(28.11.24) 21世紀の北方領土問題。人が消え領土の概念があいまいになる。
ロシアのプーチン大統領が12月の15.16日に日本を訪問する予定だが、いつものように北方領土の返還と平和条約の締結の機運が高まっている。
現在ロシアも日本も最強の国家指導者が国営を運営しているので、この機会を逃せば半永久的に解決は困難と思われるが、一方でこの問題は簡単には解決が可能でない問題でもある。
領土問題は国家のメンツがかかった基本的には一歩も後に引けない問題で、簡単な譲歩は政権の命取りになる可能性があるからだ。
プーチン大統領も「道のりは簡単なものとは程遠い」と先のAPECでの日ロ首脳会談の後述べていた。
だが一方で領土問題のほとんどは象徴的な意味しかなく実質的な意味合いがないものがほとんどだ。
北方領土といわれる4島においても、住民が住んでいるのは国後と択捉の2島であり、歯舞・色丹などは国境警備兵が駐屯しているだけの何もない島だ。
「二島返還で最終的合意を図る」といわれている歯舞・色丹が返還されても無人島が帰ってくるだけのことに過ぎない。
さらに言えば日本に本当に北方4島が返還されれば困るのは日本だ。日本は現在人口が急減しておりとくに北海道の東部から激減している。返還交渉を行っている北方4島は北海道東部のさらに北部だ。
北海道東部でさえ人が住まなくなりつつあるのに、そのさらに北部の僻地に日本人が移住するはずはない。
もちろん自衛隊のような国境警備兵は駐屯するだろうが、民間人はまず住むことはない。
実はロシア側も同じようなものでロシアも人口減少に見舞われており、極東ロシアからの人口流出に悩まされている。問題の北方4島などはロシア人でも住むのが嫌で特に若者はさっさとウラジオストックやモスクワに逃げ出しており、現在住んでいる住民の寿命がその島の寿命になりつつあるのは北海道東部の日本と同じだ。
領土問題となるとつい興奮してしまうが、領土という概念ができたのはイギリスで産業革命が起こり国民国家という概念ができてからで、それまでは領土といってもかなりいい加減なものだった。
今問題になっている北方4島などは江戸時代は化外の地であり、伊能忠敬がこの北海道東部を測量したのは19世紀の初めのことで、それまでは蝦夷などは江戸幕府にとってどうでもよい土地だった。
日本が領土意識を持ったのは明治になってからで、それまでは米がとれない場所は領国という意識はなかったから何もない島など見向きもしなかったものだ。
国民国家は資本主義経済の発展とともに世界中に浸透して、今では国家と言えば領土と国民を包括する概念になっているが、19世紀と20世紀をかけて恐竜王国を築いたその資本主義文明がついに限界に達し、衰退期に入ってきた。その具体的現象はGDPが増加せずかえって減少し、さらに人口が減少してきたことに表れている。
注)資本主義文明の衰退についての具体的考察は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-6dc5.html
特に日本とロシアはそのトップを走っているようなランナーで、人口が減っていけば僻地に住む住民から消え去っていく。若者は都市に集まり老人だけが僻地にとどまるがその老人の寿命がその集落の寿命になるのはどこも同じだ。
21世紀を通じて両国とも人口が激減するのは確かで、たとえば国連の公式統計でもこの世紀の終わりには日本は8300万人と推定されている。現在の人口より5000万人も少ないが現実はもっとドラスチックでまず半減は覚悟しなければならない。
それはロシアも同じ事であの広大な領土に人がほとんどいなくなってしまう。
考えても見てほしい。今の人口が半減した世界で自然環境が極度に厳しい国後や択捉に人が残っているだろうか。人々は都市に集中して住み僻地は顧みられなくなってただ草木が生い茂り、18世紀以前の領土問題以前の状態に戻っていく。北海道も札幌や一部都市以外には人はおらず、農地も今の半分程度に減って耕作に適さないへき地は見捨てられる。
この状態はギリシャやローマ時代の都市国家の状態に近く、都市とその周辺の農地だけが国家でありそれ以外はバルバロイ(野蛮人)が住む化外の土地だ。
21世紀に入り領土問題が本質的な意味を待たなくなりつつあるのは、資本主義文明が衰えどの国も人口が減り、その結果人がいなくなれば領土などといっても何の意味もないからだ。特にその場所が石油などの鉱物資源を埋蔵しているといったような特殊な場所でない限り簡単に見捨てられる。
北方領土などはまさに何もない僻地であって、21世紀を通じて見捨てられた土地になることは確実で、このような場所の領有権を主張してもただむなしいだけの状況になりつつある。それが21世紀なのだ。
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