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2018年5月

(30.5.24) 日大藩 平成のお家騒動 

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 日大アメフット部の宮川選手には心から同情してしまった。汚れ仕事を監督とコーチから押し付けられ、絶対権力の監督のもと、それを断れない状況下で反則行為に及んだことがよくわかった。

「藩命である。関学藩QBの首をとってこい
ご家老様、なぜ私がQBの首をとらなければいけないのでしょうか
無礼者、下侍の分際でわしになぜというような生意気な言葉を言える立場か。井上、この宮川に礼儀を教えてやれ

宮川、ご家老様はお前がこの度の使命を全うしたらご加増を検討してくださっているのだぞ。今はお前はアメフト部で冷や飯を食べているが、関学藩のQBさえ仕留めれば我藩が末永く安泰であるだけでなくお前のためにもなる。宮川、喜んで引き受けるといいなさい

しかし意図的にQBをつぶすのは反則行為になるのではありませんか
馬鹿者、宮川、お前のそうした武士としての心の弱さが問題なのだ。相手がつぶれればそれこそこっちのものではないか。武士道とは相手をあらゆる手段でこすからく追い詰めることだと日大葉隠れに書いてある。よいな、それを忘れず最初の1クオータで相手を叩き潰せ

よいか、宮川、これは藩命である」(家老が大声で恫喝する)
(しばらく沈黙)「致し方ありません。仰せに従います」
「最初からそう言えばいいのだ。井上、くだくだ言わせるな」



御前試合当日
上士の井上が整列している宮川に近づきささやく。

よいな、必ずやるのだぞ。できなかったでは済まされんぞ。ご家老様も見ておられる。日大藩が今後関学藩に絶対に負けないようにするには相手のQBを骨折させる以外に方法はない。宮川、わかったな
はい、絶対につぶしてまいります
よし、それでこそ日大藩の武士の鑑といえる。こすからさは日大葉隠れの精神だ」

 (数日後)試合当日の反則行為が瓦版に大々的に掲載されている。また関学藩から厳重な抗議があり、幕府若年寄鈴木大地の耳にも知れるところとなった。瓦版には日大藩に対する非難の大合唱になっており、それを苦々しい表情で見ている家老の内田正人と上士井上

ご家老様、どうも町人や百姓共がわが藩の反則行為にいきどおり、幕府からは目付の派遣さえうわさされております。いかがいたしたらよろしいでしょうか
うろたえるな井上、この件はすべて宮川の一存でやったことにすればいい。藩の大事だぞ。決してわれらが指示したなどということを認めてはならぬ。よいな、」
しかしご家老、私は宮川に関学藩のQBをけがさせろと明確に言ってしまいました。宮川もその旨を瓦版記者に明言しております
馬鹿者、あくまでも白を切るのじゃ。決してわれらが指示などと認めてはならぬ。日大藩がおとりつぶしになったらなんとする。ここは宮川だけを悪者にするのじゃ
しかし
しかしではない。決して認めるな。これは藩命である

 こうして日大藩平成の大乱が始まった。

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(30.5.17) 通訳ソフトや翻訳ソフトの実用化が始まった。日本の英語教育の終わり

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 先日NHKの放送を見ていたら、通訳ソフトが実用化のレベルに達し、外国人が多くやってくる空港や駅や役所や病院等で使用が始まったと伝えていた。
今までも通訳ソフトはいくらでもあったのだが、実用という意味でははなはだ役立たずで、しばらく使用しては捨てられていた。
やれやれ、こんなレベルの通訳なら自分の英語の方がよっぽどましだ」というレベルだったからだ。

 今回のソフトはスマートフォンに組み込んで、英語でスマートフォンに話しかければ画面に日本語表示がされ、一方日本語で話しかければ英語表示されるのだが、今までとは違ってAI技術を用いて格段に進歩した翻訳ソフトになったとテレビアナが実演していた。
ようやく通訳ソフトが実用化のレベルに達したなら実に喜ばしいことだ。

 私自身の経験でも何度も翻訳ソフトを購入しては自分の書いたブログを英訳しようとしたが、実際は全く役立たなかった。あまりのひどい英語なので何度も手を加えたがばかばかしくなってソフトの使用を止めた。
新たなソフトが発売されると、今度こそ本物かと思って購入したがただ金をどぶに捨てるのと同じだった。
仕方がないから勉強して自身が翻訳機になるしか方法がないのか!!!!」あきらめていた。

 しかし最近になりGoogleが提供している無料の翻訳ソフトが従来に比較して格段に進歩したのに気が付いた。こちらもAI技術を採用しているという。
下に日本国憲法前文の英文を翻訳したものを掲載したが、翻訳レベルとしては従来に比較すると確かに進歩している。

正式な日本国憲法の前文。

日本
国民は、正当に選挙された会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法確定する。そもそも政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法法令及び詔勅を排除する。」

Google翻訳での日本国憲法前文

「私たちは正式に選出された国会議員を経て行動する日本人は、すべての国との平和的協力の成果とこの土地の自由の恩恵を自分たちと後世のために確保し、 私たちは政府の行動を通じて戦争の恐怖で訪れ、国民の権力が国民と共存していることを宣言し、この憲法をしっかり確立する。 政府は国民の神聖な信頼であり、その権威は国民から得られ、その権限は国民の代表によって行使され、その利益は国民によって享受される。 これは、この憲法が設立された人類の普遍的な原則です。 私たちはこれと矛盾するすべての憲法、法律、条例、および控訴を却下し、取り消します。」

 明らかな誤訳は「戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」が「戦争の恐怖で訪れ」となっていることと、「詔勅」が「控訴」になっていることで、また言葉遣いに統一性がないが、内容はまずまず理解できる。
従来の翻訳ソフトが3歳児の言葉のレベルだったが、ようやく小学生低学年程度のレベルに近づいてきたと思える。

 このまま通訳ソフトや翻訳ソフトが進歩すれば言語を学ぶことはスマートフォンの操作をすることにとってかわられ、ちょうど計算が電卓で四則演算の基礎さえ理解したら誰でも自由にできるのと同じレベルになってきそうだ。
しかしそうなると学校で英語を教える必要がなくなって、英語教師は大量に失業してしまうことになりそうだな」そちらの方が心配になってきた。

 日本の英語教育は実用性を無視した文法最重点教育で英語教師が全く英会話ができない場合がいくらでもあるのだが、そうした明治時代以来の文法教育も翻訳ソフトの前に完敗になるだろう。
私の息子の嫁はオーストラリア人で高校で英会話のアシスタントをしていたが、「文法は難しすぎて文法書は何を書いてあるのかさっぱり理解できなかった」といっている。
ネイティブでさえ理解できない難解な文法教育が実態で、おかげで日本人のほとんどが英会話はできないが文法だけは英米人以上の能力を持っている。

 しかし英語などというものは使用してなんぼのものだから、この通訳ソフトや翻訳ソフトが実用化に近づいてきたら、もはや日本の英語教育が崩壊するのは確実だ。
明治以来150年、ひたすら文法だけをやっていたような日本の英語教育は今風前の灯になろうとしている。


 



 

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(30.5.9) 1960年代から80年代の不幸な青年の生き残り 朝日新聞

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 おそらく1960年代から80年代までの約30年間の間に青年期を迎えた日本の若者ほど不幸な世代はいない。
それは経済的に不幸だというのではなく、思想的に不毛の時代を過ごしたという意味で不幸なのだ。
この1960年から90年までは左翼思想が蔓延し左翼でなければ人でないというほど左翼が殷賑を極めた時代だ。

 私が高校から大学時代を過ごしたのは60年代後半だが、通った高校の社会科系の教師のほとんどが共産党員だった。
中でも日本史のA教諭は際立って優秀な共産党員で、政治や経済に興味を持ち始めた若者を社研社会科学研究部)というクラブに集め、共産思想、わけても唯物史観を叩き込んだのでそのクラブの卒業生の多くが共産党員になり今では地区の幹部等になっている。

 私の最も親しかった友人もA教諭の影響を受け「あの先生のおかげで社会性が目覚めた」とよく言っていたが、その後彼も共産党の幹部になっている。
A教諭は当時使用していた日本史の教科書を「これは素晴らしくよくできた教科書だ」とほめていたが、私にはなぜこの教科書が優れているのかわからなかった。
基調は抵抗史観というもので、人民の抵抗が歴史を動かすものだといわんばかりに農民一揆や土一揆や米騒動などが非常に詳細にかつ好意的にとり上げられていたが、私にはそれが歴史の本流だとはとても思われなかったからだ。

 その後私は大学では経済学を学んだがマル経を教えてくれた助教授はマルクスの資本論を読みなが感極まって泣いていた。
経済学の教科書を読んで泣くことはないだろう」と私は思ったが、今ではその理由がわかる。資本論とは教科書ではなくマルクス教の経典で、いわばキリスト教徒にとってのバイブル、イスラム教徒にとってのコーランのようなものだから感極まるのは当然だった。
実際読んでみればわかるがその最初の章に書かれている価値論などはまともな神経の人だったら誰も理解できないような難解さで、「労働だけが価値を生む」とただわめいているだけだった。

 当時は学生運動がもっとも隆盛を極めていた時で、羽仁五郎小田実がアジを飛ばし、岩波書店が雑誌世界で左翼文化人の主張こそが正義だと主張し、朝日新聞が今にも社会主義政権ができると自信満々だった時代だ。
そうした雰囲気の中では右派の論壇は完全に抑えられていたので、私も岩波書店の発行した本で大塚久雄井上清家永三郎の著書を読みふけり完全に左翼ボーイになっていた。
何しろ友達は民青の党員だったり全共闘系の人物がほとんどで、論壇は左翼思想に満ち溢れていたので左翼にならないほうがおかしいといった状況だった。
これが60年代から80年代までの日本のインテリ社会の実態だった。

 その左翼に激震が走ったのが90年前後のソビエトの崩壊である。私はソビエトが崩壊するとは夢にも思っていなかったので驚愕したが、アメリカではブレジンスキーなどが早くからロシア社会の崩壊を予言していたことを後から知った。
岩波新書ばかり読みふけっていたため世界史の流れを読み間違えたのだが、この時に左翼陣営は総崩れになり、私も左翼の悪夢から目覚めた。

 だがしかしこの時に目覚めることを拒否した一群がいてその代表が朝日新聞だった。
朝日は当時は最も良心的な新聞社と左翼陣営からあがめられており、私の共産党員の友達も、「日本の新聞社で最も民主的な新聞社は朝日で次が毎日、最もダメなのは読売と産経だ」といっていたが、その後の歴史はその順番が真逆であったことを示している。

 その後もまたそれまでも朝日は日本と日本人を貶めるために従軍慰安婦等の謀略記事を書きまくったが、今は安倍政権を崩壊させるために加計学園等の謀略記事を書きまくっている。
加計学園は確かに総理府が主導して特区制度のもとに獣医大学を愛媛県に作った案件だが、なぜ総理府が主体になったかというと文部科学省と他の獣医大学が大反対したからである。
文部科学省が反対したのは総理府主体の獣医大学の設立では、文部官僚にとってそれだけが楽しみの天下りができないためであり、他の獣医大学が反対するのは既得権が侵害されるからだ。
嫌がる文部科学省を叱咤して総理府が設立にこぎつけたのだが、特区制度に基づく既得権者の切り崩しとして快挙というべき案件だった。

 だがこれを政治スキャンダルにしたのが朝日新聞で、何でも反対左翼としての面目躍如というところではあるが、本当は思想的に崩壊した社会主義者としての怨念といっていい。
くそ、ソビエトは夢となったが、おれたちはまだ生き残っている。何とかして理想的な社会主義社会を建設するために最後の戦いをするんだ
存在もしない理想社会をあたかも現実のように錯誤して現在日本を指弾しているが、これは1990年に転向できなかった精神のあがきといっていい。

 転向とは左翼用語で正しい思想の持ち主が官憲によって思想放棄をさせられることを意味していたが、実際は左翼思想が間違っていたのだから過ちからの正常人への復帰が本当の意味だった。
オウム真理教の信者がオウムから離れるようなものだが、朝日新聞とそれを取り巻く旧左翼思想家集団は相も変わらずオウム真理教の信者のままといっていい。

 思想転向に失敗した60年代から80年代までの不幸な思想集団が今でもシーラカンスのように生き残っているのだが、いづれは社会と歴史に適応できず死滅するだろう。
実際に朝日新聞の読者は日を追って減少し、反対に朝日の主張は日を追って狂信的になっている。
社会主義という幻想に侵された不幸な若者の生き残りが今最後のあがきをしている。


 
 

 

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(30.5.3) 山崎次郎氏の老衰と資本主義経済の衰退

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 人間いつか死ぬことはわかっていても、若い時代には自分が死ぬということは全く実感できなかった。特に私は肉体の強健さが自慢で、何日も高山の誰一人いない場所で一人でキャンプを張ったり、北海道を足で1000kmも走ったが、そうしたことがいたって自然にできていたので、「俺は本当に死ぬことがあるのだろうか」と疑問に思っていたほどだ。

 そうした自慢の体力が急激に衰えてきたのが60歳代後半になってからで、ひどい腰痛が発生して走ることも歩くこともできなくなってきた。
医者に行くと「山崎さん、これは脊柱管狭窄症ですな。まあ日ごろの無理がたたったのですよ」などといわれて、治療のそぶりはしてくれたが実際はこの病気は治ることのない不治の病で、老化現象の一種といっていい。
その後はもっぱら腰の痛まない自転車を乗ることだけがスポーツになったが、ゴーグルをせずに突っ走っていたため、目にあらゆる虫や花粉が飛び込み、原田病という難病を患うことになった。

 この原田病は網膜の後ろから組織液がしみだして網膜をぶよぶよにする病気で、映像が網膜に結べなくなる病気だ。何か抽象絵画の世界を見ているような具合いで2年間千葉大病院等で治療を受けたが治らなかった。これも不治の病の一種で抑えることはできても完治することはできない病気だ。
この治療のためにステロイドを長期間投与したが、その副作用で白内障が極端に進み目が見えなくなってきた。
原田病は治らず一方白内障は悪化の一途だったので、思い切って他の病院で白内障の手術を行った。

 しかし原田病が完治しているわけでなくその後もリンデロンというステロイドを常時投与しているためか体のあちこちに異変が発生している。
元々難聴だったのだがそれがひどくなりまともに会話を交わすことができない。
またこの春からは一種のアトピー性皮膚炎が出て体中かゆくて仕方なかった。また目も少し無理をして細かな字を読み続けるとひどい炎症が発生して、まるでウサギの目のように充血してしまう。
やれやれ一難去ってまた一難か・・・・・・・・
健康であるという自覚がすっかりなくなり病気の意識に取りつかれてしまった。
どうやら人間はこうして自分が不健康になり死に近づいていることを認識させられ、最後は往生するものらしい。

 私はこうして自分の肉体の異変に敏感になっているが、世界経済も老衰期に入ったと思える現象が出ている。
資本主義経済が産声を上げたのはイギリスの産業革命が始まった18世紀後半だが、あれからほぼ3世紀を経てどうやら資本主義経済も私と同様の症状に陥ったようだ。
マルクスが資本論を書いたのは19世紀の後半で、その本の中で資本主義の衰退と社会主義の成立を高らかに宣言していたが、実際は19世紀後半は資本主義の隆盛期で、人間の肉体でいえば青年期だから、いくらマルクスが「鉄鎖以外に失うものはない」とアジっても資本主義経済の崩壊の兆候はなかった。

 その資本主義経済が総体として危機を迎えたのが、1929年の世界恐慌だったが、この時まで資本主義経済は自由競争こそが経済のかなめだと誰もが主張していた。
しかし青年期をすぎ中年期に入った資本主義経済はほっておいても隆盛を極めるというわけでなく、注意深い国家の介入を必要とした。
それがケインズ革命で、簡単に言えば不況時は国家が公共事業に専念し職を作らなければ資本主義経済が崩壊するというものだった。

 職をつくるのは戦争経済でも同じでその後に起こった第二次世界大戦でアメリカ経済は活況を呈し、20世紀後半の資本主義経済の大隆盛が実現された。
この時期の最大のエポックは日本が高度経済成長を実現して資本主義経済の力強さを実証したことと、それと裏腹にソビエトが崩壊し社会主義が歴史的実験に失敗したことだ。
フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を宣言したのはこのころだ。

 その後世界は資本主義経済、中でもその総本山のアメリカの一人勝ちの様相を呈していたが、資本主義の第二の総体的危機が発生したのが2008年のリーマンショックである。
この頃になるとケインズの財政金融政策が全く効果がないことは日本の失われた二十年で実証済みだったので、この第二の危機を乗り切る処方箋がマネタリストの経済学になった
FRBのバーナンキ元議長は「経済の不況を救うには金を印刷してヘリコプターでばらまけばいい」といったが、実際にアメリカや日本やEUや中国が行った政策は、紙幣を印刷して市中にばらまくことだった。
日本の黒田総裁の日銀券の大増刷がそれである。

 このマネタリストの政策のポイントは「もはや産業資本の拡大は限界に達したので、後は金融資本、それも怪しげな金融資本の育成だけだ」ということである。
投資資本会社というばくち経済や、ビットコインのような怪しげな貨幣に投資することだけが、残された資本主義経済の処方箋になったのだ。
これは人間でいえば老年期に入り病気ばかりになるので中央銀行という医者が常時輸血を繰り返したり、透析治療を行っているのと同じだ。

 まだ多くの人はリーマンショックが世界恐慌に並ぶ第二の世界恐慌だとの認識がないが私のように長い人生を生きたものにはそれがわかる。
このリーマンショック後は産業資本の相対的衰退がはじまり、人々はビットコインというような投機商品に群がり、一部の金持ちと多くの貧乏人に分かれてしまう。
アメリカではトランプ大統領がアメリカンファーストを叫び外国のことなど知ったことではないと明言し、人類という概念が希薄になりそして種としての人類そのものが衰退期に入ってきた。  

 実際日本では人口増加がストップし、特にスケベーな男性はセクハラ訴訟におびえて女性に手出しをしなくなり、同性愛がはびこり田舎からは子供がいなくなっている。
日本に特徴的に表れているように資本主義経済が老衰期に入って、もはや手の打ちようがなくなってきたのだ。
72年の人生を生きて資本主義経済の衰退と、フランシス・フクヤマの言う歴史の終わりを見ることになってしまった。
人間に死があるように資本主義文明にも死がある。その後の世界は人類の相対的な後退となり22世紀を迎える頃は、かつて宮崎駿が描いた「風の谷のナウカ」のような世界になるだろう。



 


 

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