« (28.1.28)党中央の方針に従って数字を改ざんしているのに逮捕されるなんて!! 王統計局局長逮捕拘引 | トップページ | (28.1.30) 幼児を虐待死から守る方法はないのだろうか? 繰り返される幼児虐待 »

(28.1.29) 天皇・皇后両陛下の慰霊の旅 なぜフィリピンは激戦地になったのか!!

2414_031

 天皇・皇后両陛下
フィリピンを公式訪問し、旧日本軍将兵の慰霊の旅に出られておられる。
太平洋戦争においてフィリピンほど日本兵が無残に戦死した場所はない。1944年10月といえばもう終戦間際で日本軍に は実質戦う余力がなくなっていたが、アメリカ軍は10万の大軍でレイテ島に上陸作戦を開始した。
当時レイテ島に は鈴木宗作中将指揮下に約2万の守備隊がいたが、装備においても兵力においても全くアメリカ軍に歯が立たず、約2か月の戦闘ののちほぼ壊滅状態になった。

 慌てた大本営は急遽約6万の増援部隊を派遣したが、当時制海権も制空権も米軍に奪われていた状態での増援だったため、多くはアメリカ潜水艦の餌食になり、輸送船はレイテ島に到着することなく海底に沈められてしまった。
このレイテ島を巡る戦いでの日本兵の戦死率は約94%程度で、これほど高い死亡率は戦史にも例がないほどの惨状になっている。

 大岡正平氏はその中で生き残ったわずかな兵隊だが、「レイテ戦記」や「野火」という小説でこのフィリピンでの戦いを詳述している。大岡氏としては生き残ったものの使命としてこの無謀な戦争の記録を残しておきたかったのだと思う。
野火という小説はとり残された敗残兵が互いに人肉を食べることによってやっと生きながらえているさまを記述しているが、食料が全く途絶えた状況下でこの時の兵士がどのようにして生きていたかの悲しいまでの報告だ。

注)野火という小説の詳細な内容は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-432f.html

 この時期もう日本軍に は兵士そのものが足らなくなっており、そのため多くの学徒出陣兵がこのフィリピン戦線に投入された。
学徒出陣とはそれまで徴兵が免除されていた大学生のうち、文科系学生を兵士として徴用したもので約13万人が出陣している。
明治神宮外苑で行われた出陣式は勇壮ではあったが実際はほとんど訓練もされないままに戦場に送りこまれ次々と戦死している。
その多くが戦うというよりも輸送船に乗ったまま撃沈されたり、あるいは一方的な戦力の差があるアメリカ軍に単なる鴨うちの鴨のような標的として打ち殺されたからだ。

 私は数年前に長野県の別所温泉にある無名館という美術館を訪問したことがあるが、ここには美大出身の学生で学徒出陣しそのまま帰らぬ人となった多くの大学生の遺作が展示されていた。
おそらく生きていれば日本の画壇に相応の足跡を残したであろう東京芸大等の画学生の絵の、その下に小さく書かれてあった経歴を読んで私は愕然とした。
死亡した時期とその場所が1944年10月以降で、そしてほとんどがフィリピン戦線での死亡になっていたからだ。

 日本軍はフィリピン戦線で約52万人の戦死者をだしたが、これは中国戦線全体の戦死者よりも多い。負け戦になるとそこに投入される兵士はただ標的になって殺されるだけになる。
日本海軍は1942年6月ミッドウェイ海戦の敗北以来敗北をかさね、陸軍は同じく1942年8月のガダルカナルでの敗戦後こちらも立ち直ることができなかった。
日本軍は開戦後1年もたたないうちにほぼ敗北が決まってしまい、あとの3年間は単にいつ敗戦を受諾するかだけになっていた。
レイテ戦が行われた1944年になるとただ標的になるだけの存在に過ぎなく、ほとんどかなしいほどの惨状で散華した兵士の苦悩がしのばれる。

 天皇・皇后両陛下沖縄、長崎、広島、サイパン、パラオと慰霊の旅を続けられておられるが、このフィリピンは旧日本軍の将兵52万の慰霊と同時に戦場となったフィリピン人の戦死者約100万人の慰霊に対し献花され黙とうされた。

私は両陛下がこうした慰霊の旅を続けられているのを見るたびに感動して涙がとめどもなくながれる。

 

|

« (28.1.28)党中央の方針に従って数字を改ざんしているのに逮捕されるなんて!! 王統計局局長逮捕拘引 | トップページ | (28.1.30) 幼児を虐待死から守る方法はないのだろうか? 繰り返される幼児虐待 »

評論 日本の政治 天皇制」カテゴリの記事

コメント

私も全く同感です。 両陛下には感謝と最大の敬意を呈します。

フィリッピン ルソン島の戦闘は 山本七平氏による「私の中の日本軍」で当時の日本陸軍の敗退していく状況など一学徒出身下級将校の、それも砲兵隊付き将校の目から見た実体験報告書として大変生々しく読ませて頂いております。バレテ峠 サラクサク峠などの地名も覚えてしまうほどです。
この本はルソン島山中での行軍 戦闘 追い詰められた軍隊生活、レイテとまた違った在留邦人を巻き込んだ絶望的戦場報告書だと思います。
先日 日立製作所 日立海岸 山手両工場で研修を受けさせて頂いたと申し上げましたが、初日に「当工場は兵器など作ってない民需電機工場だったのに艦砲射撃を受け建物も人的被害も云々・・・」と説明されましたが、正に戦争はマッチ一本、ローソク一本から武器 戦闘必需品。当然の事としてこの様な工場は狙われる、そんな認識もなかったのかと当時愕然とした記憶を思い出しました。

今日フィリッピン戦没者の諸霊もさぞかし喜んで両陛下を迎えてくれていると思います。 両陛下 有難うございます。
両陛下 の長寿とご健康を心から祈念いたします。 

投稿: 絶望人 | 2016年1月29日 (金) 09時50分

こうした本は小学校か中学校か高校だったのか忘れてしまいましたが、夏休みの推薦図書になっていたような遠い記憶があります。残念ながらわたしは、井伏鱒二の黒い雨や会田雄二のアーロン収容所などを読んだだけでまだ読んでいません。もっと色々な本を読んでおけば良かったのにといまになって後悔しています。
陛下は80を超えていらっしゃるのに・・・英霊も慶んでいるでしょう。(昨年末に失望したでしょうが、)
ところで、果たして今の皇太子ご夫妻はこういう行動ができるのだろうか?、と懸念しております。できないんだったら、離婚をして、皇位をお譲りになられることです(批判覚悟の上でいいますが)。

投稿: NINJA300 | 2016年1月29日 (金) 16時55分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« (28.1.28)党中央の方針に従って数字を改ざんしているのに逮捕されるなんて!! 王統計局局長逮捕拘引 | トップページ | (28.1.30) 幼児を虐待死から守る方法はないのだろうか? 繰り返される幼児虐待 »