の開拓史はロドリゴが幼児期を過ごした八王子の千人同心が明治期にここ勇払に鍬を入れたのが始まりでした。千人同心は徳川家恩顧の郷士集団で、幕府滅亡後新天地を求めてここ蝦夷地に開拓農民として入植したものでございます。
千人同心の中には新撰組組長だった近藤勇家もあって、特別に徳川家に対し忠誠心が強かったため、明治政府のもとでは生きるすべがなかったものと思われます。

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(ロドリゴ ガラスに反射している影)

 夕刻フェリーに乗船して蝦夷地を旅立ちましたが、つくづく思ったことは蝦夷地の今後の生き様でございました。苫小牧の工場団地はその大半がぺんぺん草で覆われもはや工場建設は夢のまた夢という惨状でございました。
またここ蝦夷地から次々と人々が消え去っており、一部の大都市以外はいづれも最盛時の人口の5割から8割程度の人口になっており、この傾向はますます加速されるようでございました。

 反対に自然はかつて開拓された場所が林地に戻り始め太古の姿が復活し始めておりました。こうした蝦夷地は自然こそが資産でそれを利用した観光業と自然相手の農林水産業以外の生業はほとんど不可能なように思われました。
道路は非常によく発達しておりますが、残念なことに荷駄と称する自動車専用であり、ロドリゴのような自転車による周遊は一部の場所を除いてかなり危険な個所が多く、エコ思考の人間にとっては必ずしも移動しやすいとは言いがたいのが実情でございます。

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(打ち捨てられた家屋。誰もかたづけることをしない)

 ロドリゴの希望は蝦夷中が一筆書きで一周できる自転車道の整備で、世界中の自転車愛好家のメッカに蝦夷地をすることでございます。
その場合は歩道の利用法が問題になるのですが、蝦夷地は集落と集落の間が20kmや30km程度の場所がいくらでもあって、そうした場所に歩道が設置されていても歩いて移動する人は皆無なのでございます。

注)現在の道路交通法では自転車は歩道を走ることが禁止されていますが、蝦夷地では都市部を除いて歩道を歩く人はおりません。ただ存在しているだけの無用の長物になっております。

 まさにこれこそ打ち捨てられている資産で、これを自転車道として整備しなおして、世界最高レベルの自転車観光地にするのが、蝦夷地再生の切り札のようにロドリゴには思われました。
フェリーに揺られ夢うつつでそうしたことを考えながら蝦夷地の旅もようやく終わりになったのでございます。
天明7年8月13日の夜はこうして過ぎたのでございます。

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(28.7.19) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。 「ロドリゴ自転車周遊記 その9」

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(26.9.2) ロドリゴ自転車周遊記 その9  京極町 真狩村 洞爺湖 そして伊達市

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(洞爺湖 中央が中島)

. 天明7年8月12日の朝は台風一過の気持よい朝でございました。
この日は京極の集落を出立し、真狩村まっかりむら)経由で洞爺湖を一周し、伊達郷方面に抜ける計画でございました。
なぜ真狩村を目指したかと申しますと、江戸市中で評判の義太夫の語り手、細川たかしの丞の故郷だからでございます。

 ロドリゴも義太夫が特に好きでたかしの丞の義太夫は私の好きなものの一つですので、真狩村なるものを見てみたいと思ったからでございます。真狩村は羊蹄山の麓にある村で、行ってみますと非常に瀟洒なたたずまいが印象的な村でございました。
ここにたかしの丞の銅像が川のほとりに建立されておりました。
しかしその像はたかしの丞が若かりし頃の像で、現在の中年太りのはかま姿とは似てもにつかぬ像であるのに思わず笑ってしまいました。
これじゃ誰の像だか分からないじゃないか・・・・・

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(細川たかしの丞の像)

 真狩村からは洞爺湖に抜け洞爺湖を一周する予定でございました。洞爺湖は周囲約40kmで、ここでフルマラソンと称する飛脚仲間の競技が行われております。
私の知り合いの飛脚のマミ姉さんがこの競技に参加しておりました。
ロドリゴさん、とても美しい場所ですから一度行ってみたらいかがですか」と言われていたので立ち寄ったのでございます。

 洞爺湖は真ん中に中島と称す島があり、洞爺湖温泉から観光船が出ておりました。近くには昭和新山有珠山といったしばしば噴火を繰り返す火山があり、ここが日本でも有数なマグマだまりであることが見て取れました。
ロドリゴは最初一周するつもりでしたが、マウンティンバイクの速度は時速12km程度でロドリゴがまだ若かったころの飛脚競技の速度とさして変わらず、行けども行けども着かず3分の2程度走って嫌になってしまいました。
フルマラソンに参加しているんじゃないので3分の2も走ればいいだろう」

 洞爺湖を離れ453号線を北上し伊達郷に入ったのでございます。ここ伊達郡は明治初期に伊達邦成様がこの地を差配し開拓したことからこの地名が付いているのでございます。
地図を見ますと大滝という場所の山合いに三階滝公園というものがありましたので、夕暮れが近づいているのでここでキャンプをする予定でございました。

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(三階滝公園)

 この公園には数件の茶店がございましたが夕暮れ時となると店を閉めいづれも村に降りていってしまい、夜半はこの公園には誰一人としていないのでございます。
蝦夷地にはとても立派な公園が数多くありますが、利用する人はほとんどなくこの公園も夜半はヒグマとキタキツネの結界になるようでございました。

 しかしロドリゴはだれ一人いない場所でのキャンプの方が落ち着きますので問題はないのでございますが、夜半再び静御前の霊がやってきて800年間の愚痴を聞かなければならないことがわずらわしかったのでございます。
しかし持っている護符は一枚足らないためどこに貼り残しをするかが問題でした。
昨日はお尻を残して桃を偽装したのですがひどい失敗で、今回は考えあぐねた結果松茸にしたのでございます。
松茸は生で食することはできないのでよもやかみつくことは有るまいとの判断でございました。

 果たして丑三つ時になると例の静が「ドシツネ様、ドシツネ様」と大音響を発しておりました。
今日もドシツネ様はわらわをさけて・・・おやここに大きなマツタケが!! もしやこれはドシツネ様の松茸では・・・・・収穫じゃ、収穫じゃ!!」そう言って思いっきり松茸を引っ張ったのでございます。
待て、待て、待て、静、そんなに引っ張られると宦官になってしまう!!」
まことに間一髪で宮刑を受けた司馬遷になるところでございました。

 致し方なく今夜も鎌倉幕府裏面史なるものを聞かされたのですが、「三代将軍実朝様は武士の棟梁というより歌詠みで、このことが北条政子様の悩みの種」だったそうでございます。
特に実朝様が鎌倉一帯に集中豪雨が降った時に「時により すぐれば民の嘆きなり 八幡大王雨止めさせ給え」と祈祷ばかり行い、自衛隊を派遣せず災害復旧措置を取らなかったことが政子様のお怒りに触れたそうでございます。

 しかしいくら政子様がお諫めになっても実朝様は歌ばかり歌っていたので、とうとうしびれを切らした政子様が静に「実朝のふぐりを食いちぎって宦官にしてしまえ」とお命じになったそうでございます。政子様は空想的鎌倉主義を嫌っていたとのことでございました。

 静によると「静はただ宦官にさせるだけのつもりで、鶴岡八幡宮の銀杏の陰から襲ったのでございましたが、実朝様は驚愕して階段より転がり落ちあえなくご最後を遂げてしまった」のだそうでございます。
これが平和主義者実朝の最後だと知りました。

 実に恐ろしき鎌倉幕府裏面史で頼朝の血筋の断絶はすべて静御前がふぐりを食いちぎったためと知ったのですが、ロドリゴはこれを日本歴史学会に報告すべきか否か迷っているうちにカッコーの声が聞こえ、静御前の霊は退散していきました。

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(28.7.17) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。 「ロドリゴ自転車周遊記 その8」

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(26.8.31) ロドリゴ自転車周遊記 その8 岩内町 倶知安 そして京極町

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(台風11号の暗雲が垂れ込めておりました)


 天明7年8月11日の朝はこの蝦夷地にも台風11号の余波で大雨強風注意報が天文方より出されておりました。
空は黒雲に覆われ時折横殴りの雨が降っていたため、ロドリゴはここ岩内の漁村でもう一泊する予定でございました。

 しかし予想に反して天候は徐々に回復し時に晴れ間さえ見えるようになってきましたので、思い切って出立したのでございます。
今回は倶知安を経由して洞爺湖方面に出るつもりでしたが、天候によっては途中でキャンプを張る予定でございました。
テントを持っているんだから天候が悪化しても大丈夫だろう・・・・・・

 蝦夷地には時に非常に雅な地名が存在するのですが、京極という地名もその一つでございます。由来は元丸亀藩藩主京極高徳氏がこの地を開拓したからで、人口4千程度の静かな街並みの中に、京極温泉という非常に立派な温泉施設がございました。
ロドリゴの楽しみは温泉を見つけては入ることで、自転車をこいで汗だくの身体には温泉が一番なのでございます。

 この日は天候が安定せず京極温泉の露天風呂で景色を眺めていたら猛烈な雨が降り出し、たちまちのうちに景色が見えなくなるほどでございました。
「いやー、走っている最中にこの大雨に見舞われたら対処ができないところだった・・・・」
余りに風雨が激しいととてもテントを張れる余裕がないのでございます。京極温泉のくつろぎの間で外の横殴りの雨を見ながら運の良さに感謝しましたがいつしか眠りこんだようでございました。

 目が覚めたのは夕刻で、雨も止んでおりました。この京極温泉にいつまでもいられずキャンプ地を見つけなければならなかったのですが、この施設に併設されている陸上競技場の向うに東屋のようなものがありましたので、今夜はそこでキャンプを張ることにいたしました。
上に屋根があれば大雨が降っても雨を恐れることはなくまたキャンプをたたむときもぬれずに済むからでございます。

注)日本の山村には時に信じられないような豪華な設備があるのですが、陸上競技場もその一つです。陸上競技場はロドリゴが住んでいる千葉郷でも利用率は低いのですが、人口4000人の山村では利用者を見つけるのが難しい状況でしょう。

 キャンプをはるにあたってただ一つの不安はまた夜半に静御前の霊が出てきて800年の愚痴を聞かされることでございました。
そうならないように今日も般若心境の護符を体中に張ったのですが、なぜか一枚足らないのでございます。
まずいじゃないか。張り残しがあると耳なし芳一になってしまう
あれこれ試行錯誤した結果、お尻に護符を張るのを諦めたのでございます。
ロドリゴのお尻は桃のようにふっくらして赤みをさしているから、静御前は桃と勘違いして見逃すのではあるまいか・・・・・・」

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(この東屋の下にキャンプを張った)

 果たして丑三つ時になると例の静御前が現れ「ドシツネ様、ドシツネ様」と大音響を発しておりました。
そして信じられないことに私の桃を見つけると、ブルドッグのような歯をむき出してかみついてきたのでございます。
あな、嬉し、桃じゃ、桃じゃ
ょっと待て、ちょっと待て、静、これはドシツネのお尻じゃ、いくら食べても臭いが強いだけで少しもおいしくはないぞ!!」

 静が桃好きだったことを知らなかったのは大失敗で、お尻を食べられてしまうより愚痴を聞く方がましなのですべての護符を取り去り静御前の相手をしたのでございます。
それによると二代将軍頼家頼朝に劣らずスケベーで比企家の娘にちょっかい出したり、静にも手をかけるありさまで、北条政子様の逆鱗に触れ、修善寺で暗殺されたとのことでございました。
その折、政子様はこの静に暗殺の検分役を命じ、頼家様があまりに激しく抵抗するため、この静が頼家様のふぐりにかみつき殺害したと申すのでございます。

しかし、しかし、ふぐりなどかみついても少しもうまくないぞ!!」
ロドリゴは思わず自身のふぐりを抑えたものでございます。何か静の話は頼朝家のスケベー話ばかりで、鎌倉幕府の正史、吾妻鏡との相違に驚愕いたしました。
朝方カッコーの声を聞いて静の霊は退散いたしましたが、「これは日本史の大幅な書き換えが必要だな」とつくずく思ったものでございました。

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(28.7.15) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。 「ロドリゴ自転車周遊記 その7」

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(26.8.29) ロドリゴ自転車周遊記 その7 余市、積丹半島そして岩内町

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(積丹半島の夜明け)

 怨霊などというものは主の教えのどこにも記載されておりませんが、ここジパングにおいてはそれがいかなる神や仏より恐れられているとは実に驚きでございました。
ロドリゴは昨夜は余市部落の共同墓地でキャンプを張ったのでございますが、周りにはホタルのような人魂が飛び交い、何とも薄気味悪い場所でございました。

 夜半、おそらく丑三つ時と思われますが、ロドリゴのテントをゆする人影が現れたのでございます。
もしや、そこなる吾人は義経様ではございませんか、静でございます、義経様・・・
ロドリゴにとってもこのような状況は初めてであり、かつてキタキツネが唸り声を上げてテントを揺らしたのをヒグマと間違えて大騒ぎしましたが、それ以来の恐怖でございました。
「ドドリゴであってドシツネではない、ないぞ!!」舌がもつれてまともに回らなかったのでございます。
あなた様は間違いなくドシツネ様、おなつかしゅうございます。静は800年間もドシツネ様をお待ち申しておりました

 ここ余市部落の共同墓地には義経を慕う静の怨霊が出るとは後で聞いた話ですが、静御前も年を取り認知症を患ってすっかり義経の顔かたちや名前を忘れてしまい、この墓地に夜半居ればすべて義経と見間違えているようでございました。
いくら説明しても「ドシツネ様」というばかりなので致し方なくロドリゴは静御前をテントに招き入れました。
だが話す内容は800年間のたまった愚痴で、頼朝公が如何にスケベーで、鎌倉に拉致された後は義経様以上のいやらしさで迫ってきて、おかげで北条政子様の嫉妬の炎で鶴岡八幡宮が焼け落ちたというような話を延々と繰り返すのでございます。

 ロドリゴは倶知安からの山越えですっかり疲れていたので早く寝たかったのですが、怨霊を怒らすことは祟り神になるので、致し方なく静御前の愚痴を明け方まで聞いてやったのでございます。
そうか、よく分かったぞ、頼朝はそんなにスケベーか、このドシツネの方がまだましじゃと申すのじゃな
ようやく怨霊が退散したのはカッコーが朝を告げた後でしたので、せっかくの積丹半島一周もひどい寝不足の中で出立したのでございます。

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(積丹岬の突端)

 積丹半島の先端には積丹岬があり、それ以外にカムイ岬というような魅力あふれるスポットが存在しロドリゴはぜひともその美しさを確認したいと思っておりました。
しかし途中にトンネルが多く存在し、特に古いトンネルの場合は歩道がほとんどなく自転車を降りて押していくにも、またそのまま乗っていくにも何とも危険極まりない場所でございました。
当初は押していたのですが2kmあまりのトンネルは歩くと30分程度かかり、空気が澱んだなかでとても耐えられなかったのでございます。

 幸い朝方は交通量は少なかったので、自動車の騒音が聞こえない間は懸命にトンネル内を自転車で飛ばすことにしました。この時が今回の旅で最も懸命に自転車をこいだことになります。
頑張れ、ツール・ド・フランスだ。荷駄が来るまでにこのトンネルを抜けろ!!」
命を懸けた戦いでございました。

 着いた積丹岬は駐車場からさらに急斜面を10分程度歩いた場所にありましたが、かつてここに一度訪れたはずなのに全く記憶がありませんでした。
積丹半島の海岸線は予想した通り美しく余市側より反対の岩内側の方が山が海岸線に迫って迫力があり、ちょうど先年伊能忠敬様と測量した襟裳岬の先の日高山脈が海に落ち込む海岸線に酷似しておりました。

 地図ではいくつかの「ゆ」マークがあってロドリゴは温泉に入るのを楽しみにしていたのですが、いづれも11時ごろからではないと開かなかったためようやく泊村の国民宿舎もいわ荘で温泉につかった時は実にほっとしたものでございます。
昨夜は夜半中静御前の愚痴を聞かされ疲れ切っていたのですが、この海岸べりの温泉でようやく疲れをいやすことができました。

 本日の宿舎は岩内町という場所に決めておりました。ここは古くからの漁港で江戸期にはニシン漁でにぎわった場所でございます。しかしニシンが取れなくなってからはさびれる一方になっており、1970年に26千人いた人口も、2010年には14千人と約半分に落ち込んでおりました。蝦夷地にはこうしたさびれる一方の集落が実に多いのでございます。

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(岩内町側の海岸道路)

 昨日は墓地で寝たことから思わぬ不覚をとったため今回は民宿に泊まることにいたしました。だが今夜も静御前に押し掛けられて800年の愚痴を聞かされるのはたまらないので、近所の寺院から般若心境を記載した護符をいただき、それを体中に張って寝ることにいたしました。
ロドリゴはかつてラフカディオ・ハーンの「耳なし芳一」の話を読んでいたのでこれが効果があることを知っていたのでございます。

 果たして丑三つ時になると例の静御前の怨霊が現れ「ドシツネ様、ドシツネ様」と大声を張り上げておりましたが、ロドリゴは護符のおかげでようやく快眠することができました。
天明7年8月10日の夜はこうして過ぎたのでございます。

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(28.7.13) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。 「ロドリゴ自転車周遊記 その6」

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(26.8.27) ロドリゴ自転車周遊記 その6 倶知安から余市へ

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(毛無山から下る途中 小樽が見える)

 天明7年の8月9日、積丹半島を一周するつもりでまず小樽まで出てそこから余市を通って海岸道路を走る予定でございました。ここ倶知安からは函館本線沿いに国道5号線が走っているのですがどう見ても荷駄が多く、とても安全な道に思われませんでした。
そこで赤井川村を経由するルートをとりましたが、これはこれで大きな山越えを2回しなければならず本当に大変だったのでございます。

 特に小樽に降りるには毛無山から下るのでございますがこのつづら折りの5km余りの道は非常に急傾斜で、後ろブレーキ一つのロドリゴのマウンテンバイクは悲鳴を上げておりました。
急斜度ではブレーキの効きが悪くスカスカで、次の曲がり角が天国への入り口に見えたほどでございます。
主よ、哀れなロドリゴとこのマウンティンバイクを救いたまえ

 小樽は蝦夷地においては非常に大きな大和の集落で特にニシン漁で名をはせた網本が多くいましたが、最近はこの二シン漁もさびれ「オタモイ岬のニシン御殿も 今じゃさびれてオンボロロ オンボロボロロ」という状況でございました。
かつての賑わいはもはやすたれていたのでございます。

 わたくしロドリゴはこの小樽に非常な愛着を持っているのですが、それはここの高等商業学校(現在の小樽商科大学)にロドリゴの敬愛する戯作作者の伊藤整翁が通っていたからでございます。
かつて翁の「若い詩人の肖像」という浮世草子を読んでひどく影響を受け、ロドリゴがセミナリオに通っていた学生時代に一度学友とこの地を訪れたことがございます。
だが今ではほとんど記憶がなくなっておりましたのでもう一度山の中腹にあるこの校舎を見てみたい衝動に襲われました。

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(かつての小樽高等商業学校 現在の小樽商科大学)

 その日は蝦夷地としてはまれに見る暑い日差しが照り返しており、ロドリゴはくたくたになりながら地獄坂という急峻な道を20分程度登って、ようやく非常に瀟洒な純白な校舎を見つけたのでございます。
今は夏の非番の月とかでテニスコートで若武者と腰元がテニスという舶来の遊びをしておりましたが、それ以外の人かげはございませんでした。
ウニベルシタスはどこでも同じようなたたずまいで昌平坂学問所と変わるところはなく伊藤整翁が通った校舎はすでになくなっておりましたが、それでもロドリゴは何か満足したのでございます。
ここをかつて伊藤整や小林多喜二や重田根見子が歩いていたんだ・・・・・

注)ロドリゴの伊藤整翁に対する傾倒は以下の記事を参照してください。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-e51d.html

 小樽から余市までの道は塩谷,欄島、余市といった「若い詩人の肖像」にしばしば出てくる在所でロドリゴにとっては何か故郷のような感じのする場所でございました。
塩谷や欄島には海水浴場があり老若男女が楽しげに遊んでおりましたが、ロドリゴは倶知安からここまで来るまでに大きな山越えを二回したためすっかり疲れ切って古式泳法で泳ぐ気力はなかったのでございます。

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(たぶんオタモイ岬の立岩)

 余市を過ぎるころから夕闇が迫ってまいりましたが適当なキャンプ地が見つからないまま積丹半島の沿岸に入って行きますと思いがけず山道になりしかも前方にトンネルが現れました。
自転車にとって最も危険な場所がこのトンネルで古いトンネルの場合は歩行者や自転車用に十分なスペースをとっていないのが普通でございます。
60cm程度の幅で一段高くなったような場所は自転車を降りて歩くのも難しく、一方車道を走るといつ引き殺されてもおかしくないような状況になっておりました。
こうした場所を通過するには登山の岩場を通過する時のような注意が必要であり非常につかれるのでございます。

 ロドリゴは疲れ切っていたのでそのトンネルをくぐるのに躊躇し、その近所に適当なキャンプ地はないかと探しますとちょうど余市集落の共同墓地のような場所があり、今回はこの墓地で眠ることにしました。
キャンプ地として墓地はいささか不適当であり、夜中に人魂など飛翔するとおちおち眠ることもできないのでございますが、他に選択の余地はなかったのでございます。
まあ墓地だけれど仕方あるまい!! 幽霊の正体見たり枯れ尾花だ!!」
 


 しかしここは義経の落人伝説のある場所で夜半に義経をしたう静御前の生霊が徘徊しているとはその時は知る由もなかったのでございます。

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(28.7.11) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。 「ロドリゴ自転車周遊記 その5」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(26.8.25) ロドリゴ自転車周遊記 その5 支笏湖から倶知安

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(羊蹄山の麓を通り倶知安に向かう)

注)「ロドリゴ自転車周遊記」のその1からその4は以下のカテゴリーに入っております。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat59333968/index.html

 実はロドリゴにとって今回自転車周遊でどうしても行きたい場所がございました。それは積丹半島でそれを一周するつもりでございました。
そのためにはまず小樽に出て余市から積丹半島を一周し、洞爺湖経由苫小牧に戻るのが今回のコースでございます。

 この渡島半島の付け根にあるような場所は沿岸部は江戸期から漁労民が住み着いておりましたが、内部は未開の荒野でここに人々が入植したのは明治になってからでございます。
ロドリゴがセミナリオで学んでいた学生時代に一度この積丹半島を荷駄(当時は自動車と言っておりました)で一周したはずですが、記憶が途切れ何かとても素敵な場所だったというぐらいしか残っておりません。
この場所をもう一度再確認したい希望がございました。

 ただ苫小牧から小樽への道は荷駄の多い場所はできるだけ避けたかったため、できうる限り寂しげな道を通ろうと、かつて伊能忠敬様と作成した地図をながめながらルートを検討したのでございます。
この結果支笏湖から羊蹄山の麓の喜茂別を通り,一旦倶知安にでて、そこから赤井川を経て小樽に出る道を選択いたしました。
関八州の国道4号線のような蝉噪は何とかして避けたかったからでございます。

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(蝦夷地特有の草花が道路わきに延々と咲いている)

 支笏湖を出発したのは天明7年8月8日の未明のことでございました。
支笏湖は周囲40kmあまりあり、ロドリゴがよく知っている富士五湖の山中湖や河口湖の約2倍の周囲を持っております。
何か蝦夷地は関八州を二倍にしたようなイメージで、すべての尺度が倍になっていたのでございます。
さらに集落から集落の間は非常に遠く、支笏湖から喜茂別の間は約30kmぐらいありましたが、その間会うのはエゾシカだけでございました。

 延々と続く支笏湖周辺の道路を過ぎて倶知安に向かう道には広島峠のような峠道がいくつかあり、そうした場所は片道5kmあまりの上り下りを余儀なくされました。
自転車での周遊で一番困難なことの一つにこの山登りがございます。
マウンテンバイクは重量が重く約20kg程度ありそこに荷物の10kg、自身の60kgを足すと約90kgになってしまい、とても脚力で登り切ることができないのでございます。
そこで半分程度登るとすっかり疲れ果ててしまい致し方なく自転車を押して登るのですが、これがいつ果てるとも知れない登りで最後はめまいがするほどでございました。

 そのためでしょうか広島峠を下る頃から急に腹の調子が悪くなり我慢の限界を超えそうになりました。こうした時は脇の草むらでキジ撃ちこれは登山者の隠語)をするのですが草むらに足を踏み入れた振動で、なんと痴ほう症老人と同様のお漏らしをしてしまったのでございます。
関八州にいたころから食するものはアイスキャンデーとコーラと言った水物しか受け付けなかったため、体の中に固形物がなくなってほとんどが水になっており、お尻の弁が対応できなくなっているようでございました。

まずいじゃないか、こんなところでお漏らししては・・・・第一自転車をこぐときに気持ち悪いことはなはだしい・・・・・・
峠の降り道でしたが何とかして川を見つけ清めの儀式が必要になったのでございます。
しかし山中の川はいづれも降りていくには険阻すぎ、一度降りたら這い上がることができそうにありませんでした。
致し方なく峠を降り切るまで我慢をし、麓の川原で邪教ではございましたが古代神道の清めの儀式を行いました。
わが不浄なるものを川の神よ、流し清めたまえ!!!」
こうしてわが不浄なるものはオショロコマの餌になったのでございます。

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(ロドリゴが清浄の儀式を行った川)

 すっかりロドリゴはしょげてしまいそのせいでしょうか何回も自転車を倒して、今度は前のブレーキが外れてしまいました。
六角レンチ等の自転車修理用器具は持っていたので何とか直そうとしましたが、ロドリゴの腕ではこの前ブレーキの補修がどうしてもできなかったのでございます。
致し方なく後ろブレーキだけでその後走ったのでございますが、傾斜角が6度を越える坂道では自転車は自動車並みのスピードになりますので、後ろブレーキ一つでは甚だ危険でございました。
主よ、この哀れなロドリゴをお救いください。後ろブレーキを守りたまえ
後ろブレーキが摩擦で崩壊すればロドリゴは蝦夷地の坂道でエゾマツに衝突して野垂れ死にするところでございました。

 こうしてほうほうの体でたどり着いた場所は名前だけは何回も聞いたことがある倶知安で、この日はオテルに泊まることにしました。お漏らしとブレーキの崩壊でキャンプをする気力がすっかりなえていたからでございます。

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(28.7.9) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。 「ロドリゴ自転車周遊記 その4」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(26.8.23) ロドリゴ自転車周遊記 その4

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(フェリーの甲板から)

注)「ロドリゴ自転車周遊記のその1、その2、その3」は以下のカテゴリーに入っております。
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 翌天明7年8月7日の正午過ぎにロドリゴが乗った北前船は蝦夷地の苫小牧港に午後2時に到着いたしました。約20時間の船旅でございましたが北前船の甲板に吹く風は涼よかで、確かに蝦夷地に到着したことがロドリゴにも明確にわかりました。
やはり、夏場は蝦夷地に限る」心からそう思ったものでございます。

 苫小牧とはアイヌ語の「トコマナイ」がなまったもので「沼の奥にある川」という意味で、ウトナイ湖から流れ出している勇払川を指しているのでしょうが、現在は埋め立てが進められて蝦夷地の誇るコンビナート地帯に様変わりしておりました。

 このコンビナート地帯はジパングが高度成長期に北の一大工業地帯にしようとして計画したものでございます。
しかしその後の長い不況から最初に開発された西部地区はなんとか販売ができたものの、その5倍はあると思われる東部地区はまだ8割程度が買い手がなくぺんぺん草が生い茂っておりました。
そして販売済みの団地もただそのまま放置されている場所が多く、この工業団地計画が時代から取り残された無残の姿をさらけ出していたのでございます。
ちょうど芭蕉翁がうたった「夏草や つわものどもが 夢のあと」でございました。

 だがロドリゴにとってはそうしたことはどうでもよいことで、気温が25度程度で関八州の地獄を見てきた身からするとまさに天国に降り立った気持ちがしたものでございます。
ここ苫小牧から支笏湖方面に国道が伸びており、支笏湖のわきにそびえる恵庭岳1320m)が美しい山容が見えるはずでしたが、あいにくの雨模様で確認することはできませんでした。
「よっしゃ、今日は支笏湖のキャンプ場でキャンプを張ろう

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(支笏湖)

 この国道沿いには自転車と歩行者専用の遊歩道が支笏湖周辺まで通じていて距離表示まであって非常に快適なサイクリングが楽しめたのでございます。
支笏湖までの距離は30km程度の上りで3時間もあれば到着したのでございますが、その間このサイクリングロードで会ったライダーはたった一人で江戸界隈、特に多摩川や江戸川のサイクリングロードを見なれているロドリゴには異郷の地に来た思いでございました。

 夕刻支笏湖湖の温泉地帯に到着しましたがすでに店じまいの様相で、楽しみにしていた温泉に入ることはできませんでした。
致し方なく近くにある休暇村支笏湖に行ってみましたがここではキャンプは禁止になっておりました。
そうした場合は人知れず誰もいない場所でキャンプを張るしかないのですが、ここ休暇村には支笏湖を見下ろす展望台がありそこは屋根が付いておりましたので、人が現れなくなる時刻を見計らってそっとテントを張ったものでございます。

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(蝦夷地の道路 自動車以外人に会うことはほとんどない)

 幸い蝦夷地では夕刻になると人が現れることは全くなくなり、後はヒグマが徘徊する漆黒の闇に閉ざされます。ロドリゴはそうした場所でキャンプを張る方が人声がする場所よりはるかに落ち着くのでございます。
やれやれようやくヒグマと一緒に寝ることができそうだ
こうして支笏湖の楼台でその日は久しぶりに安眠ができたのでございます。

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(28.7.7) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。 「ロドリゴ自転車周遊記 その3」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(26.8.21) ロドリゴ自転車周遊記 その3

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(大洗の海岸)

 本件は「ロドリゴ自転車周遊記 その1、その2」の続きです。その1、その2は以下のカテゴリーに入っております。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat59333968/index.html

 さすがにロドリゴも考え込んでしまいました。このまま老中水野様との約定を守って関八州の見回りを続けその結果灼熱の太陽に照らされて干からびて死に絶えるか、それともお役目を放棄して懐かしいおゆみ野村に引き返すか悶々と悩んでいたのでございます。
そうした折ふと伊能忠敬様と先年蝦夷地の地図測量にでむき、夏というのに蝦夷地は春や秋のような気候風土であったことを思い出しました。
そうだこの時期関八州にとどまるなど狂気の沙汰で、蝦夷地に行ってしまおう。水野様には蝦夷地測量の調査とかなんとか言ってごまかそう

 幸いここ鉾田宿から蝦夷地への北前船が出ている大洗の港まではさほどの距離がないことがわかりましたので、矢も楯もたまらず港を目指したのでございます。
大洗から蝦夷地の苫小牧には一日2便の北前船がでており、大洗からの出発時間は夕刻と深夜になっておりました。

 夕刻までだいぶ時間がありましたので大洗周辺を探索する時間が十分ございました。近くに大洗磯前神社というものがあり、その一角に「幕末と明治の博物館」なるものがございました。
ロドリゴは地方に巡察に行くたびに美術館や博物館に立ち寄るのでございますが、実はそこに展示されている内容を見たいからではございません。
そうした場所にあるこうした施設はほとんど観客がおらず閑古鳥が鳴いており、設置されているソファーに寝転んで寝ていても誰にもとがめられないからでございます。
しかもロケーションは最高でガラス越しに見る庭園などは実に美しく、多くの人々がこうした場所を知らないのが不思議なくらいでございます。
天国、天国・・・・・・

 2時間程度この博物館で寝た後、国営ひたち海浜公園まで足を延ばしてみました。ここは数年前まで牧野富太郎氏と並び称された植物学の権威、利根川銚子氏が館長をされていた場所で、ロドリゴも一度利根川氏の案内でこの公園の名物だったコキアが咲きそろう丘を見せていただいたものでございます。
ここ茨城県の周辺には非常に多くの公園や公共施設が整備されておりますが利根川氏の説明では「日本原子力東海発電所を誘致したことへの幕府の見返りだ」とのことでございました。

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(フェリー サンフラワー号)

 こうして時間をつぶして天明7年8月6日の夕刻大洗の港から北前船に乗って、遠く蝦夷地に出立致したのでございます。
北前船はまたの名をフェリーと申しますが、船内には展望風呂まで整備されており風呂好きのロドリゴにとってこの船に乗っている間はこれまた天国のような気分でございました。

 ただ一つの気がかりは二日間炎暑の中にいた時氷水以外の食べ物をほとんど受け付けなく、鉾田宿に宿泊していた間も固形物がのどを通らなかったことでございます。
風呂の手鏡でみるとロドリゴは腹の周りが削げ落ちあたかもビアフラの避難民のような様相を呈しておりました。
物が全く食べられないのだが、果たして蝦夷地に行って生きながらえることは可能だろうか・・・」不安がよぎりました。

 フェリーは翌日の昼過ぎに蝦夷地の苫小牧の港につく予定でしたので、それまでに体力を回復すべく、雲助や旅の行商人と一緒にエコノミークラスの船室で寝ておりました。
本来ならご公儀より支度金が出るところなのですが、水野様は無類のケチで「すべて費用は自己調達せよ」との仰せだったため、公儀巡察使としてはいささか不似合いな場所で寝ていたのでございます。

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