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(2.7.6) 人類衰亡史序説 コロナ その 3    人は不条理に生き死ぬものだ。

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 なれというのは実に恐ろしいことだ。3月、武漢でウイルスが発生し中国人の死者が急増していたころ、世界中が恐怖に駆られていたが今ではコロナウイルスは日常の一部になりつつある。
何しろ世界中で感染者数が1千万人を越え、死者が50万人を越えてさらに激増しているが、人々の恐怖感はひところのように強くない。

一つには対処方法が確立されて、三密を防ぎ、マスクをしていれば感染はそれなりに抑えられることがわかり、さらにこのウイルス感染では死者はほぼ老人で既往症を持った人で、さらに肥満体だとわかってきたからだ。

 アメリカではトランプ大統領支持者がマスク着用を嫌がって「コロナより経済だ」と騒いでいるが、実際若者や子供や中年で健康体の人がコロナに感染しても重症化することはほとんどない。
バーが再開され人々はコロナ以前と同じスタイルで酒を飲んでいるさまがニュースでしばしば放映されている。
これでいいのだろうか」とレポーターは危惧しているが、そのようなことはお構いなしだ。
俺たちが死ぬことはない。死ぬのは老人だけさ!!

 考えてみたら老人で既往症を持っている人はおそかれ早かれ神様のお迎えが来るので、その時期が少しだけ早まっただけに過ぎない。近代医学のおかげで胃ろうや人工透析によって生きながらえていた人が、ワクチンも治療法もなくただその人の免疫力だけが最後の砦となってしまえば、自然の摂理に従うより仕方がない。
今回のコロナウイルスによって世界は不条理というものを身近なものとして意識したはずだ。

不条理という言葉はカミュがその小説の中で述べた言葉だが、人間にはどうしようもない運命というものがあって、それは個人の努力や営為では何とも動かしようもない現実があり、それにただ従うこと以外なすすべがない状況を言う。


 コロナに感染した老人で既往症を持っている人は、集中治療室に運び込まれた段階でただ死を待つだけの存在になっている。

医者も人工呼吸器をあてがう以外に対処のしようもなく、患者は「自分はなぜ今死ななければならないのだろうか」と自問しただろう。

人はいつかは死ぬのだけれどどうしようもない突然の死というものもあり、21世紀の科学をもってしても、この突然に死を宣告されるという不条理を免れることができない。
カミュの時代から100年たっても、人の運命というものは不条理なのだ。


 

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