マラソン ちはら台走友会 

(27.11.1) 歩き疲れてふらふらになった。 10月走友会の走り込み月間の結果

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 今日は肉体的に疲労の極致にある。
この10月は私が所属しているちはら台走友会の走り込み月間で、通常は月間200km~300kmの距離を走っているのだが、10月は400km~500km程度走るので、体力の限界に近くなる。

 もっとも私の場合は5月に目が見えなくなって入院し、医者からは過激な運動をしないように言われており、さらに8月の北海道旅行で右足の膝のお皿を割ってしまったので走ることはできないのだが、歩くことは通常通りできる。
よっしゃ、ならこの10月の走り込み月間は競歩で参加しよう

 もっとも競歩といっても私は過去に競歩のトレーニングをしたことがないからとても本式の競歩スタイルになれない。それでも目いっぱい速度を上げて歩くと時速7km~9km程度の速度になる。普通に歩いている人のほぼ倍の速度だ。
ここには四季の道という約6.5kmの遊歩道があり、最初のうちは2周13km歩いていた。
しかし他の元気のいい走友会のランナーは毎日20km程度走るので、これではとても追いつかない。
私も20日を過ぎるころから毎日20km歩くことにした。

 実は私はここ2年ほど走ることを止めている。左足の膝が極度に痛んで少し走ると我慢ができない痛さになる。仕方なしにもっぱら自転車に乗っていたのだが、自転車とランでは同じ足でも使う筋肉が相違して、自転車だけではお尻の筋肉が悲しいほどなくなってしまっていた。
これがかつてはヘラクレス並みといわれた山ちゃんのお尻かい・・・・・・・・・・」ため息が出ていた。

 私は自転車以外のスポーツはもうできないと諦めていたが、意外にこの競歩は老人でもできることに気が付いた。なによりも膝に対する負担がランの3分の1程度なので、自転車と同様に全く膝が痛まない。
しかも使う筋肉は競歩もランも同じ部位だから、嬉しいことにお尻の筋肉が再び張ってきて鏡で確認してもでっちりになってきた。
おお、これこそが昔の私のスタイルではないか!!」毎日鏡を見ているが、ナルシストになってしまった。

 上半身については半年以上前から筋トレを再開していたから、上半身は筋肉隆々になってきたが、さらにお尻の筋肉も復活したので実にバランスの良い体型になってきた。
しかしやりすぎるとどうしてもひどい疲労感に襲われる。
今日の私がそうで10月走り込み月間の最終日だったので、約26km競歩で歩いたらふらふらになってしまった。
月間の競歩距離は476kmあまりになったのだが、一日も休まずに歩きとおした結果だ。

 この競歩(速歩)は老人のスポーツとしては最適だ。何より膝に対する負担が軽いので、私のように膝に障害を持っていてもできるのがうれしい。
もし時速7kmが維持できたらフルマラソンは6時間で走れることになり、通常の市民マラソンの制限時間は7時間が多いから制限時間以内ではいれることになる。
すっかり競技は諦めていたが一度競歩でフルマラソンに参加してもいい気持になった。

注)なお競歩(速歩)始めた経緯の詳細は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/ppppp-6.html

 

 

 

 

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(26.12.22) 長柄町一周駅伝 今年も走ったけれど・・・

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 どうにもならないとはこのことだろう。ここに来て全く身体が動かなくなってしまった。
マラソンのことである。10月頃から左足の膝の内側が痛み出し、走ると激痛が走るのでほとんど走る練習ができなくなった。
そんな時に長柄町の駅伝が開催されるので私は悩んでしまった。
出るべきか、やめるべきか、それが問題だ」

 私は無類の駅伝好きなのだが、それも相応のパフォーマンスがあってこそで、みんなの足を引っ張るようになれば潔く引退するのが取るべき道なのだが、ぐずぐずと辞退を伸ばしてきた。どうしても出場したいのだ。
致し方なく最後の手段として私が信頼している医者で鎮痛剤を処方してもらった。
走っている間だけでも痛みが出ないようにしようとする苦肉の策だ。

 21日に開催された長柄町駅伝は実ににぎやかだった。高校生と中学生の陸上部が大挙して出場して115組がエントリーしていた。一時期30組前後であったのが様変わりだ。一周25km6人がタスキリレーをする駅伝だが、今年で55回を数える由緒ある大会だ。
私の所属するちはら台走友会からは3チームが参加した。走友会のエース級が走ったAチーム以外に、その他チームのBチームとCチームだ。
私はCチームのメンバーだったが、やはり毎年走力が落ちてきたことに加え膝痛でほとんど走れなくなっていた。

 それでも走ろうというのは何か老いの一徹のようなものだ。しかも私が走った第2区は猛烈な坂道がある難所のコースで、私が走るのは本来問題のある場所だが、せっかくチームの一員に入れてもらったのだから文句はいえない。
今回のパフォーマンスは昨年をさらに下回り区間115人中後ろから5番目のスピードだった。
かつてと言ってもまだ足が痛まなかった頃はほぼ真ん中程度の速度で走れたのに今では最後尾ランナーになってしまった。

 中学生の女子ランナーにさえ多く離されてしまい、ひたすら下を向いて走ったのは抜かれる様を見るのが嫌だったからだが、何とも情けない状況だ。
痛みは鎮痛剤で抑えたが練習不足は何ともならない。
いくら駅伝好きと言ってもこれではみんなに迷惑をかけてしまうので、来年は辞退が相応しいのだが、また無理を承知で走らさせてもらう可能性が高い。

 ちはら台走友会の成績はAチームが真ん中程度でBとCはかなり後半だった。高校駅伝の千葉の強豪校のなかで一緒に走るのだからやむおえない成績だろう。
駅伝そのものは日本独特のレース方式でこのようなチーム一丸で頑張るのが日本人に向いている。
こうして今年も走ってしまった。本当に老いの一徹だ。




 

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(26.10.27) ちはら台走友会の秋の軽井沢合宿

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 今年も昨年に引き続き軽井沢でちはら台走友会秋の合宿が行われた。
この合宿の企画と手配をしてくれているのは、マッスルさんだがこの軽井沢にマッスルさんが務めている会社の寮があって、走友会のメンバーにも使用させてくれる。
中軽井沢のカラマツやクヌギやこならに囲まれたとても瀟洒な寮で、別荘地として最高のロケーションだ。

 今回走友会からはマッスルさんを含めて10名が参加した。この時期軽井沢は紅葉の真っ盛りで多くの観光客が押し寄せ、特に旧軽の商店街や雲場池周辺には人々が多かった。
昨年の合宿では白糸の滝から山越えをしたコースを選択したが、今回は軽井沢のゴルフ場の周囲の林道を走るコースになった。
土曜日(25日)の早朝にたって10時頃からJOGを開始したが、この時期の軽井沢はとても気持ちがいい。

 またゴルフ場の周辺も実に美しいカラマツ林が林立していて、時々カラマツの葉が頭に落ちてくる。約30kmを5時間程度かけてゆっくり走ったが冷気が心地よく肺にしみた。
走友会のメンバーは健脚の人が多いが、私は左足の脛が痛んでいたので走れるかどうか心配しながらのJOG になった。走ってすぐに痛みが始まったがしばらく走っているうちに痛みが感じられなくなった。
これは前から経験しているのだがどんな痛みもマヒしてしまえば痛みを感じない。

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 昔トランスエゾという北海道を縦断する競技で、足の小指の先が割れて肉が飛び出したがそれでも我慢して走っていると痛みが感じなくなるのを思いだした。
しかしこの場合はコツがあって一旦走りだしたら絶対に休んではいけない。休むとせっかく麻痺していた足や膝の神経が元に戻ってしまい再び走りだす時の苦痛は言語に絶する。

 今回13km地点にあったコンビニで小休憩をしたのだが、やはり麻痺させていた膝の感覚が戻ってしまった。
「もしかしたらまずいことになるのでは・・・・・・・」
予感は的中し走りだすと足が悲鳴を上げだした。しばらく走ればまたマヒが始まるのだが、それまでの時間がだんだん長くなる。
仕方ない、ここでリタイアしよう」とても残念だったがリタイアをして寮まであるいて帰った。

 翌日(26日)は早朝JOGに元気のいいメンバーが出かけ、昨日のスローJOGと異なり競争をして10kmを走っていた。私は残念ながらこれにも参加できなかった。
しかしこうしたこともあるものだ。特に年齢を重ねると体のあちこちにガタがくるのは致し方なく、この年齢で何もなく走れたら行幸といえるだろう。

 その後全員で軽井沢の別荘の中を自転車で周遊したがちょうど軽井沢マラソンが行われていて別荘地の中を走るコース設定になっていたため、いたるところで交通止めが行われていた。
この日は軽井沢の名門ホテル万平ホテルでケーキやナプキンパイを食べる計画だったが、この軽井沢マラソンで道路が封鎖されているためたどり着くのが大変で、別荘地の中を自転車を押して突っ切ることを余儀なくされた。
こうして今年も秋の合宿は終わった。毎年計画を立て寮の手配をしてくれるマッスルさんに感謝だ。

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(26.5.25) 青葉の森のリレーマラソン 今年も走ったぞ!!

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  こればかりは止めるわけにはいかない。カッパエビセンのことではない。青葉の森のリレーマラソン(駅伝)のことである。
毎年千葉市にある青葉の森公園で開催されているリレーマラソンに今年もちはら台走友会のメンバーの一員として参加した。
青葉の森は私の家から10km程度の場所にあり、とても美しい公園で一周2kmの周回コースがある。皇居の周回コースを短くしたような感じだ。

 この大会は第12回大会で当初は24組、150名の大会だったが年々盛んになり、あまりに多くのチームがエントリーするので、現在は240組に制限されている。
コースは周回コースを21回周り、タスキをつないで走る42.195kmのリレーマラソンだ。
ちはら台走友会は毎年二組のエントリーを行っているが、今年は残念なことに一組しか認めてもらえなかった。
走友会のメンバーは駅伝好きがそろっているので参加者が多く、一人当たりの走行距離を制限しなければならなかった。

 私は毎年走ってきたが、情けないことに走力が年々衰えてきている。腰痛と座骨神経痛と膝痛をかかえ満身創痍だから無理もないが、亀のように遅い。
メンバーの中で他の人の足を引っ張っており、本来ならば引退を宣言して「山崎さんもやっと大人になった」と言われるのが筋だが、しかしこの駅伝だけは止めるわけにいかない。
私が思いっきり走るのはこの時だけで、67歳の身体に鞭を入れて無理やり走らせている競走馬だ。
おれだって、まだ走れるのだ、たとえよたよたしても!!

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   今年の走友会の成績は240組中107位で、時間は3時間06分18秒だった。
走友会には多くの俊足ランナーがいるのだが、最近はそうした人は出ず我々のような楽しみランナーに出場機会を譲ってくれる。
かつてはクラブ部門で常に上位に顔を出していたが、最近100番前後になっているのはそのせいだ。

 たった2kmの距離だが皇居と同様にかなりの下り坂と、上り坂があってかなりタフなコースだ。
天気は曇りだったが走るのには快適だった。
今年もまた青葉の森で駅伝を走ることができた。非常に満足で、生きていることの実感がわき今後も体が動く限りは駅伝に出るつもりだ。

 


 

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(26.3.16) 市原ちはら台マラソンのスタッフボランティア

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  年齢を重ねるにしたがってなれないことをするのに非常に疲れるようになってきた。
今日は市原市のちはら台で第1回の「市原ちはら台マラソン」が開催されたのだが、初めてスタッフとしてこのマラソンの裏方を務めた。
私が所属しているちはら台走友会が全面協力することになり、私もメンバーの一員として参加したものだ。

注)ちはら台走友会には40名近くの会員がいるが今回ボランティアと選手で30名近くが参加している。ボランティアスタッフの中心的存在になっていた

 私は自分が大会に参加することは何回も行っており、また個人的な小さなレースの開催はしたことがあるが、こうした本格的なマラソン大会のスタッフに組み込まれたのは初めてだ。
レースは10kmと5km、それと子供2kmと親子向け1kmレースが組まれており、10kmは約1000名程度の参加者があった。第一回目の大会としてはまずまずの参加者と言える。

 私が受け持ったのは受付担当子供2kmと親子1kmのコースの振り分け、それと10kmの最後尾ランナーのサポートだった。
受付で割り当てられた人数は120名程度で大したことはないのだが、やたらと質問されるのには閉口した。
実は私のようなボランティアスタッフは自分に指示された仕事以外のことはほとんど知らない。

「着替えの場所はどこですか」
「トイレの紙がなくなっているが手当てしてもらえないか」
「ゼッケンは前に付けるのか、後ろですか」
「スタート場所はどこですか」
「もらった記念品が水漏れしているがどうかしてくれないか」
「ピンが入ってないじゃないか」

受付をしているとこうした質問が次々に発せられて、単にゼッケンを手渡ししてればよいという訳にはいかない。
あの、本部がこの先にあるので聞いてください

 私は受付が終わった後子供2kmと親子1kmのコース整理(一緒にスタートをして途中で別れる)をしなければならなかった。ところが予定されていたコース振り分け用のコーンがなかなかやってこず、両者をうまく振り分けることができなくなるのではないかとひやひやした(5分前にコーンが運び込まれた)。

 その後10km最終ランナーの後について走る最後尾ランナーを担当したのだが、最後尾になるとほとんど歩いているのと変わりがない。
この歩いているような速度のランナーについていくのは本当にきつい。
それぞれランナーには巡航速度というのがあってその速度で走っているときが最も効率的に走れるのだが、それよりも早かったり遅かったりすると非常に体力を消耗する。

 今回の最終ランナーは10kmを約100分で走ったから、私が通常走る速度の半分程度の速度だった。
うぅーん、何と疲れるのだ・・・・・・」終わったときはがっくりして座り込んでしまった。

 今回初めて経験したのだが、こうした大会運営については専門の運営会社があり、会場の手配やパンフレットの作成やその他あらゆる運営のノウハウを持っていて、すべてを取り仕切っていた。
一般のボランティアはそのうちの一部だけを担当するシステムになっており、上記のようにほかの作業は一切わからない(だから質問されてもうまく答えられない)。
日本中でマラソン大会が開催されているからこうした運営会社もきっと引っ張りだこなのだろう。

 しかしいずれにしても私は疲れ切ってしまい、寒かったせいもあるが家に帰って風呂に入って体を温めなければ体力も気力も回復しなかった。
経験としては大変面白かったのだが、老人が初めて挑戦するには体力がついていかないというのが実感だった。

なおちはら台走友会についての記事は以下にまとめて入っております。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat44088639/index.html



 



 

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(25.12.16) 第54回 長柄町一周駅伝に今年も参加した ちはら台走友会

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(優勝した流山南高校のメンバー)

 私は駅伝が飛び切り好きなのだが、それは個人レースでは絶対にしないほどハッスルして走れるからだ。
12月15日(日)は恒例の長柄町一周駅伝大会が開催された。第54回大会だというから日本が高度成長を開始するころから始めた由緒ある大会だ。

 私の所属しているちはら台走友会からも2チームがエントリーした。距離は約27kmでこれを一チーム6人がタスキをリレーして走る。
昨年は総選挙が行われたために中止になったのだが、ここ数年出場チームが減少していた。理由は競合する駅伝大会が各地で開催されていたからだが、今回はその競合を避ける日程にしたところ93チームがエントリーした。2年前は37チームだったから、今回は2.5倍も出場チームが増えたことになる。

注)二年前の大会の様子については以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/23126-b9b7.html

 高校生の部が17チームも参加し、それも千葉県内の強豪チームが集まったのだから、何か高校駅伝の予選会みたいなレベルになってしまった。
中学生も長柄町だけでなく近在の中学陸上部のメンバーが、39チームも参加している。
今の俺は小学校3年生にも負ける走力なのにどうしよう・・・・・・・」不安感にさいなまれる。

 今回私は2区の約3kmを走ったのだが、ここは地獄のような坂道が1kmにわたって続く難所だ。1区は走友会のエースのTさんが走ってくるので、高校の陸上部の選手に負けずに12位で滑り込んできた。
しかし私に代わった途端に高校生や中学生に次々と抜かされ41位まで後退してしまった。
なんと29人に次々に抜かされたのだ。
区間順位は93名中76位だから圧倒的に遅い。Tさんの資産をほとんど食いつぶしてしまったようなものだ。

 最も最近は坐骨神経や膝の痛みがあってほとんど走っていない。代わりに自転車に毎日2時間程度乗っていたが、直前の1週間だけ近くの調節池周辺で駅伝のトレーニングをした。しかしこの程度ではとても走力を維持できない。
今回の駅伝で深く反省をした。
せめて登りぐらいは他のチームに負けないだけの走力を身に付けたいものだ
箱根駅伝で東洋大の柏原選手が圧倒的な力を見せつけたが、私も登りだけのトレーニングをして来年を期することにした。

 目標は登りの区間1kmだけは抜かされないように頑張ることで、平地では高校陸上部の現役の選手にかなうはずがない。
何しろ5000mを15分から16分台で走るような選手がいるのだからどだい競争するのが無理というものだ(私は今は25分でも走れそうにない)。

 走友会の他のメンバーも十分駅伝を楽しんだようだ。走っているときは苦しいが終わってしまうとこんな面白いゲームはまたとないものだ。
長柄町の温泉に入り、メンバーの一人が保有している別荘で手作りのカレーを食べさせてもらって、マラソン談義をたっぷり行ってから帰宅した。

 私の走力は最悪の部類だが、それでもこの駅伝だけは引退するわけにいかない。苦しいのは走っているときだけで終われば実に楽しい思い出になる。ちはら台走友会のメンバーには申し訳ないが、来年も出場するつもりだ。
山崎さんは総監督になられた方がいいのではないですか」なんてやんわりと引退を勧告されてもサッカーの三浦知良の精神で頑張ることにする。

なおちはら台走友会に関する記事は以下にまとめて入っております。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat44088639/index.html


 

 

 

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(25.11.25) 「フルマラソンは練習なしで走れるか?」 つくばマラソン始末記

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 いやはや、ひどい実験をしてしまった。どんな実験かというと「走る練習をほとんどしないでフルマラソンを走れるか」という実験だ。
実は私は今左足の膝の周りの靭帯が痛んでいるのだが、10月初めの「ちはら台・おゆみ野フルマラソン」を無理して走ったためにさらに膝を痛めてしまった。

注)「ちはら台・おゆみ野フルマラソン」のブログ記事は以下参照。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-e6df.html

 その後は静養に入って11月の初めにちはら台走友会の秋の合宿30km走った以外は全く走っていなかった。
昨日(24日)、第33回つくばマラソンに出たのだが、直前の1か月半の間に走った距離は30kmというのだから、かつての私のトレーニングから比べると信じられないような少なさだ。

注)ちはら台走友会の秋の合宿のブログ記事は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-0e87.html

 一般にフルマラソンを走ろうとするまじめなランナーは月に300kmは練習している。私もかつては300㎞を目標にしていたが、最近は150km程度になっていた。それが今回は1か月半で30kmだから、ほとんど走っていないといったほうが適切なくらいだ。

 膝が痛いのになぜ走れるかというと、レースのときだけ鎮痛剤を飲んでいるからだ。この鎮痛剤は実によく効いてレース中は全く痛まない。しかしこの薬の弱点は使い続けると効果がなくなることで、私はレースの時以外は使用しない。
だから練習となると膝が痛んでどうしようもないのだ。

 最も私は根っからのスポーツマンだから走れなければその代替のスポーツは行っている。毎日2時間程度自転車に乗り、急激な坂道の上り下りをしているので、まったく運動していないわけでない。
だから正確な問は「自転車の運動だけでフルマラソンは走れるか」ということになる。

 自転車を乗っている人は気づいているが、膝に支障があっても自転車は乗れる。それは自転車は主として大腿部の運動で、乗れば乗るほど大腿部が鍛えられる。
一方マラソンは膝から下が重要で、特にふくらはぎが発達していないと走れない。
レースの参加者のふくらはぎを見るとその人がどの程度走れるかだいたいの見当はつく。

注)自転車トレーニングの様子は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-ef7c.html

 さて実験結果だが、短い距離ならともかく距離が長くなればなるほどマラソンは走れなくなる。
今回30km程度まではそれほど支障はなかったのだが、30km超えたあたりから足に違和感が出始めた。
最初は左足のふくらはぎが痙攣していたのだが、無視して走っていたら、35kmの関門の手前で、両足の大腿部を含めた痙攣が始まった。

 関門は這うようにして通過し、そこで両足のストレッチを行ったのだが、それ以降は少し走ると痙攣するので、走ったり歩いたりしながらだましだましの走りになってしまった。
未だ7km程度あるのに地獄の苦しみだ。
やはり自転車だけでフルマラソンを走るのは無理だったな」後悔したが、今更どうにもならない。

  後ろから5時間のペースランナーがやってきてアッと言う間に私を追い越して行った。最終的なネットタイムは4時間55分59秒だった。
しかし困ったもんだ。しばらくは膝の養生で走ることはできそうもない。再びフルマラソンなどすると、今回の結果と同様に地獄を見ることになりそうだ。

注)ペースランナーは目標時間の10分ぐらい前を目標に走っているので,抜かされても目標時間はクリアできる。

 

 

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(25.11.11) ちはら台走友会の秋合宿 今年は軽井沢に行った

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(寮の前)

 ちはら台走友会秋合宿軽井沢で行われた。
軽井沢にはメンバーのMさんが勤務している会社の寮がありその関係で、走友会のメンバーも寮を使わせてもらった。
カラマツどうだんつつじに囲まれた実に瀟洒な建物で、この寮を利用する人も多く100名以上の宿泊客がいた。
今回の秋合宿の参加者は5名である。

 今回の合宿にあたって私のコンディションは必ずしも良くなかった。
先月のちはら台・おゆみ野フルマラソンで左ひざの痛みを押して走ったのが災いして、その後全くと言っていいほど走ることができなくなっていた。
仕方がないのでもっぱら自転車に毎日2時間ほど乗っていたのだが、コースの中に魔の三段腹コースと名付けた非常に厳しい坂があり、これを登りきることを日課としていたら、両足の大腿部の筋肉が異常に発達してきた。

注)この辺の経緯については以下に記事を記載してある。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-ef7c.html

 私は知らなかったが、この大腿部の筋肉が発達すると山登りや坂道走が非常に楽になる。
足を上部に上げることが苦痛でなくなるので、今回の合宿ようなトレッキング道を走るには足がもってこいの状態に仕上がっていた。
いやー、これは全くけがの功名だ!!」自分でも驚いた。
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(雲場池)

 私はこの時期軽井沢にいったことがなかったが、ちょうど紅葉が終わりカラマツの葉やケヤキの葉が風が吹くたびに雪のように舞い落ちていた。
合宿のコースは寮を出発して旧三笠ホテルの前を通り、信濃路自然歩道を遡って白糸の滝を経由し、浅間山の登山口峰の茶屋まで登って、そこから146号線を軽井沢まで降りてくるコースだった。
距離にして約30kmだから大したことはないと思ったが、軽井沢と峰の茶屋の標高差は約500mあり、この高度を一気に登って下るのは実際はかなりタフだった。
それでも息が上がらなかったのは自転車の坂道走のおかげだ。

 特に信濃路自然歩道はあまり歩く人がいないらしく、落ち葉がうずたかく積もっており、ところどころにイノシシが掘ったと思われる土くれの山があったりして、お世辞にも走りやすいコースとは言えない。
こんな山岳コースならばトレッキングシューズを履いてきた方がよかったかしら・・・・
山岳レースが好きな人ならコースがハセツネに似ているといえばイメージがわくだろう。

注)ハセツネとは山岳登山家故長谷川恒男氏を記念して奥多摩の山岳コースを使用して行われるトレッキングレース。距離約73km、制限時間は24時間。

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(旧三笠ホテル)

 この時期の軽井沢はかなり寒く、走っている間は身体があったまっているので感じないが、休息をとっているとたちまちのうちに体温が低下する。
そうした時は休まないで体を動かし続けるのがコツだが、一方で足がへたばって来ると休まないわけにもいかない。

 しかし今回の合宿は本当に楽しかった。木の葉の嵐の中を走っていると、なにか雪の中を疾駆している駿馬のような感じになって、気分が爽快だ。
空気はあくまでも澄んでいて、時々浅間山の頂上も見ることができた。

 翌日は寮の自転車を借りて軽井沢の別荘地帯を散策したが、やはり日本を代表する別荘地だけあって、最近できた別荘地と比較すると圧倒的に敷地が広く、また屋敷も風情を感じられる
一部に切り売りされた土地も散見されたが、こうした場所は昔の風情を残してこそ価値があろうというものだ。
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(白糸の滝)

 帰りに軽井沢にできたアウトレットによってお土産を購入することにしたが、ここには遠くから多くの観光客が押し寄せているらしく、駐車場に入るために国道に数珠つなぎに自動車が待っていた。
私自身は今までほとんどアウトレットに立ち寄ることはなく、アウトレットなるものの存在意義が分からなかったので寄ってみたい気持ちもあった。
メンバーのKさんがアウトレットにはブランド品を扱う店が多く出店して、しかも市価の半値程度で商品を売り出すことがある。だから日本人だけでなく中国人の観光客にも人気があるんだ」と説明してくれた。
そうかアウトレットはブランド品のディスカウントが売りなのか!!」なんとなく納得した。

 こうしてちはら台走友会の今年の秋の合宿は終わった。

なお、ちはら台走友会の記事は以下にまとめて掲載してあります。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat44088639/index.html

 

 

 

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(25.3.12) 東京湾一周180kmを走ってきた。

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(同僚のしまちゃん

  久しぶりに東京湾一周180kmを走ってきた。
このコースはトランスアメリカ5000kmを走破した海宝さんがトランスアメリカの練習用に開拓したコースで、その後トランス蝦夷1100kmを開催している御園生さんが、2泊3日コースとして毎年実施している競技コースである。

 今回それをちはら台走友会の行事として開催してみた。
一緒に走ってくれたのは走友会一番の練習量を誇るしまちゃんで、しまちゃんは40歳代のバリバリの現役のサラリーマンである。
そのため3日間の時間的余裕がないため一泊二日で走ることとした。
ちはら台を出発して東京湾を一周してちはら台に帰ってくるコースである。

注)私は十分時間があるが、現役のサラリーマンは時間を節約しないとこうした競技には出られない。

 金曜日の夕刻9時にスタートし、国道16号線を南下して、朝の8時ごろフェリー乗り場の金谷に着いた。
この日は夜半とても暖かく何か春のような陽気だったが、この種の競技は暑い日は駄目で冷たい風のない日が一番いい。
それと夜間走るためにはチカチカランプを身体に装備して走らないと、自転車や自動車に追突される。

 金谷からは対岸の久里浜までフェリーに乗って、そこから横浜まで駆けたのだが、横浜には夕刻の5時ごろ着いた。
その間19時間走り続けたことになるが、時速は6km程度だから何時までも走り続けることができる。

注)一般の人は19時間も走り続けるというと驚くが、人間はトレーニングと巡航速度さえ守ればいくらでも走ることは可能

 泊まりは横浜に在るSPAという温泉保養所で、ここは温泉に入りかつ仮眠をとることもできるので、こうした競技をする人間にとってはとても重宝だ。
翌日の朝2時に出発だから、都合9時間身体を休めることができた。
この日(日曜日)は走友会の長距離に興味を持っている女性ランナー2名が新木場から一緒にちはら台おゆみ野)までの約50kmを走ってくれることになっていた。
そのため朝9時までに新木場まで行き着かなければならない。

 レインボーブリッジを通る予定が、朝の10時でないと通らせてくれないことが分かり、あわてて代替コースを走り9時に間に合わせなければならなくなった。
しまちゃんは私よりはるかにスピードがあるため、ギヤチェンジをして走り出したので、私もついていかねばならず、足は水膨れになり膝に激痛が走った。

 実は今回の180kmは身体に無理を強いたのだ
昨年の10月頃から左足の膝の周りにピリとした痛みが走っている。
走りはじめが痛く、時間がたつにつれて痛みが消えていく。
スポーツドクターのKさんの話だと「靭帯が痛んでいるときの典型的な症状」だそうだ。

 走りながら靭帯が痛むと最悪なので、ドクターに鎮痛剤を処方してもらった。
またこれも昨年の10月から走れなくなったことが原因なのだが、走れない場合は自転車に乗ることにした。
しかしあまりに長時間乗っていたので、痔が出てしまった。
いわゆるイボ痔で。走ると飛び出してきて痛痒さは相当なものだ。
こちらは肛門科のT先生の所に行って取りあえずは浣腸のような薬で抑えてもらっている。
まあしかし、これはいづれ手術ですな

 膝痛とイボ時を抱えての競技参加だからかなりナーバスになり、また前日には頭が痛く下痢症状になったが、これはいつもの「いやいや病」だから無視した。
都合34時間かかったが、走れただけでも幸いだ。
まだ俺だって180km程度は走れるぞ」なんて自慢するために走ったようなものだが、男はミエで生きているのだからこうした限界競技をしてカツを入れることは必要だ。

注)ちはら台走友会の行事についは以下参照。
http://yamazakijirounew.cocolog-
nifty.com/blog/cat44088639/index.html


またちはら台走友会の公式ホームページは以下参照
http://chiharadaisoyukai.cocolog-nifty.com/blog/

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(24.11.27) 第32回 つくばマラソン 努力した人は報われる

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 やはり努力する人は違うとしみじみ思ってしまった。
昨日(25日)恒例のつくばマラソンでちはら台走友会から12名が参加したのだが、その中でしまちゃんたかちゃんが、それまでの記録を大幅に塗り替えた。

 しまちゃんは先月行われたちはら台走友会オクトーバーランのチャンピオンで、月間786km走った。
彼は金融機関担当のシステムマンで残業が多く又休日にも出勤するハードな勤務状況なのだが、ちはら台から勤務地の幕張まで片道約20kmの通勤RUNをすることで練習時間を補ってきた。

注)オクトーバーランについては以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-8305.html

 昨年までは残業をしては夜食を食べていたせいで身体に脂肪がまつわりついていたのに、今年になって一大決心をして身体から脂肪をほとんど落としてしまった。今は往年の瀬古選手宗兄弟のように身体が引き締まっている。

 昨年までしまちゃんのフルの成績は4時間をはるかにオーバーすることが多く、かつての3時間半程度の記録は夢のまた夢になっていたが、今回は大復活して3時間39分33秒で走りきってしまった。

私の成績ですが、予想以上の結果を残せました。
自己ベストには届きませんが、ベスト2とそれほど変わらない3番目にいい記録でした。
レース前は最低目標4時間切り、あわよくば3時間50分と考えていましたが、
ネットで3時間39分33秒でした。

前半はキロ5:10から5:25、折り返して5:05から5:15のペースを維持しました。
前半も想定より速いうえに、早い段階でペースアップをしたので、最後までもつのか走りながら不安でしたが、オクトーバーランの成果でしょう、失速することなく走りきることができました
」と言っている。

 もう一人のたかちゃんは最近走友会に入ってきた若手の女性だが昨年までは4時間40分程度で走っていたのに、今年は一気に3時間52分サブフォーを達成した。
市民ランナーの女性が4時間を切るのは大変なことで、しかも1時間あまりもタイムを短縮したのだから驚く。

注)市民ランナー(学生時代陸上部にいなかった者)は男性で3時間半、女性で4時間の壁がありこれを破るとランナーとして認めてもらえる。

 たかちゃんも今年になって大ハッスルした女性で、仕事をしながらオクトーバーランには517km走ってすっかりランナーになってしまった。
彼女はほぼ毎日20km程度をかなりのスピードで走っていたから十分スピードとスタミナがついたのだと思う。

 走友会にはランナーズの年齢別ランキングで100番以内の選手がゴロゴロいて実に壮観なのだが、一方でこうした一般市民ランナーが努力して成績を伸ばしてきたのはすばらしい。

 一般にどの走友会もそうだが当初は若く情熱なメンバーが集まって積極的な活動をするのだが、その後新人会員が入ってこずいつの間にか老人クラブになることが多い。
しかしここちはら台走友会は新人の参加が常時あり若く華やいでいる。
しまちゃんたかちゃんも若手のホープだ。

 最後に私の成績はというと散々だ。
2年前に4時間を切ってからその後はまったく4時間を切れなくなった。
左足のすねの下が痛んで、オクトーバーランのあと養生のために休養していたのだが、練習不足はてきめんで4時間27分だった。

 せっかくiPodを購入してロッキーの曲で鼓舞したが、いたし方がない成績だ。それでも何とか歩かずに走ったのだから良しとしよう。

 なおちはら台走友会の記事は以下に纏めてあります。非常に活発な走友会ですのでちはら台やおゆみ野周辺に住んでいる方で入会を希望する方は是非参加してください(コメント欄かメールを使用して照会してくれれば会長に取り次ぎます)
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat44088639/index.html

 

 

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