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(26.8.14) 夏休みシリーズ NO11 北島三郎ショーに行ってきた

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(トシムネさん撮影)

(20.4.19)北島三郎ショーに行ってきた
(再掲)

「私は今も昔も演歌のファンだ。私が演歌を好むのは歌詞が素敵だからだ。詩と言っていい。現在詩壇はほとんど崩壊したも同然だが、この演歌という歌の中に詩が生き続けていると言っていい


 友達とは有難いものだ。私が演歌のファンでカラオケでは演歌しか歌わないと話していたら、北島三郎ショーの切符を譲ってくれた。
本音を言えば長山洋子ショーの方がいいのだが、この際贅沢はいえない。

 千葉県文化会館大ホール18日の17:45開演だった。このショーはJA千葉みらい貯金残高1000億円達成記念として、組合員を無料招待したものだ。
私はJAの組合員ではないが演歌と聞いて喜んで行かしてもらうことにした。
幸い切符を2枚いただいたのでかみさんと行こうとしたら、かみさんはいい返事をしない。

鼻の穴が大きすぎるのよね
別に鼻の穴で歌うわけじゃないから、いいんじゃないか
でも、あの鼻の穴をどうしても見れないの

 女性の説得は実に難しい。
なんとか説得してようやくかみさんと行くことになった。

 北島三郎はその歌唱力や、歌の内容から私の好きな歌手だ。特に「風雪ながれ旅」はいい。当初この曲を聴いたときは何のことを歌っているのか分からなかったが、あとでそれが津軽三味線の巨匠、高橋竹山の自伝を星野哲郎が作詞したことを知った。

 歌詞が心を打つ。

破れ単衣(ひとえ)に 三味線だけば
よされよされと 雪が降る
泣きの十六 短い指に
息をふきかけ 越えて釆た
アイヤー アイヤー
津軽 八戸 大湊


 この歌詞は星野哲郎が心筋梗塞で再起不能と言われていたときに、渾身の力を振り絞って書いた詩だ。

よされ よされ」という表現が実に新鮮に聞こえる。北国ではこのように雪が降るのだろうか。
アイヤー アイヤー」という掛け声もいい。
星野哲郎、最高の傑作だと私は思っている。

 かつてNHKで「この歌ができた時(正確な名前は忘れた)」という番組で、星野哲郎高橋竹山が対談していたが、星野ほどの作詞家が竹山の前ではかしこまり、竹山を尊敬しているのがひしひしと感じられた。
作詞をするということが、何か命をかけた渾身の営みだと知ったのはその時だ。

 今日北島三郎は当然のごとくこの歌を歌ったが、「私にも名曲があるのです」とこの曲を紹介していた。北島三郎にとっても一番の持ち歌になっているようだ。

 私はテレビでなくなまでショーを見たのは始めての経験だった。
2時間強のショーだったが、驚いたことに北島三郎はほとんど司会者を置かず語りをし、およそ30曲の持ち歌を歌った。
私など1曲でさえ歌詞を覚えてないのに、30曲も歌詞を見ないで歌うことに驚かされる。

 話は大変面白く、苦労人として6年間流しをしていた頃の話は人をひきつける。
人の自慢話は聞いても無駄だが、苦労話には深い教訓がある。

 40年以上も前だが当時は3曲歌って100円だったそうだ。あまりに困窮していた時に渋谷の路上で1000円札を拾ったそうだ。
足でさっと1000円札を抑え、人がいないことを確認して拾ったしぐさに、かみさんは笑いころげていた。

 彼は7人兄弟の長男として生まれたそうだが、生まれた時祖父が「おお、この子はめんこいのう、目が4つあるではないか」と言ったと幼児期から鼻の穴が大きかったことを笑いにしたが、かみさんは手をたたき、身を乗り出した。

北島三郎って、気に入ったわ。これからサブちゃんていおう
信じられないことにかみさんは一夜にして北島三郎の大ファンになってしまった。
家に帰って、娘に向かって「サブちゃん サイコー」というので、今までの経緯を知っている娘が腰を抜かさんばかりに驚いていた。

 北島三郎72歳だという。すばらしい若さとエネルギーだ。千葉文化会館の音響効果は少し問題があったが、それでも北島三郎の歌を十分に堪能できた。
今日の一日はほんとに楽しかった。
切符を譲ってくれたAさんに感謝をしよう。

(注)かみさんが、風雪ながれ旅の「よされ よされ」という言葉をGoogleで検索した。それによると「よされ」は「世を去れ」という意味で、「お前のようなものはこの世を去れ」という意味だという。
私は「しんしん」のような単なる擬音語だと思っていたので、これにはびっくりした。

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コメント

「風雪ながれ旅」を聞くと、モノクロ映画のシーンを想います。
昭和の終わり頃撮影されたものだったのでしょう。それは 瞽女(ごぜ)を扱ったものです。
僅かな枯れ木が ちらほら見えるだけの雪原を、僅か一本踏かためられた踏み跡だけの細い道を辿って4・5人の人が
それぞれ 手をつなぎ、あるいは 前を往く人の袂・腰帯にすがりついて 野を越え山を越え 里から 農村から漁村へ
集落から次の里へ。。北国の真冬には 三味線を背に それこそ_命懸けで 旅を続けた「盲目の旅芸人達」が居ました。
( この一行の中には強度の弱視者。故有って仲間に加わった軽度の障害者などが居ることも有ったようです。)
おそらく江戸末期から 昭和40年ころまで。
津軽三味線の高橋竹山の師 ボサマ(盲目の門付芸人)も瞽女(ごぜ)も 旅芸人は、雪に閉じ込められる厳寒期こそが主な稼ぎ時だったのです 。
-越後-秋田-津軽-下北-八戸…あるいは竜飛-函館-歌棄-忍路-小樽高島-苫小牧…赤平-美瑛-留萌…稚内…斜里・羅臼。
まさに地の果てまでその足跡の記録が残っています。
目の不自由な旅芸人達の冬の旅だったのですから、少なからぬ人々が故郷に帰らず亡くなったこともあったのだろうと思います。-参考書 「 最後の瞽女・小林ハル 」

(山崎)貴重な情報をありがとうございました。

投稿: u_tanaka | 2014年8月14日 (木) 12時09分

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