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(28.6.15) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「ネパール 布教日誌 その2」


病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております

(24.9.1) ロドリゴ ネパール日誌 その2

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(カトマンドゥの市内。狭い通りに人と乗り物がひしめいている

 この日(8月20日)はタイのバンコックからネパールの首都カトマンドゥに入りました。時間にして約3時間の旅でしたが、ジャポンとの時差は3時間15分でだんだんと夜が遅くなっていく感じでした。
しかしこの程度の時差は身体には負担にならないようでございました。

 カトマンドゥ国際空港は近代的な建物に改修されておりましたが、かつてはジャポンのJRにあった田舎の駅舎の感じだったとクナーカ大主教様が説明してくださいました(ほぼ40年ほど前にクナーカ様はネパールに探検旅行されておられます)。
20年ほど前までこの飛行場は魔の飛行場と呼ばれ、気流が難しくかつレーダーがなかったため旅客機が次々と墜落しておりました。
困ったネパール政府はジャポン政府に対しレーダー網の整備の要請があったそうでございます。

 その後、ジャポンの政府開発援助でレーダー網の整備飛行場の整備が行われ、今では通常の国際空港になりましたがバンコックシンガポール成田の飛行場に比較しますと、まだ一段も二段も遅れた感じがするのはやむないことだと思われました。

 こうして飛行場はそれなりの整備がされていたものの、飛行場からカトマンドゥの市内に通じる道路は未整備のままで、たった6kmの距離を行くのに40分程度かかると言う大混雑で、「これなら足で走ったほうが速そうだ」と言うのが旅行者全員の一致した意見でございました。

 飛行場を出てしばらくは広い道路なのでございますが、市内はまったくの中世の街並みで道路の幅は自動車がやっとのことで通れる程度でございます。
そこに人とオートバイと軽自動車と人力車が互いにひしめき合い、互いに警笛を鳴らして競争で道を奪い合うものですので、落ち落ち道を歩いているわけにはまいらないのでございます。

 ロドリゴがジャポンで住んでいるおゆみ野は広い遊歩道がありそこには自動車は一切入れず(作業用の車は特別許可を得て入っております)、また通常の道でも自動車が警笛を鳴らすことはまずないのですが、ここカトマンドゥは自動車とバイクは常時警笛を鳴らし続けなければ動けないので実にやかましいほどの蝉噪でございます。

 この日一日はカトマンドゥで一泊することになっていたため、午後から市内見物に出かけたのですが、中世の街並みに現代が無理に押し込められたような街で、市内には人人が溢れかえっておりました。
カトマンドゥ公表70万人の街ですがとてもその程度の人口の街とは思われず、住民登録をしている人以外の出稼ぎ者で溢れかえっているムンムンするような街並みでございました。

 また意外にも孤児が道路に溢れていて、特に外国人が買い物をする店の前に陣取り、食べ物をねだっておりました。
前にはこんなことはなかったのだが」ネパールに何回か訪問しているクナーカ様の友人がしみじみと申しておりましたが、豊かになるにつれ貧富の差が出てきたのでございましょう。

注)ネパールには近代的な意味での職場が少なく田舎から溢れた農民が首都に集まり、そこでも食べていけない人は海外に職を求めて出稼ぎに出て行くような構造になっております。

 ネパールの人々のほとんどはヒンドゥー教徒多神教であり、シバ神などをあがめておりましたのでクナーカ大主教様は「邪教である」と大変ご不満のようでございましたが、私ロドリゴには何かユーモラスな神々に見えたのでございます。

 
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ダルバール広場。ここだけ車が入ってこない。もし旧市街全体が歩行者天国だったらこれほどすばらしい観光スポットはないのだが・・・・

 カトマンドゥの観光スポットの一つがダルバール広場でここに旧王宮ヒンドゥ寺院が立ち並びここだけが自動車やオートバイが入れないようにしてありましたので警笛で追い回されることはありませんでした。
しかしこの広場に入るには外国人には通行税が科せられ、中世の関所となんら変わりがないことに驚いたものでございます。

注)ジャポンでも戦国末期までは関所は通行税を取るための場所で、大名や寺社が勝手に通行税を取り立てたため、商取引に支障が出ておりました。

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ヒンドゥのシバ神。日本の仁王様

 ロドリゴにとってはこのカトマンドゥはあまりにやかましい街並みでしたので疲れが全身を覆うような感じで、はっきりいえば好きになれませんでした。
早くこの街を離れて秘境といわれるディリチョール村に行きたいものだ」そう心から思ったものでございます。

 こうしてネパールの布教の旅の二日目が過ぎたのでございます

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