(29.10.10) 銃を一般人に持たせれば必ず人を殺す。 アメリカ社会の病理
アメリカの銃乱射事件は年を追うごとに凶悪化して犠牲者の数が増加している。
2007年にバージニア工科大学で起きた銃乱射事件では33名が死亡、その後2016年にはフロリダのナイトクラブで乱射事件があり50名が死亡した。
そして今回はラスベガスで58名が銃乱射事件の犠牲者になった。
なぜこれほどの大量殺戮が可能かといえば、アメリカで販売されている銃の殺傷力は軍隊のそれと同じで、特に今回はライフルを機関銃仕様に変更する器具を取り付けて乱射していた。
ホテルの32階の窓から約300m離れた距離にあったフェスティバル会場めがけて乱射したのだが、300mといえば相当の距離だ。
この距離から58名の人命を奪うだけの殺傷力を持っているのだから、ほとんど軍隊で使用する機関銃といっていい。
アメリカ人がなぜ野放図にこれだけの殺傷力のある銃を保有できるかというと、アメリカ憲法で保障されているからだという。
その条文は修正第二条というのだが「規律ある民兵団は自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利を侵してはならない」というものだ。
民兵団にとって必要だというのだが、いづれも民兵とは無関係な人間が簡単に銃を購入し、大量殺戮を行っている。
日本国憲法第9条と同じで拡大解釈で誰でもどこでも機関銃のような銃を保有することができるようになっている。
民兵団と聞いて思い出したが、アメリカの西部劇では通常は町の警備は保安官と数人の助手だけで行い、事件が起こると市民を臨時に保安官助手に任命し犯人逮捕に乗り出す場面がよくある。
もともと西部は特に治安が悪くそれを通常の警察組織だけでは治安の維持ができないため臨時に民兵団が組織されていたが、その伝統が民兵団を必要としなくなった今も続いているといえる。
アメリカ民主党はオバマ前大統領をはじめとして銃規制に積極的だったが、共和党の反対にあいいづれも骨抜きにされてきた経緯がある。
今回も銃規制の論議があるが、いつものように骨抜きにされるのだろう。
人間は武器を持つと殺し合いをする本能があるのではないかと私は思っている。戦争がこの21世紀の世の中になっても少しも収束しないし、ますますエスカレートしている。
部族社会では他の部族を殺すことが当然と考えられたし、国民国家では他国は基本的に敵とみなされ折あらば侵略を繰り返してきた。
日本で凶悪事件が少ないのは日本人が武装解除されているからで特別に平和を愛する国民だからではない。この武装解除を行ったのは豊臣秀吉で今から約400年前の刀狩がそれである。
以来民間人(当時は農民)が武器を持つことはなかったから徳川300年の平和も達成された。
日本国内の平和は全く豊臣秀吉のおかげといっていい。
一方アメリカでは強権で民間人の武器保有を制限することができなかったため、今に至るも凶悪な銃乱射事件があとを絶たないのだ。
銃器なき社会では当然銃器による殺傷事件は起こらないし、武器があれば必ず戦争や抗争事件が起こる。
人間はその深いところでDNAに自分と自分が所属する以外のサークルに敵意を持つようにインプットされていて、争いが絶えないのはそのためだ。
そこに殺傷力のある武器を持たせれば結果は目に見えている。
銃規制に消極的なアメリカは今後も銃による大量殺戮に悩まされるだろう。一般人に武器を持たせないようにすれば非常に安全な社会になることは日本が証明している。
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