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(27.4.25) 文学入門 古井由吉 「杳子(ようこ)」 読むのが骨の折れる小説だ

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 私は読書会のテーマ本はどんなことをしても読むことにしているが、それにしても今回の古井由吉氏の「杳子(ようこ)」には悲鳴を上げた。私の最も苦手とする小説だったからだ。
筋の流れはほとんどなくひたすら精神の内面の記述が続いている。外界と遮断した心模様の小説だ。

 この小説は1971年芥川賞を得た小説だったが、いつものように私は古井由吉氏も「杳子」という作品も全く知らなかった。
読書会のテーマ本でなければ一生読むことがなかったはずだが、世の中にはこうした小説もあるのかとびっくりしてしまった。

 話の筋はほとんどない。大学生の主人公が山を下りてきてたまたま河原で動けなくなった同じく大学生の杳子という女性にあい、駅まで送っていくのが一つ。次にたまたま駅で再開してその後喫茶店や公園で会うのがもう一つ。肉体関係を持ってからは杳子が下宿している姉夫婦の家に主人公が出かけて行くのが一つ。ただそれだけの筋で状況そのものは全く小説にとってどうでもいいことだ。

 話される内容は精神を病んでいると称する杳子が見る外界の描写で一種の心象表現なのだがそれがとめどもなく繰り返される。どこのページを見ても同じ心象表現の羅列なので、この小説は最初も終わりも同じで、どこか一か所読めばそれがすべてという内容だ。
もっともそう表現しても何のことか分からないだろうから例を示めそう。

 「谷底って、高さの感じが集まるところでないかしら。高さの感じがひとつひとつの岩の中までこもっていて、入ってくる人間に敵意を持っているみたいな・・・・・・」
谷底の気味の悪さを端的に言い表されて、彼は相手の顔を見つめなおした。すると女は顔を赤くして「よくわからない」と鼻にかかった声で言った。
そして躰を伸ばして椅子の背にもたれかかり、珍しいところに連れてこられた子供みたいに、薄暗い店のあちこちを見まわし始めた。遠くから近くに視線を移すたびに、彼女の目はいったん彼の前にもどってきて、観察する彼の目を段々に見つめ返し、遠くから近づいてくるようにぼんやり微笑んだ。
横顔が彼の方に向きかえるたびに、彼は岩の上に座っていた女の横顔を思い浮かべたが、思い浮かべきらぬうちに、女の顔はもう彼にまともに向かい合って親しげに笑いかけている。


 こうした長々とした意味のない表現が最後まで続いているので私はすっかり読むのに疲れてしまった。
「なぜこんなへんてこな心にだけ向き合う小説がかかれたのだろうか
この小説がかかれたのは1970年のことだが、全共闘運動真っ盛りのころで丁度私の学生時代に重なる。

 この時代は社会の覚醒の時代で口を開けば変革が叫ばれており、読まれる書物も羽仁五郎氏の「都市の論理」のような恐ろしいまでのアジテーションの効いた書物ばかりだった。
精神の内面などはほとんど価値がないとされた時代である。
一方で日本の小説の伝統は私小説にあったから文壇の主流派としては「小説は政治のしもべ」などとする左派の声高な主張を苦々しく思っていたはずだ。
当時小説家は「おまえわー、小説をー 私物化しー 社会からー 隔絶したものとみなすうー プチブル根性のー 卑しい人間でー 総括しろー」なんて言われていた。
そこに古井由吉氏の社会情勢など一切無視した内面オンリーの小説が出てきたので、芥川賞の選考委員は飛び上るほどうれしくなってこの小説に芥川賞を授与したのだろう。

 しかし今から読むと内面オンリーの社会とは隔絶した人物の話など読んでも全く興味がわかない。社会化だけされて内面のない人物を描いた小林多喜二氏の小説もつまらないが、両極端はやはり無理なのだ。
私は普段小説を読むことを全くしないが読むとその小説が書かれたときの時代精神をどうしても思い出してしまう。何か古い昔に咲いたあだ花のような小説だ。

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コメント

普段小説を読まないと仰ってこれだけの書評をこなされているのは驚きです。
あの頃手にしなかった小説の書評を読ませていただいて欠けたリングをつなげた気分になります。
わずかに小林多喜二の蟹工船は読みましたが読み返すほどの魅力は無かった。
あの時代にはソビエトの体制に夢を託す人たちの教科書だったようですね。
数年前不景気の中でこの本が人気になりましたが、当時の派遣労働者の生活とリンクしたのでしょうか。

投稿: makina670 | 2015年4月26日 (日) 18時48分

杳子の感想を探していたらこのブログが一番上に出てきて、いやはや自分の言いたいことが簡潔に表現されていてびっくりしました。
本当に意味のない無駄で同じような表現が延々と続く、読んでいて苦痛な小説でした。どこか一箇所読めばそれで全てとはまさに言い得て妙です。最後まで読みましたが場面を変えているだけで展開と呼べるものもなく、杳子がいかに精神を病んだおかしな人間か、ということを描写しているだけ。
内面の描写が延々と続く小説は、面白いとかつまらないとかの次元で語ってはいけないのかもしれませんね。ヘッセのデミアンという小説を読んだときもかなり苦痛でしたが、これはデミアンを余裕で上回りました。

投稿: 残党 | 2017年12月14日 (木) 05時16分

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