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(26.10.3) 歴史秘話ヒストリア 徳川家康の子育て奮闘記

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 家康といえばひどいタヌキおやじで豊臣家を滅ぼすためには権謀術数を駆使した印象が強いので、一般的には日本人に人気がない。
一方山岡宗八氏の「徳川家康」を読むと、家康を非常に好意的に書いており、家康は本心を抑えて平和国家をつくりあげるため冷酷にふるまったということになっていたが、それでも私は家康を好きになれなかった。

注)通常日本人は平和は話し合いで仲良く作るものだと思っている。

 先日NHKの歴史秘話ヒストリアで家康を扱い「おやじって大変だ」という番組を放送したので家康の何が大変なのか興味深く見てみた。
家康には16人の子供がいたというから非常な艶福家だが、長男信康、次男秀康、そして三男秀忠についての子育てには非常に苦労したという(その他男には苦労している)。

 長男信康は正室築山殿の子供だが、築山殿は今川家の重臣の娘で生涯家康を軽んじていたようだ(家康は今川家の人質だった)。夫婦仲もよくなく築山殿は息子信康をけしかけて家康との反目を誘うようにふるまったらしい。番組では家康が信康を溺愛したためひどい乱暴狼藉ものになったと紹介されていたが、私は築山殿の存在が大きいと思っている。

 結果的に築山殿は武田家と内通して信康を織田・徳川の連合に敵対させようとしたため、織田信長の命で信康は切腹させられ21歳の生涯を閉じた(築山殿も殺害されている)。昔見たテレビ番組では家康ふんする市川歌右衛門が信康を切腹させる場面で苦悩のあらん限りを演じていたが、この信康切腹事件は本当のところ今一つ分からない。しかし嫡子を失った家康の苦衷は大きかっただろう。

 この結果次男秀康が嫡子になることになった。この秀康は侍女に産ませた子供だが家康の子供の中で際立って優秀だった。しかし運命とは分からないものだ。家康が秀吉の軍門に下った見返りに人質として秀吉のもとに養子に出されることになった。
名前が羽柴秀康となり、それでも豊臣家の中で臆することなく立派に振る舞い、場合によったら秀吉の後継者とまで目されたが秀吉に子供ができて運命が逆転した。
不要になった秀康は関東の名家の結城氏の養子に追いだされ、そこの当主になったのだが、本来ならば徳川第二代将軍になれたのに残念なことだっただろう。

 秀康は武勇と知略に優れ天下分け目の関ヶ原の戦いでは上杉氏をけん制して一歩も越後から出させなかった。上杉氏こそが石田三成が最も期待していた同盟者だったから上杉が動けなかったことが石田三成の運命を決したと言ってもよい。
家康は関ヶ原の論功行賞で秀康の働きを第一に挙げている。

 しかし秀康は他家に出た身だから後継者とすることができず、後継者は三男秀忠ということになった。しかし秀忠は親に似ず凡庸で人がいいだけが取り柄の人間だった。
特に軍略と判断力は最低で個人的に付き合うには楽しい人だが天下を治める器とは言えなかったようだ。
家康は何とかして秀忠を後継者らしく育てようとしたが効果がなく、特に最悪だったのは関ヶ原の戦いの時に徳川の主力3万8千を関ヶ原にまに合わせなかったことだ。

 秀忠は中仙道を主力徳川軍を引き連れ、一方家康は福島正則といった本来豊臣恩顧の武士団を引き連れて東海道を関ヶ原に向かったのだが(いつ寝返るかわからないので見張る必要があった)、秀忠は関ヶ原に集結することを忘れて信州で真田軍と戦闘などをしていっこうに関ヶ原に現れなかった。
家康は仕方なく豊臣恩顧の武士団を中心に石田三成と決戦せざるを得なくなり、結果的に多くの外様大名に論功行賞をしなければならなくなった。

注)当時は道が狭かったので多くの軍団を進めるためには道を分けて進軍する方が早かった。

 「あのバカが、こんな大事な時に現れないとは何という無能!!
私は徳川幕藩体制が外様大名、親藩、天領に分かれているのが不思議だったがこの関ヶ原の戦いを外様大名主体に戦った結果だと知った。
もし徳川の正規軍が石田三成を蹴散らしていたらもっと徳川家の権力が強化され、ちょうどフランスのブルボン王家のような存在になった可能性があった。しかし秀忠の無能さがその可能性をつぶしてしまった。

 また家康が徳川幕府の政治を老中中心の合議制にして将軍の絶対権力を認めなかったのは、秀忠があまりに無能で心もとなかったからで、「秀忠に任せたら徳川がつぶれる」と家康が心配したからだ。
家康の長男は反逆容疑で切腹させられ、次男は優秀だったが秀吉に人質に取られ、後継者になった秀忠は無能だったから、家康も確かに親父として苦労したことが分かる。

 歴史はよく必然だという人がいるが私はその説にくみしない。歴史とは偶然の事象が互いに絡み合った結果の最適解であって、結果から見ると必然のように見えるが発生している時はすべて偶然の事象だといえる。
徳川幕藩体制はたまたま秀忠がアホであった結果生まれた体制だと私は思っている。

別件)第4回ちはら台・おゆみ野ハーフマラソンのお知らせ(一部コースの変更)。

以下の日程でハーフマラソンを開催いたします。
① 10月5日(日曜日)
② 午前10時スタート(雨天決行.受付は9時半から)
③ スタート・ゴール ちはら台走友会のかずさの道の集合場所(前回と同じでセンドーのうえ。地図参照)

下記のルートを一部変更しております。当日かずさ道で敬老会が行われるそうで調整を行ったものです。具体的なルート変更は当日説明いたします(26.9.28)。


ルートは以下の地図で確認できます

http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=6d18ea2157947c484ad9c4ec04b246ef
④ 費用300円(実費)
⑤ 参加希望者はこのブログのコメントかメール機能を使用して参加希望を連絡してください。

⑥ なお本大会はすべて自己責任です。






 

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