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2016年6月

(28.6.30) 大英帝国の解体 グレイトブリテンの終わりとローカリズムの台頭

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  「大英帝国衰亡史」は中西輝政氏の名著で、大英帝国史の中でこれ以上の名著はないのではなかろうかと私は思っているが、その内容は「大帝国は大戦争では必ず勝利するが小戦争で敗北し少しづつ衰微していく」と言うものだった。
イギリスの場合は第一次世界大戦と二次世界大戦に勝利したが、その衰亡は南アフリカでのボーア戦争に始まると言うものであり、またアメリカの例で言えばベトナム戦争が、そしてロシアの場合はアフガン紛争がそれにあたる。

 この大英帝国の衰微に待ったをかけて獅子奮迅の努力をしたのがサーチャー首相で、サッチャー氏が行った金融改革ビックバン」でイギリスは確かに20世紀の最後の10年間によみがえり、つい最近まで世界の金融をリードしてきた。
特に為替の取り扱いはニューヨークをはるかに凌駕しており、ドルや円やポンドやユーロの決済はほとんどロンドンのシティで行われているといってもいいくらいだった。

 これはサッチャー氏が目指した世界で最高の金融取引環境をイギリスが提供するという政策がものの見事に実った結果といっていい。
だがこのサッチャー氏が目指した世界に向けてオープンに開かれた金融市場に、ついに黄昏が訪れた。
イギリスがEUから離脱することになりユーロ圏の取引はイギリスで行うには制限が多すぎるからだ。
なんだい、イギリスがEUの一員でEU内では全く自由かつ平等に取引ができていたのに、今後はすべてブリュッセルとの交渉がいるのかい。これじゃイギリスに進出した意味がないじゃないか!!」
日本の主要金融機関も世界の主要金融機関もロンドンに支店を置いておくことの意義を見出せなくなり撤退を検討し始めた。

 イギリスは国民投票で離脱派が勝利し、今やローカリズムの旋風が吹く きすさんでおり、金融というような本来グローバリスムの中でしか生き残れない産業を直撃している。
イギリスのGDPに対する金融取引のウェイトは10%と世界屈指の金融王国でありシティあってのイギリスだが、多くの貧しい労働者にとってはシティなどくそくらえだ。
あいつらだけがEUに入ったことでいい目をしているが、俺たち労働者にとっては首切りと賃金カットがEUに入った報酬だ。シティなどぶっ潰せ!!」

 イギリスが七つの海を支配したのは19世紀で20世紀初頭のボーア戦争で敗北して衰微し始めたが、第一次世界大戦と第二次世界大戦をようやっとのことで勝利に導いたものの、戦後は全く二流国家に落ち込んでいた。

  そのイギリスを再びシティをよみがえらすことで世界の主要国家にまでサッチャー氏が引き上げたが、その遺産をキャメロン氏が食いつくしてしまった。
キャメロン氏はその先見性のなさで国民投票を約束しものの見事にひっくり返えされたのだが、これでイギリスは万事休すになった。
イギリスは完全にローカリズムの渦に巻き込まれ、再びスコットランドが独立の運動をはじめたし、北アイルランドもアイルランド併合に向けて動き出すだろう。

 グレイトブリテンといった栄光に満ちた国家は解体され、イングランド、スコットランド、ウェールズ、そしてアイルランドといった300年前の姿に逆戻りしつつある。
イギリスが世界史で主要なプレーヤーだった時代はこれで完全に失われるといっていい。
中西輝政氏の「大英帝国衰亡史」は「大英帝国解体史」と名称を変えなければいけないかもしれない。

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(28.6.29) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その9」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(24.9.15) ロドリゴ ネパール日誌 その9 「ジュムラからの脱出」

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ジュムラ飛行場とジュムラのホテルをこうして何往復かした

 ネパールでは飛行機は何で飛ぶかご存知でしょうか。
ジェットエンジン」とか「揚力」とか答えたらそれは間違いなのでございます。
実はネパールでは飛行機は「政治力」で飛ぶのでございます。

 われら布教団一行がジュムラから脱出しようとして2日間この村に足止めされていたことは先に述べました。
われらが乗るべき飛行機そのものは1週間にわたってこのジュムラ飛行場に現れず乗客は溢れかえっておりました。

 クナーカ様はジュムラからネパール・ガンジー行きのタラ航空を諦め、他のルートによる脱出を検討しておりました。
ロドリゴだけは徒歩でガンジス川の波頭まで歩き、他のメンバーは他の航空会社の便でネパール・ガンジー近くの飛行場まで行って、そこからは自動車をチャーターしネパール・ガンジーにいくと言う脱出計画でございました。

 しかし信じられないようなことが起こったのでございます。
通訳のフッド君が「政治力」でタラ航空の飛行機を飛ばしてしまったのでございます。
フッド君はネパールで最も著名な大学の一つを出たのでございますが、友人の多くが役人や新聞記者になっておりました。

 そこでフッド君は新聞記者の一人に電話をして「ネパール布教団のジャポン人一行がジュムラの村に閉じ込められて帰国できない。タラ航空は色々理由を挙げているが本当の理由はパイロットが飲んだくれて操縦をしないためで、このままいくと国際問題になる。この事実を新聞で取り上げてほしい」と依頼したのでございます。
新聞記者はカトマンドゥにあるタラ航空本社に事実関係を確認しにいったのですが、驚いたのタラ航空の本社でさっそくネパール・ガンジーの事務所にジュムラへ飛行機を飛ばすように指令が出たのでございます。

 それまで「機体が壊れた」「パイロットが結婚式に出向いている」「今は飯の時間だ」気流の悪いのでジュムラに飛行機を飛ばすのはきちがい沙汰だ」などといっていた職員が打って変わって愛想がよくなリました。
そして信じられないことにはタラ航空はこの航路が定期運行路線であることを思い出してくれたのでございます。

 もっともロドリゴだけはクナーカ大主教様の心温まる指示で一人徒歩で苦難の旅をし晴れて聖者になる予定でございました。
ところがクナーカ様から「イエズス会の本部に問い合わせたら”ロドリゴだけは聖者にしない。そんなことをしたらオラウータンでさえ聖者になる”と反対しており、仕方がないからタラ航空の飛行機に乗ってジャポンに帰ろう」とのお話がございました。
クナーカ様、オラウータン はロドリゴほど利発なのでございましょうか
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
かくしてロドリゴもタラ航空の飛行機に乗ることになったのでございます。

 しばらくして搭乗の手続きが始まりわれらは搭乗控え室に通されました。しかしそこは乗客予定者で溢れかえっており、1週間飛行機が飛ばなかったことによる乗客でごった返しておりました。
はたして全員搭乗できるのだろうか、もしかしたらダブル・ブッキングがあって実際は乗れないのではなかろうか」と不安感が頭をよぎりました。

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ようやくやってきたタラ航空の飛行機

 飛行機はなかなか現れず午後になりようやく2機の飛行機がここジュムラ飛行場に舞い降りてきたのでございます。
この飛行機は18人乗りですので全体で36名乗れるのですが、どう見ても控え室にいる人数はそれを上回っているようでございました。

 係りの国家警察の係官が飛行場に通じるゲートを空けると突然一人の若者が係官の制止を振り切って飛行機に突進しようとしました。
屈強な係官が若者を追いかけ首根っこを押さえて飛行場の外に追い出しましたが、マリア様のお話ではこの若者は航空券を持たずただ乗りをしようとしていたとのことでございます。
飛行機のただ乗りはジュムラでは日常的にあり係官とのバトルが繰り返されているようでございました。

 われら一行は2機のうちの1機に優先的に乗せるように国家警察の係官が誘導しておりました。何しろこの飛行機はジャポン布教団の救出機ですのでそのように指令が出ていたのでございましょう。

 しかし収まらないのはネパールの方々です。われらの背後にはまだ多くのネパール人がおり、乗れなくなった数名のネパール人がこの飛行機に乗ろうとタラップにしがみついておりました。
俺は航空券を持っているのになぜ乗れない」そのように叫んでいるようでございました。
それを国家警察の屈強な係官が実力で引きずり落としていたそうでございますが、これも最後に乗ったマリア様の目撃情報でございます。

注)ロドリゴはダブル・ブッキングがあると予想して真っ先に飛行機に乗り込んでおりました。

 

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国家警察の女性係官。気さくに写真に応じてくれた

 かくしてジュムラに来てから3日目にフッド君の政治力でここから脱出ができたのでございます。
パイロットは2名でコクピットのドアーはあいておりましたので、パイロットの会話が聞こえたのですが、フッド君によるとそれは以下のようなものだったそうでございます。

正パイロットお前がいつまでも食事をしているから、ジュムラの到着が午後になってしまったではないか。ここは気流が悪いんだから午前中に飛ばなければ駄目だ

副パイロットそんなことを言っても腹が減ってはどうにもならないだろう。あんただって飲んだくれていたではないか

 われら布教団一行はこのようにして3日目に必死の思いでネパール・ガンジーに飛びそこからカトマンドゥに帰ることができたのでございます。

注)なおネパールの名誉のためにいっておきますが、飲んだくれの航空会社はタラ航空だけのようでございました。

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(28.6.28) 潮流の変化と世界の右傾化  トランプ氏が大統領になる芽が出てきた!

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 世の中が激変するときは実に流れが早い。当初の予想に反してイギリスのEUからの離脱が国民投票で決定されてから世界の金融市場は大荒れになっているが、本当の激変は今始まったばかりだ。
イギリスの次はアメリカでこの11月の大統領選挙が一気にきな臭くなってきた。

 イギリスの国民投票で離脱が決定する前までは、アメリカの大統領選挙は基本的に民主党のヒラリー氏が優位だった。理由は民主党がほぼ一枚岩でヒラリー氏を大統領候補として推薦しているのに対し、対する共和党のトランプ氏は共和党主流派から完全にそっぽを向かれていたからだ。

 共和党主流派とは第二次世界大戦後のフレームワークを形成してきた集団で、主としてウォール街の金融資本家を言いアメリカの心臓といっていい。
金融資本家にとって最も大事なことはアメリカの金融資本が世界を股にかけて活動できる環境を整備することで、為替や貿易や資本や人的移動の自由化はすべてそうした思想のもとに世界をアメリカの金融資本の市場にするために練られた戦略だった。

 それに対してトランプ氏の掲げるアメリカ一国主義は共和党主流派の思想に真っ向方から対峙している。
イスラム教徒を国に入れるな(移動の自由の制限)。メキシコ人の不法入国者はすぐに国外に退去させて国境に鉄壁のバリケードを築け(安価な労働者の使用の制限)。ドイツも韓国も日本もアメリカ軍に駐留してほしければ傭兵料を払え(安全保障戦略の見直し)。シリア人など海の藻屑にしろ(難民対策に対する敵意)。国内産業の保護が一番でTPPなどくそくらえだ(保護貿易主義)」

 トランプ氏の主張はヨーロッパで燃え上がっている右翼政党の主張にほぼ同期しており、世界の右傾化の流れの中にある。
こうした主張は極端な排外思想でかつてのナチスヒットラーが政権をとるために行ったプロパガンダそっくりなので、当初は単なる当て馬程度に思われていたものだ。

 しかし右翼化の潮流はアメリカの底辺部にも浸透しており、貧しく敬虔なプア・ホワイトがトランプ氏の熱烈な支持者になった。
そうだ、このアメリカを作ったのは俺たち敬虔なピューリタンなのに、今では黒人やヒスパニックや中国人や韓国人が大手を振ってのし歩いている。もう嫌だ。国を閉じて外国人を一切入れずに俺たち敬虔なピューリタンだけの王国を築こう。」

もう世界のことなど知ったことではない。ISがいくらシリア人を殺害しようとも遠い他国の話だ。殺し合いをしたければかってにやるのがいい

 イギリスのEUからの離脱で次の離脱国家はどこかEUは戦々恐々となっていている。これを好機としてヨーロッパの右翼はEUからの離脱を声高に叫んでいる。そしてそのこだまはアメリカに反響しトランプ氏の後押しをしている。
私は当初トランプ氏が勝利することはないと思っていたが、この予測を変えた。
世界の流れが保守化と右傾化に変わっている。もしかしたらトランプ氏が大統領になるかもしれない・・・・・・・・」

 オバマ氏は「アメリカは世界の警察官にならない」と宣言したが、もしトランプ氏が大統領になれば「アメリカはアメリカ以外のことに感心を持たない」と宣言するだろう。
新モンロー主義だがそうした動きが日米安保体制にヒビを与えるのは確かだ。
日本の前に は軍事力の増強に余念がない中国と、軍事力しかない北朝鮮がいる。
日本はトランプ氏のいう傭兵料をしこたま払って安全を確保するのか、日本独自の軍事力の強化や核武装をするのか、はたまた中国の属国になるのか厳しい選択を迫られそうだ。

 

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(28.6.27) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その8」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております
(24.9.13) ロドリゴ ネパール日誌 その8 「ジュムラに閉じ込められる」

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(ジュムラの朝市。小学生のような子供も売り子だった

 昨日は一日中ジュムラの飛行場の周りでネパール・ガンジー行きの飛行機を待っていましたが飛行場には飛行機が現れず、国家警察の係官も暇をもてあましておりました。
翌日は実に良く晴れ渡り視界は良好でこれ以上の飛行機日よりはなかったのでございます。
まあ、今日こそは飛んでくれるだろう」一同はそう期待して10時までにジュムラ飛行場に待機しておりました。

 通訳のフッド君が事務所に何回も掛け合いに行っているのですがなんとも要領を得ないのは昨日と同じでございました。
ジュムラに飛ぶべき飛行機が故障したので他の飛行機をまわそうとしている・・・・
パイロットが結婚式にいってしまったのでパイロットがいない・・・・・
気流が悪いので今日飛ばすわけにはいかない・・・・
フッド君が理由を確認するたびに理由が変わるのですが、結論はジュムラに飛行機は来ないと言うことのようでした。

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(薪売りの女性。燃料はほとんどが薪だった

 われらが乗るべき航空会社はタラ航空といいジュムラとネパール・ガンジー間を飛ぶ唯一の航空会社でございました。
ジュムラにはタラ航空以外の航空会社も就航しているのでございますが、残念ながらカトマンドゥに出る便はなかったのでございます。

注)カトマンドゥに出るには一旦ネパール・ガンジーに出ないとならない。

 われらは仕方なく飛行場の周りでネパールの人々と同じように座り込んで時間をつぶしておりましたが、12時ごろ爆音が聞こえたので喜び勇んで飛行場に駆けてけますと、タラ航空ではなく他の会社の飛行機でございました。
その後も数機ここジュムラに飛行機が飛んでまいりましたが、いくら待ってもタラ航空は飛んでこなかったのでございます。

 前にも述べたようにジュムラから陸路はあるのですが、雨季は道が泥濘と化して自動車も人もまったく通行が不能のようでございました。
したがってここは陸の孤島のようなもので何とかしてネパール・ガンジーまで飛行機で脱出する必要があったのでございます。

 さすがにクナーカ大主教様も不安な気持ちになられたのでございましょう。
タラ航空をいくら待っていても無駄かも知れない・・・・・他の会社の飛行機でネパール・ガンジー近くの飛行場まで運んでもらって、そこから自動車をチャーターしてネパール・ガンジーに出てみようか・・・・・

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荷物は人力かロバが運ぶ)

 ネパールの国内線のチケットは外国人はドル払いで、しかも倍の値段と言うべらぼうな条件で購入しなければなりません。
クナーカ様は全員からドル紙幣を集めて「今日タラ航空の飛行機が来なかったら明日は他の会社に変えて、不便でも自動車を乗り継いでカトマンドゥに向かおう」と決心されておられました。
しかしドルを集めてみたところ布教団8名の費用に1名たらなかったのでございます(フッド君はネパール人なのでルピーで支払っておりました)。

注)タラ航空のジュムラ事務所にはドルが置いてなくしたがってキャンセルしても払い戻しはカトマンドゥまで行かないと返してもらえないのでございます。

 結局その日もネパール・ガンジー行きの飛行機は現れず、われらは再びジュムラのホテルにつかれ切った気持ちで戻ってまいりました。
その夜、クナーカ様からロドリゴはひそかに呼びだされたのでございます。

ロドリゴよ、お前はディリチョール村の布教活動に失敗し、わがイエズス会の中で一番のアホといわれ、このままではエンサイクロペディア・エスパニカにそのことが記載されてしまう。
それではお前は世紀を越えてのアホになってしまうので、何とかお前に挽回の機会を与えよう

クナーカ様、どうしたらよろしいのでございますか?」

目の前の川に沿って道が続いておる。泥濘の道ではあるが、この道を歩いて下り運よくガンジス川の波頭のベンガル湾に達すればお前ははれて聖人になれる。
わが祖国エスパニアのサンチャゴ巡礼の道と心得よ

しかしクナーカ様、もし不幸にして行き倒れたらどうしたらよいのでございましょうか
心配いたすな、わしはエンサイクロペディア・エスパニカの編集長と懇意だ。その場合は殉教者として名を千載に残そう


 クナーカ様のあまりにお優しいお言葉にロドリゴは嗚咽をしてしまいました。
ロドリゴは聖人になるか、殉教者になれるのだ
その晩は興奮してダニの巣のベットに寝ていることも気にならなかったほどでございます。


 こうして8日目の夜がくれたのでございました。

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(28.6.26) 新ローマ帝国EUの崩壊とブリタニアの独立  世界は中世世界に入ってきた!!

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 歴史の瞬間
にたちあえることはめったにあることではない。日本の歴史においても明治維新太平洋戦争の敗北は歴史の瞬間だったが、今回のイギリスのEUからの離脱は世界史の歴史的瞬間といっていい。
EUとはフランスとドイツが共同で作った新ローマ帝国だったが、旧ローマ帝国が蛮族の侵入で476年に瓦解した後、およそ1500年の時をへだててEUという新ローマ帝国が瓦解した。
原因は東欧諸国からの移民蛮族)が増えすぎて、新ローマ帝国の市民であったイギリス人(ブリタニア人)が「EUに所属することは自分たちの利益に反する」とキャメロン首相を陶片追放したからだ。

 今から約3年前にキャメロン首相は国内にしばしば現れるEUからの脱退論を抑える目的で、16年6月に国民投票をすることを決めたのだが、当初は楽観的だった。
うるさい脱退派を抑えるには国民投票が一番だ。これで有無を言わせず抑え込んで見せる
当初はEU残留派が圧倒的多数だったのでキャメロン首相が楽観的だったのは理解できるが、その後の経緯は残留派にとって思わぬ誤算続きだった。

 一番の誤算はイギリスを含むEUの経済成長が止まってしまい、せいぜい1%程度の成長しかできなくなったことだ。
成長ができないと富の分配が不可能になり、金持ちだけが肥え太るという富の偏在現象が現れる。
金持ちはたったの1%で、後は皆貧乏人だけか。これが栄光ある新ローマ帝国EUの現実か!!」若者や職を追われた労働者が激怒した。

 国境をなくし資本と労働の自由な移動を保証したのがEUだが、特に労働の自由な移動で恩恵を受けたのはポーランドやルーマニアといったの貧しい国の労働者で、イギリスやドイツやフランスの富裕な労働者を駆逐して新中産階級にのし上がってきた。
住宅地からは貧しいイギリスの労働者が追い出され、代わりに東欧系の人々が住むようになる。
もし順調な経済成長があれば、誰もがウィン・ウィンの関係にあるが、成長が止まればそうはいかない。
企業は利益確保のために高給取りのイギリス人を馘首し、東欧の安い労働者に切り替える。
こうして企業は利益を確保できるが収まらないのはイギリスの労働者だ。
EUに入るとは、職場を首になり、住宅を追い出されることか!!!」

 今回の国民投票で離脱票を投じたのはこうした怒れる労働者たちだ。
今やEUはいくら金融を緩和しても全く成長ができない社会になっている。それは当然で人間も二十歳前後に身長が止まるように、経済にも限界がある。限界に達した経済を無理やり成長させるには金融を緩和して無駄な出費をさせる以外に方法はない。
ほれ金はいくらでもあるぞ、使ってくれたらイングランド銀行が金利を支払ってやる。なんでもいいから無駄使いをしてくれ!!」

 だがそうした無駄使いにも限度がある。
中央銀行がいくら金を使えといったってどこに使えばいいんだ。人口は増えそうもないから不動産価格はあがらないし、鉱物資源は中国が購入を止めたのでさがったままだ。株式だってあがりそうもない。投資をすればするほど損失がでるのだから金など使い道がないよ

 EUはともに成長するのが前提だったが実際は酷い停滞局面に陥り、富の分配機能が働かなくなくなってしまった。ならEUに留まる理由はない。
裕福になると言うから統合に賛成したのに実際は貧乏になるだけじゃないか。これならEUから離脱したほうがいい

 今回離脱派が52%程度、残留派が48%程度だったが、僅差で敗北した責任はキャメロン首相にある。 
キャメロン氏の父親がバミューダ諸島に会社を設立して税金逃れをしていたが、キャメロン氏もその恩恵を十分に得ていたからだ。
これで国民投票の帰趨はきまってしまった。

注)キャメロン氏の所得隠しの経緯等は以下参照 
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/ppppp-1.html

俺たちは貧乏なままだが薄汚いキャメロンはバミューダ諸島でぼろもうけか。こんな奴に言うことなど金輪際聞きたくない」イギリス版舛添現象である。
これで2%程度の票は離脱派に流れたから都合4%程度の影響で、今回の投票結果はキャメロン氏の失策が招いたものだ。

 だが大きくいって時代は急速に統合ではなく分離に、グローバリズムではなくローカリズムに世界は突入している。イギリスのEUからの離脱はその先駆けにすぎない。
世界中で他国民のことではなく自国民優先主義が蔓延し、外国人を追い出す運動が燃え盛っている。
フランスもドイツもその他のEU諸国も右翼勢力が台頭し、移民排斥とシリア難民の排除を大声で騒いでいる。
経済が停滞し富が増加しなくなれば分配問題が第一の関心事になり、外国人は標的になる。

 何度も同じことを言って恐縮だが世界が他人に寛容だったのは富が増加していたからで、現在のように長期停滞に陥れば誰もが寛容でなくなる。
EUそしてもアメリカも他国のことなど構わなくなり自国中心に物事を決定して行くから世界の枠組みは一つ一つ崩れていきローマ帝国崩壊後の中世世界に21世紀は入ってきた。

 

 

 

 

 

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(28.6.25) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その7」

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(24.9.11)  ロドリゴ ネパール日誌 その7 「ジュムラの飛行場へ」

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(このフェンスの中がジュムラの飛行場)

 ネパールに来てから七日目、われら布教団の帰国の日が参りました。
布教団はゲストハウスで生活していたのでございますが、電気はなく水は谷川の水をゴムパイプで引き入れている生活で、食料はジャポンより持ち込んだものがすべてと言う状況でございました。
寝るのは寝袋ですので何か昔の山小屋どまりの登山と酷似していたのでございます。

 ディリチョール村に入って4日目、ついに食料が底をついたのでこの村を降りなければならなくなりました。
村は貧しくわれらに食料を供給することはできなかったからであります。
明日は帰宅と言う日、クナーカ大主教様はひそかにロドリゴを呼んでお尋ねになりました。

ロドリゴ、ネパールに入ってから1週間。さぞやお前のネパール語の研鑽は進んだことであろう。来年までここディリチョール村で布教する自信は固まったであろうな!!」
ロドリゴにはそのご下問が何よりつろうございました。ロドリゴは日夜暇さえあればネパール語を学んできたにもかかわらず、信じられないことに「ナマステ朝、昼、晩の挨拶言葉)と「ダンニャバードありがとう)」以外の言葉を覚えられなかったからでございます。

ロドリゴ、お前はイエズス会一のアホといわれてきたが、わしは信じておった。お前は(能ある豚はへそを隠す)のたとえどおり、その才能をひけらかすことを恥じていただけであろう
ロドリゴは蒼白になり答えたものでございます。
大主教様、お許しください。このロドリゴはどんなに努力してもネパール語はナマステとダンニャバード以外は覚えられないのでございます・・・・

 大主教様はこの言葉を聞いてしばし茫然自失し、じっとロドリゴを見つめ、、そしてはらはらと涙を流されて申されました。
ロドリゴ、ではこたびの試みは単にロドリゴがイエズス会一のアホであることを再確認しただけになってしまったのか・・・・・・・。
考えてみればわしが悪かった。お前に隠された才能があると誤認したわしのほうが悪い

クナーカ様は深くため息をつきそして申されました・
だが、そのようなものをここディリチョール村に残すわけにはいくまい。ここにおいておくとロドリゴはナマステおじさんなんて揶揄されるだけで、イエズス会の名折れになる
かくしてロドリゴもジャポンに帰国することになったのでございます。

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ジュムラの飛行場とジュムラを守っている国家警察の訓練。毎朝走っていた

 翌朝早朝、10時にはジュムラの飛行場にネパール・ガンジー行きの飛行機が到着しているはずでしたので、われら布教団の8名と、通訳のフッド君、それにポーター4人で6時前にディリチョール村を出立いたしました。
そうして15kmの山道を約4時間かけジュムラに到着したのでございます。

 しかし飛行場についてみますとくるはずの飛行機は来ておらず、飛行場を管理している国家警察の職員はいたってのんびりと暇をもてあましておりました。
通訳のフッド君が事務所に行って確認した内容は実に驚くべきことでございました。
ここジュムラとネパール・ガンジー間の飛行機はわれわれがジュムラに飛んで来た5日前の便を最後に一機も飛んでいないと言うのでございます。

注)ジュムラはかつて王党派とマオイストの激戦があった場所で、停戦が締結された2006年以降もマオイストの極左派が武力闘争を宣言して山に立てこもっていると言われている。
そのためジュムラ飛行場は不穏分子をとりしまるため国家警察が管理していた。


 理由ははなはだはっきりせず気流の関係だと言うのでございますが空は青々と晴れ渡りどう見ても気流が悪いとは思われなかったのでございます。
最も山岳地帯にあるここジュムラでは午前中は気流が安定し午後は荒れるので飛行機はほとんどが午前中に離発着するのが普通ではございました。

 その日午後になっても飛行機はまったく現れる気配がありませんでした。
午後は飛行機は飛ばないから今日は駄目かもしれない・・・・クナーカ様はそう申されておりましたが、それでも一縷の望みを持って夕方までこの飛行場の周りでただひたすらうずくまって待っていたのでございます。

 夕刻になりいよいよ駄目だと言うことが判明いたしましたので、飛行場から約1kmあまり離れたジュムラの街のホテルでとまることになりました。
ここジュムラから隣村に道はあるのですが、雨季は泥濘と化し自動車はもちろん人さえも通行ができないため、飛行機が唯一の交通手段なのでございます。
だから飛行機が飛ばないと言うことはこの村にいつまでも滞在しなければならないのでございました。

  ここジュムラには外国人用のホテルはありませんでしたのでネパール人用のホテルでやや高級なホテルに泊まったのですが、そこでロドリゴはダニの襲撃にあってしまいました。
体中がくわれてやけにかゆいのでございます。

 それでも翌日にはここジュムラのダニのホテルを退散できると思ってかゆさを我慢しておりましたが、それはあまりにも楽観的な期待だったのでございます。

 こうして布教の7日目の夜が過ぎたのでございました。

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(28.6.24) 中国と韓国の漁業紛争 「韓国沿岸の漁業資源を枯渇化せよ」中国政府の狙い

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 現在韓国と北朝鮮の中国側の海(黄海)の境界線付近で、中国漁船と韓国軍とが対峙している。
ここはいわゆる北方限界線NLL)といわれ、朝鮮戦争の休戦のため国連軍がここを境界線に定めたものだが、北朝鮮はこれを認めていない。
したがっていつも国境紛争の種になるのだが、今回はここに中国漁船が大挙して押し寄せ網目の小さな底引き網でカニや貝類やマナガツオといった漁業資源を根こそぎとっていったので韓国漁民が切れてしまった。
ここは韓国の漁場でわれわれは協定を守って資源保護を図ってきたのに、中国漁船は一網打尽に稚魚までとってしまう。どうにかしてくれ
パク政権に泣きついた。

注)正確に言えば韓国漁船はNLLの韓国側の海域で漁業をおこなっているが、中国漁船は境界線を無視して漁業を行っている。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/23129-e95b.html

 実はここでは従来から中国漁船の違法操業があり、時々韓国もジェスチャーとして取り締まりをしてきたが、中国漁船の方は鉄パイプで武装しており、日本でいえばヤクザの闘士みたいなものだから、韓国の海洋警察は反対に蹴散らされていた。
中国では漁船団がいわば人民解放軍の別部隊として行動し、日本でも尖閣諸島周辺や小笠原諸島周辺で暴れまわっていたのでイメージがわくだろう。
軍隊が直接出張ってこられない場合にこの中国漁船団が大活躍する。

注)漁船団が中国人民軍の海軍の支配下にあることは前に記載した。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-831a.html

 なぜこの時期に中国漁船団がNLL周辺の海域に現れたかというと、韓国政府に対するいやがらせで、韓国がアメリカから導入を決定したTHAAD高高度ミサイル防衛システム)にあくまで反対するとの意思表示だ。
韓国は長く中国メカケ政策をとってきたためこの防衛システムの導入をサボタージュしてきたが、アメリカからの強い要請を断れなくなってきた。
あんた、北朝鮮が着々とミサイルの能力向上を図り、いつでもグァム島を攻撃できる体制になったのに、なんで韓国はミサイル防衛を放棄するんだ。あんた、韓国とアメリカは同盟国なのに、北朝鮮に肩入れするのはどうしてだ。中国が反対しているのが理由というが、中国とアメリカとあんたはどちらだ大事なんだ

 つめよられてパククネ大統領も観念した。
オバマさん、あんたの方が好き!!」
従来韓国は習近平政権に最大限の媚びを売って「私は習さんのお妾さんになっていい」などといってきたが、ここにきて情勢が様変わりしてきた。
中国経済はバブル崩壊によって他国の経済を見てやる余裕が全くなくなり、自身の経済運営だけでアップアップし始めたため、韓国との間が疎遠になった。
「習さんたら、”俺にまかせればオバマも安倍もこわくない。韓国からはなんでも買ってやる”、なんていってたのにこのところ全くのご無沙汰で、おかげで韓国経済は干からびてしまったわ。お妾のお手当てもくれないし、これならオバマや安倍の方がましだわ!!」

  NLL周辺海域で韓国軍、海洋警察、国連軍(実際はアメリカ軍)が合同で中国漁船の掃討作戦を展開したのは、中国の嫌がらせに対しても「韓国は断固THAADを導入する」との意思表示だ。
くそ。パククネのやつ、こっちが調子のいい時は”私は習さんのお妾さんよ、鼻毛ぬいちゃう”なんて言ってたくせに、こっちが落ち目になった途端にオバマと安倍にくら替えか、トンでもないアマだ!!!」
習近平氏はいきどおっているが、国内経済の失速と党内闘争の激化でこれ以上韓国にかまけているわけにいかない。
今は漁船団で韓国近海の海から漁業資源をかっさらうことぐらいしかできないが、経済と政治が安定したら落とし前をつけてやる!!」

 こうして今黄海側のNLLでは中国と韓国との間で漁業資源の名を借りた紛争が行われている。

 

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(28.6.23) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その6」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(24.9.10) ロドリゴ ネパール日誌 その6 「トレッキングルートの開拓」

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(衣類を川で洗濯していた)

 ネパールGDPと言う経済基準から見たらとても貧しい国で、ジャポンGDPの100分の1と言う水準でございますが、実際の生活水準は数字ほどは低くございません。
それはこの国の人々の生活が、農村部を中心にほとんどが自給自足の生活で成り立っており貨幣経済のウェイトはせいぜい1割から2割程度だからであります。

注)貨幣経済のウェイトを1割とすると実際の生活水準はジャポンの10分の1程度になる。

 それでもやはり貧しいことは貧しいので、クナーカ大主教様はネパールの僻地と言われるここディリチョール村を何とかして支援できないものかと日夜考えておられました。
この地域の農産物はトウモロコシジャガイモが主ではあまり取れず、果物はりんごが農家の庭先になっておりました。
見てみるとりんごの木はほとんど品種改良をされておらず、実を大きくする摘果てきか)の作業がされていないため小粒で表面ががさがさなりんごでございました。
りんごの価格は非常に安く2個で5円で購入できましたので、1個の値段は2.5円と言うことになります。

 クナーカ様はこの地区のジャポンで言う農業改良普及員の方とりんごの商品価値を高めて市場で販売する方法について議論をされておられましたが、普及員の方はまったく乗り気ではありませんでした。
品種を改良しても売るところがない
実はここネパールの西部は交通の便が極端に悪く、作っても市場に出す手段は飛行機に限られており、一方で飛行機代をかけて市場に出すほどの高品質のりんごは作れないと言うジレンマに陥っていたのでございます。

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りんごで村おこしは無理か・・・・
クナーカ様はりんごによる経済改革は諦めたようでございますが、それならと旅行客相手のトレッキングルートの開拓を始めることを考えられました。
ここディリチョール村標高2600mの場所にあり、その周囲は4000m級の山々で囲まれており、また近くにはカンジローバという6883mの美しい聖なる山がそびえていたからでございます。

注)子供たちにこの村で一番好きなものものは何かと聞いたら「カンジローパ」と答えておりました。

 ネパールのトレッキングルートエベレスト8848m)が見られるエベレスト街道アンナプルナ8091m)が見れるアンナプルナ・トレッキングルートが最も有名ですが、そこにカンジローパ・トレッキングルートを加えようとの計画でございました。
カンジローパは標高は他の山に比べると見劣りしますが、ここは秘境といわれたネパールの中でも最も秘境であり、何か19世紀のヨーロッパアルプスの黎明期のように、このルートを開拓した人はまだ皆無なのでございました。

マリヤ、ロドリゴついて参れ。カンジローパのルートを開拓する
クナーカ大主教様のご命令とあらば悪魔の薬と言われているコカ・コーラさえ飲むのが主に仕える身の定めでございます。
朝の6時からマリア様ロドリゴは19世紀にマッターホルンに初登頂したウィンパーになったような気持ちで登り始めました。

 川を渡ったゲストハウスの反対側にある小集落から目の前の山に一気に登り、そこから稜線伝いに4000mのピークまでルートを開拓するのがクナーカ様の今回の計画でございました。
登り始めると信じられないことに小集落から山に向かって道がついておりましたが、後で気がつきましたがこれは牛追いの道でございました。
ここネパールではジャポンと異なり3500m程度の標高でも樹木や草が生い茂り、平らな山頂は牛の放牧地として夏場は牛が放たれていたのでございます。

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(今回登った3460mのピーク)

 われら三名は牛追いの道をたどりながら稜線に出てそこから稜線伝いに4000mのピークを目指したのでございますが、牛道は牛の好みによってあちこちに通じていて、ちょうどジャポンアルプス獣道けものみち)のようでございました。
三時間程度登ったところで3460mのなだらかな草原のようなピークに達しました。
そこから前方を見ると三つのピークを上り下りしなければ4000mの頂上には到達できないことが分かりました。

 実はこの時期ネパールは雨季で午前中は晴れていても午後からは驟雨になり、そうなるとこの高さでは霧が立ち込め方向感覚が分からなくなることでございました。
クナーカ様は意気軒昂でさらに前に進まれようとされましたが、ロドリゴがお止めしたのでございます。

大主教様ここまで三時間、4000mのピークまで行きますとさらに三時間程度はかかります。午後は必ず驟雨になりますので帰りは道を失い遭難することも考えられます。
大主教様にもしものことがあれば、ロドリゴは悪魔の酒のコカ・コーラを飲んで主にお詫びをしなければなりません。どうか今回のルート開拓はここまでにいたしてくださいませ


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3460mの頂上は牛の放牧地になっていた

 クナーカ様はとても残念そうでございましたが、お優しい方ですのでロドリゴコカ・コーラを飲ませるのは忍びなかったと思われそこから引き返すことにしたのでございます。
出発したのが6時、帰り着いたのは11時頃でございましたが予想どうり昼からはひどい雨模様になりました。
こうしてカンジローパ・トレッキングルートの開拓は来年に持ち越されたのでございます。

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(これがネパール料理

 その日の午後はこの村の長老で、ポーター頭のパドム君の父親にあたる人から食事の招待を受けておりましたので我々は喜んで招待を受けました。
ネパールでは土間が普通なのですが客室だけは板敷きになっておりました。
そこでこれが本場のネパール料理というものを食べさせていただきましたが、ネパールでは客だけで食事をし招待主はその場に現れない慣習でなんとも不思議な感じでございました。
 

 こうして布教の6日目が過ぎたのでございます。

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(28.6.22) グローバリスムの退潮と金融資本時代の終わり  なぜアベノミクスの効果がなくなったのか!!

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 今思うと2008年のリーマンショックがグローバリスムが終焉した日であったことが分かる。
その時までアメリカやイギリスを中心とした金融資本が世界を一つの市場にして暴れまわっていたが、その旗印がグローバリスムだった。
世界標準とも言われたが世界共通の取引ルールを設定し、個別国家の介入を排して市場に取引を委ねる言うのが基本的なコンセプトで、そしてその市場のルールとは実質的にアメリカとイギリスのルールであり、それを日本をはじめとする諸国に押し付けたというのが実態だった。

 もともとグローバリズムは1980年代後半の日本の金融機関の急激な世界進出に恐れをなしたアメリカとイギリスが対抗策のために編み出した戦術で、BIS規制といわれ自己資本が8%以上ない金融機関は国際業務ができないという取り決めだった。
当時日本の金融機関は資金量で世界のトップテンをほとんど占めていたが、大手金融機関はすべてオーバーローンの状態で、自己資金比率はせいぜい3%程度だった。
日本さん、世界各地で融資を拡大していますが一旦業況が悪化すれば自己資本だけが最後のよりどころです。国際業務を行うなら自己資本は8%が必要です。これが国際的なルールというものです

 日本はアメリカから責められてこのBIS規制を受け入れたが、これは日本の金融機関が世界市場で敗退する引き金となった。当初は妥協策として日本の金融機関は株式の含み益を自己資本に算入することが認められたが、1990年前後のバブル崩壊によって株式の含み益はすっ飛んでしまい、結果的に貸出金の圧縮を図って8%の自己資本比率を維持しなければならなくなった。
分母を小さくしてかろうじて自己資本比率を維持するという涙ぐましい対応を余儀なくされ、世界市場から撤退させられたのだ。

 この間をぬって世界の金融市場に打って出たのがアメリカとイギリスの金融機関や投資会社で、以来ニューーヨークとロンドンが世界の金融の中心地となり、東京は日を追って衰退していった。
アメリカやイギリスの金融支配の方法は日本の金融機関が行っていた融資ではなく、サブプライムローン等のディリバティブ商品で証券投資という形態をとったが、この世界戦略に齟齬が発生したのがリーマンショックである。
日本を蹴落としてから20年、我が世の春を謳歌していたアメリカとイギリスのグローバリズムが終焉したその原因は日本と同様の不動産バブルの崩壊で、サブプライムローンという本来ほとんど価値のない不動産を抵当に発行した証券が、バブル終焉に伴って焦げ付いたからだ。

 そしてそれから約8年たったが、当初はまだリーマンショックがアメリカとイギリスによる金融資本の終焉だとは思われていなかった。
その最大の理由はアメリカ、EU、日本といった先進諸国が超資金緩和を行い湯水のように資金を市場にばらまいたことと、当時はまだ中国が破竹の経済成長を遂げていて世界中から原油や鉄鉱石を買いまくっていたため、ばらまかれた資金を使用して投資行為を継続することができたからだ。
アメリカの投資会社や金融機関はいち早く収益が改善し、リーマンショックの傷から抜け出したとたからかに宣言できたのもこのためだ。

 FRBもEUCも日銀も市場に毎月それぞれ10兆円規模の資金をばらまいてきたが、その資金は鉄鋼や原油や天然ガスといった鉱物資源や、世界の不動産に向かって流れて行って、経済をけん引していた中国や中国に群がったEUや韓国やオーストラリアやブラジルの経済成長を後押ししていた。
リーマンショックはあったが世界はまだまだ成長するし資金需要は旺盛で、アメリカとイギリスの金融支配はまだ続くと認識されていた。

 だが2014年の夏になって世界経済に激変が走った。中国経済のバブルが崩壊し中国経済が崩壊し始めたからだ。これを山崎経済研究所の山崎所長は中国ショックといっている。
以来あらゆる鉱物資源はピーク時の半分から4分の1程度まで低下し、また不動産も中国人の富裕階層が中国脱出のための不動産手当てをしているのを除けば、全く振るわなくなった。
その後世界中から資金需要が潮が引くように消えてしまい、世界中で金余り現象が発生している。
日銀がいくら金融を緩和しても一向に資金需要はなく金利はマイナスになっているが、このことは投資資金としての資金は全く必要がなく返済の方が多いということを意味している。
超金融緩和策も中国というアンカーが消え去れば効果はない。

 黒田日銀やEUCのバラキ総裁がいくら金を市場につぎ込んでも市場は全く反応しなくなった。
世界の株式価格は一斉に低下して、不動産価格も中国などではたたき売りの状況になっている。
アメリカや日本の優良地の物件の不動産価格が上昇しているのは中国人が中国脱出のためにパニックになって購入しているためで投資で行っているのではない
リーマンショックから8年、中国の経済崩壊から2年たって今世界中でアメリカやイギリスの金融機関は退潮し、グローバリスムの時代が終わったことが確認されている。

 世界中から投資資金が引き上げられ超緩和策も効果がなくなりアベノミクスにも限界が見えてきた。
先進諸国は1%前後の経済成長がやっとで、中国は実質的にマイナス成長に陥っている。金融が世界をリードする時代が終わり、アメリカやイギリスの金融資本がディリバティブで荒稼ぎした時代は終わってしまった。

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(28.6.21) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その5」

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(24.9.7) ロドリゴ ネパール日誌 その5 「バザーとゲストハウス」

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(バザーで運動靴を売っているところ。一足200円程度で販売した

 5日目は昨日に引き続きこの学校での授業がございました。
ツキージ様は英語の歌を、そしてマリア様は昨日に引き続き盆踊りの指導をすることになっておりました。
ロドリゴはエコノミカの授業が終ってしまっていたので、ガイドのフッド君たちとスコーラのそばでバザーを開催していたのでございます。

 実は明徳学園の生徒が卒業とともに学園に置いていった運動靴が山のように残されており、その中でまだ十分すぎるほど新品の靴を洗って、ジャポンよりここディリチョール村まで運んできたのでございます。
これを販売した売上げをこの村のスコーラに寄付をする計画でした。

 村人は雨期はほとんど靴ははかずもっぱらゴムぞうりですが、乾期には運動靴がとても重宝するものの、ここの村人はアシックス製品のような丈夫で良品質の運動靴を入手できるのはこのバザーだけなのでございました。

注)雨期には運動靴は泥だらけになるのでゴムぞうりのようにすぐに水で洗える履物がよい。

 ネパールの方々は普段はとても物静かなのでございますが、一旦取引が始まると男も女もありったけの声を出して値段交渉が始まり、ジャポンに長らくすんでいたロドリゴにはまるで喧嘩をしているように見えたものでした。
100ルピーよ
馬鹿いうなこんな虫食い野菜は10ルピーだ
虫食いはあんたの衣類だろう
この王族の衣類が虫食いだと、あんたの目は節穴か」なんて感じで怒鳴りあうのでございます。
靴の値段は日本円で200円程度ですのでとても安いのですが、村人はそれをさらに値切ろうとぎりぎりの交渉をしかけてまいりました。

 実は私もジャポンより不要の衣類をかなり持ち込んで販売をしてみたのですが、村の女性に2着で200ルピー200円)と言ったのにまったく無視されて60ルピーしか払ってくれませんでした。
あんたにはこれで十分よ・・・・・」なんて感じで完全にロドリゴは迫力で負けてしまいました。

 ネパールではすべてが交渉で価格が決まり、一物多価という市場経済以前の状況にあります。特に外国人に対しては外国人価格と言うものが適用されるようです。
たとえばマリア様の例ですが、ある商品を50ルピーと言われたのを40ルピーで手に入れたと嬉しそうに話されておられました。
それをポーター頭のパドム君という青年が聞いて「ネパール人だったら10ルピーです」と言うものでマリア様はとてもがっくりされておられました。
信じられないことに外国人にはネパール人の5倍の値段を吹っかけているようでございました。

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管理人の赤ちゃんと子守の小学二年生の奥さんの弟

 ロドリゴはバザーの怒鳴りあいですっかり疲れてしまいゲストハウスで午後は休んでおりました。
ゲストハウスとは村の公民館のような建物で、3階建てでここにこのハウスの管理者の家族5人と、学校の英語の先生の家族3人、それと正体不明の1家族が住んでおりました。
クナーカ大主教様の話では、「ここは管理人以外はいなかったはずだが、いつの間にか住民が増えた」とのことでございます。

 ここの管理人は夫婦と子供二人、それと奥さんの弟の小学生が住んでおりました。
奥さんは二十歳とのことでしたが、どう見てもロドリゴには30歳を過ぎているように思えました。どうもネパールの女性は急激に年をとるようでございます。
また奥さんの弟は小学校の2年生ですがこの夫婦の1歳未満の子供の子守役で学校から帰ると常時赤ちゃんを背負ったり抱いておりました。
昔はジャポンでもよくあった子守でございます。

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管理人の奥さんと子供。二十歳と言うことだが・・・)

 忘れがたいのは友達のニワトリのことでございます。
この管理人の家族は4羽のニワトリを飼っていたのでございますが、一羽のニワトリをボスの雄鶏が見つけると常時羽をつついていじめており餌もまともに食べられないような状況でございました。
哀れと思ってロドリゴが持ってきた米を与えたところ、この哀れなニワトリはそれ以来私のそばを離れないのでございます。
雄鶏は常時餌を横取りしようとしましたので、その都度私が雄鶏を追っ払っておりました。

 思えばロドリゴがゲストハウスに滞在した数日だけがこの雌鳥にとって安息日だったようです。
ニワトリの社会にもイジメが存在し、今もいじめられているかと思うと心が痛むのでございます。

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ロドリゴのそばを離れなくなったいじめられっこのニワトリ。ロドリゴはネパール語の勉強をしている

 こうして布教の5日目が過ぎたのでございます。

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(28.6.20) 子供は日本人にしろ!!  中国代理母出産の実態

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 私が宅配をしてもらっている毎日新聞は日頃は安倍政権に対する辛辣な報道と、翁長沖縄県知事にたいする愛くるしいまでの支援報道が売り物だ。
こうした報道に私はげんなりしているのだが、しかし一方で中国取材班による中国の暗部の摘発報道はなかなか読み応えがある。
中国取材班が力を入れて入るのは新宿歌舞伎町を舞台にした代理母出産ビジネスの実態を暴いたものだ。

 もともとは中国人の富裕層を相手に代理母を斡旋し始めたのが最初で、中国では認めらない代理母を日本では法的規制の対象外のため、実質的に代理母闇ビジネスが成立するところに目をつけられている。
日本、代理母、大丈夫ね、何も怖くない。代理母ないことになっているから当然法律の規制もないね。1500万円出せば日本の優秀な医者がやみで見てくれるよ。代理母はいくらでもいるよ。若い中国人の女が良ければ歌舞伎町にはいくらでもいるよ

注)代理母の実態の詳細は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/pppppp-1.html

 当初は子供が産めない中国人富裕層が主要な顧客だったが、口コミで日本で代理母が可能だと知ると中央政府や地方政府の権力者までがこのビジネスに目をつけた。
習近平のトラ退治で、わが一族がいつ習近平の餌食になるか分からない。我々一族は江沢民派と見られているから、査察部隊が入ってくるのは時間の問題だ。日本で生まれた子供に日本国籍をとらせ、そこに我が一族の資金を移しておこう

 日本国籍を取得する方法は中国人の代理母と日本のヤクザが偽装結婚して子供に日本国籍をとらせる方法で、晴れて子供は日本人になるので日本の金融機関に口座を開設できる。そこに中国から闇で持ちだした資金を集積しておく。
中国の摘発部隊がこの口座に気が付いても日本人の口座だから対応策がない。

 中国では個人一人当たり年間に海外送金できる額は5万ドル(約500万円 建前上は明確な送金理由が必要)までだが、一族のメンバーを上げて5万ドルずつ送金すれば20人で10億円の送金が可能だ。歌舞伎町の代理母で産ませた子供の口座には20億円が振り込まれていた。
他に地下銀行を利用する方法もあり、「金の持ち出しはいくら規制してもだめね、地下銀行で中国国内から香港に10%手数料でいくらでも送金できるよ、10%高いかって、そりゃこっちも見つかれば銃殺だから高いのは当然ね、それでも顧客は後をたたないよ
送金業者の弁だ。
一旦香港に持ち出せばあとはどこにでも自由に送金できる。

 歌舞伎町での代理母出産は毎日新聞が現在86件確認しているが、これは闇の中の一部に過ぎないから相当多くの中国人が日本に逃亡先確保のための日本人作りを行っていると見ていいだろう。
中国では法律はあってないようなものだから自らの財産を守るのは自身の才覚で守る以外に方法はない。

 カナダやオーストラリアやポルトガルと言った国が5000万円程度の資産の持ち込みを条件に永住権を与える政策をとっているが、その主要な取得者は中国人で中国人にとって中国は安住の土地ではない。
中国では地位は汚職のためにあるから、共産党の地位さえあればいくらでも金は稼げるが、それを中国国内に持っていれば汚職キャンペーンで習近平氏に全財産を没収される可能性がある。
江沢民派に属していればまず確実にパージされるから、その前に中国から逃げなければ未来はない。

 中国人が子供に日本国籍を取得させたり、都内のマンションを購入したり、また北海道のニセコ周辺の別荘地を購入するのは、投資というよりは自身の資産の保全をはかっているからで、国家戦略に基づくものではない。
中国とは砂上の楼閣でこうして国家の基礎が頭の黒いシロアリに食いつくされているのだ。

 

 

 

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(28.6.19) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その4」

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(24.9.5) ロドリゴ ネパール日誌 その4 「スコーラでの授業」

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スコーラの朝礼。校庭は斜面になっていた。横長の建物は寄宿舎。生徒は300人ぐらいいた

 ネパールの学区制はジャポンのそれとは異なり、小学校5年、中学3年、高校2年計10年であり、大学に進むにはさらに2年の予科に通う必要があるのでございます。

 ここディリチョール村にあるスコーラ小中高のいわば一貫教育のようなスコーラで、この近在のスコーラとしては最高学府と位置づけられておりました。
住居が遠すぎて通うことができない高校生は学校の敷地内にある寮で生活しており、とても知的な雰囲気のあるスコーラでございました。

注)もともとここの校舎はジャポンの篤志家が200万円の寄付で建設したものを、クナーカ大主教様がその後の援助の継続を引き受けたものでございます。

 われわれ布教団はこのスコーラでジャポンの先端知識を披露して、あわせて布教活動の一助にするつもりであり、クナーカ大主教様は高性能の天体望遠鏡をわざわざジャポンより運んで寄付し、天体観測の授業を行う予定でございました。

注)あいにくネパールは雨季のため晴天に恵まれず天体観測は実施できませんでした。

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(マリヤ様の盆踊りの授業で生徒が踊っている

 一員のツキージ様は絵画の専門家ではございますが、その他に楽器を自在に操り歌がとても上手でしたので、スコーラの生徒に英語の歌を2曲指導なされていました。
またマリヤ様は日本語学の専門家ではありますが、今回はジャポンの誇る盆踊りの指導をなさって、多くのネパールの生徒がすっかり盆踊りのファンになってしまったのでございます。

 私ロドリゴエコノミカの担当で、ネパール経済と世界経済について話すことになっており、高校生のエコノミカ専攻の生徒約50名を相手に話し始めました。
ところが信じられないことに生徒は、GDPリーマン・ショックヨーロッパ危機も、またネパール経済が毎年赤字であり、その穴埋めは海外からの出稼ぎ者の送金とジャポンをはじめとする各国の資金援助で成り立っていることも一切知らなかったのでございます。

 話を進めていくうちにどうやらネパールのスコーラにおけるエコノミカとは、ジャポンでいう職業科の授業農業生産の仕方や、家屋の建設の仕方(ネパールでは石をレンガ状に割って積み上げ、間に粘土をつめるだけで家を建設できる)であることに気付きました。
ある生徒に「なぜエコノミカを学ぶか」と聞きましたところ「数学より易しいからだ」と答えたのには笑ってしまいましたが、大学に進む生徒は数学を、高校を出て就職する生徒はエコノミカを学ぶようでございました。

注)なお授業はジャポン語で行い、それを通訳のフッド君がネパール語に翻訳してくれました

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後ろがスコーラの校舎。電灯はなく黒板は古くなってしまったのでマジックボードを使用していた

 生徒は私の話をとても真剣に聞いてくれたのですが、ジャポンにおいてはこうした真剣さはとても期待できそうにありません。
ここの生徒は外部の情報をほとんど知らないゆえに、知識に飢えており何か明治時期のジャポンの学生が持っていた向学心のようなものをネパールの学生はもっていたのでございます。

 また生徒は身体に脂肪がついているような人は一人もおらず、とても体型がスリムでジャポンでいえば体育系の生徒のような体つきをしておりました。
そして女性は概して美しいのですが、信じられないことにネパールの女性は二十歳ごろを境に急速に年をとり、その後はほとんどの女性が干からびた山姥のような形相になるのでございます。
この変化の激しさはジャポンの女性を見慣れていたロドリゴにとってほとんど驚嘆と言っていいほどの驚きでございました。

 おそらく原因は紫外線の影響で肌が浅黒くなることと、かつ女性は農作業の重労働に明け暮れるため一様にやせてしわ深くなり、老衰してしまうのだと思われました。

 こうして布教の4日目が過ぎたのでございます

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(28.6.18) 舛添氏への集団リンチ 傲る平氏の末路

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 「傲る平氏は久しからず」というが、あまりのおごりに辟易した権力中枢部から舛添氏はパージされたのだと私は思っている。
私が舛添氏の傲慢さにびっくりしたのは丁度1年前の新国立競技場建設ですったもんだしていたときのことだ。
当初の予定が1300億だったのが、あれよあれよという間に3000億に膨らみ、それを文部科学省は約1600億円に抑え込んでゼネコンに発注しようとしていたころのことだ。

 文部科学省から約500億円の分担金を提示されて舛添氏は激怒した。
俺に全くの相談もなしに500億の分担とは文部科学省はどういう了見なのだ。依頼するなら大臣が手をついてお願いするのが当たり前だろう
文部科学省としては石原氏、猪瀬氏時代からの約束事なのでまさか舛添氏が尻をまくるとは思わなかったのでテンヤワンヤの大騒ぎになってしまった。

注)この間の経緯の詳細は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/qq-e851.html

 舛添氏は「都民に説明できないような費用は一銭たりとも出せない」と正論をはいたが、自身の外遊費に2億5千万円の費用を計上し、趣味の美術館巡りをしていたことは全く都民に説明するつもりはなかったから、簡単に言えば「森元総理や文部科学大臣が直接俺に手をつかない限り金をださない」と言っていただけで、権力に酔っていただけだ。
結局新国立競技場の建設問題は安倍首相が乗り出して約1500億で決着をしたが、この時の舛添氏の横暴に権力中枢部がある決心をしたようだ。
舛添をパージしよう。このまま都知事を続けさせるとどこまでずに乗るか分からない

 舛添氏に関するネガティブキャンペーンが文春や新潮といった週刊誌を通じて今年になって一斉に始まったが、こうしたキャンペーンが自然発生的に起こることはほとんどなく、必ず黒幕がいて意図的に情報をリークしている。
当初は舛添氏が5000万円もかけて外遊をしているが、それは他の府県の知事に比較してあまりにも高額だというものだった。
そのうち湯河原の別荘に毎週帰宅する時に公用車を使用しているが、必ずしも公用ではないはずだというキャンペーンにかわり、さらに舛添氏の女性関係が週刊誌に掲載され始めた。

 このあたりから私は「これはどうもおかしい。舛添氏を意図的にパージしようとしている勢力がある」と気がついた。
さらに舛添氏が参議院議員だったころに千葉の木更津で家族旅行をしておりその費用は政党助成金を使用していたと文春等が報じたが、こうした裏ネタはリークがなくては分かるものではない(文春は特別調査チームを作ってこのネタを探り当てたと報じているが、そのまま信じることは難しい)。
舛添氏が政党助成金の使用にあたってルーズであることは、総務省への報告等ですでに権力の中枢は知っていたが、舛添氏が森元総理等をコケにしてずに乗らなければ不問に付す内容だったろう。

 考えても見てほしい。家族旅行の費用を会社の費用にするのは中小企業の経営者なら誰でも行っており、あらゆる費用を経費で落とすのが有能な中小企業のオーナーと思われている。またサラリーマンでもタクシーチケットを私的に使用することはよくあることだ。
だから舛添氏がセコクそうしたことを行っていたとしても、特に舛添氏が悪質だとまではいえない。
また舛添氏が弁護士に経費の使用を精査させ言わしめたように、「使用にあたっては違法とまではいえない」と言うのが結論だ。
実際政治資金規正法はその使用についてはほとんど規定がないのも同然で、政治活動であればなんでもいいというのが実態だ。
だから舛添氏は「家族旅行も政治家としての慰安のために必要だった」と言い張ることも可能だし、「クレヨンしんちゃんは児童の情操のあり方を研究するために必要」だと言い張ることもできる。

 簡単に言えば舛添氏は法的には違法性がないのに知事を辞めさせられており、よってたかって引きづりおろされたというのが実態だ。
ではなぜ舛添氏は権力の絶頂から地獄に落ちたかというと「傲る平氏」で権力中枢をないがしろにして憚らなかったからだと思う。
やはり舛添氏の引きづりおろし方は異常で集団リンチのようなところがあったが、もとはといえば新国立競技場建設騒動時の傲慢すぎる態度が原因だと思っている。
文春や新潮が特定の政治家を攻撃する場合は、なにか奥に黒い影があると思った方がいい。

 

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(28.6.17) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その3」

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(24.9.3) ロドリゴ ネパール日誌 その3 「ディリチョール村へ」

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カトマンドゥからネパールガンジーに飛びさらにジュムラに飛ぶ)

 おそらくジャポンの人々はネパールの地理についてまったくご存じないのではないでしょうか。私ロドリゴも今回の布教の旅に出るまではカトマンドゥがネパールの首都だとは知っていてもそこがどこにあるのかさえ知りませんでした。

 ネパールはヒマラヤ山脈の主稜を境にして南側に位置する国で北側は中国領のチベットになっております。インドから吹き上げる湿潤な空気がヒマラヤに当たって多くの雨を降らせるため4千メートル程度の高度まで植物が生い茂り、とてもジャポンとは異なった風土になっておりました。

 もともとはインドの一部のような場所で釈迦の生誕地ルンビニは現在ネパールの領土になっております。
熱帯地方の暑さとマラリアに耐えかねたインド人が山奥に逃げてきたり、タイやビルマからも何らかの理由で故郷を捨てたり、一方チベットから政治的宗教的理由でヒマラヤを越えたりしてできた多民族国家がネパールでございます。
何か規模の小さなアメリゴのような国だと言えばイメージがわくでしょうか。

 私たち布教団が訪れるディリチョール村はネパールの西部の山奥にあり、ネパール西部は秘境といわれるネパールでも最も秘境だといわれる場所でございます。
通常のバテレンが訪れるのは国土の真ん中よりやや東に位置している首都のカトマンドゥとその東北に位置する世界最高峰のエベレスト周辺、それとカトマンドゥの西約100kmにある観光都市ポカラ、そしてそこからのアンナプルナ・トレッキングルートに集中しており、それ以外の場所でバテレンの人影を見ることはまず皆無なのでございました。

 われわれ布教団はカトマンドゥからインドとの境のネパール・ガンジーを経由してジュムラという寒村に飛行機で飛び、そこから約15kmの山道をポーターに荷物を担いでもらってディリチョール村に入ることになっておりました。
ディリチョール村までの道はちょうどジャポンの林道のような無舗装の道でございましたが、クナーカ大主教様のお話では「3年前まではこの道はなく、山道しかなかった」そうでございます。

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(左側の川に沿って遡る

 道はところどころで土砂崩れで埋まっているため人かロバでの通行しかできなくなっており、たまに見かけるオートバイ以外は文明と称する乗り物は皆無でございました。
8月はネパールでは雨季にあたり午前中は晴れているのですが午後は必ず雨になると言う気候状態で、いたるところで道路わきから水が流れ落ちておりました。

 ジュムラの村をポーターとともに発ったのが午後3時近くでした。ガンジス川の支流のカルナリ川のさらに支流を遡っていくのですが、この川はジャポンの上高地にある梓川と同様な水量のとても豊富な激流でございました。
そしてこの川の上流には上高地と同様のかなり広い平坦地があり、そこにディリチョール村をはじめ多くの村落が点在しているのでございます。

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3年前に開削された道路。それまでは登山道のような細い道だけが通じていた

 クナーカ大主教様は登山が趣味とあってとても健脚であり、その後を忍者走りの修行を積んだマリア様と私ロドリゴが追うという展開で、その他の方はかなり後方から遅れてついてこられました。

 4時間程度ディリチョール村に入ったのですが、雨足が激しく道は泥濘と化しておりところどころ水没していたため歩行はきわめて難渋をいたしました。
クナーカ様は私たちが泊まるディリチョール村のゲストハウスを当然ご存知だったのですが、あまりに激しい風雨に気をとられゲストハウスへの入り口を見失ってしまわれました。

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(川にはこうした木でできた橋が架かっている

 日が暮れる頃ようやく間違いに気がついて引き返したのでございますが、あう村人に「ゲストハウス、ゲストハウス」と尋ねてようやくたどり着いたときは日がとっぷりと暮れ、さらに後続部隊もなかなか到着せずとても気をもんだものでございます。

 この村には電気がなくあたりは闇夜と化しており、しばらくして後続部隊が到着しても私たちの荷物を運んでいるポーターの若者たちはなかなか到着しませんでした。
ようやく驟雨のなかを若者が到着したのは夜の8時ごろで全員ぬれねずみのような状態でございました。
いやはや村に来るのにも命がけだな・・・」と言うのがその時のロドリゴの実感でございました。

 こうして布教の3日目が過ぎたのでございます。

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(28.6.16) 独裁国家中国の誤算 なぜ世界の鉄道投資が次々に破綻するんだ!! インドネシアの事例研究

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 おそらくこれ以上興味深い研究は見つけることは難しそうだ。
中国が行ってきた海外投資、その中でも鉄道投資が次々に破綻し始めたが、その破綻の研究のことだ。

 ベネズエラとの間で取り交わした400kmの高速鉄道は75億ドル約8000億円)の費用をかえて、2012年には開通するはずだったが、いまやさび付いた鉄路が残されているだけだ。
タイとの間で取り交わされたバンコックを起点とする5線の建設では中国からの借款によって費用を賄う予定だったが、ここに来てタイが断った。
金は要りません。その代わりタイが主体的に建設を行います
アメリカのロスとラスベガスを結ぶ高速鉄道の建設は中国とアメリカのエクスプレス・ウエスト社が合弁で行う予定だったが、ウエスト社が合弁を解消した。
連邦政府が車両の建造はアメリカ国内の会社で行うように指示してきたが、それでは中国国内で作るような安価な車両は作れない・・・・・・

 そしてついに真打の登場だが昨年日本を蹴落として受注に成功したインドネシア・ジャワ島の高速鉄道について暗雲が漂っている。
この2月に正式契約を結ぶ予定がご破算になったのは中国が中国語以外の契約書を用意していなかったからだ。
いくら何でも中国語だけではインドネシア人は内容を把握できません。インドネシア語と英語の契約書を用意してください
それにインドネシアは中国と異なり地震国でこれは日本と同様です。地震対策を日本並みの水準で実施してください
契約書の件はともかく地震対策については中国はほとんど経験がない。中国では地震はほとんどなく、特に高速鉄道が通っている場所での地震対策など施した経験がない。
いったいどうすればいいんだ。また日本から技術を盗まなければならないじゃないか・・・・」

注)インドネシアが日本をけって中国の新幹線を導入した経緯は以下参照http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47319618/index.html


 さらにここに来てついに中国が最も恐れていたことが発生し始めた。用地買収が遅々として進まないのだ。インドネシアでは中国や他の独裁国家と異なり選挙が実施され、大統領といえども民心を無視するわけにはいかない。
特に現在のジョコ政権は完全なポピュリズム政権だから国民の人気だけで持っている政権だ。
中国が「軍隊や警察を派遣して用地買収に抵抗する不満分子を建設予定地から追い出せ」とせっついてもそれはできない相談だ。
中国さん、ここは中国でなくインドネシアです。住民が反対すれば話し合いで解決するしか方法はありません

 話し合いとは用地の買収価格引き上げのことだが、土地所有者と鉄道建設会社(中国との合弁だが実際は中国の会社)の間の価格の相違額は会社の提案は、㎡あたり1000円で一方住民の希望価格は10000円と約10倍程度離れていてとても収拾できない。
10倍も土地収用に費用がかかっては当初の建設予定価格がどこまで跳ね上がるか分からないじゃないか。なぜインドネシア政府は中国で行うように反対者を蹴散らして投獄しないのだ!! それが世界の常識だろう!!」

 中国は自国と独裁国家で行ってきた土地収用方式がここインドネシアでも適用できると思っていたが、とんだ誤算になってきた。
まずい、これでは当初約束の2019年の開通など夢のまた夢になってしまうし、費用も7200億では収まりそうもない!!!」
中国はインドネシア政府に対し費用増加部分についてはインドネシア政府の保証をしてほしいと迫ったが、インドネシア政府からはけんもほろろに拒絶された。
中国さん、当初からお宅はインドネシア政府の保証はいらないといっていたはずです。だから日本ではなく中国を選びました。ここに来て保障の話は受け入れられません。費用の増大分は中国さん、あなたが全額支出してください

 中国にとっては思わぬ誤算だ。住民の反対はインドネシア政府が強権で抑えてくれるものと期待したが、実際は中国が金を積んで住民を説得しなければならなくなった。しばらく前までだったら中国はうなるほど金があったが、今やその金は潮をが引いたように中国から逃げ出している。もはや自由に支出できるような余裕はない。
いったいどうしたらいいんだ。インドネシア人は中国人と見ると金持ちだと思って吹っかけてくる。だがわが国には余裕資金などどこにもないのだ。なぜインドネシア政府は不満分子を銃殺しないのだ・・・・・・・

 今や中国の海外での鉄道投資は問題が山積みだ。次から次に失敗して不良債権の山を築きつつある。
ここインドネシアでも鉄道投資は失敗するだろう。その経緯を逐一追っていくと、独裁国家中国が鉄道投資という世界戦略で失敗し衰亡していく経緯が明確に分かる。
だからこの研究は興味が尽きないのだ。

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(28.6.15) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その2」


病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(24.9.1) ロドリゴ ネパール日誌 その2

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(カトマンドゥの市内。狭い通りに人と乗り物がひしめいている

 この日(8月20日)はタイのバンコックからネパールの首都カトマンドゥに入りました。時間にして約3時間の旅でしたが、ジャポンとの時差は3時間15分でだんだんと夜が遅くなっていく感じでした。
しかしこの程度の時差は身体には負担にならないようでございました。

 カトマンドゥ国際空港は近代的な建物に改修されておりましたが、かつてはジャポンのJRにあった田舎の駅舎の感じだったとクナーカ大主教様が説明してくださいました(ほぼ40年ほど前にクナーカ様はネパールに探検旅行されておられます)。
20年ほど前までこの飛行場は魔の飛行場と呼ばれ、気流が難しくかつレーダーがなかったため旅客機が次々と墜落しておりました。
困ったネパール政府はジャポン政府に対しレーダー網の整備の要請があったそうでございます。

 その後、ジャポンの政府開発援助でレーダー網の整備飛行場の整備が行われ、今では通常の国際空港になりましたがバンコックシンガポール成田の飛行場に比較しますと、まだ一段も二段も遅れた感じがするのはやむないことだと思われました。

 こうして飛行場はそれなりの整備がされていたものの、飛行場からカトマンドゥの市内に通じる道路は未整備のままで、たった6kmの距離を行くのに40分程度かかると言う大混雑で、「これなら足で走ったほうが速そうだ」と言うのが旅行者全員の一致した意見でございました。

 飛行場を出てしばらくは広い道路なのでございますが、市内はまったくの中世の街並みで道路の幅は自動車がやっとのことで通れる程度でございます。
そこに人とオートバイと軽自動車と人力車が互いにひしめき合い、互いに警笛を鳴らして競争で道を奪い合うものですので、落ち落ち道を歩いているわけにはまいらないのでございます。

 ロドリゴがジャポンで住んでいるおゆみ野は広い遊歩道がありそこには自動車は一切入れず(作業用の車は特別許可を得て入っております)、また通常の道でも自動車が警笛を鳴らすことはまずないのですが、ここカトマンドゥは自動車とバイクは常時警笛を鳴らし続けなければ動けないので実にやかましいほどの蝉噪でございます。

 この日一日はカトマンドゥで一泊することになっていたため、午後から市内見物に出かけたのですが、中世の街並みに現代が無理に押し込められたような街で、市内には人人が溢れかえっておりました。
カトマンドゥ公表70万人の街ですがとてもその程度の人口の街とは思われず、住民登録をしている人以外の出稼ぎ者で溢れかえっているムンムンするような街並みでございました。

 また意外にも孤児が道路に溢れていて、特に外国人が買い物をする店の前に陣取り、食べ物をねだっておりました。
前にはこんなことはなかったのだが」ネパールに何回か訪問しているクナーカ様の友人がしみじみと申しておりましたが、豊かになるにつれ貧富の差が出てきたのでございましょう。

注)ネパールには近代的な意味での職場が少なく田舎から溢れた農民が首都に集まり、そこでも食べていけない人は海外に職を求めて出稼ぎに出て行くような構造になっております。

 ネパールの人々のほとんどはヒンドゥー教徒多神教であり、シバ神などをあがめておりましたのでクナーカ大主教様は「邪教である」と大変ご不満のようでございましたが、私ロドリゴには何かユーモラスな神々に見えたのでございます。

 
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ダルバール広場。ここだけ車が入ってこない。もし旧市街全体が歩行者天国だったらこれほどすばらしい観光スポットはないのだが・・・・

 カトマンドゥの観光スポットの一つがダルバール広場でここに旧王宮ヒンドゥ寺院が立ち並びここだけが自動車やオートバイが入れないようにしてありましたので警笛で追い回されることはありませんでした。
しかしこの広場に入るには外国人には通行税が科せられ、中世の関所となんら変わりがないことに驚いたものでございます。

注)ジャポンでも戦国末期までは関所は通行税を取るための場所で、大名や寺社が勝手に通行税を取り立てたため、商取引に支障が出ておりました。

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ヒンドゥのシバ神。日本の仁王様

 ロドリゴにとってはこのカトマンドゥはあまりにやかましい街並みでしたので疲れが全身を覆うような感じで、はっきりいえば好きになれませんでした。
早くこの街を離れて秘境といわれるディリチョール村に行きたいものだ」そう心から思ったものでございます。

 こうしてネパールの布教の旅の二日目が過ぎたのでございます

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(28.6.14) もう財務省や日銀には協力せん!! 三菱UFJの反乱

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 どうやら三菱UFJ銀行は国債の購入に嫌気がさしてきたらしい。
現在財務省は借り換えを含めると毎年150兆円規模の国債を発行している。そしてこの国債の販売をスムーズに行う仕組みとして国債入札特別資格制度があり、平成16年から運用が始まり日本の大手金融機関や証券会社それに外国証券等22社が参加している。

 この資格があれば優先的に国債の購入ができるが、一方で発行額の4%を下回らない国債購入をしなければならない。
金融機関にとってのメリットは、国債が高利回りで販売されていた時期はプレミアム国債が購入できるのだから黙っていても収益が上げられる構造になっていた。
しかし時代が変わり黒田日銀が異次元緩和と称して毎年80兆円規模で市場に資金を投入し始めると、すっかり国債の利回りは低下して現在ではマイナス金利になってしまった。

 金融機関の立場からいうと財務省からお仕着せで国債購入を迫られ、購入したとたんに含み損が発生することになる。毎回損失が発生することにとうとう三菱UFJが切れてしまった。
もう我慢ならん。購入すればするほど購入者が金利を支払わなくてはならない馬鹿な商品があっていいものか。特別資格を返上して経営に支障がない範囲内で国債購入をすることにしよう

 現在日本国債が順調に販売できている根幹的仕組みがこの国債入札特別資格制度で財務省としては何の苦労もせずに発行額の約9割程度は完売できる。
日本国債の約9割が日本の金融機関や証券会社が購入しているという本当の理由はこの制度のおかげだ。
その制度に風穴があきかねない三菱UFJの反乱に財務省と日銀が腰を抜かした。
あんた、日本を代表する金融機関ともあろうものが、日本経済安定のかなめといえる国債消化に支障が発生する態度をとっていいのかね。ほかの金融機関が追随して国債が売れなくなったらどうするの!!」

 現在の国債発行には国債入札資格制度以外にもう一つの安全装置が働いていて、それは金融機関が購入した国債のほとんどを即日銀が買い取る仕組みがあることだ
日銀の異次元緩和80兆円がこれで、毎年日銀は80兆円規模の国債を市場で購入しその残高が全量の約3割、300兆円を越えてきた。
金融機関はかつては7割程度のシェアだったが現在は5割程度で金融機関の減少部分を日銀が懸命に買い支えている。
三菱さん、あんた国債の購入が嫌だなんて言っているが、購入したらすぐさま日銀におしつけているじゃないか。確かに日銀へ販売すると損失を出しているがたいした金額じゃないのだから、大人の判断で協力してくれなきゃ!!」
いやいや財務省さん、今までもずいぶん協力してきましたが、最初から損失が出ることが明白な国債をこのまま購入し続けると株主に対して説明できません。ですから今後は4%枠の制限を取り払った範囲での協力にさせていただきます

 今や世界中が不況に突入してきて金融機関の経営環境は日増しに悪化している。そんな時に日本国への協力と称して常にマイナス金利の国債を購入し続けるには限界がある。
とうとう金融機関が日本国債のマイナス金利政策に異議を唱えたのだ。
マイナス金利政策を続けるなら金融機関は政府に協力しない!!!」

 黒田日銀としては思わぬ身内の反乱に蒼白なった。
マイナス金利政策を継続したいが三菱が反対している。一体どうすればいいんだ・・・・・・
金融政策の幅が段々と狭められ黒田日銀のバズーカはすっかり湿ってしまった。

 

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(28.6.13) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その1」

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(24.8.31) ロドリゴ ネパール日誌 その1 

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(タイ国際空港の展示品

 ロドリゴが明徳学園の大主教クナーカ様からネパールの秘境、ディリチョール村への布教の同伴を命じられてジャポンを出立したのはキリスト暦8月19日のことでございました。

 今回の布教にはクナーカ大主教様他、明徳学園で日本語学を研究されているマリア様、日本の風俗を絵画にして遠くエスパニアに報告をしているツキージ様やその弟子2名、クナーカ大主教様の友人2名、それと私ロドリゴ8名のメンバーでございました。
出立に先立ちクナーカ大主教様からは、「ロドリゴは特にネパールの経済を研究してその可能性を検討し、合わせて布教活動の有無について報告を纏めるよう」に指示があったのでございます。

 ジャポンからネパールに向かうには直行便がなく、一旦タイ航空でタイのバンコックによって、そこから再びタイ航空の飛行機でネパールの首都カトマンドゥに向かうことになりました。
ジャポンには成田に国際空港があるのでございますが世界の潮流からははるかに遅れたローカル空港になってしまい、ハブ空港としての機能がなく、ネパールに直接乗りつける便はタイや韓国や中国に一旦出向かなければならないのでございます。

 この日の成田は昼ごろの出立でしたのでバンコックには夕刻到着いたしました。
そのためこの日はバンコックで一日宿泊することになりました。
思えばロドリゴがバンコックの布教に出向いたのは今から20年ほど前でしたが、その頃に比べるとバンコックの街並みは一変しておりました。
特に著しい変化は飛行場と街の中心を結ぶモノレールが開通していたことと、街中に東西を結ぶ鉄道網が敷かれ、ジャポンと同様なサラリーマンのラッシュアワーに遭遇したことでございます。

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モノレールと鉄道の乗換駅からバンコク市内を見る。写真を写しているのはマリア様

 かつて中古のバスと中古のタクシー、オートバイおよび人力車だけだった街がいつの間にか近代的な大都市に変貌した様は、この20年がタイ国の大発展期だったことをものがたっております。
バンコックでの食事はタイ料理を食しましたが相変わらずのスパイスの効いた料理に昔のタイを思い起こしました。

 ロドリゴが布教活動をしていた頃は1食50円程度の食事と、一泊200円程度の安宿に泊まっておりましたが、今回の宿泊場所も食事代もほぼジャポンの半額程度になっており、この間の物価上昇に驚いたものでございます。

 タイの発展には驚きでしたが、ロドリゴはそれよりも明日からのネパールでの布教活動のことが頭を離れませんでした。
なにしろ今回赴くディリチョール村は秘境といわれているネパールの中でもさらに秘境で、クナーカ大主教様が始めて布教に成功した5年前からでも、年に1回この村を訪れるのがやっとと言う状況だったからでございます。

ロドリゴよ、お前はこの村に留まり主の教えを村人にひろめるのじゃぞ
大主教様からは内々にそのように申し渡されておりましたが、果たして主の教えを村人に広めることができるか、ロドリゴには不安だったのでございます。

 こうしてネパールへの布教のための第一日目が終りました。

なお、ネパールへの布教のたびをするようになった詳細の経緯は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/2464-b9c7.html

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(28.6.12) EU崩壊の足音 イギリスがEUから離脱すれば中世が始まる

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 何度も同じことを言って恐縮だが、世界が新しい中世に向かってさらにもう一歩踏み出しそうな形勢になってきた。
この6月23日に行われるイギリスのEU残留を問う国民投票で離脱派の支持が拡大しているからだ。
当初キャメロン首相は非常に楽観的だった。
うるさい独立派を抑えるには国民投票が一番だ。スコットランドのイギリスからの離脱も住民投票で見事抑えてやった。今度はEU離脱派の退治だ

 しかしここに来て自らの思わぬ不覚によってキャメロン首相の評判はガタ落ちになってしまった。パナマ文書に亡父の名前があり、キャメロン首相が税金逃れに使っていたことが判明したからだ。
イギリス版の舛添現象と思えばいい。
あの薄汚くせこいキャメロン首相のいうEU残留なんてまっぴらだ!!」と思うイギリス国民が増加し、世論調査では離脱派が残留派を上回り始めた。

注)キャメロン首相とパナマ文書の関係は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/ppppp-3.html

 あわてたキャメロン首相は国民投票の登録者受付を2日間延長して、相対的に残留支持が多い若者の登録を増やそうとした(若者はEU残留支持者が多い)。
またテレビ等で盛んに残留支持を訴えているが、独立派のファラージュ党首も負けずに離脱支持を訴えているのでキャメロン首相の努力も今一つ実っていない。

 なぜここに来て独立派が支持を得ているのかというとEU内の最貧国からのイギリスへの移民が15年度33万人あまりにのぼったが、こうした移民に対する社会保障費はイギリス国民と同等にするのがEU内の規定のため、移民の社会保障費が激増しているからだ。
イギリスはイギリス人のものではないのか。それが今ではポーランド人やルーマニア人のものになっている。彼らは安い賃金で働くのでおれたちの職場がなくなり、さらにあいつらは社会保険や医療費をふんだんに得ている。もう我慢ならない!!」

 キャメロン首相もその点は心得ていてこの2月のEUとの交渉では移民に対する社会保障費はイギリス人と同等でなくてよいとの約束をEUと取り付けたが、その程度では反対派の怒りは収まらない。
資本家にとっては安い労働力は魅力だろう。だが俺たち労働者はどうなる。ただひたすら貧しくなって行くだけではないのか。EUに加盟して良いことなど何もなかった・・・・・」

  EUの拡大はドイツの産業に莫大な利益をもたらしたがそれ以外の国の恩恵は少ない。個個人レベルで言えばイギリスやフランスの労働者が貧しくなり、ポーランドやルーマニアの労働者が豊かになっただけだ。
今EU拡大というグローバリズムの時代が終わり、各国は再び国民国家に収束し、さらにその国民国家も地方国家に収束しようとしている。
全体のために地方が犠牲になることがもはや我慢できないのだ
アメリカではトランプ氏が「世界のことなど知らん。アメリカ国民のためにだけ働く」と公言しているし、イギリスは離脱派が勝利すれば「イギリスはイギリス人だけのものだ」となるだろう。
日本でも沖縄では「日本の犠牲に沖縄人がなるのは嫌だ」と言っている。
沖縄左翼が住民投票を実施すれば沖縄独立派が勝利するだろう。

 こうして21世紀の世界は今急速に中世という地域国家に収束しようとしている。

 

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(28.6.11) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その16」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(22.9.26) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その16  最終回

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(帰りの車窓から撮る

 今回の蝦夷地探訪においてロドリゴがしみじみ感じましたのは、日本国の将来と言うことでございます。
この蝦夷地は間違いなく日本国の将来を指し示しているようにロドリゴには思えたのでございます。

 現在日本国は人口低下に悩まされ、老人の比率が高くなり、経済成長は止まって、残されたものは公共工事による道路や橋や港や空港の建設だけになっております。
そしてそれを最も特徴的にあらわしているのが紛れもなく蝦夷地でございました。

 札幌のような一部の都邑を除いて、あらゆる都邑や集落から人が消え、小中学校が次々に閉鎖され、集落で子供の影を見ることがほとんどまれでございました。

 農村地帯に参りますと数軒に1軒の割りで、放棄された農家とサイロがむなしく建っており、ほとんどの場合が雪の重みで半分つぶれておりました。
漁村地帯は農村地帯に比べるとはるかにマシで、昆布漁のおかげで家々は新築されておりましたが、ここも人口低下に悩まされているのは同様でございました。

 一方で道路や公園や港湾と言った公共設備はこれ以上はないというほどに整備され、社会資本の充実には驚かされましたが、残念なことにそれを使用する和人やアイヌはほとんどいないと言う状況でございました。

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 この人口減と公共設備のアンマッチほど蝦夷地を特徴付けているものはございません。
これは幕府が景気対策として公共工事ばかりに予算を配布した結果で、なにか古代ローマの遺跡群を見ているような感覚に襲われたものでございます。

 そして近い将来蝦夷地ばかりでなく日本国のほとんどもこのような状況になるのは明白でございます。

 こうした状況対処する方法は果たしてあるのでしょうか。
一つの方法は日本国を世界の裕福な人々に解放することではないかと思われました。
その理由は日本国は世界から見たら飛びぬけて生活するのに相応しい場所だからでございます。

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 故郷エスパニアにおいてもコスタ・デル・ソルというような風光明媚な避暑地を和人をはじめ多くの異国の民が別荘地として購入しておりましたが、蝦夷地や日本国ほど世界の別荘地として適したところはございません。

 風光明媚で気候風土が夏場を除けばマイルドで、かつ公共投資は古代ローマと同様に隅々まで行き渡り、医療も最先端、情報技術も一流で犯罪の少ない場所は、世界を見回しても日本国以外にないのです。

 ここは世界の金持ちにとって夢のような場所でございますので、多くの異国の民に居住してもらい、スイスのようなイメージの国家になるのが相応しいと思われます。

 政府を挙げてかつてオーストラリアがしていたような、お金持ちのシルバーの誘致を図るべきだと言うのがロドリゴの提案でございます。
それが過小人口と過剰な公共投資のアンマッチを埋める最適な方法のように思えるのでございます。


注)かつてオーストラリアでは日本円で5千万円以上の資産をオーストラリアの銀行に預金し、かつ仕事を求めなければ居住権が与えられておりました。
金持ち老人の優遇誘致策です。

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(28.6.10) エネルギー時代の終わり  「再生可能エネルギーだって必要ありません!!」 ドイツの転換

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 クリーンエネルギーの最先進国として自他ともに認めてきたドイツに息切れがしてきた。
来年以降に新規参入する再生可能エネルギーの買取価格は市場価格に近い価格で買い取ると表明したからだ。
ドイツの再生可能エネルギーの割合は現在約3分の1で、これを今世紀の半ばまでにすべて再生可能エネルギーにするという野心的なものだったが今その一角が崩れようとしている。

 従来からドイツは固定価格買取制度を導入し、個人であれ会社であれ、だれがこの分野に参入しても必ず利益が上がるように価格設定をしてきた。
買取資金はすべて電力料金に上乗せされる。
したがってこの制度で費用負担をするのは電力使用者だけのように見え、電力会社にとってはどうでもいいことのように思えるが、実際に運用してみると電力使用者だけでなく電力会社の負担は相当なものになってきた。

 たとえば風力発電などは北の北海に面した強風地帯に建設されるが、電力を使用するのは南の工場地帯だからそこまで送電線を敷設しなければならない。
送電線の建設は電力会社の責任だから、ちっぽけな風力発電設備ができるたびに莫大な金額で送電線網を敷設してきた。
一方で従来の火力発電所のシェアは再生可能エネルギー発電所ができるたびに下がってきてしまい、個々の火力発電所レベルで見ると損益分岐点がどんどん上がってしまう。

 それでも世界的にエネルギーがひっ迫して原油価格が100ドルを越えているころはドイツ人も楽観的だった。
そのうち原油価格は200ドル近くまで高騰するだろう。そうなれば再生可能エネルギーとさして変わらないコストになるのだから、このドイツのクリーンエネルギー政策は間違っていない

 ところが2014年夏頃から世界の経済情勢に劇的な変化が発生した。
それまで原油やLNGや鉱物資源を湯水のようにがぶ飲みしていた中国経済がピークを打ち「もうこれ以上原油を輸入しても貯蔵するタンクさえない!!」という状況になってしまった。
そうなると原油価格は劇的に低下し200ドルどころではなく一時は30ドルに値下がりしてしまった(現在は約50ドル)。
なんだい、これじゃドイツ人だけがバカ高い電力料金を支払って、一方日本やアメリカはウハウハじゃないか。これじゃ国際競争力もあったものではない・・・・・

 先進国はほとんど成長が止まった世界になり、新興国は中国を中心に総崩れで世界経済は完全に停滞している。
そうなるとエネルギー需要など増加するはずがなく、一方で省エネ技術は発達するので世界全体でエネルギーはありまるようになってきた。
あんた、エネルギーはもういらないのに固定価格で買い取るから、北海周辺にばかすか風力発電所ができてしまい、しかもその電力の需要者なんてどこにもいないよ。どうするの!!」
さすがのメルケル首相も悲鳴を上げだした。

 2014年夏を境に世界経済のゲームの仕方が変わった。それまでは供給者優位で資源会社などはこの世の春を謳歌していたが、いまや資源投資にまい進したプレーヤーは地獄を見ている。
日本の商社は毎年1兆円の評価損を出しているし、中国はこの数倍の規模の評価損を出している(ただし中国の会計には評価損を計上するシステムはない)。アメリカではシェール産業が次々に倒産し雇用情勢に暗雲がたなびいており、そしてドイツは不要な再生可能エネルギーの買い取りに悲鳴を上げている。

 このドイツの政策転換を機会に再生可能エネルギーの見直しが世界各地で進むだろう。
再生可能エネルギーであろうと化石燃料であろうともはや世界はエネルギーを必要としていない。
もうこれで十分です。経済成長が止まっているのに新たなエネルギー供給は必要ありません
世界が変わったのだ。

 

 

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(28.6.9) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その15」

 

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(22.9.25) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その15

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 歩み続ければ人間どこへでもたどり着くものでございます。
様似を出発してから早2週間、約400kmの道のりでございましたが今日(元禄3年8月21日)ようやく目的地の納沙布(ノサップ)岬に立つことができました。
ここからは北方4島が見渡されるのでございますが、特にエトロフ島は近藤重蔵様が最初にここが日本国の土地だと明記した碑を建てた場所でございます。
だからエトロフ島は日本国の固有の領土であると和人が申しておりました。

 根室から納沙布岬まで行ってひき返しますと約50km程度あり、1日の行程としてはやや長すぎましたので、行きはバスで、帰りを納沙布岬から歩くことにいたしました。

 納沙布岬ではちょうどノサップ岬マラソンが開催されておりまして、ロドリゴが岬に着いたときに開会式を行っていました。
この開会式の主賓は蝦夷地の鈴木大酋長で、「北方4島問題の解決を図るため、鳩山総理の代理としてロシアと交渉し、かなり前進が見られたが、菅内閣になってもとの木阿弥になってしまった。大変残念なことだ」という趣旨の話をしておりました。

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 鈴木大酋長はこの蝦夷地に公共工事という一大産業を樹立させた功労者で、おかげで蝦夷地は高速道路や一般道、空港や漁港の整備が格段に進み、それでも足りないと熊や狐のための道路まで作ったのでございます。
蝦夷地では多くの和人やアイヌから尊敬され、特に熊や狐は「鈴木大明神」という祠を作って参拝しておりました。
これは熊や狐のことまで忘れずに道路を作ってくれた感謝の気持ちだそうでございます。

 しかし分からないものでございます。幕閣は大酋長が道路や空港を作るたびにその資金の一部をピンはねしているのではないかと疑い、江戸表に引っ立ててご詮議あそばされました。
その結果、「ピンはねは明瞭」との御沙汰となり、大酋長は鈴が森で斬首の刑に処せられたたのでございます。

 鈴木大酋長の最後の言葉は「蝦夷地を愛するものが蝦夷地のために努力してなにが悪い」という言葉でしたが、ピンはねは熊や狐の食糧確保のための政治的行為だとの説明でございました。

 ここ納沙布岬からは北方4島がくっきりと見える展望塔があり、ロドリゴも見ようとしたのですが、信じられないことに見聞料が900両もするということで、見聞を諦めたしだいでございます。

 納沙布岬一帯はほとんど平らと言ってよく、牧草地と原生花園が広がっている何とものどかな場所でございました。
道路もほぼ直線で10km以上先まで見渡すことができ、とても気持ちの良い場所でございます。

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 こうして様似から始まって納沙布岬の先端まで約400kmの距離を歩くことができ、蝦夷地の見聞は格段に広がったのでございます。
当初は気づきませんでしたが、かつて近藤重蔵様が歩いたであろう道をたどることができ、ロドリゴはとても満足いたしました。

 明日はおゆみ野の地に戻ると思うととても気持ちが落ち着きました。明日の旅の準備をいそいそとして深い眠りについたのでございます。

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(28.6.7) 舛添君頑張る 「違法性はまったくない、おれは絶対潔白だ!!」

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 舛添東京都知事が猪瀬症候群に陥っている。猪瀬症候群とは前知事の猪瀬氏がかかった病気で、徳洲会からの政治献金を借入金だとしその説明責任を果たそうとして果たせず、ついに脂汗を流して辞職した病である。
だが舛添氏はたとえ目にクマを作ってパンダになろうともこの病気を克服して見せると意気軒昂だ。

 舛添氏は政治資金規正法が主として献金の授受に関しての規定で、その使用法については特段の記載がないことから、天才的な利用法を思いついた。
よっしゃこれなら何に使っても法的に違法性はない。これは政治学者の良心に誓って言える

 舛添氏は政治家になる前は超うれっこの政治学者で、政治資金規正法に精通しておりその適用についてはザル法であることを早くから見ぬいていた。
俺が政治家になったら家族のための家族旅行を木更津方面にしよう。今まで尽くしてくれた家族への恩返しだ。誕生日パーティーもど派手でいこう。それに図書としてクレヨンしんちゃんも子供に買ってあげなくては・・・・
舛添氏は政治学者の良心として政治資金の私的利用を虎視眈々と狙っていた。
政治家になれば金はいくらでも手に入る。湯水のように政治資金を使おう・・・・・

 舛添氏はその鋭い言説と「政治家というものは私利私欲を離れて公のために尽くす気持ちがなければ、政治家になるべきでない」などと真面目な中学生や高校生が聞いたら涙を流しそうなセリフをはいていたので、都知事になる前のイメージは超クリーンな政治家だった。
しかしこうした言説は立派な政治家が都知事に立候補されては舛添氏が都知事になれないため、煙幕を張ったものだ。
方便じゃ、方便じゃ!!」

 舛添氏は政治家になるとさっそく政治資金で趣味の美術品を100件、約300万円購入した。
これは外国からの賓客にプレゼントするものだ」と舛添氏は説明したが、一件あたり3万円程度の美術品を外国の金持ちの賓客にプレゼントしたら笑われるだろう。
実際の目的は舛添氏得意の美術品の投資で安いうちに買い込んで高くなったら売りぬこうという算段だ。実際舛添氏の美術を見る目はそん所そこらの素人の審美眼などはるかに及ばないレベルに達している。
外国に行っても訪問する先はもっぱら美術館だが、すべて美術品投資で金もうけをするのが目的だ。
趣味と実益がマッチししかも購入資金は政治資金だ。乞食と政治家 は一度なったらやめることなどできん!!!」

 舛添氏としたら5000万円もかけてロンドンやパリで美術館巡りができたのだからさぞ満足だったろう。
人の金は俺の金、俺の金は俺の金、これこそマスゾエ政治学の神髄である
舛添氏は実に優秀な政治学者だから、政治資金規正法のおかげで優雅な生活が可能なことを見出した。
この世をば 我が世とぞ思う マスゾエの かけることなど なしと思えば

 東京都民は実に幸せだと思う。何しろ日本で最も傑出した政治学者で政治資金の運用に「クレヨンしんちゃん」まで可能であることを証明して見せたほどの大学者を都知事に選んでいる。
おそらくこれほどセコク立派な都知事を他に探すことは不可能だろう。
東京都民はあげて舛添氏を範としてせこく立派に生きることを小中学校の道徳の時間で教えている。

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(28.6.7) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その14」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(22.9.21) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その14

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 この日(元禄3年8月20日)は、初田牛の誰もいない駅舎をたって根室に向かいました。
目的地のノサップ岬はもうすぐそこと言う感じになってまいりました。

 途中昆布森西和田という集落を通過しましたが、このあたりの森林の荒廃には驚いてしまいました。
道路に沿って松林が続いているのですが、風雪に耐えられず倒壊しておりました。
このあたりは風がことのほか強く、風力発電には好地のようですが、一方そうした場所に道路を作ると互いに寄り添って風雪をたえてきた森林がたちどころに支えがなくなって倒壊するようでございました。

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(松林が倒壊していた。森林は寄り添って生きているため、風の強い場所に道路をつくると高木は倒壊する


 初田牛から花咲線沿いに蝦夷の道が根室に向かって伸びており、約40km程度根室の都邑に到着する予定でございました。
ロドリゴが完全に誤解していましたのは、根室と言い、花咲と言いとてもよく聞く地名でしたので、根室釧路並みの大きな都邑だと思っていたのでございます。

 しかし着いた根室は人口3万人程度(80年代は4万人の、市とはとてもいえないような寂しげな集落でございました。
JRの駅舎も1階建てのこじんまりとした建物で、駅前も閑散としておりオテルもほとんどなく、かろうじて見つけたオテルは一階が飲食店で2階と3階がオテルになっておりました。

 ロドリゴは都邑ではオテルに泊まることにしていたのですが、「これなら公園にテントを張ったほうがましかもしれない」と一瞬思ったほどでございます。

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明治になり、この根室の和田村に屯田兵が置かれた

 根室とはアイヌ語でネモロといい、「河口に流木が寄り集まる小川」と言う意味だと聞きました。
ここは松前藩が交易所を設置した場所でございますが、もともと交易所は根室ではなく近くのノッカマップにありました。

 ところが松前藩のアイヌに対する年貢の取立てが極度に厳しく、これに怒ったアイヌと松前藩の間にクナシリ・メシナの戦いが繰り広げられ、松前藩の一方的な勝利に終わったのだそうでございます。
その結果多くのアイヌをノッカマップで斬首したため、ノッカマップを避けて根室に交易所を移したと聞き及びました。

注)根室の風土記には以下のように記載されております。

 ノッカマップ岬は根室半島の根室湾側に面する小さな岬です。ノッカマップ灯台以外は何もないおよそ観光とは無縁の岬ですが北海道の歴史上極めて重要な場所です。

 1789年当時の松前藩から蝦夷地の交易を一任された場所請負人の不当な交易や強制労働に対して憤りを爆発させた国後島のアイヌとこれに呼応したメナシ(現羅臼・標津付近)のアイヌが蜂起し和人商人を襲撃。
松前藩はこれを鎮圧し(クナシリ・メナシの戦い)蜂起に参加した者をこのノッカマップに集め取り調べを行った後、首謀者とされた37名をここで処刑しました。これ以降和人の蝦夷地支配は決定的なものとなっていきます


 根室は漁業と牧畜で生計を立てている場所のようで、駅前は閑散としていますが漁港周辺には松前藩の役所や両替所が立ち並んでおりました。
高札もオロシャ語で書かれている等、とてもオロシャとの関連が深い場所のようでございました。
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根室市周辺は平坦な土地が多く、ほとんどが牧場になっていた)

 ロドリゴはこのオテルでいつものようにすべての衣類を風呂に投げ込み、自身もその中に入って衣類と身体の洗濯をし、旅の汚れを落としたのでございます。

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(28.6.6) 消費税増税はありえない選択。 安倍首相の適切な判断

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 安倍首相が消費税の8%から10%への増税をさらに2年半延期することを決めた。26年11月に一度目の延期を決めてから二度めの延期だ。
世界経済は想像を超えるスピードで変化し、不透明感を増している」のがその理由とされているが、簡単に言えば中国経済が崩壊し、アメリカ経済もシェール革命の終焉で高成長は終焉してしまったからだ。

 どこをみても成長の要因はなく、先進国は1%程度の成長が可能かどうかの超低空飛行だし、中国経済は統計数字だけでだまかしてきたが、世界各国の対中国貿易が激減しておりいくら統計数字をごまかしても中国経済が崩壊していることは明白になっている。
だからこのような時に増税をすればかろうじて1%程度の成長をしているのにマイナス成長に陥り、法人税も所得税も減少するので消費税増税は実質的に財政の赤字幅を増大してしまう。
何のことはない増税が実質減収になってしまうのだからしない方がましだという判断になるのは当然だ。

 財政当局の意図とは別に増税すると税収が減ることは橋本内閣時代の消費税増税で経験済みでもはや増税をするのは低成長下の先進国経済ではありえない選択だ。
消費税導入の延期を見てアメリカの格付会社はさっそく日本国債の格下げを検討し始めたが、実際は格付会社の評価は何の意味もない。
日本国債の90%以上は国内で消化されており、実際に保有するのは日本の金融機関や保険会社であって、日銀の意のままに動く日本グループのメンバーだ。

注)かつて橋本内閣が消費税をアップした時は、景気が低迷し確かに消費税は増えるのだが法人税と所得税が減って結果的に国庫全体の収入が減少してしまった。

 だから格付が何であろうと日本国債は順調に消化され全く問題がない。これはギリシャといった貧乏国との最大の違いで、日本は世界最大の債権国で日本以上の金持ちはなく、かつ毎年経常収支は10兆円規模で積みあがっている。
黙っていても日本国債は消化され、返済資金は借り替えで十分対応できる。
ブタクサのような役に立たない格付会社が何を言ってもわが国の国債は安泰だ!!」
金融担当者の本音だ。

 アメリカの格付会社が格付を行うのはアメリカ市場で債券や株式を発行したり、外貨調達をするときの基準とするからだが、そもそも日本企業は日本市場で十分すぎるほどの資金手当てができるし、今日本はマイナス金利なのだからこれ以上の市場はない。
外貨調達でも日本の外貨準備は中国と一二を争っており、いざといえば日銀がアメリカ国債(外貨準備でアメリカ国債を購入している)を売却して手当てすればいい。

 中国も外貨準備は潤沢だが、実際は石油や鉄鉱石の鉱山開発に湯水のように使用して焦げ付いており、流動性のある外貨準備は日本の方が上で、世界最大の外貨準備国は日本といえる。
だからS&Pやムーディーズが何を言おうとも日本国は財政再建などする必要性がないのだ。
必要があれば国債を発行する。それで何が問題なのだ!!」

 財務当局は国債は返済しなければならないというが、実際は国債が返済されることはない。借り換えが未来永劫に繰り返されて実際は税金と何ら変わらないのだ。利息の支払いはあるが今はマイナス金利だからかえって利息をもらっているのが実態だ。
どうか日本政府さん、国債を発行してください。私どもがいくらでも購入します!!プレミアムをつけます!!」市場がそう要求している。
日本国債ほど安全確実な資産運用はない。原油や鉄鉱石や不動産が総崩れの時にこれに勝る資産保有などない。

 繰り返すが日本は世界最大の債権国で金持ちで、しかも毎年のように資産が積みあがっている。だから外国から資金調達する必要性は全くなく、日本国債はいくらでも売れる。
財政再建をするのは貧乏国で借金をしないと生きていけない国で日本はその対極にある国だ。
ブタクサのような格付会社が何といおうとも、また財政当局がヒステリーになろうとも、消費税増税は日本という金持ち国家にとっては何のメリットもなく害悪だけが残る。
もはや増税などありえない選択だと断言しておこう。

 

 

 

 

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(28.6.5) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その13」

病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(22.9.19) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その13

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人間なれと言うものは恐ろしいものでございます。当初は30km程度歩くにも青息吐息で、「こんな馬鹿なことはさっさと止めておゆみ野に帰ろう」なんて気持ちでしたが、時がたつにつれて蝦夷地を歩くのがごく自然に思えるようになってまいりました。

 小指の水ぶくれは靴に穴を開けて小指があたらないようにしてからすっかり回復し、またアブの襲撃には長袖のヤッケと軍手で防備をしてから刺されることがまれになりました。
またヒグマの結界については、ヒグマ見切りの術を会得してから、どのような場所にヒグマがいるかたちどころに見抜いてしまいましたので、キャンプをしていても快適な眠りにつくことができるようになりました。
こうして段々とロドリゴは蝦夷地の男に変身していったのでございます。

 今日(元禄3年8月19日)は根室に向かって歩みを始めました。
霧多布岬から浜中湾に沿って海の道をたどり、初田牛はったうし)というところからJR根室本線に沿って、山中をたどる道でございました。

 初田牛まで約40kmでしたので、当日はここでキャンプを張ることにしておりました。
根室本線の駅なので駅舎や水道やトイレがあり、夜半は無人になるので泊まるのには最適と予想していたのでございます。

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秋には鮭がのぼる川

 しかしこの初田牛の駅についてびっくりしてしまいました。確かに駅舎はあるのですがドアが朽ち果て始め、ドアの下が穴が開いていて、外から雪や雨が自由に吹き込みそうな場所でした。
さらにここには水道もトイレもなく、またこの駅を利用していた集落の人々も何処かに移動してしまったような、なにか見捨てられたような駅舎だったのでございます。

すごい、これが駅か。まるで幽霊船のようだ
こうした駅には不思議な帳面が置いてあり、ここの駅を利用した人が感想文を書いて残してありました。

 どうやら人がほとんど訪れることのない駅に降り立ち、そこに設置されている帳面に自己の足跡を記載することが、鉄道マニアの鉄道マニアたる自己主張になっているようでございました。

何もない、霧につつまれた初田牛の駅に降り立った。ここは本当に何もなく、朽ち果てた人の気配のない人家がポツリポツリとあるだけだ。
こんなすばらしい駅が日本に存在していると思うと感激だ。ぜひともこの駅は残してもらいたい

このような文言で飾られておりました。

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(初田牛の駅舎。入口側のドアの下は穴が開いている。手入れがされていない)


一般に駅は生活の場として必要なのですが、ここはマニアのためにだけ存在しているような駅舎で、実際ロドリゴが到着した3時以降、乗降客は一人もおりませんでした。

注)1日に4本の根室行き列車が停車しますが、3時の次は8時でした。

 ロドリゴは一人でこの駅舎を占領して寝ることができたのできたものの、この根室本線沿線は寂しい蝦夷地の中でもことのほか寂しさを感じさせる場所でございました。

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(28.6.4) ランボー大和君の生還  サバイバルの新記録だ!!

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 ランボー大和君が生還した。北海道の山中で行方不明になってから1週間たつので、私は正直なところ大和君は生きていないのでないかと思っていた。
しかし大和君はそん所そこいらの子供と違い、ランボーのような子供だった。
行方不明になった場所から約7km程度離れた場所に陸上自衛隊が訓練の時に使用する仮設の宿舎があり、そこに留まり約1週間水を飲むだけで耐え忍んでいた。
雨露を防ぐことができ水も確保され、おそらく寝具もあったのだろうが、よく耐えたものだと思う。

 それにしても7歳の児童がこうした場所を見つけて1週間余りも一人で耐えるというのは並大抵のことではない。
たまたま訓練で雨宿りのために訪れた陸上自衛隊の隊員が発見したが、発見されなければさらにそこに留まって救出をまっていたのだろう。
通常はパニックに陥ってむやみやたらに動き回り体力を消耗して衰弱死するのが普通なのだが大和君はそうはしなかった。
待つということは大人でも大変なのに、7歳の子供の判断とは思われない判断力だ。

 父親はしつけのつもりで山中においてきたと証言していたが、こんなタフな子供ならしつけというような範疇を越えている。かえってしつけが必要なのは父親の方だ。
大和君なら今から陸上自衛隊のレンジャー部隊の隊員に志願してもいいくらいで、ランボー二世といっていい。
私は山中に7歳の児童を置き去りにした父親のことに憤っていて、もし大和君が死亡でもしたら「許さん」という気持ちだったが、タフで的確な判断力を持った子供だった。
どうしたらよくこんなサバイバル能力の高い子を育てられるのだろうか・・・・・・・・・これは研究に値する!!」

 北海道の山中はそれでなくてもヒグマの結界で動き回ればヒグマの餌になってしまい、また道路以外のやぶのなかはまともに歩けるような場所でなく、ただ体力を消耗するだけの場所だから自衛隊の仮設小屋にいたのは返す返すも懸命な行動だった。
過去に何日間か行方不明になって発見される子供はいたが足掛け7日というのは新記録だ。

 こうしたタフな子供がいるとは信じられないような思いだったが、一方でたいへんうれしくなった。
そうだ、こうして生き伸びるのだ。これから日本では何が起こるか分からないが君なら生き残れるだろう!!」
本当にもろ手をあげて拍手をしたい気持ちだ。

注)なお大和君が置いてきぼりにされたときの記事は以下の通り。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/2862-3560.html

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(28.6.3) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その12」

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(22.9.18) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その12

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 蝦夷地はとても不思議な景観が広がっているところで、特に釧路から厚岸、浜中町にいたる海岸線は湿地帯が続いており、かつての日本国の原風景と言える場所でした。

 たとえば江戸ですが、今でこそ干拓がすすんで面影はありませんが、かつての江戸利根川当時は江戸に向かって利根川は流れておりました)の大湿地帯で決して人が住めるような場所で有りませんでした。
このため都から奥の国に向う旅人はこの大湿地帯を避けて、江戸湾フェリーの航路に沿って、上総の地に上陸していたものでございます。

 ロドリゴはこの海岸線に沿った蝦夷の道別海厚岸線)がとても気に入ったのでございます。
ときどき森が切れて海が広がると紺碧の海が広がり、また平地に下りると原始の湿地帯が広がっていました。
大和知りたきゃ 蝦夷地においで 葦の野原で 卑弥呼が踊る ハーヨイヨイ」と江戸の童が歌っていたわらべ歌が思い出されました。

注)このわらべ歌はロドリゴが作詞・作曲したものでございます。

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海がいつも開けて見えました

 今日(元禄3年8月19日)は浜中町にむけて愛冠(アイカップ)岬のキャンプ地を後にしたのでございます。
蝦夷の地はアイヌの地名をそのまま和人の言葉にしたものが多いのでございますが、ここ浜中町はアイヌのオタノシケ砂浜の真ん中)と言う地名を意訳して和人の地名にしたのだそうでございます。
人口は7千人ほどで、ここも80年代は9千人規模だったそうですので、人口低下に悩まされておりました。

 この浜中町周辺は釧路湿原に勝るとも劣らない霧多布キリタップ湿原が広がっており、特に山の中腹からこの湿原を眺めますと、バイキングが住んでいる北ユアロッパの景色と寸分違わない景観でございました。
ここは、間違いなく文化の中心、ユアロッパじゃないか

 浜中町には町営の温泉があり、汗と埃まみれのロドリゴにとっては天国のような場所でした。温泉は岡の上に建設されていたため霧多布湿原が一望の下に見え、露天風呂でしばし見とれておりました。

注)岡の上の温泉に行く道を古老に尋ねたのですが、明らかに痴呆症の症状がでており、かえって道が分からなくなったものでございます。

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霧多布湿原

 この日は40kmほど歩いておりましたので、ここの温泉の近くにキャンプを張ろうと思いましたが、約4km程度はなれた場所にキャンプ場があると聞き、そこまで歩いていくことにいたしました。
霧多布岬キャンプ場と申します。

 しかし行ってみてがっかりしました。
ここは自動の車やオートバイに乗った和人が多く、ロドリゴのような歩行者はほとんど天然記念物の絶滅種扱いでございました。
夜遅くまで騒がしく、ただ一人でキャンプを張ってきたものには神田明神のお祭りのように思えたものでございます。

 このテント場を利用した名簿がありましたので、確認したところ8月になって約400組の利用者があり、その中で徒歩は私ともう一人だけでございました。
そうか、友はたった一人か!!」

 蝦夷地はすでにカニ族が生息する場所ではなかったのでございます。

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(28.6.2) しつけと称する児童虐待をいつまでも許してはいけない。 北海道七飯町の事例。

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 また悲しい事件が起こっている。北海道の七飯町で小学校2年生の男子が森林地帯の道路に置き去りにされ行方不明になっている事件だ。
私がこのブログを記載しているのは31日だが、事件が発生した28日午後5時頃からすでにまる三日経っている。

 事件発生の経緯はこの7歳の児童が親のいうことを聞かなかったため、しつけとして森林地帯の道路に置き去りにし、5分後に引き換えしたがその時は児童は忽然と消えていたというのだ。

 私は北海道の各地を足で歩いたり自転車で周遊しているからよく知っているが、一つの街から次の街まで30km程度離れており、その間はひたすら道路だけというような場所がよくある。
そうした場合、大人でも十分な食料を用意し万一の場合を備えてテントと寝袋を持参して歩いたものだ。
しかも森林地帯に入ると完全に熊の結界になるから、間違ってもクマがいるような場所でキャンプを張ることがないように注意を怠らなかった。
ところがそうした場所にこの親は児童を置き去りにしたという。

 父親の話だと5分後には戻ってきたといっているが、この時間はかなり怪しい。7歳児の児童が動ける距離は5分程度だと500mがせいぜいだ。しかもこの距離は道路面を歩いた場合で、まちがってブッシュの中に潜りこむと100mも動けないだろう。
だからこの父親の証言通りであれば、児童はすぐさま道路を歩いているところも見つけられるか、森林地帯に入った場合は大声で呼べば聞こえる範囲にいたはずだ。
だからこの5分10分と記載した新聞もある)程度で児童が忽然と消えるはずがないのだ。

 父親は「しつけでしたので世間様に迷惑かけられないので警察の届けが遅れた」といっているが、届け出が28日中にされたのか29日にされたのか新聞報道等を見てもはっきりしなかった。
事件が発生したのは28日午後5時頃だから、実際問題としてはすぐに届けでたとしても夜になってしまい捜索隊を組織することも不可能だから捜索は29日から始まったと見ていい。
したがって28日は両親だけで捜していたか、あるいは探さなかったかどちらかであろう。

 三日たち食料も寝袋もなく、その間雨など降れば体力を温存することもできない。私は登山中にやむなく何も持たずにビバークすることがあったが、夜半は極端に寒くなり寝ることはできなかった。
私のように相当サバイバル訓練をしているものでも夜半山中で寝ることは困難なのに7歳の児童では対応がほとんど不可能だろう。

 今回の事件では父親の初期行動に問題があったとしか思われない。5分後というのはどう見ても事件との整合性がなく、実際はかなりの時間が経ってから引き返したのだと思う。その間児童は道路面を歩いていたはずだが、何かの理由で道路から森林地帯に入りこみ行方不明になったのだと思う。
北海道の森林は深い。道路を自動車で疾駆している限りは問題がないが、歩くものにとっては生と死をかけた戦いのようなものであり、特に児童にとっては「死ね」というようなものだ。

 両親にとってしつけのつもりでも、しばしばしつけはいき過ぎて虐待になる。今回の事例も結果的に虐待になっている。こうした事例が発生しないように親は常に自制しなければならないのに実際は感情に任せて虐待するのが普通だ。
こうした事例では結果責任として両親に責任をとってもらうのが妥当で、そうでしなければしつけと称する虐待はいつまでもやむことはない。

 

 

 

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(28.6.1) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その11」

(22.9.15) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その11

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 ロドリゴは今回の探訪によって、アイヌの人々を完全に誤解していたことに気づいたのでございます。
オロチョンの火祭りのイメージから、アイヌは常時熊狩りをしていた山の民だと思っていたのですが、実際にアイヌの人々が住んでいたのは、川や湖が海と接する河口であり、こうした場所は海獣や魚介類や海草の捕獲が容易で、かつ当時の交通手段カヌーで自由に移動が可能だったからのようです。

 一方山塊は当時も今も国の道蝦夷の道と言った道路が整備されていない場所は、ブッシュが生い茂り、アブや蜂の住処となってとても人が入り込めるような場所ではございません。
こうした場所に入り込めるのは春先の雪が地面を覆い、冬眠から目覚めた熊の足跡をたどって狩が容易にできる時だけだと言うことを知りました。

 狩は春先の一時的な出稼ぎのような仕事で、本来は海や川の民海から遡れる様な川の場合)と言えそうです。

  今日(元禄3年8月18日)は古番屋のキャンプ地を出発し、厚岸あっけし)に向かって歩き始めましたが、ここは厚岸湖という大きな湖が海に面した場所で、まさにアイヌが最も好んで住んだような場所でございました。

 厚岸はアイヌ語でアッケウシといい「オショウの皮をはぐところ」と言う意味だそうで、かつてここでオヒョウの捕獲がされていたことが分かります。
またここ厚岸も人口低下に悩まされており、80年代に1万6千人いた人口が今では1万1千人になり、とても静かな寂しさを漂わせる集落でございました。

 この厚岸の集落の外れに愛冠岬あいかっぷみさき)と言う場所がございましたので是非とも探査の必要を感じました。
ここは第2次世界大戦の北方戦線千島列島防御)の艦船や輸送船の通り道の一つで、ここに大きな砲台が築かれ本土防衛のための守備隊が駐屯していたのだそうでございます。

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愛冠岬の眼下

 愛冠岬は厚岸の集落から約4km程度離れた岬で、現在は緑のふるさと公園として整備され、近くに北大の臨海実験場がございました。

 私は当初愛冠岬の場所が分からず、地元の和人に場所を聞いたところ、「自動の車に乗りねえ、案内しよう」と言って緑のふるさと公園まで簡単に連れて行ってくれたのでございます。

 ロドリゴはどこに行くにも歩いていくつもりでしたので、一瞬驚きましたが、和人の親切心に答えるべくこの自動の車に乗せてもらいました。
おそらく70歳をはるかに越しているこの和人は、「戦争中は愛冠岬の下に防空壕を掘るために狩り出されたが、ありゃ何の役にもたたなかった」と述懐しておりました。

 愛冠岬は公園からさらに1kmほど海側に入ったところにありましたが、訪れる人もまばらなとても静かな、眼下に大海原が広がっているとても気持ちのいい場所でございました。

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テント場としては最高のロケーションだった

よし、今日はここでテントを張ろう」歩いた距離は25km程度で少し早かったのですが、ロケーションが気に入ったのでここで一夜を過ごすことにしたのでございます。

 この場所は夕方になると野生の鹿がいるだけで、人の気配がまったくしない場所でございましたのでいつものヒグマ見切りの法で見切ったのでございます。
鹿が安心して草を食べている ヨーシ。そばに厚岸の部落がある ヨーシ。愛冠岬は常時人が観光に訪れる ヨーシ。ヒグマの心配なし ヨーシ

 こうしてその日は蝦夷鹿が夕餉に鳴く「ピー、ピー」という鳴き声を聞きながら安眠することができたのですが、この愛冠岬は今回キャンプを張った場所としては最高のロケーションでございました。

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(野生の鹿がそばで草を食べている。人になれていて逃げない)

注)実は後で気がついたのですが、この愛冠岬はキャンプ禁止になっておりました。近くにキャンプ場があったのですが、ここの案内係の人に聞くと「自分は行ったことがないので知らない。道はあるが行けるかどうか分からない」などというので、仕方なしに愛冠岬にキャンプを張ることにしたのでございます。

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