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(26.5.8) 文学入門 宮本常一 「忘れられた日本人」

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  民俗学といえば柳田国男程度の知識しかなく、さらに柳田氏の本は遠野物語しか読んだことがなく「民俗学ってなーに」というレベルだから、今回の読書会のテーマ本、宮本常一氏の「忘れられた日本人」は読んでいてもその位置づけが分からなかった。
民俗学の本なのか現地報告レポートなのかあるいは文学なのか分からない本である。

 この本は読書会の主催者の河村義人さんのおすすめの本で、河村さんが激賞していたので読むことになったのだが今一つ評価するのが難しい。
この本はいくつかの章に分かれており、それぞれが独立した読み物になっていて今回河村さんが読書会で指定した一章は「土佐源氏という章だった。
題名からするイメージは土佐における源氏物語だが、内容は高知県梼原村ゆすはらむら)という高知でも最も山奥に位置する山村に住んでいた馬喰ばくろう)が話した「色話」レポートである。
源氏物語が光源氏の恋の遍歴であるように、これは馬喰の恋の遍歴という意味らしい。

 この馬喰というのは戦前の社会では農民と一線を画したアウトローでそのアウトローが営林署の偉い役人の奥さんや、県会議員の庄屋の奥さんと深い仲になり関係する話だが、宮本氏がこの馬喰からこの話を聞いたのは馬喰が80歳になり橋の下で物乞いをしていた時だったという(昭和25年ごろの話)。

 宮本氏のこの「忘れられた日本人」シリーズは日本の最下層民の人々の生活のレポートであり、そうした意味でまさに忘れられた人々なのだ。
私は知らなかったが宮本民俗学は柳田民俗学の一種のアンチテーゼのような形で打ち立てられた民俗学で、柳田民俗学が日本民族史の一般化を試みたのに対し、あくまでも個別の事象にこだわり、そうした報告の集積のような民俗学だという。
土佐源氏は日本の山村の最下層民の馬喰が、どのようにしてその一生を終えたかという報告で、通常の日本人の感覚からすると「なんでそんな人の生活史を記載して価値があるの?」という感じだろう。

 この馬喰が「わしは80年間何もしておらん。人をだますこととおなごをかまうことで過ぎてしもうた」という言葉で話される内容はかなり衝撃的だ。
おなごというものは気の毒なものじゃ」「女の言う通りに、おなごがよろこぶようにやったらすべてのおなごはころぶものだという。

 宮本氏はこの馬喰の話をそのままレポートしたのだが、こうした話の常として実際との間にはかなりの齟齬があったと想定される。
馬喰とこのレポートに登場する地位ある奥さんとの間の男女の仲に、それに近いものがあったとしても語られた通りかどうかは怪しい。
そうあってほしかった」という願望の話だと受け止めておくのが妥当ではなかろうか。

 ただ日本の戦前までの世界は驚くほど性は解放されており、武士階級と言った儒教教育で精神世界を縛られていた階級以外はいたって性におおらかだったことは確かだ。
ルイス・フロイスが「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじていない」とキリスト教国の倫理感で驚いて報告している。キリスト教社会の純潔信仰から見たら、信じられないような性の放逸状態だったのだろう。

 土佐源氏の一章は調査レポートというよりは文学作品のような雰囲気を醸し出しており、読んでいてとても面白いが、馬喰のフィクションに彩られた作品に私には見える。
しかしそれでもこうしたレポートが意味を持つのはそれが馬喰という下層階級が持つ夢を具現しているからだ。

 私はまだ土佐源氏の一章しか読んでいないが、読書会がある土曜日までにさらに数章は読んでおこうと思っている。宮本氏の言う「色ざんげ」に興味を持ったからでもあるが、戦前までの日本社会の最下層部の生活のあり方に興味が惹かれたからでもある。

なお文学入門は以下にまとめて入っております。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat43898465/index.html

別件)1名生徒を追加募集します。
以下の条件に合致した場合はメール機能を使用して連絡ください。面接いたします

① おゆみ野在住者(遠距離ではやってこれない)
② 中学生、または小学高学年
③ 今教えられる時間帯は金曜日の5時からと、日曜日の9時からのみ
④ 数学または英語でつまずきを感じている児童

募集の趣旨は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-e7bf.html

 

 
 

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コメント

宮本常一と柳田(やなぎた)国男の民俗学の違いは、柳田が米作りや祖霊信仰を日本人の基底文化と捉えたのに対し、日本の文化は多様な要素から成り立っていると捉えたのが宮本です。この宮本や渋沢敬三(栄一の孫)の民俗学は日本文化の多様性を考える基礎となっており、現在の歴史学にも大きな影響を与えています。
例えば、山崎さんが習った日本史では百性=米作農民という考えに基づいていましたが、現在では海民や山の民など多様な人々が含まれると考えられています。そうすると、文化や身分・社会制度、産業、政治などの見方が変わってきます。
柳田の代表作「遠野物語」に比べ「忘れられた日本人」のほうが、人間くさくリアルな日本人の姿を描いていると感じませんか?

(山崎)すごい指摘ですね。とても参考になります。私は民俗学の素養がなくて柳田国男と宮本常一の差について明確な認識は持っておりませんでした。

投稿: 信天翁 | 2014年5月11日 (日) 08時00分

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