(2.11.24) 人生の最後をいかに生きたらよいか?
私は60歳で定年退職し、その後は趣味とボランティアの人生を送ってきたが、60歳で仕事を止めてつくづくよかったと思っている。私が勤務していた銀行では65歳まで働けたのだが、給与が極端に低くなるため働こうとする意欲をそがれた。最もそれが企業としての戦略でいつまでもロートルに居座ってもらっては困るので、意図的に給与を下げて追い出しを図っていたという側面がある。
だが人生何が幸いするかわからない。もし65歳まで働いたり、さらに定年延長が図られて70歳まで働いたりすると人生が暗黒のまま過ごしたことになる。
会社人生ほどつまらないものはなかった。私は人に仕えるのが下手なタイプで、サラリーマンの期間中常に異邦人の感覚に襲われたものだ。何とかサラリーマンを止められないものかとシナリオライターの教育機関でシナリオ作成の訓練をしたり、国連の臨時職員に応募しようとしたりしたが、結局は銀行に60歳まで務めることになってしまった。
だが定年後の10年感は実に楽しかった。私の趣味は長い間マラソンだったが、65歳ごろまで100kmや250kmのマラソンを実に楽しんだ。最もあまりに走り過ぎたため左足の膝に負担がかかり、走ると極端に痛むためその後は自転車に切り替えた。自転車の足への負担はマラソンの3分の1程度なので膝の痛みが出なかったからだ。
この自転車で北海道や四国を一周したりして旅を楽しんだが、今でも一日3時間程度のライディングをしている。
だが趣味だけではいくら何でも年金をもらっている身で申し訳が立たないため、この街の清掃作業や公園のベンチの補修や道路の植栽の剪定や草刈りを毎日のように実施したが、70歳を過ぎたころころからこうしたボランティアも肉体的に苦痛になってきた。
私は全く知らなかったが人間の肉体の限界は70歳ぐらいのところにあり、それ以降は生きていくのがやっとという状態になる。
結局楽しく趣味とボランティアで明け暮れたのは70歳までの10年間で、その後は白内障を患ったり脊椎間狭窄症で歩けなくなったり、聴力が極端に落ちて補聴器なしには会話もできなくなってしまった。
自動車でいえば耐用年数が過ぎてしまったようなもので、かろうじて動くが快調からはほど遠い肉体になってしまい、もはや趣味もボランティアも体力あっての物種だということを身につまされている。だから間違って70歳までサラリーマンを続けていたら楽しい定年後の10年間を過ごせなかったことになる。人生は一度だけのものでそれが苦悩のサラリーマン生活だけだったということになれば、なんのために生きたのかわからない。紙一重の差で人生の喜びを感ずることができたのは幸いだ。
今はボロボロになった肉体と折り合いをつけながら、かろうじてできる自転車に乗り、ボランティアは子供に勉強を教えること以外は止めている。これも初めて知ったが筋肉や骨に支障が出てきても脳に対するダメージはほとんどなく、子供に勉強を教えるには支障ない。
今は高校生3人と中学生一人に教えているが、私のできる最後のお勤めになっている。
最もこの人に勉強を人に教えるという作業は非常に楽しく、このところ化学や地学や地理といった科目に没頭しているが、毎日4~5時間は大学受験問題と格闘している。ほとんど趣味のようなもので河合塾や東進スクールの模試などやってみると、ほとんどトップクラスの成績になるのには笑ってしまう。
「昔より成績がいいとはもう一度大学生になれということかい・・・」
60歳代の10年間が花だったが、今は肉体的には限界を越しており神様のお迎えが近いのではないかと思われる。自転車に乗ることと、最後の社会に対するご奉公が教育指導になってしまった。あと4~5年で引導を渡されそうだが、花の10年を送れただけでも生きてきたかいがあったというものだ。
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