歴史 ローマ史

(24.3.18) NHK歴史館 古代都市ポンペイの真相 新発見54体の人骨の謎

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 NHKの歴史館と言う番組で「古代ローマの栄枯盛衰」「古代都市ポンペイの真実 新発見54体の人骨の謎」が放送された。
ポンペイとはベズビオ山の噴火活動でAD79年に一瞬のうちに火山灰に覆われ歴史のかなたに消失した都市である。

 私も一度このポンペイを観光したことがあるが、道路の石畳が整然としており、上下水道も整い、演劇場や風呂の施設もあって今でも住もうと思えば住めるほど近代的な都市だと感心した。

 今回この歴史観の番組には経済学者の榊原英資氏と歴史学者の青柳正規氏がゲスト出演しておりとても楽しげに語り合っていた。
二人ともローマを語ることが楽しくてならないようだ。

 ベズビオ山は噴火が始まった翌日には火砕流が発生してポンペイの町をほぼ20mの厚さで覆い尽くしたのだが、54体の遺体とはその直前に地下室に逃げ込んだ人々の死体である。
火砕流に直接巻き込まれた人の遺体は消失してしまったが、この54体は地下室にいたため消失することなくそのまま窒息死したものと思われる。

 この遺体を分析してみると富裕層や市民や色々な階層の人が逃げ込んでいたが、いずれも健康状態は非常によく下層階級といえども福祉政策に助けられて生活を享受していたことが分かった
残された都市を見てもまた人々の骨を分析しても生活水準は極端に高い。

 私が常々不思議に思っていることは古代ローマというGDPが極限に達した世界が崩壊し、その後なぜ中世と言うキリスト教以外には何もないような貧困な世界が現れたかということだ。
GDPと言う見方をする限り、人類の生活が古代ローマの水準を越えたのは産業革命の成果が現れてきたここ200年程度のことで、それまでは古代ローマの生活から見れば貧困そのものの生活だった。

 このポンペイが消失したAD79年はローマの隆盛期に当たり、ローマの都市は繁栄を極めていた。道路・上下水道・劇場・コロッセウム等都市にはすべてがそろっており、辺境の蛮族はあげてローマ市民になりたかった時代である。
しばらく前のアメリカのようなもので、世界中の人々がアメリカ人になりたがっていたが、ローマでは一定期間の兵役や特別な技能や資金があれば誰でもローマ市民になれた。
アメリカとローマは類似点が多い。アメリカは基本的には移民の国で各国の優秀な人材や食いつめ者を受け入れて発展したがローマも同じ

 ローマ社会は階層社会で上から皇帝・元老院議員・騎士階級・市民・奴隷と言う階級制度があったが、これは中世のような固定的なものではなく、人々は努力と才覚でこの階層社会を上り詰めることができた(アメリカでも努力さえすれば金持ちになれると信じられている)。

 たとえば奴隷でもあっても主人が気に入ってくれたり、またそこそこの資金を提供すれば(これは奴隷にも金を稼ぐ手段があったということ解放奴隷になれ、特に都市部の奴隷は家庭内にいればサーバント執事や家庭教師等)で外で稼いでいればサラリーマンのようなものだったと青柳教授が説明していた。
都市部は豊かだったから都市奴隷に苦役をかすような必要はなく、言ってみれば仲良く暮らしていたと言うのが実情のようだ。

注)古代ローマはジェネラリストが高い地位につき、一方医者や剣闘士や歌手といったスペシャリストは奴隷や市民の職業だった。

 私もかつてベンハーと映画を見ていたときに奇異に思ったのは、奴隷船のこぎ手になっていたベンハーが船が転覆したときにその船団の司令官を助けたことによって、ローマの凱旋式の二頭立ての馬車に同乗し、その後ベンハーはこの司令官の養子になっている。
奴隷でも司令官の養子になれるほどローマ社会は流動的だったといえる。

 ローマがなぜかくも長く繁栄できたかの理由はギリシャの反対の政策をとったからだと青柳教授が説明していた。
ギリシャはポリスと言う都市国家単位で生活し、都市国家間はまったく仲が悪かった。このため戦争ばかりしていたがその最大の戦争原因が食料の調達に支障をきたしていたからだと言う。

 青柳教授の説明によると当時地中海世界の人口は5000万人程度であったが、穀物生産そのものは5000万人を生活させるのに十分な量だったという。したがってこの地域を統一して物の流通を自由にしさえすれば食糧問題は片付く。
ローマはそのために領域国家を形成したが、一方ギリシャは都市国家という単位のために常に食糧問題が表面化して戦争が絶えなかったのだそうだ。

注)簡単に言えばローマは農業の自由化を行いギリシャはそれを拒否して国内農業を保護した。

 ローマ市民の言葉が残されている。「狩りをし、風呂に入り、ゲームをして笑う。それが人生だ
ローマ市民は午前中だけ仕事をし、午後からは社交場でもある風呂に入り、そこに設置されていたゲームなどをして楽しみ、食事は限度を越えて吐きながら(ただし当時はこれは健康法で太らないための措置)食べまくっていた。

 このローマにたそがれが訪れたのは領土拡張が限界に達した2世紀後半ごろからだ。新たに手に入れる領土がなくなれば食料の増産もなくなり一方で長い国境を守るための軍事費や増え続けるローマ市民への社会保障費が負担になる。
いまの日本やアメリカとまったく同じで、致し方なく政府は通貨の改鋳を行い銀貨を目減りさせてインフレ政策をとることになる。

注)現在アメリカ、EU、日本が競争して行っている金融緩和策はこのローマの通貨の改鋳と同じ。

 生産性が上がっていない状況下で通貨の増刷はただひたすらインフレが更新するだけで人々の生活は低下していく。
軍事費を削減し、社会保障費を圧縮すればまだ帝国は生き延びられるがそのようなことをすると、ローマ市民の反発があってそれもできない。
無敵を誇ったローマ軍も給与遅配や装備の更新が滞れば蛮族と戦争しても負け続けてしまう。

 辺境のローマ兵は常に死の恐怖に襲われているため、精神的救いを求めてキリスト教に帰依していったと言う。たとえ蛮族に殺されてもあの世では神の国にいけるからだ
物質的な恩恵を与えられなければ後は精神的な安息を与えるしか方法がない。こうしてローマ帝国はキリスト教を4世紀には国教にしたが、ここまでくればローマが崩壊するのも時間の問題だ。

 榊原氏が「いまの日本もこのローマの末期と同じだが、生活保障費の切り下げ等を甘受して、経済実態と向き合えばまだ生き延びられるが、いつまでもGDPを追い求めていたら古代ローマと同じようになる」と示唆していた。

なお、ローマ史については以下にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat44866001/index.html

また今回カウンターに「おゆみ野四季の道」のカウンター10000を加えました。


(別件

昨日おゆみ野クリーンクラブのカンパを依頼しましたが、そっさく何人かの方が応じてくださり心から感謝いたします。花見までには塗装を終了させておきます。

なお、依頼文は今月いっぱい下記に継続して掲載いたします。


従来おゆみ野四季の道の清掃関係や塗装関係費は自費で調達してきましたが、生活費がかさみ思うに任せなくなってきております。
おゆみ野在住者で、かつ四季の道を日常的に利用されている方で、四季の道を世界でもっとも美しい道にする活動に賛同される方に、ペンキ代のカンパをお願いいたします。

① カンパは一人3000円(ペンキ1.8L 一缶の値段)をお願いできないでしょうか。年間のペンキは約20缶程度です。

② カンパの件数、金額は毎月1回このブログで報告します。また決算報告は年1回行います。

③ 賛同していただける方は以下の口座に送金いただければ幸いです。なお送金していただいた場合は同時にこのブログのメール機能を使ってその旨連絡いただけると幸いです。

・千葉銀行 鎌取支店(092)
・おゆみ野クリーンクラブ 普通預金口座(3743511)

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(23.11.6) 世界史の忘れ物 ハンニバル戦記 なぜハンニバルはアルプスを越えたか

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 高校生の時に世界史を学んでどうしても理解できないことがいくつかあった。
そのうちの一つにハンニバルアルプス越えがある。
ハンニバルとはローマカルタゴの3度の死闘のうち、第二回目の闘いのカルタゴ側総司令官である。
なぜ、ハンニバルはわざわざ最も困難なアルプスをしかも象まで引き連れて越えたのだろうか。しかもこうした行軍中に6万の軍勢のほぼ半数が谷に落ちたり川でおぼれたりして死んでしまったという。戦う前に半数の人数が死傷してしまうような闘いはそもそも負けではないか?」そう思っていた。

 この疑問を解くために最近塩野七生氏ローマ人の物語ハンニバル戦記」を読んでいる。
塩野七生氏ローマ人の物語は新潮社の文庫本で全40冊に及ぶ大作だが、そのうちの3,4,5巻が「ハンニバル戦記」となっている。
読んでみると分かるがこの本は物語と記載されているだけあってとても面白く飽きることなく読める。私は引き込まれるようにしてこの本を読んでしまった。

 ハンニバルとローマの闘いは第二次ポエニ戦役と言うのだが紀元前219年から前201年まで、おおよそ20年間にわたって繰り広げられた死闘で、現代的なセンスから言えばとても信じられないような長期戦だ。
しかもローマとカルタゴは都合3回も戦火を交えており第一回目は紀元前264年から前241年までのこれも20年余りの死闘だった。

 大雑把に言えば20年間死闘を繰り返し、20年間の休戦期間を挟んで再び20年間の闘いをしたことになる。
何か第一次世界大戦で敗れたドイツが再度の世界大戦を仕掛けて再び敗れてしまったのに似ているが、近代の世界大戦が5年程度で収束するのに対して20年に及ぶところがいかにも古代だ。

注)最後の3回目は紀元前149年から前146年の4年間であっさりとかたがついている。そうした意味でこの第二回目が本当の決戦だった。

 私は闘いのためハンニバルカルタゴ(現在のアフリカのチュニジア)からローマに向かったのだと思っていたが、これは誤解だった。ハンニバルスペインから出発している。
なぜスペインかと言うと第一次ポエニ戦争でローマに敗れたカルタゴは、その停戦条件としてカルタゴの植民地があったシチリア、コルシカ、サルジニアといった西地中海の海から追い出されてしまった。
また軍艦の建造も認められなかったため、仕方なしにそれまで未開人しかいなかったスペインにカルタゴの名門バルカ家ハンニバルはそこの直系)は上げて植民活動をおこない、ここに第二のカルタゴを建設していたからだ。

 ハンニバルの父ハミルカルハンニバルに遺言をしていた。
ローマを撃って(第一次)ポエニ戦役の屈辱を晴らせ
ハンニバルが海路ではなく陸路を通らざる得なかったのは、カルタゴにはローマと戦える海軍がなかったからである。
ハンニバルが引き連れた軍勢は歩兵5万、騎兵9千、そして象37頭だった。
スペインを出発してピレーネ山脈を越え、今のフランス当時のガリア)の奥深くを通過し大河ローヌ川を渡り、グルノーブルからアルプスを越えて現在の北イタリアのトリノに攻めこんでいる。
この間には標高2000m級のアルプスの峠があるが、おそらくそのどこかの峠を越えたのだろう。

 しかし現在と違って当時の陸路はほとんど道がないのに等しい。あってもそこに住んでいる部族が使用する山道のような細い道だから、まともに通ることも不可能だ。
特に当時は川に橋など架かっていないからローヌ川を渡るだけで1万3千名の兵士と象7頭がおぼれてしまったという
これが行軍なのだろうか、これに匹敵する愚挙は旧日本軍のインパール作戦ぐらいな物ではなかろうか・・・・・」

 ハンニバルがアルプスを越えたのは9月である。アルプスでは夏でも雪が降る。まして9月になればかなりの降雪を覚悟しなければならない。そして道はといえば羊飼いがヒツジを追って通れるだけの山道だ。
最近モンブラン山岳マラソン(8月に実施されている)映像を見たが、人が通ることはできるがとても象や馬が通れる道には見えなかった。おそらく当時の道は山岳マラソンで使用した山道より険しかっただろう。

 ハンニバルはこのアルプスを越えるのに15日間をようし、イタリア側に降り立つことができた兵士は歩兵2万、騎兵6千だったから、このアルプス越えで2万強の兵士が死んだことになる。象はほとんどが崖から落ちてしまった。
やはりハンニバルは頭がおかしかったのではないか、これでは死ぬために行軍しているようなものだ。ローマはただ待っているだけで勝てるではないか・・・・」

 私がそう思ったのは古代の戦争を知らなかったからで、この時代の戦争は(ローマを除いて)兵士は現地調達するのが一般的だった。
なにも強制的に兵士にするのではなく、自陣につけば利益が上がると見せて懐柔するのである。
イタリア北部にはローマにしたがうことを潔しとしないガリア人の部族が大挙して住んでいたが、ハンニバルはローマとの闘いで勝利を収めるたびに周りのガリア人を自軍に加えることによって、瞬く間に5万の兵力になってしまった。

注)日本でも源氏と平氏の戦いを見ていると、勝つほうに味方する武士がいくらでもいた。

 もちろんスペインからハンニバルに従ってきた近衛兵はいるのだが、戦闘ではこの近衛兵をできるだけ温存し、現地調達したガリア兵をローマと戦わせている。
なるほどね、ハンニバルはガリア人を味方にするためにわざわざアルプスを越えたのか。そして兵士の消耗にも平気だったのは勝利すればいくらでもガリア兵を補充できていたからか・・・・

 人命を尊重しないと言う意味ではなんともひどい司令官だが、古代戦のやり方と言うものがようやく理解できた(アレキサンダーの東方遠征もこの方式だったのだろう)。
高校時代から不思議に思っていた疑問が一つ解けてとても嬉しくなってしまった。

なおローマ史は以下の記事にまとめてあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat44866001/index.html



 

 




 


 

 

 

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(23.7.20) NHK ローマ皇帝の歩いた道 帝国の末路を見つめたハドリアヌス

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 私がなぜローマ史に興味を持つかと言うと、ローマ時代が産業革命以前の世界では世界最高の生活水準を誇り、その後西洋は中世と言う長い眠りに入ったからである。
なぜ豊かな社会が貧しい社会に取って代わられたのだろうか? GDPが常に上昇していた社会からGDPが下降するような社会がなぜ出現したのか?」とても不思議な気がした。

 これは現在に置き換えてみるとよく分かる。
日本の社会が社会保障を充実させながら存続するためには最低3%の成長が必要だ
中国は8%の成長がないと社会混乱が発生するので、この8%は最低条件だ」
「アメリカ社会において失業率を低下させるためには5%程度の成長が必須だ

政治家は口を開けば経済成長のことしか言わないし、メディアも同様だ。そして多くの日本人が成長は必要だと思っている。果たして本当だろうか。ではなぜローマから中世への移行があったのだろうか?

 ハドリアヌスが皇帝になったのは2世紀の始め、紀元117年、41歳の時である。一般にローマ帝国は紀元1世紀に大拡張し、2世紀ハドリアヌスを含めた5賢帝の時代はローマの最盛期と言われている。
先日見たアフリカから来た皇帝セウェルスハドリアヌスが皇帝になった年から約80年後に皇帝になっているので、セウェレスの時代ならともかく、この時期に帝国の末路を見たというのはいくらなんでも早すぎると思える。
だがハドリアヌスローマはこれ以上GDPを拡大するのが不可能だと知った最初の皇帝だった。

 当時のローマは人口5000万人、世界の4分の1を支配下に置き、兵士の数は約30万人だったそうだ。日本の自衛隊の兵士の数は約25万人だから、人口比で見ると日本の約3倍の軍事力だったといえる。
ローマは軍事力で周辺の蛮族を圧倒していたが、問題はこの軍事費の捻出ハドリアヌスは悩まされていたという。

 なぜなら兵士の生活はどのような辺境にあってもローマ様式の生活が保障され、食事は3食当時は2食が普通)で十分な最新鋭の装備とローマ風呂が用意され、そして金貨で給与が支払われていた。
この状況は辺境の住民から見ると、戦後日本に進駐したアメリカ軍の生活に酷似している。

 私が子供の頃住んでいた家の近くに米兵が住んでいたが、いつも買い物籠いっぱいに食料を持って帰ってきた。
私達子供はその米兵が帰ってくるのを待ち構えて「ギブ ミー チョコレート」(これが最初におぼえた英語だった)とねだったものである。
兵士は大抵とても気前よくチョコレートをくれたが、チョコレートを食べながらこれがアメリカか(これがローマか)と思ったものだ。

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 ハドリアヌス
は皇帝になると12年間に渡り帝国の各地を視察して回ったという。
これを聞いたときにとても不思議な気がした。
皇帝がローマを離れて12年間も旅をしていてはローマの政治はどうなってしまうのだろうか? もしも他の有力者がクーデターを起こして皇帝になることはないのだろうか?」

 私はローマの皇帝をその後の絶対権力者だったナポレオンやロシアの皇帝をイメージしたが、ローマの皇帝はそうした絶対権力者ではなく、ローマ軍の大将軍と言うような立場だったようだ。
ローマには元老院議員約600名程度おり、この元老院議員が現在的な意味の行政府立法府を握っており、ローマ皇帝とは敵地に出向いていって領土を拡張し、財宝と穀物と奴隷をローマに送る軍の最高指導者と言う役割だったようだ。

注)ただしローマ皇帝と元老院の立場はそのときの力関係に左右される。

 したがってハドリアヌスが12年もの間ローマをあけても問題はなく、ハドリアヌスに期待されていたことは領土を拡張して財宝をローマ送り続けることであり、そうである限り元老院は満足していたことになる。
あいつは外でよく働いている。なら皇帝にしておいても良かろう」そんな感度だった。

 しかしハドリアヌスが見た辺境はこれ以上領土拡大しても無駄と思えるほど辺鄙な土地だったようだ。
最初に訪れたのはブルタニアイギリス)だが、ここは草しか生えないような貧しい土地で野蛮人がかろうじて生息しているような場所だった。
ハドリアヌスは馬鹿馬鹿しくなって今のイギリスのスコットランドとイングランドの境目あたりに東西120km、高さ約5mの石の壁を築くように兵士に命令して言った。
この壁の向こう側からの蛮族の襲来は撃退せよ。ただしこの壁を越えて領土拡張をすることはない

 その後視察をしたドナウ川の北、ラキア現在のルーマニア)ではつくづく拡張政策が嫌に成ってしまった。
このラキアの土地はハドリアヌスの前の拡大主義者皇帝トラヤヌスが激戦の末ようやく手にした領土で、ここには当時世界最大規模の金銀の鉱山が有った。
トラヤヌスはこの鉱山を入手するためにドナウ川の岸壁に軍用道路を掘り、さらにドナウ川に1100mの石橋まで建設している。
いくら軍事活動を円滑にするためとはいえ、1100mの石橋を架けるのは現在でも難工事だ。
おそらくトラヤヌスの頭には戦後の経済発展のためにこの橋が必要だと思ったのだろう。
ラキアは永遠にローマの領土だ

 だがハドリアヌスはこうした拡張路線が軍事費の増大につながることに頭を悩ませていた。
ここラキアの土地には領土を守るために約5万の兵士を駐屯させなければならない。金銀の安全な運搬を保障しなければならないからだ。しかしこの金銀はあの強欲な元老院議員の懐に入り、わずかな残りでラキアの軍事費をまかなえない。もう元老院議員のために働くのは馬鹿馬鹿しいので止めよう
ハドリアヌスにとってラキアは無駄な投資物件(日本の熊と狸が遊ぶ高速道路のようなもの)に見えたのである。

 ハドリアヌスラキアの軍団5万人の総引き揚げを元老院に提案したが、大反対にあってしまった。
トンでもない。これはトラヤヌス先帝が激戦の末に手に入れた生命線だ。しかも金と銀の山があるではないか。我々ローマはこの財宝によって潤っているのに撤退とは何事だ。領土縮小なんて絶対に認められない

 当時のローマ市民には食料が十分に配給され、さらに剣闘士の競技にタダで招待され(これには地区の有力者が資金を出していた)、宴会では吐いてはまた食事を楽しんでいた時代だから、領土を縮小してGDPを引き下げることはそうした幸福な生活の放棄に映った。

ハドリアヌスのやろう、働くのが嫌になってラキアの放棄を言い出している。あまりに俺達を無視するなら暗殺だ
ハドリアヌスが134年12年間に及ぶ視察の長旅を終えてローマに帰ってきたときのローマ元老院と市民の反応は冷たいもので、凱旋門も建設してくれなかった(領土拡張をして帰ってくる皇帝のためには凱旋門をプレゼントするのがローマ市民の慣わしだった)。

 すっかり皇帝家業が嫌になったハドリアヌスはローマから約30km離れた離宮に誰も近づけることなく、暗殺を警戒しながら晩年を過ごした。
そして138年62歳で死去したが、帝国の拡張は無理と知った皇帝と、それを絶対認めようとしない元老院とローマ市民の戦いは、こうしてハドリアヌスの敗北に終わってしまった。

 客観的に見てハドリアヌスが生きた時代はローマの最盛期だから、田中角栄氏が「日本列島を改造するのは止めよう」と言うようなもので、誰も聞く耳を持たなかったことは分かる。
ハドリアヌスが死んでから55年たってアフリカ出身の皇帝セウェルスの時代になると、ローマには食料が届かず、兵士の給与は引き下げられていて帝国の衰退は誰の目にも明らかだったが、ハドリアヌスは先見の明がありすぎた皇帝といってよいだろう。

注)田中内閣から40年後の菅内閣になると、日本の衰退は明確になり菅総理は原発を停止すると言い出している。

 どのような社会も最盛期があり、その後はおだやかか急激かはともかく下降期に入るもので、GDPが常に拡大するなんて事はありえない。ローマであれば拡張する領土が存在しなくなる。
しかしローマ市民は「GDPは常に拡大させろ」といい続け、皇帝に辺境地帯で戦争を拡大させることを無理強いしていた。


なお皇帝セウェルスの時代は以下の記事を参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/23715-nhk-f3ca.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(23.7.15) NHK 異端の王 アフリカから来た皇帝 セウェルス

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 私の長い間の悩みはローマ史をトータルとして理解できないことだ。なにしろ期間が長い。たとえば帝政になった紀元前27年から東西にローマ帝国が分かれた395年まででも約400年、さらに西ローマ帝国が滅びた476年までであれば約500年も有る。
帝政の前の共和制の時代だって300年近くあり、東ローマ帝国の滅亡は1453年だからここまで含めると日本の歴史ぐらいの長さになってしまう。
だから、さっぱり分からないのも無理はない。

 私の場合古代ローマといえばほとんどがハリウッド映画しか浮かんでこず、ベンハークレオパトラハンニバルや、最近ではグラディエーターのイメージしかない。
小説では「背教者ユリアヌス」という辻邦生の小説を読んだことがあるが、ローマ史の中での位置づけはあまりよく分からなかった。

 一方ヨーロッパの知識人は何かと言うと現状を古代ローマと比較して考える癖があり、「ローマでは」と言うのが口癖でありローマ史に対する知識は相当なものだ。日本でも塩野七生氏のようなローマ史研究の第一人者がいて「ローマ人の物語」というような本を書いているが、なにぶん大部なので読む気力がわかない。
どうにかしてローマ史を知る手がかりはないものだろうか
悩んでいたらNHKが最適な番組を放映してくれた。
異端の王 アフリカから来た皇帝 セウェルス」と言う番組だ。

 ローマ皇帝になったアフリカ人がいたというのだ。場所は今のリビアカダフィ大佐の国だ。
当時と言っても2世紀の後半だがローマが最盛期を迎えた頃セウェルスはローマの属州だったリビアのレプティス・マグナと言う街に生まれている。
当時アフリカはローマの穀倉地帯で、ローマに小麦とオリーブを供給する基地だった。ローマの小麦の3分の2はアフリカから送られてきた。

 セウェルスはここレプティス・マグナで地方の名家の息子として生まれた。日本で言えば地方の豪族の息子と言うイメージだ。
当時ローマは100万都市であり、全世界の人口の4分の1、約5000万人を擁していた世界帝国だ。
都市には上下水道の設備や公衆浴場・集会所・コロセウムがあり、そして何よりローマと地方を結ぶ道路網が整備されており、案内役の青柳氏によると18世紀の産業革命前までは古代ローマの生活がどの時代の生活よりもレベルが高かったという。

注)過去の歴史を見ると一人当たりGDPで古代ローマ時代で最高になり、その後中世になって急激にGDPは縮小している。GDPは歴史的に見ても常に上昇するとは限らない。

 セウェルスが生まれたレプティス・マグナと言う町は1300年の間5m近い砂に埋もれていたそうで、発掘された都市は非常に雄大なものだがそれでもローマ市の20分の1、人口5万程度の規模に過ぎない。
現在の日本のイメージで言えば東京に対して新潟程度のイメージであり、地方都市出身のセウェルスが花の都ローマで一旗あげたいと思った気持ちはよく分かる。

 当時のローマは世界帝国だから属州の有力者もローマの元老院議員になる資格はあった。元老院議員の資格は25歳以上の裕福な市民で行政経験があるものだったそうだ。
18歳でローマに出てきたセウェルスは道路の維持管理のような市役所の職員のような仕事を7年間行い、晴れて元老院議員になった。セウェルスの親戚にすでに元老院議員がいたからその引きがあったのだろう。

 だが地方の名門の出であっても中央のローマ市民でないセウェルスはその後、20年余り地方の行政官のどさ周りをしている。
なにか平安時代の藤原氏以外の中小貴族が国司として地方周りをしていたがそれと同じだ。中央政界には通常はローマ市民しか進出できない。

 しかしローマの政情がセウェルスの野望を遂げるチャンスがめぐってきた。セウェルスが元老院議員になった頃はちょうどローマの最盛期の五賢帝の最後の皇帝、哲学者だったマルクス・アウレリウスの時代だったが、180年にアウレリウスが死ぬと息子のコンモドゥスが皇帝になった。
このあたりの事情については映画「グラディエーター」に画がかれていたので知っていたがコンモドゥスは一種の精神障害者であり、政治を省みることなく自分に反対するものを残忍な方法で殺す等、父親とは正反対のとんでもない男だった。

 このためコンモドゥスは部下に暗殺(それ以外に政権交代の方法がない)されるのだが、その後ローマの政治は現在の日本のように末期的な状態になってしまった。
もっとも問題なのはローマには食料が届かず(ローマ市民には無料で小麦が配られていたが北朝鮮のように配給ができなくなった)、辺境地帯ではブルタニアやドナウ流域やシリアで蛮族が一斉に進入してきた。ローマをつぶすチャンスが訪れたのである。

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 こうした危機の時代セウェルスパンノニアと言うドナウ川流域現在のオーストリア付近)で総督をしていたのだが自分が率いている5万の軍団をバックに皇帝争いに名乗りを上げた。
同じく皇帝争いに名乗りを上げたものにブルタニア(現在のイギリス)の総督アルビニスシリア総督ニゲルがいた。信長が本能寺で死去した後の羽柴秀吉、柴田勝家、徳川家康との戦いのようなものだ。

 このときセウェルスはローマに一番近い位置にいたこともあるが、軍団をローマに進駐させ(これはローマ市に軍団を入れてはならぬという規則に違反している)、元老院議員を脅しあげて皇帝になり、反対するシリア総督ニゲルとブルタニア総督アルビニスを打ち破って皇帝の地位を築くことに成功した。
193年、セウェルス46歳の時である。

 セウェルスの治世はその後20年間に及ぶが、ローマ市民から「帝国の再建者」と呼ばれるように、5賢帝の時代のローマが最高だった時代の再現を図ることに成功した。
特にローマの食糧事情が悪化していたのをアフリカの穀倉地帯を整備して再びローマ市民に小麦の配給を復活させ、コロセウムで剣闘士同士の殺し合いや猛獣との闘いのような娯楽を提供し、兵士の待遇改善によって辺境地帯を警備する軍団の士気を高め、そして何より軍人に結婚を認めてそれまで兵士は結婚できなかったことへの不満の解消を図った。

注)ローマ市民にとってはパンとサーカスを保障してくれる皇帝が最高の皇帝である。どさ回りが長かったため辺境を守る兵士の気持ちも分かり、ローマ帝国を守る底辺の人々の待遇改善をはかった。

 こうした措置によってローマ軍は往時の屈強な軍団によみがえり宿敵パルチア王国現在のイラク・イラン地方にあった)を破り、さらにブルタニア(イギリス)に遠征して野蛮人を平定しようとしていた時にヨークで病気で死去した。享年64歳だったという。

 セウェルスのような田舎者がローマ皇帝になれたのはローマが衰退期に入り、とくにコンモドゥスのような政治を省みない皇帝が続き、ローマの経済が崩壊したためであるが何か日本の現在の状況とよく似ている。
こうした時は異端の王が必要で、NHKは皮肉をこめてこの放送を放映したのではないかと思われるほどだ。

注)菅総理も異端の王であり、現状を無視して原子力行政をひっくり返せるのはこうした人しかいない。

 しかしセウェルスの死後皇帝になった息子のカラカラローマの公衆浴場にその名前を残している)は暗殺され、再びローマは衰退の歩みを止めることができなかったという。
私はこの番組を見て2世紀後半から3世紀はじめ頃のローマ帝国をようやくイメージすることができた。

 実際のローマ帝国はその後まだ200年余り、395年東西に分かれるまで続いているのだから、この時代は帝国の最盛期をやや過ぎた時代だったが、なにかローマ史理解の足がかりができてとても嬉しい気持ちがした。


 

 

  

 


 

 

 

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