個人生活 私の人生観

(31.2.15) このままでは子供の命は守れない

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  私はこうしたブログを書くのは本当はつらいのだ。できれば避けてしまいたい衝動に駆られるが、そうすることもできない。
栗原心愛ちゃん10歳)が、父親からひどい暴行を受け虐待死をした事件のことである。

 

 報道によれば父親の勇一郎容疑者はマゾヒストと思えるほど心愛ちゃんを虐待し続けていた。
特に昨年暮れごろには暴行を繰り返し心愛ちゃんに骨折を負わし、病院に連れていくと虐待がばれるため、家の中にほぼ1か月にわたって軟禁していた。
しかもねる場所は廊下に限定し、寒さに震えて泣けばまた虐待するというひどさだ。
そして虐待動画を妻に撮影させそれを楽しんでいたらしい。
これでは少女が死ぬのは当然で、勇一郎容疑者は明白に心愛ちゃんに対し殺意をもっていたといえるだろう。

 私は思わず慟哭してしまったが、それは私も幼児期に母親からひどい虐待を受けており、その記憶が蘇るからだ。
母親は子供に対しては何をしても許されるのだと虐待をしながらいつも言っていた。
私は小学校低学年のころまでは、いつも手足を縛られて押し入れに入れられ「少年院に入れる」と脅されていた。少年院がどのようなものか知らなかったため、私はひどくおびえ泣き叫んで「許して母ちゃん」というのが常だった。
特にひどいことをしたわけではないが母親の命令に素直に従わなかったのが虐待の理由だったと思う。

 

 妹も母からひどくいじめられ頭の髪の毛を引っ張られ畳の部屋を引き釣り回されていた。妹は私と異なり気の強いところがあったので、母親をきっと睨み返したがこのことが母をさらに逆上させ、いつまでたっても妹を引きずり回すのをやめなかった。それは祖母が見かねて止めるまで続いた。
我が家では母が暴君であり、父も母には何も言えず口答えをすればちゃぶ台をひっくり返され、箸や茶碗を投げつけられていた。こぼれたご飯を黙って拾っていた父親の姿を今も思い出す。

 小学年高学年になると私のほうが母より体力が上回ってきたので、私の手足を縛ることはできなくなったが、その代わりに包丁をもって私を追い回した。
お前を殺して私も死ぬ」というのが口癖で、母が逆上して台所に飛び込むと私はすぐさま家を飛び出して逃げたものだ。最も冬は戸が閉まっていて外には逃げられないため、座布団で応戦した。母は歌舞伎のチャンバラのように包丁を振りかざしたが、それを座布団でよけるのだ。実は人を殺す方法は包丁を振り回すのではなく、体ごとぶつけて突き殺すのだということを母は知らなかったため、私は簡単に包丁を避けることができた。
そして母を反対に羽交い絞めにして身動きできないようにしたが、そうされると母はさらに逆上し足をじたばたさせながら「お前たち、母さんを助けろ、何をしている。次郎をやっつけろ」と叫んだが、妹も弟もそして父も黙ってみているだけだった。
その後母は私を包丁をもって追いかけるのをやめた。再び羽交い絞めにされて醜態を演じることに懲りたのだ。

 私の経験から言えば虐待は一度始めると反撃を受けるまでやめないものだとわかる。
人間には弱いものを嗜虐する本能のようなものがあり、弱いと思ったらどこまでも嗜虐を繰り返す。
私は母からの虐待だけでなく学校でも常にいじめられていたが、小学校5年生の時いつもいじめられていたガキ大将と取っ組み合いのけんかをし、このガキ大将を羽交い絞めにして地面に押し倒してから、だれも私をいじめなくなった。
以来「弱ければいじめられる」というのが私の経験則になっている。

 だが今回の心愛ちゃんについていえば、どうにも対処のしようがなかっただろう。心愛ちゃんは女の子であり、一方虐待の相手は父親で体力的にはかなう相手ではない。母親は父親におびえて心愛ちゃんの虐待の手助けをするようになっていて、これでは救いようがない。虐待者は虐待を受けるものから反撃されない限り、虐待をエスカレートしていく。
しかも父親には「しつけ」という大義名分もある。
勇一郎容疑者が特に悪人だというよりも、虐待を止めるものがいないためとめどもなく虐待をエスカレートさせたというのが実情だろう。
弱い人間をいじめることは快感なのだ。

 心愛ちゃんのような絶対的に弱い人間を救う方法は一つしかない。虐待が少しでも疑われた場合は子供を虐待者から強制的に引き離すことだ。そのためには児童相談所ではなく警察という権力構造の介在が必要になる。それしか弱い幼児の生命を守る方法はないのだから躊躇すべきことではない。
幼児虐待は最も重い犯罪の一つと認識すべきなのだ。

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(30.5.9) 1960年代から80年代の不幸な青年の生き残り 朝日新聞

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 おそらく1960年代から80年代までの約30年間の間に青年期を迎えた日本の若者ほど不幸な世代はいない。
それは経済的に不幸だというのではなく、思想的に不毛の時代を過ごしたという意味で不幸なのだ。
この1960年から90年までは左翼思想が蔓延し左翼でなければ人でないというほど左翼が殷賑を極めた時代だ。

 私が高校から大学時代を過ごしたのは60年代後半だが、通った高校の社会科系の教師のほとんどが共産党員だった。
中でも日本史のA教諭は際立って優秀な共産党員で、政治や経済に興味を持ち始めた若者を社研社会科学研究部)というクラブに集め、共産思想、わけても唯物史観を叩き込んだのでそのクラブの卒業生の多くが共産党員になり今では地区の幹部等になっている。

 私の最も親しかった友人もA教諭の影響を受け「あの先生のおかげで社会性が目覚めた」とよく言っていたが、その後彼も共産党の幹部になっている。
A教諭は当時使用していた日本史の教科書を「これは素晴らしくよくできた教科書だ」とほめていたが、私にはなぜこの教科書が優れているのかわからなかった。
基調は抵抗史観というもので、人民の抵抗が歴史を動かすものだといわんばかりに農民一揆や土一揆や米騒動などが非常に詳細にかつ好意的にとり上げられていたが、私にはそれが歴史の本流だとはとても思われなかったからだ。

 その後私は大学では経済学を学んだがマル経を教えてくれた助教授はマルクスの資本論を読みなが感極まって泣いていた。
経済学の教科書を読んで泣くことはないだろう」と私は思ったが、今ではその理由がわかる。資本論とは教科書ではなくマルクス教の経典で、いわばキリスト教徒にとってのバイブル、イスラム教徒にとってのコーランのようなものだから感極まるのは当然だった。
実際読んでみればわかるがその最初の章に書かれている価値論などはまともな神経の人だったら誰も理解できないような難解さで、「労働だけが価値を生む」とただわめいているだけだった。

 当時は学生運動がもっとも隆盛を極めていた時で、羽仁五郎小田実がアジを飛ばし、岩波書店が雑誌世界で左翼文化人の主張こそが正義だと主張し、朝日新聞が今にも社会主義政権ができると自信満々だった時代だ。
そうした雰囲気の中では右派の論壇は完全に抑えられていたので、私も岩波書店の発行した本で大塚久雄井上清家永三郎の著書を読みふけり完全に左翼ボーイになっていた。
何しろ友達は民青の党員だったり全共闘系の人物がほとんどで、論壇は左翼思想に満ち溢れていたので左翼にならないほうがおかしいといった状況だった。
これが60年代から80年代までの日本のインテリ社会の実態だった。

 その左翼に激震が走ったのが90年前後のソビエトの崩壊である。私はソビエトが崩壊するとは夢にも思っていなかったので驚愕したが、アメリカではブレジンスキーなどが早くからロシア社会の崩壊を予言していたことを後から知った。
岩波新書ばかり読みふけっていたため世界史の流れを読み間違えたのだが、この時に左翼陣営は総崩れになり、私も左翼の悪夢から目覚めた。

 だがしかしこの時に目覚めることを拒否した一群がいてその代表が朝日新聞だった。
朝日は当時は最も良心的な新聞社と左翼陣営からあがめられており、私の共産党員の友達も、「日本の新聞社で最も民主的な新聞社は朝日で次が毎日、最もダメなのは読売と産経だ」といっていたが、その後の歴史はその順番が真逆であったことを示している。

 その後もまたそれまでも朝日は日本と日本人を貶めるために従軍慰安婦等の謀略記事を書きまくったが、今は安倍政権を崩壊させるために加計学園等の謀略記事を書きまくっている。
加計学園は確かに総理府が主導して特区制度のもとに獣医大学を愛媛県に作った案件だが、なぜ総理府が主体になったかというと文部科学省と他の獣医大学が大反対したからである。
文部科学省が反対したのは総理府主体の獣医大学の設立では、文部官僚にとってそれだけが楽しみの天下りができないためであり、他の獣医大学が反対するのは既得権が侵害されるからだ。
嫌がる文部科学省を叱咤して総理府が設立にこぎつけたのだが、特区制度に基づく既得権者の切り崩しとして快挙というべき案件だった。

 だがこれを政治スキャンダルにしたのが朝日新聞で、何でも反対左翼としての面目躍如というところではあるが、本当は思想的に崩壊した社会主義者としての怨念といっていい。
くそ、ソビエトは夢となったが、おれたちはまだ生き残っている。何とかして理想的な社会主義社会を建設するために最後の戦いをするんだ
存在もしない理想社会をあたかも現実のように錯誤して現在日本を指弾しているが、これは1990年に転向できなかった精神のあがきといっていい。

 転向とは左翼用語で正しい思想の持ち主が官憲によって思想放棄をさせられることを意味していたが、実際は左翼思想が間違っていたのだから過ちからの正常人への復帰が本当の意味だった。
オウム真理教の信者がオウムから離れるようなものだが、朝日新聞とそれを取り巻く旧左翼思想家集団は相も変わらずオウム真理教の信者のままといっていい。

 思想転向に失敗した60年代から80年代までの不幸な思想集団が今でもシーラカンスのように生き残っているのだが、いづれは社会と歴史に適応できず死滅するだろう。
実際に朝日新聞の読者は日を追って減少し、反対に朝日の主張は日を追って狂信的になっている。
社会主義という幻想に侵された不幸な若者の生き残りが今最後のあがきをしている。


 
 

 

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(30.5.3) 山崎次郎氏の老衰と資本主義経済の衰退

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 人間いつか死ぬことはわかっていても、若い時代には自分が死ぬということは全く実感できなかった。特に私は肉体の強健さが自慢で、何日も高山の誰一人いない場所で一人でキャンプを張ったり、北海道を足で1000kmも走ったが、そうしたことがいたって自然にできていたので、「俺は本当に死ぬことがあるのだろうか」と疑問に思っていたほどだ。

 そうした自慢の体力が急激に衰えてきたのが60歳代後半になってからで、ひどい腰痛が発生して走ることも歩くこともできなくなってきた。
医者に行くと「山崎さん、これは脊柱管狭窄症ですな。まあ日ごろの無理がたたったのですよ」などといわれて、治療のそぶりはしてくれたが実際はこの病気は治ることのない不治の病で、老化現象の一種といっていい。
その後はもっぱら腰の痛まない自転車を乗ることだけがスポーツになったが、ゴーグルをせずに突っ走っていたため、目にあらゆる虫や花粉が飛び込み、原田病という難病を患うことになった。

 この原田病は網膜の後ろから組織液がしみだして網膜をぶよぶよにする病気で、映像が網膜に結べなくなる病気だ。何か抽象絵画の世界を見ているような具合いで2年間千葉大病院等で治療を受けたが治らなかった。これも不治の病の一種で抑えることはできても完治することはできない病気だ。
この治療のためにステロイドを長期間投与したが、その副作用で白内障が極端に進み目が見えなくなってきた。
原田病は治らず一方白内障は悪化の一途だったので、思い切って他の病院で白内障の手術を行った。

 しかし原田病が完治しているわけでなくその後もリンデロンというステロイドを常時投与しているためか体のあちこちに異変が発生している。
元々難聴だったのだがそれがひどくなりまともに会話を交わすことができない。
またこの春からは一種のアトピー性皮膚炎が出て体中かゆくて仕方なかった。また目も少し無理をして細かな字を読み続けるとひどい炎症が発生して、まるでウサギの目のように充血してしまう。
やれやれ一難去ってまた一難か・・・・・・・・
健康であるという自覚がすっかりなくなり病気の意識に取りつかれてしまった。
どうやら人間はこうして自分が不健康になり死に近づいていることを認識させられ、最後は往生するものらしい。

 私はこうして自分の肉体の異変に敏感になっているが、世界経済も老衰期に入ったと思える現象が出ている。
資本主義経済が産声を上げたのはイギリスの産業革命が始まった18世紀後半だが、あれからほぼ3世紀を経てどうやら資本主義経済も私と同様の症状に陥ったようだ。
マルクスが資本論を書いたのは19世紀の後半で、その本の中で資本主義の衰退と社会主義の成立を高らかに宣言していたが、実際は19世紀後半は資本主義の隆盛期で、人間の肉体でいえば青年期だから、いくらマルクスが「鉄鎖以外に失うものはない」とアジっても資本主義経済の崩壊の兆候はなかった。

 その資本主義経済が総体として危機を迎えたのが、1929年の世界恐慌だったが、この時まで資本主義経済は自由競争こそが経済のかなめだと誰もが主張していた。
しかし青年期をすぎ中年期に入った資本主義経済はほっておいても隆盛を極めるというわけでなく、注意深い国家の介入を必要とした。
それがケインズ革命で、簡単に言えば不況時は国家が公共事業に専念し職を作らなければ資本主義経済が崩壊するというものだった。

 職をつくるのは戦争経済でも同じでその後に起こった第二次世界大戦でアメリカ経済は活況を呈し、20世紀後半の資本主義経済の大隆盛が実現された。
この時期の最大のエポックは日本が高度経済成長を実現して資本主義経済の力強さを実証したことと、それと裏腹にソビエトが崩壊し社会主義が歴史的実験に失敗したことだ。
フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を宣言したのはこのころだ。

 その後世界は資本主義経済、中でもその総本山のアメリカの一人勝ちの様相を呈していたが、資本主義の第二の総体的危機が発生したのが2008年のリーマンショックである。
この頃になるとケインズの財政金融政策が全く効果がないことは日本の失われた二十年で実証済みだったので、この第二の危機を乗り切る処方箋がマネタリストの経済学になった
FRBのバーナンキ元議長は「経済の不況を救うには金を印刷してヘリコプターでばらまけばいい」といったが、実際にアメリカや日本やEUや中国が行った政策は、紙幣を印刷して市中にばらまくことだった。
日本の黒田総裁の日銀券の大増刷がそれである。

 このマネタリストの政策のポイントは「もはや産業資本の拡大は限界に達したので、後は金融資本、それも怪しげな金融資本の育成だけだ」ということである。
投資資本会社というばくち経済や、ビットコインのような怪しげな貨幣に投資することだけが、残された資本主義経済の処方箋になったのだ。
これは人間でいえば老年期に入り病気ばかりになるので中央銀行という医者が常時輸血を繰り返したり、透析治療を行っているのと同じだ。

 まだ多くの人はリーマンショックが世界恐慌に並ぶ第二の世界恐慌だとの認識がないが私のように長い人生を生きたものにはそれがわかる。
このリーマンショック後は産業資本の相対的衰退がはじまり、人々はビットコインというような投機商品に群がり、一部の金持ちと多くの貧乏人に分かれてしまう。
アメリカではトランプ大統領がアメリカンファーストを叫び外国のことなど知ったことではないと明言し、人類という概念が希薄になりそして種としての人類そのものが衰退期に入ってきた。  

 実際日本では人口増加がストップし、特にスケベーな男性はセクハラ訴訟におびえて女性に手出しをしなくなり、同性愛がはびこり田舎からは子供がいなくなっている。
日本に特徴的に表れているように資本主義経済が老衰期に入って、もはや手の打ちようがなくなってきたのだ。
72年の人生を生きて資本主義経済の衰退と、フランシス・フクヤマの言う歴史の終わりを見ることになってしまった。
人間に死があるように資本主義文明にも死がある。その後の世界は人類の相対的な後退となり22世紀を迎える頃は、かつて宮崎駿が描いた「風の谷のナウカ」のような世界になるだろう。



 


 

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(30.3.20) 再び年度末が近づいた。今年は何をしたのだろうか。

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 現役時代、3月の末日が近づくと営業成績の総括をよくしたものだ。私はすでに現役を退いてから11年目だから特に総括などする立場にはないが、それでもこの1年間を振り返ってみたくなる。
とくにこの1年は身体に異常が発生し、もう少しで失明するところだったのでなおさらだ。

 昨年の今頃は毎日のように視力が落ちてきてパソコン画面を見るのもやっとで、子供たちに勉強を教えていても教科書の文字がほとんど見えなくなっていた。
原田病という難病の治療のためにステロイド投与を続けていたが、その副作用で白内障が極度に進行してしまったためだ。
通っていた千葉大学病院の主治医に白内障の手術をお願いしたが、「山崎さん、原田病が完全に治癒しない段階で白内障の手術をすると病状が反対に悪化してしまうケースが多いのです」といわれて取り合ってもらえなかった。

 「しかしこれでは生きているのも難渋する。原田病で失明するのも白内障で失明するのも同じようなものだ」と思って転院を決意し、新宿東口眼科医院に事情を話して手術をしてもらうことにした。昨年の9月のことである。
幸いにもその後の経緯は順調で今は元の生活に戻ることができている。
もしあのまま原田病の完治を待っていたら、今でも白内障で外に出歩くこともできなかったはずだ。

 手術後は一時止めていた子供の勉強も再開したし、ライフワークの一つになっていたおゆみ野地区の公園のベンチの補修も再開することができた。
今年は千葉南警察の近くのしんせきべ公園のベンチ8基をリニューアルしたが、ここはこの公園に隣接する自治会がベンチの補修を千葉の公園事務所に何度も要望していた場所だったのを後で知った。

 今現在私は3人の子供の勉強の指導をしているが、1名は高校進学のための指導だったため、視力が回復してからは実に熱心に教えたものだ。その子は目標の高校に入るには少し学力が足りなかったので昨年の12月からはほぼ毎日つきっきりの指導を行った。本人も真面目に努力したこともあって県立高校に入学したが、肩の荷が下りた気がする。
今年は教えている高校生が大学受験になるので、今度は大学受験指導に懸命になっている。

 教えているのは主として数学だが、これからは化学や物理といった教科も教えなくてはならないので、毎日自身が化学や物理の特訓を行っている。
夜見る夢は物理や化学の非常に難しい数式を解こうとしている夢で、いつも失敗しては目が覚めるといった状況だ。何か50年以上前の学生時代に戻ったようで「なんで俺がこんなに物理や化学でうなされなくてはならないのか・・・・」と半ば自身でもあきれている。

 四季の道の約6kmの清掃は雨が降らなければ目の病気の時もほぼ毎日行ってきた。ごみやカンが落ちていると何か自分の責任のような気持になってすぐさま清掃をするのだが、これなどは一種の強迫観念のようなものだ。
またベンチの塗装がはがれてくると、これもすぐさま再塗装をするのだが、今はカンパで支援していただいた資金が底をついたので、「さて桜の花の季節になったが、ベンチが汚いとみんなに申し訳ないが、しかし、しがない年金生活者なので自腹を切るのは少しつらいし・・・」と悩んでいる。

 1年を振り返ってみれば病気が悪化して手術をしたこと以外は毎年と同じことをしていたことがわかる。ベンチの補修をし、四季の道の草刈りと剪定を行い、子供たちの勉強を見てきただけだ。
ただ毎年と違った点が一つあって地区の自治会の役員が順番で回ってきて、役員になったことだが目が見えず耳が聞こえない状態で役員会に出席するのはずいぶんとしんどかったものだ。
幸い知り合いが役員の一人だったので、その人に「今何を話しているの」聞いてようやく話の内容を理解してきたが、自治会の役員もこの4月にはおしまいだ。これは本当にやれやれと思っている。

 今ブログは毎日書くことを止めて週に2回程度にしている。無理をすれば毎日でもかけるのだが、もう今までのような無理はしないことにした。今年は72歳になる。神様の御迎いがくるのもあと10年以内だろう。
それまで今までのライフワークを少しレベルを落としながら継続しておゆみ野地区のベンチをすべてリニューアルしたいものだ。

 

 

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(30.1.1) あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

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 あけましておめでとうございます。昨年6月にブログを休止し、おそらく一年間は再開が不可能と思っていましたが、幸いに新宿東口眼科医院で白内障の手術をすることができ、9月にはブログを再開できました。
しかし手術後の経過を慎重に見きわめなければならず、以前のように毎日ブログを更新することは控えております。

 実際は手術後の経緯はおおむね順調で、もし千葉大学病院に通っていたら、手術のOKが出るのが12月になり、さらに実際に手術をするのが3月以降の予定でしたので、いまだに白内障でほとんど何も見えない状況が続いていたところでした。
確かに原田病を患っている中での白内障の手術でしたから、9月の手術は自己責任による手術のようなものでしたが、その後の経緯が順調で本当にほっとしております。

 子供たちの勉強も9月には再開し、高校2年、1年、中学生3年の3名の指導を行っています。中学生は今年が受験日なため重点的に指導をしていますが、今現在志望校のレベルに達していませんので、これから約一か月特訓をすることで何とか志望校に入れようと思っています。
私自身何か毎日が受験生のようなもので、午前中いっぱいは勉強時間にあてており、夕方6時から9時までが子供たちの指導の時間なので、頭の中は数学や化学といった数式だらけになってしまいました。
夢も数学の夢が最も多く、何かとてつもなく難しい問題に取り組んで夢の中で苦吟していますので受験生と変わりがありません。

 またベンチ補修作業は親方が岩手県宮古市に災害復旧事業の作業に出かけているので、当初は休業かと思っていましたが、「郎、そんな甘いこっちゃお天道さまに申し訳がたたねい。俺が一か月に一回は千葉に戻ってくるから、それまでおめえは材木のステイン塗りをしておけ」といわれて継続を余儀なくされました。
今年(3月まで)は「しんせきべ公園」のベンチ8基の補修を予定しており、すでに4基の補修を済ませました。

 いつもの四季の道の清掃活動は雨が降ったり病気になった時以外は継続しております。また夏場は実に懸命に四季の道の草刈り作業を行った結果(業者が6kmの四季の道を年3回、私も年3回程度)、四季の道のどこも雑草に見舞われることがなくなってかなりの成果が上がりました。草刈りは視力が落ちても問題なくできるところがうれしくて、これは例年以上の熱心さで行いました。

 一方秋口になると雑草の成長も止まりますので、それから冬場にかけてはもっぱら四季の道と近接する公園の剪定作業をしております。特にいままで手が入らずささやぶになっている場所は積極的にささ狩りと剪定をしましたので、ずいぶん植栽がすっきりしております。
困るのは時々地区の方で私を市役所が委託した業者と間違って(服装を見る限り業者そのものですが一人でしているところがやや不自然です)、「剪定だけでなく落ち葉の回収をしてくれなくては困るじゃないか」などとクレームをつけられることがあります。
そうしたときは自分が市の職員でないと説明しますが、なんとも怪訝な顔をされるのが常です。

 こうしてしていることは10年1日のようなもので変わりばえがしませんが、老人になると変化より同じ日常の繰り返しのほうが体にも精神にも良いので、今年もこの繰り返しになりそうです。
ブログは週2回程度にとどめ、あまり無理をしないのを基本にしたいのですが、つい限界を越してしまうのが私の弱点でかみさんから強くたしなめられております。

 

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(28.12.31) 平成28年の私的回顧 ピンチだったが生き延びた!!

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 いやはや今年も一年が暮れ行くが私にとって最悪の年だった。
昨年から原田病というひどい眼病を患っており、その治療としてステロイド剤を大量に投与してきたせいか、今年の3月になって急に足が動かなくなってしまった。ふくらはぎに大量の水が溜まってパンパンになったためだが、初めての経験なので驚いた。

 目はまともに見えず、耳はステロイド剤の副作用でますます聞こえなくなって会話を交わすのにも不自由しているのに、その上歩くこともできなくなっては人生おしまいだ。
これは年貢の納め時かな」覚悟をした。
それまで行っていた社会的な活動はできる限りやめて、会議などには出席しないことにし、子供たちのマラソンの指導もやめた。
そしてブログの記載も一日おきにした。

 最後に残ったのは子供たちの勉強の指導と、おゆみ野界隈の公園のベンチの補修と、毎日の四季の道の清掃だけになった。清掃は自転車に乗って行うのだが幸いなことに自転車に乗っている限り足は痛まない。
これで自転車に乗れなければ家の外にも出られないじゃないか・・・・」乗れることに感謝した。

 こうして私としては神様のお迎えを待っていたのだが、体がもともと丈夫なのと目が少々見えないくらいでは神様がお迎えに来てくれないことを知った。
さらに最近になり眼の状態が改善されてきて千葉大学病院の担当医から「山崎さん、大丈夫ですよ、よくなってきてます」といわれている。
そうか、目は改善してきたのか、それでは神様のお迎えがないのも道理だ
自分としては腹を決めていたてまえ、やや拍子抜けしてしまったがまだしばらく人生を楽しむことができそうになった。

  ここ一か月前から四季の道を歩く訓練をしている。一周約6kmの道で、かつては何周でも走ることができたのに、今は500mごとに休んでいる。
でもまあ、歩けるようになったことに感謝しよう
ブログを書くのもまた毎日できるようになり、徐々にかつての日常を取り戻しつつある。

 子供の勉強は体調不良の時も教えてきたが、今は高校生1名と中学生3名の指導をしている。一時はほとんど目が見えなかったので教科書を読むのも苦労したが、ようやく細かな字を見ても目が痛むことがなくなった。
本当はこうした指導は目に良くないのでやめるべきなのだが、私の指導を信頼して通ってきている子供たちのてまえ指導をやめるわけにいかない。

 前にも記したが、私はことのほか勉強の指導が上手なので通ってきている子供の成績は急速によくなる。教え上手は私の唯一の才能といってもいい。
高校生の子供はある高校をやっとのことで入学したのだが、あれから9が月たった今ではその学校の優等生の一人になってしまった。本人も私も驚くような成績向上だ。
人生の最後の御奉公だ、子供たちが我が家に通ってくる限り頑張ろう

 ベンチの補修カーペンター・オクさんとコンビでこちらも何とかこなしている。大百池公園おうどいけ)のベンチの15基の補修が終わり、3月までにあと4基補修すればすべてが終わる。カンパをしていただいた義援金で材料を購入して補修をしているが、一基当たり約1万円の材料費がかかる。ベンチ補修についても今年限りと思っていたがこの調子だと来年も継続できるかもしれない。

 ブログについてはトランプ氏がアメリカの大統領になってから世界が激変し始めたので記載に困ることはなくなった。人生の最後に世界の激変に遭遇できるとは何とも奇遇といっていい。
文明の大転換期だからその末を見据えるような思弁を残すのが私の最後の務めになりそうだ。

(追伸)
Tさんへ

先に子供の指導をしてほしい旨のメールをいただきましたが、こちらからのメールがどうしても届きません。メールアドレスを間違えているか、受信拒否の設定があるためと思います。もう一度メールを送ってくださって電話番号を記載しておいてください。メールが届かなければ電話で連絡いたします。

 


 

 

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(26.12.30) 2014年を振り返って 今年の私の1年はこうして過ぎた!

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 2014年
もはやくれようとしている。
今年一年何をしてきたかまとめておこう。

1) 清掃ボランティア関係

・四季の道の清掃を従来は毎日行ってきたが、最近は2日か3日に一回になってきた。理由は二つあって一つは体力的に続かないのと、もう一つは四季の道に落ちているごみが少なくなってきたせいだ。かつてのような若者の饗宴の跡のようなものがなくなった。おゆみ野も成熟した街になってきたのだろうか。

・ベンチの防腐剤の塗布は春先のお花見前に集中的に行った。しかし最近は塗布するよりベンチそのものをかえなくてはならないベンチが多くなっている。

・草刈りは実に熱心に行った。夏場はほぼ毎日のように四季の道の草刈りをやってきた。その結果芝生の状態は以前に比べて見違えるようになっており、雑草より芝生の方が強い場所が増えている。今年一番の成果ではなかろうか。

・カーペンターオクさんと公園のベンチの本格的な補修を始めた。夏の道公園の10個のベンチの補修を終了している。すべての板を新しいものに取り換え台座は防腐剤を塗布しておいた。これでメンテを怠らなければ後30年は持つはずだ。今年の新規事業である。

2) マラソン関係

・四季の道駅伝は雪のため中止になったが、それ以前の準備には忙殺された。計4回のマラソン練習指導とおゆみ野南小でのマラソン教室だ。体は動かなくなっているのでもっぱら口頭での指導になってしまった。

・おゆみ野とちはら台を結ぶハーフマラソン大会を2回開催した。ただし二回目は雨のため自由走になっている。この遊歩道を利用した規模の大きなハーフマラソン大会を開催するのが最終的な目標だ。

・レース参加はほとんど行っていない。膝が痛むためだが青葉の森と長柄町の駅伝参加が唯一のレース参加だ。

3) 趣味

・長年したかった北海道の自転車旅行が実現できた。マウンテンバイクにテントを積み込んで野宿をしながらの旅だったが、北海道の雄大さはいつ行ってもいい。こうした旅行をまたしたいがこれが最後となったのかもしれない。

・登山は走友会の鹿島槍の登山に参加した。登山などしばらく前までは思い立ったら行く程度の感度だったが、こうした登山もだんだんできなくなるのかもしれない。かつては登山家を夢見ていたのが嘘のようだ。

4) 中学生の勉強の指導

・今年は中学生の6人のボランティア指導を行った。3年生4人、二年生1人、一年生1人だ。しかし6人は多すぎた。本当に面倒が見れるのは同時間帯に3人が限度でできれば二人がいい。来年度は指導する子供の数をできるだけ絞らないとまともな指導ができないことが分かった。
一方3年生を指導することで最近の高校受験の試験のレベルを完全に把握できた。毎日高校入試の数学と理科の問題を解いているが公立高校の内容であればほぼパーフェクトに指導できそうだ。

5) ブログ

・毎日ブログの記載を続けているが昨日は本当に目が痛かった。医者に行ったらひどい炎症を起こしているのだという。副腎皮質ホルモンの入った目薬を処方してもらったら痛みは治まった。しばらく薬をつけ続けるように言われているが、目の痛みは治まったのでブログもまだかけそうだ。

内容的には中国と韓国の経済分析を主体に行ったが、この両国の経済についてはほぼ完全に把握できた。経済なんていうものはどこも同じでそんなに特殊なものはないから日本の経済の実情が分かっていれば他国の経済を分析することはいたって簡単だ。
特に日本の停滞の20年間を分析すれば中国や韓国経済がどうなるか推定できる。

6)健康

・健康については今年は落ち目の年だった。昨日も記載したが耳は聞こえず、膝が痛んで走ることもできない。そして昨日は目が非常に傷んでまともに文字を読めなかった。何かヘレンケラーに似てきたが、ヘレンケラーのような意志の強さはないので悲観的になってしまう。何とか2014年を過ごしたというのが実態だ。

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(26.11.2) 新日本風土記 多摩川 私のふる里の川

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 NHKの「新日本風土記」で「多摩川」の特集をしていたのでとても興味深かく見た。
私は大学を卒業するまでは都下の八王子市に住んでいたので多摩川は実に懐かしい川だ。
60年ぐらい前になるが、私が小学生のころは高度成長期の直前で多摩川はまだ汚染されておらず、川には魚がいくらでもいたし泳ぐこともできた。

 八王子からは八高線に乗って小宮という駅で降り、1km程度線路を沿って歩くと多摩川の河原に出た。そこで仲間と一緒になって泳いだり魚取りをしたものだ。
魚とりは笹の枝のようなものに針を一杯ひっかけて餌をつけで沈めておくだけなのだが、十分泳いだ後引き上げるとはやという魚がよくかかっていた。

 またいつのころか忘れたが町内会で大規模な魚取りを計画したことがあった。まだ多摩川には川漁師がいて、川幅一面に横に広げた網を上流と下流から狭めていって魚を追い込むのだが、実に大量の魚が網の中ではね回っていたのを思いだす。あのころの多摩川は実に豊かだった。

 しかし私が高校生になる頃は多摩川はほとんどどぶ川に変わっていた。ちょうど高度成長期の真っ盛りだったが、下水道が整備されず汚染水がいいように多摩川に流れ込んでいた。私が通った高校は立川にあったのだが、中央線で日野を越えると多摩川にかかる鉄橋になるのだが、電車の窓から見ると多摩川の水は洗濯水の泡で泡立ち、シャボン玉のように飛沫が飛んでいた。
そのころ多摩川から清流に住むと言われていた魚が消えてしまっていた(魚が住んでいるとは思われなかった)。

 高校3年生の時だと思う。友人のS君と二人で多摩川を立川から東京湾の河口に向かって歩いたことがある。当時お金は全くなかったが体力だけはあったのでそうした散歩をよくしたものだ。
まだ遊歩道が整備されておらず、多摩川に注ぎ込む支流を渡るときはかなり上流までさかのぼって橋を渡らなければならなかった。

 目の前にその支流が現れたのだが、S君は「この川を飛び越そう」と私に提案した。
川幅は4m程度だったが、汚染というよりも糞尿がそのまま流れて居る川で強烈なにおいがした。
私は躊躇し上流で迂回する案を提案したがS君は無類のスポーツ選手で走り幅跳びも6m近く飛んでいたので飛び越すことをガンとして譲らなかった。
仕方なく「君が先に飛んで大丈夫だったら僕も飛ぶ」私は妥協案を提示した。

 S君は実に颯爽と助走をつけ川を飛び越そうとしたが、最後のジャンプの踏板に当たる場所が泥濘で足を入れたとたん20cm程度足がめり込んでしまった。
その後はスローモーション映画のように足を泥濘に取られまま棒が倒れるように糞尿の川に倒れこんだ。
おまえ、来なくていい」S君は川から這い上がってそう言ったが、アメリカ映画のゾンビになっていた。
近くの家の水道を借りて体中洗い流したが、汚泥がこんなに臭いものだとはその時初めて知ったものだ。

 あれから50年たち多摩川は再び清流によみがえっている。下水道は整備され川面に流れる川風に臭いはなくなった。多くの魚が生息する憩いの場になっており私が小学生の時の川になっている。実に懐かしい映像だった。






 

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(26.6.1) 退職して早8年、思えば遠くに来たものだ!1

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 定年退職してから早8年が経過しようとしている。当初は定年になれば僧衣に身を包み芭蕉並みの漂泊の旅をする計画などを立てていたが、さすがに漂泊の旅は出来かねた。
それでもしたいことはしてきたつもりだ。

 私は今住んでいるおゆみ野にまれに見るほど美しい遊歩道が整備されていたので、これを何とか維持管理したいと考えた。
ほぼ毎日の日課として清掃活動を行ってきたが、一周6.5km程度あり、また公園が併設されているためそこの清掃をしていると2時間弱かかる。
当初は何気なくやっていたが最近は体力が衰え気合を入れないとできなくなってきたものの継続している。

 清掃活動をしているとペンキの落書きが気になり、これをすべて消し去ろうと決心した。当初は剥離剤を使ってみたが剥離剤はほんのちょっとしたペンキを消すためのもので、壁一面にかかれた落書きはとても消せない。
その後はすべて上から上塗りをするようにしたが、これできれいにはなるもののペンキ代がばかにならない。数年前からこの落書き消去活動を支援してもらうためにカンパを募るようにしたら、多くの方から支援をいただけるようになった。

 嬉しいことに最近はここおゆみ野から悪ガキが少なくなったせいか落書きは本当に少なくなった。
一方四季の道やその周辺の遊歩道に設置されているベンチの老朽化がはなはだしく、このままではすべて崩壊しそうになっていた。
これも数年前から懸命に防腐剤を塗布するようにした。
これ以上の腐朽を防ごうとしたのだが、防腐剤もペンキ代と同様かなり高価なので支援者からのカンパを仰いでいる。
毎年一回はすべてのベンチに防腐剤を塗布するようにしているのでベンチの寿命が延びている。

 最近の私の活動の大半は草刈りに充てられている。ほぼ毎日四季の道のどこかで草刈りをしている。市も定期的に草刈りはしてくれているのだが、回数が年3回程度と少ないためその間にせっかくの芝生が雑草に覆われてしまう。
芝生は太陽に当たらないと全く生育できないので、私が雑草の除去を目的に草刈りをしていたらすっかり芝がよみがえってきた。

 まだ芝が再生できない箇所はあるがこうした場所も丁寧に草刈りを繰り返しているうちによみがえるので、それを楽しみに芝刈りを継続している。
四季の道の芝と木々のコントラストはとても美しく、多くの人がこの街を気に入って越してきている。日本は基本として人口逓減国家だが、ここおゆみ野と隣接するちはら台は建築ラッシュが続いていて人口が毎年増加している

 芝刈りが済んでそのあと自転車で50km程度サイクリングをして帰ってくれば、そのあとは中学生の児童に勉強を教えるのが日課だ。当初は数学だけ教えていたが英語も教えるようになり今は理科を教えることに熱中している。
理科は物理、化学、地学、生物と範囲が広く、私が中学生時代のレベルをはるかに凌駕して高校で習ったレベルに近い。
いやー、日本の科学教育は進歩したものだ!!!感心している。
特に実験に重きを置いた教育には政策当局者の意志がよく表れており、相当なレベルだ。

 こうして朝清掃活動をし、その後ブログを書き、芝刈りをし、自転車に乗ってサイクリングをして子供に勉強を教えていると毎日があっという間に過ぎていく。
漂泊の旅はできなかったがそれでもなかなか充実した日々だと自分でも感心している。

注)なお私の人生観については以下にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47393797/index.html

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(26.3.17) 体力と気力の崩壊 これ以上の行動は慎もう!!

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  このところ体力と気力の低下に悩まされている。もうすぐ68歳になるのだから当然と言えば当然だが、今まで唯一の自慢がこの体力だったのだから人生の黄昏を感じることが著しい。
私はほぼ毎日のように四季の道約6kmの清掃活動をしているが、最近とてもきつくなっている。
特に最後の1km程度のところに有吉中学からジャスコにかけての坂があるのだが、ごみ袋がいっぱいになっていると最近は息も絶え絶えだ。仕方がないのでジャスコに入って飲み物を購入してベンチで休むのだが、こうでもしないと家にたどり着けない。

 また昨年の夏は実に熱心に四季の道の草刈りを行ったが、炎天下の草刈りは煉獄の苦しみだ。雑草の除去ができればそれ以降の草刈りも楽になるので頑張ったのだが、ペットボトルに水を詰め込んで浴びるようにしての作業になった。
今年はそれができるだろうか。よく農家で老人が農作業中に熱中症で死亡するが、何かそうした雰囲気が漂ってきた。

 私は家で子供たちにボランティア家庭教師をしていて今5人(中学生4人、小学生1人)の子供の勉強を見ている。
当初はこちらから生徒を募集していてもなかなか集まらなかったのに、最近は子供の勉強を見てほしいとの要望をあちこちで聞くようになった。
しかし一人で行うのには5人程度が限度で今はみんな断っているが、私は断ることに非常に精神的ストレスを感じるタイプだ。

 昨日は昨日で緑区の地域活性化支援事業の公開説明会に出席した。おゆみ野クリーンクラブが本年度から行おうとしているベンチの補修事業の支援を受けるためだが、こうしたプレゼンを行うのも最近はとてもエネルギーがいる。
一番の原因は聴力が非常に落ちてしまいしゃべるのはいいが、聞くほうになると質問者の質問が何を言っているのかうまく聞き取れないので神経を集中しなければならない。
昨日の場合もそうで終わったらくたくたになってしまった。

 実際聴力の低下は日常生活を送る上でも支障が出てきており、音声拡張器を使用しないとほとんど相手の言っている言葉が分からない。最も使ったら使ったでひどく耳が疲れてくたくたになるので普段は人との会話をできるだけ避けている。
会議などは最も苦手で多くの人が次々に発言し始めると何を言っているのか分からなくなるので、会議には出ないようにしている(それでも断ることのできない会議はあるのだ)。

 また私は自動車を持っていないので資材は自転車か一輪車で運ぶのだが、昨日ビバフォーム(約5km程度離れている)から一輪車で防腐剤の缶10kg程度を運んだがふらふらになってしまった。かつては何キロだろうが意に返さなかったのにと思う。

 そして今まで毎日のように運動を行い、ほとんどがJOGだったが、最近膝と腰を痛めてからこのJOGができなくなった。走れないことはないのだが最初はオイルの切れた自動車のようにガタビシして何とも走っている感覚がしない。ちょうど初期の頃のロボットの動きのようだ。
仕方がないので普段は自転車に乗っている。長柄方面に50km程度ライディングに出かけるのだが、この時が唯一幸せを感じる時だ。
しかしその時間も他の活動であまり取れなくなりつつある。

 やはり人生には黄昏と言うのがあるのだろう。体力と気力に任せて突っ走ってきたが、とうとう限界に突き当たった。
今年はこれ以上の活動の拡大は絶対にしないことにして、また今までしてきたことについても見直しを行っていこう。
体力と気力の範囲内に活動範囲をとどめなければ自身の崩壊につながりそうだ。


 

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