ボランティア 教育指導 数学・理科・英語

(3.2.10) 塾の生徒1名募集中

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 すっかりブログを書くことが少なくなってしまった。まじめにブログを記載し始めると毎日欠かさず書かなくてはならない強迫観念にさらされて、その結果目をひどく痛めてしまうため、基本は書かないことにしているが生徒募集については書かないわけにいかないので再度掲載する。
私は現在4名の生徒をマンツーマン方式で教えているが、うち2名は今年大学生になり、また一名は高校生になっていづれもが塾を卒業する。
現在は高校二年になる生徒で日本における最高学府の一つを狙っている生徒と、新たに1名高校一年生を教えることになっているが、もう一名中学3年程度の生徒を教えたいと思っている。

 高校生は教えるのに大変エネルギーがいるので、相対的にエネルギーを必要としない中学3年生あたりが適当で、高校受験の指導をしたいと思っている。対象の学科はすべてで、時間は可能な限り時間をとって行いたいのだが、最難関の高校受験指導でも、そうでなくても構わない。
目標を設定してそこにたどり着けるような指導をするので、ほとんどの生徒は学力が大幅にアップする。
個別指導でその人にあった指導をするので、本人がまじめでありさえすれば学力アップは保証する。

 なお私が生徒の指導をするのは、老人の責務として社会に対する最後のご奉公をしているので、基本はボランティアで当初は無料で行っていた。しかし資材の購入等当方にも相応に費用がかかり年金生活者としては耐えられないため、現在は月1万円のカンパをお願いしている。
時間は基本無制限で1万円で、かつマンツーマン方式で学力も上がるのだから通常の学習塾に比べればリーズナブルのはずだ。

 私はこのブログで何回も言ってきたが、かつて学校で成績優秀だった老人はそのおかげで社会で相応の地位と収入を得てきたはずだ。今は老人になってそのお返しを社会に対いしてすべきで単に自分だけの趣味にひたっていては日本社会が成り立たない。
日本はますます貧乏になりつつあり、こうした中で日本が再生するのは教育だけであり、子供の学力が世界レベルで上位にあればいかようにもいきていける。その手伝いをボランティア精神でするのが、かつては勉強ができた老人の責務だ。

募集要項は下記に記載する。

 具体的な募集要項は以下の通り

1.対象 中学生か高校生、できれば中学3年の受験生。
2.教科 中学生は全科目、高校生は英語表現と数Ⅲは対象としない。
3.時間 現在はコロナ対応で夕方6時から8時まで、コロナ対応が終われば9時半までに延長する。曜日は相談に応じる。
4.募集人員 1名
5.費用 月1万円のカンパをお願いする。なお当初の1か月間は無料。
6.重要な条件 女性の場合は送り迎えは必須。そのため私の住んでいるおゆみ野近辺以外は実質的に不可。

応募希望者はこのブログのコメント欄かメール機能を使用して連絡してください。面接の上指導可能と判断すれば塾生とします。


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(3.1.18) 塾生募集 2名(個人指導を実施します)

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 昨年の12月4日以降ブログの掲載を休止していたが、どうしても書かなければならないことがあって久しぶりに記載をした。
休止の原因の眼精疲労はすっかり良くなったが、また無理をして記載を始めると目が極端に痛むようになるので少しづつの掲載にしたいと思っている。
今回ブログを再開した理由は新しい生徒の募集が必要になってきたからだ。私は現在高校生3名、中学生1名の勉強の指導を行っているが、うち高校生二名が卒業し大学生になり、また中学生は高校が内定しているので、3名がわが塾から卒業することになる。

 残った1名は本年度高校2年になる生徒だが、日本でも有数の大学を狙っており、すこぶる知性の豊かな生徒なのでこちらもそれなりの準備をして対応しなければならない。とても疲れるがいい経験だと思っている。
私の塾はほぼマンツーマンでいわゆる少人数の個人指導をしているので最大でも4名以下、できれば3名を理想としているので新たに2名程度の生徒の指導を引き受けたいと思っている。

 中学生でも高校生でも構わないが希望としては中学3年の受験生がいい。他の著名塾に通っていて伸びない子供がいたら、個人指導でばっちり教育するので瞬く間に優等生になることは、今までの経験から受けあいだ。ただし本人が勉強熱心なのが条件で、全く勉強に関心がなかったり向上心が欠如している場合はだれが指導しても全く効果はない。
科目は中学生までは全教科、高校生も全教科教えることができるが、いまだに高校で行っている英語表現(グラマー)は教えないことにしている。グラマー中心の英語教育にはほとほと愛想をつかしているのでこんな勉強をするぐらいなら何もしないほうがましだ。

 勉強時間は任意に選んでいいが、必要がある場合は毎日でも実施する。私は引退の身で時間が自由だから時間の制約は少ない。もともとは日本人の教育レベル向上に努力するのが老人の務めと思って実施しているので、当初は無料で行っていたが今は教育資材等の手当等それなりの費用がかかるので、毎月1万円のカンパをお願いしている。
簡単に言えば1万円で無制限にどのような教科も教えるのが私の塾の方針だ。老人の最後の勤めは若者の勉強の手助けをすることで、かつて学校でそれなりの成績だった老人は若者のために一肌脱がなくてはいけない。

 具体的な募集要項は以下の通り

1.対象 中学生か高校生、できれば中学3年の受験生。
2.教科 中学生は全科目、高校生は英語表現と数Ⅲは対象としない。
3.時間 現在はコロナ対応で夕方6時から8時まで、コロナ対応が終われば9時半までに延長する。曜日は相談に応じる。
4.募集人員 2名
5.費用 月1万円のカンパをお願いする。なお当初の1か月間は無料。
6.重要な条件 女性の場合は送り迎えは必須。そのため私の住んでいるおゆみ野近辺以外は実質的に不可。

応募希望者はこのブログのコメント欄かメール機能を使用して連絡してください。面接の上指導可能と判断すれば塾生とします。

 

 

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(2.11.24) 人生の最後をいかに生きたらよいか?

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 私は60歳で定年退職し、その後は趣味とボランティアの人生を送ってきたが、60歳で仕事を止めてつくづくよかったと思っている。私が勤務していた銀行では65歳まで働けたのだが、給与が極端に低くなるため働こうとする意欲をそがれた。最もそれが企業としての戦略でいつまでもロートルに居座ってもらっては困るので、意図的に給与を下げて追い出しを図っていたという側面がある。
だが人生何が幸いするかわからない。もし65歳まで働いたり、さらに定年延長が図られて70歳まで働いたりすると人生が暗黒のまま過ごしたことになる。

 会社人生ほどつまらないものはなかった。私は人に仕えるのが下手なタイプで、サラリーマンの期間中常に異邦人の感覚に襲われたものだ。何とかサラリーマンを止められないものかとシナリオライターの教育機関でシナリオ作成の訓練をしたり、国連の臨時職員に応募しようとしたりしたが、結局は銀行に60歳まで務めることになってしまった。

 だが定年後の10年感は実に楽しかった。私の趣味は長い間マラソンだったが、65歳ごろまで100kmや250kmのマラソンを実に楽しんだ。最もあまりに走り過ぎたため左足の膝に負担がかかり、走ると極端に痛むためその後は自転車に切り替えた。自転車の足への負担はマラソンの3分の1程度なので膝の痛みが出なかったからだ。
この自転車で北海道や四国を一周したりして旅を楽しんだが、今でも一日3時間程度のライディングをしている。

 だが趣味だけではいくら何でも年金をもらっている身で申し訳が立たないため、この街の清掃作業や公園のベンチの補修や道路の植栽の剪定や草刈りを毎日のように実施したが、70歳を過ぎたころころからこうしたボランティアも肉体的に苦痛になってきた。
私は全く知らなかったが人間の肉体の限界は70歳ぐらいのところにあり、それ以降は生きていくのがやっとという状態になる。
結局楽しく趣味とボランティアで明け暮れたのは70歳までの10年間で、その後は白内障を患ったり脊椎間狭窄症で歩けなくなったり、聴力が極端に落ちて補聴器なしには会話もできなくなってしまった。

 自動車でいえば耐用年数が過ぎてしまったようなもので、かろうじて動くが快調からはほど遠い肉体になってしまい、もはや趣味もボランティアも体力あっての物種だということを身につまされている。だから間違って70歳までサラリーマンを続けていたら楽しい定年後の10年間を過ごせなかったことになる。人生は一度だけのものでそれが苦悩のサラリーマン生活だけだったということになれば、なんのために生きたのかわからない。紙一重の差で人生の喜びを感ずることができたのは幸いだ。

 今はボロボロになった肉体と折り合いをつけながら、かろうじてできる自転車に乗り、ボランティアは子供に勉強を教えること以外は止めている。これも初めて知ったが筋肉や骨に支障が出てきても脳に対するダメージはほとんどなく、子供に勉強を教えるには支障ない。
今は高校生3人と中学生一人に教えているが、私のできる最後のお勤めになっている。
最もこの人に勉強を人に教えるという作業は非常に楽しく、このところ化学や地学や地理といった科目に没頭しているが、毎日4~5時間は大学受験問題と格闘している。ほとんど趣味のようなもので河合塾や東進スクールの模試などやってみると、ほとんどトップクラスの成績になるのには笑ってしまう。
昔より成績がいいとはもう一度大学生になれということかい・・・

 60歳代の10年間が花だったが、今は肉体的には限界を越しており神様のお迎えが近いのではないかと思われる。自転車に乗ることと、最後の社会に対するご奉公が教育指導になってしまった。あと4~5年で引導を渡されそうだが、花の10年を送れただけでも生きてきたかいがあったというものだ。



 

 

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(2.10.31) 共通試験のレベルが高くなり、毎日化学計算が頭を去来する。

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 やれやれ今日も一日終わったという感じだ。私は現在高校生3名の勉強の指導をしているのだが、時間は7時から9時半まででこれが終わらないと一日の務めは終了しない。私自身は完全隠居の身だし平日も休日も同じなのでほぼ毎日誰かしらがやってくるので、毎日塾をひらいている。
教える内容はすべて相手に合わせており、特に生徒の苦手な教科を中心に教えることが多いが、最近はいった高校一年生には化学を教えている。
高校一年生の化学は化学基礎というのだが、基礎とは言ってもなかなかタフだ。とくに酸と塩基、酸化剤と還元剤の単元になるとほとんどの生徒が頭を抱える。

 この酸と塩基、酸化剤と還元剤のハイライトは中和滴定と酸化還元滴定とかいう数的処理で、この処理を理解するのが本当に困難だ。化学を学ぶときの関門は最初にモルという物質量が出てきて多くの生徒がこのモルの理解に失敗する。化学嫌いはほとんどがモルを正確に理解できないことに原因がある。
このモルの関門を突破してその次の関門が酸と塩基で、その中和の方法と中和した時の物質量の計算をさせられるが頭がもうろうとなるような問題が多い。
そして最後は酸化剤と還元剤なのだが、ここには酸化数とか半反応式とかイオン反応式とかがでてきて、モルで挫折した生徒は全く理解不能の領域に入る。
俺はどうも理科系に向いてないな。仕方がないから文科系の経済でもやるか・・・・」というような気持ちになるのはこのころだ。

 私も大学で学んだのは経済だから挫折組の一人で大きなことは言えないのだが、生徒から「化学が理解できないので教えてください」など言われると断るわけにいかないので、特訓をしてさび付いていた知識をよみがえらせることになる。
ここ1か月余り毎日毎日頭に去来するのは中和滴定と酸化還元滴定の計算で、主として大学の共通試験レベルの問題を解きまくっている。
共通試験は従来はセンター試験と呼ばれていたが、過去はかなりやさしい内容の試験だったのが毎年毎年レベルはUPし、しかも良問ばかりになってきて、大学独自に行う試験よりレベルが高くなってきた。

 最近ではほとんどの大学が独自に行いう試験を止めるか、あるいは科目を限定するようになり共通試験の結果で採用を決めるようになってきた。理由はいくつもあるが、大学の教師が独自に入試問題を作るのが大変だからだ。まず高校で教えられている内容の理解が必須でさらに教科書にあるオーソドックスな回答を求めなくてはならず、自己の独創的な研究の成果などを問題に出すわけにいかない。しかも問題の出し方に失敗しどのような解答でも正解というような問題を作ってしまうと、世間や大学当局からひどい叱責を受ける。
あんたこれじゃ受験生が素直に答えられないじゃないか。しかも高校教育の範囲を越えているし、何やってるの」などいわれ、さらに「あのひと大学教授なんて言っているけで何も知らないんだな」などと馬鹿にされ知性を疑われてしまう。
いまやどこの大学でもこの問題作成担当は逃げ回って引き受ける人がいなくなりつつある。しかも共通試験の作成者は予備校の熟練教師のような人ばかりだから、作られた問題は人をうならせるような良問が多い。もはや大学教授の出る幕はないのだ。

 近い将来エリート校といわれる大学でも、共通試験だけで入学を決めるようになるだろうし、例えば横浜国大などは全面的に共通試験一本に絞ってしまったし、東京都立大もコロナのせいもあったが独自の試験の実施を今年は取りやめた。
そのようなわけで私の化学のトレーニングも共通試験レベルを目指せば生徒に教えられるレベルになるので、毎日毎日そのレベルを目指して化学づけだ。
74歳の老人のすることではないかもしれないが、神様のお迎えが来るまではこうした生活が続きそうだ。

 

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(2.10.5) 年をとりたくなければ、子供に勉強を教えることだ!!

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 信じられないかもしれないが私はこのところすっかり若返ってしまった。
理由は幼児と高校生を相手に日夜奮闘していることと、毎日自転車で3時間程度乗り回しているからだ。
生活そのものは74歳の完全な年金生活で決して裕福ではないが、老人になると金の使い道がほとんどないから、少ない年金でも生活に支障が出ることはほとんどなく日々平穏だ。さらにストレスが発生するような地区のボランティア活動からはすっかり足を洗ったので、人間関係の葛藤からくるストレスからも免れている。いまでは好きなスポーツをして、孫と遊んで高校生に勉強を教えているだけだから若返らないほうがおかしい。

 孫は5歳と7歳の孫がしょっちゅう遊びに来るのだが、特に5歳の孫とは馬があって、数時間ままごと遊びをしたり、昆虫採集をしている。かわった石を見つければ石遊びで、幼児はそうした石でも30分程度は楽しく遊ぶから、こちらもそれに付き合っていると時間の流れが緩やかになる。
高校生には勉強を教えているのだが、頼まれればなんでも教えてしまうことにしている。しかしどんな学科でもさび付いた知識を教えられる水準まで回復させるのにはそれなりの努力が必要だ。当初は四苦八苦するがよくしたもので最初の苦労の山を越えればあとは何とでもなることを経験的に知っているので、「ここだけは何とか頑張ろう」と自らにはっぱをかける。

 当初はもっぱら数学を教えることが多かったのだが、高校生の鬼門はそれに物理と化学でこうした科目がわからない子供が多い。高校生にとり文科系の学問(英語、国語、日本史、世界史等)は全く分からないことはなく、アバウトであれば理解できるが、理科系の学問はそのアバウトさでの理解では試験の時全く役に立たない。しかしその正確さを理解するまでが大変なのだ。

 今は高校3年生2名の受験指導をしているが、最近新たに高校一年生を教えることになった。この子は千葉県でも有数の進学校の生徒で、学校での成績も決して悪くはないのだが、化学(基礎)が他の学科に比べて成績が良くないことを気にしていた。
化学基礎なんてそんなに難しいことはないはずだが・・・」そう思いながらその学校の学内テストを見せてもらって内容を検討したが、問題の難しさには驚きを通り越してため息が出てしまった。
そうか有名な進学校の化学の問題は日本のトップ大学にいつでも入学できる水準を目指していたのか・・・・・」

 今まで程度の化学の知識ではとても指導などできないことに気が付いて、先日来毎日化学の問題を解きまくっている。
さび付いていた化学の知識が時間とともに蘇りつつあり、こうした取り組みをするたびにうれしいことに私の頭は若返る。
頑張れ、叱咤激励しながら頑張っているが、これは間違いなく有効な若返り法だ。

 

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(2.9.14) ただいま塾生一名募集中

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 ほぼ毎日同じ流れで一日が過ぎてゆく。朝6時ごろに目が覚め夜11時には寝ている。特別なことがなければこの就寝と起床のリズムを崩さないようにしている。
朝はBS1で放送している世界各国のニュースを見るが、すっかり各国のキャスターの顔を覚えてしまった。ただし見ても全く価値がないのは中国の国営放送だ。完全な中国共産党のプロパガンダで口を開く前から何を言おうとしているかわかるから馬鹿馬鹿しくなった。中国人も国営放送のニュースなど見ないのだが、その気持ちはよくわかる。

 午前中は約2時間程度勉強の時間に割いている。私は高校3年生二名に受験の指導を行っているので、腕が落ちないように大学受験の模試やセンター試験の問題を解いている。来年から入試方法がガラッと変わり、記憶中心の知っているかの知識から、理解と判断と推量等を駆使した問題に代わる。従来の試験は記憶力のいい人がトップになれたが、今後は判断力等の頭の使い方が上手な人がトップになれる問題に変わることになった。
すでに予備校ではそうした試験(共通試験と名称が変わる)に対応した模試が盛んにおこなわれており、私はそれを解いているのだが、すこぶる面白い。

 従来の形式で知っているかと問われると、私のような記憶力がほぼゼロに近い人間には苦難以外の何物でもないが、資料が例示されてこの資料をどのように解釈するかと問われるような問題は記憶力の衰えた年寄り向きだ。楽しくなってあらゆる科目の試験問題をとりよせ解いているのだが、最近感心したのは数学だ。
従来は数的処理をしてもそれが何のために役立つのかさっぱりわからず、閉じた高校数学の社会に埋没していたが、数学とその実践、簡単に言えば役に立ち方を問われるような問題が多くなった。
なるほどね、三角関数はこうして利用されているのか・・・・」解きながら感心する。

 午後は3時間程度自転車で千葉の郊外を走り回っている。人の多いところは危険なのでもっぱら千葉の中央に位置する過疎地帯を走っているのだが、おかげでほとんどの道を覚えてしまった。たまに知らない道に入り込んでもしばらくすると知悉した道路に出るので、自分の庭を走っているようなものだ。最近とみに気が付くのはキジが増えたことで親子数羽などという集団に出くわすこともしばしばだ。耕作放棄された農地が増えるにしたがってキジや青大将に出くわす機会が増えている。

 夕方7時から9時半まで高校生がやってきるので勉強を教えている。当初は数学だけだったが、そのうちすべてを教えるようになって最近は国語や英語も教えている。英語は共通試験になって読解とヒアリングに代わるのだが、やさしい構文の英文を大量に読ませる方式に変わった。
昔は小難しくネイティブでも何が書いてあるかわからないような文章が試験問題に出されていたが、今はやさしく大量にだ。
日本史も世界史も地理も知っているかでなく理解できるかに代わるので、問題を解いていても大変楽しい。

 そして合間を縫ってこのブログを記載しているのだが、これはもっぱら頭の体操で書くことは認知症対策に最も効果のある方法だ。本を読んだり、試験問題を解くのは受け身だが、書くことは積極的な行為で、書き終わったころには頭がぐらぐらするくらいつかれている。
そのくらいが丁度いいのだろう。

 なお、現在生徒一人を募集しています。条件は以下の通りです。

高校の数学や物理や化学に根を上げている人が最も好ましい生徒となる。分からなければ丁寧に教えるので学校の授業は全く苦にならなくなるレベルを目指し、受験数学まで指導する。ただし
、数学の数Ⅲについては最近は勉強していないので受験対応はできない。また高校英語の文法は教えられない。生徒の基本的条件として真面目な生徒が好ましい。

 なお1か月間は互いの相性を確認する時間とし、費用は無料とする。指導が効果があると確信できることを互いに確認できた段階で正式に生徒とする。

1.日数(毎日教えているので連日でも構わないが、本人の希望に沿う)
2.時間 7時から9時半まで(開始時間は相談に応ずる)
3.送り迎え 女子の場合は必須、男子は自由(この条件だとおゆみ野界隈でないと実質的に無理)
4.特に教えてほしい学科(本人と相談して決める。短期トレーニングも可)
5.費用 当初は無料で教えていたが、教材費等がかかったりして持ち出しになるので、現在は月1万円を実費として徴求している。
6.1か月程度のおためし期間を設ける(互いの相性があるので取りやめも可、その間は使用は無料)

 希望者はこのブログのコメント欄かメールアドレスを使用して連絡してください。
メールアドレス yamazakijirou1@gmail.com



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(2.8.27) この年になって趣味が一つ増えた!! 共通試験問題は年寄りの娯楽

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 長らく人生を生きてきて最近楽しみにしている趣味ができた。大学受験問題を楽しく解くのが日課になっている。試験問題が記憶中心から判断力中心に変わり、私のような老人でもすらすらと解けるようになったのだ。

 私が高校生2名の受験指導をしていることはこのブログで何回も述べてきたが、文部科学省がセンター試験を共通試験に変更することに伴い試験内容の大幅な変更に乗り出した。
従来のセンター試験は記憶中心の記憶力テストの側面が強かったが、共通試験からは理解力や分析力や推論能力を試す試験に変わり、コンピュータでいうところのメモリー機能からCPU機能への転換が図られることになった。

 私は頼まれればなんでも教えてしまうのだが、正直言って日本史のような記憶中心の科目はとても苦手としていた。人名や地名や起こった年のようなそれ自体記憶以外にはなんの能力も必要としないが、反対に記憶してないとどうにもならない問題ばかりで、記憶力がとうにどこかに飛んで行ってしまった老人には苦行難行の連続だった。

 ところがセンター試験から共通試験に代わって、そうした記憶力中心問題が影を潜め、実際の古文書や幕府や朝廷の命令文等がそのまま記載され、この内容の意味を問うような問題ばかりになってきた。
おかげで私のように細部は忘れたが歴史の流れをつかんでいる人間には非常にとっつきやすく、どの問題でも楽々と大学を突破できる点数になってしまった。

 これは日本史だけでなくすべてに共通する傾向で、英語などはリーディングとヒアリングのテストが行われるのだが、過去のセンター試験で幅を利かせていた文法、語句整除、発音、アクセントといった、高校の授業で「英語表現」といわれていた重箱の隅を突っつくような問題が一切なくなり、かなり長文だが相対的にやさしい実用文を大量に読ませる問題に変わった。
私は何しろ細部にこだわられると全く対処に困窮するのだが、こうした実用文を次々に読んでその内容の是非を問われるような問題には強い。
いやいや、これは楽しいではないか・・・・・・

 国語も大幅に変わり、古文や漢文も現代人に解釈が困難な個所は注意書きがされて、後は推論能力が試されるのだが、推論は得意中の得意だから古文も漢文もわけなく解ける。また小説はとても面白く読んでしまうし申し分ないのだが、現代文だけは残念ながら改革が進んでいない
共通試験で出される現在文のほとんどが1980年代以前の文章だが、その時代の文章は訳もなく難しい表現で体裁を繕っている文章ばかりで、「もっと易しく言えばいいのに」と思われる文章ばかりだ。
日本の現代文は1990年代のインターネット時代以後とそれ以前に大きく分けられ、そこにひどい断絶がある。
インターネット時代の文章は概して表現が易しくだれでもわかりやすいのだが、それはインターネット上の文章は自由競争にさらされるからだ。
やさしくわかりやすくないともはや誰も読まない。このブログが典型的で、難しく厳格に書くのではなくやさしくアバウトになっているのはそのためだ。

 今は大学共通試験の試行テストや河合塾の模擬を取り寄せ次から次に解いているのだが、思わず時間を忘れてしまう。CPUを使って問題を解くのは実に楽しい。ここしばらくこの趣味にしたっていられそうだ。

 なお、現在生徒一人を募集しています。条件は以下の通りです。

中学生でも高校生でも可。また科目は基本何でも応ずるが、数学の数Ⅲについては最近は勉強していないので受験対応はできない。また高校英語の文法は教えられない。生徒の基本的条件として真面目な生徒が好ましく、熱心に勉強すればだれでも学力はアップする。


1.日数(毎日教えているので連日でも構わないが、本人の希望に沿う)
2.時間 7時から9時半まで(開始時間は相談に応ずる)
3.送り迎え 女子の場合は必須、男子は自由(この条件だとおゆみ野界隈でないと実質的に無理)
4.特に教えてほしい学科(本人と相談して決める。短期トレーニングも可)
5.費用 当初は無料で教えていたが、教材費等がかかったりして持ち出しになるので、現在は月1万円を実費として徴求している。
6.1か月程度のおためし期間を設けることも可(互いの相性があるので取りやめも可、その間は使用は無料)

 希望者はこのブログのコメント欄かメールアドレスを使用して連絡してください。
メールアドレス yamazakijirou1@gmail.com




 



 

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(2.8.16)  大学入学共通試験がようやく時代にマッチしてきた。

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 私は74歳でいい加減年寄りなのだが、高校生二人に受験指導をしている。当初は数学だけだったが、私は生徒から「国語がどうしても」などと言われるとほっておけない性分だから、「じゃ、国語のトレーニングをするか」ということになり、今では生徒の受験科目すべての指導をしている。
私は年寄りであることもあるが、記憶力が極端に悪い。かつてと言っても私が学生時代だったころは記憶力万能時代で、博覧強記こそ理想の学生の姿で、長い間大学入試試験も記憶力のコンテストのようなところがあった。

 しかし世の中は変わってきた。ほとんどの人がスマートフォンを持ち歩く時代になると、何かわからないことがあれば記憶力を呼び起こしてうんうんうなるよりも、検索したほうが早い。

単なる記憶、例えば歌手の名前や俳優の名前、地名や演歌や和歌の歌詞などはたちどころにわかるので記憶をしている必要がなくなった。
記憶は今ではGoogleに聞けばわかる時代に入っている。

 ところが最近まで大学入試試験は相も変わらず記憶中心で特に日本史などは、いくら細部を記憶しているかで勝負が決まり、例えば鎌倉幕府の北条氏が実権を握る過程で「北条義時が和田義盛を滅ぼした」合戦名や「北条時頼が三浦一族を滅亡に追い込んだ」合戦名を記憶していないとだめといった問題ばかりだった。
これではとても記憶力がないに等しい私の手に負えない・・・・」と思っていたが、次年度の共通試験からはこうした記憶力のテストではなく、資料が提示されその内容の判断を求めるような問題ばかりになった。
簡単に言えば資料を見て歴史の流れを理解しているかどうかを問う内容になったのである。

 もう一つの例をあげれば英語のリーディングが様変わりになった。かつて英語のテストといえば、難解極まる文法問題が幅を利かせておりネイティブにとってさえ、回答が困難な問題ばかりだった。
しかし文法を知らなければ英語がわからないかといえばそんなことは全くなく、日本語で考えてみても日本語文法を知らなければ日本語を話せないなどということはありえないことでもわかる。
なぜこうしたばかげた文法関連の問題ばかりだったかといえば、英語教師がそれ以外に実力を生徒に見せつける機会がないからだ。
例えば英会話などは親がネイティブであればたちどころに英語を覚えてしまう。私の孫の母親はオーストラリア人だが、子供は日本語と英語を自由に操っており、授業で英会話の時間になれば英語教師の出る幕がない。

 難解な文法を教えているときが唯一英語教師の安息日になるのだが、この英語教師保護策は日本の英語教育の癌だった。さすがに文部科学省もこの教員保護だけでは世界の趨勢に遅れると認識し、当初は読み、書き、話し、聞く能力のテストに方向転換することにしていたが、採点方法の難しさから、来年度は読みと聞きとり能力のテストだけになっている。
私が驚いたのはこの読みのテストからは従来幅を利かせていた文法や並び替えやアクセントや前置詞を問う問題が全く姿を消し、もっぱら長文を次々に読んでその内容を問うというテストに変わったことだ。

 私が最も苦手とした文法関連問題がなくなったのである。文章を読む場合、内容の主題が何かがわかり、さらに単語の約8割程度が理解できれば後の2割は推定で内容の把握ができる。
いやいや、これならば私でもわかります!!」といったレベルになり、河合塾の共通テストの模擬を解いてみると90点程度の点数が取れるようになった。
今は難解でない文章を大量に素早く読むことが「読み」では問われるが、これは年寄り向きだ。
英語のテスト問題を暇に任せて説いているがなかなか面白い。老後の趣味と言っていい。

 もう一つ国語の問題についても興味深い変更が表れている。漢文や古文につては注釈なしにそれを読み取ることは普通の高校生にとって不可能であり、例えば源氏物語をそのままで読める人は古文オタク以外にはありえない。しかも古文は源氏物語とその亜流(擬古文という)が幅を利かせていて、とても現代人に手に負えるような代物でない。そのため詳細な注釈が施されており、その注釈から本文の内容を懸命に類推することになる。
漢文と古文はその類推能力が必要になり、記憶を問われることは少ない。
中国人の漢文は現代人的なセンスで解けるが、平安文学は現在人のセンスとかけ離れており、当時の風習、習慣をある程度理解していないと解けない。
例えば宮(天皇の子供)は雅やかな公達で、どこに行っても美しい姫君を見るとちょっかいを出して和歌を届けるのだが、現代的センスではセクハラでそれにすぐに応じる姫君もどうかと思うが、それが常識だとわかっていれば物語の類推が可能になる。

 国語の共通試験は評論文、小説、古文、漢文からなるのだが、意外と小説がおもしろい。長さは芥川龍之介の短編ぐらいの長さがあって、しかも私が全く知らない小説家の作品が多いので、「へえ、こんな小説があったのか・・・・」などと感心してしまう。
設問は概してオーソドックスでかなり楽しく解くことができる。

 日本史等の社会関連の問題は記憶力一辺倒を改める方針に変わり、英語の問題からは文法関連問題が消えて大量の英文を読みこなす能力に代わり、国語は特に漢文と古文は類推能力が問われる内容になっている。

やれやれ、これなら記憶力一辺倒のテストでなくなり、類推力や理解力が試されるのだから共通テストもようやくナウな問題形式になってきた」感心している。


 時代が変わったのだ。記憶すべきことは最低限にして判断力や理解力や類推力が今の時代には必要だ。コンピュータでいえばメモリーの時代からCPUの時代に共通試験が脱皮し始めた。


 

 

 

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(2.7.9) 今日も子供とともに学んでいる。

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 私は今家で高校生2名の受験の指導をしている。教える科目は基本何でも教えてしまうのだが、今は国語の指導が中心になっている。指導といっても過去の試験問題(センター試験問題)を中心に解いてもらっているのだが、国語の問題は本年度から共通試験と名称がかわり、試験内容も当初は記載式問題が出されることになっていた。
それがあれやこれやの紆余曲折があって、結局はいままで通りのマークシート方式になり、出される問題も論文、小説、古文、漢文と従来とさほど変わらない構成になっている。

 私が指導している一人は国語が飛び切りよくできる。私は指導する立場だから事前に過去問を解いておくのだが、私がうんうんうなってその結果間違えたような設問をらくらくとこなしてしまうのだから驚きだ。
この子の頭の構造はどうなっているのだろうか」まじまじと見てしまう。
しばらく前までは「自分は指導者なのだから生徒よりできなければならない」などと肩ひじを張っていたが、よく考えてみればコーチが現役選手よりよくできたところで何の意味もない。それなら自分が受験すればいいので、コーチの役割は生徒が目標の大学を突破できるほどの実力をつけさせることで、自分がいくら国語の点数が高くても意味はない。

 そう思うようになってから、国語の過去問を解くのも何か楽しい一種の芸事のようになってきた。
特に小説の問題を読むのは楽しい。自分が従来知らなかった作者の作品を読むことが多いが、問題文はかなり長く芥川龍之介の短編程度の長さはある。小説は基本登場人物の心を読めばよいのだからそれほど難しくないが、問題の作成者はわざと生徒が間違うような設問を用意しトリックに引っかかるように回答の選択をさせる。
95%は正しく後の5%にそっと小説の内容には書かれていないことを忍ばせるのだが、それに多くの生徒が引っかかる。
やれやれ、こんなひどい回答を選択させるなどかわいそうに・・・・・・
自分は楽しんで読んでいるだけだから、その楽しい小説をナイフで切り刻むような回答を求めることがあるのには閉口する。

 しかし論文や小説は所詮現代文だからそれなりに理解できるのだが、古文の擬古文には閉口する。擬古文とは平安時代に書かれた物語ではなくて、鎌倉時代以降に平安朝の古文の形式で書かれた疑似源氏物語である。

すじがきは常に決まっていて源氏物語の光源氏や桐壺の更衣とほとんどそっくりの人物が登場し、二人の間に生まれた子供が天皇の子供(天皇は自分の子供と思っている)として育てられ、そのことに二人は惑い苦しむような内容で、どれもこれもいたって陳腐だ。


 先日読んだのは室町時代に書かれた「夢の通い路物語」という擬古文でいつもの不義密通物語だから、読んでいるほうが嫌になる。
鎌倉時代以降は平家物語といった軍記ものや方丈記といった一種のレポルタージュがあって、当時の口語で書かれているのでいたってわかりやすいのだが、擬古文はわかりずらいことこの上ない。
それでもこうした源氏物語の亜種が成立していたのだから、こうしたものを読む一定の読者はいたということだろう。

 古文を読んでいていつも思うのは鎌倉時代以降とそれ以前の平安時代には文化的にほとんど異質と言っていい断層があるのだが、平安時代の貴族の心情を理解するのは外国人を理解するのと同じくらい難しい。一方鎌倉以降は武士の時代になり何事も実事求是の精神が旺盛になるので現代人に急速に近づいてきた感じがする。
全く、平安文学というのは好きになれんな!!」ぶつぶつ。

 しかしこうして古文や小説が読めるのも生徒を指導しているからで、教えることは学ぶことだといわれていることが実感としてよくわかる。


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(2.6.30) ボランティア教師奮闘記  倫理とは何か

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  私は若干軽率なところがあって、頼まれれば嫌といえない性質が自分を追い込んでしまうところがある。
現在2名の高校三年生に勉強の指導をしているが、うち一名が国公立大学を受験するため、社会科系の学科を共通試験で二科目受験しなければならない。
先生、私は日本史と倫理・政治・経済で受験することにしましたが、倫理については何も勉強してません。教えてくれますか」と頼まれた。

 私が倫理の勉強をしたのは今から60年ほど前だから、当然何の記憶も残っていない。しかし今は予備校の講師が作成する恐ろしくわかりやすい参考書が出回っているので、それを読めば遠い昔を思い出すだろうと思った。
いいよ、教えましょう」いつもの安請け合いをしてしまった。
しかしそれからが大変で参考書を購入してほぼ1か月間の集中トレを行って、何とか教えられるレベルまで到達した時は心底ほっとした。

 倫理の勉強をしながら昔の高校生時代を思い出してしまった。
先生、倫理と哲学は異なっているのでしょうか、それとも同じでしょうか」倫理の授業の最初に私が質問した問である。
その時、教師が何と答えたか記憶にないが、さぞや回答に困ったことだろう。いまだに倫理と哲学の相違について私にはわからず、とりあえず同じものだろうと割り切っている。

 私が倫理という科目を学んで一番驚いたのは思想にはマルキシズムだけでなく、その他に実存主義やプラグマティズムといった思想があるということだった。当時は左翼全盛時代で教師の多くが左翼の支持者であり、左翼でない者は人でないというような雰囲気があり、思想もマルキシズム一色だったから実存主義なる言葉には衝撃的だった。
しかしこの実存主義とは一体何なんだキルケゴールニーチェが言う実存は何度聞いても本を読んでも理解できなかった。
キルケゴールが一人の人間(実存)として神と一対一に対応するといわれても、ニーチェが「神が死んだ」といったといわれてもさっぱりだった。

 私は当時は全く知らなかったが、思想も歴史の一側面であり歴史の流れを無視して純粋に哲学だけを取り出して理解しようとしても理解不能になってしまう。
19世紀のドイツで、当時最も隆盛だったマルキシズムが人間を労働者と資本家に二分していた。しかしその中間に位置するインテリ(大学教授等)については、単にプチブルと言って切り捨てたのに対し、インテリの反撃がこの実存主義だということに気付いたのはそれからかなり時間が経過してからだ。

我々はあの汚らしく粗野な労働者ではない。何よりも自己という大切なものを持っている我々は、神と一対一で対応するか、神を捨てて超人として生きるのだ
19世紀末のドイツインテリの矜持が実存主義だと気づくまでにはずいぶん時間がかかっている。
簡単に言えばマルキシズムに対抗してインテリを救おうとした思想が実存主義といわれたものだ。
しかし1990年代にソビエトロシアが崩壊し、思想としてマルキシズムも崩壊すると、その影として生きていた実存主義も崩壊し、現在ではどちらも歴史の舞台から退場している。

高校生の時思想を歴史のながれの枠内の一部だと教えてくれたら、あんなに苦労もなかったのに・・・」少し残念に思ったが、今私の生徒には西洋哲学史も東洋哲学史も歴史の一部分であり、歴史を越えた思想などないと教えている。
思想は歴史を超越するものと思っていた青春時代が今は懐かしいくらいだ。

 

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