(25.8.29) 夏休みシリーズ NO10 結婚適齢期
(舞浜の一角で見つけた朝顔)
夏休みシリーズ NO10
私は平岩弓枝氏のファンで彼女の短編を好んで読むが、「邪魔っ気」という小説を読んで江戸時代の結婚観を考えた。
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ちっちゃなかみさん (角川文庫) 著者:平岩 弓枝 |
結婚適齢期という懐かしい言葉が頭をよぎったのは、このところ平岩弓枝氏の短編小説を読みふけっているからである。
「ちっちゃなかみさん」という題名の本だが、実際は10編の短編小説が収録されており、「ちっちゃなかみさん」はそのうちの一編の題名である。
ただし読んでみると分かるが、この「ちっかなかみさん」の小説としての完成度が一番高い。おそらくそのためにこの名を文庫本の題名にしたのだろう。
この短編小説のテーマは江戸時代の女性が持っていた結婚観である。
江戸時代、女性は結婚こそが人生の目的であり、ある意味で強迫観念を持って結婚を切望していた。
すべての女性が20歳までの結婚を目指し、20歳を過ぎるとあせりを覚え、23歳を過ぎると婚期をのがしたと思い、25歳でおおどしまの世界だった。
小説の一編「邪魔っけ」の主人公「おこう」は25歳である。母親が死に、気の弱い病気がちの父親を手伝って豆腐屋を切り盛りしている。妹が二人、弟が一人いるがいづれも家の手伝いは何もせず「おこう」に悪態をつくことしかしない。
妹と弟はその性格ゆえに結婚相手に恵まれないのだが、それをすべて「おこう」のせいにする。
「姉ちゃんは好きで嫁に行かなかったんだもの、25にもなって、うすみっともない娘のなりをしていようと自業自得さ」
「姉ちゃんがいい年して家にいるんじゃ、誰も来てがあるもんか。小姑に鬼千匹ってね」
実際はおこうの懸命な努力でようやっと家計が支えられているのだが、気の弱い父親以外は誰も感謝はしない。
平岩弓枝氏はおこうにこう言わせる。
「おっ母さんがいけないのよ。4人もの子供を残して、先に死ぬなんて・・・」
二十歳まで泣き泣き言った言葉を、二十歳すぎてからは笑いながら言う。おこうはそんな自分の年齢(とし)を想った。苦労が教えた諦めである。
10編の短編小説の中の主人公でおこうの存在感がひときは光っている。この短編小説を読めばだれでもおこうに同情と愛惜と憐憫の入り混じった複雑な気持ちになるはずだ。
男だったら間違いなく嫁にしたい第一級の魅力あふれる女性である。
ところがこの小説では「うすみっともない」おおどしまなのだ。
現在では、結婚しない女性のほうが結婚する女性を上回りそうな勢いなので、読んでいてなんとも不思議な気持になる。
しかしこうした今風の結婚観が定着したのはそんな昔のことではない。
この小説を読んで、私は50年前の小学生の頃のある記憶を思い出した。
私の故郷は、絹織物の名産地であり、よく内職として家庭の主婦が木製の機織機で反物を織っていた。
そうした女性をよく街で見かけたものである。
その日はたまたま子供達の遊び場の横で、かなり年配の女性が窓をあけて機(はた)を織っていた。
私はそのしぐさが大変興味があったのでその女性に聞いた。
「おばちゃん、なにやってんの」
そのときの女性の顔を今でも覚えている。目を吊り上げ阿修羅のような形相をして私を睨(にら)みつけたのだ。
何も言わずただ睨んでいるのである。
びっくりして逃げ出したが、後で友達から
「あのおばちゃん、結婚してないから 怖いんだ」と聞かされた。
おそらくは30歳を少し越えたくらいの女性だったはずだが「おばちゃん」と言われた言葉に阿修羅のような形相になってその女性は答えたのだ。
「あたしゃ、生娘だよ。あんたにおばちゃんなんて言われる年じゃないの」おそらく言葉に出したらそう言うことだったのだろう。
確かに50年前はそうした時代だったことを平岩弓枝氏の小説を読んで思い出した。
そして今、結婚観は劇的に変わっている。
たった50年だが、人の意識も行動もこうも変わるものかと驚かされる。
「男で苦労するなんて真っ平よ」よく娘が言っている台詞だ。
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