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(2.7.9) 今日も子供とともに学んでいる。

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 私は今家で高校生2名の受験の指導をしている。教える科目は基本何でも教えてしまうのだが、今は国語の指導が中心になっている。指導といっても過去の試験問題(センター試験問題)を中心に解いてもらっているのだが、国語の問題は本年度から共通試験と名称がかわり、試験内容も当初は記載式問題が出されることになっていた。
それがあれやこれやの紆余曲折があって、結局はいままで通りのマークシート方式になり、出される問題も論文、小説、古文、漢文と従来とさほど変わらない構成になっている。

 私が指導している一人は国語が飛び切りよくできる。私は指導する立場だから事前に過去問を解いておくのだが、私がうんうんうなってその結果間違えたような設問をらくらくとこなしてしまうのだから驚きだ。
この子の頭の構造はどうなっているのだろうか」まじまじと見てしまう。
しばらく前までは「自分は指導者なのだから生徒よりできなければならない」などと肩ひじを張っていたが、よく考えてみればコーチが現役選手よりよくできたところで何の意味もない。それなら自分が受験すればいいので、コーチの役割は生徒が目標の大学を突破できるほどの実力をつけさせることで、自分がいくら国語の点数が高くても意味はない。

 そう思うようになってから、国語の過去問を解くのも何か楽しい一種の芸事のようになってきた。
特に小説の問題を読むのは楽しい。自分が従来知らなかった作者の作品を読むことが多いが、問題文はかなり長く芥川龍之介の短編程度の長さはある。小説は基本登場人物の心を読めばよいのだからそれほど難しくないが、問題の作成者はわざと生徒が間違うような設問を用意しトリックに引っかかるように回答の選択をさせる。
95%は正しく後の5%にそっと小説の内容には書かれていないことを忍ばせるのだが、それに多くの生徒が引っかかる。
やれやれ、こんなひどい回答を選択させるなどかわいそうに・・・・・・
自分は楽しんで読んでいるだけだから、その楽しい小説をナイフで切り刻むような回答を求めることがあるのには閉口する。

 しかし論文や小説は所詮現代文だからそれなりに理解できるのだが、古文の擬古文には閉口する。擬古文とは平安時代に書かれた物語ではなくて、鎌倉時代以降に平安朝の古文の形式で書かれた疑似源氏物語である。

すじがきは常に決まっていて源氏物語の光源氏や桐壺の更衣とほとんどそっくりの人物が登場し、二人の間に生まれた子供が天皇の子供(天皇は自分の子供と思っている)として育てられ、そのことに二人は惑い苦しむような内容で、どれもこれもいたって陳腐だ。


 先日読んだのは室町時代に書かれた「夢の通い路物語」という擬古文でいつもの不義密通物語だから、読んでいるほうが嫌になる。
鎌倉時代以降は平家物語といった軍記ものや方丈記といった一種のレポルタージュがあって、当時の口語で書かれているのでいたってわかりやすいのだが、擬古文はわかりずらいことこの上ない。
それでもこうした源氏物語の亜種が成立していたのだから、こうしたものを読む一定の読者はいたということだろう。

 古文を読んでいていつも思うのは鎌倉時代以降とそれ以前の平安時代には文化的にほとんど異質と言っていい断層があるのだが、平安時代の貴族の心情を理解するのは外国人を理解するのと同じくらい難しい。一方鎌倉以降は武士の時代になり何事も実事求是の精神が旺盛になるので現代人に急速に近づいてきた感じがする。
全く、平安文学というのは好きになれんな!!」ぶつぶつ。

 しかしこうして古文や小説が読めるのも生徒を指導しているからで、教えることは学ぶことだといわれていることが実感としてよくわかる。


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