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(2.6.30) ボランティア教師奮闘記  倫理とは何か

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  私は若干軽率なところがあって、頼まれれば嫌といえない性質が自分を追い込んでしまうところがある。
現在2名の高校三年生に勉強の指導をしているが、うち一名が国公立大学を受験するため、社会科系の学科を共通試験で二科目受験しなければならない。
先生、私は日本史と倫理・政治・経済で受験することにしましたが、倫理については何も勉強してません。教えてくれますか」と頼まれた。

 私が倫理の勉強をしたのは今から60年ほど前だから、当然何の記憶も残っていない。しかし今は予備校の講師が作成する恐ろしくわかりやすい参考書が出回っているので、それを読めば遠い昔を思い出すだろうと思った。
いいよ、教えましょう」いつもの安請け合いをしてしまった。
しかしそれからが大変で参考書を購入してほぼ1か月間の集中トレを行って、何とか教えられるレベルまで到達した時は心底ほっとした。

 倫理の勉強をしながら昔の高校生時代を思い出してしまった。
先生、倫理と哲学は異なっているのでしょうか、それとも同じでしょうか」倫理の授業の最初に私が質問した問である。
その時、教師が何と答えたか記憶にないが、さぞや回答に困ったことだろう。いまだに倫理と哲学の相違について私にはわからず、とりあえず同じものだろうと割り切っている。

 私が倫理という科目を学んで一番驚いたのは思想にはマルキシズムだけでなく、その他に実存主義やプラグマティズムといった思想があるということだった。当時は左翼全盛時代で教師の多くが左翼の支持者であり、左翼でない者は人でないというような雰囲気があり、思想もマルキシズム一色だったから実存主義なる言葉には衝撃的だった。
しかしこの実存主義とは一体何なんだキルケゴールニーチェが言う実存は何度聞いても本を読んでも理解できなかった。
キルケゴールが一人の人間(実存)として神と一対一に対応するといわれても、ニーチェが「神が死んだ」といったといわれてもさっぱりだった。

 私は当時は全く知らなかったが、思想も歴史の一側面であり歴史の流れを無視して純粋に哲学だけを取り出して理解しようとしても理解不能になってしまう。
19世紀のドイツで、当時最も隆盛だったマルキシズムが人間を労働者と資本家に二分していた。しかしその中間に位置するインテリ(大学教授等)については、単にプチブルと言って切り捨てたのに対し、インテリの反撃がこの実存主義だということに気付いたのはそれからかなり時間が経過してからだ。

我々はあの汚らしく粗野な労働者ではない。何よりも自己という大切なものを持っている我々は、神と一対一で対応するか、神を捨てて超人として生きるのだ
19世紀末のドイツインテリの矜持が実存主義だと気づくまでにはずいぶん時間がかかっている。
簡単に言えばマルキシズムに対抗してインテリを救おうとした思想が実存主義といわれたものだ。
しかし1990年代にソビエトロシアが崩壊し、思想としてマルキシズムも崩壊すると、その影として生きていた実存主義も崩壊し、現在ではどちらも歴史の舞台から退場している。

高校生の時思想を歴史のながれの枠内の一部だと教えてくれたら、あんなに苦労もなかったのに・・・」少し残念に思ったが、今私の生徒には西洋哲学史も東洋哲学史も歴史の一部分であり、歴史を越えた思想などないと教えている。
思想は歴史を超越するものと思っていた青春時代が今は懐かしいくらいだ。

 

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