リメイク版 夏休みシリーズ 24年

(24.8.30) 夏休みシリーズ その10 リクガメの便秘

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(トシムネさん撮影)

 
私の家にはケヅメという種類のリクガメがいる。もともとは息子が飼っていたものだが自分で世話ができなくなって私に世話を依頼した。
以来5年にわたってこのリクガメの世話をしているが、冬になるとリクガメは便秘になり、何日もウンチをしなくなる。そのままにしていてもいつかウンチはするものだが、当初は本当に心配したものだ。


(19.12.19)カメゴンの便秘


 冬になり寒さが増してくると、亀ゴンの動きが極端に鈍くなってきた。一日中ちじこまっており、食欲もないみたいだ。
夏場は庭中を走り回り、芝生を食べまくっていたが、その頃とは大違いだ。

 今までは毎日、ウンチとチッコの処理に明け暮れ「お前、いくらなんでもしすぎじゃないか」と文句を言っていたのだが、このところウンチをまったくしなくなった。

 最初はウンチ処理から解放されたと喜んでいたのだが、3日を過ぎる頃から心配になってきた。
亀ゴン、お前、便秘じゃないのか
私などは3日も便秘になると苦しくて仕方がない。気分も滅入ってくる。

 5日を過ぎた頃から本格的に心配になった。亀の便秘を心配して胃がチクチク痛み出した。
亀ゴン、ウンチをしてちょうだい」毎日頼んだのだが効果がない。

リクガメの衣・食・住」という本を取り出して読んでみると、便秘のときはひまし油で浣腸をすると出ている。
亀の浣腸なんかしたことがないので当惑してしまった。第一人間のイチジク浣腸が亀のおしりに入るのかも分からない。
おしりを見ようとして、ひっくり返したら大騒ぎをされたあげく、尻尾でおしりをブロックされて見ることもできない。

浣腸以外の方法はないのだろか
他の方法としてお風呂に入れるという方法が書いてあった。風呂に入って気持ちよくなった亀が排便と排尿をするというのである。

 さっそく風呂場で亀ゴンを飼っている容器にお湯を5cm程度入れて、排便を促そうとしたら、風呂に慣れていない亀ゴンは興奮して大騒ぎになってしまった。陸ガメは泳げないので水が怖いみたいだ。
困ったな、どうしたらいいんだろう

 最後の手段として容器から出して、上からお湯のシャワーをかけてみた。亀ゴンは夏場に雨に打たれた経験があったので、シャワーは怖がらないことを知っていたからだ。

 頭を撫ぜながら温水シャワーをかけるとようやく落ち着き始め、手足を伸ばしてうれしい事に排便をしてくれた。

亀ゴンがウンチをした。ウンチをしたぞ」大騒ぎだ。
これで私も胃の痛みから解放されるだろう。

 かみさんから「どこにウンチしたの」と聞かれて、返答に困った。
大丈夫、綺麗にしたから」亀ゴンのために許しを乞うた。

 しかし、陸ガメの便秘でこんなにも一喜一憂するとは思いもよらなかった。生き物を飼うのは大変なことだと実感してしまった。


別件1)中学生の数学と英語をボランティアで教えます。詳細は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-f027.html

別件2)「おゆみの四季の道」のカウンター10000を「おゆみの四季の道 新」に加えました。

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(24.8.29) 夏休みシリーズ その9 日本のシルバーは元気だ

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(トシムネさん撮影)

 私は自分が老人になってしみじみ思うのだが日本の老人ほど恵まれている老人はいない。年金生活でまったく支障なく暮らせるし、ゲートボールをしたり登山をしたりして人生を楽しんでいる。
元はといえば高度成長の恩恵を一身に受けているからだが、老人と若者との間の所得格差は修正が必要な段階に来ている。


(19.12.5) 日本のシルバーは元気だ。


 NASおゆみ野に通い始めて2日目になる。水泳を1時間程度して帰ってきているが、25メートルプールに40名程度の人が泳いだり歩いたりしていた。昼間なのであまり多くはないのかもしれない。

 よく見るとこの時間帯にプールを利用している人は、ほとんどがシルバーと呼ばれる年代の人たちで、私より年齢が高そうな人が多い。
しかし実に元気がいい。

 ある時間になると、アクアビクスという水中ダンスが始まる。するとどこにいたのか急に人が集まってきて、インストラクターの指示にしたがって楽しそうにダンスをしている。

 キャーキャーさけんで子供みたいだ。日本の年配者は一般にとても元気がいいのだが、特にスポーツクラブに通って来る人はひときわ元気なようだ。

 実際私も退職して完全に年金生活者になったのだが、こんな楽しい人生があったのかと驚いている。
会社にいた頃は、私のようなマイペース人間でも、そこそこ緊張したり興奮したりすることもあったが、定年後はまったくそのようなことがなくなった。

おとうさん、あまり緊張感がなくなるとぼけるよ」娘が心配してくれる。
しかしそのような心配はなさそうだ。
すべてボランティアだが、清掃活動里山整備を行っているし、小学校にも通っている。最近は朗読会作詞をしたりして、カレンダーにも予定が書き込めるようになった。

 だがこのようなことはすべて好きでやっているので趣味の延長のようなものだ。胃が痛むようなストレスからは程遠い。

 あまり人は言わないが、日本のシルバーが置かれている状況は、人類史上最高の状況ではないかとひそかに思っている。
無理をしなければ年金で十分に生活できるし、医療も手厚い。60歳を過ぎると映画も1000円で見れるし、博物館や美術館でもシルバー料金になっているところが多い。

 海外旅行も価格の最も安いオフシーズンに行くことができるし、出歩くのも昼間だから交通ラッシュにはあわない。
身体にガタがくれば、NASおゆみ野のアフターヌーン料金で水泳をしてリハビリができる。

 社会的環境という点で言えば、「パンとサーカス」を十分与えられた古代ローマ市民みたいだ。

 しかも時間は有り余るほどあるので、頭の体操までできる。
私は趣味でブログを毎日書いているが、常にテーマを探さなければならず適度な刺激になってくれる。
ブログの世界では、知恵と時間は必要だが費用はまったくといっていいほどかからないのでシルバー向きだ。

これこそが、人類が求めていた天国そのものではないか」感極まってしまった。
日本のシルバーは本当に幸せなのだと思う。

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(24.8.28) 夏休みシリーズ その9 若さ対策に没頭した

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(トシムネさん撮影)

 信じられないかもしれないが私は40歳の頃から若さの研究をしてきた。研究といっても私のことだから実践活動で「こうすれば人間はいつまでも若くいられるのではなかろうか」と思われたことを実践してきた。今66歳になってこの目標が達成できたかどうか評価するのはとても難しい。
外形だけなら帽子をかぶっている限り40才台なのだが、何しろ耳は遠くなってまともに人の話が分からない。
個別のデバイスはかなりガタが来てしまったが、見てくれだけは何とか目標を達している。


(19.10.28) 若さの研究

 実はこのことを記載するのは長い間躊躇してきたのだ。
奇抜すぎるし、人に紹介するのもどうしても気恥ずかしさが付きまとう。
しかし61歳にもなって神様のお向かいがいつ来てもいい年になったので恥を忍んで公開することにした。

 私がちょうど40歳のとき、「人間はもしかしたら年をとらないのではないか、あるいは年のとり方を遅らせることができるのでかと気付いた
きっかけは、映画「2001年宇宙の旅」である。キューブリック監督の名作中の名作といわれたこの作品で「コールドスリープ」という技術を紹介していた。「体の体温を低下させて眠るとその間生物は年をとらない」という技術であり、言ってみれば熊の冬眠のようなものだ。

 普通の人は、この映画を見て感心するだけだが、私は本格的に「年をととらない技術の習得」に努めたのである。
目標は50歳で自然年齢より10歳若く60歳で20歳若く身体を保つことであり、できるだけ40歳の体力や知力維持する計画だった。

60歳になったとき「どう見ても40歳ですね」といわれれば実験は成功と言うことになる。

 信じられないかも知れないが私はこの実験に本格的に取り組んだ。時間があれば寝ていたが、寝ている間は年をとらないと確信したからだ。8時から寝てかみさんの顰蹙をかってしまった。

 しかしそれだけでは肉体を維持できないので、マラソンや登山のような運動はこれも時間の許す限りおこなった。昼休みは神宮外苑コースを走り回ったものである。
乗り物にはできるだけ乗らず、歩けるときは徹底的に歩くことにした。よく私の職場のあった新宿から本社の丸の内まで歩いていて移動していたので、よく言われたものだ。
山崎さん、歩くのはいいが会議に遅れないでくださいよ

 また、食事もラットの実験にあるように餌の少ないラットほど長生きすると知ったので、食事は1日1回に制限した。さすがに夕方になると飢餓状態になったが、10年程度続けたものである。

 勿論、身体に悪いと言われることは一切しなかった。酒もタバコも一切手をつけず、宴会はできるだけ避けるようにした。
サラリーマンなのに修験者みたいな生活だ。
こうして20年たったのである

 こんなにも努力した結果、その成果はどうだろうか。正直言って成果があったとも、なかったとも言える。
こと体力だけで言うと、先日の夢街道215KMのようなレースを完走することができたし、登山もテントをせおって1週間程度山の中を歩き回ることができる。筋肉はそれなりに隆々としているので、見てくれだけで言えば成果があったといえる。

 しかし一方で、頭ははげてしまい、耳の聞こえは極端に悪く、目は老眼になり、記憶力はどこに行ったのという状況だ。
かみさんからは「首から上が問題なのでは」なんて露骨に言われ、最近では自慢の肉体も坐骨神経痛に悩まされている。

 うぅーん、なんと表現したら言いのだろう。40歳からの20年あまりの実験をどう評価すべきだろうか。
帽子をかぶり、ランニングスタイルのときは40歳だが、それ以外は老人だと言うのだろうか。

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(24.8.27) 夏休みシリーズ その8 自然のリズム教の教祖になった

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(トシムネさん撮影)


私の生活はいたってシンプルだ。朝太陽があがれば眼を覚ましくれると寝てしまう。最近は食事が終ってNHKのクローズアップ現代を見たら寝てしまうので8時には寝て、朝は4時ごろ目がさめる。
老人は朝が早いと言うが私は寝るのも早い。
自然のリズムに合わせて生活しており、一種の教祖のようになってきた。


 (19.10.18) 自然のリズム教


 最近の眠たさはどうしたことだろう。時間があれば寝ているみたいだ。
もともと私は良く寝る方で、暗くなると眠たくなり、明るくなると目が覚めていた。自然のリズムに非常に忠実なので、夏場は睡眠不足になって、冬場は冬眠している熊みたいに良く眠る。

 実際私の寝る時間は早いのだが、だいたい8時か9時ごろには寝てしまう。社会人であった頃はさすがにいつも8時に寝るわけにはいかなかったが、引退したら社会とのしがらみがなくなったので確実に8時か9時には寝ている。

 かみさんから「お父さんは幸せでいいわね」と半分皮肉混じりにいわれるが、一方朝起きるのは夏場は特に早い。
明るくなると目が覚めるので、3時から4時ごろまでには必ず起きていたが、日の出が遅くなるにしたがって起きる時間が遅くなった。

 この自然のリズムにあわせて寝たり起きたりする生活はとても快適なのだが、一方このリズムが壊れると体調だけでなく精神的にも不安定になってしまう。
先日の甲州夢街道215KMのように、夜を寝ないで走ったりするとその後のリカバリーにやたらと時間がかかるのもリズムが壊れたせいだ。

 社会人であった頃、夜の付き合いを最低限に抑えたのも自然のリズムを維持したいからだった。それでも若い頃は2次会や3次会につきあわされたが、年を重ねるにしたがって誘いがなくなった。
山崎は夜の付き合いが嫌いなようだ」周りが悟ってくれた。

 このリズムが維持できている時の私はハイテンションで非常に陽気だ。四季の道の清掃活動をしているときも、会う人ごとに「おはよう」なんて声をかけているので、今ではほとんどの人が友達みたいになった。
ランニングしているときも「こんにちわ」ランだ。

 作業効率もやたらと上がるので、何をしてもすぐに終わってしまう。最もかみさんに言わせると「お父さんは何でも早いけど、ミスが多いのよね」ということのようだが、作業もるんるん気分だ。

 こおして大げさに言うと61年間も自然のリズムに合わせて生きてきたので、いまさらこの生活パターンを変えることはできそうもない。
いっそのこと「自然リズム教」の教祖になって、教えを説いてしまおうか。

自然の声に耳をかたむけなさい。あなたの心も肉体も自然のリズムをもとめているのです。こころ安らかな生活は自然の声の中にあるのです」
 さっそく亀ゴンが信者になってくれて、毎日寝ている。

質問者「先生は自然リズム教をはじめたそうですが
教祖「先生ではない。教祖様といいなさい

質問者「では教祖様、信者はいるのですか
教祖「亀ゴンがいる

質問者「亀ゴン以外は誰がいるのですか
教祖「亀ゴンの妹がいる

質問者「人間の信者はいないのですか
教祖「くどい、亀だけだ

 

 

 

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(24.8.26) 夏休みシリーズ その7 失敗記 職業選択の巻き

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 若いうちは自分がどのような能力があるのかも分からないし、どのような職業を選んだらよいのかも分からない。しかし直感のようなものがあって、一度はそうした仕事につきたいと思うものらしい。
だが多くの人は直感ではなく、世の習いにしたがって職業を選び、年をとってから苦い思いにかられる様だ。
私の場合もそうだった。

(19.9.10)失敗記 その9

職業選択の巻

 青年海外協力隊と言うものをご存知だろうか。20歳から39歳までの若者を対象に、主として低開発国に2カ年間、何らかの支援を目的に送り出す事業である。
若者であるからほとんどが技術者ではない。いわば情熱だけで現地に溶け込み、教育や簡単な医療や、スポーツの手助けをするボランティアだと思えばよい。ただし最低限の生活費は支給してもらえる。

 元々はアメリカで始まった平和部隊が手本で、日本では1965年から派遣が始まり、現在まで約3万人がアフリカやアジアや中南米を中心に派遣された。今現在活動している人員はおよそ2500名だそうだ。

 実は、私が大学を卒業したのは1970年であり、青年海外協力隊の創業期にあたる。
ある日、青年海外協力隊の募集要項をみて、勇んで応募に駆けつけた。海外で生活することも魅力だったが、何よりも低開発諸国の人々に役立つのだと言うことが、若者の心を奮わせた。

 事務所で「是非、青年海外協力隊員として派遣してほしい」などと高揚した気分で応募の動機を話していたら、急にこの事務所のある人から別室に呼ばれてしまった。
その人は「自分は君と同じ大学の先輩にあたる」と自己紹介をした後、信じられないようなことを言った。

青年海外協力隊に応募する人のほとんどが、いわば日本ではまともな職業に就けない人たちで、君のようにどのような会社でも入れる人間の来るところではない
だから君は日本の大手企業に入り、まともな生活をしなさい」と言うのだ。

 実際当時は高度成長期の真っ只中にあって、どこの企業も募集に血眼になっていた。望めばどこの企業にも入れたので、わざわざ海外の、しかも低開発国に行くのは「まともな職業に就けない人」か「つきたくない人」だったのは事実である。

 勇んでいただけ気持ちが落胆したが、結局私はこの先輩のアドバイスを聞きいれ、青年海外協力隊の応募はあきらめ、ある金融機関に就職した。
しかし61歳の今になって「その選択が正しかったのかどうか」疑っている。

 その後の人生を振り返ってみると、私は会社人間としては異邦人だったし、出世とは縁遠い存在だった。いつも居場所の悪さを感じていたのも事実である。他に自分に適した仕事があるはずだと、シナリオライターを目指したり、国連職員を目指したりした。
しかし結局はこの金融機関に最も長く勤めた最年長の職員として退職した。本当に私以上の年配者は、この企業のトップただ一人だけだったのである。

 退職してから1年間立ったが、その間はボランティアしかしていない。主として清掃ボランティアであったり、里山開発のボランティアであったり、小学校の草刈りやパソコンボランティアだが、実に楽しいのだ。
ボランティアだから報酬は期待できないが、一方ボランティアだから自由気ままにできると言うよさもある。

 こうしたことができるのも企業に37年間勤めて年金生活が可能になったからだともいえないわけではない。
一方、こんな楽しいボランティア生活なら、当初から青年海外協力隊に応募し、その後の人生をそおした活動に費やしても良かったのではないかとの思いにかられる。

 青年海外協力隊の事務所にいた先輩は、明らかに好意でアドバイスしてくれたのだが、私の場合は「不適切なアドバイス」だったのではなかったかと今にして思うのである。
こんなに楽しいなら、最初からボランティア生活すればよかった」そお思ってしまうのだ。

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(24.8.25) 夏休みシリーズ その6 四季の道の歌詞 阿久 悠さんへ

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 歌謡曲の作詞家はすばらしい詩人だ。特にその感を強く持ったのは阿久 悠さんの歌詞に触れ手からだ。
「私も一生に一度でもいいから自分が歌詞を付けた歌をみんなが歌ってもらえないものかしら」そう思っている。
そのときたまたま作った貸しがあったことを示唆しぶりで思い出した。


(19.9.2)四季の道の歌 阿久 悠さんへ

 
先日(8月1日)、作詞家の阿久悠さんがなくなられた。70歳だった。
阿久さんは私の大好きな作詞家で、カラオケで歌う歌のほとんどが阿久さんの作詞だった。言葉の魔術師といってよい。

 阿久さんは詩人である。現在の日本において詩歌も短歌も俳句も一部の人の趣味になってしまっているが、歌謡曲の中では多くの人に受け入れられて、カラオケで歌われている。
歌謡曲の中の歌詞は詩なのだ」私は阿久さんの作詞した歌を歌うたびにその感を強くした。

 石川さゆりの「津軽海峡冬景色」、五木ひろしの「追憶」、岩崎宏美の「思秋期」、都はるみの「北の宿から」、森進一の「さらば友よ」、八代亜紀の「雨の慕情」等は曲そのものもすばらしいが、何よりもその歌詞に心を打たれる。
阿久さんの作詞した曲が、レコード大賞を5回受賞したのも当然だろう。

 こんなにも阿久悠さんにお世話になったのだから、何もしないで歌を歌っているだけでは申し訳ないと思った。
私も阿久悠さんのひそみに倣って作詞をし、霊前にささげることとしよう。初めての作詞だからレベルのほどは知れるが、作詞をすることが大事なのだ。

 私が日頃愛している「四季の道の歌」を作ってみた。

春の道を おぼえていますか
あなたのちちゃな瞳に さくらの花が 写っていました
両手をひろげて 花びらを集め ママの手のひらに おいてくれましたね
あなたが初めて歩いた日の 思い出です

夏の道を おぼえていますか
あなたの澄んだ瞳に ケヤキのこずえが 写っていました
サッカーボールで ドリブルしながら ママの周りを 走ってましたね
あなたの少年時代の 思い出です

秋の道を おぼえていますか
あなたのきらめく瞳に 愛する人が 写っていました
肩をよせあって 歩く二人に ママはちょっぴり ヤキモチをやきました
あなたが旅立ちをした時の 思い出です

冬の道を おぼえていますか
あなたの強い瞳に ママの顔が 写っていました
強くたくましい 腕に抱かれて ママは天国に 行くけれど
これがさいごの あなたの思い出です

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(24.8.24) 夏休みシリーズ その5 朗読のスパルタ訓練を受けている

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 実に懐かしい記事を見つけた。ちはら台のコミュニティーセンターで実施されていた朗読会で私が話し手になったときの記事である。
それまで私は朗読なんて日本人なら誰でもできるものと思っていたが、とんだ勘違いだったことを初めて知った。
指導してくれたのは普段は優しいが、トレーニングとなると夜叉に代わるYさんである。


(19.8.24) スパルタトレーニングを受けている。


  トレーニングを受けている。例の乙川優三朗おとかわ ゆうざぶろう)著、磯笛という短編小説の朗読のトレーニングである。場所はちはら台コミュニティーセンターだ。

 Yさんはこの道のプロで、普段はとても優しい感じの女性なのだが、こと朗読になると相手が誰であっても容赦はしない。私のように61歳になった老人までもスパルタ教育でしごくのだからすごい。

 考えてみれば朗読なんて中学生の時を最後にしたことがない。その後は黙読中心で、しかも年齢を重ねるにしたがって漢字を読みではなく形で理解するようになっていたので、いざ音に出すと意外と間違った読みをしてしまう。

 Yさんは私が少しでも間違がったりすると、小学校の先生のように丁寧に間違いを指摘する。
山崎君、もう一度読んでご覧なさい
山崎君、内容をちゃんと理解して読むのよ。字面だけ追ってはだめ
山崎君、言葉にも感情があるの。棒読みになってるわよ

 自分の朗読を録音して聞いてみたが、会話部分はともかく、説明文はただ読んでいるだけで、聞いてもちっとも面白くない。
聞いてる人はあくびがでそうだ」がっかりしてしまった。

 Yさんによると「まともな朗読をするためには、1週間に2回、2時間ずつのトレーニングが必要です」というのだ。えらいことになった。
こちらはボランティアの朗読だから、適当にとちってもいいと考えているのだが、「努力をすれば必ず報われます」なんて人生訓まで言われてしまった

 間違わないように読もうと緊張したり、精一杯抑揚をつけようとして胃の調子がおかしくなった。例によってしくしく痛むのだ。楽しい定年生活はどこにいってしまったのだろう。
かみさんは「鼻の下が長いからこうなるのだ」なんて言って、まったく同情してくれない。

 9月末の朗読会までは約束だからがんばるが、朗読は今回限りにさせてもらおう。
山崎君、とてもよかったわよ。またがんばろうね」なんていわれても、「ぼくちゃん、もう朗読はしないの」ときっぱり断ろう。

 その時はできるだけ鼻の下を短く見せることが大切だ。

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(24.8.23) 夏休みシリーズ その4 夏休みは大変だ

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(トシムネさん撮影)

今思うと5年前のおゆみ野は大変だった。悪がきが公園で花火を打ち上げてはその残骸を残していたり、壁の落書きが絶えなかったり、犬のウンチがいたるところに放置されていた。
あれから5年、そうした悪さは影を潜め花火の残骸もほとんどない。
犬のウンチはたまにはあるが猛烈なものはなくなり、落書きもほとんどされない。子供たちへの指導が効果をあげているからだろうか。本当に最近のおゆみ野は静かでのんびりしている。


(19.8.7) 夏休みは大変だ。

  夏休みになってから、ゴミの清掃活動が急に忙しくなってきた。ゴミの量が増え、今までになかった種類のゴミが発生している。

 学校が休みになると児童や学生が四季の道で遊ぶ時間が増え、当然ゴミも増える。学校があった時は、朝清掃をすると児童や学生が帰る時間帯までは、ほとんどゴミが増えない。
だから午後3時ごろまでは実に美しい四季の道の景観を楽しめたのだが、この夏休みの期間は四六時中ゴミが捨てられてしまい、景観がたもてない。

 もう一つの問題は花火をした残骸が必ず公園等に放置されており、しかも半端な量ではないことだ。

 最近の花火は改良が進んでいるらしく、直径8cm程度の大型花火の残骸がよく公園に残っている。大人が参加したと思われる場合は、花火の残骸は袋に集められて1箇所においてある。
一方児童や学生だけでおこなったと思われる場合は、散らかし放題で花火の残骸を集めるだけで一苦労だ。
せめて、1箇所に集めてくれい」悲鳴を上げている。

 さらに、犬のウンチが加速度的に増えている。これはどうも子供や学生が犬の散歩をさせているかららしく、従来大人がやっていた時はウンチの処理をしてたたのに、そのままほっておくらしい。
 特に、千葉南警察近くの秋の道にする犬のウンチは実に巨大で、サツマイモみたいなウンチが常に5・6個されている。

 自転車等で踏まれると、昔の馬糞が広がったような状態になるので、毎日処理しているが、これが夏休みの間続くか思うと気が重い。
いっそ、糞だらけにしておいて、社会問題化させようかしら」居直りたくなる。

毎朝新聞  8月7日

 従来から問題になっていた、おゆみ野四季の道の巨大なウンチは、その後も増え続けつづけ、このままでは通行の支障になるため、市はブルドーザでの撤去を始めた。
 撤去された量は、大型トラック10台分になり、このようなウンチの量は前代未聞と言う。撤去費用について市は、大型犬の所有者に請求したいとしているが、一方大型犬の所有者は「
犬が勝手にウンチをしているので請求は犬にすべきだ」と訴訟も辞さない態度だと言う。

 夏休みの期間はゴミ処理も大変なのだ。しかし幸いに今回はおゆみ野クリーンクラブがある。メンバーも8人おり、昨年のように一人ではない。グループメールを使って奮闘を依頼した。

清掃活動の強化についてお願い

 夏休みに入って、四季の道周辺の道路にゴミが増えてきています。これは毎年のパターンで、休み期間中は生徒が四季の道周辺で遊ぶことが多いためです。
また犬のウンチも増えていますが、これも犬の散歩を児童や学生がすることになり、親と違い、犬のウンチを放置しているためです。
クリーンクラブのメンバーの方には申し訳ないのですが、この休み期間中の清掃の強化をお願いいたします。夏休み強化月間と思って協力してください

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(24.8.22) 夏休みシリーズ その3 失敗記 真珠腫性中耳炎の巻き

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(トシムネさん撮影)

私は現在右の耳がほとんど聞こえなくなっており、左の耳も時間が経つにつれて聞こえが悪くなっている。人と話すのがつらいほどだが、その原因は若いときの健康への過信に立ったのは確かだ。老年になって悩まないために中耳炎にはぜひ気をつけていただきたい。

(19.7.23)失敗記 その8


健康に対する過信は、限度を越えるとその後の人生に大きなマイナスの影響を残す。私の中耳炎から真珠腫(しんじゅしゅ)性中耳炎への移行、そして手術の過程はまさにそうしたものだった。

(真珠腫性中耳炎の巻き)

 私は若かった頃、極度に健康に自信があった。どんな風邪でも一日布団に入って寝れば直ったし、そもそもほとんど病気になることはなかった。
若者は病気にならないし、ほっておいても直る

 私が大学1年のとき、愛知県常滑市で水泳部の合宿がおこなわれた。当時私は水泳部で最遅のクラブ員だったが、日夜クイックターンの練習をさせられた。
その過程で中耳炎にかかったらしが、合宿の打ち上げで常滑の海岸で素もぐりをして楽しんだため、さらに症状が悪化した。
数日後、耳垂れがでてそれが固まり外耳をふさいでしまったのである。

 本来なら、その段階で医者に行き、中耳炎の治療をすべきだが、私は過信して医者に行かず、耳掻きで塊をほじくりだした。
中耳炎なんて、こおすれば直る

 当時は気がつかなかったが、無理に塊を掻き出したため、鼓膜に穴が開いてしまったらしい。その後は海で泳ぐたびに、中耳が痛み、耳垂れが外耳をふさいだが、同じように耳掻きで掻きだしていた。

 30歳頃から症状はだんだん悪化し、毎年冬になるとひどい風邪をひくようになった。一週間程度症状が抜けず、中耳は常時痛み、そのたびに耳垂れが外耳にこびりつく症状に悩まされた。
この頃はさすがに医者に通っていたが、医者の治療は通常の中耳炎の治療をでなかった。
しかし、年々症状は重くなる。
これは、おかしい。なにか重症の耳の病気ではないかしら

 思い余って、順天堂大学の付属病院で検査を受けた。36歳のときである。
これは真珠腫性中耳炎だな、手術をしないとだめですね

 真珠腫性中耳炎の知識のない人のために説明すると、中耳炎のなかで最も悪質な中耳炎だと思えばよい。内耳に真珠腫という、まさに真珠のような塊ができて、それがだんだん大きくなり内耳を壊してしまうほど大きくなる。
内耳のそばには神経の束があるので、ここが圧迫され症状としては常時めまいがし、最終的には死にいたる怖い病気だ。

 幸いにも、当時順天堂大学のエースと言われた助教授が手術を担当してくれて、真珠性中耳炎は全快したのだが、右の耳の聴力は極端に低下し、ほとんど聞こえなくなってしまった。
でも、まあ、左の耳が聞こえるからいいや

 実はこれが過信であることはすぐに分かった。左の耳のも軽い中耳炎があり、当時でも普通の人の80%程度の聴力しかなかったが、年齢を重ねるにしたがって、聴力はますます落ちてきた。

 今では、NHKのニュース以外はまともに聞こえず、それも音量をかなり高くしないと聞こえない。通常の会話でも半分ぐらいしか聞こえないので、想像力で聴力を補っている。日常活動の不便はひどいもので、マクドナルドの女性の早口なんかは、ひばりのさえずりだ。

 こうなったのも、若い時代に健康に過信し、自分勝手な治療で満足したからだと思うと、自業自得といえる。
しかし耳がまともに聞こえない不便さは想像以上で、これが健康面での私の最大の失敗になっている。

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(24.8.21) 夏休みシリーズ その2 八甲田山

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(トシムネさん撮影

私は18年の8月に会社を退職したのだが、その年の10月に青森の山に登山をしている。私は東北の山がことに好きなのだが青森の山はまだ登っていなかった。このとき八甲田山と岩木山に登っている。

(19.5.12) 八甲田山


 八甲田山をご存知だろうか。青森市からバスで1時間ちょっとで行ける標高1600m程度の山塊である。関東界隈の山で言うと丹沢程度の山である。

 ここで明治35年、青森第5連隊の将兵210名が雪中行軍を実施し、うち199名が遭難した。この遭難事件は新田次郎が「八甲田山死の彷徨」と言う小説で圧倒的な迫力をもって描いたため、山岳小説の愛好家は八甲田山は魔の山だと思うようになった。

 また、「八甲田山」と言う題名で映画化されており、高倉健と北大路 欣也が主演していたので見られた方もあると思う。その中で将兵が雪の崖を滑り落ちていくシーンを見たものは、絶対に八甲田山に近づくまいと思ったはずだ。

 私は長い間、なぜ1600m程度の低山で、軍人と言う最も体力的に恵まれた男たちが199名も遭難死したのか不思議に思っていた。
そこで昨年の10月下旬、青森県に旅行した折、八甲田山に登山してそのことを確認しようとした。

 まず最初にびっくりしたのは、青森第五連隊の将兵が遭難した場所は、八甲田山中ではないことだ。ふもとに近く標高も700m程度の場所で晴れていれば青森市が真下に見えそうだ。
こんな低地でなぜ遭難したのだろう」不思議に思った。

 しかし、理由はすぐに分かった。
私は青森市からバスで酸が湯すがゆ)温泉に入り、そこでキャンプを張ったのだが、まだ10月下旬と言うのに、横殴りの氷雨にあって、すぐに凍えきってしまった。寒いのだ。

 テント場は閉鎖されており、誰一人いない。この時期に登山する人はほとんどいないようだ。私は管理棟のテラスにテントを張って寝たが、風にあおられ、シュラフ二つ重ねても寒さで寝つけなかった。
なるほど、ここは凍えるような場所だ

 それでも翌朝は、八甲田山の主峰大岳に向かって登り始めたが、途中の広大な湿原地帯で風にあおられ、身体を倒すようにして進もうとしたが、それでも一歩も前に進めなくなってしまった。風の強さは半端でない。しかも雨混じりであったので、気持ちがすっかりなえた。
死んでしまいそうだ

 10月下旬でこうなのだ。真冬になったらいかばかりか想像が付かない。八甲田は日本海から太平洋への風の通り道と言ってよい場所だから遭難した理由が分かった。

 今回は八甲田山を中腹まで上った写真を掲載する。氷雨の中の写真なのでからっとした写真はない。毎回の写真集で恐縮だが、すっかりWeb写真にはまってしまったので許していただきたい。またスライドショーで見てください。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/18102903

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