(2.7.31) 台湾の巨星おつ
台湾の李登輝元総統がなくなられた。97歳だった。
台湾が今のような民主主義の体制に移行したのはすべて李登輝氏の功績である。
私が大学生だった1970年頃はまだ国民党一党独裁時代で、国内には戒厳令が引かれ常に特殊警察による監視の目が光っていた。今の中国と同じだが当時私が通っていた大学に台湾からの留学生がいて友達となった。
その留学生と話をするとき留学生は必ず「歩きながら話しましょう。一か所にとどまっていると監視の目があって何を聞かれるかわからない。常に警戒しなければいけないのが私たちの生活です」と言っていた。
その台湾が劇的に変わったのが1996年の台湾総統選挙で、台湾初めての直接選挙でありこの選挙に李登輝氏は勝利した。さらにそれまで国会は国民党の万年議員がいたのをすべての議員を公選に改めた。国民党の特権を廃し一党独裁制を停止させ台湾を民主主義国家に変えたのだが、自身が一党独裁時代の国民党の副総統(のちに総統)だったことを考えれば信じられないような政治的手腕だ。
李登輝氏は本省人として台湾独立を目指し、国民党の外省人の特権を一つ一つはく奪し、それまで中国と同様の一党独裁弾圧国家を民主主義国家に変えた。
李登輝氏の親日ぶりはよく知られていたが、日本植民地時代に京都大学農学部で農業経済学を学び農業経済のエキスパートであったことが当時の国民党の権力者蒋経国氏の目に留まったのが政治家になる端緒だった。
李登輝氏はその後教育改革を実施したが、自身の著書で「台湾農業の基礎をきずいたのは戦前台湾最大のダムを築いた八田與一氏だった」とその功績を公平に認め、それまで国民党が行っていた反日教育を改め、歴史を正しく評価しなおした。
台湾人が親日的なのはこの教育改革のおかげであり、反対に韓国と中国が反日的なのは誤った反日教育を今も続けていることからきた歴史曲解による。
李登輝氏は台湾新幹線を日本方式にしたのもその親日政策からきており、日本とのつながりを維持する方策であり、日本の唯一の新幹線輸出になっている(当初はドイツやフランスが優勢だった)。
李登輝氏には日本人はどんなに感謝してもし過ぎることはない。22歳までは日本人だったとよく言っていた李登輝の芭蕉をしのんだ俳句がある。
「松島や 光と影の まぶしかり」
ご冥福を心よりお祈りする。
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