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(26.7.12) 文学入門 伊藤整 「若い詩人の肖像」

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 今回の読書会のテーマ本は伊藤整の「若い詩人の肖像」だった。このテーマ本を選んだのは私である。
伊藤整といっても今ではほとんどの人は「いったい誰なの」と言った感度だろう。もはや読まれることのほとんどない小説家だが、私が大学生だったころは「チャタレイ夫人の恋人」の翻訳者でかつ警視庁からわいせつ文書の翻訳をおこなったとして訴えられていた著名な人だった。

 私が伊藤整の小説を始めて読んだのは大学生の時で、今から50年近く前だが友人のH君から勧められたからだった。H君は工学関係の非常に有能な学生だったが、同時に感受性が豊かで小説をよく読んでいた。
私は「H君が推奨するのだからきっと面白いに違いない」と思って読みだしたが、その内容に魅了された。

 これは伊藤整自身の自叙伝的小説で当初は7つの短編小説だったのだが、それを後に一つの長編小説にまとめたものである。
この7つの章の中で学生時代が最も魅力に富んでいる。それはまだ分からない未来に向かって自分の可能性について試行錯誤している時期だからだが、何より当時の私は大学生であり自分の将来の一つの指針にも見えたからだ。
最初の「海の見える町」と「雪の来るとき」は私に圧倒的な影響を与えた。

 この二編は作者が小樽高等商業学校現在の小樽商科大学)の学生だった青春期を扱っているが、時代はちょうど第一次世界大戦が終わって歴史の教科書で「大正デモクラシー」と呼ばれていた時期に相当する。
実際時代を知る最良の方法は歴史の教科書を読むことではなく、良質な自伝的小説を読むことだ。
今から約100年前の日本を大学生だった私は初めて知ることができた。

 この小説では作者が友人の川崎昇と詩集を出したり、恋人の重田根見子との恋愛が記載されている。ほとんどの人が本名で出てくるが恋人の重田根見子は本名でなく幾分脚色されているが、伊藤整がたどった精神の軌跡はそのまま記載されていて嘘がない。

 この小説は若い詩人になろうとし、そして実際になって「雪明りの路」という詩集を出すまでになった伊藤整の人生の前半期が描かれており、実際に小説の中に多くの詩や短歌がちりばめられている。
もし私が詩的なセンスがあったら完全に伊藤整の虜になり、自分も詩人になろうとしたに違いないのだが、私は詩については昔も今も全く感受性がなく、この小説で紹介されている詩や短歌についても「だから何なの!!」という感度だった。
だが18歳の伊藤整と17歳の女学生だった重田根見子との恋愛には心が揺さぶられた。

 伊藤整は根見子を「湿ったような感じの橙色の膚、あまりものを言わずに、私の方を大きく見開いてみる目、その少し大き目の赤い唇、その丸みのある顎は魅力があった」と描写していた。
根見子は感受性だけで生きているような女性で伊藤整が持っていた詩的センスは皆無だったが、女性としての魅力は抜群だった。
伊藤整はこの少女と男女の仲になるのだが、私は当時女学生の恋人はおらずもっぱら経済学の本ばかり読んでいたので、「こうした橙色の膚を持った女性と恋愛関係が持てたらどんなに幸せだろう」かと嫉妬と羨望の入り混じった気持ちでこの小説を読んだものだ。

 私は人の名前を覚えることは極端に苦手で誰にあってもすぐに忘れてしまうのだが、この重田根見子という名前だけはその後も忘れることなく、恋人を持つなら「橙色の膚を持った」根見子のような女性がいいと思ったものだ。
小説では根見子は多情なところがあって知り合いのサラリーマンとも深い関係があると推測される文章がありそれゆえ伊藤整と根見子との関係が終わったように記載されていたが、「なら伊藤整に代わって私が根見子を恋人にしよう」とまで入れ込んでしまった。

 この小説にはその後日本を代表する小説家や詩人が多数出てくるが、特に小樽高等商業学校の1年先輩に小林多喜二がおり、伊藤整は多喜二に対する対抗心をめらめらと燃やしていた。
多喜二を中心とする文芸グループが存在していても伊藤整はそれに加わらず、友人の川崎昇と別のグループを形成していた。

 私が大学生のころは左翼運動が真っ盛りの頃で小林多喜二は非常に高く評価されていた。私は彼の代表作の「蟹工船」を読んでみたが、文体が荒っぽくとても小説としてのレベルに達しているとは思えなかったが、当時「文学は思想の表現だ」と言われていたので、多喜二の小説は価値が高いのだと無理に自分に言い聞かせたものだ。

 それに比較して伊藤整の文章は実に美しい。私は日本文学の中で伊藤整は最高の美しい表現力を持った作者だと評価している。
この「若い詩人の肖像」は全体が小説というより散文詩と言った方がいいほど表現力が豊かだ。

 私は大学の卒業記念にH君とかつての小樽高等商業学校を訪れた。小樽の海岸から一直線に山に登った高台にこの学校は建っていたが、「ここをかつて伊藤整や小林多喜二や重田根見子が歩いていたんだ」と興奮して二人で語り合ったものだ。
今ではほとんど読まれることのない小説だが、今から約100年前の青春群像と珠玉のような文章表現を楽しみたいなら是非読むことを勧めたい小説だ。

注)なお文学入門のシリーズは以下にまとめて入っております。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat43898465/index.html



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