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(2.1.28) 人類衰亡史序説(日本)その2

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 人類が種として衰亡している最前線はこの日本である。衰亡は二つの指標で判断できるが一つは人口推移でありもう一つはGDPの推移である。
一般にその社会が現在の人口を維持するための合計特殊出生率は2.07といわれ、単純に言えば結婚可能な男女はすべて結婚し、さらに子供を平均二人産む社会である。
しかし日本はこの基準から大きく外れてしまい、そもそも男女が結婚しなくなってしまった。

 政府発表の婚姻率の推移を見ると、戦後すぐは約80%だった婚姻率は今は50%になってしまった。結婚適齢期の男女の約半分は結婚をしないし、さらに結婚しても合計特殊出生率は1.4前後でとても人口を維持できない。
実際日本の人口は2005年前後から低迷し今は100万人レベルで減少している。

 なぜ適齢期の男女が結婚しないかといえば、結婚する必要がないからである。私が子供のころの約60年ほど前は結婚するのが当然でもし結婚していない男女がいればそれは何らかの肉体的精神的欠陥者とみなされていた。
当時は働いているのは男子と決まっており女性は家庭で子育てするという明確な分業が成り立っていた。したがって女性は婚期になれば何としても結婚しようと焦ったものである。

 今でも覚えていることがある。私の住んでいた八王子は織物の産地であり、多くの女性が内職として機織りをしていた。たまたま友達の家に遊びに行ってかくれんぼをしていた時にそうした機織りをしている女性を窓からのぞいたことがある。

おばちゃん、今何しているの」と興味があったので聞いたのだが、その時の女性の形相を今でも忘れられない。

鬼のような顔つきになり、怒りに任せて窓を閉めてしまった。
私は友達に「おばちゃんに怒られた」といったら、友達が「あのひと結婚できないので怖いんだ」と教えてくれた。
当時おそらく30歳程度だったその女性は子供から「おばちゃん」と呼ばれたことで我を忘れるほど怒りがわいてきたのだろう。
くそ、こんながきにも馬鹿にされた!!!

 だがあれから60年、今や結婚しないほうが多くなり私の周りにも独身者だらけになっている。女性にとっては結婚せずとも十分生活できるし特にキャリアウーマンになれば給与は男より高い。
結婚するなら背が高くハンサムで高学歴で大企業の職員じゃないとやね」などと考えており、しかしそうした男子は少ないから結局は結婚しないまま人生を終えることになる。

 また結婚しても子供は一人か二人であり、それ以上子供を産む家庭はまれだ。なぜそうなるかは子育てに莫大な費用が掛かるからで、最近でこそ行政の支援が厚くなったがさすがに塾やおけいこごとの費用までは補助してくれない。
だが塾に行って特殊な受験勉強をしない限り有名校には入れず、大学も二流以下になってしまう。
子供ができがよく勉強好きで望みどおりの著名校に入ってくれれば親として支援のし甲斐があったというものだが、多くの場合は金をかけてもその成果はほとんど上がらない。
親父がパーだから俺もパーだ」などと居直られて思わず人生を呪いたくなる。

 かつてといっても日本が農業社会だった戦前までは子供は多ければ多いほどその家庭は裕福になった。小学校を卒業するころから農作業の重要な担い手であり、労働の対価は飯だけだったから剰余価値はすべて親のものであり、親は子だくさんの恩恵を得ていた。だが日本が農業社会から脱皮すると子供は働き手ではなく単なる馬鹿高い消費財になってしまった。親から見れば子供を産むインセンティブがなくなったのである。

 こうして日本では適齢期の男女は結婚せず、結婚しても子供をほとんど産まなくなったので人口が急激に減少している。さらに悪いことに私のような老人比率が劇的に増加し今では65歳以上の高齢者の割合は30%近くになり、世界最高の高齢社会になってしまった。
高齢者になればすることといえば病院通いだけであり、現在日本において唯一の成長産業は医療と介護になっている。
先日まで私も入院していたのでよくわかったが、病院には歩くことができずしもの世話もできず、看護師の補助でいきている人がうようよしていた。
私も腰の手術でよたよたしていたから同じようなもんだが、それでも一人で便所に行けていたので寝たきり老人から見れば健康そのものに見えただろう。

 今や日本は人類として完全に衰亡期に入っている。子供は少なく多くは病気がちの老人ばかりだ。毎年のように人口が減少するから特に地方は空き家だらけになり、限界集落があちこちに現れている。
私の住んでいる千葉でも郊外に出れば放棄された耕作地ばかりであり、そこはキジやイノシシの格好の遊び場になっている。
今ではキジを見かけない日はなく、夕方になればイノシシの天下だ。
こうして種としての人類が衰亡するにつれ他の今まで人類によって押し込められていた他の種が闊歩し始めた。実に麗しい風景だ。
  


 


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