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(30.5.3) 山崎次郎氏の老衰と資本主義経済の衰退

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 人間いつか死ぬことはわかっていても、若い時代には自分が死ぬということは全く実感できなかった。特に私は肉体の強健さが自慢で、何日も高山の誰一人いない場所で一人でキャンプを張ったり、北海道を足で1000kmも走ったが、そうしたことがいたって自然にできていたので、「俺は本当に死ぬことがあるのだろうか」と疑問に思っていたほどだ。

 そうした自慢の体力が急激に衰えてきたのが60歳代後半になってからで、ひどい腰痛が発生して走ることも歩くこともできなくなってきた。
医者に行くと「山崎さん、これは脊柱管狭窄症ですな。まあ日ごろの無理がたたったのですよ」などといわれて、治療のそぶりはしてくれたが実際はこの病気は治ることのない不治の病で、老化現象の一種といっていい。
その後はもっぱら腰の痛まない自転車を乗ることだけがスポーツになったが、ゴーグルをせずに突っ走っていたため、目にあらゆる虫や花粉が飛び込み、原田病という難病を患うことになった。

 この原田病は網膜の後ろから組織液がしみだして網膜をぶよぶよにする病気で、映像が網膜に結べなくなる病気だ。何か抽象絵画の世界を見ているような具合いで2年間千葉大病院等で治療を受けたが治らなかった。これも不治の病の一種で抑えることはできても完治することはできない病気だ。
この治療のためにステロイドを長期間投与したが、その副作用で白内障が極端に進み目が見えなくなってきた。
原田病は治らず一方白内障は悪化の一途だったので、思い切って他の病院で白内障の手術を行った。

 しかし原田病が完治しているわけでなくその後もリンデロンというステロイドを常時投与しているためか体のあちこちに異変が発生している。
元々難聴だったのだがそれがひどくなりまともに会話を交わすことができない。
またこの春からは一種のアトピー性皮膚炎が出て体中かゆくて仕方なかった。また目も少し無理をして細かな字を読み続けるとひどい炎症が発生して、まるでウサギの目のように充血してしまう。
やれやれ一難去ってまた一難か・・・・・・・・
健康であるという自覚がすっかりなくなり病気の意識に取りつかれてしまった。
どうやら人間はこうして自分が不健康になり死に近づいていることを認識させられ、最後は往生するものらしい。

 私はこうして自分の肉体の異変に敏感になっているが、世界経済も老衰期に入ったと思える現象が出ている。
資本主義経済が産声を上げたのはイギリスの産業革命が始まった18世紀後半だが、あれからほぼ3世紀を経てどうやら資本主義経済も私と同様の症状に陥ったようだ。
マルクスが資本論を書いたのは19世紀の後半で、その本の中で資本主義の衰退と社会主義の成立を高らかに宣言していたが、実際は19世紀後半は資本主義の隆盛期で、人間の肉体でいえば青年期だから、いくらマルクスが「鉄鎖以外に失うものはない」とアジっても資本主義経済の崩壊の兆候はなかった。

 その資本主義経済が総体として危機を迎えたのが、1929年の世界恐慌だったが、この時まで資本主義経済は自由競争こそが経済のかなめだと誰もが主張していた。
しかし青年期をすぎ中年期に入った資本主義経済はほっておいても隆盛を極めるというわけでなく、注意深い国家の介入を必要とした。
それがケインズ革命で、簡単に言えば不況時は国家が公共事業に専念し職を作らなければ資本主義経済が崩壊するというものだった。

 職をつくるのは戦争経済でも同じでその後に起こった第二次世界大戦でアメリカ経済は活況を呈し、20世紀後半の資本主義経済の大隆盛が実現された。
この時期の最大のエポックは日本が高度経済成長を実現して資本主義経済の力強さを実証したことと、それと裏腹にソビエトが崩壊し社会主義が歴史的実験に失敗したことだ。
フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を宣言したのはこのころだ。

 その後世界は資本主義経済、中でもその総本山のアメリカの一人勝ちの様相を呈していたが、資本主義の第二の総体的危機が発生したのが2008年のリーマンショックである。
この頃になるとケインズの財政金融政策が全く効果がないことは日本の失われた二十年で実証済みだったので、この第二の危機を乗り切る処方箋がマネタリストの経済学になった
FRBのバーナンキ元議長は「経済の不況を救うには金を印刷してヘリコプターでばらまけばいい」といったが、実際にアメリカや日本やEUや中国が行った政策は、紙幣を印刷して市中にばらまくことだった。
日本の黒田総裁の日銀券の大増刷がそれである。

 このマネタリストの政策のポイントは「もはや産業資本の拡大は限界に達したので、後は金融資本、それも怪しげな金融資本の育成だけだ」ということである。
投資資本会社というばくち経済や、ビットコインのような怪しげな貨幣に投資することだけが、残された資本主義経済の処方箋になったのだ。
これは人間でいえば老年期に入り病気ばかりになるので中央銀行という医者が常時輸血を繰り返したり、透析治療を行っているのと同じだ。

 まだ多くの人はリーマンショックが世界恐慌に並ぶ第二の世界恐慌だとの認識がないが私のように長い人生を生きたものにはそれがわかる。
このリーマンショック後は産業資本の相対的衰退がはじまり、人々はビットコインというような投機商品に群がり、一部の金持ちと多くの貧乏人に分かれてしまう。
アメリカではトランプ大統領がアメリカンファーストを叫び外国のことなど知ったことではないと明言し、人類という概念が希薄になりそして種としての人類そのものが衰退期に入ってきた。  

 実際日本では人口増加がストップし、特にスケベーな男性はセクハラ訴訟におびえて女性に手出しをしなくなり、同性愛がはびこり田舎からは子供がいなくなっている。
日本に特徴的に表れているように資本主義経済が老衰期に入って、もはや手の打ちようがなくなってきたのだ。
72年の人生を生きて資本主義経済の衰退と、フランシス・フクヤマの言う歴史の終わりを見ることになってしまった。
人間に死があるように資本主義文明にも死がある。その後の世界は人類の相対的な後退となり22世紀を迎える頃は、かつて宮崎駿が描いた「風の谷のナウカ」のような世界になるだろう。



 


 

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コメント

お邪魔します。
 自分は資本主義が終焉した後の世界は『風の谷のナウシカ』ではなく、オーウェルの『1984年』みたいになるのではないかと思います。『1984年』の世界では経済成長は無く、科学もスパイ技術とかを除けば進歩を止められ、芸術や娯楽も無い中で(一定以上上の)人が何が楽しくて生きているかといえば権力闘争だと読んだ事があります。資本主義が終焉し、「富国」という目的が無くなった支配層は、圧倒的大多数の被支配層を情報も含めて徹底統制した上で、権力闘争というか「権力の再配分」を目的にして生きるのではないかと。

投稿: ブロガー(志望) | 2018年5月 4日 (金) 22時22分

資本主義の消滅と無関係に庶民生活が安泰なのはインフレが抑えられているからでしょう。新しい経済の世界には新しい理論がセットになるでしょう。たぶん、こんな理論になるでしょう。


量的緩和が潤沢な投資資金を増やして、資産が増加した。資産増加は財産が増えるので、利益が増加する。マクロ経済にいいことばかりが起きた。

これから、投資資金を回収する時期が到来して、企業収益が増えるのではないかと素人は考えてしまう。それは間違いだ。回収するだけでは財産は増えないのだ。マクロ経済の収益力を維持するには投資を続けていかなければならない。さらなる借金は米国政府と同じ行動だ。

資金を集めることは簡単だが、いったん手元を離れてしまうと、回収することは難しい。資金はないが資金の代わりになる財産がある状態だ。資産インフレは金利上昇で、資産デフレに変わる。

資産デフレと金利上昇は、借金を積み上げた個人や企業の投資家に都合が悪い。

政府の毎年の借金は、国家から民間に資金が流れ、民間に何らかの行動を促して、再び国家に流れる資金循環を作り出す。同時に、民間の金融債権(国債)を増やし続ける。

ここで起こる民間の何らかの行動が重要なのだ。

民間は、この循環資金を有効活用して、民間の借金減らしを始めるのだ。民間は借金を減らし、投資を減らすので、日本で起きたように経済の停滞は長期化する。

民間の借金減らしの後の返済資金の行方も重要だ。返済資金が存在するがゆえに、資金の貸し手は借り手の返済資金を国債購入に回すこができるのだ。

民間の債務が国債に切り替わるとどうなるでしょう。

現実の日本経済は以下のように確実に起こるべきことが起こっている。日本の経済が落ちいった罠を他の国は参考にするべきだ。何が正しい理論か再確認。

民間の債務を国家が肩代わりするような政策をとることで、民間の債務削減を容易にして、恐慌の発生を防いだ。
増大した国家の債務は国家の債務に対応する民間の債権(国債)を現金化することで、金融危機や恐慌を起こさずに債務削減することになる。
しかし、債務問題をこのように処理したら、最終的にゼロ金利と増税が続く調整期間がとてつもなく長くなる。

ここから導かれる結論は
健全な貸し手と借り手を生み出す役割を果たす金利が常に持続できるような政策の方が秩序ある経済発展につながる。
国家の債務は最初から中央銀行に無利子で引き受けさせ、民間の市場金利に影響を与えないようにする。
通貨の価値を維持するために、中央銀行が引き受けた国家の債務は国民にゆっくり返済させる。
こうしたやり方がはるかに良い政策だ。

投稿: pij | 2018年5月 5日 (土) 13時38分

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