(30.12.31) 最後の老人力への挑戦 子供の勉学指導
私は実にまじめに勉強をするし理解力もあるのだが、ひどい欠点があって記憶力が人並み優れて悪いのだ。ちょうどざるに水を入れているような具合で数日たつとほとんど忘れてしまう。
今まで勉学に励んでいたことをすべて記憶していればアルキメデスやニュートン並みの学者になれたはずだと思うとひどく残念な気持ちだ。
それでも救いは完全に忘れたわけではなく、砂漠に流れ込んではたちまちのうちに干からびてしまう河床程度の記憶力はある。もう一度勉強しなおせばたちまちのうちに思い出すのだが、その記憶も数日までだから必要の都度復習しなければならない。
最近そのことをひどく痛感させてくれるのが子供に対する勉学指導である。
私は今高校生4人の勉学指導をしているおり、信じられないかもしれないがすべての学科を見ている。もともとは数学だけを教えるつもりだったが、そのうち化学や物理を教え始め、今は国語や英語や日本史まで指導の範囲が広がってしまった。
「先生、物理がどうしても理解できなくて・・・」などと子供に言われると断るわけにはいかず、かつて高校生の時にならった物理を猛勉強してようやく教えられる水準に達する。
しかし問題があって生徒を教える時間帯が重なると、生徒ごとに君は古文と漢文であったり、あなたは物理であったり、また数学であったり、英語であったりすると頭がマルチに働くなくなりフリーズしてしまう。なにしろ私の記憶力は鶏並みだから事前に準備をしていないとしばらく思い出すことができない。
「え、これは三角関数で、そっちは過去完了未来で、運動方程式はこうで、本居宣長・・・・・・いやもうパニックだ・・・・・・」
できるだけ生徒が重ならないようにはしているが受験が近づいたり学内試験が近づくと毎日休みなく指導をするのでどうしても重なる。
今は5時から9時半までの4時間半をこうして指導しているので終わったらくたくたになってしまう。
「せめて俺が人並み優れた記憶力の持ち主だったら、こんなに苦労はしないで済みそうなのに・・・」恨み節が出る。
だがこうした毎日の緊張感がある意味では大事なのだろう。何しろ私は72才で、気持ちはすぐに引退して楽をしたい誘惑にかられる。
風呂に入ってゆっくりと食事をし、好きなテレビ番組を見て一日過ごせたらと思うが、そうした生活は刺激がないからすぐにぼけてしまうだろう。
「何が何でも反復試行と独立試行の確率の違いを子供に教えられねば・・・」などと緊張していられる間が花なのだ。
私はこのブログで何回も提案しているが、学生時代に優秀な成績をとっていた老人は子供の勉学のサポートをするのが最もぼけ防止や体調にいい。
ただ「俺は昔は優秀だった」などと言っているのはだめで、それを若い子供たちに還元してやるのが老人の務めだ。
私のように記憶力が鶏並みでもこうして努力しているのだから、ぜひ老人力を発揮してもらいたいものだと思う。
何しろ日本は老人ばかりで年金ばかりもらっていては日本がつぶれるから、それが最後のお務めといえるだろう。
注)どうしたら子供の勉強の指導ができるようになるかのノウハウを知りたい方はコメント等で照会してください。
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