ある団体から地区内で生き生き活動している人の紹介事例の発表をしてもらえないかとの依頼が来た。
振り帰ってみれば60歳で定年を迎えた後は地区内のボランティアばかりしてきたので、紹介事例としては最適なのかもしれないが、「いきいき」というところに少し引っかかる。
定年後12年、最初こそ体も丈夫で何をするにも体が先に動いていたが、ここ数年は全く身体が動かなくなった。
4年前に原田病という眼病の難病を患い、ステロイド剤の大量投与をして来たため体がすっかり弱ってしまった。幸い原田病自体は小康を得ているが身体は老人のようになっている。
一番困るのは体中の軟骨がすり減ってしまい、腰は脊椎間狭窄症で500mも歩くと腰と臀部と下肢の外側が猛烈に痛む。休めば治るのだが再び歩くとやはり500mも持たない。
すっかり歩くのが嫌になって自転車ばかり乗っていたら、少しでも歩くと今度は足の大腿部の付け根が猛烈に痛むようになってきた。
「これではボランティアもまともにできないではないか・・・・」ため息が出る。
私が行ってきたボランティアは「四季の道を世界で一番美しい遊歩道にする」をコンセプトに、毎日四季の道の清掃作業をすることから始まった。
約6kmある遊歩道だが、当初は一日も休まず雨の日も雪の日も行っていたが、ある日氷雨に打たれて風邪をひき数日清掃ができなくなった。
「無理してやるとかえって病気になって清掃ができなくなってしまう・・・・」その後は雨の日や体の調子の悪い日は控えるようにした。
清掃の次に取り入れたのは四季の道の植栽に覆いかぶさるつる草の除去作業だった。この四季の道はUR都市機構がつつじやサツキといった植栽を美しく植えてくれたのだが、つる草に絡まれて死に絶えるか息も絶え絶えになっていた。
「これでは世界一の遊歩道の名折れだ。何としてもつる草退治をしてやる・・・・・」
見つけるとつる草を除去してきたので、2~3年で植栽はよみがえるようになった。しかし今度は植栽が繁茂しすぎるため剪定が必要になってきた。
「しかたない。剪定をしてあげよう」
毎日の朝の清掃時に背中に剪定ばさみを背負って繁茂しすぎた枝葉を除去している。
これで植栽を救うことはできたが、次に問題が発生したのは遊歩道の両脇に敷き詰められた芝の管理が行き届かないことだった。市は毎年3回程度芝刈りをしてくれるのだがこの程度では雑草の繁茂を防ぐことはできない。
「せっかくの芝が雑草だらけでどうしようもない。何とかできないものか・・・・・・・・」
幸い私はおゆみ野の森という場所で定期的に芝刈りをしてきた経験があるので、四季の道の芝刈りをしてやることにした。しかしこれは大変なことだった。
四季の道は片道6kmだが、その両側に芝が植わっている。多くは草原になってしまったので当初が芝状態だったとはだれにもわからないほどだ。
市が委託する業者は10人程度のクルーで一日500m程度の芝を実にきれいに刈り取っていくが、こちらは一人だ。
「一人でできる範囲はあまり多くない。それにあと何回芝を刈れば芝模様になるのかもわからない・・・・・・」
試行錯誤の結果私が追加で3回程度芝刈りをすれば芝模様を維持できることが分かった。そして一旦芝模様になると芝が雑草を抑えてくれるので、それからの芝刈りはいたって楽になる。
その後は4月から10月頃までほぼ毎日のように芝刈りをしていた。然し夏場の芝刈りはつらい。太陽は人間を焦がすくらい暑いし、しかも私の芝刈り時間は昼間の12時から2時ごろまでだ。
なぜこんな最も暑い時間帯にするかというと、この時間帯がもっとも人通りがないからだ。
芝刈りには若干の危険性があるので、人がいないときにすることにしている。
「だがこれではおれが北京ダックになってしまう・・・・・・・」
しかも今年の夏などは生きているのが不思議なくらい暑かった。
「四季の道全部の芝刈りは無理だ。せめて私が住んでいる近くの夏の道から秋の道だけに絞ろう・・・」
現在芝模様になっている遊歩道は私が追加で芝刈りをしている場所、そうでないところは追加の芝刈りをあきらめた場所である。
いったん四季の道を世界一の遊歩道にするという行動を始めると、今度は遊歩道とそれに沿った公園のベンチが気になり始めた。
おゆみ野が開発されてからほぼ40年余りがたっているが、ベンチは当初のままで部分的に市が補修しているがいたるところが朽ち果て始めている。
当初私は何とか朽ち果てるのを止めるわけにいかないだろうかと、定期的に防腐剤を塗布していた。
それは一定程度の効果はあるのだが、すでに朽ち果ててしまったベンチには全く効果がない。
「朽ち果てたベンチは木材を全とっかえしなければならないが、そんな技術は私にはないしどうしたらいいのだろうか・・・・・」
悩んでいたら救世主が現れた。私はおゆみ野の森を管理するボランティアのメンバーなのだが、そこのメンバーの一人に大工さんがいた。
「次郎、なんなら俺が人肌脱いでやろうじゃねいか!!。市の許可も俺がかけあってやらあ」
以来この親方の下でベンチの補修作業を本格化することができた。おゆみ野の森にある製材設備や木材加工設備を使ってベンチの木材を加工し、それを現地に持ち込んでベンチを全くリニューアルしている。
すでに80基あまりのベンチをリニューアルし、今年中にほぼ100基程度のベンチがまったっく新品同様になる。
四季の道周辺の公園のベンチで新品同様のベンチがあれば、それは親方と徒弟(現在2名)がリニューアルしたものだ。
「次郎、もしこれを業者に頼めば、一基当たりほぼ10万はするだろう。だから俺っちはすでに800万円相当のプレゼントを市にしていることになる。100基なら1000万円だ。だから次郎、おめいは喜んで資材費を集めてこい」
私はもっぱら資金調達係になり、このブログでカンパをしてもらっている。1基の資材費はほぼ一万円だから20基の補修のためには20万円程度の資金がいる。
毎年懸命に集めてきたが最近は体力の低下もあり徒弟といえどもベンチ作りは体力を消耗する。
「親方、もうそろそろベンチ作りは足を洗いませんか。もう少しで100基になり、市へは1000万円のプレゼントになるから潮時じゃねえスカ」
しかし親方はおゆみ野中のベンチの補修をするつもりで、私を許してくれない。
「うるせい次郎、つべこべ言わず資金を集めてこい!!」
私が最近しているボランティアでもっとも楽なのは子供に対する勉強の指導だ。体力はなくなったが幸い頭は健在だ。
現在3名の高校生に勉強を教えているが、今まで教えた生徒の延べ人数は11名になっている。
私はサラーリーマンの時も趣味で数学の勉強をしていたので数学を教える自信はあったが、その他の科目はすっかり忘れていた。
だが中学生の試験科目は5教科で各科目100点だから、数学だけ教えるというわけにはいかなくなった。
仕方がないので忘れていた学科の再トレーニングを実施したが、理科には苦労した。私が学んだ理科よりはるかに内容が増えしかも深くなっていた。
「こりゃだめだ。毎日特訓だ」一日3時間程度の特訓を3か月程度行ってようやく理科を理解できた。
今では県の高校入試試験問題ならすらすらとけるレベルに達している。
だが今度は高校生だ。一人は3年で来年入試試験を受ける。しかも私立の文科系志望なので、国語、英語、日本史を教えなければならない。
高校生の数学と物理や化学は教えられるが漢文や古文や英語表現などは記憶のかなたに行っている。
「だがしかし、頼まれればいやというわけにいかない」
再び毎日3時間の特訓を半年余り行ってどうにか教えられるレベルに達した。
私はこの勉強指導を当初は全くボランティアで行っていた。しかし数年するとその限界が現れた。
問題集や参考書をしこたま購入しなければならず、そして何より予習のために毎日3時間はさかれる。さらに毎日休みなく2時間塾を開いているので、金銭的にも肉体的にもくたくたになってきた。
「私は貧しい年金生活者だから、せめてコストに見合う程度の授業料はもらおう」
現在は若干授業料をもらっているが市価の3分の1から5分の1程度にとどめている。
かくして外部から見たら相当生き生きと暮らしているように見えるが、内実は大変だ。
はたして講演会で主催者の希望通りの話ができるか心配だがとりあえずこうした話をしようと思っている。
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