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(30.9.21) 銚子への自転車旅行 今回もイエティさんと

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 自転車仲間のイエティさんと、今回は銚子まで自転車旅行をすることにした。銚子へのもっとも簡単なルートは江戸川を遡り、関宿の利根川との合流地点から銚子に下るルートがある。
しかし今回は印旛沼を経由するルートをイエティさんが提案してきた。
山崎さん、すぐそばの花見川を遡り印旛沼経由で利根川に出てそこから銚子に行けますよ」

 このルートは江戸湾から利根川に出る最短コースだという。途中の花見川新川沿いにはサイクリングコースが整備され、かつ印旛沼周辺さくら健康マラソンのコースの一部になっており、また高橋尚子選手有森裕子選手の練習コースだったという。
それならそれを通って利根川に出ればあとは一直線に銚子に行けるな・・・
さっそく一泊二日で出かけることにした、地図上で見る限り片道140km程度だ。

 私は日本史の知識が不足していたために、このコースが歴史上のコースだということを知らなかった。
印旛沼干拓工事は江戸時代を通じて3回も計画実行されていたがいづれも失敗に終わり、戦後になってようやく完成していた。
印旛沼は利根川に沿った沼で周辺に低地が広がっていたが、霞ケ浦と同じようにもともとは入江だったため、印旛沼周辺は利根川の増水のたびに氾濫を繰り返し周辺が水没してしまった。
その水を東京湾に放流すれば印旛沼周辺を広大な農地として開墾でき、江戸幕府の財政を潤すことができるとの判断で開拓が行われたようだ。

 しかし水を江戸湾に流す工事は極度に困難だった。印旛沼と江戸湾に注ぐ花見川の間には山がある。
当初は千葉の有力な豪農が花見川への放水路の土木工事を施工したが失敗し、その後田沼意次や水野忠邦がその事業を引き継いだが江戸時代に完成することはなかった。
印旛沼から水を江戸湾に流すのには山を越えて花見川に放水しなければならず揚水が必要で,当時の技術ではそれが難事業だったことによる。
印旛沼から新川という新たな河川を掘ったのまではいいが、新川の方が花見川より低いため水を流せない。
結局は印旛沼開拓事業は昭和になって完成し、今は印旛沼から花見川に揚水が可能になっている

 「そうか田沼意次や水野忠邦が幕府再建の切り札と思った歴史的水路を遡るサイクリングコースか・・・・・・・
花見川は都会の川なのに上流部分は渓谷といっていいような樹木がおい茂った森閑とした場所だった。
へえ、こんな場所が千葉県の都市部にあるのかい・・・」驚きだった。
そこから新川に出ると急にあたりが開けて八千代市が整備した美しい公園に出る。
新川は印旛沼の延長のようなものでそれからあとは沼周辺のルンルンコースを自転車で快調に走れる。
私は数回さくら健康マラソン(フル)に出ているのでなじみのコースになった。
ライダーやランナーと頻繁にいきちがう。

 印旛沼から利根川までの10km程度は一般道を走らされたがその後は利根川の堤を下るのでライダーとランナー以外にあうことはまれだ。風も穏やかで本当のサイクリング日和だった。
イエティさんと私は何度も一緒に自転車旅行をしており北海道一周も行った仲なので互いに走力も気心も知っているので実に楽しい走行になった。
片道約140kmだが、この程度であれば休みを入れて8時間から10時間で到着する。
銚子の手前10kmは堤防の堤がまだ未整備で国道を走らされたが、全体としてはとても快適なコースだった。

 銚子では魚料理を食べようと駅周辺を徘徊したが、駅周辺には意外と若者が多く年寄りを見ることは少なかった。銚子そのものは過疎化に悩んでいるはずだったのに、この若者の多さにはびっくりした。
翌日は同じコースを帰ったが、コースをイエティさんが完全に記憶していたので順調に帰ることができた。
腰痛には悩まされているが自転車だけは腰痛と関係ない。この年になって唯一のスポーツが自転車になってしまった。

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