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2019年12月

(1.12.30) 地球における人類衰亡史の始まり 日本と世界の人口減少

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 日本の人口が毎年100万人単位で縮小している。これは世界最速で安倍首相は何とか日本人が1億人以下にならないようにと幼児保育の充実に力を入れているが、今のところ効果はあまりない。
日本だけかと思っている人もいるがこれは世界的な傾向で、ロシアやヨーロッパの国々も大体同じような情況で、最近では韓国や中国がいつ人口低減状態になるかと戦々恐々としている。

 しかし地球的レベルでいえば人という種が減少に入ったことは実に喜ばしいことで、産業革命以来人類だけが地球にはびこる時代が終わろうとしている。高校の生物の教科書には特定の種が増加することはなく、ある一定の時間間隔で見ると種の数は安定するとなっているが、ここ400年余りは人類種だけがこの法則から外れていた。しかしようやく人類も他の種と同様はびこり過ぎると自然淘汰されることが明確になってきた。

 だが人類はこの自然法則に何とか逆らおうとして、「成長こそが唯一の対応策だ」とばかり、無理やりにもGDP を引き揚げようと血眼になっている。日本でいえばIR法案がそれで、現在日本で成長余力のある産業は医療看護関連と旅行関連を除くと何もなくなってきたので、後はばくちしかないとIR法案の成立にこぎつけた。
だがこのIR法案の目玉であるカジノの経営は、まさに人間の最も卑しい射幸心をあおって、金を巻き上げようとするものだから心ある人の顰蹙を買うのは当然だ。

 さらに問題なのはこのとばく場経営に中国人が乗りだしてきたことで、自民党の秋元議員のようなIR族を抱き込んで日本進出を果たそうとしている。とばくは江戸時代からやくざの仕事で、昔東映映画で江波杏子さんがさいころをふって「さあ、お張りください。ようござんすか」などと言っていたが、それと何ら変わりがない。
やくざ稼業を正式にカジノという形態で認めて政府が寺銭を得ようというのだから実に嘆かわしいのだが、それというのも「成長なくして発展なし」などと無理矢理成長政策をとるのが絶対善だとおもってしまっているからだ。

 だが考えて見てほしい。人口が毎年100万単位で減少するということは、もし成長がゼロであったとしても一人当たりのGDPは増加することになる。もっと正確に言えば人口が減るのだからそれに合わせてGDPを縮小していくのが最も妥当な戦略だ。
だが黒田日銀と安倍政権は成長路線をひた走り、毎月10兆円規模で資金を市中に放出しており、その結果かろうじて株価や地価の上昇が図られているが、そこにさらにとばくを加えるというのだから「そこまでするの」といいたくなる。

 賭博とやくざは切っても切れない縁だから,賭場ができれば中国やくざが大挙して押し寄せ、1920年代のアメリカの禁酒法の時代に入ってしまう恐れがある。日本は安全と自然の美しさで世界の観光客をひきつけているが、ヤクザ抗争が始まればラスベガスやマカオと何ら変わりがなくなり、日本の最も優れた安全が損なわれるだろう。
日本ではよる夜中に女性が歩いていても襲われることはまれだが、それが日常的に犯罪が多発するようになるのは避けるべきだ。

 人間という種だけが地球にはびこる時代は終わった。温暖化ガスをまき散らし地球環境をより荒々しくし、日本では過去に例を見ない風雨や洪水に見舞われている。さらに若い男女は結婚をできるだけしないようにし、しても子供を産まないようにしている。その最大の理由は子育て資金が莫大であり、また子供を育てても親には何のメリットもないからだということはこのブログで何回も記載してきた。
しかも同性婚を認めるのが世界的風潮になり、その結果子供を産めない結婚が認知されつつある。
人という種が静かに衰亡し始めたことは日本の現状を見ればわかる。

 日本は世界最速で人口が減少しているが、これは地球的規模の人類種の減少の最先端にいるからであって、近い将来すべての国や地域でこの人口減少が日常化する。隣の韓国などでは出生率が1%を切っており、中国も似たり寄ったりになっている。21世紀に最初に滅亡する国は韓国といわれているぐらいだ。
こうして人類種だけが地球上にはびこる時代が終わり、再び人類も生物学の自然淘汰の法則に回帰しつつあることは、地球全体の種から見れば実に喜ばしいことだ。

 

 

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(1.12.7) 大学入試試験大揺れ 今度は国語と数学の記述試験を中止しそうだ!!

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 一体何がなんだか分からなくなってきた。2020年度の大学入試試験に導入される大学入学共通テストのことである。当初は現在のセンター試験に代わり、英語は民間委託し国語と数学は記述式問題の実施が予定されていたのだが、英語の民間委託は延期され、さらに国語と数学の記述式問題も延期するらしい。
問題点として挙げられていることは採点者を民間委託するため記述式の採点に公正さが確保できないということだが、もともとの議論は現在のセンター試験では本当の実力の把握ができないため、国数は記述式を導入し、また英語の話す力と書く力の能力アップのために民間試験の導入を目指したものだったはずだ。

 英語も国語も数学も従来のままでは現在のセンター試験と何ら変わらないのだから、簡単に言えば大学入学共通試験は中止し、従来のセンター試験を継続するといっているのに等しい。
なら従来のセンター試験はそんなに素晴らしく修正など必要もない試験なのかというと、実はかなりの問題がある。英語の民間試験導入については前に記載したので今回は国語について記載する。

注)英語の問題点については以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2019/11/post-303a61.

私は高校生3名に大学入試対策を指導しているが、国語のセンター試験問題は設問を見ず解答だけを見てかなりの確率で正答を得る技術がある。
予備校などではこうした技術をそっと教えているが、例えば解答の選択肢が五つあって、そのうちの一つが他の4つと明らかに反対のことを述べていれば、それは確実に誤答となる。また3-2の法則があり、同じ傾向の言葉が3対2に分かれていれば、正答は3つの中にある。

最後に残った2つを比較してよりマイルドな内容があればマイルドのほうが正答になる。

また回答は設問順にするのではなく、「この文章の主題は何か」といったようなまとめの問いから答えるのがよく、最初に主題を押さえたほうが正答率は高い。

  私が指導しているある生徒が問題を全く見ないで解答だけ見て答える方法と、反対に設問を熟読して解答する方法でそれぞれ予備校の試験を受けてみたが、得点はほとんど変わらなかったといって驚いていた。
この国語の解答だけ見る方法では学生の国語力は全く図ることはできないのだが、予備校等でこの訓練を受けた生徒は国語で高得点を挙げるので、センター試験の担当官は頭を抱えてしまった。
これはいくら何でもまずい。まじめな生徒とテクニッシャンの区別がつかない。やはり記述式を採用しなければなるまい・・・」というのが試験方法変更の理由だが、どうやら試験方法は従来のママが踏襲されるので、国語の担当官の悩みは尽きないだろう。

 試験方法についてはどんな方法を採用しても必ずメリットとデメリットはあるのだから、結局は相対的にましなものを採用するしか方法はない。記述式の問題は採点が難しくかつ短時間に行うため民間業者を導入したことだが、一方で大学教授らが採点を行えば公平かというと必ずしもそうは言えない。大学で教えていることと高校での授業内容は全く異なるから、大学教授は高校での授業内容を理解できない。だからかなり自己流に採点するから民間業者に委託するより公平さはさらに開きそうだ。

 この問題はどんなに議論しても最善というものはないのだからよりましな試験を目指すのがよく、今までより少しでもまともなら少しずつ変更していくよりほかに手段はなさそうだ。

 


 

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