旅行 ネパール

(28.7.1) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その10」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(24.9.17) ロドリゴ ネパール日誌 その10 最終稿

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  かくして10日間に及んだネパールの布教の旅は終ったのでございます。
前にも書きましたように首都カトマンドゥ現在と中世が無理やり同居をしているような街で、バイクや自動車や人力車の騒音があまりにやかましく、通りをおちおち歩けないような蝉噪極まる街でしたのでロドリゴは好きになれませんでした。

 一方われらが訪問したディリチョール村には自動車やバイクはまったくなく、すべての荷物はロバが運んでおり、道は舗装などどこもされていない泥濘の道で、水は山から引いて下水はそのまま川に流されておりました。
なにか江戸期や明治期のジャポンを彷彿とさせるような雰囲気で、とくに学生(小学校から高校まで)は純朴さながらで知識欲が強く、また身体には脂肪がほとんどないので実に美しいスリムな体形をしておりました。
クナーカ大主教様ディリチョールに着くと気持ちが和むとおっしゃっておられましたがロドリゴも同じ気持ちでございました。

 われらが泊まったゲストハウスには学校の英語の先生とその兄弟3名が3畳の部屋に寝泊りしておりました(いくら何でも三畳はせますぎるので、おそらくわれわれがゲストハウスの3室を使ったので一時的な措置だったと思われます)。
先生はさすがに知的な雰囲気で、頼むと英語の教科書と数学の教科書を見せてくださいましたが、意外とレベルは高く数学などはジャポンとさして変わりがないレベルでございました。

 しかし生徒は教科書を持っておらず先生がマジックボードに書く問題や事例を帳面に書き写して勉強をしているようでございました。
かつてジャポンでもドイツのターヘル・アナトミアという医学書を杉田玄白様たちが互いに書き写しておられましたが、それとまったく同じなのでございます。

  この英語の先生の弟は高校一年生でございましたがロドリゴのする一挙手一動が珍しいらしく私のそばをまったく離れなかったのでございます。
私の手伝いをしようとしてリックの詰め込み作業などを懸命に手伝ってくれました。
私はお礼に持っていたテニスボールや帳面をこの少年に与えましたが、少年の持っている帳面に比べると途方もなくジャポンのそれは高品質だったのでございます。

 思えばクナーカ大主教様にネパールの布教を命じられたものの、1年間この村に留まって布教活動をすることができなかったことが唯一の心残りでございます。
ロドリゴはネパール語はナマステダンニャバードしか覚えられなかったためでございますが、ニワトリの頭としてはそれでも努力をした結果でございます。
ニワトリと言えばここゲストハウスの管理人が飼っていた哀れないじめられっこのニワトリを思い出します。
私だけが頼りだったあのニワトリは一人では餌を食べることもままならない様でございました。

 ここネパール西部秘境の中の秘境で、特に飛行機の便は最悪でございました。
しかしそれだけに残されている自然は手付かずで、クナーカ様のトレッキング・ルート開拓が成功すれば又違った観光面の飛躍があるように思われました。

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3460mのトレッキングルートに放牧されていた牛。なにかスイスの情景に似ていた

 もっともここ10年、ジャポンの観光客はネパール国内の内戦を恐れて減少したままで、その間シナコリアンの進出が目覚しくなっております。
カトマンドゥの売り子もロドリゴたちを見て「ニー・ハオ」とか「アニョン・ハセヨ」とか声をかけてきますのでジャポンの地位は確実に低下しているように思われました。
クナーカ様の「何とかジャポンの観光客誘致に成功したい」と思う気持ちはロドリゴにひしひしと伝わるのでございます。

 今ロドリゴは帰宅後正体不明の湿疹に悩まされており、ダニが身体を襲撃しているのではないかと思って医者に行きましたが、原因は明白になっておりません。
来年ダニの襲撃を撃退できればクナーカ様とトレッキングルートの開拓をしたい気持ちはあるのですが、それは又来年考えることにいたしたいと思っております(終わり)。

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(28.6.29) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その9」

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(24.9.15) ロドリゴ ネパール日誌 その9 「ジュムラからの脱出」

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ジュムラ飛行場とジュムラのホテルをこうして何往復かした

 ネパールでは飛行機は何で飛ぶかご存知でしょうか。
ジェットエンジン」とか「揚力」とか答えたらそれは間違いなのでございます。
実はネパールでは飛行機は「政治力」で飛ぶのでございます。

 われら布教団一行がジュムラから脱出しようとして2日間この村に足止めされていたことは先に述べました。
われらが乗るべき飛行機そのものは1週間にわたってこのジュムラ飛行場に現れず乗客は溢れかえっておりました。

 クナーカ様はジュムラからネパール・ガンジー行きのタラ航空を諦め、他のルートによる脱出を検討しておりました。
ロドリゴだけは徒歩でガンジス川の波頭まで歩き、他のメンバーは他の航空会社の便でネパール・ガンジー近くの飛行場まで行って、そこからは自動車をチャーターしネパール・ガンジーにいくと言う脱出計画でございました。

 しかし信じられないようなことが起こったのでございます。
通訳のフッド君が「政治力」でタラ航空の飛行機を飛ばしてしまったのでございます。
フッド君はネパールで最も著名な大学の一つを出たのでございますが、友人の多くが役人や新聞記者になっておりました。

 そこでフッド君は新聞記者の一人に電話をして「ネパール布教団のジャポン人一行がジュムラの村に閉じ込められて帰国できない。タラ航空は色々理由を挙げているが本当の理由はパイロットが飲んだくれて操縦をしないためで、このままいくと国際問題になる。この事実を新聞で取り上げてほしい」と依頼したのでございます。
新聞記者はカトマンドゥにあるタラ航空本社に事実関係を確認しにいったのですが、驚いたのタラ航空の本社でさっそくネパール・ガンジーの事務所にジュムラへ飛行機を飛ばすように指令が出たのでございます。

 それまで「機体が壊れた」「パイロットが結婚式に出向いている」「今は飯の時間だ」気流の悪いのでジュムラに飛行機を飛ばすのはきちがい沙汰だ」などといっていた職員が打って変わって愛想がよくなリました。
そして信じられないことにはタラ航空はこの航路が定期運行路線であることを思い出してくれたのでございます。

 もっともロドリゴだけはクナーカ大主教様の心温まる指示で一人徒歩で苦難の旅をし晴れて聖者になる予定でございました。
ところがクナーカ様から「イエズス会の本部に問い合わせたら”ロドリゴだけは聖者にしない。そんなことをしたらオラウータンでさえ聖者になる”と反対しており、仕方がないからタラ航空の飛行機に乗ってジャポンに帰ろう」とのお話がございました。
クナーカ様、オラウータン はロドリゴほど利発なのでございましょうか
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
かくしてロドリゴもタラ航空の飛行機に乗ることになったのでございます。

 しばらくして搭乗の手続きが始まりわれらは搭乗控え室に通されました。しかしそこは乗客予定者で溢れかえっており、1週間飛行機が飛ばなかったことによる乗客でごった返しておりました。
はたして全員搭乗できるのだろうか、もしかしたらダブル・ブッキングがあって実際は乗れないのではなかろうか」と不安感が頭をよぎりました。

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ようやくやってきたタラ航空の飛行機

 飛行機はなかなか現れず午後になりようやく2機の飛行機がここジュムラ飛行場に舞い降りてきたのでございます。
この飛行機は18人乗りですので全体で36名乗れるのですが、どう見ても控え室にいる人数はそれを上回っているようでございました。

 係りの国家警察の係官が飛行場に通じるゲートを空けると突然一人の若者が係官の制止を振り切って飛行機に突進しようとしました。
屈強な係官が若者を追いかけ首根っこを押さえて飛行場の外に追い出しましたが、マリア様のお話ではこの若者は航空券を持たずただ乗りをしようとしていたとのことでございます。
飛行機のただ乗りはジュムラでは日常的にあり係官とのバトルが繰り返されているようでございました。

 われら一行は2機のうちの1機に優先的に乗せるように国家警察の係官が誘導しておりました。何しろこの飛行機はジャポン布教団の救出機ですのでそのように指令が出ていたのでございましょう。

 しかし収まらないのはネパールの方々です。われらの背後にはまだ多くのネパール人がおり、乗れなくなった数名のネパール人がこの飛行機に乗ろうとタラップにしがみついておりました。
俺は航空券を持っているのになぜ乗れない」そのように叫んでいるようでございました。
それを国家警察の屈強な係官が実力で引きずり落としていたそうでございますが、これも最後に乗ったマリア様の目撃情報でございます。

注)ロドリゴはダブル・ブッキングがあると予想して真っ先に飛行機に乗り込んでおりました。

 

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国家警察の女性係官。気さくに写真に応じてくれた

 かくしてジュムラに来てから3日目にフッド君の政治力でここから脱出ができたのでございます。
パイロットは2名でコクピットのドアーはあいておりましたので、パイロットの会話が聞こえたのですが、フッド君によるとそれは以下のようなものだったそうでございます。

正パイロットお前がいつまでも食事をしているから、ジュムラの到着が午後になってしまったではないか。ここは気流が悪いんだから午前中に飛ばなければ駄目だ

副パイロットそんなことを言っても腹が減ってはどうにもならないだろう。あんただって飲んだくれていたではないか

 われら布教団一行はこのようにして3日目に必死の思いでネパール・ガンジーに飛びそこからカトマンドゥに帰ることができたのでございます。

注)なおネパールの名誉のためにいっておきますが、飲んだくれの航空会社はタラ航空だけのようでございました。

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(28.6.27) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その8」

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(24.9.13) ロドリゴ ネパール日誌 その8 「ジュムラに閉じ込められる」

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(ジュムラの朝市。小学生のような子供も売り子だった

 昨日は一日中ジュムラの飛行場の周りでネパール・ガンジー行きの飛行機を待っていましたが飛行場には飛行機が現れず、国家警察の係官も暇をもてあましておりました。
翌日は実に良く晴れ渡り視界は良好でこれ以上の飛行機日よりはなかったのでございます。
まあ、今日こそは飛んでくれるだろう」一同はそう期待して10時までにジュムラ飛行場に待機しておりました。

 通訳のフッド君が事務所に何回も掛け合いに行っているのですがなんとも要領を得ないのは昨日と同じでございました。
ジュムラに飛ぶべき飛行機が故障したので他の飛行機をまわそうとしている・・・・
パイロットが結婚式にいってしまったのでパイロットがいない・・・・・
気流が悪いので今日飛ばすわけにはいかない・・・・
フッド君が理由を確認するたびに理由が変わるのですが、結論はジュムラに飛行機は来ないと言うことのようでした。

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(薪売りの女性。燃料はほとんどが薪だった

 われらが乗るべき航空会社はタラ航空といいジュムラとネパール・ガンジー間を飛ぶ唯一の航空会社でございました。
ジュムラにはタラ航空以外の航空会社も就航しているのでございますが、残念ながらカトマンドゥに出る便はなかったのでございます。

注)カトマンドゥに出るには一旦ネパール・ガンジーに出ないとならない。

 われらは仕方なく飛行場の周りでネパールの人々と同じように座り込んで時間をつぶしておりましたが、12時ごろ爆音が聞こえたので喜び勇んで飛行場に駆けてけますと、タラ航空ではなく他の会社の飛行機でございました。
その後も数機ここジュムラに飛行機が飛んでまいりましたが、いくら待ってもタラ航空は飛んでこなかったのでございます。

 前にも述べたようにジュムラから陸路はあるのですが、雨季は道が泥濘と化して自動車も人もまったく通行が不能のようでございました。
したがってここは陸の孤島のようなもので何とかしてネパール・ガンジーまで飛行機で脱出する必要があったのでございます。

 さすがにクナーカ大主教様も不安な気持ちになられたのでございましょう。
タラ航空をいくら待っていても無駄かも知れない・・・・・他の会社の飛行機でネパール・ガンジー近くの飛行場まで運んでもらって、そこから自動車をチャーターしてネパール・ガンジーに出てみようか・・・・・

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荷物は人力かロバが運ぶ)

 ネパールの国内線のチケットは外国人はドル払いで、しかも倍の値段と言うべらぼうな条件で購入しなければなりません。
クナーカ様は全員からドル紙幣を集めて「今日タラ航空の飛行機が来なかったら明日は他の会社に変えて、不便でも自動車を乗り継いでカトマンドゥに向かおう」と決心されておられました。
しかしドルを集めてみたところ布教団8名の費用に1名たらなかったのでございます(フッド君はネパール人なのでルピーで支払っておりました)。

注)タラ航空のジュムラ事務所にはドルが置いてなくしたがってキャンセルしても払い戻しはカトマンドゥまで行かないと返してもらえないのでございます。

 結局その日もネパール・ガンジー行きの飛行機は現れず、われらは再びジュムラのホテルにつかれ切った気持ちで戻ってまいりました。
その夜、クナーカ様からロドリゴはひそかに呼びだされたのでございます。

ロドリゴよ、お前はディリチョール村の布教活動に失敗し、わがイエズス会の中で一番のアホといわれ、このままではエンサイクロペディア・エスパニカにそのことが記載されてしまう。
それではお前は世紀を越えてのアホになってしまうので、何とかお前に挽回の機会を与えよう

クナーカ様、どうしたらよろしいのでございますか?」

目の前の川に沿って道が続いておる。泥濘の道ではあるが、この道を歩いて下り運よくガンジス川の波頭のベンガル湾に達すればお前ははれて聖人になれる。
わが祖国エスパニアのサンチャゴ巡礼の道と心得よ

しかしクナーカ様、もし不幸にして行き倒れたらどうしたらよいのでございましょうか
心配いたすな、わしはエンサイクロペディア・エスパニカの編集長と懇意だ。その場合は殉教者として名を千載に残そう


 クナーカ様のあまりにお優しいお言葉にロドリゴは嗚咽をしてしまいました。
ロドリゴは聖人になるか、殉教者になれるのだ
その晩は興奮してダニの巣のベットに寝ていることも気にならなかったほどでございます。


 こうして8日目の夜がくれたのでございました。

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(28.6.25) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その7」

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(24.9.11)  ロドリゴ ネパール日誌 その7 「ジュムラの飛行場へ」

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(このフェンスの中がジュムラの飛行場)

 ネパールに来てから七日目、われら布教団の帰国の日が参りました。
布教団はゲストハウスで生活していたのでございますが、電気はなく水は谷川の水をゴムパイプで引き入れている生活で、食料はジャポンより持ち込んだものがすべてと言う状況でございました。
寝るのは寝袋ですので何か昔の山小屋どまりの登山と酷似していたのでございます。

 ディリチョール村に入って4日目、ついに食料が底をついたのでこの村を降りなければならなくなりました。
村は貧しくわれらに食料を供給することはできなかったからであります。
明日は帰宅と言う日、クナーカ大主教様はひそかにロドリゴを呼んでお尋ねになりました。

ロドリゴ、ネパールに入ってから1週間。さぞやお前のネパール語の研鑽は進んだことであろう。来年までここディリチョール村で布教する自信は固まったであろうな!!」
ロドリゴにはそのご下問が何よりつろうございました。ロドリゴは日夜暇さえあればネパール語を学んできたにもかかわらず、信じられないことに「ナマステ朝、昼、晩の挨拶言葉)と「ダンニャバードありがとう)」以外の言葉を覚えられなかったからでございます。

ロドリゴ、お前はイエズス会一のアホといわれてきたが、わしは信じておった。お前は(能ある豚はへそを隠す)のたとえどおり、その才能をひけらかすことを恥じていただけであろう
ロドリゴは蒼白になり答えたものでございます。
大主教様、お許しください。このロドリゴはどんなに努力してもネパール語はナマステとダンニャバード以外は覚えられないのでございます・・・・

 大主教様はこの言葉を聞いてしばし茫然自失し、じっとロドリゴを見つめ、、そしてはらはらと涙を流されて申されました。
ロドリゴ、ではこたびの試みは単にロドリゴがイエズス会一のアホであることを再確認しただけになってしまったのか・・・・・・・。
考えてみればわしが悪かった。お前に隠された才能があると誤認したわしのほうが悪い

クナーカ様は深くため息をつきそして申されました・
だが、そのようなものをここディリチョール村に残すわけにはいくまい。ここにおいておくとロドリゴはナマステおじさんなんて揶揄されるだけで、イエズス会の名折れになる
かくしてロドリゴもジャポンに帰国することになったのでございます。

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ジュムラの飛行場とジュムラを守っている国家警察の訓練。毎朝走っていた

 翌朝早朝、10時にはジュムラの飛行場にネパール・ガンジー行きの飛行機が到着しているはずでしたので、われら布教団の8名と、通訳のフッド君、それにポーター4人で6時前にディリチョール村を出立いたしました。
そうして15kmの山道を約4時間かけジュムラに到着したのでございます。

 しかし飛行場についてみますとくるはずの飛行機は来ておらず、飛行場を管理している国家警察の職員はいたってのんびりと暇をもてあましておりました。
通訳のフッド君が事務所に行って確認した内容は実に驚くべきことでございました。
ここジュムラとネパール・ガンジー間の飛行機はわれわれがジュムラに飛んで来た5日前の便を最後に一機も飛んでいないと言うのでございます。

注)ジュムラはかつて王党派とマオイストの激戦があった場所で、停戦が締結された2006年以降もマオイストの極左派が武力闘争を宣言して山に立てこもっていると言われている。
そのためジュムラ飛行場は不穏分子をとりしまるため国家警察が管理していた。


 理由ははなはだはっきりせず気流の関係だと言うのでございますが空は青々と晴れ渡りどう見ても気流が悪いとは思われなかったのでございます。
最も山岳地帯にあるここジュムラでは午前中は気流が安定し午後は荒れるので飛行機はほとんどが午前中に離発着するのが普通ではございました。

 その日午後になっても飛行機はまったく現れる気配がありませんでした。
午後は飛行機は飛ばないから今日は駄目かもしれない・・・・クナーカ様はそう申されておりましたが、それでも一縷の望みを持って夕方までこの飛行場の周りでただひたすらうずくまって待っていたのでございます。

 夕刻になりいよいよ駄目だと言うことが判明いたしましたので、飛行場から約1kmあまり離れたジュムラの街のホテルでとまることになりました。
ここジュムラから隣村に道はあるのですが、雨季は泥濘と化し自動車はもちろん人さえも通行ができないため、飛行機が唯一の交通手段なのでございます。
だから飛行機が飛ばないと言うことはこの村にいつまでも滞在しなければならないのでございました。

  ここジュムラには外国人用のホテルはありませんでしたのでネパール人用のホテルでやや高級なホテルに泊まったのですが、そこでロドリゴはダニの襲撃にあってしまいました。
体中がくわれてやけにかゆいのでございます。

 それでも翌日にはここジュムラのダニのホテルを退散できると思ってかゆさを我慢しておりましたが、それはあまりにも楽観的な期待だったのでございます。

 こうして布教の7日目の夜が過ぎたのでございました。

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(28.6.23) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その6」

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(24.9.10) ロドリゴ ネパール日誌 その6 「トレッキングルートの開拓」

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(衣類を川で洗濯していた)

 ネパールGDPと言う経済基準から見たらとても貧しい国で、ジャポンGDPの100分の1と言う水準でございますが、実際の生活水準は数字ほどは低くございません。
それはこの国の人々の生活が、農村部を中心にほとんどが自給自足の生活で成り立っており貨幣経済のウェイトはせいぜい1割から2割程度だからであります。

注)貨幣経済のウェイトを1割とすると実際の生活水準はジャポンの10分の1程度になる。

 それでもやはり貧しいことは貧しいので、クナーカ大主教様はネパールの僻地と言われるここディリチョール村を何とかして支援できないものかと日夜考えておられました。
この地域の農産物はトウモロコシジャガイモが主ではあまり取れず、果物はりんごが農家の庭先になっておりました。
見てみるとりんごの木はほとんど品種改良をされておらず、実を大きくする摘果てきか)の作業がされていないため小粒で表面ががさがさなりんごでございました。
りんごの価格は非常に安く2個で5円で購入できましたので、1個の値段は2.5円と言うことになります。

 クナーカ様はこの地区のジャポンで言う農業改良普及員の方とりんごの商品価値を高めて市場で販売する方法について議論をされておられましたが、普及員の方はまったく乗り気ではありませんでした。
品種を改良しても売るところがない
実はここネパールの西部は交通の便が極端に悪く、作っても市場に出す手段は飛行機に限られており、一方で飛行機代をかけて市場に出すほどの高品質のりんごは作れないと言うジレンマに陥っていたのでございます。

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りんごで村おこしは無理か・・・・
クナーカ様はりんごによる経済改革は諦めたようでございますが、それならと旅行客相手のトレッキングルートの開拓を始めることを考えられました。
ここディリチョール村標高2600mの場所にあり、その周囲は4000m級の山々で囲まれており、また近くにはカンジローバという6883mの美しい聖なる山がそびえていたからでございます。

注)子供たちにこの村で一番好きなものものは何かと聞いたら「カンジローパ」と答えておりました。

 ネパールのトレッキングルートエベレスト8848m)が見られるエベレスト街道アンナプルナ8091m)が見れるアンナプルナ・トレッキングルートが最も有名ですが、そこにカンジローパ・トレッキングルートを加えようとの計画でございました。
カンジローパは標高は他の山に比べると見劣りしますが、ここは秘境といわれたネパールの中でも最も秘境であり、何か19世紀のヨーロッパアルプスの黎明期のように、このルートを開拓した人はまだ皆無なのでございました。

マリヤ、ロドリゴついて参れ。カンジローパのルートを開拓する
クナーカ大主教様のご命令とあらば悪魔の薬と言われているコカ・コーラさえ飲むのが主に仕える身の定めでございます。
朝の6時からマリア様ロドリゴは19世紀にマッターホルンに初登頂したウィンパーになったような気持ちで登り始めました。

 川を渡ったゲストハウスの反対側にある小集落から目の前の山に一気に登り、そこから稜線伝いに4000mのピークまでルートを開拓するのがクナーカ様の今回の計画でございました。
登り始めると信じられないことに小集落から山に向かって道がついておりましたが、後で気がつきましたがこれは牛追いの道でございました。
ここネパールではジャポンと異なり3500m程度の標高でも樹木や草が生い茂り、平らな山頂は牛の放牧地として夏場は牛が放たれていたのでございます。

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(今回登った3460mのピーク)

 われら三名は牛追いの道をたどりながら稜線に出てそこから稜線伝いに4000mのピークを目指したのでございますが、牛道は牛の好みによってあちこちに通じていて、ちょうどジャポンアルプス獣道けものみち)のようでございました。
三時間程度登ったところで3460mのなだらかな草原のようなピークに達しました。
そこから前方を見ると三つのピークを上り下りしなければ4000mの頂上には到達できないことが分かりました。

 実はこの時期ネパールは雨季で午前中は晴れていても午後からは驟雨になり、そうなるとこの高さでは霧が立ち込め方向感覚が分からなくなることでございました。
クナーカ様は意気軒昂でさらに前に進まれようとされましたが、ロドリゴがお止めしたのでございます。

大主教様ここまで三時間、4000mのピークまで行きますとさらに三時間程度はかかります。午後は必ず驟雨になりますので帰りは道を失い遭難することも考えられます。
大主教様にもしものことがあれば、ロドリゴは悪魔の酒のコカ・コーラを飲んで主にお詫びをしなければなりません。どうか今回のルート開拓はここまでにいたしてくださいませ


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3460mの頂上は牛の放牧地になっていた

 クナーカ様はとても残念そうでございましたが、お優しい方ですのでロドリゴコカ・コーラを飲ませるのは忍びなかったと思われそこから引き返すことにしたのでございます。
出発したのが6時、帰り着いたのは11時頃でございましたが予想どうり昼からはひどい雨模様になりました。
こうしてカンジローパ・トレッキングルートの開拓は来年に持ち越されたのでございます。

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(これがネパール料理

 その日の午後はこの村の長老で、ポーター頭のパドム君の父親にあたる人から食事の招待を受けておりましたので我々は喜んで招待を受けました。
ネパールでは土間が普通なのですが客室だけは板敷きになっておりました。
そこでこれが本場のネパール料理というものを食べさせていただきましたが、ネパールでは客だけで食事をし招待主はその場に現れない慣習でなんとも不思議な感じでございました。
 

 こうして布教の6日目が過ぎたのでございます。

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(24.9.7) ロドリゴ ネパール日誌 その5 「バザーとゲストハウス」

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(バザーで運動靴を売っているところ。一足200円程度で販売した

 5日目は昨日に引き続きこの学校での授業がございました。
ツキージ様は英語の歌を、そしてマリア様は昨日に引き続き盆踊りの指導をすることになっておりました。
ロドリゴはエコノミカの授業が終ってしまっていたので、ガイドのフッド君たちとスコーラのそばでバザーを開催していたのでございます。

 実は明徳学園の生徒が卒業とともに学園に置いていった運動靴が山のように残されており、その中でまだ十分すぎるほど新品の靴を洗って、ジャポンよりここディリチョール村まで運んできたのでございます。
これを販売した売上げをこの村のスコーラに寄付をする計画でした。

 村人は雨期はほとんど靴ははかずもっぱらゴムぞうりですが、乾期には運動靴がとても重宝するものの、ここの村人はアシックス製品のような丈夫で良品質の運動靴を入手できるのはこのバザーだけなのでございました。

注)雨期には運動靴は泥だらけになるのでゴムぞうりのようにすぐに水で洗える履物がよい。

 ネパールの方々は普段はとても物静かなのでございますが、一旦取引が始まると男も女もありったけの声を出して値段交渉が始まり、ジャポンに長らくすんでいたロドリゴにはまるで喧嘩をしているように見えたものでした。
100ルピーよ
馬鹿いうなこんな虫食い野菜は10ルピーだ
虫食いはあんたの衣類だろう
この王族の衣類が虫食いだと、あんたの目は節穴か」なんて感じで怒鳴りあうのでございます。
靴の値段は日本円で200円程度ですのでとても安いのですが、村人はそれをさらに値切ろうとぎりぎりの交渉をしかけてまいりました。

 実は私もジャポンより不要の衣類をかなり持ち込んで販売をしてみたのですが、村の女性に2着で200ルピー200円)と言ったのにまったく無視されて60ルピーしか払ってくれませんでした。
あんたにはこれで十分よ・・・・・」なんて感じで完全にロドリゴは迫力で負けてしまいました。

 ネパールではすべてが交渉で価格が決まり、一物多価という市場経済以前の状況にあります。特に外国人に対しては外国人価格と言うものが適用されるようです。
たとえばマリア様の例ですが、ある商品を50ルピーと言われたのを40ルピーで手に入れたと嬉しそうに話されておられました。
それをポーター頭のパドム君という青年が聞いて「ネパール人だったら10ルピーです」と言うものでマリア様はとてもがっくりされておられました。
信じられないことに外国人にはネパール人の5倍の値段を吹っかけているようでございました。

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管理人の赤ちゃんと子守の小学二年生の奥さんの弟

 ロドリゴはバザーの怒鳴りあいですっかり疲れてしまいゲストハウスで午後は休んでおりました。
ゲストハウスとは村の公民館のような建物で、3階建てでここにこのハウスの管理者の家族5人と、学校の英語の先生の家族3人、それと正体不明の1家族が住んでおりました。
クナーカ大主教様の話では、「ここは管理人以外はいなかったはずだが、いつの間にか住民が増えた」とのことでございます。

 ここの管理人は夫婦と子供二人、それと奥さんの弟の小学生が住んでおりました。
奥さんは二十歳とのことでしたが、どう見てもロドリゴには30歳を過ぎているように思えました。どうもネパールの女性は急激に年をとるようでございます。
また奥さんの弟は小学校の2年生ですがこの夫婦の1歳未満の子供の子守役で学校から帰ると常時赤ちゃんを背負ったり抱いておりました。
昔はジャポンでもよくあった子守でございます。

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管理人の奥さんと子供。二十歳と言うことだが・・・)

 忘れがたいのは友達のニワトリのことでございます。
この管理人の家族は4羽のニワトリを飼っていたのでございますが、一羽のニワトリをボスの雄鶏が見つけると常時羽をつついていじめており餌もまともに食べられないような状況でございました。
哀れと思ってロドリゴが持ってきた米を与えたところ、この哀れなニワトリはそれ以来私のそばを離れないのでございます。
雄鶏は常時餌を横取りしようとしましたので、その都度私が雄鶏を追っ払っておりました。

 思えばロドリゴがゲストハウスに滞在した数日だけがこの雌鳥にとって安息日だったようです。
ニワトリの社会にもイジメが存在し、今もいじめられているかと思うと心が痛むのでございます。

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ロドリゴのそばを離れなくなったいじめられっこのニワトリ。ロドリゴはネパール語の勉強をしている

 こうして布教の5日目が過ぎたのでございます。

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(28.6.19) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その4」

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(24.9.5) ロドリゴ ネパール日誌 その4 「スコーラでの授業」

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スコーラの朝礼。校庭は斜面になっていた。横長の建物は寄宿舎。生徒は300人ぐらいいた

 ネパールの学区制はジャポンのそれとは異なり、小学校5年、中学3年、高校2年計10年であり、大学に進むにはさらに2年の予科に通う必要があるのでございます。

 ここディリチョール村にあるスコーラ小中高のいわば一貫教育のようなスコーラで、この近在のスコーラとしては最高学府と位置づけられておりました。
住居が遠すぎて通うことができない高校生は学校の敷地内にある寮で生活しており、とても知的な雰囲気のあるスコーラでございました。

注)もともとここの校舎はジャポンの篤志家が200万円の寄付で建設したものを、クナーカ大主教様がその後の援助の継続を引き受けたものでございます。

 われわれ布教団はこのスコーラでジャポンの先端知識を披露して、あわせて布教活動の一助にするつもりであり、クナーカ大主教様は高性能の天体望遠鏡をわざわざジャポンより運んで寄付し、天体観測の授業を行う予定でございました。

注)あいにくネパールは雨季のため晴天に恵まれず天体観測は実施できませんでした。

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(マリヤ様の盆踊りの授業で生徒が踊っている

 一員のツキージ様は絵画の専門家ではございますが、その他に楽器を自在に操り歌がとても上手でしたので、スコーラの生徒に英語の歌を2曲指導なされていました。
またマリヤ様は日本語学の専門家ではありますが、今回はジャポンの誇る盆踊りの指導をなさって、多くのネパールの生徒がすっかり盆踊りのファンになってしまったのでございます。

 私ロドリゴエコノミカの担当で、ネパール経済と世界経済について話すことになっており、高校生のエコノミカ専攻の生徒約50名を相手に話し始めました。
ところが信じられないことに生徒は、GDPリーマン・ショックヨーロッパ危機も、またネパール経済が毎年赤字であり、その穴埋めは海外からの出稼ぎ者の送金とジャポンをはじめとする各国の資金援助で成り立っていることも一切知らなかったのでございます。

 話を進めていくうちにどうやらネパールのスコーラにおけるエコノミカとは、ジャポンでいう職業科の授業農業生産の仕方や、家屋の建設の仕方(ネパールでは石をレンガ状に割って積み上げ、間に粘土をつめるだけで家を建設できる)であることに気付きました。
ある生徒に「なぜエコノミカを学ぶか」と聞きましたところ「数学より易しいからだ」と答えたのには笑ってしまいましたが、大学に進む生徒は数学を、高校を出て就職する生徒はエコノミカを学ぶようでございました。

注)なお授業はジャポン語で行い、それを通訳のフッド君がネパール語に翻訳してくれました

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後ろがスコーラの校舎。電灯はなく黒板は古くなってしまったのでマジックボードを使用していた

 生徒は私の話をとても真剣に聞いてくれたのですが、ジャポンにおいてはこうした真剣さはとても期待できそうにありません。
ここの生徒は外部の情報をほとんど知らないゆえに、知識に飢えており何か明治時期のジャポンの学生が持っていた向学心のようなものをネパールの学生はもっていたのでございます。

 また生徒は身体に脂肪がついているような人は一人もおらず、とても体型がスリムでジャポンでいえば体育系の生徒のような体つきをしておりました。
そして女性は概して美しいのですが、信じられないことにネパールの女性は二十歳ごろを境に急速に年をとり、その後はほとんどの女性が干からびた山姥のような形相になるのでございます。
この変化の激しさはジャポンの女性を見慣れていたロドリゴにとってほとんど驚嘆と言っていいほどの驚きでございました。

 おそらく原因は紫外線の影響で肌が浅黒くなることと、かつ女性は農作業の重労働に明け暮れるため一様にやせてしわ深くなり、老衰してしまうのだと思われました。

 こうして布教の4日目が過ぎたのでございます

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(28.6.17) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その3」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(24.9.3) ロドリゴ ネパール日誌 その3 「ディリチョール村へ」

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カトマンドゥからネパールガンジーに飛びさらにジュムラに飛ぶ)

 おそらくジャポンの人々はネパールの地理についてまったくご存じないのではないでしょうか。私ロドリゴも今回の布教の旅に出るまではカトマンドゥがネパールの首都だとは知っていてもそこがどこにあるのかさえ知りませんでした。

 ネパールはヒマラヤ山脈の主稜を境にして南側に位置する国で北側は中国領のチベットになっております。インドから吹き上げる湿潤な空気がヒマラヤに当たって多くの雨を降らせるため4千メートル程度の高度まで植物が生い茂り、とてもジャポンとは異なった風土になっておりました。

 もともとはインドの一部のような場所で釈迦の生誕地ルンビニは現在ネパールの領土になっております。
熱帯地方の暑さとマラリアに耐えかねたインド人が山奥に逃げてきたり、タイやビルマからも何らかの理由で故郷を捨てたり、一方チベットから政治的宗教的理由でヒマラヤを越えたりしてできた多民族国家がネパールでございます。
何か規模の小さなアメリゴのような国だと言えばイメージがわくでしょうか。

 私たち布教団が訪れるディリチョール村はネパールの西部の山奥にあり、ネパール西部は秘境といわれるネパールでも最も秘境だといわれる場所でございます。
通常のバテレンが訪れるのは国土の真ん中よりやや東に位置している首都のカトマンドゥとその東北に位置する世界最高峰のエベレスト周辺、それとカトマンドゥの西約100kmにある観光都市ポカラ、そしてそこからのアンナプルナ・トレッキングルートに集中しており、それ以外の場所でバテレンの人影を見ることはまず皆無なのでございました。

 われわれ布教団はカトマンドゥからインドとの境のネパール・ガンジーを経由してジュムラという寒村に飛行機で飛び、そこから約15kmの山道をポーターに荷物を担いでもらってディリチョール村に入ることになっておりました。
ディリチョール村までの道はちょうどジャポンの林道のような無舗装の道でございましたが、クナーカ大主教様のお話では「3年前まではこの道はなく、山道しかなかった」そうでございます。

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(左側の川に沿って遡る

 道はところどころで土砂崩れで埋まっているため人かロバでの通行しかできなくなっており、たまに見かけるオートバイ以外は文明と称する乗り物は皆無でございました。
8月はネパールでは雨季にあたり午前中は晴れているのですが午後は必ず雨になると言う気候状態で、いたるところで道路わきから水が流れ落ちておりました。

 ジュムラの村をポーターとともに発ったのが午後3時近くでした。ガンジス川の支流のカルナリ川のさらに支流を遡っていくのですが、この川はジャポンの上高地にある梓川と同様な水量のとても豊富な激流でございました。
そしてこの川の上流には上高地と同様のかなり広い平坦地があり、そこにディリチョール村をはじめ多くの村落が点在しているのでございます。

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3年前に開削された道路。それまでは登山道のような細い道だけが通じていた

 クナーカ大主教様は登山が趣味とあってとても健脚であり、その後を忍者走りの修行を積んだマリア様と私ロドリゴが追うという展開で、その他の方はかなり後方から遅れてついてこられました。

 4時間程度ディリチョール村に入ったのですが、雨足が激しく道は泥濘と化しておりところどころ水没していたため歩行はきわめて難渋をいたしました。
クナーカ様は私たちが泊まるディリチョール村のゲストハウスを当然ご存知だったのですが、あまりに激しい風雨に気をとられゲストハウスへの入り口を見失ってしまわれました。

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(川にはこうした木でできた橋が架かっている

 日が暮れる頃ようやく間違いに気がついて引き返したのでございますが、あう村人に「ゲストハウス、ゲストハウス」と尋ねてようやくたどり着いたときは日がとっぷりと暮れ、さらに後続部隊もなかなか到着せずとても気をもんだものでございます。

 この村には電気がなくあたりは闇夜と化しており、しばらくして後続部隊が到着しても私たちの荷物を運んでいるポーターの若者たちはなかなか到着しませんでした。
ようやく驟雨のなかを若者が到着したのは夜の8時ごろで全員ぬれねずみのような状態でございました。
いやはや村に来るのにも命がけだな・・・」と言うのがその時のロドリゴの実感でございました。

 こうして布教の3日目が過ぎたのでございます。

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(28.6.15) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その2」


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(24.9.1) ロドリゴ ネパール日誌 その2

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(カトマンドゥの市内。狭い通りに人と乗り物がひしめいている

 この日(8月20日)はタイのバンコックからネパールの首都カトマンドゥに入りました。時間にして約3時間の旅でしたが、ジャポンとの時差は3時間15分でだんだんと夜が遅くなっていく感じでした。
しかしこの程度の時差は身体には負担にならないようでございました。

 カトマンドゥ国際空港は近代的な建物に改修されておりましたが、かつてはジャポンのJRにあった田舎の駅舎の感じだったとクナーカ大主教様が説明してくださいました(ほぼ40年ほど前にクナーカ様はネパールに探検旅行されておられます)。
20年ほど前までこの飛行場は魔の飛行場と呼ばれ、気流が難しくかつレーダーがなかったため旅客機が次々と墜落しておりました。
困ったネパール政府はジャポン政府に対しレーダー網の整備の要請があったそうでございます。

 その後、ジャポンの政府開発援助でレーダー網の整備飛行場の整備が行われ、今では通常の国際空港になりましたがバンコックシンガポール成田の飛行場に比較しますと、まだ一段も二段も遅れた感じがするのはやむないことだと思われました。

 こうして飛行場はそれなりの整備がされていたものの、飛行場からカトマンドゥの市内に通じる道路は未整備のままで、たった6kmの距離を行くのに40分程度かかると言う大混雑で、「これなら足で走ったほうが速そうだ」と言うのが旅行者全員の一致した意見でございました。

 飛行場を出てしばらくは広い道路なのでございますが、市内はまったくの中世の街並みで道路の幅は自動車がやっとのことで通れる程度でございます。
そこに人とオートバイと軽自動車と人力車が互いにひしめき合い、互いに警笛を鳴らして競争で道を奪い合うものですので、落ち落ち道を歩いているわけにはまいらないのでございます。

 ロドリゴがジャポンで住んでいるおゆみ野は広い遊歩道がありそこには自動車は一切入れず(作業用の車は特別許可を得て入っております)、また通常の道でも自動車が警笛を鳴らすことはまずないのですが、ここカトマンドゥは自動車とバイクは常時警笛を鳴らし続けなければ動けないので実にやかましいほどの蝉噪でございます。

 この日一日はカトマンドゥで一泊することになっていたため、午後から市内見物に出かけたのですが、中世の街並みに現代が無理に押し込められたような街で、市内には人人が溢れかえっておりました。
カトマンドゥ公表70万人の街ですがとてもその程度の人口の街とは思われず、住民登録をしている人以外の出稼ぎ者で溢れかえっているムンムンするような街並みでございました。

 また意外にも孤児が道路に溢れていて、特に外国人が買い物をする店の前に陣取り、食べ物をねだっておりました。
前にはこんなことはなかったのだが」ネパールに何回か訪問しているクナーカ様の友人がしみじみと申しておりましたが、豊かになるにつれ貧富の差が出てきたのでございましょう。

注)ネパールには近代的な意味での職場が少なく田舎から溢れた農民が首都に集まり、そこでも食べていけない人は海外に職を求めて出稼ぎに出て行くような構造になっております。

 ネパールの人々のほとんどはヒンドゥー教徒多神教であり、シバ神などをあがめておりましたのでクナーカ大主教様は「邪教である」と大変ご不満のようでございましたが、私ロドリゴには何かユーモラスな神々に見えたのでございます。

 
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ダルバール広場。ここだけ車が入ってこない。もし旧市街全体が歩行者天国だったらこれほどすばらしい観光スポットはないのだが・・・・

 カトマンドゥの観光スポットの一つがダルバール広場でここに旧王宮ヒンドゥ寺院が立ち並びここだけが自動車やオートバイが入れないようにしてありましたので警笛で追い回されることはありませんでした。
しかしこの広場に入るには外国人には通行税が科せられ、中世の関所となんら変わりがないことに驚いたものでございます。

注)ジャポンでも戦国末期までは関所は通行税を取るための場所で、大名や寺社が勝手に通行税を取り立てたため、商取引に支障が出ておりました。

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ヒンドゥのシバ神。日本の仁王様

 ロドリゴにとってはこのカトマンドゥはあまりにやかましい街並みでしたので疲れが全身を覆うような感じで、はっきりいえば好きになれませんでした。
早くこの街を離れて秘境といわれるディリチョール村に行きたいものだ」そう心から思ったものでございます。

 こうしてネパールの布教の旅の二日目が過ぎたのでございます

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(28.6.13) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その1」

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(24.8.31) ロドリゴ ネパール日誌 その1 

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(タイ国際空港の展示品

 ロドリゴが明徳学園の大主教クナーカ様からネパールの秘境、ディリチョール村への布教の同伴を命じられてジャポンを出立したのはキリスト暦8月19日のことでございました。

 今回の布教にはクナーカ大主教様他、明徳学園で日本語学を研究されているマリア様、日本の風俗を絵画にして遠くエスパニアに報告をしているツキージ様やその弟子2名、クナーカ大主教様の友人2名、それと私ロドリゴ8名のメンバーでございました。
出立に先立ちクナーカ大主教様からは、「ロドリゴは特にネパールの経済を研究してその可能性を検討し、合わせて布教活動の有無について報告を纏めるよう」に指示があったのでございます。

 ジャポンからネパールに向かうには直行便がなく、一旦タイ航空でタイのバンコックによって、そこから再びタイ航空の飛行機でネパールの首都カトマンドゥに向かうことになりました。
ジャポンには成田に国際空港があるのでございますが世界の潮流からははるかに遅れたローカル空港になってしまい、ハブ空港としての機能がなく、ネパールに直接乗りつける便はタイや韓国や中国に一旦出向かなければならないのでございます。

 この日の成田は昼ごろの出立でしたのでバンコックには夕刻到着いたしました。
そのためこの日はバンコックで一日宿泊することになりました。
思えばロドリゴがバンコックの布教に出向いたのは今から20年ほど前でしたが、その頃に比べるとバンコックの街並みは一変しておりました。
特に著しい変化は飛行場と街の中心を結ぶモノレールが開通していたことと、街中に東西を結ぶ鉄道網が敷かれ、ジャポンと同様なサラリーマンのラッシュアワーに遭遇したことでございます。

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モノレールと鉄道の乗換駅からバンコク市内を見る。写真を写しているのはマリア様

 かつて中古のバスと中古のタクシー、オートバイおよび人力車だけだった街がいつの間にか近代的な大都市に変貌した様は、この20年がタイ国の大発展期だったことをものがたっております。
バンコックでの食事はタイ料理を食しましたが相変わらずのスパイスの効いた料理に昔のタイを思い起こしました。

 ロドリゴが布教活動をしていた頃は1食50円程度の食事と、一泊200円程度の安宿に泊まっておりましたが、今回の宿泊場所も食事代もほぼジャポンの半額程度になっており、この間の物価上昇に驚いたものでございます。

 タイの発展には驚きでしたが、ロドリゴはそれよりも明日からのネパールでの布教活動のことが頭を離れませんでした。
なにしろ今回赴くディリチョール村は秘境といわれているネパールの中でもさらに秘境で、クナーカ大主教様が始めて布教に成功した5年前からでも、年に1回この村を訪れるのがやっとと言う状況だったからでございます。

ロドリゴよ、お前はこの村に留まり主の教えを村人にひろめるのじゃぞ
大主教様からは内々にそのように申し渡されておりましたが、果たして主の教えを村人に広めることができるか、ロドリゴには不安だったのでございます。

 こうしてネパールへの布教のための第一日目が終りました。

なお、ネパールへの布教のたびをするようになった詳細の経緯は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/2464-b9c7.html

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