(28.7.30) テロルの時代 日本的テロの発生 津久井やまゆり園事件
20世紀が世界大戦の時代だとすると、21世紀は大戦争は起こらないがテロが継続的に発生するテロルの時代だといえる。
今や世界中でテロが吹き荒れており、アメリカのフロリダではIS信奉者による銃襲撃事件で50名の生命が奪われたし、フランスのニースではこれまたISの信奉者によるトラック暴走殺人で84名の生命が奪われた。
ドイツのミュンヘンでも銃撃戦で9名が死亡しているし、トルコやイラクやアフガンやパキスタンでは日常的にテロが発生しているのでいちいち数えることが不可能なほどだ。
そしてあまり報道されないがアフリカや中国のウィグルでもテロが頻発している。
そしてついに日本でもテロが発生した。神奈川県相模原市の津久井やまゆり園で元従業員による障害者に対する無差別殺害事件が発生し、19名の入園者が殺害された。
これほど多量の人命がテロで失われたのはオウム真理教によるテロ以来だ。
まだマスコミではこの事件をテロと見なしておらず、一精神障害者のよる錯乱によって起こった事件としているが、そう捕えるのはとても危険だ。
この事件は世界中で吹き荒れているテロの一種ととらえなければならない。
植松容疑者は小学校の教職員免許を持っているいわゆるインテリで、今年の2月に衆議院議長公邸に持参した建白書も、文章は論理的に展開されており、「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、および社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死させる世界を目指すことだ」と述べ、もしこの建白書を無視されるなら「津久井やまゆり園と他の施設を標的として260人を殺傷した後自首する」と述べている。
事件はこの建白書にかかれた筋書き通りに発生しており本人が確信犯的殺害者であることが分かる。
通常こうした犯人は自殺をするのが普通なのだが、植松容疑者は自首をして裁判闘争をするつもりであり、あくまでも日本の社会制度と戦うつもりだ。
「俺は正しい。世間が間違っている」
一般にテロというと思想や宗教上の相違を持つ他者を殺害し、そしてそれを正義とする思想だが、テロ犯は自分のした行為に誇りを持っており、絶対に反省などしない。
実際植松容疑者が護送されている時の態度を見たが、意気揚々としておりわるびれるところがなかった。テロ実行者独特の態度だ。
中東やヨーロッパで吹き荒れているテロはジハードと呼ばれており聖戦という意味だが、ISは世界の同調者にテロへ参加を呼び掛けておりその結果世界各地でジハードが発生している。
日本の場合は植松容疑者がそうであるように、宗教的な理由ではなく異質なものへの憎しみからテロを決行している。
重度の障害者に対して生命権を認めなかった事例は歴史を振り返れば枚挙にいとまがない。
ナチスドイツでは精神障害者を政策として安楽死させていたし、旧ソ連や東欧諸国でもほぼ同じような措置がとられていた。ただしここでは社会主義に反対する思想犯を薬物等で精神障害者にしてしまい、それを抹殺すると言う方法がとられていて、今でも中国や北朝鮮で行われている。
今世界中で異質なものへの敵意が渦巻いている。アメリカではトランプ氏がイスラム教徒の入国を制限し、メキシコ人を追い返せと叫んでいるし、フランスやドイツでは極右政党が移民排斥運動を熱心に行っている。イギリスも移民嫌いが嵩じてEUから脱退してしまった。
ヨーロッパが右翼政党の手に落ちるのは時間の問題で、そうなるとEUは実質的に崩壊する。
植松容疑者はそうした世界の潮流を日本に持ち込んだもので、自身はヒットラーの再来と信じており、ナチスドイツが行った身障者の抹殺を自身が行ったものだと確信している。
思えば第二次世界大戦後の約50年間は世界を一つにするグローバリズムの世界で、国連もIMFもEUもそうした潮流の中で生まれてきた。
「人類は一家族」と言うことだが、アメリカの同時多発テロ以降潮目が変わって、異邦人は敵であり抹殺する存在に変わりつつある。
人々はうちに閉じこもり、異邦人を受け入れず鎖国体制の中で安全を確保しようとするのだが、これをローカリズムの時代、あるいは新しい中世と呼ぶ。
だから今回の植松容疑差のテロは一過性のものではなく、日本で今後次々に起こるテロのさきがけと判断すべきだ。
世界中で、そして日本でもテロがふきすさび、人々は異質なものを魔女と呼んで熱狂し殺害を始めるだろう。
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