(2.8.4) 人生は肉体的には70年が限界のようだ!!
私はある金融機関を60歳で定年退職し、その後はもっぱらボランティア活動だけをして過ごしてきた。
定年退職した金融機関は当時65歳まで定年が延長されていたが、給与は極端に低下し今までの給与と比較にならない雀の涙ほどの給与水準だったためとても働く気力がなくなったのだが、退職してみてその雀の涙ほどの給与が60歳以上の高齢者の平均的な給与であることに驚いた。
しかし幸いにも生活するだけならば公的年金と私的年金を加えれば十分に生きていけたので、その後74歳の現在までボランティア以外の社会活動はしていない。
もっぱら住んでいる四季の道周辺の清掃活動や剥げたベンチのペンキ塗りや補修や、近くの市民の森の草刈り等に従事し、その後一時小学校のパソコン教室の臨時職員をしていた。
そして60歳から65歳のころは全く現役時代と変わらない体力だったので、趣味のマラソンにも没頭しもっぱら100kや250kmといった超長距離マラソンにいそしんでいた。
萩往還250kmという2日間をかけたレースがあるのだが、2日間寝ないで走れば必ず完走できる時間設定になっていた。私は走力はなかったが持久力は抜群だったので2日間寝ないで走る訓練として、江戸川24時間走(葛西臨海公園から関宿まで往復する)を何本かこなしてこうした250km走に備えたものだ。
また趣味の自転車で北海道や四国一周旅行をしたりして、実に楽しい日々を過ごしていたが私はこうした生活を永遠に続けられるものと単純に思っていた。
「これなら100歳になっても自転車で日本一周ぐらいできそうだ!」
しかしこれがひどい勘違いだったことに70歳を過ぎたころから気が付いた。自慢の体力は70歳頃を境に急速に低下し腕力も握力もそして脚力もほとんどつるべ落としの秋になってしまった。
最初に握力がないことに気が付いたのは草刈り用の手持ちのガソリンタンクのふたが開けられなくなったことでそれはガソリンスタンドの女性従業員が閉めてくれたものだった。
「な、な、なんということだ。女の子が閉めたふたを開けることができない。かつて握力が60以上あったのに一体どうしたことだ・・・・」
慌てて握力計を購入して図ってみたら24kg程度しかないことに愕然とした。
今は走ることなど全くできないが、これも70歳を過ぎて脊椎間狭窄症が悪化し100mを歩けなくなってしまった。休めばまた歩けるのだが再び100mで歩けなくなる。思い余って今年の1月に手術をしてもらい脊椎間狭窄症は改善したが、古傷の左ひざが歩くと痛むので、走っることなどは夢のまた夢だ。
筋肉や骨格が昔の儘でなく、何か弱弱しい女性のような体力に今はなってしまっている。さらに悪いことに難聴が極度に進みコンビニなどでレジの女性が何を言っているのか全く聞き取れない。
ファミチキを食べたかったのだがレジの女性が盛んに何か言っているがよくわからない。
「ファミチキがほしいんですが・・・・・」
ようやくファミチキには辛いものと通常のものがありそのどちらがほしいのかと尋ねていたことに気が付いた。
こうして70歳を越したころからもはやまともな運動はできず、耳は聞こえずコミュニケーションは不可能になり身体障害者になってしまった。
今思えば60歳で定年退職して本当によかったと思う。私がまともに社会人として行動できたのは70歳ごろまでで、その後は神様のお迎いを静かに待つ身になってしまった。
これが70歳ごろまで働いていざ年金生活に入ったならば、その段階で人間としての人生が終わってしまっているのだから、何のために生きてきたのかわからない。
政府は日本人が高齢者ばかりになり年金受給者が加速度的に増大することに根を上げ、70歳以上でも働けるものは働けとはっぱをかけているが、私のたった一度の生の経験では70歳頃を境に肉体的にポンコツになってしまう。
政府には申し訳ないが60歳で定年退職しその後約10年間自由気ままに生きさせてもらったことを心から感謝している。
政府の方針を受け入れて70歳ごろまで働いたとすれば、確かに年金は増額されるが身体はボロボロで、何のための金かわからなくなる。
通常の人間の耐用期間はどうやら70歳程度にあるようで、耐用年齢を越えて生きていたとしてもほとんど人間としての意味はないだろう。
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