« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年5月

(28.5.31) 総合商社はなぜ資源戦略を間違えたのか!!  中国経済の読み間違い

Dscf7022

 資源商社といわれた三菱商事と三井物産が16年3月期の連結決算で赤字に転落した。
三菱商事は1500億円の赤字、三井物産は700億円の赤字だそうだ。
銅や鉄鉱石の資源価格が急落し、投資した案件から収益確保が不可能になったため減損処理を実施した結果である。
三菱商事の減損額は4260億円、一方三井物産は3500億円の減損処理を実施するという。

 三菱商事や三井物産ほどではないものの丸紅や住友商事も減損を余儀なくされて、商社全体では約1兆円になるという。昨年度もほぼ同額の減損処理を行っていたので、毎年1兆円をどぶに捨てているようなものだ。
資源価格は総崩れでピーク時から比較すると半値から4分の1程度まで価格は低下しているので、どのような鉱山への投資であっても収益を上げることなど全く不可能になっている。

 資源価格が14年度から明らかに低下局面に入った のは、中国経済がピークアウトし、それ以降中国経済は坂道を転がるサッカーボールのような状況になってしまったからだ。
中国が購入しなければあとは追加的購入者はなくなり、現状維持か購入額の縮小を図る国ばかりだから資源価格は急低下するのは致し方ない。

 もはや先進国経済はこれ以上成長が不可能な段階になっており、さらに資源については資源の効率的利用を心がけており、たとえGDP がほぼ一定でも資源の必要量は低下する。
節約や効率など全く無視してただ生産高のみ競っていたのは中国だが、その中国の経済成長も終わってしまったのでこの馬鹿馬鹿しいほどの爆買いをする需要者が市場から消えてしまった。

 三菱商事や三井物産には気の毒だが、中国経済のピークアウトを読み間違った以上、多額の減損処理に追い込まれるのはやむおえない。
今や中国では製造業はすべてといっていいほど赤字経営に追い込まれており、これを国有銀行が懸命に支えている。
しかし国有銀行はこの赤字企業を支えるという仕事以外にも信じられないような多額の不動産関連融資を実施しており、この様は1990年初頭の日本の金融機関を彷彿とさせる。

 中国という予想外の行動をするプレーヤーの出現で経済の状況を読み間違ったわけだが、それもすべて自己責任だから無駄な投資をした以上減損処理をするのは当然だ。
日本や先進諸国の企業はこのような減損処理をして経営実態を正確に把握しようとするが、一方中国企業は絶対といっていいほど減損処理などしない。そのようなことをすれば責任問題になって、自身は共産党の序列を下げられてしまう。
だから中国ではすべての国有企業が健全な経営を行っていることになっているのだが、それを信じる方が阿保なので、「まだいける。中国が資源をまだまだ爆買いする」などと予想して経営したとすればそちらの方が問題なのだ。

 今だに中国は7%前後の成長をしていることになっていて、IMFなどは愚かにも中国の成長率を6.3%程度と予想しているが、中国の公表数字を基に予測するすべての予測は間違う。
総合商社には相応の調査機関があるのだから、中国経済の正しい分析をして間違っても無駄な資源投資などしないようにすればいいので、そうした意味では中国の経済実態を最もよく知っている伊藤忠が資源投資を止めていたのは賢明だといえるだろう(ただし中国の総合商社に6000億円の投資をしたのは明らかに間違いだ)。

 今や中国という統計数字がすべてでたらめな国の経済をいかに正確に把握できるか否かが総合商社の命運を決するといっていい。
せめて山崎経済研究所の山崎所長のブログを読んでいたらこうまで無様な結果にはならなかったと思うが、すべてはあとの祭りだ。



 

| | コメント (1)

(28.5.30) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その10」

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(22.9.13) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その10

015

 さすがにロドリゴも反省をいたしました。昨日白糠から釧路までのほぼ30kmをJRを使用してスキップしたことでございます。
このようなことがマラカのサンチアーノ大主教に知られますと破門は確実で、もし破門されれば老後の年金が支払われなくなることでございました。
まずい、年金めあてに真面目そうに修行しているのに、オジャンになってしまう

 ロドリゴがJRやバスに乗ろうとするのは、そうした乗り物があるからで、金輪際JRもバスも通っていない道を選べば、次のキャンプ地に到着するか行き倒れるかのどちらかしかないはずだと気がつきました。

 幸いなことに蝦夷地には海岸に沿って集落だけを結んだ蝦夷の道がございますので、今後はそうした道だけを歩むことにいたしました。

017_2  (海岸線の道は一気に視界が広がる場所が多い

 この道は集落の和人がカモシカやトナカイに乗って通る以外はほとんど人通りがなく、バスも通っていないのでひたすら歩く以外に方法はないのでございます。

 しかもこの道は海岸線に沿っていましたので、ときどき海が開けて見える場所があり、紺碧の海原が広がると気分的には実に爽快な気分になれるのでした。
海よ~ 俺の海よ~」ロドリゴは帆船の操縦が得意なのでございます。

 この日(元禄3年8月17日)は海岸縁にローソク岩とか立岩とかの奇岩が見える蝦夷の道(根室浜中釧路の道)を厚岸(あっけし)に向かって歩いていったのでございます。

 実はこの頃から大変不思議な現象が出てまいりました。
と言いますのも前から来るトナカイやカモシカに乗った和人が、なぜか停車し、あるいはUターンをしてもと来た道に戻っていくのでございます。
なんで、カモシカやトナカイが止まってじっとしているのだろうか?」

 ロドリゴが近づいていくとようやく動き出すのでございますが、すれ違いざまに「なんだ、お前は人間か!!!」と言う顔で通り過ぎるのでございました。
ようやく理解したことは、ここ蝦夷の地で歩く人は皆無のため、道の片側に異様な物体がうごめいていますと、「すわ、ヒグマか!!」と警戒していたのでございます。

006_2  (これは集落の名前の由来が書いてある

 蝦夷地に来てはや10日、段々とロドリゴは現地に溶け込み、和人やアイヌから見るとほとんどヒグマに変身してしまったようでございました。
中嶋敦山月記には世の中を悲嘆して虎になった男の話が出ておりましたが、ひたすら山野を歩き続けるロドリゴもいつしか動物となり、傍から見るとヒグマに見えるようでございました。

 こうした自分を感じながら、この日はキャンプに適切な場所を探し、約45km程度歩いてようやく古番屋という集落の海岸線にキャンプを張ることができました。
ここはやはり昆布漁で生計を立てている場所のようでございました。

005_2

| | コメント (1)

(28.5.29) 豚と人間の身長を比較して何の意味があるのだろうか?  フォーブスの世界有力企業ランキング

22522_027 

 豚と人間の身長を比べて高い方から並べることに何か意味があるのだろうか。
フォーブスが発表した世界の有力企業2000のランキングのことである。
これによると1位から3位まで中国の国営銀行が名を連ねている。
一位 中国工商銀行,二位中国建設銀行、三位 中国農業銀行となっていて、さらに6位に中国銀行が入っている。
トップテンを中国の国営銀行が上位を独占しているといっていい。

 このランキングは売上高、利益、保有資産、株式の時価総額でウェイト付けして評価したものだが、このランキングの最大の問題点は豚と人間の身長を比較していることだ。
豚とは中国で人間とは主として先進国の企業をさす。

 なぜ中国が豚かというと不良債権を適切に評価していないため極端に利益率が高くなっているからだ。
不良資産比率は日本の主要銀行と全く変わらないが、実際は中国の製造業は不良資産だらけのゾンビ企業ばかりだ。
鉄鋼業や石炭業などは生産すればするだけ赤字が膨らんでいるし鉄道業も新幹線は閑古鳥が鳴いている。
しかしこうしたゾンビ企業への貸出債権は中国では信じられないことに優良資産になっている。

 理由は中国の国営企業は絶対といっていいほど倒産させないから、倒産しない企業向け融資は優良資産として評価されることになる。
なにしろ国営企業の従業員はコネ採用で共産党党員ばかりだし、幹部は国営企業を渡り歩いて最後は北京の中央政治局に滑り込むのが目的だから、国営企業をつぶしては共産党員のキャリアアップの場所がなくなってしまう。
だから赤字が累積すると国営銀行から資金を調達して(これを赤字見合い資金という)何事もなかったように平静を保つ。
わが国の企業業績は全く問題がない。その証拠にいくらでも銀行が金を貸してくれている!!」

 実際は赤字分の補填を国営銀行が懸命に行い、その国営銀行を中国人民銀行(中央銀行)が支えている。中央銀行は金を印刷するだけだからいたって気楽だが、中国経済の拡張期には「成長資金の供給」として問題がないものの、一方車輪が逆回転して「赤字見合い資金の供給」になると紙幣の印刷はインフレ、それも悪性のインフレにつながる。
昨年から潮目が変わり悪性の資金供給を行っており、悪性インフレの爆発が近づいている。

 もともと国営企業の財務は生産統計が主体で複式簿記による利益の計算など行っていないも同然だから利益があるのか損失があるのか経営者も把握していない。
ただ資金繰りは正直だから金が足りなくなれば国営銀行に泣きついているだけだ。
だからフォーブスが行っている世界の優良企業のランク付けに中国企業を入れるのは全くの間違いで、中国の国有銀行は実際は利益が急速に減少して不良債権の山を築いているのに世界最高の評価になってしまった

 あまりにあほらしいランキングだが、実は1980年代後半の日本の金融機関がこのあほらしいランキング(当時は資金量)で世界のトップテンをほぼ独占していた。
私が所属していた金融機関もそのトップテンに入っていたので当時は「俺は世界の最高ランクの従業員か!!」などと思ったがそれはひどい錯覚だった。

 1990年の初頭にバブルが弾けるとそれまで優良債権と思っていた不動産融資がことごとく焦げ付いてしまい、あれよあれよという間に不良資産比率が上昇したが当初はこの不良債権の増加を認めなかった。
また不動産価格は上昇するのでこの貸出債権は不良債権ではない。我が社の経営は健全だ
しかし実際はその後不動産価格は長期低迷を続け、いつまでたっても改善しないためとうとう長銀や日債銀や北海道拓殖銀行が倒産してしまった。

 現在の中国の国有銀行の様は当時の日本の大手銀行の実態にそっくりだ。違いは中国の場合は絶対に不良債権の存在を認めないことで、一方日本はアメリカにせっつかれて資産査定を厳格にしたため上記銀行は倒産し残った銀行は合併を余儀なくされた。

 さて中国のこの豚銀行の運命はどうなるのだろうか。中国では基本として国営企業は倒産させないから、中国共産党が政権を維持している限り生き残ることにはなりそうだ。
その結果中国の国営企業と国営銀行は赤字だらけになるが、建前上赤字はないことになって相変わらずフォーブスの世界有力企業ランキングの上位に位置し続けるだろう。

 実に下らないことをフォーブスは行っている。


| | コメント (0)

(28.5.28) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その9」

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。
(22.9.11) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その9

014

 ロドリゴが蝦夷地を探訪して最も驚いたことは、蝦夷地に対する印象が人によってまったく異なることでございました。
この年、私の妹マリアも偶然にも蝦夷地の知床半島の探索に出向いていたのですが、マリアの報告が私のそれとまったく異なっていることに目を見張ってしまいました。

 マリアによると「蝦夷地は特に山海の珍味が多く、宿舎は王子のオテルと言う場所で、毎日バイキングと称する宴会が開催され、ウニやホタテが食べ放題で、このためマリアの体重は日をおって増えてしまった」ということだそうでございます。
また移動はチーターの背に乗っての移動で、とても快適な気持ちになり、蝦夷地の牧場や農場の美しさにことの外感動したと言うのでございます。

 この報告はロドリゴが遭遇している見聞とは大いに異なりました。
ロドリゴの手はアブの襲撃で醜くはれ上がり、ヒグマ見切りの法を編み出すまではヒグマの襲撃におびえ、食べるものはセイコー・マートの軒先でむすびと牛乳をほうばるだけでした。
不幸にもセイコー・マートが見当たらない時はわずかに残ったカリントウで飢えをしのいでおりました。
「明日は食事ができるだろうか

 ロドリゴの体重は日を追って軽くなり、アバラが透けて見え、そこに触れるとまるで琴のような音を奏でるのでございます。
夜半テントにもぐりなすことがなくなると、このアバラを使ってバッハの「飢餓線上のアリア」を奏でたのですが、まるで胡人が奏でる一弦琴のような悲しい音がするのでございました。

6_016
釧路市と幣 舞(ぬさまい)橋

 しかし今日(元禄3年8月16日)は釧路という蝦夷地ではかなり大きな都邑に向かっておりましたので飢えの心配はありませんでした。
釧路約19万人が住む都邑で蝦夷地では際立って大きな都邑ではございましたが、それでもかつてのような賑わいはないとのことでございました。

注)1980年には約23万人の人口だったそうでございます。

 キャンプ地を出立するとすぐにパクシル自然公園がありましたが、ここはその自然の美しさとは別に、かなり前に営業を止めたボート場や売店がむなしく崩落を待っているような場所でございました。
おそらく地元の和人が観光客目当ての遊興施設を作ったのでございましょうが、蝦夷地は自然そのものが美しく、ボート場などは醜い自然破壊だったからだと思われます。

6_002_2
(パクシル自然公園

 白糠という集落まで10km程度歩いてきましたが、このあたりから急ににぎやかになり、道路は江戸やおゆみ野と変わらず、今までの何もない自然そのものとは大いに異なる風景でございました。
こんな場所を歩いても、江戸と変わらないじゃないか
本音を言えば歩き疲れていたこともあり、この日はついにJRに乗り込み約30kmあまりを釧路までスキップしたのでございます。

注)このことはマラカのサンチアーノ大主教には内緒でございます。

 その代わり釧路についてから釧路周辺を歩き回ることができました。釧路湿原は昔歩き回ったことがありましたので、今回は春彩湖と言う周囲約5kmほどの湖に行くことにしました。
蝦夷地ではこのような都邑のなかに信じられないような自然が残っており、ここの湖の周回路を和人が走っておりました。

6_021
春彩湖

 しかし都邑はロドリゴにとってはあまり愉快な場所とはいえません。
それと言うのもロドリゴは旅の途中でもできるだけ川に入り、衣類の洗濯に勤めたのですが、日を追って衣類と自身から異様な匂いを発するようになってきたからです。
都邑の和人はひどく臭いに敏感で、ロドリゴが近づくと、そっと避けてしまうのでございます。

 確かに衣類に鼻をあてて臭いをかぐと、思わず顔をそむけるほどでしたので、宿泊を依頼したオテルのカウンターにいた女性が、横を向きよそよそしくロドリゴに対応したのはこの臭いのせいだと思われました。

まずい、いくらなんでもこれでは熊や蝦夷鹿と変わりがない
すべての衣類を風呂に投げ込み、その中に自身も入って衣類と自分を交互に洗濯してようやく江戸表の伊達男に戻ることができたのでございます

| | コメント (1)

(28.5.27) アメリカ大統領選挙の右傾化 外国など知ったことではない!!

 Dscf0028

  アメリカの大統領選挙は民主党はクリントン氏、共和党はトランプ氏が候補になることがほぼ決定した。
クリントン氏は最初から民主党の本命だったから今更驚かないが、トランプ氏には本当に驚いた。
当初トランプ氏は共和党の泡沫候補と見られていたが、あれよあれよという間に本命候補になってしまった。

 従来の大統領選挙ではトランプ氏のような極右候補が指名されることはほとんどありえなかった。
イスラム教徒はアメリカに入国させるなとか、不法入国のメキシコ人は追い返して、後にはアメリカに絶対はいれない鉄条網を建設してその費用をメキシコ政府に持たせろとか、妊娠中絶をした女性には刑事罰を与えよとか、海外駐留経費を払わない同盟国からは軍隊を撤収させろとか、どれもとっても過去の大統領候補だったら恥ずかしくて口に出せないような言葉だ。

 だが実際はこのトランプ氏の言葉にアメリカの主としてプア・ホワイトが熱烈な支持を与えて共和党の大統領候補にしてしまった。
アメリカ政治では民主党と共和党の支持は50%づつでほぼ拮抗しており、その中で共和党は金持ち階級と貧乏人にほぼ半分づつに分かれている。
金持ちと貧乏人の共存とは何とも不可解だが、メンタリティーが右翼でキリスト教原理主義者が多いのが特色だ。

 金持ちはウォール街を代表して世界をすべてアメリカのものにするように画策してきて、その標語はグローバリズムだった。世界すべてをアメリカの市場にするのが目的だから、為替や貿易や金融の自由化を推進してきたのは彼らだし、TPPの推進も彼らの目的にかなっていた。
共和党ウォール街は1980年代の後半ごろから今日まで世界の潮流を形成して、実際に多くの市場をアメリカの支配下におくことに成功している。

 しかし一方でプア・ホワイトにとってはグローバリズムのおかげで就職先がなくなり、ただただ貧乏な生活が待っているだけでなんのメリットもなかった。
あるのは銃が自由に使用できることだけだから、理由なく銃を使用して人殺しをすることや、暴動を起こすことや犯罪を犯すことぐらいしかできなかった。
共和党の半分を占めるプア・ホワイトはアメリカ社会で疎外された人々だ。

 トランプ氏の主張はそのプア・ホワイトの心を打った。
そうだ。外国人など追い返えせ。メキシコ人が不法入国するから俺たちはマクドナルドでハンバーガーを売ることぐらいしかのこされていない。

今はイスラム教徒がシリア人と称して大量に入国しているが、イスラム教徒は十字軍の昔からキリスト教徒の敵だ
なぜ我々はドイツや韓国や日本に軍隊を駐留し続けなければならないんだ。傭兵としていてもらいたいなら傭兵料を支払え。ケチな韓国が傭兵料を値切っているが、韓国など北朝鮮の支配下に置かれてもそんなことは知ったことではない

 今ヨーロッパでは右翼政党が急速に力を増しているがそのアメリカ版がトランプ旋風だ。
21世紀に入り世界経済は停滞しアメリカ経済もこれ以上の成長は無理になってきた。
成長が終れば後は分配問題しか残されていない。
もはやアメリカの貧乏人はアメリカが世界にかかわってその費用を負担することに我慢ができない。
そんな金があれば俺たちによこせ。なぜ俺たちはアメリカでこんなに苦しまなければならないんだ

 今回の大統領選挙でトランプ氏が勝利することはまずないと私は思っているが、一方でこのトランプ旋風は21世紀のアメリカの方向性を示していると思っている。
アメリカ経済の相対的な退潮に合わせて、アメリカは世界から手を引き自国のことだけに専念するだろう。
アメリカが世界から引き上げた後の世界はジャングルの掟の世界になるから、それが21世紀の世界だ。
世界はますます自国だけに引きこもり外国人を排斥してその中でのみ生き続けようとするだろう。
21世紀が新しい中世といわれる所以だ。

 

| | コメント (1)

(28.5.26) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その8」

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(22.9.9) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その8

013

 蝦夷地はどこも寂しいものなのですが、特に農村部の寂しさはたとえようもありません。
牧場などは500mから1km程度離れて建っているのですが、その数軒に1軒は廃屋になっており、屋根が雪の重みでへこんで朽ち果てている様は、芭蕉翁が歌った「夏草やつわものどもが夢の跡」そのものでございました。

 江戸表の瓦版では、農業人口が05年対比約22%減少したと書いてありましたが、かつて大和の農業人口600万人と言われていた数も、とうとう260万規模になってしまいました。

 蝦夷地は牧草地にしても農耕地にしても江戸や大阪のそれよりはるかに大規模なものの、自由化の波に耐えられず農業経営に失敗しては農村部から消えていくようでございました。

 この様は著名な戯作作家、倉本 聰氏が「北の国から」で描いておりましたように、ちょっとした大雨で農地が流されたり、働き手の一人が不慮の死をとげるといった、ほんの少しのアクシデントで夜逃げ同然の状態になるようでございました。

4_020
(こうした廃屋がいたるところに放置されている

  一方これはとても意外でしたのは漁村部が相対的に裕福で、家屋も瀟洒な建物が多く、一家そろって昆布漁にいそしんでいることでございました。
ここ蝦夷地の昆布漁は漁期が夏の4ヶ月で、しかも1日の漁の時間は3時間と決められており、各家屋に認められた和船は1艘と、完全に制限された中での競争が繰り広げられておりました。

自由化の波にもまれる大規模経営の農村部が疲弊し、一方制限競争の小規模経営の漁村部が裕福で集落が維持されており、子供たちも多いのはなぜか?」
これはロドリゴが蝦夷地を探訪していて最も印象に残ったことでございます。

5_003
山間部の牧草地。あまりよい牧草は生えていない

 今日(元禄3年8月15日)は浦幌のキャンプ場を発って、釧路と言う都邑に向けて歩き始めました。
この道は十勝国道といって、昨日まで通ってきた蝦夷の道とは異なり、象やサイやライオンやチーターが疾駆する道でございました。

 歩道が整備されている場所はまったく問題がないのですが、困ったことにトンネル部分は歩く部分が50cm程度しかなく、リックが壁にぶつかったり、張られている電話線の突出部分があったりして歩道から落ちてしまい、なんとも生きた心地がしませんでした。
主よ、ロドリゴはここで象に踏み潰されるのでしょうか

 十勝国道直別と言う集落あたりから海岸べりに走っておりましたので景色が一気に開けて気持ちが明るくなるのでございます。
蝦夷地を歩いて山道に差し掛かると視界が極端に狭くなり、ただただ木立の中を歩いていると言うような状況でございました。こうした場所はアブの結界でありただでさえ憂鬱になるのですが、いたるところに「ヒグマ注意」の立て札が立っていて、気持ちがナーバスになるのでございました。

 今日の歩行は30km程度と決め、パシクル自然公園近くの海岸べりの防波堤の近くにキャンプを張ることにしました。
遠くに人家あり、ヨーシ。近くに道路あり、ヨーシ。近くに森なし、ヨーシ。
ヒグマの気配なし、ヨーシ

これは毎回キャンプを張るときに繰り返した確認点検で、剣豪宮本武蔵五輪書に書かれていた「ヒグマを見切る法」の極意でございます。

 私ロドリゴが蝦夷地の探訪を行い、修行にいそしんだ結果得た最大の成果はこの見切りでございました。
それまでロドリゴは夜中に異様な物音がすると「すわ、ヒグマか」などと慌てふためいて起き上がり、持っていた杖を小脇に抱えて戦闘態勢をとっておりました。
異様な物音は夜中に何回もしますので、神経が休まる時がなく寝不足になってしまうのでございます。

注)ロドリゴはサンチアーノ大主教からノミの心臓とあだ名されておりました。

5_016
こうした海岸端がキャンプ地としては最適

 しかし、この武蔵の見切りの術を身につけたロドリゴはそれまでのロドリゴと別人でした。
遠くに人家あり、ヨーシ。近くに道路あり、ヨーシ。近くに森なし、ヨーシ。
異常音 アーリ、ただしヒグマの可能性 ナーシ

一度見切ってからは、いささかも幻覚におびえることがなくなったのでございます。

ロドリゴ様、ロドリゴ様が秘剣、ヒグマ見切りを編み出すたびに、このつうから離れていってしまうのが、悲しいのでございます
おつう、許してくれ。ロドリゴは剣の道でしか生きられないのじゃ
ああ、ロドリゴ様・・・・・・いっそ死ねと言ってくださいまし
おつう(叫ぶ)」
抱き合う二人(音楽、はげしく)


 このようにして熟睡できたのでございます。

| | コメント (1)

(28.5.28) 世界経済の低迷と貿易量の激減 グローバリズムが終わった!!

22524_017 

 今世界経済が急激に縮小しつつある
。リーマンショックを乗り越えて再び拡大基調に入るはずだったが、それも夢に終わってしまった。
日本やヨーロッパ経済は1%前後の成長がやっとで、ついにアメリカ経済も1%成長の仲間入りをはじめた。
シェール産業が低迷し多くの倒産企業が現れてはシェール革命もお終いだ。
中国などは単に統計操作だけの経済運営で、実際は国営企業が軒並みゾンビ企業になってしまい単にディスカウントで鉄鋼等を売っているにすぎない。売れば売るほど赤字が雪だるまのように累積されていく。

 世界経済が停滞期から縮小期にはいったことは貿易量の推移を追っていけば分かる。
日本の貿易量は輸出が7か月連続、輸入が16か月連続で対前年同月を下回り、今後とも増加する兆候がみられない。
輸入が減少したのは主として原油や鉄鉱石といった原材料価格が半額になっているからだが、輸出が減ったのは中国経済の凋落が主要な原因だ。
中国が買わなければ他に爆買いする国はない。

 この影響で韓国などは輸出入合わせた貿易量が15年1月より減りっぱなしで、輸出立国の面影はどこにもない
サムスンと現代自動車を除けばほとんどの企業がゾンビ企業になってしまい、馘首ばかりで新規雇用はほとんどない。
今韓国では「ヘルチョンソン」という言葉がはやっているが、「韓国の地獄」という意味で、韓国学生が考えているのはアメリカか日本で就職の機会を得ようということだけだ。

 この世界貿易縮小の主因は中国経済の凋落だが、中国人はまれな人種で中国人は統計を食って生きている。
何しろGDPは毎年7%前後成長しており、世界屈指の高度成長を誇っているが実際に起こっていることは賃金未払いによる労働争議の多発だ。
習近平主席は「喜べ君たちには統計数字がある。これさえあれば衣食住に困窮することはない。後はカスミを食っていきよう!!」と大号令をかけており、中国人民は感涙して仙人のような生活をしている。

 中国の貿易は16年3月に何か異様に伸びて前年同月対比増加したが、これもカスミを食べているのと同じで香港との間の取引が異様に増えていた。単なるいつもの数字操作の一つで本当は昨年来常に貿易額は縮小している。

 どこをみても世界経済が拡大する要因はなく、ますます貿易量は縮小し鉱物資源の価格は低迷したままだろう。世界経済といっても成長を引っ張る核が必要で、14年夏場までは中国がその役割をになっていたが、中国経済崩壊後はフロントランナーがいなくなってしまった。
さらに今年に入ってアメリカのシェール革命も収束した。

 現状ではG7'各国が財政出動したとしても一時的なカンフル剤以上の効果はなく、先進国は1%前後の成長で、一方新興国の中国、ブラジル、ロシア、南アフリカなどは倒産間際に陥っている。
今後とも貿易量は縮小しTPPなど単なるお題目以上のものにならず、各国とも自国経済の維持に汲々として「他国のことなど知ったことではない」というようになっている。
世界はグローバリズムの時代が終わり各国は自国経済の中に引きこもりつつある。

| | コメント (1)

(28.5.24) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その7」

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(22.9.7) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その7

011

 ロドリゴが本当にアブという生き物が恐ろしいものだと知ったのはこの日でございます。すでに腕を数箇所刺されて夜中のかゆみに耐えかねておりましたので、もうそれ以上刺されないために上半身にヤッケを着ることにいたしました。

 そうした装備で今日(元禄3年8月14日)は十勝川をさかのぼり、浦幌集落方面に向かったのでございます。
十勝川流域は広く開けた場所で、牧草地や農耕地がどこまでも続いておりましたが、こうした場所はアブの結界テリトリー)なのでした。

 アブは気温が高くなると活発に活動をはじめるのですが、ちょうどこの日は蝦夷地ではまれに見るような高温に見舞われました。
ロドリゴはヤッケで腕をガードしておりましたものの、手のひらは素肌のままでした。
手のひら位なら出しておいても大丈夫だろう

 ところがこの素肌の手をめがけ一斉にウシアブ細長の小さなアブ)が襲い掛かったのでございます。
左手にアブがとまれば右手で叩き落すのですが、その間に右手を刺され、それを左手でたたき落とすと、その間に左手を刺されるという具合で、アメリカの艦載機に襲われた戦艦大和という状況になってしまいました。

 しかも止まると攻撃が激しくなるので、猛烈な暑さの中を休むこともできず、両手で絶えずアブを振り払い、傍から見るとまるで阿波の男踊りを踊っているようなしぐさだったと思います。

 4_019_2
誰も通らない農道を歩いたためアブのえさになってしまった

  和人やアイヌはこうした場所は自動の車なるものに乗り、決して歩くことがないためアブの襲来とは無縁でございますが、最初にこの地に入植した開拓農民の本当の敵はヒグマではなくこのアブだったことは間違いございません。

 ようやくのことでアブの結界を突破し、浦幌の集落に逃げ込んだのは昼ごろでございました。手の甲を見ると左手に8箇所、右手に4箇所かまれた跡があり、ムヒを目一杯つけては見たものの夜中は煉獄の苦しみが予想されました。

5_010
お岩さんのようになった手の甲。ひどくはれて痒い

 ロドリゴは決心したのでございます。

アブはメスしか血を吸わない。このようにメスアブに襲われるのは、ロドリゴが石川遼君のようにあまりに美しい男だからで、坊主になれば小椋ケイと思って襲わなくなるのではなかろうか
この案はまったく名案と思われ、浦幌の集落で床屋に飛び込み坊主になった時は心底ホットいたしました。

 浦幌とはアイヌの言葉でオーラポロと言い「川尻に大きな葉の生育するところ」と言う意味だそうです。そしてここ浦幌も人口減に悩まされておりました。
1980年に約1万人いた人口が今は約6千人であり、集落はとても静かで人の影を見ることはまれでございました。

 そして蝦夷地の集落は多くがそうであるように、近くにうらほろ森林公園と言う実に快適な公園が整備されておりました。
こんなにアブにかまれたのだから、気持ちを整理するためにここで休息するのがよさそうだ
この日歩いた距離は約20kmあまりで少し早かったものの、この森林公園にキャンプを張ることにしたのでございます。

 ここには近在の和人が多くキャンプを張っており、とてもにぎやかでヒグマの襲来をまったく恐れる必要な有りませんでした。
一方、アブに噛まれた手のひらは赤くはれ上がり、夜中そのかゆさに耐えかねて掻くと、さらにかゆくなり、一晩中このかゆみとの戦いが続きました。
もうやだ。俺は苦しい!!」

 しかも朝起きてみるとノミに右足を噛まれた跡まで有ったのでございます。

 こうして芭蕉翁が歌った「のみしらみ 馬の尿(しと)する 枕元」に近い状況になってきたのでございます。

4_027_2
(うらほろ森林公園のキャンプ場

注)アブの研究
① アブはメスしか吸血しない。したがって美男の男が多く襲われる。
② 温度が高くなると活発になる。これはアブが熱をあげている為。
③ 止まると集団で襲ってくるので、相手にせず無視するのがいい。
④ 農道や山道にはこのメスアブが多く、普段は牛や蝦夷鹿を相手にしている。人間の男はこうした場所に近寄らないため、たまたま近づくと大歓待をしてくれる。

| | コメント (1)

(28.5.23) 観光大国日本を裏で支える闇民泊の激増

Dscf6077 

 日本は今観光大国としてブレイクアウトしようとしているが、宿泊施設が相対的に少ないという緊急事態に陥っている。もともと日本には外国人観光客が押し寄せるはずはないとの前提で、ホテルや旅館の施設が建設されてきたが、15年度にはほぼ2000万人の外国人観光客がおしよせ、今年に入ってもさらに30%アップの観光客が押し寄せている。
このまま行くと16年度に2500万人程度の観光客数になるだろう。

 今ではホテルの稼働率はほぼ満杯で、政府の目標の4年後の2020年の東京オリンピック開催時には4000万人の観光客を呼び込む予定なのでどうにもならない。
何とも宿泊施設が足りないため規制緩和の一環として観光特区を定め、そこの地域での民泊を認めることにした。
すでに大田区や大阪府が観光特区に定められたが、実際に運用してみるとこの民泊なるものはかなり厄介なことが分かってきた。
大田区でも申請をしたのが平屋で6戸、マンションで8棟程度でとても期待していた数量に及ばない。

 一方で無許可の民泊は激増しており、民宿紹介サイトにはすでに3万件の登録がなされており激増中だ。
なぜ民泊の制度が認められたのにその制度を利用しないかというと、民泊にホテルや旅館業者と同様の施設を要求するからで、フロントの設置や食堂の整備、そして近隣住民への説明会等が必要になり、一軒家の住宅でそのようなことは全く不可能だし、集合住宅でも食堂を整備することなどできない。
「これじゃ、民泊をするなといっているのと同じじゃないか・・・・・・」ため息が聞こえる。

 その結果激増しているのが無許可の民泊で、こちらはアメリカの民泊紹介サイト、エアービーアンドビーに民泊登録をして待っているだけだからいたって気楽だ。
都内に は投資物件として購入されたがさっぱり売れなかったワンルームマンションが山のようにあり、そこのオーナーが積極的に闇民泊に走っている。
一泊当たり8000円程度だそうだから10日間で8万円程度になり、ワンルームマンションの返済資金としては十分だし、今後積極的に運営できればおつりまでくる。
いやー、これは思わぬ特需ですね」ウハウハの状態だ。

 もっともこれは違法だから役所にたれこまれて調査されたら止めなければならないが、それまではやり得だし、実際に役所がチェックにはいるのはよほどのことがないとしないから、現在の闇民宿はますます雨後の竹の子のように増えている。

 日本で今ブレイクアウトしている闇民泊だが世界中にはいたるところにこの闇民泊が存在している。私もかつてといっても20年ほど前だが、シンガポールでこの闇民泊ったことがある。飛行場を下りるとぽんびきのような兄ちゃんが待っていて、闇民宿に泊らないかと誘いかけてきた。
通常のホテル代の半額程度の値段だったから、私は応じてみたが日本でいう3DK程度の部屋にベットとソファが置いてあるだけのいたってシンプルな部屋だった。
なるほど、こうしてシンガポールのあんちゃんは儲けているのか」と感心したが、今それが日本で大流行している。

 もっともホテル業界や旅館業界からはめのかたきにされているが、本質的に宿泊施設がたりないのだから需要と供給の関係でこの流れを押しとどめることはできない。
正式に認められた方法で民泊経営を行うと収益は上げられないから、行政の目の届かないところでこの闇民泊は爆発的に増殖している。
観光大国日本を支えるのは闇民泊だというのが実態になってきた。

 

| | コメント (2)

(28.5.22) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その6」

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(22.9.5) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その6

010     

 蝦夷地を歩いてつくづく思ったのは、自動の車という象やさいやライオンやチーターが疾駆する国の道を避け、明らかに裏通りと思われる蝦夷の道を歩くのが良いということでした。

 蝦夷地は鈴木宗男大酋長のおかげで、わき道といえども江戸の幹線道路のような立派な道が整備されており、行きかう象やサイはほとんどなく、実に快適な歩行ができるのでございました。

 前日は台風を避け、オテルなるものに宿泊しましたが、今日(元禄3年8月13日)は台風一過の雲ひとつない快晴でございました。
広尾国道は大変だからナウマン国道をたどったほうがよさそうだ
忠類から山道を抜けて、海に面したナウマン国道に向かったのでございます。

 この山道を通過中に台風の大雨で崩れた崖から、象の牙が露出していることに気がつきました。私ロドリゴは故郷エスパニアからマラカに来る途中の天竺シャムにおいて、この象なる動物を見知っており、その象牙が(から)において高価な値段で取引されているのを知っておりました。

 このことをさっそく松前藩藩士亀権乃助殿に手紙をしたためました。亀権乃助殿から何事についてもキット報告するように言われていたからでございます。

022
ロドリゴが発見した象牙。その後1969年に再発見された

一筆啓上 亀権乃助殿
忠類よりナウマン国道に向かう土手に、多量の象牙なるものを発見せり。
象牙は江戸表や大阪においては飾り物として高価に取引されており、松前藩の財政に資すること大なるものと思料いたします。 ロドリゴ

 しかしこの報告は残念ながら亀権乃助殿が握りつぶし、江戸幕府に対し報告されませんでした。このような財宝が蝦夷地に眠っていることが分かれば、幕府がこの蝦夷の東半分を松前藩から召し上げ、天領にしてしまうことを恐れたためと思われます。

注)その後この象牙は1969年に再発見され、京都大学の横山博士により日本地質学の貢献者だったプロイセンのナウマン博士の名前を冠してナウマン象と呼ばれることになりました。
しかし、この蝦夷地探訪記にあるように、実際の第一発見者は私ロドリゴで、栄光あるエスパニアのロドリゴ象と命名されなかったのは、横山博士が蝦夷地探訪記を読んでいなかったからでございます


 裏道は誠に快適でしたが、唯一の欠点は食料調達地のコンビニがないことと、途中に集落がなく、次の集落に到着する前に野宿が必要になることでございました。
なんという静かな場所なんだ。しかも何もない

 もう一つの問題は前日からいためている小指の水豆はいくら水抜きをしても拡大し、悲鳴をあげるような痛さになり、生花という場所まではきたものの、とうとう本当に歩けなくなってしまったのでございます。
もうだめだ。俺は野垂れ死にする

 この水豆に対する唯一の対処方法は、靴に穴をあけ、小指の痛い部分が靴に接触しないようにすることでございました。
本当は水豆ができ始めたらすぐにでも穴を開ける必要があったのですが、この靴はマラカの大主教サンチアーノ様からいただいた私の宝物でとても切り裂くことができかねていたのでございます。

 だがしかしロドリゴは何としても根室のノサップ岬までは歩き通さねばなりません。
意を決して靴に穴を開け、小指が当たらないようにすると痛さがなくなり、ようやく歩く勇気がわいてまいりました。

028
小指があたるところをくり貫いてしまう。ただし靴は高価なのでこのようにするまでかなり逡巡する

 この日はことの他暑く、アブには追い回され、さらに数箇所を食われながらもようやくワッカリベツ川の橋の袂の、道路がそこだけやや広くなった場所にテントを張ることができたのでございます。

 この場所はテントを張る場所としては最悪で、路面は太陽に照らされて灼熱のフライパンのようであり、さらに象やサイが通るたびにその轟音に悩まされるのですが、唯一の利点はこうした場所にはヒグマが出没しないことでございました。

 歩いた距離はおよそ30km程度でしたが、暑さと痛さで疲労が重なっておりました。
このため3時頃からテントを張ったのですがテントの中はあまりに暑く、テントの外でお尻に靴をひき(直接座るとお尻が火傷をしそうでした)、雨傘を日よけにして6時ごろまで日暮をひたすら待っていたのでございます。
030
このように道路の横にテントを張ったのは、自動車が通る場所にはヒグマが出没しないため。これ以上行くと山道に入りヒグマの結界に入ってしまう

| | コメント (0)

(28.5.21) 軽自動車の燃費計測は机上計算。どこの会社も数値をごまかしている!!

22522_012

 私のように自動車にはのらず、もっぱら移動は自転車か公共の乗物を使用しているものには、軽自動車の燃費がどのようなものであっても関係ないが、軽自動車の愛好者にとっては大事な問題だ。
ここに来て三菱自動車スズキで燃費の改ざんが明らかになったが、いづれも法令で定められた実際に走らせる方法でなく、実験室で得られた数値を基に燃費を机上計算したものだった。

 三菱自動車の例では、もっとも条件を良くした実験環境で得られた数値から計算された燃費効率は本来の燃費より15%程度アップしているという。
なぜ本来の走行実験ではなく、実験装置のデータを使用したかというと、実際の走行実験が大変なことと、データにばらつきがあることが研究者をなやませたかららしい。
ええ、面倒だ。すべて実験室のデータを利用して、燃費は机上で計算しよう」

 当初はやむおえない措置だったのかもしれないが、この机上計算を始めるとテストデータを少しいじれは驚異的な燃費が出ることにすぐに気づく。
何しろ経営層からは、「他社に負けない燃費を達成しろ」といわれ続けていたので、技術開発を積み上げるよりデータを改ざんするのが最も手っ取り早い。

 中国ではGDPデータを報告者が改ざんして統計局にあげ、さらに統計局は党中央の指示でさらにデータを改ざんするので何が何だか分からなくなっているが、三菱自動車やスズキの改ざんもそれにちかい。
国土交通省はこちらの提出データをうのみにするだけで自分で計測などしないし、同業他社も鉛筆をなめて燃費を上げているのだから、我が社も遅れるわけにはいかない。
それにユーザが独自に燃費を計測することはないし、もしクレームをつけてきたら、テスト環境の違いだとうそぶけばいい

 私など軽自動車の燃費が毎年驚異的に向上していることに目を見張っていたが、机上計算によるごまかしで報告していたのならいくらでも向上させられるだろう。
しばらく前に日本の旧石器時代の石器の研究者がやたらと古い年代にさかのぼる石器を発見し続けていたが、実際は自分が作った矢じり等を自分で埋めて古い地層から発見していただけだった。

 今回の三菱自動車の軽自動車の燃費問題は実際は燃費向上がこれ以上不可能になったなかで、経営者、研究者、開発者がグルになって燃費をだました問題だが、どうやらこれは他のメーカーでも同じような事例が今後発生する可能性が高い。
何しろ国土交通省はこの問題が発覚するまでは、単にメーカーから提供された数値をそのまま認めていただけで、本来のチェックなど全くしていなかったのだから国土交通省も同罪だ。

 考えてみれば燃費などは自動車が備えなければならない基本的な問題でないから、その計測データはメーカーに任されていて、メーカーごとに勝手にデータを出していたにすぎない。簡単に言えば単なる参考数字が販売上の最有力データになってしまったためにどこのメーカーも自分に都合のいい数字を出していたのだ。
一方国土交通省は今までは厳密な指導などしないで、ここに来て大慌てで「法律違反だ」といっているにすぎない。
だからこの燃費の計測違反は構造問題だといえる。

| | コメント (3)

(28.5.20) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その5」

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(22.9.3) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その5

009   

 私は長く江戸表などに住んでいましたので、アブの恐ろしさを忘れていましたが、蝦夷地での最も大きな脅威はこのアブの襲撃でございました。
アブには何種類かのアブがいるのですが、ロドリゴには大きなでぶっちょアブ、小さな細長アブ、それと花アブの区別しかつきませんでした。

 この中で大きなでぶっちょアブはすごい羽音をさせて襲ってくるので、こちらも身構えることができるのですが、小さな細長アブは羽音をさせず、チクとした痛みを感じてはじめて刺されているのが分かるのでございます。

 アブは刺すというより噛み付いているという感じで、少々手を払っても動じません。仕方なく叩き潰すのですが何があっても血をすい続けるという実に獰猛な性質を持っておりました。

 アブに刺されて最も困ることはかゆみがなかなか引かないことでございます。ロドリゴは2日目の襟裳岬に行く途中に初めて刺されたのですが、そのかゆみはほぼ1週間にわたって続き、刺された場所は赤くはれ、最後は膿さえ持ってしまいました。

006
(こうした場所にアブは生息している

そうだった、アブ対策をしないと大変なことになる
ようやく気づいて途中の集落でムヒというアイヌ伝統の薬草を購入したのでございます。
これは刺されたらすぐに塗ると毒を中和させ、かゆみを軽減させるという薬草でございました。

 アブは海岸べりにはあまり多く生息しておらず、山道や牧場に大挙して生息しており、主として牛を狙って攻撃をいたします。
名前もうしあぶと言い、しつこく牛を追い回す性質がございます。

 しかしこうした場所には和人やアイヌは絶対近づかず、ロドリゴのようにひたすら徒歩で移動する皮膚もろだしの人間だけが、牛以上の格好の餌食にされてしまうのでございました。
アブから見ると「一世一代のご馳走が来た。生き血をすべて吸い尽くせ」という感じで、ロドリゴはまるでドラキュラに狙われた処女の立場でございました。

注)この日までに右手首を3箇所アブにかまれていたのですが、それが単なる序章にすぎないことをその時は知りませんでした。

007
のどかな牧草地帯が続いておりました

 今日(元禄3年8月12日)は、広尾のキャンプ場を出て、広尾国道をとおり、忠類という場所まで歩くつもりでございました。おおよそ30kmの距離でございます。
忠類とはアイヌ語でチュウルイベツと言い、急流を意味する言葉だそうでございます。

 蝦夷に来る前は毎日40km程度は簡単に歩けると思っておりましたが、酷暑の中を歩くのは非常に消耗し、かつ足の小指に水ぶくれができ、アブにさえかまれてしまうと、歩みは非常に遅くなるのでございます。

 しかもこの日は蝦夷地に向かって台風が押し寄せてきており、午後からは大降りの雨が降ってまいりました。
この国の道は帯広という蝦夷地では大きな城郭がある場所にむかう主要な道でしたので、自動の車と称する象やさいやライオンやチーターが全速力でぶっ飛ばしているとても危険な場所でございました。

 マサイ族の青年のようにロドリゴはただ一人こうした獣の間を歩いておりましたが、忠類の直前の約7kmあまりは歩道がなく、白線の外側は約50cm程度の幅しか有りませんでした(通常は歩道があるか、白線の外側に1m以上の余裕がある)。

025
忠類の近くでマンモスの骨格が発見されている

 台風による大雨は視界をさえぎるほどであり、国の道にはいたるところに水溜りができ、そこに象やさいやライオンやチーターが目一杯の速度で疾駆しておりましたので、こうした動物に行き会うたびに猛烈なシャワーをあびてロドリゴは水浸しになってしまいました。

 台風の大雨でさえつらいのに、あまつさえ水しぶきを浴び、たった50cmあまりの避難場所でひたすら身体を丸め、主の祈りをささげていたのでございます。
時により すぐれば民のなげきなり 八大龍王 雨やめさせたまへ!! やめさせたまえ!! やめさせたまえ!!

 しかし雨は一層強くなり、目の中に雨が張り付き何も見えなくなるような状況でしたが、これはあわてて主の祈りを間違えてしまったからでございます。

 結局この道を突破するのに約2時間かかり、この時ほど修行の厳しさを感じたことはありません。
当初は忠類の公園でキャンプを張る予定が、身も心もずぶぬれになり、かつ台風も接近しておりましたので忠類の温泉兼ホテルに逃げ込んだのでございます。
主は弱きロドリゴをお許しくださるでしょうか?」

| | コメント (0)

(28.5.19)アメリカと中国がコケて世界同時不況に突入した。

2252_002 

  何度も同じことを言って恐縮だが、成長しきった経済がさらに成長を続けることはない。そうした意味で、日本もヨーロッパも1%程度の成長がやっとで成長限界に達していたが、意外にもアメリカは3%程度の先進国としては信じられないような成長率を維持していた。
アメリカが新興国のような成長を維持できたのは、シェールガス・オイル革命という資源国経済を享受してきたからである。

 この革命によってアメリカは天然ガスと原油の輸入国から輸出国に転換してサウジアラビヤのような資源特需に沸いていた。
しかし14年夏ごろからバーレル当たり100ドルを越えていた原油価格が急激に低下しはじめ、15年に入ると30ドル前後にまで急下降したためアメリカのシェール産業は軒並み赤字になってしまった。
それでも15年度を通してあまり生産量が減少しなかったのは、資源開発会社の資金調達方法にその原因があった。

 ほとんどの資源開発会社は返済資金を原油や天然ガスの売上代金で充当することになっていたため、価格が下がっても生産量を落とせずかえって増加しなければ返済ができなかったからだ。
だがこの方法にも限界がある。
15年に入りアメリカの資源開発会社の債務不履行は24社にのぼり、うち15社は破産申請を申し出ている。

注)シェール産業の実態については以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/ppppp-7.html


 アメリカはこれまで先進国としては異例なほど高成長をしていたが、16年1月~3月期のGDPは年率で0.5%の増加にとどまり、日本とヨーロッパの仲間入りをアメリカもすることになった。
シェール革命が頓挫した以上アメリカが特別に高成長を遂げる要因がなくなったからだ。

 経済も人間と同じでいつまでも成長するものではない。人間でも二十歳を過ぎると身長は伸びないが、それでも体を無理やり大きくしようと過食するとひたすらメタボになって行く。
外見上は体重が増加する分大きくなって行くが、高血圧や糖尿病等に悩まされて本当の健康とは言い難い状況になる。
アメリカや日本や西洋が行ってきた金融緩和策とは成長しなくなった経済に無理やり資金を供給してメタボ経済にすることだが、GDPが体重計と同じようなものだから世界は経済成長を遂げていたことになる。

 しかし日本では昨年の夏場ごろから資金緩和をしても経済停滞があらわになり、今年の2月には黒田日銀はサプライズとしてマイナス金利の導入を決定した。
これにより貸出金利が低下したため住宅資金の借り換えは大いに進んだが新規の借入は黒田氏の予想に反してほとんど増加していない。
おかしいじゃないか。これほどの低金利なら絶対の借り時だ。それなのに企業も個人もなぜ資金借り入れに走らないのか・・・」黒田日銀がため息をついている。

 だがマイナス金利の本当の意味は、投資機会が全くなく借り入れをして工場を建設したり、不動産を購入したり、株式投資をすると必ず損失が出るということを意味している
投資資金としての資金の価値は全くなく、借入れなどして生産増加を図ると損失が発生するから企業は借り入れを行わず、個人は住宅資金の借り換えしか行わない。
黒戸日銀には気の毒だが、毎月10兆円規模の資金を投入し、さらに一部の預金にはマイナスの金利を設定しても、世間に投資機会がない以上誰も資金調達に走らないのだ

 14年夏に中国経済がピークを打ち奈落の底に陥っており、今またアメリカ経済がシェール革命に失敗して通常の先進国病に陥った。
このため世界経済は低迷期に入って上昇の機運がつかめない。
安倍首相は先進国が財政出動をすることでこの危機を乗り越えようと各国に提案しているが、それは一時的なカンフル剤になっても成長しきった経済を浮揚させることは不可能だろう。
世界経済は新たな元気のいいプレーヤー(おそらくインド)が現れるまでこの低迷状態が続きそうだ。

 

 

| | コメント (0)

(28.5.18) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その4」

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(22.9.1) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その4

Photo

 蝦夷地を探索してみて最も驚くことは歩く人がほとんどいないということでございました。
ちょっとした集落に立ち寄っても、歩いている人はほとんどなく、ましてや集落から集落の間の道路には自動の車と称する乗り物に乗って移動する人以外は皆無という状況でございました。

 かつてロドリゴが故郷セビリアの神学校で神の教えを学んでいた頃、生徒の間で僻地を徒歩で旅することが若者の証であったのを思い出します。
当時はカーキ色の横長のリックを背負ってひたすら歩いていたのですが、後ろから見るとカニの甲羅のように見えるため、カニ族と呼ばれておりました。

 しかし元禄のこの世で蝦夷地を歩く人はロドリゴ一人ではないかと思われるほどカニ族は絶滅していたのでございます。

 さて今日(元禄3年8月11日)はキャンプを張った音調津(おしらべつという漁港を後にしたのですが、この頃から足の小指に水ぶくれができ、歩くことに支障が出るようになりました。
途中のフンベの滝で足を水に浸したして冷したりしたものの、水ぶくれは徐々にひどくなり、気持ちは段々とナーバスになっていったのでございます。

22824_108
これがフンベの滝。岩の間から水が湧き出している

 ロドリゴの履いていた靴はアシックスのGELという、マラソン用シューズで、甲高でだん広の足にはとてもフィットする靴でございます。
しかし真夏の太陽に照り付けられた道路面は50度以上に熱せられ、長時間歩いたり走ったりいたしますと、ちょうどフライパンの上に足を乗せた状態になり、一種の火傷のような状態になるのでございました。

昨日も昨日も10時間以上歩いているんだから水ぶくれも仕方ないか・・・
休むたびに針で水抜きをしてまた歩くのですが、状況は改善せず歩くたびに「イテー」と悲鳴をあげるようになりました。

こりゃ、だめだ。少し足の手当てをしなければ納沙布岬までとてもいきつけない。今日は早めにキャンプを張ろう

 音調津(おしらべつから広尾までは10kmあまりで、さらにそこから3kmあまりのところにシーサイドパーク広尾というキャンプ場がありました。
今日は無理をせず、このキャンプ場で休息をとることにしたのでございます。

22824_125_3  (
キャンプ場からながめた景色。手前がラッコ川、その向うに十勝港が見える

 実はこの時本音を言えば、足の痛さに絶えかね「ああ、やだ。こんなに足が痛いのなら帰ろうかしら・・・・」と思っておりました。
しかし、おゆみ野の在を出立した時、「ロドリゴがんばれ、我らの誇りだ。カニ族だ」と盛大な送別会をしてくれた同僚の顔を思い浮かべ、その思いを断ち切ることにしました。

 もしここで帰宅すれば「ロドリゴは修道士の恥だ。おゆみ野には一歩たりともいれず島流しにしろ」なんていわれそうだったからでございます。

 ここ広尾はアイヌの言葉でピオロと言い、石があるところの意味だと聞きました。
広尾は松前藩とアイヌとの間の一大交易所で「場所」と称し、多くの和人とアイヌが住んでいる場所でございます。
また広尾を含めてこの一帯をトカチといい、ここ広尾には寛政の時代から十勝神社が祭られており、アイヌに対し和人の神をあがめることを強制しているようでございました。

  しかしここ広尾も蝦夷地の他の集落と同様に人口減に悩まされており、1980年に約1万2千人いた人口が、昨今は8千人まで減少し、かつてあった広尾線も廃線になっておりました。
蝦夷地の集落はどこも寂しいものですが、ここ広尾もそうした寂しさを漂わせておりました。

22824_130_2  

これが私のテント。このテントの中でひたすら寝ていた

 この日はキャンプ場で足の手当てとして水抜きを行い、昼ごろから後は疲れを取るために、主に祈りをささげながら寝ていたのでございます。
主よ、我に歩く力をお与えください

| | コメント (3)

(28.5.17) 「なんでパナマ文書に名を連ねるのが中国人ばかりなんだ。片っ端からしょっ引いてやる」

22511_031 

 だんだんとパナマ文書の内容が明らかになるにつれ、最大の顧客が中国人と中国企業であることが分かってきた。
全体で21万社の資料があるそうだが、現在まで判明した国別の件数では、中国と香港を合計すると約5万件になり、一方イギリスやアメリカはそれぞれ6000件程度、そして日本の場合は約800件にすぎない。

 圧倒的に中国人と中国企業ばかりだが、習近平氏がこれを見て息巻いていた。
何と言うことだ、中国人には愛国心というものがないのだろうか。儲けた金はすべてバージン諸島の投資会社の収益にしてしまうし、国内からの投資はすべてこの投資会社経由で行っている。俺が反腐敗キャンペーンをしなければならない理由が分かるだろう・・・・・」

 もっとも資産隠しは中国人だったら誰でも行っていることで、当の習近平氏の姉の夫がこのパナマ文書に名前を連ねているが、そうしたことはネット検閲で厳重に秘匿されている。
我が一族以外のものが資産隠しをするなんてとても許せない。片っ端からしょっ引いて隠し資産を没収して後は山わけだ!!!」

  中国では統計上存在するものが本当にあるかどうかは常に疑問だ。
王朝時代の中国では財宝はすべて紫禁城に集められ、そのカタログは膨大なものだったが、実際に調べてみるとほとんどが紛失していた。
頭の黒いネズミであった宦官が私的に売却して私服を肥やしていたからだが、皇帝が思い余って在庫調査をすると公言したら、その日のうちに倉庫から出火して宝物はすべて灰になってしまった。だが本当は宝物殿がただ焼けただけで中身は存在しなかった。

 現在の習近平王朝では外貨準備はピーク時4兆ドル480兆円)あったことになっていたが、本当はその半分程度しか準備金がないのではなかろうかと疑われていた。
統計上計上されている外貨がパナマやケイマン諸島に存在し、その実質的な所有者は国家ではなく個人であることが多く、また実際に投資した案件もブラジルやチリやアフリカの鉱山の買収資金で、今では何のための投資だったか分からなくなっているような不良資産のオンパレードになっていたからだ。

 中国人は地位を汚職の手段と考えているから、家族旅行の費用は国家の経費になるし、世界の美術品の個人コレクションも当然国家予算から支出される。
うるせい、これは世界でも行っていてマスゾエシンドロームというのだ。正当な政治資金の使用法でやましいことはいっさいない

 最近中国情報といえば南シナ海に建設した飛行場以外はさしたる情報がないのは、中国経済が崩壊過程にはいって公開すべき情報などほとんどなくなっているからだ。
1990年代、ワシントンでの日本情報がめっきり少なくなって愛国的日本人を落胆させていたが、今中国がそのワダチを踏んでいる。
中国の存在感が段々と小さくなっていて、パナマ文書以外に登場することが少なくなった。

 

 

 

| | コメント (2)

(28.5.16) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その3」

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(22.8.30) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その3

002
(今日は襟裳岬から広尾へ地図の右側の黄金海岸をたどった

 今日(元禄3年8月10日)は蝦夷地ではかなり大きな集落の広尾まで行きたいと思いましたが、距離にして46kmあり、どう考えても途中の野宿は必定と思われました。

 幸いに私ロドリゴはテントと寝袋を持参していましたのでどこででも寝ることはできるものの、ただ一つ気がかりなのは夜半ヒグマに襲われる可能性があることでございました。

 江戸近在の奥多摩の山中にはツキノワグマが出没し、時に人に襲い掛かることがあるのですが、人とツキノワグマの力はほぼイーブンで、豪胆な狩人はツキノワグマを谷底に突き落とすぐらいでございます。
しかしヒグマは立ち上がると3mにも達し、ツキノワグマの数倍の体重ですので、とても戦う相手ではなく「食べるなら一思いに食べてください」と頼むのがやっとでございます。

22824_083
黄金道路 現在は左のトンネルに入るのだが、右に旧道のトンネルが映っている

 しかも今日広尾に向かう道は特別に険阻で、日高山脈が海にせり落ちており、油断をすると崖から大石が転がり落ちてくるような場所でございます。
長く人を近づけない場所ではありましたが、近藤重蔵様はじめ多くの方々がここに道を開削し、当初は山道でしたが徐々に海岸べりに人もヒグマも通れる道を開削したのでございます。

 この道は現在黄金道路と呼ばれており、当初ロドリゴは砂金を掘るための道路と誤解しておりましたが、大金を費やしてようやく開通した道路という意味だとあとで知りました。

 現在この道路はさらに多くのトンネルが掘られて、海岸道路ではなくトンネル道路に様変わりしております。
かつて大金を費やして開削した海岸道路は打ち捨てられて今はこのロドリゴ以外訪れる人はいないようでございました。

22824_087
打ち捨てられた海岸道路。ロドリゴが一人で歩いた

 これは後ほども述べるつもりですが蝦夷地の道路はことのほかよく整備されており、特に地方道は数少ない地元の人が使用するのと、ロドリゴのような旅人がたまに利用する以外利用されることがたえてないようでございました。

 それでもこのような立派な道路が有るのは蝦夷地の鈴木宗男大酋長のおかげで、公共工事が唯一の産業だと言って道路をつくったからだと、土地の和人やアイヌの人々が申しておりました。
ヒグマやキタキツネのためにも道路を整備しよう」これほど博愛に満ちた言葉は聴いたことがありません。


  当初ロドリゴはトンネルを避けて景色が見える打ち捨てられた海岸道路を歩いておりました。
しかし大きな土砂崩れの跡がありどうしても通過ができず、已む無く引き換えしてトンネルを通過することにしたのでございます。

 なかでも宇遠別トンネル全長3.3kmもあり、歩くと50分もかかりました。
その間自動車の騒音と排気口のファンの音がものすごく、かつ歩道はせいぜい50cm程度でしたので、油断すると歩道から落ちてしまい、まことに危険極まりない場所でございました。
主よ、これは主がロドリゴに与えたもうた試練なのでしょうか」なんど祈ったことでございましょう。

22824_090
海岸道路のがけ崩れの現場。仕方なくここからもと来た道に引き返した

 トンネルを通るたびに緊張しておりましたのでくたくたにくたびれてしまい、やはり広尾までは到着できず、途中の音調津(おしらべつという漁港の岸壁にテントを張って寝ることにいたしました。
襟裳岬を出立したのが朝の5時で到着が4時ごろでしたので、おおよそ40km程度歩いたことになります。

 この漁港には幸いに和人の人家が点在しておりましたので、ヒグマの襲撃を心配せずに寝ることができたのでございます。

22824_104
この川で身体を洗って岸壁にテントを張った

(参考)今回の装備について
今回一番頭を悩ませたは装備で、これをできるだけ軽くする必要がありました。
・テント、寝袋は必需品で約3kg
・衣類は基本2セット(昼間と夜中用)、それに雨具1セット 約2kg
・食料は現地調達でできるだけ少なく、水を入れて 約2kg
・リックサックの重さが1kg
・ポシェットにはカメラ、お金、医療品(正露丸・風邪薬・虫対策) 約1kg

合計で9kg程度になりました。

| | コメント (0)

(28.5.15) 都民は都知事の選択を誤ったのだろうか? せこさだけが目立つ舛添知事

100 

  私が眼病で約1か月間ブログの記載をしていない間に、世界は激変してしまった。世の移り変わりは実に早い。
アメリカの大統領選挙の帰趨はほぼ決まり、世界経済はアメリカを中心に停滞感がまし、日本ではアベノミクスと称する金融緩和策の賞味期限が切れだした。
三菱自動車はVW並みのテストデータの改竄がばれて、とうとう自力で再建ができなくなり日産の配下に入った。
そして東京都の舛添知事はせこく政治資金を私的に流用してピンチに陥っている。

 舛添氏が都知事になったのは約二年前で、前任の猪瀬知事が徳洲会からの政治献金を借入金として処理していたことで辞任に追い込まれた後を継いだものだ。
舛添氏はさすがに政治献金を隠すことはしなかったが、その代わり政治献金を私的に流用することには躊躇をしなかったようで、木更津への家族旅行の経費約40万円を政治資金の使用としたり、自身の趣味の画材の購入資金をこの政治資金から支出している。

 またそれ以外にも都知事としてヨーロッパに大名旅行を2回行っており、その経費は一回当たり約5000万円だ。
私は当初舛添氏が一人で1週間ヨーロッパに滞在し5000万円使用したのかと思ったが、随行員は約20名だったという。これだと一人当たりにすると250万円になるから、私がする個人旅行の経費25万円に比較すると約10倍ほどの費用ということになる。
この経費が高額だということが今問題になっているが、それよりもこうした大名旅行は単なる観光旅行であり、個人的な楽しみ以外には何のメリットもないことの方が問題だと思っている。

 随行員が20名ということはこれが特別な目的を持ったものでなく、都知事自身とその取り巻きに対する慰安旅行に過ぎないことを意味している。本当の交渉事であれば専門のスタッフはせいぜい4~5名程度であって、これ以上増えると交渉に支障が出てくる。
だから人数が多いということは何もしないということと同じで、この視察旅行が観光目的以外の何物でもないということが分かる
鳥取県知事などは海外出張 は常に一人で、世界各地にゲゲゲの鬼太郎を売りまくっていたたが、知事が十分語学能力があり、かつ実務能力があれば一人での出張でも十分なのだ。

 舛添知事の自己評価とは違い、舛添氏に対する世間の評価は高くない。それは知事在任中にこれといった功績がないからだ。前任の猪瀬知事は(裏献金の問題があるものの)東京オリンピックの招致に成功したし、都の水道事業の海外進出も果たし、さらに羽田空港のハブ化にも成功した。
私は猪瀬前知事はとても優秀だと評価していたので、徳洲会の献金問題で辞任に追い込まれたことはとても残念なことと思っている。

 一方後任の舛添氏は無能で、したことといえば自身の別荘に帰るのに公用車を使用していたとか、大名旅行で都民の税金を浪費していたとか、また都知事になる前だが政治資金でせこく家族旅行をしていたといったようなマイナスのイメージしかない。
その中で唯一成功したのは国立競技場の建設費用を削らせたことだが、これももとはと言えば怪我の功名 で、経費負担増に関して文部科学省が舛添氏に頭を下げなかったため「に頭を下げない限り経費負担はしない」と居直っただけだからだ。

注)この辺の具体的経緯については以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/qq-e851.html

 舛添氏はもともとは政治学者で大学教授だが、金で苦労をしてきたためかすることがいずれもせこい。自身は金を出さず家族旅行や大名旅行をすることだけに熱中して、まともに都政の運営をしているとは言い難い。
政治資金規正法違反は都知事になる前だから、これによって辞任する必要はないが、東京都民はかなり不適切な知事を選んでしまったといえそうだ。

 

 

 

| | コメント (6)

(28.5.14) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その2」 

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(22.8.28) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その2

002  

(様似から襟裳岬に海岸線を約36kmたどる

22824_061
今日の目的地襟裳岬

 ロドリゴにとってとても意外な気がしましたのは、この蝦夷地が相対的に衰退していることでございました。
蝦夷地全体としても1995年ごろの人口570万人から、現在は550万人に漸減しており、それは特に漁村部や農村部において著しい傾向となっております。

 ここ様似(さまに)においても1980年には約8000人いた人口が、今では約5000人の規模になり、アポイの火祭りを行うのにも事欠く有様のようでございました。
したがってこの集落にはたしてコンビニと称する食料調達地があるか、非常に不安だったのでございます。



 様似の駅を出立したのは元禄3年8月9日の朝6時ごろでしたが、信じられないことに国の道を約200m程度行ったところで、セイコー・マートと称するコンビニに遭遇することができたのでございます。

 このセイコー・マートは橙色の鳩のマークが目印ですが、長らく江戸表に住みセブン・イレブンローソンを見慣れた目からすると「セイコー・マートって何」という雰囲気でしたが、実際はその後このセイコー・マートに何度も飢餓一歩手前で助けられたものでございます。
主よ、主はロドリゴのためにセイコー・マートを用意してくださったのでしょうか

 何はともあれ、当日と翌日までの食料を入手できましたので食料問題は解決でき、泊まりはいつでも野宿が可能で、非常に晴れ晴れとした気持ちで出立できました。

22824_026
こうした海岸線が続いている

 今日は様似から襟裳岬(えりもみさきまで歩く予定で、距離はおおよそ36km程度と推定されました。時速4km約9時間の行程ですが、途中で休みを入れたりして10時間程度で襟裳岬に到着が可能に思われました。

 ここ日高地方の太平洋側に面した海岸線は日高昆布の一大産地で、この時期は漁家はあげてこの昆布の収穫に全精力を集中しておりました。
昆布は資源保護のために夏の4ヶ月と漁期が決められ、かつ朝方の3時間だけが許されるという制限の元に、ここに漁業権を持っている猟師が一斉に船を出して収穫を競い合っておりました。

 今回の探索はほとんど海岸線に沿ったものでしたので、この昆布漁の光景は幾度となく見ることができましたが、この昆布漁でその年の生活をまかなわれており、収穫量の多寡が生活を決定づけているようでございました。

22824_007
舟で収穫した昆布はトラックに積み替えられ干し場に運ばれていく。こうした作業は一家総出で行われていた

 そして概して言えば漁家は昆布のおかげでかなり裕福な生活をしており、家並みも江戸表のそれとそん色ないレベルでございました。
なるほど、松前藩の財力はこの昆布漁に負っているのか

 途中この地域の守り神である約800mほどのアポイ岳火のあるところの山)の麓を過ぎましたが、ここはアイヌの聖地のようでございました。
襟裳の国の道をひたすら南下し、朝方の霧も晴れ強い直射日光が肌を刺すほどの好天になったのでございます。

 山が海岸にまで迫っており、急斜面を川が流れ落ちており、おかげで水の苦労はなく、また身体が火照ると水浴びをして体温を下げることができたのでございます。

 えりも港を過ぎると、襟裳公園道という特別な道があり、周りの光景が一変し高山植物と笹が生い茂る荒涼とした景色が続いておりました。
ここは昨年歩いたフランスの高原地帯にそっくりだ」そんな感じの場所でございます。

 襟裳岬は江戸表の歌い手、森進一が「襟裳の春は 何もない春です」と歌った場所でございますが、この時期常に霧が立ち込め長袖を着込まないと寒さに耐えられないような場所でございました。

22824_057
こうした光景が延々と続く

 ようやくついたものの景色は霧にかき消されていましたので、灯台の後ろあたりにテントを張って寝ようとしておりましたところ、ここに住居を構えている和人が「旅の方、もし野宿をされるならバス停の待合室が戸もきっちり閉まって快適ですよ」と教えてくれたのでございます。

22824_063
このバス停が一夜の宿になった。戸が頑丈に作られておりヒグマでも開けられないようになっている

 ここ襟裳岬にはヒグマが出没しているらしく、有線放送でさかんに熊対策を放送しており、キャンプなどしていると熊の餌食になってしまいそうな雰囲気でしたので、喜んでこの和人の言葉に従い、バス停の待合室で一夜を過ごすことにしたのでございます。

| | コメント (1)

(28.5.13) ロドリゴ闘病記 原田病 その2

23516_011 

この闘病記は「その1」の続きです。

http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/pppp.html

 さすがに二回も再発したのでこりた。
もう二度と再発させないために医者の指示は厳格に守ろう
薬チェック表を作成し、毎日飲むたびにチェックを入れた。何しろロドリゴは極度に記憶力が悪く、1時間前のことがうるおぼえになる。

 再びステロイドの量が増やされたが徐々に少なくするように指示されて15mg程度になった本年2月、信じられないような体の変調が始まった。
左足のふくらはぎに水がたまり、右足の付け根のリンパが異常に痛む歩くこともままならず家の中で這って歩いた。
いったいこれはなんだ。今まで経験したこともない症状だ。しかし少しもよくならずかえって悪化していく」パニックになってしまった。
もしかしたらこれはステロイドの副作用ではないだろうか・・・・・・

 

 千葉メディカルセンターの主治医に症状を訴えると内科と整形外科のチェックに回してくれたが、「単なる整形外科的な症状で副作用とは認めがたい」という。
しかしいづれにしても歩くこともままならないため近くのおゆみ野クリーン整形外科に行って足のふくらはぎの水を抜いてもらうことにした。
ここの先生は若くて処置がとても手際が良い。

ロドリゴさん、150ccも水がありましたよ。注射器で5本です
私も驚いたが看護婦さんがさらに驚いていた。
痛くはなかったですか??」
少しは痛かったが我慢の範囲内だし、何しろ歩けるようになったので満足した。

だがしかし、この症状は絶対におかしい。ふくらはぎに水がたまるなんて通常ならありえないような症状だしどう考えてもステロイドの副作用だ!!!」
ふたたびステロイド恐怖症がはじまって、自分の判断でステロイドの飲む量を減らすことにした。
当時は毎日13mgの投与だったが、10mgに減らし、さらに二日に1回は飲むのを止めた。
これで問題が出なければ副作用も激しいのだから対処療法としては正しいのではなかろうか・・・悪化したらすぐわかるからその時は投与量を元に戻そう・・・・・・

 しかしこの勝手に投与量を減らすのは問題がありすぎたようだ。3月に入りふたたび近くが見えなくなって遠くが見えだし、全体に見えるものが白っぽくなり、無理に見ようとすると目の奥に激痛が走る。そしていつもの星屑がやたらと多く見えだした。
まずい、またやっちゃった。3度目の再発だ!!!!」

 千葉メディカルセンターの主治医もお手上げになってしまった。
ロドリゴさん、これ以上のステロイド投与は副作用が大きすぎます。直すには免疫抑制剤の投与になりますがこれはとても危険な療法なので大学病院でしか実施していません。紹介状を書きますので千葉大学病院の方に行ってください

 あれから2か月たったが、現在は千葉メディカルセンターと同じ療法を続けており、ステロイド剤を徐々に減らすことに主眼をおいている。
ロドリゴさん、免疫抑制剤の投与はステロイド剤の投与以上に副作用が出ますので、実施するかどうかは本当にステロイドの投与では駄目だと判断されたときです。それまではステロイドの量を徐々に減らすことに専念しましょう

 現在は100%医師の指示に従った11mgの投与を継続している。
3回も失敗したんだ。今度は絶対に何があっても医師の指示に従う
月に1回の割合で千葉大学病院でチェックを受けているが、できればステロイドの投与を減らすだけで全快してほしいものだと思う。

注)ロドリゴ闘病記は今後状況が変化した都度掲載します。

| | コメント (1)

(28.5.12) 病気療養中のため二日に1回の割で過去の旅行記を掲載しています。「蝦夷地探訪記 その1」 

 病気療養中のため新しい記事は二日に一回の割合で掲載し、その間は過去の探訪記を再掲しております。

(22.8.26) ロドリゴ 蝦夷地探訪記 その1

001
日高本線の終着駅から襟裳岬を経由し、太平洋側を根室半島のノサップ岬まで歩くのが今回のコース

 主の僕(しもべ)ロドリゴサンチャゴ巡礼に旅立ったのは昨年の6月のことでございましたが、このたびマラカの大主教サンチアーノ様より新たな使命が発せられ、蝦夷地のアイヌなる民族の動静を探り,あわせて布教活動の是非を探索する密命をおびたのでございます。

 主の僕ロドリゴが喜び勇んで蝦夷地に出立したのは、ときあたかも芭蕉翁が奥の細道に出立した元禄3年8月8日のことでございます。
当初ロドリゴは大洗の港より北前船に乗り、蝦夷地松前藩の苫小牧の港に着き、そこからは松前藩後用立ての帆船で様似(さまに)の港まで行く予定でしたが、あいにくと北前船は予約が取れず、已む無くJRの飛脚便で様似の港まで行くことにしたのでございます。

 様似はアイヌの言葉ではシャマニと称する港町で、倒木の多いところとの意味だと松前藩藩士亀権乃助殿が説明してくださりました。
またこの一帯から砂金が取れたことから近時、和人が多くこの地に進出しており和人の多い集落でございます。

 亀権乃助殿は私ロドリゴが幕府の密偵であり、松前藩のこの太平洋に面した豊かな昆布、鮭、砂金の産地を幕府の天領として取り上げるための事前調査ではないかと疑っておられました。
このため行く先々で詳細な行動報告を亀権乃助殿にするようにとの強い沙汰があったのでございます。 

22824_004
アポイの火祭りが行われていた

 ロドリゴが様似の港に着いた日は、アポイの火祭りと称するお祭りが開催されており、アイヌ・和人が相和して盆踊りなどをしておりましたので、私ロドリゴも故郷セビリアに伝わるフラメンコを披露して座興に加わったものでございます。

 様似に到着したのは夜の9時ごろであり、千葉のおゆみ野の在を出立したのは朝の6時でしたのでおよそ15時間の旅でございました。
フラメンコを踊り疲れきってしまい、JRの無人駅である様似駅の一角にゴム製のマットをひいて明日の旅立ちのために眠ることにしたのでございます。

 明日よりは毎日ほぼ30km程度の距離を歩き、寝る場所は野宿、約2週間かけて根室半島の納沙布岬(ノサップミサキ)まで行くのが今回の探索の目的でございます。
距離にしておおよそ400km程度と推定されますが詳しい旅程はまったく不明でございました。

22824_001
無人の様似駅の観光案内所の前にマットをひいてこの日は眠ることにした

 この地はその後近藤重蔵様択捉(エトラフ)探検に通過した場所ではありますが、当時はそのようなことは一切知る由もなく、ただ思うことは明日よりの旅程で食料を確保する場所がありやなしやの一点でございました。

 蝦夷地は江戸やおゆみ野とは異なり、一つの集落から次の集落まで約30km程度離れており、その間はコンビニと称する食料調達地が一切ないと聞かされていたからでございます。
コンビニがもしなければ明日の食料をどのように調達したらよいだろうか

 様似の駅でそのことを思案していると胃がシクシクと痛み始めましたので、「ままよ、どうにかなるだろう」とようやく決心して眠りにつくことができたのでございます。

| | コメント (1)

(28.5.11) ロドリゴ闘病記 原田病 その1

眼病の症状がやや落ち着いてきたので二日に一回程度の割合でブログの記載を再開します。まずは眼病の報告からいたします。

23429_008 

  昨年の5月に眼病の原田病に罹患してから1年がたった。当初3日間の入院をし、その後はステロイド療法で徐々に症状が収まっていくと思っていたが、予想に反して3回も再発があって未だにステロイド療法を続けている。
最初は「まあ原田病というのはかなり珍しい病気のようだ が、ステロイドを呑んでいればそのうちに完治するだろう」位に思っていたが、この病気を甘く見ていた。

注)なおロドリゴがこの原田病という難病に罹患した経緯は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-2b89.html

 本来なら2か月ぐらいで症状が収まるのだそうだが、私の場合は3か月目の昨年8月に再発してしまった。再発すると視力が急激に衰えて非常にまぶしくなり、近くの字が見えなくなるのだが、そのかわり原田病の症状の一つとして眼球が押されるという症状があって、遠視のように遠くが急に見えだしてくる。
あ、何か変だ。近くは見えず、遠くが見える。眼球も痛いしどうしたのだろうか・・・・・・・

 千葉メディカルセンターで診断を仰いだら原田病が再発して網膜の後ろから再び水が染み出しており網膜が膨らんでいるという。
山崎さん、何か特別なことをしましたか?」主治医から聞かれてしまった。
実は8月に北海道の自転車旅行をイェティーさんと2週間にわたって行ったのだが、最終日の大洗からおゆみ野に来る途中の鹿島神宮の近くでひどい転倒をして、右足の膝のお皿を割ってしまった。
当時はそれとは気が付かないでその後の80km余りを左足一本で漕いできたが、さすがにひどい疲労感に襲われた。
ステロイドを投与していると免疫力が落ちるので体に負担をかけないように」と主治医からいわれてたが、この時は疲労困ぱいしてしまった。

 またそれだけでなく主治医には言わなかったがステロイドを飲むのをよく忘れていた
当初、毎日朝3錠(15mg)、昼に2錠(10mg)を飲むように言われていたが、朝はともかく昼間に飲むのはいつも忘れてしまう。
私は極度に記憶力が悪いから1時間も立つと飲んだか飲まないかあやふやになる。
「ま、いいや飲んだことにしておこう・・・・・」

 私は全く知らなかったが、このステロイドはとても良く効くのだが、一方それを減らすのには非常な注意が必要で、医師の指示を完全に守って少しづつ減らさなければ原田病が再発するのだそうだ。
私の場合は何しろすぐに飲んだか飲まないか忘れるし、あまつさえ体を酷使するので、8月の末にとうとう再発してしまったようだ。
「山崎さん、再発する場合はまた入院治療が必要になるのですよ
私が肉体を酷使するタイプだと見ぬいた主治医にきつく注意されてしまった。

 今思えばこの段階で主治医の注意を厳格に守る良き患者でいたらよかったと思う。しかし実際はそうではなく、あいかわらずスポーツにのめりこんでいた。
私は昔からのランナーだが今から2年ぐらい前から坐骨神経痛が痛んで走れなくなっていたが、歩くのには支障がなかったので「走れないなら速足をしよう!!」とばかりに速足にのめりこんでしまった。
この調子なら競歩の選手になれるかもしれない・・・・」

注) 速足を自慢していたころの記事は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/27111-7344.html

 そして調子が良くなるにつれて主治医から指定されていたステロイド剤を飲むことを忘れていった。
こんなに体は調子がいいのだし、薬を飲む必要なんてないのじゃなかろうか・・・それにステロイド剤は長期間投与すると糖尿病や高血圧になるというから、まあこの辺でやめてもいいのじゃなかろうか
勝手に判断してステロイド剤を主治医からの指示の半分程度に減らしてしまった。
そして2回目の再発が起こったのは12月である。
まずいまた目が見えなくなり、近くはほとんど見えない。それに星屑のようなものが目の中に浮かんできてつらいことこの上ない

 二回目の失敗も勝手にステロイド剤を減らしたことによるものだ。
このステロイドの量を少しずつ減らして完治させるのが医者の技量なのだそうだが、ロドリゴの場合は勝手に減らしていったのだから釈明の余地がない。

(続く)

 

| | コメント (0)

(28.5.10病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その22」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.8.14) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編 その6 最終回

21_1196
キリスト暦2009年7月10日

 ロドリゴ巡礼日誌最終回を迎えました。ここまで継続して読んでいただいた方には心から感謝申し上げます。

 出発時間はパリ発11時45分でしたので、その2時間程度前にはシャルル・ドゴール空港に到着することにしておりました。
私の持っている航空券はHISで購入した帰国便を1回だけ変更できる航空券で、今回は変更がなかったため事前にリコンファームをしておりませんでした。

 外国の個人旅行をしていていつも悩むのが、このリコンファームでございます。今回のHISからの注意書きにも「既に予約が入っている場合は、予約便搭乗日の遅くとも3日前までには、航空会社オフィスに変更の旨ご連絡いただくようお願い申し上げます」と記載されておりました。

 素直に読めば、変更がなければリコンファームをしなくてもいいはずなのですが、かつてはどのような状況でもリコンファームが必要でしたので、「もしかしたら、変更なくてもリコンファームが必要なのでは・・・」とつい疑ってしまうからでございます。

 そうした心配があるため、できるだけ時間の余裕をみてシャルル・ドゴール空港に郊外電車で向かうことにしました。
幸いにパリの地下鉄や郊外電車の乗り方をマスターしておりましたので、スムーズに空港に着くことができ、また駅と空港を結ぶ通路に設置されていた掲示板で、第2ターミナルのどのブーツに行けば、アエロフロートのチェックイン窓口か分かったのでございます。

(注)シャルル・ドゴール空港はターミナルが3つあり、そのターミナルごとにブーツが6箇所前後あるため、どこがアエロフロートの窓口か、すぐには分からないのです。

 飛行機は順調に飛び出しまったく問題はございませんでした。たまたま私の横にはジャポンからフランス国の旅行会社に勤務しているマドマーゼル ケイが座っておりまして、2週間余りの研修にジャポンに帰国するのだといっていました。

21_1195

 ケイは旅行会社に勤務しているだけあって、フランス国の事情に精通しておりました。
私が今回巡礼の旅をしていて最も不思議に思ったのは、若者や中高年の失業が多く、そうした人たちが好んで巡礼の旅を楽しんでいることでした。
こうした疑問をケイに聞いてみました。

ケイ、私はとても不思議に思うのだけど、フランス国では失業問題はおおきな問題にはならないのかい。
たしか3年前にフランス国では初期雇用契約(
26歳未満の若者の雇用にあたり2年間の試用期間を設け、この期間中は雇用者側は理由を問わず解雇することを認めるという法案)が可決されたけど、学生の大反対があって潰されてしまったでしょう。
 
 導入を図った首相は首を切られるし、一方で学生は大勝利だといっていた。雇用されるよりも失業している方がいいという判断はどこから出るのだろうか?」


ロドリゴ、それはねえ、フランス国は身分差別の国で、かつ社会保障制度が極端に整った社会主義国のような国だからなのよ。

 大学生は卒業すると無期限雇用契約によって一生企業から首を切られないで済むの。一頃のジャポンの終身雇用制度のようなものね。
そうして、この無期限雇用契約者だけが、会社の管理職になれるの。

 一方初期雇用契約者はジャポンの派遣労働者で簡単に首を切られ、そして会社の管理職には絶対になれないの。
だから初期雇用契約は、大学生に対し、『
お前達は永遠に下積みの労働者になれ、失業者よりはましだろう』と言ったのとおなじなの。

 それとね、ロドリゴ、フランス国では求職者登録さえしていれば失業手当はもらえるし、もし働いても給与が低ければ国から補填してくれるのよ。働かなくてもそこそこ食べていける社会主義国というわけ。

 だから大学生は奴隷身分より、失業の方を選ぶのだと思うわ

 ケイの説明で、この巡礼期間中最大の疑問「なぜ巡礼者には失業者が多く、そして失業を苦にしていない」が氷解できた。

21_1199

 さて私はこうして約3週間の巡礼の旅を終わったわけですが、これが私の人生に何か役立ったでしょうか。かみさんからは「行く前と同じでまったく悟りがない」といわれてしまいました。
実際その通りかもしれませんが、こうした経験は一種のボディーブローのように効いて来るものですので、もう少し長い目で見て行きたいと思っております。

| | コメント (0)

(28.5.9病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その21」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.8.13) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編 その5

21_1171
キリスト暦2009年7月9日

 地下鉄の乗り方をマスターした後は、パリの街を自由自在に動くことができるようになりました。道が分からなくなったり、自分の位置が分からなくなれば地下鉄の駅を探し、そこから目指すポイントまで乗っていけばいい訳でございます。

 明日はジャポンに帰ることにしていましたので、この日はまだ自分が見損なっていたと思われる場所に行ってみることにしました。
なかでもモンパルナス駅近くにあったリュクサンブール公園はとても気に入りました。

 ここはどうも観光客が訪れる場所ではないらしく、一方パリジャンが好んで散歩やJOGをする場所らしく、深い木立に囲まれたとても気持ちのいい場所でした。
パリの人は観光客を避けてこうした場所で憩いを求めてるのか・・・
21_1094   

 また行きそびれていたシャルル・ドゴール広場に行くことにし、シャンゼリゼの大通りを歩いてみて、ここがジャポンでいう銀座であることを始めて知りました。
私はものを買うことをほとんどしないのでショッピングには興味がなかったのですが、私でも名前を知っているルイビィトンといった店が軒を連ねておりました。
またこの一角にトヨタアンテナショップがあったのには驚きました。
トヨタが提案している未来の車の前には多くの人だかりがしておりました。

 セーヌ川の遊覧船に乗ったのもこの日でございます。シテ島の近くから上流に遡ってエッフェル塔の前で下船しました。エッフェル塔にはパリの観光客が全員集まったのではないかと思えるくらい人だかりがしており、塔に登る順番待ちをしておりました。
とても埃っぽく、私はこうしたタワーには興味がありませんでしたので、早々に退散したものでございます。
21_1149

パリの街に滞在して5日目になりますと、今まで気付かなかったことに気付くものでございます。
21_1083  一番興味があったのはベリブと呼ばれる貸自転車で、パリの交通渋滞と環境改善のためにパリ市内に約2万台の貸自転車が設置されているのだそうでございます。

 パリの街では外側一車線をバスと自転車専用道路に指定している場所が多くあり、自転車を乗るのが便利な交通体系になっておりました(一方ジャポンと異なり自転車は歩道を走れません)。
私も乗ってみたかったのですが、保証料を払って登録をおこなうという手続きが必要らしく、観光客が簡単に使用するというようにはなっていないようでした。

21_1073  もう一つ感心したのは清掃体系で、50m間隔ぐらいにビニールのゴミ入れが設置されており、それを清掃車が毎日回収しているようでした。ジャポンではゴミの持ち帰り運動の方が盛んで、ゴミ箱がほとんど撤去されていますが、観光客にゴミの持ち帰りを指導してもほとんど不可能なので、こうした体系がとられているものと思われました。

 ジャポンも外国から観光客を呼び寄せる観光立国になるには、ゴミの回収体系の確立が必要で、パリの街やシンガポールの街をまねたゴミ処理体系を是非導入して欲しいものだと思ったものでございます。

 こうしてパリ滞在5日目はゆったりと時間が流れたものでございます。

| | コメント (0)

(28.5.8)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その20」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.8.9) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編その4

21_1046_2
キリスト暦2009年7月8日

 パリの街を自由に移動する最大のノウハウは地下鉄を乗りこなすことでございました。パッケージツアーですとバスが手配され、添乗員の方がすべて取り仕切ってくれるので、移動についての問題は発生しないのですが、個人旅行の場合は、公共機関の乗り方が必須のノウハウになるのでございます。

 とりあえず私は歩ける範囲は歩いてしまったため、つぎに行きたい場所であるベルサイユ宮殿や、帰りのドゴール空港にはどうしても地下鉄や郊外電車(パリ市内では地下鉄と同じで、郊外に行くと電車になる)を利用する必要があったからでございます。

 私はジャポンの地下鉄と変らないだろうと思ってましたが、近くの地下鉄の駅に行ってみて頭を抱えてしまいました。改札口はあるのですが、駅員もおらず、切符売場もないのでございます。
どこで切符を買えばいいんだ!!!!!

 仕方なくもう少し大きな地下鉄の駅に歩いて行ってみることにしました。
ここには自動販売機が1台あったものの、今度は操作の仕方がまったく分からないのでございました。
たまたま若いフランセが切符を購入しましたので、じっと見ていたのですが、トイレットペーパーのようなロールをくるくる回して切符を購入していました。
そうか、トイレットペーパーをまわせばいいのか

21_1055
 
 私もそのフランセのまねをして、なにやら分からずロールをまわし、適当にお金を入れましたら、嬉しいことに切符が出てきたのでございます。
しかしこの切符はゾーン3までのパリ市内の切符で、私が求めているベルサイユまでのゾーン6の切符ではありませんでした(本当はゾーン6の切符も入手できるはずですが、操作が分かりませんでした)。

 フランス国では乗り越しという制度がなく、恐ろしいことに乗り越しは罰金の対象になると聞いていましたので頭を抱えてしまいました。

これじゃ、ベルサイユにいけないじゃないか。それならばターミナル駅に行って、パリ・ビジットを手に入れよう
パリ・ビジットとは外国人専用の数日間の定期のようなもので、ゾーン別・日数別になっていて、これがあればそのゾーンと日数の範囲は自由に乗り降りができる優れものでございます(JTBの旅行案内書にそう書いてありました)。

 路線を懸命に確認し、地下鉄に乗って北駅というターミナル駅(ジャポンのイメージでは上野駅)まで行き、懸命に並んでようやくそこで念願のパリ・ビジットを入手することができました。
切符を手に入れるのにこんなに苦労しなくてはいけないのか・・・・

 ジャポンでは考えられないことでございました。ジャポンではどこの地下鉄の駅にも駅員がおり、切符を自由に購入できるのですが、パリではターミナル駅以外では駅員がおらず(いるのかも知れませんが私は発見することができませんでした)、切符の購入もかように難しかったのでございます。

 しかしこのパリ・ビジット路線図(パリ・ビジットを購入すると案内書として渡してくれますさえ入手してしまえば、あとは鬼に金棒で、どこで迷っても地下鉄の駅さえあれば必ず目的地につけるのでございました。

 私はゾーン6の3日間パリ・ビジットを購入したのですが、これで念願のベルサイユにもドゴール空港ににもいけるようになったのでございます。
もっとも若干の注意は必要で、郊外電車などは行き先がいくつか分かれている場合があり、間違うととんでもないところに行ってしまうのですが、駅の電光板さえ確認すれば問題はありませんでした

注)パリ・ビジットはジャポンのイメージでは江戸市中の地下鉄と、近郊のJRの線が乗り降り自由というイメージです。

21_1058

 今回ベルサイユにこだわったのは、前回パリに遊びに来た時には切符の購入の仕方が分からず、ベルサイユに行きそびれたからでございます。
今回は絶対に行き着くぞ」思いは通じたのでございます。

 ベルサイユ宮殿ルイ14世が、フランス国が世界の中心で有った時に建設した宮殿なので、その優美さは世界に類例がないほどでございました。
文化財は権力者が作るものだといわれますが、まさにここベルサイユ宮殿はそうした権力者の意思の賜物と思われました。
ロドリゴのような権力なき者のあばら家とは比較にならなかったのでございます。

 これがパリ在住、4日目の報告でございます。

| | コメント (0)

(28.5.7)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その19」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.8.8) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編 その3

21_980

キリスト暦2009年7月7日


 昨日は結局ルーブル美術館の5分の1程度を見ただけで、後は街の散策をして過ごしたので、今日こそは美術館めぐりで一日をすごく決心をいたしました。

 まず最初にホテルに近かったフランス歴史博物館に行ってみたのですが、あいにくと休刊日でございました。これはだんだんと分かったのでございますが、常時開いている美術館はルーブル美術館のような巨大美術館だけであり、オルセー美術館でも月曜日は休館であり、それより規模の小さな美術館や博物館は催し物をおこなう時のみ開館するという形態が多いようでした。

 今日はオルセー美術館から美術館めぐりをする予定でしたが、あいにくと人出が多く時間がかかりそうでしたので、もっと人出の少ない、中小の美術館から先に見ることにし、科学博物館に行ってみましたがここも休館でございました。
どこか開いているところはないのかよ・・・・・・・

 次に科学博物館とセーヌ川を隔てて反対側にある、軍事博物館を見たいと思いましたが入口が分からず、結局同じ建物内にある解放勲章博物館と、ナポレオンの棺が埋葬されているドーム教会を見ることになりました。

21_1036
 その後で、ルーブルと並ぶ著名な美術館オルセーにようやく行くことができたのでございます。
オルセー美術館ルーブル美術館よりチェックが厳しく、私の持っているザックは入口で預けさせられ、また写真撮影も一部は禁止されていました。

 私はここでも美しい乙女の絵画に魅了されて写真に収めていたのですが、すぐに係官がやってきて「写真を抹消するように」指示されてしまいました。
主よ、ロドリゴは悪魔の誘惑で美しいマドマーゼルの素肌に見せられてしまいました。心弱きロドリゴをお許しください

 このオルセー美術館は展示物もなかなかのものでしたが、建物自体が実に美しく、私の目からはフランス建造物の第一級品に見えたのでございます。

 こうして、美術館を見て周り、街を散策してその日が終わったのですが、足で歩き回れる範囲はすべて回ってしまったため、明日は行動範囲を拡大するために地下鉄に挑戦することにいたしました。
しかしこの地下鉄に乗るまでが大変だったのでございます。

21_985  夜はいつもの裏さびたホテルでしたが、時間が経つにつれてここがかなり物騒な地域であることが分かってまいりました。
夜寝ている間に闖入者によって首を掻っ切られるのではないかとの不安感が高まったため、入口にバリケードを築いて寝ることにしたのでございます。

 バリケードは椅子と机だけの簡単なものでしたが、それでも闖入者が入ってくれば物音で分かり、せめて殺害される前に相手のふぐりを潰して一矢を報いるつもりでございました。
なおふぐりを潰す殺害方法は鎌倉幕府の二代将軍源頼家が殺害された方法でございます。

ル・モンド 7月7日
さすが、日本の武士・・・・死して闖入者のフグリを潰す

 東駅近くの貧民街のホテルに宿泊していたジャポンの武士ロドリゴさんは、夜半に金品を奪おうとした闖入者に襲われ、拳銃で数発の銃弾を浴び死亡した。

 しかし、死亡する前に闖入者のフグリを潰し、一矢を報いることが出きたのは、さすが歌麿の国ジャポンの武士だと、パリジャンの間で評判になっている。
このワザは忍法フグリつぶしといい、伊賀の忍者の間でひそかに伝えられていた秘伝で、ロドリゴさんがその最後の継承者だったという。

 なお、闖入者は激痛に耐えかね股間を押さえもだえ苦しみながら憤死した。


 これがパリ滞在3日目の報告でございます。

| | コメント (0)

(28.5.6)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その18」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.8.6) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編 その2

21_881
キリスト暦2009年7月6日


 私が宿泊した場所はパリ東駅の近くで、セーヌ川から約2km程度北側に入った場所で、セバストポル大通りから路地に入った所にありました。
パリの街は札幌の街の様な碁盤の目ではなく、放射線状に道路が伸びておりますので、放射線状の道は分かるのですが、それを蜘蛛の横糸のように縫う道は大変分かりづらいのでございます。

 それでもセーヌ川一帯の場所は、セーヌ川を基点として行動すればよく、しかもこのあたり一帯にルーブル美術館オルセー美術館が点在しておりますので、歩くのには大変便利な場所でございました。
パリ市街はジャポンの山手線の内側程度で、その中でここセーヌ川一帯はジャポンの皇居周辺の大手町、丸の内、銀座、霞が関といった感度で歩けるのでございます。

 私ロドリゴは巡礼から戻ったばかりで歩き回ることはまったく支障がありませんでしたので、「主を称える絵画があるパリの美術館をすべて見てみよう」と思ったのでございます。
21_970

 しかしこの企てはすぐに無謀だということが判明いたしました。この日は月曜日で、どうやら開いている美術館はルーブル美術館だけだったようですが、ここのエジプト室、メソポタミア室、そして主を称える宗教絵画を見ただけで、ほぼ半日経ってしまい、しかもクタクタに疲れてしまったからでございます。

 おそらくすべての陳列品の5分の1程度だったと思いますが、これではルーブル美術館に通うだけで5日間もかかることになってしまいそうでございました。
こりゃ、駄目だ。美術館めぐりには限界がある

 問題は美術館はとても疲れるということでございました。巡礼と異なり歩いては止まることを繰り返すため、ちょっとしたサーキットトレーニングのようになってしまい、美術館の椅子に腰をかけながらため息をついたものでございます。

 なお私がルーブル美術館で一番驚いたことは写真を自由に撮る事ができることでした。フラッシュは禁止でしたが、フラッシュさえたかなければいくらでも写真撮影ができるのです。
私が知っているジャポンでは、ほとんどの美術館で撮影禁止になっておりますので、ルーブルのこのおおらかさは何処から来るのか不思議な感じがしました。

 写真は当初、主のお御影のみ撮っていたのでございますが、そのうち女性の美しき素肌に魅了されてしまいました。
主よ、悪魔のささやきに溺れた、心弱きロドリゴをお許しください

21_963

 この日はルーブル美術館を半日程度で退散し、あとはひたすらセーヌ川沿いに歩き回ることにいたしました。
ルーブル美術館の前からテュイルリー庭園を経て、大きな公園や建物が有れば、それを目指して歩くことにしたのでございます。

 パリの天候は南フランスのからっとした天候とは異なり、晴れていたと思うと雨が降り出し、また晴れると言った猫の目のような天候なのには驚きました。
パリの人が南フランスにあこがれるのは、この天候のせいか」なんとなく納得したのでございます。

 食事は世界共通のマクドナルドの店がありましたので、そこで6€程度のセットで済ませ、夕食はジャポンのコンビニのような店で食材を買いこんで済ませることにしました。
こうした簡単な食事が私には一番合っているので、何とも嬉しかったのでございます。

 唯一の悩みはホテルの一泊40€でございましたが、歩き回ってホテルがあれば値段を確認しましたが、これ以下のホテルを見つけることができず、その日も東駅のそばの若干怪しげなホテルに泊まったのでございます。

| | コメント (0)

(28.5.5)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その17」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.8.5) ロドリゴ巡礼日誌 パリ番外編 その1

21_865
キリスト暦2009年7月4日


 朝早く、ムッシュ タムは巡礼の旅を継続すべく出発していきました。私は昼頃このカオール駅を出発し、パリのオステルリッツ駅に到着する列車に乗り込む予定でしたので、午前中はカオールの街の公園で寝そべって時を過ごしました。

何か今までにない自由なのどかの時間が過ぎたのでございます。
雲だけが流れている・・・・・・・・・
毎日の労働から解放されたような気持ちでした。

カオールをその日に出発する列車は10本程度で、それも午後に集中し午前中は運行がありませんでした。信じられないことに午前中は駅のトイレにも鍵がかかっており、使用ができないのでございます。
ジャポンの新幹線に慣れている目から見ると、何とも不思議なのんびりとした駅舎でございました。

 フランス国の国鉄では来る時、ル・ピュイにうまくいけずトラブルがありましたので、今度も同じようなことがないか緊張しましたが、そうしたことはまったくなく、夕方6時にはオステルリッツ駅に到着いたしました。

 ただ、パリの街に近づくにつれ、鉄道沿線の壁という壁、家の鉄道沿線側、それに列車の外側に目いっぱい落書きがされていることに目を見張ってしまいました。ジャポンの比ではなく、消すことすらしないようでした。

 サンチャゴ巡礼道の素朴で自然だけの景色を見慣れている目からすると、まったく異質の世界に入り込んでしまったような感覚でございます。
これで観光都市パリと言えるのだろうか

21_866

 フランス国においてはジャポンの東京駅のようなすべての路線が集まるターミナル駅はなく、各方面別のターミナル駅が別々にあり、その間を地下鉄で結んでおります。
従ってターミナル間を移動するには地下鉄の乗り方に知悉していなければならないのですが、私のような旅行客にとって地下鉄を乗りこなすのは至難の業だったのでございます。
でもまあ、いいや。パリの街は広くないから歩こう

 当日の最大の課題は宿の確保でした。パリのホテル料金は地方の比ではなく、ジット15€以下で過ごしてきた身には、二つ星でシングル80€前後、ダブルで100€を越える料金は目の玉が飛び出るような価格に見えました。

何とか安く泊まれる方法を探そう
当初はインフォーメーションでパリのジットを紹介してもらう予定でしたが、オステルリッツ駅のインフォーメーションは日曜日はしまっており、情報を入手する手段はありませんでした。

21_877_2

北駅のインフォーメーションは開いているから、そこまで歩いて行って聞いてみようか・・・・・・
オステルリッツ駅近くの安宿はうまく探せなかったので、北駅まで行くことにしました。
北駅は東欧からの乗客が多く、ジャポンで言えば上野駅のような感じの駅で、安宿があると思ったのでございます。

 オステルリッツ駅から北駅までは約3km程度ありました。
北駅東駅のさらに北方にあり、だんだんと薄汚れた街並みになって行き、それに応じてなんとなく怪しげなホテルが路地裏に点在するようになりました。
その中で無印ホテルで一泊30€~40€と書かれているホテルがありましたので、当日はここに泊まることにしたのでございます。

 ここは東駅の近くで、後で地元情報に詳しい人から聞いた話ではアフリカ街と呼ばれ、アフリカからの移民が多く居住しているおり、このホテルの主人もジダンのようなアルジェリア人のような顔つきをしていました。
確かにアフリカンと呼ばれる黒人がだんだんと多く歩いている場所でしたが、幸いアメリカのハーレムのような恐ろしさはありませんでした。

 こうしてとりあえずは、思いっきり簡素で、若干怪しげな雰囲気のあるダブルの部屋(60cm四方のシャワーと、同じく60cm四方のトイレがありました)を40€で泊まることができたのでございます。
うぅーん、これで40€(約5000円)かよ、高い。明日は他の宿を探そう

 しかし結果的にはこの宿より安い宿を見つけることができず、パリ滞在中5日間、この宿で過ごすことになったのでございます。

 これがパリ滞在1日目の報告でございます。

| | コメント (0)

(28.5.4)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その16」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.8.3) ロドリゴ巡礼日誌 その16

21_784
キリスト暦2009年7月4日


 今まで正確に記さなかったため、一部の方に誤解を与えておりますが、実は私ロドリゴはこの巡礼の旅の目的地、サン・ジェン・ピエル・ポーまで行く予定ではありませんでした。

 目的地まで行くのはムッシュ タムで、私はそのサポートを依頼されたのでございます。
ロドリゴ、私一人ではかみさんが巡礼の旅を許してくれない。一緒に行ってくれないか
全部で5週間ですか、少しながすぎるなあ、半分程度だったら何とかしましょう

 私は引退の身で確かに時間は自由なのですが、それでも毎日の修行である清掃活動やブログの作成を長期間中止することができず、とても5週間は難しそうでございました。

 結局私は3週間の予定で、ムッシュ タムが一人で巡礼の旅ができるまでサポートする約束をしたのでございます。
ムッシュ タムと別れる予定の場所はこの巡礼の中間地点カオールか、さらに数日間行ったモアサックを予定しておりました。
そこからパリに向けて国鉄の路線があったからで、他の場所からはパリに行く手段がほとんどなかったからでございます。

 すでに巡礼の旅を始めて2週間たち、宿泊の仕方やルートの見分け方等巡礼のノウハウは十分身につけておりましたし、ネット2週間で中間地点カオールまで到着させるという目標も達成していましたので、私の役割は終えようとしていました。

 ムッシュ タムとしてはカオールではなく、モアサックまで付き合って欲しい気持ちがあるようでしたが、私としてはこのあたりで別れるのが適切でないかと思っておりました。

21_843
 
 一番の理由は旅のスタイルが私とムッシュ タムとの間でひどく異なっており、歩く速度や食事の仕方でしばしば精神的葛藤を繰り返していたことでございます。

 ムッシュ タムは、日中2時間程度の休息を取りながら、レストランで十分食事をし、時速3km程度のスピードを維持していけば、必ずサン・ジェン・ピエル・ポーまでいける自信を持っておりました。
昼間の暑い時間帯に2時間程度休めば、必ず30kmは歩ける」が口癖でございましたし、事実その通りだと私にも分かっておりました。

 それでも私はカオールではなく、モアサックまで付き合うか否か逡巡していたのでございます。

 カオールの町についてすてきなレストランを見つけたムッシュ タムがいつものように「このレストランで食事をしよう」と私を誘いました。
ムッシュ タムはサラダとハムアンドエッグ、私はパイを注文したのでございますが、ムッシュ タムは「ロドリゴのパイと私のサラダとどちらが美味しいのかな」と至福の顔をして私に尋ねました。

 その時私の胃には猛烈な胃酸が噴出しており、主にお祈りをしていたのでございます。
主よ、このフランス国からレストランというものを一掃してくだされば、このロドリゴの命を捧げます

 正直言ってこれ以上レストランに付き合うのは、食事嫌いの私にとって煉獄の苦しみ以外の何者でもなかったのでございます。
そしてこの苦しみから逃れる唯一の方法は、ここカオールムッシュ タムと別れることだと強く決心いたしました。
この日は15km程度の行程でしたので、昼前にはカオールに着き、ムッシュ タムと遊覧船に乗ったりして、最後の旅の思い出を同伴いたしました。

 こうしてカオールムッシュ タムと別れることになったのですが、カオールからパリまではバスで行きたいと思いました。バスの旅が始めてであり、また国鉄とは異なった景色を見ることができるのではないかと思ったからでございます。

 明日の切符を入手しようとして、教えられていたカオール駅のバスステーションに行ったのですが切符売場がありませんでしたので、国鉄の切符売場に行ってバスの切符は何処で入手できるか聞くことにしました。というのもそのバスはフランス国鉄が運営していたからでございます。

 しかしこの切符売場の女性は私が何を聞いても、「ノン」としか言わないのです。
エゲレス語が分からないから「ノン」なのか、ここはバス売場でないから「ノン」なのかさっぱり分からないのです。

 私はバスの時刻表を見せて、ジェスチャーでこの時間のバスの切符が欲しいと懇願したのですが、女性が何かを言い、私がよく分からないままに「ウイ」といった途端に、翌日のパリ行きの電車の切符を発売されてしまいました。

 おそらく会話は以下のようなものだったのではないかと後で想像いたしました。
あんた、ここは国鉄の切符売場でバスの売場じゃないのよ」
バスでパリに行きたいのです
分からない人ね、バスじゃないと言ったでしょ、ここは電車。電車の切符なら売ってあげるわよ、それでいい
ウイ
じゃあ、これ明日の12時、バスと同じ頃の出発時間よ。分かった
ウイ

 分けも分からずに「ウイ」と言って、信じられないような結論になってしまいましたが、バスであろうが電車であろうが、とりあえずパリまでいけることが分かったので、了承することにいたしました。

21_863

 そしてまだ帰国までは1週間の余裕がありましたので、かつて一度行ったことのあるパリの街を散策し、ルーブル美術館で主を称える絵画を見ることにしたのでございます。
それでも心には一抹の不安がよぎっておりました。
主よ、ロドリゴは間違っているのでしょうか。レストランの食事の悪夢から逃れられるために、ムッシュ タムと別れることは、主の御心にかなっているのでしょうか」

 ムッシュ タムはその日も遅くまでカオールの街の散策をして、目いっぱいの食糧を入手してジットに帰って参りました。
ロドリゴは明日はルーブルか、気楽でいいよな」と言っておりましたが、明日からの一人旅がムッシュ タムの気持ちを不安にしているようでした。
しかしそれでもここで別れることを了承してくれたのでございます。

 こうしてジャポンを出てから16日目で、私のサンチャゴ巡礼フランス道の旅が終わったのでございます。

| | コメント (1)

(28.5.3)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その15」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.8.2) ロドリゴ巡礼日誌 その15

21_733
キリスト暦2009年7月3日

 サン・シルク・ラポピィという村をご存知でしょうか。「フランスで最も美しい村の一つ」といわれ、ロット川の川岸、約100mの断崖絶壁の上に建てられた中世の城郭都市(現在の感度では村)で、人口は約200人でございました。

 ムッシュ タムは事前勉強を怠ることなくこの村の情報を入手しており「ロドリゴ、今日はどうしてもこのラポピィを見に行こう。一見に値する村なのだ」と提案したのでございます。
ラポピィに行くにはこのセレ川を下り、ロット川との合流地点で、上流に約4km程度遡ったところで、断崖を登るのでございました。

 実は昨日、ムッシュ タムはインフォーメーションでラポピィ周辺の観光案内を入手して、信じられないような提案を私にしたのでございます。
ロドリゴ、これを見てごらん。ラポピィからカオールまで、観光船があるみたいだ。この観光船に乗れば2日分の行程を歩かなく済みそうだ

 さすがにこの提案には躊躇しました。
ムッシュ タム、我々は巡礼の旅をしているのに、乗り物になど乗ったら神様がお許しくださいません
ロドリゴ、我らの目的は何だ。サン・ジェン・ピエル・ポーに到着することだろう。到着できなかったら神は嘆き悲しまれる。だからその間の手段は問わないのだ

 実はこの計画はすんでのところで未遂に終わりました。と申しますのもこの観光案内に書かれていた遊覧船はラポピィ周辺カオール周辺の観光船で、決してラポピィからカオールまでの2日間の旅を短縮する観光船ではなかったからでございます(インフォーメーションで確認して分かりました)。

主よ、ムッシュ タムの言葉は悪魔のささやきでございます。我らを悪魔の魔手からお救くいくだされたことに感謝いたします

21_735

  こうしていつものように約30kmの道のりを、時に国道を通りながらラポピィに立ち寄り、その日の宿にたどり着いたのでございます。
しかし、このときは一騒動が起こってしまいました。

 宿泊を予定したレ マズという村にはジットがなくシャンブルという形態の宿しかなかったのでございます。
実は我ら2人はもっぱらジットに泊まっていたのでシャンブルのルールを知りませんでした。

 行くと簡単にそこのムッシュが部屋に案内してくれたのですが、しばらくするとマダムが血相を変えて部屋に入ってきたのでございます。
片手に予約表を持って、「お前達はこれか」と聞くのでございます。
ノン」といいましたら、「お前達は別か」と何回も念押しして、「この部屋から出て行け」と大騒ぎを始めたのでした。

 後で分かったのですが、シャンブルという形態は自宅の一部をそのまま部屋ごと貸し与える形態で、必ず予約が必要らしく、宿泊料はジットより高いのですが、その代わり食事は豪華で、主人が顧客をもてなすというようなスタイルでございました。

 宿泊客もやや上流クラスが主で、ジットのように予約がなくても誰でも何でも泊めるというようなことはなかったようでございました。

 ここのマダムが余りに大騒ぎをして部屋から出て行けというので、この場所の宿泊をほとんど諦めていましたら、隣の小さな部屋に案内して「ここに泊まれ」と言うのでございます。

 マダムのつもりとしては、「ここは予約客があるので、泊められないが、小さな部屋でいいなら泊めてやる」ということだったのですが、剣幕がものすごかったので、すぐにでも追い出されるような気持ちになってしまいました。
しかしこの剣幕は[予約のない客が来るはずがない]というルールが破られたために、マダムが単にパニックに落ち行っていただけで特に悪気はなかったということが後で分かりました。

 落ち着いて見回してみますとここは大変な邸宅で、庭にはプールまであり、敷地は何処まで広がっているのか分からないような広さでございました。
また一緒に泊まったフランセは6名で、ジットとは異なりとても上品な感じの人たちでパリから巡礼道を1週間ずつ何回か分けてたどる旅をしているとのことでした。

21_759  
 グループの内訳は男性2名女性4名でしたが、男性の話ですと「今まで勤めていた保険会社が55歳以上の人員のリストラをしたので、自分達もリストラされたのだ」といっていましたが、別段リストラを悩んでいる様子はなく、かえって自由な時間が取れたことを喜んでいる風情でした。

 食事はここの主人が作っているぶどう酒が振舞われ、またフォアグラガチョウの肝臓を脂肪で膨らませたもの)や肉が振舞われ、その間主人を交えた会話を楽しむのがルールのようでした。

 フランセの男性はきれいなエゲレス語を話し、会話をとぎれさせないコツを心得た、とても紳士的な人たちでした。
最もムッシュ タムエゲレス語をほとんど解さないため、後で「どうもシャンブルみたいな宿は、窮屈で二度と泊まりたくない」と申しておりました。

 これがサンチャゴ巡礼フランス道の15日目の報告でございます。

| | コメント (0)

(28.5.2)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その14」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.7.31) ロドリゴ巡礼日誌 その14

21_689
キリスト暦2009年7月2日

 ジャポンを発ってからはや2週間が経とうとしていました。巡礼の道にもなれ、またジットと称する巡礼宿の泊まり方も分かり、またどの程度の町や村であれば食料品店があるかも分かってきておりました。

 毎日朝6時半頃に出発し、毎日30kmから25km歩くことを日課にして、ただただ歩き続けていたのでございます。
前日のD2号線にこり、今日は巡礼道を歩くつもりでしたが、たちまちのうちに道が分からなくなり、やむなくセレ川に沿ったD41号線という国道を歩くことにしたのでございます。
しかし幸いなことにこのD41号線は交通量が非常に少なくD2号線とはまったく違って、とても歩きやすい道路でございました。

 特に周りの景色が素晴らしく、セレ川が削り取った断崖が100m程度の高さで延々と両岸に聳え立っていたのでございます。
ここは上高地といってもいいけど、周りが断崖絶壁だからちょっとしたグランドキャニオンだな」互いにうなずきあったものでした。

 家は昔ながらの農家と、都市住民の別荘地が点在し、セレ川に沿ってキャンプ場やカヌーの訓練所があり、一大避暑地の趣がありました。そうした意味では、上高地とグランドキャニオンと軽井沢をたして3で割ったような場所だったのでございます。

21_690
  こうしてこの平坦な道を気持ちよく歩いていたのですが、他に問題が起こらなくなると再びムッシュ タムと食事のことで、ささいな精神的葛藤が始まってしまいました。

 この日はフランス国に来て初めて雨が降り、それもところによったら豪雨というような降り方でしたが、昼食時間になったので食事をしようと提案した時でございます。

私はパンしかない」とムッシュ タムが言い出しました。
パンがあれば十分ではないですか
いや、パンしかない

 ムッシュ タムが言いたいことはこうでした。
りんご、バナナ、野菜、それにコーヒーがなく、パンだけでは食事とはいえない

 ムッシュ タムは普段は申し分ない紳士ですが、食糧が不足してくると精神的に不安定になるようで、この状況にひどい焦燥感に駆られているようでした。

 幸いにしばらく行くと小さな村がありここに食料品店があったので果物やハムを仕入れることができたのでございます。
ムッシュ タムはとても満足したようでしたが、たまたま雨が本降りになったこともあり、雨宿りをかねて廃屋の農家の納屋で食事をしようと私が提案した時でございます。

 ムッシュ タム「フランス国まで来て、農家の廃屋の軒先でパンなどかじるのはいやだ」と申すのでございます。
十分な食糧が入手できたのだから(これは非常用として)、こんどは落ち着いてレストランで食事をしたいと言うのでざいました。

 私のようにパンとバターと水さえあれば十分な者から見れば、わざわざレストランで食事をする理由は理解できないのですが、ムッシュ タムにとっては食事は文化ですので廃屋などとんでもないということのようでした。
仕方なくここから約5km先にあるホテルで食事をすることにいたしました。

 それから1時間余り雨のD41号線を私は時速4kmで口もきかずに歩き、ムッシュ タムは時速3kmでこれもかってに歩いていたのでございます。
まったく、何処で何食べても、食事なんかどうでもいいじゃないか・・・・・・」

 しかしようやくたどり着いたホテルも食事時間が決まっており、我らが着いた時間には食事は終わっておりました。
やむなくムッシュ タムは買い込んだ非常食をこのホテルの前で食べることになったのですが、非常食がまたなくなるとアフリカの難民のように悩んでおりました。

21_711    

 それでもそこから1時間余りで宿泊地カブレレという小さな村に到着したのでございます。この村のインフォーメーションでジットの場所を聞き、私はいつものように洗濯とシャワーを浴びた後、この街の一軒の食料品店で夕食の食材を購入してジットで夕食を済ませたのでございます。

 一方ムッシュ タムはいつものように村を歩き回り、インフォーメーションのパンフレットをじっくり読み、食料品店でりんごやバナナやハムといった非常食を購入し、かつレストランでゆったりと食事をしてジットにもどって参りました。

 ムッシュ タムはレストランで食事ができたことから、精神的に安定感を取り戻したようで、「サラダたっぷりの食事を○○€でして来た」とひどく上機嫌になっておりました。

 こうして十分な非常食がなくなるたびに落ち込んでしまうムッシュ タムと、パンが少しでもあれば平気な私との食事に対する認識相違はどうしても埋めることができないのでございました。

  これがサンチャゴ巡礼フランス道の14日目の報告でございます。

| | コメント (0)

(28.5.1)病気療養中のため過去の旅行記を再掲しています。「ロドリゴ巡礼日誌 その13」

「眼病が悪化してブログの記載をするのが非常な負担になっております。しばらく療養しますので過去の旅行記を再掲しております」

(21.7.30) ロドリゴ巡礼日誌  その13

21_674
キリスト暦2009年7月1日

 ムッシュ タムがすっかり疲れてしまい、巡礼道の山道をやめて国道の短縮路を通ることにしたのは前回のブログに記載いたしました。
しかしこの国道を通るのも大変だったのでございます。

 フィジャックから西に伸びる国道はD2といいますが、これはジャポンの表現では国道2号線にあたります。幹線道路で交通量が多く、しかも片側一車線で歩道はなく、50cm~1mの草地が歩道の代わりになっておりました。
こうした幹線道路は歩行者が歩いていることはめったになく、運転手はそのつもりで思いっきりスピードを出して運転していたのでございます。

 我ら2人は前から自動車が来るたびに草地(少し路面より高くなっておりました)に飛び上がり、自動車が通り過ぎると再び道路を歩くことを繰り返したのでございます。

ムッシュ タム、国道を歩くのも限界がありますよ。これでは命と引き換えのようなものです。死んではサン・ジェン・ピエル・ポーにつけません
うぅーん、こんなにひどいとは思わなかった

 この国道歩きはちょうどジャポンの例では首都高速の壁の縁を歩いているような状態でしたので、余りのすさまじさに耐えかねたのでした。
その後は国道を歩くとしても、交通量が非常に少ない場合だけにして、再び巡礼の道に戻ったのでございます。

 そして山の道を上り下りしたのですが、天気は快晴で太陽が照り返していたため、ムッシュ タムはへとへとにくたびれてしまいました。
ようやく山を下り、20km余り歩いてセレ川ロット川の支流で、周りは侵食されて絶壁になっておりました)に出た小さな村のところで、ムッシュ タムはダウンしてしまいました。
ロドリゴ、今日はここに泊まろう

 そこにはセレ川の縁に面して要塞修道院を兼ねたような建物が立っており、その一角がジット(巡礼宿になっていたのでございます。

21_676_2

 マダムがこのジットを管理しており、「ここには食料品店はなく、また食事はジットで出せないが隣の家で食事をさせてくれる」と教えてくれました。
隣の家といってもこの要塞の一部で、どうやらレストランのようでしたが、ジャポンの感覚では住宅地によくある自宅の一部を開放して、趣味で食事を作る家によく似ておりました。

 見ると小さな看板があり、食事は6時からと書いてありましたのでその時間に出かけてみると、若いマダムが一人暇そうにベンチに腰掛けておりました。
テーブルや椅子には鳥の糞がこびりついており、どうみてもここ数週間、この場所で食事をした人がいるとは思われませんでした。

 若干怯んだのですが、ここしか食事ができる場所がないので注文すると「出来上がるのは7時半ごろになるので、その時間に来るように」言われました。
ほぼ1時間半ほど、この要塞か修道院か判別がつかない場所の散歩をしてからいってみたのですが、食事の用意をなかなかしてくれないのです。

マダム、私たちは食事をしたいのですがまだでしょうか」恐る恐るエゲレス語で聞いたものでございます。
ムッシュ、もう少しです」何か要領をえないのですが、用意はしているようでした。

 こうして何回か「食事をしてほしい」と懇願してようやく食事が出てきたのは8時で、食べ終わったのは9時でした。注文してから食事が終わるまでなんと3時間もかかったのでございます。
何か、時計が止まっているんじゃないか」さすがにムッシュ タムも驚いているようでした。

 救いは食事がまずまずだったのと、このマダムがとても若く、魅力的な目をしていたことでございます。我ら二人は神に仕える身ではございますが、「洗濯する女のふくらはぎの白さを見て、神通力を失った久米の仙人」と同じように、美しいマダムの所業はすべて許すことにしていたのでございます。

21_685

 それにしてもこのセレ川流域は不思議な場所でございました。かつては貧しい農家と修道院だけがあった地帯に思えましたが、現在は裕福なパリの市民がリゾート地として農家を購入し、別荘に作りかえて住んでいるようでした。
ジャポンのイメージでは場所は上高地、雰囲気は軽井沢というような所でございました。
フランスにもこんな場所があるんだ」互いにつぶやいたものでございます。

 これがサンチャゴ巡礼フランス道の13日目の報告でございます

| | コメント (0)

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »