(23.5.22) 白旗をあげたみずほFG(フィナンシャル・グループ) みずほ銀行とみずほコーポレート銀行の合併
あまりにひどいシステムトラブルで恥の上塗りをしたみずほFGがとうとう白旗を揚げた。
なにしろ東日本大震災のさなかにみづほ銀行の決済機能とATMが動かず、仕方なしに約200億円の仮払いをしたが、4億円はネコババされて返済されなかった。
注)今回のトラブル経緯は以下の記事を参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/23321.html
これで経営者の責任が問われないほうがおかしい。
みずほ銀行の西堀頭取が引責辞任することになったが、それだけに問題は止まらなかった。
ながく懸案だったみずほ銀行とみずほコーポレート銀行の統合に踏み込んだからである。
みずほFGができたのは2000年9月だったが、グループ統合は実はいやいやながらの統合だったのが災いした。
興銀、一勧、富士といったそれまで日本をリードしてきたトップバンクが統合に同意したのは、バブル崩壊による不良資産がそれぞれが1兆円規模にふくらみ、金融庁から規模拡大による生き残りを強く要請されたからである。
「しかたない、金融庁の顔を立てて合併はしてやるが実質は元のままにしよう」
注)金融庁はアメリカから金融機関の不良債権処理を迫られていたので、金融機関の統合を強く推し勧めることで生き残りをさせようとしていた。
統合された金融機関は信じられないことに1行体制でなく2行体制で、持ち株会社のみずほホールディングス、そして中小企業融資のみずほ銀行、大企業融資のみずほコーポレート銀行と言う構成だった。
なぜ二行体制かと言うと、プライドの高い興銀が他の二行との統合を嫌がったからだ。
「興銀こそは戦後日本の製造業を支えてきた由緒ある銀行で一勧や富士と一緒にされては困る」
仕方なく一勧と富士が合併してみずほ銀行を作ったが、両行は力が拮抗していたので妥協の産物としてみずほホールディングスとみずほ銀行の社長を交互に出すことにした。
三行がいかに合併に乗り気でなかったことは、三行の勘定系システムをそのまま残し、その上ににつなぎシステムを構築したことに明確に現れている。
「合併なんてちゃんちゃらおかしい、実質は元のままよ。みずほ銀行は本当はみずほ一勧とみずほ富士さ」
注)通常、吸収合併の場合はシステムは必ず吸収する側のシステムにそろえられる。同じ仕事を別々のシステムで行うことはまったく合併のメリットが出ないからだ。しかし興銀、一勧、富士の場合は対等合併だったためシステムの統合ができなかった。
これが2002年4月の第1回目の大トラブルの原因だったが、そのときは何とかみずほ銀行とみずほコーポまでの合併に踏み込まなくても済んだ。
とりあえず一勧の勘定系システムをみずほ銀行のシステムとして採用することにしたからである。
しかしここにきて再度のシステムトラブルを発生させただけでなく、二行体制の無理も明確になってきた。なにしろ収益がちっとも上がらないからだ。収益は三菱UFJ、三井住友の後塵を拝し第3位が定位置になってしまった。
かつて日本を代表した3行の合併後の収益は他のメガバンクにどうしてもかなわないのだ。
原因はみずほ銀行とみずほコーポ銀行との業務の重複にあった。一応みずほ銀行は中小企業と個人融資、みずほコーポは大企業融資と言うことになっているが、実際は一勧と富士の取引先がみずほ銀行に興銀の取引先がみずほコーポ銀行に移っただけだ。
そして両行で取引のあった取引先をできるだけ調整しようとしたが、取引先の意向や職員のサボタージュがあって最後は何がなんだかわからなくなってしまった。
こうして興銀、一勧、富士といった戦後日本の経済を支えてきたトップ銀行が互いに足を引っ張り合ってまったく合併効果が現れず、一方でシステムトラブルが続発すると言う最悪の事態になってしまった。
システムは人間の感情や行内政争に無関係に中立的なものだから、互いに足を引っ張り合ってシステム運用に手を抜けばトラブルが発生するのは当然だ。
「これではみずほFGはつぶれてしまう。今までの行内闘争はやめて適材適所にしよう。それに無駄に二行体制を維持して人的・システム的に二重投資をし続けるのは止めよう」ようやく目が覚めた。
2000年に世界の大銀行が出現したともてはやされたみずほグループは、実際は10年の歳月を行内闘争についやし、収益では日本で第三位、システムトラブルはトップ企業と言う汚辱のうちにようやく一行体制にうつることになった。
なおみずほ銀行の収益の分析については以下のURLを参照
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-8024.html
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