旅行 サンチャゴ巡礼

(28.5.10病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その22」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.8.14) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編 その6 最終回

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キリスト暦2009年7月10日

 ロドリゴ巡礼日誌最終回を迎えました。ここまで継続して読んでいただいた方には心から感謝申し上げます。

 出発時間はパリ発11時45分でしたので、その2時間程度前にはシャルル・ドゴール空港に到着することにしておりました。
私の持っている航空券はHISで購入した帰国便を1回だけ変更できる航空券で、今回は変更がなかったため事前にリコンファームをしておりませんでした。

 外国の個人旅行をしていていつも悩むのが、このリコンファームでございます。今回のHISからの注意書きにも「既に予約が入っている場合は、予約便搭乗日の遅くとも3日前までには、航空会社オフィスに変更の旨ご連絡いただくようお願い申し上げます」と記載されておりました。

 素直に読めば、変更がなければリコンファームをしなくてもいいはずなのですが、かつてはどのような状況でもリコンファームが必要でしたので、「もしかしたら、変更なくてもリコンファームが必要なのでは・・・」とつい疑ってしまうからでございます。

 そうした心配があるため、できるだけ時間の余裕をみてシャルル・ドゴール空港に郊外電車で向かうことにしました。
幸いにパリの地下鉄や郊外電車の乗り方をマスターしておりましたので、スムーズに空港に着くことができ、また駅と空港を結ぶ通路に設置されていた掲示板で、第2ターミナルのどのブーツに行けば、アエロフロートのチェックイン窓口か分かったのでございます。

(注)シャルル・ドゴール空港はターミナルが3つあり、そのターミナルごとにブーツが6箇所前後あるため、どこがアエロフロートの窓口か、すぐには分からないのです。

 飛行機は順調に飛び出しまったく問題はございませんでした。たまたま私の横にはジャポンからフランス国の旅行会社に勤務しているマドマーゼル ケイが座っておりまして、2週間余りの研修にジャポンに帰国するのだといっていました。

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 ケイは旅行会社に勤務しているだけあって、フランス国の事情に精通しておりました。
私が今回巡礼の旅をしていて最も不思議に思ったのは、若者や中高年の失業が多く、そうした人たちが好んで巡礼の旅を楽しんでいることでした。
こうした疑問をケイに聞いてみました。

ケイ、私はとても不思議に思うのだけど、フランス国では失業問題はおおきな問題にはならないのかい。
たしか3年前にフランス国では初期雇用契約(
26歳未満の若者の雇用にあたり2年間の試用期間を設け、この期間中は雇用者側は理由を問わず解雇することを認めるという法案)が可決されたけど、学生の大反対があって潰されてしまったでしょう。
 
 導入を図った首相は首を切られるし、一方で学生は大勝利だといっていた。雇用されるよりも失業している方がいいという判断はどこから出るのだろうか?」


ロドリゴ、それはねえ、フランス国は身分差別の国で、かつ社会保障制度が極端に整った社会主義国のような国だからなのよ。

 大学生は卒業すると無期限雇用契約によって一生企業から首を切られないで済むの。一頃のジャポンの終身雇用制度のようなものね。
そうして、この無期限雇用契約者だけが、会社の管理職になれるの。

 一方初期雇用契約者はジャポンの派遣労働者で簡単に首を切られ、そして会社の管理職には絶対になれないの。
だから初期雇用契約は、大学生に対し、『
お前達は永遠に下積みの労働者になれ、失業者よりはましだろう』と言ったのとおなじなの。

 それとね、ロドリゴ、フランス国では求職者登録さえしていれば失業手当はもらえるし、もし働いても給与が低ければ国から補填してくれるのよ。働かなくてもそこそこ食べていける社会主義国というわけ。

 だから大学生は奴隷身分より、失業の方を選ぶのだと思うわ

 ケイの説明で、この巡礼期間中最大の疑問「なぜ巡礼者には失業者が多く、そして失業を苦にしていない」が氷解できた。

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 さて私はこうして約3週間の巡礼の旅を終わったわけですが、これが私の人生に何か役立ったでしょうか。かみさんからは「行く前と同じでまったく悟りがない」といわれてしまいました。
実際その通りかもしれませんが、こうした経験は一種のボディーブローのように効いて来るものですので、もう少し長い目で見て行きたいと思っております。

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(28.5.9病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その21」

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(21.8.13) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編 その5

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キリスト暦2009年7月9日

 地下鉄の乗り方をマスターした後は、パリの街を自由自在に動くことができるようになりました。道が分からなくなったり、自分の位置が分からなくなれば地下鉄の駅を探し、そこから目指すポイントまで乗っていけばいい訳でございます。

 明日はジャポンに帰ることにしていましたので、この日はまだ自分が見損なっていたと思われる場所に行ってみることにしました。
なかでもモンパルナス駅近くにあったリュクサンブール公園はとても気に入りました。

 ここはどうも観光客が訪れる場所ではないらしく、一方パリジャンが好んで散歩やJOGをする場所らしく、深い木立に囲まれたとても気持ちのいい場所でした。
パリの人は観光客を避けてこうした場所で憩いを求めてるのか・・・
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 また行きそびれていたシャルル・ドゴール広場に行くことにし、シャンゼリゼの大通りを歩いてみて、ここがジャポンでいう銀座であることを始めて知りました。
私はものを買うことをほとんどしないのでショッピングには興味がなかったのですが、私でも名前を知っているルイビィトンといった店が軒を連ねておりました。
またこの一角にトヨタアンテナショップがあったのには驚きました。
トヨタが提案している未来の車の前には多くの人だかりがしておりました。

 セーヌ川の遊覧船に乗ったのもこの日でございます。シテ島の近くから上流に遡ってエッフェル塔の前で下船しました。エッフェル塔にはパリの観光客が全員集まったのではないかと思えるくらい人だかりがしており、塔に登る順番待ちをしておりました。
とても埃っぽく、私はこうしたタワーには興味がありませんでしたので、早々に退散したものでございます。
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パリの街に滞在して5日目になりますと、今まで気付かなかったことに気付くものでございます。
21_1083  一番興味があったのはベリブと呼ばれる貸自転車で、パリの交通渋滞と環境改善のためにパリ市内に約2万台の貸自転車が設置されているのだそうでございます。

 パリの街では外側一車線をバスと自転車専用道路に指定している場所が多くあり、自転車を乗るのが便利な交通体系になっておりました(一方ジャポンと異なり自転車は歩道を走れません)。
私も乗ってみたかったのですが、保証料を払って登録をおこなうという手続きが必要らしく、観光客が簡単に使用するというようにはなっていないようでした。

21_1073  もう一つ感心したのは清掃体系で、50m間隔ぐらいにビニールのゴミ入れが設置されており、それを清掃車が毎日回収しているようでした。ジャポンではゴミの持ち帰り運動の方が盛んで、ゴミ箱がほとんど撤去されていますが、観光客にゴミの持ち帰りを指導してもほとんど不可能なので、こうした体系がとられているものと思われました。

 ジャポンも外国から観光客を呼び寄せる観光立国になるには、ゴミの回収体系の確立が必要で、パリの街やシンガポールの街をまねたゴミ処理体系を是非導入して欲しいものだと思ったものでございます。

 こうしてパリ滞在5日目はゆったりと時間が流れたものでございます。

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(28.5.8)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その20」

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(21.8.9) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編その4

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キリスト暦2009年7月8日

 パリの街を自由に移動する最大のノウハウは地下鉄を乗りこなすことでございました。パッケージツアーですとバスが手配され、添乗員の方がすべて取り仕切ってくれるので、移動についての問題は発生しないのですが、個人旅行の場合は、公共機関の乗り方が必須のノウハウになるのでございます。

 とりあえず私は歩ける範囲は歩いてしまったため、つぎに行きたい場所であるベルサイユ宮殿や、帰りのドゴール空港にはどうしても地下鉄や郊外電車(パリ市内では地下鉄と同じで、郊外に行くと電車になる)を利用する必要があったからでございます。

 私はジャポンの地下鉄と変らないだろうと思ってましたが、近くの地下鉄の駅に行ってみて頭を抱えてしまいました。改札口はあるのですが、駅員もおらず、切符売場もないのでございます。
どこで切符を買えばいいんだ!!!!!

 仕方なくもう少し大きな地下鉄の駅に歩いて行ってみることにしました。
ここには自動販売機が1台あったものの、今度は操作の仕方がまったく分からないのでございました。
たまたま若いフランセが切符を購入しましたので、じっと見ていたのですが、トイレットペーパーのようなロールをくるくる回して切符を購入していました。
そうか、トイレットペーパーをまわせばいいのか

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 私もそのフランセのまねをして、なにやら分からずロールをまわし、適当にお金を入れましたら、嬉しいことに切符が出てきたのでございます。
しかしこの切符はゾーン3までのパリ市内の切符で、私が求めているベルサイユまでのゾーン6の切符ではありませんでした(本当はゾーン6の切符も入手できるはずですが、操作が分かりませんでした)。

 フランス国では乗り越しという制度がなく、恐ろしいことに乗り越しは罰金の対象になると聞いていましたので頭を抱えてしまいました。

これじゃ、ベルサイユにいけないじゃないか。それならばターミナル駅に行って、パリ・ビジットを手に入れよう
パリ・ビジットとは外国人専用の数日間の定期のようなもので、ゾーン別・日数別になっていて、これがあればそのゾーンと日数の範囲は自由に乗り降りができる優れものでございます(JTBの旅行案内書にそう書いてありました)。

 路線を懸命に確認し、地下鉄に乗って北駅というターミナル駅(ジャポンのイメージでは上野駅)まで行き、懸命に並んでようやくそこで念願のパリ・ビジットを入手することができました。
切符を手に入れるのにこんなに苦労しなくてはいけないのか・・・・

 ジャポンでは考えられないことでございました。ジャポンではどこの地下鉄の駅にも駅員がおり、切符を自由に購入できるのですが、パリではターミナル駅以外では駅員がおらず(いるのかも知れませんが私は発見することができませんでした)、切符の購入もかように難しかったのでございます。

 しかしこのパリ・ビジット路線図(パリ・ビジットを購入すると案内書として渡してくれますさえ入手してしまえば、あとは鬼に金棒で、どこで迷っても地下鉄の駅さえあれば必ず目的地につけるのでございました。

 私はゾーン6の3日間パリ・ビジットを購入したのですが、これで念願のベルサイユにもドゴール空港ににもいけるようになったのでございます。
もっとも若干の注意は必要で、郊外電車などは行き先がいくつか分かれている場合があり、間違うととんでもないところに行ってしまうのですが、駅の電光板さえ確認すれば問題はありませんでした

注)パリ・ビジットはジャポンのイメージでは江戸市中の地下鉄と、近郊のJRの線が乗り降り自由というイメージです。

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 今回ベルサイユにこだわったのは、前回パリに遊びに来た時には切符の購入の仕方が分からず、ベルサイユに行きそびれたからでございます。
今回は絶対に行き着くぞ」思いは通じたのでございます。

 ベルサイユ宮殿ルイ14世が、フランス国が世界の中心で有った時に建設した宮殿なので、その優美さは世界に類例がないほどでございました。
文化財は権力者が作るものだといわれますが、まさにここベルサイユ宮殿はそうした権力者の意思の賜物と思われました。
ロドリゴのような権力なき者のあばら家とは比較にならなかったのでございます。

 これがパリ在住、4日目の報告でございます。

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(28.5.7)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その19」

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(21.8.8) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編 その3

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キリスト暦2009年7月7日


 昨日は結局ルーブル美術館の5分の1程度を見ただけで、後は街の散策をして過ごしたので、今日こそは美術館めぐりで一日をすごく決心をいたしました。

 まず最初にホテルに近かったフランス歴史博物館に行ってみたのですが、あいにくと休刊日でございました。これはだんだんと分かったのでございますが、常時開いている美術館はルーブル美術館のような巨大美術館だけであり、オルセー美術館でも月曜日は休館であり、それより規模の小さな美術館や博物館は催し物をおこなう時のみ開館するという形態が多いようでした。

 今日はオルセー美術館から美術館めぐりをする予定でしたが、あいにくと人出が多く時間がかかりそうでしたので、もっと人出の少ない、中小の美術館から先に見ることにし、科学博物館に行ってみましたがここも休館でございました。
どこか開いているところはないのかよ・・・・・・・

 次に科学博物館とセーヌ川を隔てて反対側にある、軍事博物館を見たいと思いましたが入口が分からず、結局同じ建物内にある解放勲章博物館と、ナポレオンの棺が埋葬されているドーム教会を見ることになりました。

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 その後で、ルーブルと並ぶ著名な美術館オルセーにようやく行くことができたのでございます。
オルセー美術館ルーブル美術館よりチェックが厳しく、私の持っているザックは入口で預けさせられ、また写真撮影も一部は禁止されていました。

 私はここでも美しい乙女の絵画に魅了されて写真に収めていたのですが、すぐに係官がやってきて「写真を抹消するように」指示されてしまいました。
主よ、ロドリゴは悪魔の誘惑で美しいマドマーゼルの素肌に見せられてしまいました。心弱きロドリゴをお許しください

 このオルセー美術館は展示物もなかなかのものでしたが、建物自体が実に美しく、私の目からはフランス建造物の第一級品に見えたのでございます。

 こうして、美術館を見て周り、街を散策してその日が終わったのですが、足で歩き回れる範囲はすべて回ってしまったため、明日は行動範囲を拡大するために地下鉄に挑戦することにいたしました。
しかしこの地下鉄に乗るまでが大変だったのでございます。

21_985  夜はいつもの裏さびたホテルでしたが、時間が経つにつれてここがかなり物騒な地域であることが分かってまいりました。
夜寝ている間に闖入者によって首を掻っ切られるのではないかとの不安感が高まったため、入口にバリケードを築いて寝ることにしたのでございます。

 バリケードは椅子と机だけの簡単なものでしたが、それでも闖入者が入ってくれば物音で分かり、せめて殺害される前に相手のふぐりを潰して一矢を報いるつもりでございました。
なおふぐりを潰す殺害方法は鎌倉幕府の二代将軍源頼家が殺害された方法でございます。

ル・モンド 7月7日
さすが、日本の武士・・・・死して闖入者のフグリを潰す

 東駅近くの貧民街のホテルに宿泊していたジャポンの武士ロドリゴさんは、夜半に金品を奪おうとした闖入者に襲われ、拳銃で数発の銃弾を浴び死亡した。

 しかし、死亡する前に闖入者のフグリを潰し、一矢を報いることが出きたのは、さすが歌麿の国ジャポンの武士だと、パリジャンの間で評判になっている。
このワザは忍法フグリつぶしといい、伊賀の忍者の間でひそかに伝えられていた秘伝で、ロドリゴさんがその最後の継承者だったという。

 なお、闖入者は激痛に耐えかね股間を押さえもだえ苦しみながら憤死した。


 これがパリ滞在3日目の報告でございます。

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(28.5.6)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その18」

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(21.8.6) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編 その2

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キリスト暦2009年7月6日


 私が宿泊した場所はパリ東駅の近くで、セーヌ川から約2km程度北側に入った場所で、セバストポル大通りから路地に入った所にありました。
パリの街は札幌の街の様な碁盤の目ではなく、放射線状に道路が伸びておりますので、放射線状の道は分かるのですが、それを蜘蛛の横糸のように縫う道は大変分かりづらいのでございます。

 それでもセーヌ川一帯の場所は、セーヌ川を基点として行動すればよく、しかもこのあたり一帯にルーブル美術館オルセー美術館が点在しておりますので、歩くのには大変便利な場所でございました。
パリ市街はジャポンの山手線の内側程度で、その中でここセーヌ川一帯はジャポンの皇居周辺の大手町、丸の内、銀座、霞が関といった感度で歩けるのでございます。

 私ロドリゴは巡礼から戻ったばかりで歩き回ることはまったく支障がありませんでしたので、「主を称える絵画があるパリの美術館をすべて見てみよう」と思ったのでございます。
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 しかしこの企てはすぐに無謀だということが判明いたしました。この日は月曜日で、どうやら開いている美術館はルーブル美術館だけだったようですが、ここのエジプト室、メソポタミア室、そして主を称える宗教絵画を見ただけで、ほぼ半日経ってしまい、しかもクタクタに疲れてしまったからでございます。

 おそらくすべての陳列品の5分の1程度だったと思いますが、これではルーブル美術館に通うだけで5日間もかかることになってしまいそうでございました。
こりゃ、駄目だ。美術館めぐりには限界がある

 問題は美術館はとても疲れるということでございました。巡礼と異なり歩いては止まることを繰り返すため、ちょっとしたサーキットトレーニングのようになってしまい、美術館の椅子に腰をかけながらため息をついたものでございます。

 なお私がルーブル美術館で一番驚いたことは写真を自由に撮る事ができることでした。フラッシュは禁止でしたが、フラッシュさえたかなければいくらでも写真撮影ができるのです。
私が知っているジャポンでは、ほとんどの美術館で撮影禁止になっておりますので、ルーブルのこのおおらかさは何処から来るのか不思議な感じがしました。

 写真は当初、主のお御影のみ撮っていたのでございますが、そのうち女性の美しき素肌に魅了されてしまいました。
主よ、悪魔のささやきに溺れた、心弱きロドリゴをお許しください

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 この日はルーブル美術館を半日程度で退散し、あとはひたすらセーヌ川沿いに歩き回ることにいたしました。
ルーブル美術館の前からテュイルリー庭園を経て、大きな公園や建物が有れば、それを目指して歩くことにしたのでございます。

 パリの天候は南フランスのからっとした天候とは異なり、晴れていたと思うと雨が降り出し、また晴れると言った猫の目のような天候なのには驚きました。
パリの人が南フランスにあこがれるのは、この天候のせいか」なんとなく納得したのでございます。

 食事は世界共通のマクドナルドの店がありましたので、そこで6€程度のセットで済ませ、夕食はジャポンのコンビニのような店で食材を買いこんで済ませることにしました。
こうした簡単な食事が私には一番合っているので、何とも嬉しかったのでございます。

 唯一の悩みはホテルの一泊40€でございましたが、歩き回ってホテルがあれば値段を確認しましたが、これ以下のホテルを見つけることができず、その日も東駅のそばの若干怪しげなホテルに泊まったのでございます。

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(28.5.5)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その17」

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(21.8.5) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編 その1

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キリスト暦2009年7月4日


 朝早く、ムッシュ タムは巡礼の旅を継続すべく出発していきました。私は昼頃このカオール駅を出発し、パリのオステルリッツ駅に到着する列車に乗り込む予定でしたので、午前中はカオールの街の公園で寝そべって時を過ごしました。

何か今までにない自由なのどかの時間が過ぎたのでございます。
雲だけが流れている・・・・・・・・・
毎日の労働から解放されたような気持ちでした。

カオールをその日に出発する列車は10本程度で、それも午後に集中し午前中は運行がありませんでした。信じられないことに午前中は駅のトイレにも鍵がかかっており、使用ができないのでございます。
ジャポンの新幹線に慣れている目から見ると、何とも不思議なのんびりとした駅舎でございました。

 フランス国の国鉄では来る時、ル・ピュイにうまくいけずトラブルがありましたので、今度も同じようなことがないか緊張しましたが、そうしたことはまったくなく、夕方6時にはオステルリッツ駅に到着いたしました。

 ただ、パリの街に近づくにつれ、鉄道沿線の壁という壁、家の鉄道沿線側、それに列車の外側に目いっぱい落書きがされていることに目を見張ってしまいました。ジャポンの比ではなく、消すことすらしないようでした。

 サンチャゴ巡礼道の素朴で自然だけの景色を見慣れている目からすると、まったく異質の世界に入り込んでしまったような感覚でございます。
これで観光都市パリと言えるのだろうか

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 フランス国においてはジャポンの東京駅のようなすべての路線が集まるターミナル駅はなく、各方面別のターミナル駅が別々にあり、その間を地下鉄で結んでおります。
従ってターミナル間を移動するには地下鉄の乗り方に知悉していなければならないのですが、私のような旅行客にとって地下鉄を乗りこなすのは至難の業だったのでございます。
でもまあ、いいや。パリの街は広くないから歩こう

 当日の最大の課題は宿の確保でした。パリのホテル料金は地方の比ではなく、ジット15€以下で過ごしてきた身には、二つ星でシングル80€前後、ダブルで100€を越える料金は目の玉が飛び出るような価格に見えました。

何とか安く泊まれる方法を探そう
当初はインフォーメーションでパリのジットを紹介してもらう予定でしたが、オステルリッツ駅のインフォーメーションは日曜日はしまっており、情報を入手する手段はありませんでした。

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北駅のインフォーメーションは開いているから、そこまで歩いて行って聞いてみようか・・・・・・
オステルリッツ駅近くの安宿はうまく探せなかったので、北駅まで行くことにしました。
北駅は東欧からの乗客が多く、ジャポンで言えば上野駅のような感じの駅で、安宿があると思ったのでございます。

 オステルリッツ駅から北駅までは約3km程度ありました。
北駅東駅のさらに北方にあり、だんだんと薄汚れた街並みになって行き、それに応じてなんとなく怪しげなホテルが路地裏に点在するようになりました。
その中で無印ホテルで一泊30€~40€と書かれているホテルがありましたので、当日はここに泊まることにしたのでございます。

 ここは東駅の近くで、後で地元情報に詳しい人から聞いた話ではアフリカ街と呼ばれ、アフリカからの移民が多く居住しているおり、このホテルの主人もジダンのようなアルジェリア人のような顔つきをしていました。
確かにアフリカンと呼ばれる黒人がだんだんと多く歩いている場所でしたが、幸いアメリカのハーレムのような恐ろしさはありませんでした。

 こうしてとりあえずは、思いっきり簡素で、若干怪しげな雰囲気のあるダブルの部屋(60cm四方のシャワーと、同じく60cm四方のトイレがありました)を40€で泊まることができたのでございます。
うぅーん、これで40€(約5000円)かよ、高い。明日は他の宿を探そう

 しかし結果的にはこの宿より安い宿を見つけることができず、パリ滞在中5日間、この宿で過ごすことになったのでございます。

 これがパリ滞在1日目の報告でございます。

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(28.5.4)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その16」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.8.3) ロドリゴ巡礼日誌 その16

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キリスト暦2009年7月4日


 今まで正確に記さなかったため、一部の方に誤解を与えておりますが、実は私ロドリゴはこの巡礼の旅の目的地、サン・ジェン・ピエル・ポーまで行く予定ではありませんでした。

 目的地まで行くのはムッシュ タムで、私はそのサポートを依頼されたのでございます。
ロドリゴ、私一人ではかみさんが巡礼の旅を許してくれない。一緒に行ってくれないか
全部で5週間ですか、少しながすぎるなあ、半分程度だったら何とかしましょう

 私は引退の身で確かに時間は自由なのですが、それでも毎日の修行である清掃活動やブログの作成を長期間中止することができず、とても5週間は難しそうでございました。

 結局私は3週間の予定で、ムッシュ タムが一人で巡礼の旅ができるまでサポートする約束をしたのでございます。
ムッシュ タムと別れる予定の場所はこの巡礼の中間地点カオールか、さらに数日間行ったモアサックを予定しておりました。
そこからパリに向けて国鉄の路線があったからで、他の場所からはパリに行く手段がほとんどなかったからでございます。

 すでに巡礼の旅を始めて2週間たち、宿泊の仕方やルートの見分け方等巡礼のノウハウは十分身につけておりましたし、ネット2週間で中間地点カオールまで到着させるという目標も達成していましたので、私の役割は終えようとしていました。

 ムッシュ タムとしてはカオールではなく、モアサックまで付き合って欲しい気持ちがあるようでしたが、私としてはこのあたりで別れるのが適切でないかと思っておりました。

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 一番の理由は旅のスタイルが私とムッシュ タムとの間でひどく異なっており、歩く速度や食事の仕方でしばしば精神的葛藤を繰り返していたことでございます。

 ムッシュ タムは、日中2時間程度の休息を取りながら、レストランで十分食事をし、時速3km程度のスピードを維持していけば、必ずサン・ジェン・ピエル・ポーまでいける自信を持っておりました。
昼間の暑い時間帯に2時間程度休めば、必ず30kmは歩ける」が口癖でございましたし、事実その通りだと私にも分かっておりました。

 それでも私はカオールではなく、モアサックまで付き合うか否か逡巡していたのでございます。

 カオールの町についてすてきなレストランを見つけたムッシュ タムがいつものように「このレストランで食事をしよう」と私を誘いました。
ムッシュ タムはサラダとハムアンドエッグ、私はパイを注文したのでございますが、ムッシュ タムは「ロドリゴのパイと私のサラダとどちらが美味しいのかな」と至福の顔をして私に尋ねました。

 その時私の胃には猛烈な胃酸が噴出しており、主にお祈りをしていたのでございます。
主よ、このフランス国からレストランというものを一掃してくだされば、このロドリゴの命を捧げます

 正直言ってこれ以上レストランに付き合うのは、食事嫌いの私にとって煉獄の苦しみ以外の何者でもなかったのでございます。
そしてこの苦しみから逃れる唯一の方法は、ここカオールムッシュ タムと別れることだと強く決心いたしました。
この日は15km程度の行程でしたので、昼前にはカオールに着き、ムッシュ タムと遊覧船に乗ったりして、最後の旅の思い出を同伴いたしました。

 こうしてカオールムッシュ タムと別れることになったのですが、カオールからパリまではバスで行きたいと思いました。バスの旅が始めてであり、また国鉄とは異なった景色を見ることができるのではないかと思ったからでございます。

 明日の切符を入手しようとして、教えられていたカオール駅のバスステーションに行ったのですが切符売場がありませんでしたので、国鉄の切符売場に行ってバスの切符は何処で入手できるか聞くことにしました。というのもそのバスはフランス国鉄が運営していたからでございます。

 しかしこの切符売場の女性は私が何を聞いても、「ノン」としか言わないのです。
エゲレス語が分からないから「ノン」なのか、ここはバス売場でないから「ノン」なのかさっぱり分からないのです。

 私はバスの時刻表を見せて、ジェスチャーでこの時間のバスの切符が欲しいと懇願したのですが、女性が何かを言い、私がよく分からないままに「ウイ」といった途端に、翌日のパリ行きの電車の切符を発売されてしまいました。

 おそらく会話は以下のようなものだったのではないかと後で想像いたしました。
あんた、ここは国鉄の切符売場でバスの売場じゃないのよ」
バスでパリに行きたいのです
分からない人ね、バスじゃないと言ったでしょ、ここは電車。電車の切符なら売ってあげるわよ、それでいい
ウイ
じゃあ、これ明日の12時、バスと同じ頃の出発時間よ。分かった
ウイ

 分けも分からずに「ウイ」と言って、信じられないような結論になってしまいましたが、バスであろうが電車であろうが、とりあえずパリまでいけることが分かったので、了承することにいたしました。

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 そしてまだ帰国までは1週間の余裕がありましたので、かつて一度行ったことのあるパリの街を散策し、ルーブル美術館で主を称える絵画を見ることにしたのでございます。
それでも心には一抹の不安がよぎっておりました。
主よ、ロドリゴは間違っているのでしょうか。レストランの食事の悪夢から逃れられるために、ムッシュ タムと別れることは、主の御心にかなっているのでしょうか」

 ムッシュ タムはその日も遅くまでカオールの街の散策をして、目いっぱいの食糧を入手してジットに帰って参りました。
ロドリゴは明日はルーブルか、気楽でいいよな」と言っておりましたが、明日からの一人旅がムッシュ タムの気持ちを不安にしているようでした。
しかしそれでもここで別れることを了承してくれたのでございます。

 こうしてジャポンを出てから16日目で、私のサンチャゴ巡礼フランス道の旅が終わったのでございます。

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(28.5.3)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その15」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.8.2) ロドリゴ巡礼日誌 その15

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キリスト暦2009年7月3日

 サン・シルク・ラポピィという村をご存知でしょうか。「フランスで最も美しい村の一つ」といわれ、ロット川の川岸、約100mの断崖絶壁の上に建てられた中世の城郭都市(現在の感度では村)で、人口は約200人でございました。

 ムッシュ タムは事前勉強を怠ることなくこの村の情報を入手しており「ロドリゴ、今日はどうしてもこのラポピィを見に行こう。一見に値する村なのだ」と提案したのでございます。
ラポピィに行くにはこのセレ川を下り、ロット川との合流地点で、上流に約4km程度遡ったところで、断崖を登るのでございました。

 実は昨日、ムッシュ タムはインフォーメーションでラポピィ周辺の観光案内を入手して、信じられないような提案を私にしたのでございます。
ロドリゴ、これを見てごらん。ラポピィからカオールまで、観光船があるみたいだ。この観光船に乗れば2日分の行程を歩かなく済みそうだ

 さすがにこの提案には躊躇しました。
ムッシュ タム、我々は巡礼の旅をしているのに、乗り物になど乗ったら神様がお許しくださいません
ロドリゴ、我らの目的は何だ。サン・ジェン・ピエル・ポーに到着することだろう。到着できなかったら神は嘆き悲しまれる。だからその間の手段は問わないのだ

 実はこの計画はすんでのところで未遂に終わりました。と申しますのもこの観光案内に書かれていた遊覧船はラポピィ周辺カオール周辺の観光船で、決してラポピィからカオールまでの2日間の旅を短縮する観光船ではなかったからでございます(インフォーメーションで確認して分かりました)。

主よ、ムッシュ タムの言葉は悪魔のささやきでございます。我らを悪魔の魔手からお救くいくだされたことに感謝いたします

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  こうしていつものように約30kmの道のりを、時に国道を通りながらラポピィに立ち寄り、その日の宿にたどり着いたのでございます。
しかし、このときは一騒動が起こってしまいました。

 宿泊を予定したレ マズという村にはジットがなくシャンブルという形態の宿しかなかったのでございます。
実は我ら2人はもっぱらジットに泊まっていたのでシャンブルのルールを知りませんでした。

 行くと簡単にそこのムッシュが部屋に案内してくれたのですが、しばらくするとマダムが血相を変えて部屋に入ってきたのでございます。
片手に予約表を持って、「お前達はこれか」と聞くのでございます。
ノン」といいましたら、「お前達は別か」と何回も念押しして、「この部屋から出て行け」と大騒ぎを始めたのでした。

 後で分かったのですが、シャンブルという形態は自宅の一部をそのまま部屋ごと貸し与える形態で、必ず予約が必要らしく、宿泊料はジットより高いのですが、その代わり食事は豪華で、主人が顧客をもてなすというようなスタイルでございました。

 宿泊客もやや上流クラスが主で、ジットのように予約がなくても誰でも何でも泊めるというようなことはなかったようでございました。

 ここのマダムが余りに大騒ぎをして部屋から出て行けというので、この場所の宿泊をほとんど諦めていましたら、隣の小さな部屋に案内して「ここに泊まれ」と言うのでございます。

 マダムのつもりとしては、「ここは予約客があるので、泊められないが、小さな部屋でいいなら泊めてやる」ということだったのですが、剣幕がものすごかったので、すぐにでも追い出されるような気持ちになってしまいました。
しかしこの剣幕は[予約のない客が来るはずがない]というルールが破られたために、マダムが単にパニックに落ち行っていただけで特に悪気はなかったということが後で分かりました。

 落ち着いて見回してみますとここは大変な邸宅で、庭にはプールまであり、敷地は何処まで広がっているのか分からないような広さでございました。
また一緒に泊まったフランセは6名で、ジットとは異なりとても上品な感じの人たちでパリから巡礼道を1週間ずつ何回か分けてたどる旅をしているとのことでした。

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 グループの内訳は男性2名女性4名でしたが、男性の話ですと「今まで勤めていた保険会社が55歳以上の人員のリストラをしたので、自分達もリストラされたのだ」といっていましたが、別段リストラを悩んでいる様子はなく、かえって自由な時間が取れたことを喜んでいる風情でした。

 食事はここの主人が作っているぶどう酒が振舞われ、またフォアグラガチョウの肝臓を脂肪で膨らませたもの)や肉が振舞われ、その間主人を交えた会話を楽しむのがルールのようでした。

 フランセの男性はきれいなエゲレス語を話し、会話をとぎれさせないコツを心得た、とても紳士的な人たちでした。
最もムッシュ タムエゲレス語をほとんど解さないため、後で「どうもシャンブルみたいな宿は、窮屈で二度と泊まりたくない」と申しておりました。

 これがサンチャゴ巡礼フランス道の15日目の報告でございます。

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(28.5.2)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その14」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.7.31) ロドリゴ巡礼日誌 その14

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キリスト暦2009年7月2日

 ジャポンを発ってからはや2週間が経とうとしていました。巡礼の道にもなれ、またジットと称する巡礼宿の泊まり方も分かり、またどの程度の町や村であれば食料品店があるかも分かってきておりました。

 毎日朝6時半頃に出発し、毎日30kmから25km歩くことを日課にして、ただただ歩き続けていたのでございます。
前日のD2号線にこり、今日は巡礼道を歩くつもりでしたが、たちまちのうちに道が分からなくなり、やむなくセレ川に沿ったD41号線という国道を歩くことにしたのでございます。
しかし幸いなことにこのD41号線は交通量が非常に少なくD2号線とはまったく違って、とても歩きやすい道路でございました。

 特に周りの景色が素晴らしく、セレ川が削り取った断崖が100m程度の高さで延々と両岸に聳え立っていたのでございます。
ここは上高地といってもいいけど、周りが断崖絶壁だからちょっとしたグランドキャニオンだな」互いにうなずきあったものでした。

 家は昔ながらの農家と、都市住民の別荘地が点在し、セレ川に沿ってキャンプ場やカヌーの訓練所があり、一大避暑地の趣がありました。そうした意味では、上高地とグランドキャニオンと軽井沢をたして3で割ったような場所だったのでございます。

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  こうしてこの平坦な道を気持ちよく歩いていたのですが、他に問題が起こらなくなると再びムッシュ タムと食事のことで、ささいな精神的葛藤が始まってしまいました。

 この日はフランス国に来て初めて雨が降り、それもところによったら豪雨というような降り方でしたが、昼食時間になったので食事をしようと提案した時でございます。

私はパンしかない」とムッシュ タムが言い出しました。
パンがあれば十分ではないですか
いや、パンしかない

 ムッシュ タムが言いたいことはこうでした。
りんご、バナナ、野菜、それにコーヒーがなく、パンだけでは食事とはいえない

 ムッシュ タムは普段は申し分ない紳士ですが、食糧が不足してくると精神的に不安定になるようで、この状況にひどい焦燥感に駆られているようでした。

 幸いにしばらく行くと小さな村がありここに食料品店があったので果物やハムを仕入れることができたのでございます。
ムッシュ タムはとても満足したようでしたが、たまたま雨が本降りになったこともあり、雨宿りをかねて廃屋の農家の納屋で食事をしようと私が提案した時でございます。

 ムッシュ タム「フランス国まで来て、農家の廃屋の軒先でパンなどかじるのはいやだ」と申すのでございます。
十分な食糧が入手できたのだから(これは非常用として)、こんどは落ち着いてレストランで食事をしたいと言うのでざいました。

 私のようにパンとバターと水さえあれば十分な者から見れば、わざわざレストランで食事をする理由は理解できないのですが、ムッシュ タムにとっては食事は文化ですので廃屋などとんでもないということのようでした。
仕方なくここから約5km先にあるホテルで食事をすることにいたしました。

 それから1時間余り雨のD41号線を私は時速4kmで口もきかずに歩き、ムッシュ タムは時速3kmでこれもかってに歩いていたのでございます。
まったく、何処で何食べても、食事なんかどうでもいいじゃないか・・・・・・」

 しかしようやくたどり着いたホテルも食事時間が決まっており、我らが着いた時間には食事は終わっておりました。
やむなくムッシュ タムは買い込んだ非常食をこのホテルの前で食べることになったのですが、非常食がまたなくなるとアフリカの難民のように悩んでおりました。

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 それでもそこから1時間余りで宿泊地カブレレという小さな村に到着したのでございます。この村のインフォーメーションでジットの場所を聞き、私はいつものように洗濯とシャワーを浴びた後、この街の一軒の食料品店で夕食の食材を購入してジットで夕食を済ませたのでございます。

 一方ムッシュ タムはいつものように村を歩き回り、インフォーメーションのパンフレットをじっくり読み、食料品店でりんごやバナナやハムといった非常食を購入し、かつレストランでゆったりと食事をしてジットにもどって参りました。

 ムッシュ タムはレストランで食事ができたことから、精神的に安定感を取り戻したようで、「サラダたっぷりの食事を○○€でして来た」とひどく上機嫌になっておりました。

 こうして十分な非常食がなくなるたびに落ち込んでしまうムッシュ タムと、パンが少しでもあれば平気な私との食事に対する認識相違はどうしても埋めることができないのでございました。

  これがサンチャゴ巡礼フランス道の14日目の報告でございます。

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(28.5.1)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その13」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.7.30) ロドリゴ巡礼日誌  その13

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キリスト暦2009年7月1日

 ムッシュ タムがすっかり疲れてしまい、巡礼道の山道をやめて国道の短縮路を通ることにしたのは前回のブログに記載いたしました。
しかしこの国道を通るのも大変だったのでございます。

 フィジャックから西に伸びる国道はD2といいますが、これはジャポンの表現では国道2号線にあたります。幹線道路で交通量が多く、しかも片側一車線で歩道はなく、50cm~1mの草地が歩道の代わりになっておりました。
こうした幹線道路は歩行者が歩いていることはめったになく、運転手はそのつもりで思いっきりスピードを出して運転していたのでございます。

 我ら2人は前から自動車が来るたびに草地(少し路面より高くなっておりました)に飛び上がり、自動車が通り過ぎると再び道路を歩くことを繰り返したのでございます。

ムッシュ タム、国道を歩くのも限界がありますよ。これでは命と引き換えのようなものです。死んではサン・ジェン・ピエル・ポーにつけません
うぅーん、こんなにひどいとは思わなかった

 この国道歩きはちょうどジャポンの例では首都高速の壁の縁を歩いているような状態でしたので、余りのすさまじさに耐えかねたのでした。
その後は国道を歩くとしても、交通量が非常に少ない場合だけにして、再び巡礼の道に戻ったのでございます。

 そして山の道を上り下りしたのですが、天気は快晴で太陽が照り返していたため、ムッシュ タムはへとへとにくたびれてしまいました。
ようやく山を下り、20km余り歩いてセレ川ロット川の支流で、周りは侵食されて絶壁になっておりました)に出た小さな村のところで、ムッシュ タムはダウンしてしまいました。
ロドリゴ、今日はここに泊まろう

 そこにはセレ川の縁に面して要塞修道院を兼ねたような建物が立っており、その一角がジット(巡礼宿になっていたのでございます。

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 マダムがこのジットを管理しており、「ここには食料品店はなく、また食事はジットで出せないが隣の家で食事をさせてくれる」と教えてくれました。
隣の家といってもこの要塞の一部で、どうやらレストランのようでしたが、ジャポンの感覚では住宅地によくある自宅の一部を開放して、趣味で食事を作る家によく似ておりました。

 見ると小さな看板があり、食事は6時からと書いてありましたのでその時間に出かけてみると、若いマダムが一人暇そうにベンチに腰掛けておりました。
テーブルや椅子には鳥の糞がこびりついており、どうみてもここ数週間、この場所で食事をした人がいるとは思われませんでした。

 若干怯んだのですが、ここしか食事ができる場所がないので注文すると「出来上がるのは7時半ごろになるので、その時間に来るように」言われました。
ほぼ1時間半ほど、この要塞か修道院か判別がつかない場所の散歩をしてからいってみたのですが、食事の用意をなかなかしてくれないのです。

マダム、私たちは食事をしたいのですがまだでしょうか」恐る恐るエゲレス語で聞いたものでございます。
ムッシュ、もう少しです」何か要領をえないのですが、用意はしているようでした。

 こうして何回か「食事をしてほしい」と懇願してようやく食事が出てきたのは8時で、食べ終わったのは9時でした。注文してから食事が終わるまでなんと3時間もかかったのでございます。
何か、時計が止まっているんじゃないか」さすがにムッシュ タムも驚いているようでした。

 救いは食事がまずまずだったのと、このマダムがとても若く、魅力的な目をしていたことでございます。我ら二人は神に仕える身ではございますが、「洗濯する女のふくらはぎの白さを見て、神通力を失った久米の仙人」と同じように、美しいマダムの所業はすべて許すことにしていたのでございます。

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 それにしてもこのセレ川流域は不思議な場所でございました。かつては貧しい農家と修道院だけがあった地帯に思えましたが、現在は裕福なパリの市民がリゾート地として農家を購入し、別荘に作りかえて住んでいるようでした。
ジャポンのイメージでは場所は上高地、雰囲気は軽井沢というような所でございました。
フランスにもこんな場所があるんだ」互いにつぶやいたものでございます。

 これがサンチャゴ巡礼フランス道の13日目の報告でございます

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