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(26.11.2) 新日本風土記 多摩川 私のふる里の川

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 NHKの「新日本風土記」で「多摩川」の特集をしていたのでとても興味深かく見た。
私は大学を卒業するまでは都下の八王子市に住んでいたので多摩川は実に懐かしい川だ。
60年ぐらい前になるが、私が小学生のころは高度成長期の直前で多摩川はまだ汚染されておらず、川には魚がいくらでもいたし泳ぐこともできた。

 八王子からは八高線に乗って小宮という駅で降り、1km程度線路を沿って歩くと多摩川の河原に出た。そこで仲間と一緒になって泳いだり魚取りをしたものだ。
魚とりは笹の枝のようなものに針を一杯ひっかけて餌をつけで沈めておくだけなのだが、十分泳いだ後引き上げるとはやという魚がよくかかっていた。

 またいつのころか忘れたが町内会で大規模な魚取りを計画したことがあった。まだ多摩川には川漁師がいて、川幅一面に横に広げた網を上流と下流から狭めていって魚を追い込むのだが、実に大量の魚が網の中ではね回っていたのを思いだす。あのころの多摩川は実に豊かだった。

 しかし私が高校生になる頃は多摩川はほとんどどぶ川に変わっていた。ちょうど高度成長期の真っ盛りだったが、下水道が整備されず汚染水がいいように多摩川に流れ込んでいた。私が通った高校は立川にあったのだが、中央線で日野を越えると多摩川にかかる鉄橋になるのだが、電車の窓から見ると多摩川の水は洗濯水の泡で泡立ち、シャボン玉のように飛沫が飛んでいた。
そのころ多摩川から清流に住むと言われていた魚が消えてしまっていた(魚が住んでいるとは思われなかった)。

 高校3年生の時だと思う。友人のS君と二人で多摩川を立川から東京湾の河口に向かって歩いたことがある。当時お金は全くなかったが体力だけはあったのでそうした散歩をよくしたものだ。
まだ遊歩道が整備されておらず、多摩川に注ぎ込む支流を渡るときはかなり上流までさかのぼって橋を渡らなければならなかった。

 目の前にその支流が現れたのだが、S君は「この川を飛び越そう」と私に提案した。
川幅は4m程度だったが、汚染というよりも糞尿がそのまま流れて居る川で強烈なにおいがした。
私は躊躇し上流で迂回する案を提案したがS君は無類のスポーツ選手で走り幅跳びも6m近く飛んでいたので飛び越すことをガンとして譲らなかった。
仕方なく「君が先に飛んで大丈夫だったら僕も飛ぶ」私は妥協案を提示した。

 S君は実に颯爽と助走をつけ川を飛び越そうとしたが、最後のジャンプの踏板に当たる場所が泥濘で足を入れたとたん20cm程度足がめり込んでしまった。
その後はスローモーション映画のように足を泥濘に取られまま棒が倒れるように糞尿の川に倒れこんだ。
おまえ、来なくていい」S君は川から這い上がってそう言ったが、アメリカ映画のゾンビになっていた。
近くの家の水道を借りて体中洗い流したが、汚泥がこんなに臭いものだとはその時初めて知ったものだ。

 あれから50年たち多摩川は再び清流によみがえっている。下水道は整備され川面に流れる川風に臭いはなくなった。多くの魚が生息する憩いの場になっており私が小学生の時の川になっている。実に懐かしい映像だった。






 

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