(28.2.2) 復興団地は作っても入居する人がいない。東日本大震災の5年後の現実
きっとそうなるだろうなとつくずく思ってしまった。東日本大震災後に政府が音頭をとって実施している防災集団移転促進事業(防集)によって作られた団地に人が住んでいないと毎日新聞が報じていた。
津波が来ても絶対に被害にあわないためには高台に住宅団地をつくることになるが、そうした場所はほとんどが大変不便な場所だ。
災害にあうまえは海沿いに住宅があったが、こうした場所は災害危険区域に指定されたため住宅が建てられなくなっている。
毎日新聞が報じた例は宮城県石巻市の桃浦地区という漁村だが、震災前は65世帯150人が暮らしていたという。このうち震災後も桃浦地区に残って生活すると意思表示したのは24世帯71人で、実際に団地ができて戻ってきたのは5世帯の6人になってしまったという。
しかも6人のうち5人が65歳以上の高齢者で、さっそく限界集落(65歳以上の人口が半分を越えた集落)になってしまった。
毎日新聞の報道は団地が限界集落になっているということを中心に取り上げていたが、本質的には団地を作っても住む人がいない方が問題だ。
日本は全体としても人口減少社会だが、特に東北の太平洋岸の漁村は毎年のように人口減に悩まされていて、若者がほとんど街に出てしまい残されたのは老人ばかりになっていた。
それが東日本大震災後ではその残っていた老人も避難生活で街に移り住むか他界してしまって、元の漁村に戻る人がほとんどいなくなっている。
残された漁村に はスーパーもコンビニも病院も学校もないのだからそれだけで生活するのも大変だが、老人は病院がないことが一番心配だし、子供のいる家庭では学校がなくては住むこともできない。
従来は何とか最低限のこうした施設があったものの、いまでは漁港に復興事業の一環として建設された工場があるだけであとは何にもなくなってしまった。
当初県ではこうした住宅地をまとめて大きな団地にするつもりだったが、住民の希望は元の土地に住みたいということだったため、小規模の団地があちこちにできることになった。
しかし実際に造成が済んでみるとこうした場所に移転してくるのは故郷に愛着を持った老人でまだ健康な人だけだから極端に人数が少なくなり、当初の移転希望者71人のうち住宅を建てたのは6人になっている。
政府は創造的復興という概念を掲げて懸命に団地の造成をしているが、創造をすべき人がいないかあるいは高齢すぎて創造なんて言葉が最も遠い存在になっている。
その結果団地づくりは日本のいたるところにある無駄な公共施設の建設と同じ運命をたどっている。
現在建設を計画しているこうした団地の数は314地区1万4千人が対象だそうだが、造成が終了して実際に入居が始まるとほとんどの人が故郷に戻ってこないというのが現実だ。
一旦便利な街に移り住んだら、復興団地以外には何もないこうした団地に人が戻るはずがない。
結局いたるところに小規模団地ができるが、ちょうどバブル崩壊後の工場団地や住宅団地と同じでぺんぺん草が生えているだけの場所になってしまうだろう。
時間が経つにつれて老人は死に絶えていくし、そもそも若者はほとんどいないのだからもともと過疎地であったので、そこにいくら復興団地を建設しても入居者がいないのは当然だ。
この防集事業は見直しが必要な時期にきている。
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