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(2.8.16)  大学入学共通試験がようやく時代にマッチしてきた。

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 私は74歳でいい加減年寄りなのだが、高校生二人に受験指導をしている。当初は数学だけだったが、私は生徒から「国語がどうしても」などと言われるとほっておけない性分だから、「じゃ、国語のトレーニングをするか」ということになり、今では生徒の受験科目すべての指導をしている。
私は年寄りであることもあるが、記憶力が極端に悪い。かつてと言っても私が学生時代だったころは記憶力万能時代で、博覧強記こそ理想の学生の姿で、長い間大学入試試験も記憶力のコンテストのようなところがあった。

 しかし世の中は変わってきた。ほとんどの人がスマートフォンを持ち歩く時代になると、何かわからないことがあれば記憶力を呼び起こしてうんうんうなるよりも、検索したほうが早い。

単なる記憶、例えば歌手の名前や俳優の名前、地名や演歌や和歌の歌詞などはたちどころにわかるので記憶をしている必要がなくなった。
記憶は今ではGoogleに聞けばわかる時代に入っている。

 ところが最近まで大学入試試験は相も変わらず記憶中心で特に日本史などは、いくら細部を記憶しているかで勝負が決まり、例えば鎌倉幕府の北条氏が実権を握る過程で「北条義時が和田義盛を滅ぼした」合戦名や「北条時頼が三浦一族を滅亡に追い込んだ」合戦名を記憶していないとだめといった問題ばかりだった。
これではとても記憶力がないに等しい私の手に負えない・・・・」と思っていたが、次年度の共通試験からはこうした記憶力のテストではなく、資料が提示されその内容の判断を求めるような問題ばかりになった。
簡単に言えば資料を見て歴史の流れを理解しているかどうかを問う内容になったのである。

 もう一つの例をあげれば英語のリーディングが様変わりになった。かつて英語のテストといえば、難解極まる文法問題が幅を利かせておりネイティブにとってさえ、回答が困難な問題ばかりだった。
しかし文法を知らなければ英語がわからないかといえばそんなことは全くなく、日本語で考えてみても日本語文法を知らなければ日本語を話せないなどということはありえないことでもわかる。
なぜこうしたばかげた文法関連の問題ばかりだったかといえば、英語教師がそれ以外に実力を生徒に見せつける機会がないからだ。
例えば英会話などは親がネイティブであればたちどころに英語を覚えてしまう。私の孫の母親はオーストラリア人だが、子供は日本語と英語を自由に操っており、授業で英会話の時間になれば英語教師の出る幕がない。

 難解な文法を教えているときが唯一英語教師の安息日になるのだが、この英語教師保護策は日本の英語教育の癌だった。さすがに文部科学省もこの教員保護だけでは世界の趨勢に遅れると認識し、当初は読み、書き、話し、聞く能力のテストに方向転換することにしていたが、採点方法の難しさから、来年度は読みと聞きとり能力のテストだけになっている。
私が驚いたのはこの読みのテストからは従来幅を利かせていた文法や並び替えやアクセントや前置詞を問う問題が全く姿を消し、もっぱら長文を次々に読んでその内容を問うというテストに変わったことだ。

 私が最も苦手とした文法関連問題がなくなったのである。文章を読む場合、内容の主題が何かがわかり、さらに単語の約8割程度が理解できれば後の2割は推定で内容の把握ができる。
いやいや、これならば私でもわかります!!」といったレベルになり、河合塾の共通テストの模擬を解いてみると90点程度の点数が取れるようになった。
今は難解でない文章を大量に素早く読むことが「読み」では問われるが、これは年寄り向きだ。
英語のテスト問題を暇に任せて説いているがなかなか面白い。老後の趣味と言っていい。

 もう一つ国語の問題についても興味深い変更が表れている。漢文や古文につては注釈なしにそれを読み取ることは普通の高校生にとって不可能であり、例えば源氏物語をそのままで読める人は古文オタク以外にはありえない。しかも古文は源氏物語とその亜流(擬古文という)が幅を利かせていて、とても現代人に手に負えるような代物でない。そのため詳細な注釈が施されており、その注釈から本文の内容を懸命に類推することになる。
漢文と古文はその類推能力が必要になり、記憶を問われることは少ない。
中国人の漢文は現代人的なセンスで解けるが、平安文学は現在人のセンスとかけ離れており、当時の風習、習慣をある程度理解していないと解けない。
例えば宮(天皇の子供)は雅やかな公達で、どこに行っても美しい姫君を見るとちょっかいを出して和歌を届けるのだが、現代的センスではセクハラでそれにすぐに応じる姫君もどうかと思うが、それが常識だとわかっていれば物語の類推が可能になる。

 国語の共通試験は評論文、小説、古文、漢文からなるのだが、意外と小説がおもしろい。長さは芥川龍之介の短編ぐらいの長さがあって、しかも私が全く知らない小説家の作品が多いので、「へえ、こんな小説があったのか・・・・」などと感心してしまう。
設問は概してオーソドックスでかなり楽しく解くことができる。

 日本史等の社会関連の問題は記憶力一辺倒を改める方針に変わり、英語の問題からは文法関連問題が消えて大量の英文を読みこなす能力に代わり、国語は特に漢文と古文は類推能力が問われる内容になっている。

やれやれ、これなら記憶力一辺倒のテストでなくなり、類推力や理解力が試されるのだから共通テストもようやくナウな問題形式になってきた」感心している。


 時代が変わったのだ。記憶すべきことは最低限にして判断力や理解力や類推力が今の時代には必要だ。コンピュータでいえばメモリーの時代からCPUの時代に共通試験が脱皮し始めた。


 

 

 

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