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(26.10.28) パク・クネ大統領と閔妃は一卵性双生児!! 事大主義の悲劇

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  最近の韓国の経済評論を見ていると実に正直な論述が目立ってきた。ひところの「韓国が世界の中心だ」的な大ぼらがすっかり影を潜めている。
その中で朝鮮日報キム・ホンス経済部次長の記事は歴史的な思索が入っていて興味深かった。

 キム氏によれば「日本が20年に及ぶ不況にも持ちこたえられたのは、過去30年の好況期の資産が支えたからで、日本の対外純資産は342兆円もあって世界最大なのに、韓国はマイナス4500億円だという。
このため日本は13年度約5兆円の黒字を資本収支(利子や配当)で稼ぎだしているのに、韓国は214億円の赤字
」だ。

 それなのに「韓国が多くの国民はそれでも韓国は大丈夫な国だ」と錯覚しており、このままいくと「国を奪われるという国辱を味わいながらも発奮せず、子孫に何も残せなかった先祖の轍を踏むことになるだろう」と警告している。
このキム・ホンス氏の歴史認識は悲しいほど真実なのだ。
朝鮮(韓国)の歴史はただ支配階級が富の収奪だけを行い子孫には何も残さない歴史といえる。

 私は朝鮮史(韓国史)を調べれば調べるほど日本の藤原摂関政治と同じではないかと思うようになった。平安時代という中世が19世紀末まで続いていたと思えばよい。
支配者は両班という貴族階級で、中央政界での政争に明け暮れ、また地方に官吏として派遣されればそこであらん限りの搾取をするだけの存在だったから、日本の国司とまさに同じだ。
地方は疲弊して農業生産はさっぱり増加せず山は燃料のために伐採されてはげ山だらけだった。

 19世紀後半の朝鮮(当時は李氏朝鮮)の政争劇は実に朝鮮的(韓国と北朝鮮的)だ。
当時と言っても日本が明治維新を達成し果敢に近代化を行っていたころ李氏朝鮮の実質的な支配者は高宗の実父である大院君これは王の父親という意味)だったが、高宗がただ女好きのお坊ちゃんだったため、すべて大院君が政治をしきっていた。日本でいう藤原道長の摂関政治と思えばイメージがわく。

 大院君はそれなりの見識があり、それまで朝鮮政治を壟断していた両班の権力をそいだり、一方小作農解放に乗り出したりしていたが、何しろ大の外国人嫌いでフランスの宣教師を殺害したりアメリカの艦船を拿捕したりして外国との摩擦が絶えなかった。
近世と中世を同居させていたような人物だ。

 さらにここからがいかにも朝鮮的韓国・北朝鮮的)なのだが、この大院君の政治に挑戦したのが高宗の后の閔妃びんぴ)で、閔妃の政策は大院君の正反対で国内的には両班等の旧勢力の復活と、対外的には開国政策だった。
保守と革新が同居しているが、これは大院君にただ反対するための方策で閔妃自身に見識があったわけではない。
この抗争は約20年にわたって続けられ、相手陣営の官吏の暗殺と追放が繰り返された。これはどちらかというと北朝鮮の今に似ている。

 閔妃が日本との関連で歴史に登場するのも、当初閔妃が日本との修好通商をめざしたからだが、その後は宗主国清の袁世凱の庇護を受け、日清戦争後はロシアに保護を求めて日本と対立した。
なぜ閔妃が組む相手を日本、清、ロシアと乗り換えていったのかは朝鮮の対外政策の基本が事大主義だからだ。
事大主義とは「強い親分の子分になって威張る」という政策で、相手の強さに応じて宗主国を変える。

 これは現在のパク・クネ政権にも受け継がれており、「日本が弱くなれば中国と組むのが一番」とばかり、習近平氏にゴロニャンを始めたので分かる。
閔妃は日清戦争後は負けた清を見限りロシアにゴロニャンしたが、これは最悪な選択だった。
その10年後には日露戦争でロシアは日本に敗れ、さらにその10年後にはロシア帝国そのものが崩壊したのだから、ロシアシフトは歴史によって否定されている。
毀誉褒貶の激しい閔妃は1895年、日本守備隊と大院君の部隊によって攻め込まれ殺害された。
現在の韓国史では日本軍に殺害された悲劇の女王になっているが、本人はただ大院君が憎かっただけで、浪費と閔妃一族の栄達しか考えていなかった権力欲の塊に過ぎない。

 私はしみじみ思うのだが朝鮮史韓国・北朝鮮史)には近世封建制)がなく中世がそのまま近代になってしまっている。
近世とは武士の時代だが、武士とはもともと武装農民のことであり貴族の横暴から自らの農地を守ろうとしたのが始まりだ。だから朝鮮に近世がないということは近代まで農民はただ搾取され続けたということになる。

注)戦後の左翼史観では封建制度を悪しざまに言うのが普通だが、それ以前の貴族政治への挑戦として農民が武力を持って自立しようとした時代が封建制の始まりだ。
秀吉の兵農分離で再び農民階層は最下層の階層になったが、それでも平安時代に比較すれば格段に自治権が確保されていた。


 残ったのは藤原摂関家と同様な政争で、一族の利益を図ることだけが目標になる。
閔妃は事大主義でロシアにすり寄ったが、現在のパク・クネ大統領はただ日本憎しだけで中国にすり寄っている。
だが事大主義を貫徹するには相手が悪すぎる。
中国経済は完全に失速しもはや新興国の雄とは言えず、反対にバブル崩壊にどう対処したらよいかという状況に追い込まれている。
ロシアがその後崩壊したように中国経済も崩壊過程に入っているから、閔妃の悲劇は同時にパク・クネ大統領の悲劇になると私は思っている。

 

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