ボランティア 教育指導 数学・理科・英語

(2.10.31) 共通試験のレベルが高くなり、毎日化学計算が頭を去来する。

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 やれやれ今日も一日終わったという感じだ。私は現在高校生3名の勉強の指導をしているのだが、時間は7時から9時半まででこれが終わらないと一日の務めは終了しない。私自身は完全隠居の身だし平日も休日も同じなのでほぼ毎日誰かしらがやってくるので、毎日塾をひらいている。
教える内容はすべて相手に合わせており、特に生徒の苦手な教科を中心に教えることが多いが、最近はいった高校一年生には化学を教えている。
高校一年生の化学は化学基礎というのだが、基礎とは言ってもなかなかタフだ。とくに酸と塩基、酸化剤と還元剤の単元になるとほとんどの生徒が頭を抱える。

 この酸と塩基、酸化剤と還元剤のハイライトは中和滴定と酸化還元滴定とかいう数的処理で、この処理を理解するのが本当に困難だ。化学を学ぶときの関門は最初にモルという物質量が出てきて多くの生徒がこのモルの理解に失敗する。化学嫌いはほとんどがモルを正確に理解できないことに原因がある。
このモルの関門を突破してその次の関門が酸と塩基で、その中和の方法と中和した時の物質量の計算をさせられるが頭がもうろうとなるような問題が多い。
そして最後は酸化剤と還元剤なのだが、ここには酸化数とか半反応式とかイオン反応式とかがでてきて、モルで挫折した生徒は全く理解不能の領域に入る。
俺はどうも理科系に向いてないな。仕方がないから文科系の経済でもやるか・・・・」というような気持ちになるのはこのころだ。

 私も大学で学んだのは経済だから挫折組の一人で大きなことは言えないのだが、生徒から「化学が理解できないので教えてください」など言われると断るわけにいかないので、特訓をしてさび付いていた知識をよみがえらせることになる。
ここ1か月余り毎日毎日頭に去来するのは中和滴定と酸化還元滴定の計算で、主として大学の共通試験レベルの問題を解きまくっている。
共通試験は従来はセンター試験と呼ばれていたが、過去はかなりやさしい内容の試験だったのが毎年毎年レベルはUPし、しかも良問ばかりになってきて、大学独自に行う試験よりレベルが高くなってきた。

 最近ではほとんどの大学が独自に行いう試験を止めるか、あるいは科目を限定するようになり共通試験の結果で採用を決めるようになってきた。理由はいくつもあるが、大学の教師が独自に入試問題を作るのが大変だからだ。まず高校で教えられている内容の理解が必須でさらに教科書にあるオーソドックスな回答を求めなくてはならず、自己の独創的な研究の成果などを問題に出すわけにいかない。しかも問題の出し方に失敗しどのような解答でも正解というような問題を作ってしまうと、世間や大学当局からひどい叱責を受ける。
あんたこれじゃ受験生が素直に答えられないじゃないか。しかも高校教育の範囲を越えているし、何やってるの」などいわれ、さらに「あのひと大学教授なんて言っているけで何も知らないんだな」などと馬鹿にされ知性を疑われてしまう。
いまやどこの大学でもこの問題作成担当は逃げ回って引き受ける人がいなくなりつつある。しかも共通試験の作成者は予備校の熟練教師のような人ばかりだから、作られた問題は人をうならせるような良問が多い。もはや大学教授の出る幕はないのだ。

 近い将来エリート校といわれる大学でも、共通試験だけで入学を決めるようになるだろうし、例えば横浜国大などは全面的に共通試験一本に絞ってしまったし、東京都立大もコロナのせいもあったが独自の試験の実施を今年は取りやめた。
そのようなわけで私の化学のトレーニングも共通試験レベルを目指せば生徒に教えられるレベルになるので、毎日毎日そのレベルを目指して化学づけだ。
74歳の老人のすることではないかもしれないが、神様のお迎えが来るまではこうした生活が続きそうだ。

 

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(2.10.5) 年をとりたくなければ、子供に勉強を教えることだ!!

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 信じられないかもしれないが私はこのところすっかり若返ってしまった。
理由は幼児と高校生を相手に日夜奮闘していることと、毎日自転車で3時間程度乗り回しているからだ。
生活そのものは74歳の完全な年金生活で決して裕福ではないが、老人になると金の使い道がほとんどないから、少ない年金でも生活に支障が出ることはほとんどなく日々平穏だ。さらにストレスが発生するような地区のボランティア活動からはすっかり足を洗ったので、人間関係の葛藤からくるストレスからも免れている。いまでは好きなスポーツをして、孫と遊んで高校生に勉強を教えているだけだから若返らないほうがおかしい。

 孫は5歳と7歳の孫がしょっちゅう遊びに来るのだが、特に5歳の孫とは馬があって、数時間ままごと遊びをしたり、昆虫採集をしている。かわった石を見つければ石遊びで、幼児はそうした石でも30分程度は楽しく遊ぶから、こちらもそれに付き合っていると時間の流れが緩やかになる。
高校生には勉強を教えているのだが、頼まれればなんでも教えてしまうことにしている。しかしどんな学科でもさび付いた知識を教えられる水準まで回復させるのにはそれなりの努力が必要だ。当初は四苦八苦するがよくしたもので最初の苦労の山を越えればあとは何とでもなることを経験的に知っているので、「ここだけは何とか頑張ろう」と自らにはっぱをかける。

 当初はもっぱら数学を教えることが多かったのだが、高校生の鬼門はそれに物理と化学でこうした科目がわからない子供が多い。高校生にとり文科系の学問(英語、国語、日本史、世界史等)は全く分からないことはなく、アバウトであれば理解できるが、理科系の学問はそのアバウトさでの理解では試験の時全く役に立たない。しかしその正確さを理解するまでが大変なのだ。

 今は高校3年生2名の受験指導をしているが、最近新たに高校一年生を教えることになった。この子は千葉県でも有数の進学校の生徒で、学校での成績も決して悪くはないのだが、化学(基礎)が他の学科に比べて成績が良くないことを気にしていた。
化学基礎なんてそんなに難しいことはないはずだが・・・」そう思いながらその学校の学内テストを見せてもらって内容を検討したが、問題の難しさには驚きを通り越してため息が出てしまった。
そうか有名な進学校の化学の問題は日本のトップ大学にいつでも入学できる水準を目指していたのか・・・・・」

 今まで程度の化学の知識ではとても指導などできないことに気が付いて、先日来毎日化学の問題を解きまくっている。
さび付いていた化学の知識が時間とともに蘇りつつあり、こうした取り組みをするたびにうれしいことに私の頭は若返る。
頑張れ、叱咤激励しながら頑張っているが、これは間違いなく有効な若返り法だ。

 

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(2.9.14) ただいま塾生一名募集中

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 ほぼ毎日同じ流れで一日が過ぎてゆく。朝6時ごろに目が覚め夜11時には寝ている。特別なことがなければこの就寝と起床のリズムを崩さないようにしている。
朝はBS1で放送している世界各国のニュースを見るが、すっかり各国のキャスターの顔を覚えてしまった。ただし見ても全く価値がないのは中国の国営放送だ。完全な中国共産党のプロパガンダで口を開く前から何を言おうとしているかわかるから馬鹿馬鹿しくなった。中国人も国営放送のニュースなど見ないのだが、その気持ちはよくわかる。

 午前中は約2時間程度勉強の時間に割いている。私は高校3年生二名に受験の指導を行っているので、腕が落ちないように大学受験の模試やセンター試験の問題を解いている。来年から入試方法がガラッと変わり、記憶中心の知っているかの知識から、理解と判断と推量等を駆使した問題に代わる。従来の試験は記憶力のいい人がトップになれたが、今後は判断力等の頭の使い方が上手な人がトップになれる問題に変わることになった。
すでに予備校ではそうした試験(共通試験と名称が変わる)に対応した模試が盛んにおこなわれており、私はそれを解いているのだが、すこぶる面白い。

 従来の形式で知っているかと問われると、私のような記憶力がほぼゼロに近い人間には苦難以外の何物でもないが、資料が例示されてこの資料をどのように解釈するかと問われるような問題は記憶力の衰えた年寄り向きだ。楽しくなってあらゆる科目の試験問題をとりよせ解いているのだが、最近感心したのは数学だ。
従来は数的処理をしてもそれが何のために役立つのかさっぱりわからず、閉じた高校数学の社会に埋没していたが、数学とその実践、簡単に言えば役に立ち方を問われるような問題が多くなった。
なるほどね、三角関数はこうして利用されているのか・・・・」解きながら感心する。

 午後は3時間程度自転車で千葉の郊外を走り回っている。人の多いところは危険なのでもっぱら千葉の中央に位置する過疎地帯を走っているのだが、おかげでほとんどの道を覚えてしまった。たまに知らない道に入り込んでもしばらくすると知悉した道路に出るので、自分の庭を走っているようなものだ。最近とみに気が付くのはキジが増えたことで親子数羽などという集団に出くわすこともしばしばだ。耕作放棄された農地が増えるにしたがってキジや青大将に出くわす機会が増えている。

 夕方7時から9時半まで高校生がやってきるので勉強を教えている。当初は数学だけだったが、そのうちすべてを教えるようになって最近は国語や英語も教えている。英語は共通試験になって読解とヒアリングに代わるのだが、やさしい構文の英文を大量に読ませる方式に変わった。
昔は小難しくネイティブでも何が書いてあるかわからないような文章が試験問題に出されていたが、今はやさしく大量にだ。
日本史も世界史も地理も知っているかでなく理解できるかに代わるので、問題を解いていても大変楽しい。

 そして合間を縫ってこのブログを記載しているのだが、これはもっぱら頭の体操で書くことは認知症対策に最も効果のある方法だ。本を読んだり、試験問題を解くのは受け身だが、書くことは積極的な行為で、書き終わったころには頭がぐらぐらするくらいつかれている。
そのくらいが丁度いいのだろう。

 なお、現在生徒一人を募集しています。条件は以下の通りです。

高校の数学や物理や化学に根を上げている人が最も好ましい生徒となる。分からなければ丁寧に教えるので学校の授業は全く苦にならなくなるレベルを目指し、受験数学まで指導する。ただし
、数学の数Ⅲについては最近は勉強していないので受験対応はできない。また高校英語の文法は教えられない。生徒の基本的条件として真面目な生徒が好ましい。

 なお1か月間は互いの相性を確認する時間とし、費用は無料とする。指導が効果があると確信できることを互いに確認できた段階で正式に生徒とする。

1.日数(毎日教えているので連日でも構わないが、本人の希望に沿う)
2.時間 7時から9時半まで(開始時間は相談に応ずる)
3.送り迎え 女子の場合は必須、男子は自由(この条件だとおゆみ野界隈でないと実質的に無理)
4.特に教えてほしい学科(本人と相談して決める。短期トレーニングも可)
5.費用 当初は無料で教えていたが、教材費等がかかったりして持ち出しになるので、現在は月1万円を実費として徴求している。
6.1か月程度のおためし期間を設ける(互いの相性があるので取りやめも可、その間は使用は無料)

 希望者はこのブログのコメント欄かメールアドレスを使用して連絡してください。
メールアドレス yamazakijirou1@gmail.com



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(2.8.27) この年になって趣味が一つ増えた!! 共通試験問題は年寄りの娯楽

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 長らく人生を生きてきて最近楽しみにしている趣味ができた。大学受験問題を楽しく解くのが日課になっている。試験問題が記憶中心から判断力中心に変わり、私のような老人でもすらすらと解けるようになったのだ。

 私が高校生2名の受験指導をしていることはこのブログで何回も述べてきたが、文部科学省がセンター試験を共通試験に変更することに伴い試験内容の大幅な変更に乗り出した。
従来のセンター試験は記憶中心の記憶力テストの側面が強かったが、共通試験からは理解力や分析力や推論能力を試す試験に変わり、コンピュータでいうところのメモリー機能からCPU機能への転換が図られることになった。

 私は頼まれればなんでも教えてしまうのだが、正直言って日本史のような記憶中心の科目はとても苦手としていた。人名や地名や起こった年のようなそれ自体記憶以外にはなんの能力も必要としないが、反対に記憶してないとどうにもならない問題ばかりで、記憶力がとうにどこかに飛んで行ってしまった老人には苦行難行の連続だった。

 ところがセンター試験から共通試験に代わって、そうした記憶力中心問題が影を潜め、実際の古文書や幕府や朝廷の命令文等がそのまま記載され、この内容の意味を問うような問題ばかりになってきた。
おかげで私のように細部は忘れたが歴史の流れをつかんでいる人間には非常にとっつきやすく、どの問題でも楽々と大学を突破できる点数になってしまった。

 これは日本史だけでなくすべてに共通する傾向で、英語などはリーディングとヒアリングのテストが行われるのだが、過去のセンター試験で幅を利かせていた文法、語句整除、発音、アクセントといった、高校の授業で「英語表現」といわれていた重箱の隅を突っつくような問題が一切なくなり、かなり長文だが相対的にやさしい実用文を大量に読ませる問題に変わった。
私は何しろ細部にこだわられると全く対処に困窮するのだが、こうした実用文を次々に読んでその内容の是非を問われるような問題には強い。
いやいや、これは楽しいではないか・・・・・・

 国語も大幅に変わり、古文や漢文も現代人に解釈が困難な個所は注意書きがされて、後は推論能力が試されるのだが、推論は得意中の得意だから古文も漢文もわけなく解ける。また小説はとても面白く読んでしまうし申し分ないのだが、現代文だけは残念ながら改革が進んでいない
共通試験で出される現在文のほとんどが1980年代以前の文章だが、その時代の文章は訳もなく難しい表現で体裁を繕っている文章ばかりで、「もっと易しく言えばいいのに」と思われる文章ばかりだ。
日本の現代文は1990年代のインターネット時代以後とそれ以前に大きく分けられ、そこにひどい断絶がある。
インターネット時代の文章は概して表現が易しくだれでもわかりやすいのだが、それはインターネット上の文章は自由競争にさらされるからだ。
やさしくわかりやすくないともはや誰も読まない。このブログが典型的で、難しく厳格に書くのではなくやさしくアバウトになっているのはそのためだ。

 今は大学共通試験の試行テストや河合塾の模擬を取り寄せ次から次に解いているのだが、思わず時間を忘れてしまう。CPUを使って問題を解くのは実に楽しい。ここしばらくこの趣味にしたっていられそうだ。

 なお、現在生徒一人を募集しています。条件は以下の通りです。

中学生でも高校生でも可。また科目は基本何でも応ずるが、数学の数Ⅲについては最近は勉強していないので受験対応はできない。また高校英語の文法は教えられない。生徒の基本的条件として真面目な生徒が好ましく、熱心に勉強すればだれでも学力はアップする。


1.日数(毎日教えているので連日でも構わないが、本人の希望に沿う)
2.時間 7時から9時半まで(開始時間は相談に応ずる)
3.送り迎え 女子の場合は必須、男子は自由(この条件だとおゆみ野界隈でないと実質的に無理)
4.特に教えてほしい学科(本人と相談して決める。短期トレーニングも可)
5.費用 当初は無料で教えていたが、教材費等がかかったりして持ち出しになるので、現在は月1万円を実費として徴求している。
6.1か月程度のおためし期間を設けることも可(互いの相性があるので取りやめも可、その間は使用は無料)

 希望者はこのブログのコメント欄かメールアドレスを使用して連絡してください。
メールアドレス yamazakijirou1@gmail.com




 



 

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(2.8.16)  大学入学共通試験がようやく時代にマッチしてきた。

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 私は74歳でいい加減年寄りなのだが、高校生二人に受験指導をしている。当初は数学だけだったが、私は生徒から「国語がどうしても」などと言われるとほっておけない性分だから、「じゃ、国語のトレーニングをするか」ということになり、今では生徒の受験科目すべての指導をしている。
私は年寄りであることもあるが、記憶力が極端に悪い。かつてと言っても私が学生時代だったころは記憶力万能時代で、博覧強記こそ理想の学生の姿で、長い間大学入試試験も記憶力のコンテストのようなところがあった。

 しかし世の中は変わってきた。ほとんどの人がスマートフォンを持ち歩く時代になると、何かわからないことがあれば記憶力を呼び起こしてうんうんうなるよりも、検索したほうが早い。

単なる記憶、例えば歌手の名前や俳優の名前、地名や演歌や和歌の歌詞などはたちどころにわかるので記憶をしている必要がなくなった。
記憶は今ではGoogleに聞けばわかる時代に入っている。

 ところが最近まで大学入試試験は相も変わらず記憶中心で特に日本史などは、いくら細部を記憶しているかで勝負が決まり、例えば鎌倉幕府の北条氏が実権を握る過程で「北条義時が和田義盛を滅ぼした」合戦名や「北条時頼が三浦一族を滅亡に追い込んだ」合戦名を記憶していないとだめといった問題ばかりだった。
これではとても記憶力がないに等しい私の手に負えない・・・・」と思っていたが、次年度の共通試験からはこうした記憶力のテストではなく、資料が提示されその内容の判断を求めるような問題ばかりになった。
簡単に言えば資料を見て歴史の流れを理解しているかどうかを問う内容になったのである。

 もう一つの例をあげれば英語のリーディングが様変わりになった。かつて英語のテストといえば、難解極まる文法問題が幅を利かせておりネイティブにとってさえ、回答が困難な問題ばかりだった。
しかし文法を知らなければ英語がわからないかといえばそんなことは全くなく、日本語で考えてみても日本語文法を知らなければ日本語を話せないなどということはありえないことでもわかる。
なぜこうしたばかげた文法関連の問題ばかりだったかといえば、英語教師がそれ以外に実力を生徒に見せつける機会がないからだ。
例えば英会話などは親がネイティブであればたちどころに英語を覚えてしまう。私の孫の母親はオーストラリア人だが、子供は日本語と英語を自由に操っており、授業で英会話の時間になれば英語教師の出る幕がない。

 難解な文法を教えているときが唯一英語教師の安息日になるのだが、この英語教師保護策は日本の英語教育の癌だった。さすがに文部科学省もこの教員保護だけでは世界の趨勢に遅れると認識し、当初は読み、書き、話し、聞く能力のテストに方向転換することにしていたが、採点方法の難しさから、来年度は読みと聞きとり能力のテストだけになっている。
私が驚いたのはこの読みのテストからは従来幅を利かせていた文法や並び替えやアクセントや前置詞を問う問題が全く姿を消し、もっぱら長文を次々に読んでその内容を問うというテストに変わったことだ。

 私が最も苦手とした文法関連問題がなくなったのである。文章を読む場合、内容の主題が何かがわかり、さらに単語の約8割程度が理解できれば後の2割は推定で内容の把握ができる。
いやいや、これならば私でもわかります!!」といったレベルになり、河合塾の共通テストの模擬を解いてみると90点程度の点数が取れるようになった。
今は難解でない文章を大量に素早く読むことが「読み」では問われるが、これは年寄り向きだ。
英語のテスト問題を暇に任せて説いているがなかなか面白い。老後の趣味と言っていい。

 もう一つ国語の問題についても興味深い変更が表れている。漢文や古文につては注釈なしにそれを読み取ることは普通の高校生にとって不可能であり、例えば源氏物語をそのままで読める人は古文オタク以外にはありえない。しかも古文は源氏物語とその亜流(擬古文という)が幅を利かせていて、とても現代人に手に負えるような代物でない。そのため詳細な注釈が施されており、その注釈から本文の内容を懸命に類推することになる。
漢文と古文はその類推能力が必要になり、記憶を問われることは少ない。
中国人の漢文は現代人的なセンスで解けるが、平安文学は現在人のセンスとかけ離れており、当時の風習、習慣をある程度理解していないと解けない。
例えば宮(天皇の子供)は雅やかな公達で、どこに行っても美しい姫君を見るとちょっかいを出して和歌を届けるのだが、現代的センスではセクハラでそれにすぐに応じる姫君もどうかと思うが、それが常識だとわかっていれば物語の類推が可能になる。

 国語の共通試験は評論文、小説、古文、漢文からなるのだが、意外と小説がおもしろい。長さは芥川龍之介の短編ぐらいの長さがあって、しかも私が全く知らない小説家の作品が多いので、「へえ、こんな小説があったのか・・・・」などと感心してしまう。
設問は概してオーソドックスでかなり楽しく解くことができる。

 日本史等の社会関連の問題は記憶力一辺倒を改める方針に変わり、英語の問題からは文法関連問題が消えて大量の英文を読みこなす能力に代わり、国語は特に漢文と古文は類推能力が問われる内容になっている。

やれやれ、これなら記憶力一辺倒のテストでなくなり、類推力や理解力が試されるのだから共通テストもようやくナウな問題形式になってきた」感心している。


 時代が変わったのだ。記憶すべきことは最低限にして判断力や理解力や類推力が今の時代には必要だ。コンピュータでいえばメモリーの時代からCPUの時代に共通試験が脱皮し始めた。


 

 

 

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(2.7.9) 今日も子供とともに学んでいる。

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 私は今家で高校生2名の受験の指導をしている。教える科目は基本何でも教えてしまうのだが、今は国語の指導が中心になっている。指導といっても過去の試験問題(センター試験問題)を中心に解いてもらっているのだが、国語の問題は本年度から共通試験と名称がかわり、試験内容も当初は記載式問題が出されることになっていた。
それがあれやこれやの紆余曲折があって、結局はいままで通りのマークシート方式になり、出される問題も論文、小説、古文、漢文と従来とさほど変わらない構成になっている。

 私が指導している一人は国語が飛び切りよくできる。私は指導する立場だから事前に過去問を解いておくのだが、私がうんうんうなってその結果間違えたような設問をらくらくとこなしてしまうのだから驚きだ。
この子の頭の構造はどうなっているのだろうか」まじまじと見てしまう。
しばらく前までは「自分は指導者なのだから生徒よりできなければならない」などと肩ひじを張っていたが、よく考えてみればコーチが現役選手よりよくできたところで何の意味もない。それなら自分が受験すればいいので、コーチの役割は生徒が目標の大学を突破できるほどの実力をつけさせることで、自分がいくら国語の点数が高くても意味はない。

 そう思うようになってから、国語の過去問を解くのも何か楽しい一種の芸事のようになってきた。
特に小説の問題を読むのは楽しい。自分が従来知らなかった作者の作品を読むことが多いが、問題文はかなり長く芥川龍之介の短編程度の長さはある。小説は基本登場人物の心を読めばよいのだからそれほど難しくないが、問題の作成者はわざと生徒が間違うような設問を用意しトリックに引っかかるように回答の選択をさせる。
95%は正しく後の5%にそっと小説の内容には書かれていないことを忍ばせるのだが、それに多くの生徒が引っかかる。
やれやれ、こんなひどい回答を選択させるなどかわいそうに・・・・・・
自分は楽しんで読んでいるだけだから、その楽しい小説をナイフで切り刻むような回答を求めることがあるのには閉口する。

 しかし論文や小説は所詮現代文だからそれなりに理解できるのだが、古文の擬古文には閉口する。擬古文とは平安時代に書かれた物語ではなくて、鎌倉時代以降に平安朝の古文の形式で書かれた疑似源氏物語である。

すじがきは常に決まっていて源氏物語の光源氏や桐壺の更衣とほとんどそっくりの人物が登場し、二人の間に生まれた子供が天皇の子供(天皇は自分の子供と思っている)として育てられ、そのことに二人は惑い苦しむような内容で、どれもこれもいたって陳腐だ。


 先日読んだのは室町時代に書かれた「夢の通い路物語」という擬古文でいつもの不義密通物語だから、読んでいるほうが嫌になる。
鎌倉時代以降は平家物語といった軍記ものや方丈記といった一種のレポルタージュがあって、当時の口語で書かれているのでいたってわかりやすいのだが、擬古文はわかりずらいことこの上ない。
それでもこうした源氏物語の亜種が成立していたのだから、こうしたものを読む一定の読者はいたということだろう。

 古文を読んでいていつも思うのは鎌倉時代以降とそれ以前の平安時代には文化的にほとんど異質と言っていい断層があるのだが、平安時代の貴族の心情を理解するのは外国人を理解するのと同じくらい難しい。一方鎌倉以降は武士の時代になり何事も実事求是の精神が旺盛になるので現代人に急速に近づいてきた感じがする。
全く、平安文学というのは好きになれんな!!」ぶつぶつ。

 しかしこうして古文や小説が読めるのも生徒を指導しているからで、教えることは学ぶことだといわれていることが実感としてよくわかる。


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(2.6.30) ボランティア教師奮闘記  倫理とは何か

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  私は若干軽率なところがあって、頼まれれば嫌といえない性質が自分を追い込んでしまうところがある。
現在2名の高校三年生に勉強の指導をしているが、うち一名が国公立大学を受験するため、社会科系の学科を共通試験で二科目受験しなければならない。
先生、私は日本史と倫理・政治・経済で受験することにしましたが、倫理については何も勉強してません。教えてくれますか」と頼まれた。

 私が倫理の勉強をしたのは今から60年ほど前だから、当然何の記憶も残っていない。しかし今は予備校の講師が作成する恐ろしくわかりやすい参考書が出回っているので、それを読めば遠い昔を思い出すだろうと思った。
いいよ、教えましょう」いつもの安請け合いをしてしまった。
しかしそれからが大変で参考書を購入してほぼ1か月間の集中トレを行って、何とか教えられるレベルまで到達した時は心底ほっとした。

 倫理の勉強をしながら昔の高校生時代を思い出してしまった。
先生、倫理と哲学は異なっているのでしょうか、それとも同じでしょうか」倫理の授業の最初に私が質問した問である。
その時、教師が何と答えたか記憶にないが、さぞや回答に困ったことだろう。いまだに倫理と哲学の相違について私にはわからず、とりあえず同じものだろうと割り切っている。

 私が倫理という科目を学んで一番驚いたのは思想にはマルキシズムだけでなく、その他に実存主義やプラグマティズムといった思想があるということだった。当時は左翼全盛時代で教師の多くが左翼の支持者であり、左翼でない者は人でないというような雰囲気があり、思想もマルキシズム一色だったから実存主義なる言葉には衝撃的だった。
しかしこの実存主義とは一体何なんだキルケゴールニーチェが言う実存は何度聞いても本を読んでも理解できなかった。
キルケゴールが一人の人間(実存)として神と一対一に対応するといわれても、ニーチェが「神が死んだ」といったといわれてもさっぱりだった。

 私は当時は全く知らなかったが、思想も歴史の一側面であり歴史の流れを無視して純粋に哲学だけを取り出して理解しようとしても理解不能になってしまう。
19世紀のドイツで、当時最も隆盛だったマルキシズムが人間を労働者と資本家に二分していた。しかしその中間に位置するインテリ(大学教授等)については、単にプチブルと言って切り捨てたのに対し、インテリの反撃がこの実存主義だということに気付いたのはそれからかなり時間が経過してからだ。

我々はあの汚らしく粗野な労働者ではない。何よりも自己という大切なものを持っている我々は、神と一対一で対応するか、神を捨てて超人として生きるのだ
19世紀末のドイツインテリの矜持が実存主義だと気づくまでにはずいぶん時間がかかっている。
簡単に言えばマルキシズムに対抗してインテリを救おうとした思想が実存主義といわれたものだ。
しかし1990年代にソビエトロシアが崩壊し、思想としてマルキシズムも崩壊すると、その影として生きていた実存主義も崩壊し、現在ではどちらも歴史の舞台から退場している。

高校生の時思想を歴史のながれの枠内の一部だと教えてくれたら、あんなに苦労もなかったのに・・・」少し残念に思ったが、今私の生徒には西洋哲学史も東洋哲学史も歴史の一部分であり、歴史を越えた思想などないと教えている。
思想は歴史を超越するものと思っていた青春時代が今は懐かしいくらいだ。

 

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(2.6.29)  ボランティアで勉強を教えている。 日本語論文の変遷史

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 私がボランティアで子供に勉強を教え始めたのは今からほぼ10年前のことだ。
当初は無料で教えていたが、そのうち教材費やその他の資材費がかさみ年金生活者の身には負担になったので、今はコストが賄える程度の費用を負担してもらっている。
はじめのころの生徒は中学生で、中学の教科はその子に応じてすべて教えていた。そのうち中学生が高校生になり、今度は高校の教科を教えることになった。

 私が趣味で勉強を続けていたのは数学だけだったから「高校生に教えるのは数学だけだぞ」と念を押してみたものの、「先生物理がどうしても理解できません」などと言われるとほっておくわけにいかない。予備校の先生が記載した恐ろしく理解しやすい教材を購入して、ほぼ1か月間程度自身に特訓を課して物理も教えられるようになった。
そのうち化学も生物も地学も同じように1か月程度の特訓で何とか教えられるようになった。
まあ、やれば何でも教えられるもんだ」自分でも驚いている。

 現在教えている生徒はたまたま国語が苦手でテストでは他の教科はトップクラスの成績なのになぜか国語は平均点以下だ。
国語なんて、日本語なのだからそう難しいわけはないはずだが・・・・・・
これも予備校の教材を購入して古文と漢文を勉強してみたらなかなかタフだ。古文も漢文も外国語のようなもので相当のトレーニングをしなければ理解できない。
こりゃ、大変だ。相当まじめに勉強しなければ理解できないのは当然だ
毎日の日課として古文と漢文の特訓をはじめた。主としてセンター試験の問題を解きまくっていたのだが、どうにか理解できる程度まで到達したのでようやく教えることができるようになった。

 しかし国語は現代文のほうがタフで、センター試験でも論文と小説が一題づつ出ていたのだが、日本の論文が恐ろしく難解に記載されている場合が多いことに初めて気が付いた。

かつてといってもインターネットが普及しフェイスブックやツイッターやブログ等でだれでも意見を発信できる前のことだが、論文が掲載されるのは総合雑誌や新聞や週刊誌といった既成メディアに限られ、そこに自らの主張を掲載することができるのは一部の評論家とか大学教授といったインテリの中のインテリだけに限られていた。

インテリはインテリ用語で意見を述べない限りだれも相手にしてくれない。
この文章は稚拙ですな」なんて感じで分かりやすい論文などまず真っ先に没になる。分かりやすさではなくわかりにくさで評価されるのだ。

 そのためインターネット以前の論文は雑誌の編集長さえ理解できない難解な用語と構文を使って、何が書いてあるか普通の人は絶対理解不可能な論文が幅を利かせていた。マルクスの資本論のようなものだといえばイメージがわくだろう。
雑誌の編集長も理解できないから、本当は没にすればいいのだが知性を試されたような気になって「これは実にいい論文ですな」などといって自らの知識のなさを隠そうとする。
こうして「あの雑誌の編集長には理解できない難解な文書を書くと掲載してくれる」ということになり、ますます掲載される文章が難解になっていった。

 そうした論文がセンター試験等に出されるのだから、生徒が理解不能に陥るのは当然だということに気が付いた。
なるほどね、試験の論文などは哲学書を読まされるのと同じくらい衒学的なのか・・・・・」生徒に同情してしまった。
しかし同情だけでは教えることができないので、難解に記載されていた内容をできるだけ平易に解説している。
本当は大したことでないのを大げさに書いてあるだけだよ」と言って生徒を慰めているが、インターネット以前の論文は難解さだけが特色だ。

 一方インターネット以後の論文は非常にやさしくなってきた。インターネット以後では論文が自由競争になりだれでもどこでも発信可能になっているため、理解できないような衒学的な論文はだれも読まない。一方インターネット以前は編集長というインテリがインテリ用語で掲載された論文以外をシャットアウトしてきたため、内容に比較して記載方法が衒学的であればあるほど優れた論文とみなされていたということだ。

子供に勉強を教えていると思わぬことに気づかされる。

 
 

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(2.2.21) 塾の生徒1名募集

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 私は現在3名の高校生の学業の指導を行っているのだが、そのうち1名は3年生で晴れて希望の大学に入れたので、3月以降は2名になる。
自宅でマンツーマンで教えるのだが、この方法だと教えられる人数は3名が限界で、それ以上の生徒をとることができない。
今回1名が卒業したので新たに一名の枠が空いたので生徒を募集することにした。
高校生でも中学生でも構わないのだが、中学生であれば全教科、高校生の場合は数学と物理と化学基礎を主体に教えている。

 高校生の場合は現在一年生で、数学や物理が理解できなくなって困惑している生徒が一番望ましい。高校の授業でまず挫折するのがこの数学と物理で中学時代成績が優秀だったが高校に入ったとたん、落ちこぼれ状態になってしまった学生は実に多い。
おれ(わたし)は馬鹿になってしまったのか・・・・・・」などと落胆してひどい場合は学校に行きたくなくなり、登校拒否の状態になる。
実は私も高校時代数学と物理が理解できず、「これじゃ、私立しか入れないじゃないか・・・・」などとひどく悩んだものだ。

 今私が数学や物理を教えられるのは社会人になってから数学や物理の再トレーニングをしたからで、今思えば良き指導者さえいればこうした学科も訳なく理解できたはずだととても残念に思う。
私が今高校生に数学と物理を教えるのは、自分の悲しい過去があるからで、私がそうであったような落ちこぼれ高校生を一人でも救いたいからだ。
おそらく私の指導を受けて再生すれば一生の行幸と感じることができるはずだ。人生で二度とない機会と思ってほしい。

 中学生の場合は今からばっちり指導し、本人にそれなりの素質さえあればどの高校でも大学でも入れる。一年生であれば向こう5年間も指導の機会があるのだから、十分な時間がある。中学生の場合はできれば大学は千葉大を狙ってほしい。ここ千葉県では千葉大に入るのが一つのステータスシンボルで本人に熱意さえあれば可能だ。

 以下に具体的な塾の条件を記載する。

1.日数(毎日教えているので連日でも構わないが、本人の希望に沿う)
2.時間 6時から9時半まで(開始時間は相談に応ずる)
3.送り迎え 女子の場合は必須、男子は自由(この条件だとおゆみ野界隈でないと実質的に無理)
4.特に教えてほしい学科(本人と相談して決める。短期トレーニングも可)
5.費用 当初は無料で教えていたが、教材費等がかかったりして持ち出しになるので、現在は月1万円を実費として徴求している。
6.1か月程度のおためし期間を設けることも可(互いの相性があるので取りやめも可)

 希望者はこのブログのコメント欄かメールアドレスを使用して連絡してください。
メールアドレス yamazakijirou1@gmail.com

  最近はもっぱら衰亡論を掲載しているが、私自身も73歳になって社会的活動ができるのはあと7年程度と思っている。子供に勉強を教えるのは私の最後のこの社会に対するお勤めと認識している。



 

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(1.6.17) 最後の仕事 医学部入学希望の児童を1名募集

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 最後の仕事をしたいものだと思っている。私はもう少しで73歳になり体力的には完全に下り坂になっている。月二回のおゆみ野の森の草刈りでは10kg程度の刈り払い機を使用して伸びた樹木の剪定を行っているが、1分ごと休憩しないととても剪定ができない。かつては100kのバーベルを上げることができたのに、いまでは10kで青息吐息だ。
走ることはとうにあきらめ、今はもっぱら自転車にしか乗らない。まだ自転車ならばどこまでも乗っていけるが、歩くと脊椎間狭窄症で100m程度でひどい痺れが出る。
もはや体力勝負はだめだなあ!!!」ため息が出る。

 相対的にまともなのは頭で、今高校生3名に数学や物理や化学を教えている。最も数学カンなどはとうになくなっているので、毎日復習に3時間程度費やしている。そうやってかろうじて頭のレベルを維持しているのが実態だ。
もうすぐ神様のお迎いが来る年齢になっているので、最後のご奉公をできたらとつねづね思っていた。
私自身は医者になりたかったが、高校時代は数学が特に苦手ですっかりあきらめ銀行員になったのだが、その後奮起して数学の勉強をしたおかげで高校生の指導ができるレベルに達することができた。

 だが、自分がいくら数学や物理ができてもそれでは何の意味もない。今更大学受験をしても周りが迷惑なだけだし、第一補聴器がなくては人の話も理解できないぐらいだから,講義など受けることもできない。それに100mも歩けないのだから大学に通いようもない。
自分のことはあきらめて次世代の若者に夢を託すことにした。

 今若者が医学部に入るためには小学校程度から懸命に勉強しないとても入学できない。一部の大学では金で入学できるがそうした幸運は親が医者である場合がほとんどで、一般のサラーマンの子弟が医学部に入る場合はよほど学業ができなければ無理だ。
現在は英才教育の時代で,囲碁でも将棋でも、またピアニストやダンサーでもすべては英才教育を施されたものだけが一流になる。
スポーツでも一流のスポーツマンはすべて英才教育で育っており、例えば高校駅伝の選手や甲子園に出る野球選手などは小学校時代からスポーツづけだ。

 勉強も同じで少なくとも中学時代から勉強一筋で努力しないととても医学部には入れない。時に優れた頭脳を持った天才肌の人物もいてらくらく医学部に入ってしまうがそうした人は特殊で、一般の頭のいい子程度では努力が優先する。
そこで最後の仕事として中学生から勉強の指導をして千葉大医学部に入学可能な生徒の指導を行うこととした。
中学1年か現在小学校六年生が最適で、高校生では無理だ。
指導は毎日が原則で、ちょうどマラソンランナーが毎日欠かさず走りこんだり、野球選手が素振りを毎日行うのと似ている。
簡単に言えば、一定の知能があれば6年間の努力で医学部入学レベルに到達する。

 現在私は高校生3名の指導を行っているので、それとバッティングするのは避けたい。
高校生は6時ごろからくるのが多いので、5時から2時間程度を予定したい。ただし基本毎日だから次のような条件が必要になる。

① 本人と親が真剣に医者になりたいと希望していること(本人がその気がなければ無駄)
② 親が医者等金銭的に余裕のある子供は不可(当然必要な予備校に通っているはずなので、そうした十分な余裕のある子は対象としない)
③ 私の家はおゆみ野にあるので通える範囲にとどめる(男子ならば自転車で通えるが女子の場合は送り迎えが必要になる)
④ 毎日来てもらうことになるので塾のかけ持ちは不可
⑤ 費用は通常の塾の3分の1程度にとどめる(金儲けでするのではなく最後のご奉公としてするので金額は必要経費にとどめる)

 指導は来年の3月からにしたいが 小学校6年生であれば随時(休みの時など)行うことは可。中学1年であれば最初は1週間に四日程度にとどめ来年度から基本毎日とする。

希望者はこのブログのメール機能等を使用して連絡してください。面接を行って可否を決定します。なお勉強を始めてから医学部入学は不可と分かればその段階で通知します。







 

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