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(27.1.19) 天皇と相撲協会の和解 天覧相撲が再開された

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 18日は大相撲の春場所中日だったが、大相撲と平成天皇の和解がされた記念すべき日になった。平成天皇と皇后が4年ぶりに天覧相撲に臨席されたからだ。
相撲協会と天皇家に隙間風が吹いたのは2011年の八百長事件の発覚からである。力士相互間でメールで勝ち負けを決めてその代償として金銭の支払いがあったというもので、幕内や十両を含む力士約30名が解雇された。
この不祥事を受けて相撲協会は2011年の春場所(大阪場所)の興行を中止した。しかし天皇家の怒りは解けず翌2012年の初場所から天覧相撲に臨席されなくなられた。
あれから4年の歳月がたっている。

 大相撲にとって最も由々しきことは天皇家から見はなされることである。
相撲協会の最大のスポンサーは今も昔も天皇家であり、相撲の起源は642年に飛鳥の宮廷で百済の使者を招いての相撲を見せたことが始まりだ。
日本人もこんなに強いのだぞ」と百済の使者に見せたかったのだろう。
その後も皇室では行事の一つとして相撲節会というものが開催されており、奈良時代の聖武天皇は地方の郡司に強い若者を差し出せと命じている。
この相撲節会は平安時代を通じても行われていたが、天皇家の実権が藤原氏に移行するにつれて宮中行事として行われなくなっていった。
藤原氏としては「あんな野蛮なものより和歌・管弦の方があらまほしかった」ためと思われる。

 その後も相撲そのものは生き延びたが天皇家からの庇護を受けることができなくなったため、江戸時代になると藩主お抱えの相撲ともう一つ民間の勧進相撲として行われていた。勧進相撲とは今でいうプロレスで寺社等への寄付行為と称して寺社の境内で実際はシャバ代を稼いでいた。
この時代の相撲取りは歌舞伎俳優と同じ河原もので、男芸者とさえ言われていたほどだ。

 大相撲が劇的に復活したのは天皇家の復権がなった明治時代からだが、明治初期はふんどしスタイルが悪趣味でちょんまげは時代錯誤と言われて、東京で相撲を取ることはあいナランという禁止令まで出されていた。
これを救ったのが明治天皇白鵬が先場所優勝インタビューでこのことを述べた。
明治初期に断髪事件が起き(力士も斬髪せよと言われたが)大久保利通という武士が明治天皇に(上奏して)、長く続いていたこの伝統文化を守ってくれたそうで、そのことに天皇陛下に感謝したい

注)白鵬が上記の言葉を述べたことは前に記載した。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-b523.html


 これは白鵬の言葉であるとともに相撲協会の天皇家に対する謝罪の言葉であり、もう一度天覧相撲に臨席してほしいとのメッセージであった。
2011年から4年、白鵬と相撲協会の謝罪でようやく天皇家の怒りも解け晴れて天覧相撲が再開された。北の海理事長の心中は察するに余りある。
大相撲は八百長事件の傷も癒えて東京場所で満員御礼が続いており、閑古鳥が鳴いていた九州場所でも土日は満員御礼になってきた。
だが天皇の天覧相撲が復活しない限り大相撲の傷は癒えたことにならない。

 今も昔も大相撲は天皇家によって支えられており、特に昭和天皇は心から大相撲を愛しておられた。昭和天皇が身を乗り出して大相撲をご覧になっていた姿が今も脳裏によみがえる。
現在の天皇杯を大相撲のために創設し、天皇公認のスポーツにしたのも昭和天皇で天覧相撲を興行できるということで戦前戦後の大相撲の発展があったといっても過言ではない。
昭和天皇が崩御された時相撲協会は上げて悲しみに包まれ天皇の棺が通る沿道で、親方と力士が冬の氷雨の中を傘もささずに深く目礼していた。
大相撲としては最大の感謝の気持ちを表したかったのだろう。

 2015年1月18日は平成天皇の天覧相撲が復活し大相撲に取って記念すべき日になったはずだ。

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