(28.11.29) 原子力時代の終わり 廃炉処理に20兆円は高すぎる!!
いやはや高い買い物になったとため息が出そうな数字だ。福島第一原発の処理費用が全体で20兆円になるそうだ。大まかに言って賠償費8兆円、除染費用5兆円、中間貯蔵施設建設費1兆円、そして廃炉に6兆円だそうだ。
このうち賠償費については東電とその他の大手電力と新規参入した新電力が負担しており、除染費は政府の東電株の売却を当てることにしており、中間貯蔵施設建設費は税金を投入する予定だ。だから東電単独で負担している金額は廃炉費用の約6兆円になる。
今問題になっているのはこの6兆円を東電単独で負担可能かという問題だ。東電は「これでは倒産します。どうか助けてください」と悲鳴を上げだした。
東電の営業利益は毎期4000億円程度だから6兆円を負担し続ければ15年かかることになり、悲鳴を上げたくなる気持ちもわかる。
しかし考えてみると原発一基を作るのに3000億円から5000億程度でできるのだが、廃炉にするとなると途方もない金額がかかるのには驚く。
福島第一原発の1から4号基が廃炉になるが、単純計算で2兆円で建設して20兆円かけて廃炉にしているので約10倍の費用負担だ。
もっとも純粋の廃炉費用だけなら約3倍だがそれにしてもすさまじい金額だ。
「こんなに金額がかさむなら原子力発電などしなければよかった」と誰でも思うだろう。
一方で日本では今電力消費量は毎年のように減少している。日本における電力消費量の推移は21世紀になって完全に頭打ちになり2007年をピークに減少に転じた。
日本から多くの工場が海外に進出した結果が最も大きいが、さらに電力の効率的な利用や日本人の人口が減少し老人比率が高まっているからだ。簡単に言えば老人は夜更かしなどしない。
20世紀をとおして電源開発は国の使命のようなところがあり、かつては電源開発とさえ言えば何でも許されるような状況だったが、今では環境破壊の元凶のような存在になっている。
その中で原子力発電は福島原発の事故が起こる前までは火力発電に比較してクリーンなエネルギーだと東電とその御用学者が盛んに吹聴していたが、とんだ食わせ物だった。
地震による原発事故そのものは東電の責任ではないが、いったん原発が事故にあうと途方もない金額の処理費用が掛かることをわからしてくれただけでもその意義は大きい。
最近まで世界では中国が電力をがぶ飲みしていたので、電力需要は世界的な規模で増大すると思われていたが、中国の経済失速によってすっかり様変わりになってしまった。
どこの国も毎年のように電力需要が縮小するので「もうこれ以上発電所はいらない」という状況であり、ましてや廃炉に途方もない金額がかかる原子力発電所の建設は見向きもされなくなりつつある。
ベトナムで日本主導の原発建設が検討されていたがこれが中止になったのはその例だ。
さらにアメリカではトランプ氏が大統領になり保護主義政策をとるようになれば経済規模は世界的に縮小し今でも有り余っている電力がさらに不要になってくる。
中国はいまだに原発の推進を図ろうとしているまれな国だが、ここも見直しが始まるのは時間の問題だ。
「主席、原発を稼働させても中国中から工場が消えてしまって使用者がおりません。ただ原発だけが稼働して電力をどぶに捨てていますが、さらに原発を建設する意義はあるのでしょうか」
20世紀の花形技術だった原子力は今黄昏を迎えており、特に日本では福島原発事故の関係からも見向きもされない技術になろうとしている。
今や原子力は捨て去られる技術になってしまった。
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