« (27.7.25) 孫の世話でパニックだ!!  | トップページ | (27.7.27) 中国軍は張り子の虎 兵士も装備も二流 兵頭二十八氏の指摘 »

(27.7.26) 文学入門 中條高徳 「おじいちゃん 戦争のことを 教えて」

22725_057_2

 今回の読書会のテーマ本は中條高徳氏の「おじいちゃん 戦争のことを 教えて」という本だった。私は不覚にも中條高徳氏のことをわすれていたが、アサヒビールスーパードライ育ての親だと聞いて思い出した。
私が大阪で融資担当をしていたのは1980年前後のことだが、そのころはビールといえばキリンで、どこの居酒屋に行っても「キリンを出してくれ」と頼むのが一般的だった。
私は酒はほとんど飲まないからキリンだろうがアサヒだろうがサントリーだろうがなんでもかまわないのだが、顧客を招待した場合などは間違ってもアサヒを頼んではいけないといわれたものだ。

 その朝日ビールがスーパードライで劇的な復活を遂げたのが1980年代の後半で、コマーシャルで「アサヒスーパードライ」という何かドスの利いた宣伝の言葉を連日聞くようになり、そのころからアサヒが復活しキリンの凋落が始まった。その仕掛け人が中條高徳氏で、私はこの人をアサヒビールの有能な経営者だと思っていた。

 しかし中條氏は有能な経営者である前に帝国陸軍の生粋の軍人であり、かつ戦後日本の左派の思想的潮流を嘆いていた保守派の論客だったとはこの本を読むまで知らなかった。
この本はニューヨークの学校に通う孫娘の質問状に対して答えるおじいちゃんの手紙になっており、難しい言葉は一切使用していないから理解しやすい。
私の読んでいる小学館文庫は2002年が初版だからこのころにかかれたものだ。
日本が停滞の10年を経過したころの本である。

 読むまでは題名から左翼論壇よくある「戦争反対、日本人は世界で最も残酷な人間だ」というような内容だとかってに思っていたが、その対極にある内容だった。
基本的スタンスは「太平洋戦争を勝者の論理で歴史を記述しているだけではだめで、日本の立場から歴史を記述し、日本民族の誇りと公の精神を取り戻さなければ明日の日本はない」という危機感で記載されていた。
勝者にも敗者にも相応の歴史があり、歴史とは価値中立だという主張である。
だから日本人が東京裁判史観をそのまま素直に認めている現状を激しく非難している。

 歴史を見る場合歴史が価値中立的なものか、それとも勝者の歴史なのかはかなり議論がある。
かつてE・H・カーの「歴史とは何か」という本を読んだとき「歴史とは未来と現代と過去との対話であって、現代の視点から過去を断罪するものでもないし、過去の事実のみを語るだけのものでもない。人類の未来にとって何がよいのかといふことを常に意識したものでなければならない」と記載されていたが、これは歴史そのものは価値中立的なものだといっているのであり、中條高徳氏の主張に近い。

 だが、実際の歴史は東京裁判史観がそうであるように勝者の歴史である。日本の歴史教科書は日本がアメリカに敗戦し、その結果アメリカが日本に押し付けた東京裁判史観そのもので、太平洋戦争の責任も原爆投下がされたこともすべて日本に責任があることになっている。
また第二次世界大戦の極悪人はヒットラーとなっているが、それはヒットラーが戦争に負けたからで、もしロシアを打ち破っていれば間違いなく極悪人はスターリンになっていただろう。
何しろスターリンが粛清した人数は半端ではなく、旧地主階級、旧ロマノフ王朝関連者、反対勢力等合わせて最低でも2000万は殺害している。ヒットラーの比ではないのだ。

 歴史が勝者のものだというのが最もはっきりしているのが中国の歴史で、歴史書は次の王朝が記載することになっているが、ここにはなぜ前王朝が滅び、今の王朝ができたのかを記載する場となっている。
極悪非道で酒池肉林にふけっていた前王朝は、わが始祖である○○に打ち破られた
中国では歴史が勝者のものであることを明確に示している。

 だが実際の歴史は当初は勝者のものであっても、時代が経つにしたがって価値中立的なものへと変化していくものだ。
時間が絶てば互いに冷静になるし、歴史の記述は理性的になり論理的整合性が求められれば一方だけが悪人だというような記述が少なくなってくる。
そして太平洋戦争の評価でも、アメリカが意図的に戦争をしかけた経緯も明らかになってくる。

 だがこと中国と韓国についてはこの原則が当てはまらない。
時代が経てばたつほど勝者の歴史が強調され、韓国などは第二次世界大戦時は日本人だったのだから日本人として敗北したのだが、すっかり勝者側にたった歴史記述になっている。
言論の自由が抑圧されている中国や、すべてが感情で支配されている韓国では、相も変わらず自己中心の勝利者の歴史が語られさらに強化されている。

 中條高徳氏の提言で特質に値するのは歴史教育は近現代史からはじめ、特に江戸時代から始めるべきだという提言である。
実際縄文時代や弥生時代をいくら勉強しても現在とは直接的なつながりはない。
平安時代の貴族の生活や鎌倉時代の武士の生活もまた現代から遠い存在だ。
やはり中学生や高校生は江戸期以降の歴史を集中して学ぶべきであって、特に明治維新後の近代化や帝国主義時代の日本のあり方、そしてなぜ日本が太平洋戦争に敗れたかは必須の歴史だ。
さらに戦後日本の安保闘争の意義についても正しい知識が必要で、特にソビエトロシアがなぜ崩壊し社会主義というものが歴史的に失敗した経緯は克明に教えなければならない。
 
 歴史とはE・H・カーが言うように「過去との対話」であり、現在にとって対話する相手は縄文時代や弥生時代でないことは明らかだ。
なぜ現在の日本が存在するかの対話は近現代史を研究することで初めて明らかになるのだから、積極的に太平洋戦争の敗北とその後の世界情勢について教えるべきだと私は思う。



 

|

« (27.7.25) 孫の世話でパニックだ!!  | トップページ | (27.7.27) 中国軍は張り子の虎 兵士も装備も二流 兵頭二十八氏の指摘 »

個人生活 文学入門」カテゴリの記事

コメント

今回の論説はとても感慨深い内容でした。中学、高校の歴史教育が、古代や中世にばかり重点を置いて近代に触れることを避け、戦争への反省を主たる現代の題目としているのをずっと問題だと思っていました。理性的かつ論理的整合性を持った、価値中立的な歴史判断という山崎様のご指摘はまさにこの点でした。日本の児童・生徒らにはもっと自らの国に対して中立的な歴史認識と誇りを持ってほしいし、教育側も日本が何を成してきたのかを教えてゆくべきであると思いました。

今朝のニュースで、東京空襲を行ったB29 3機がなぜか進路を誤り東北の山に相次いで激突した事件があり、付近の住民が山頂に米兵の慰霊碑を建てたという話です。今年はふもとにさらに立派な慰霊碑が建ちました。良いことだとは思いますが、そこまで必要なのかなとも感じました。

投稿: たぬき | 2015年7月26日 (日) 08時32分

歴史教育の在り方は、現代に近い所から始めるべきだと常々考えておりました。現在の諸課題は近い過去の事象に繋がっているわけですので、近現代史の把握は自分たちの立ち位置を認識し考慮するのに最も重要です。しかし、教育現場では、近代史から現代史の部分は、時間切れまたは故意に排除されています。

 この近現代史の必要性認識の高まりは、中国や韓国の執拗な日本非難、恫喝によるものでしょう。そんなに日本は悪かったのかと学習し直した人が多かったのではないでしょうか。覚醒させてくれた事には感謝ですね。熱狂した韓流ブームは、今やどこ吹く風となっております。
 しかし、ヨーロッパやアメリカは、もっとしたたかです。武力以外の、一見紳士的な方法での自国への利益誘導を図る事は、今も変わらないのです。互恵関係と言うと、日本人は相手と対等な権利を有すると考え、またその通り実践するでしょう。でも他国は違うのです。これらの意識や行動の違いは、過去の近い歴史をきちんと学習することで認識されていくのです。
 国民を賢くし、この国土を守るためにも、歴史教育の順序は再考されべきものです。

投稿: hiromiya | 2015年7月26日 (日) 16時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« (27.7.25) 孫の世話でパニックだ!!  | トップページ | (27.7.27) 中国軍は張り子の虎 兵士も装備も二流 兵頭二十八氏の指摘 »