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(26.5.1) BS歴史館 江戸のスーパースター 葛飾北斎

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 BS歴史館
で江戸時代のスーパー日本人として葛飾北斎が採りあげられていた。北斎は江戸後半期を代表する浮世絵画家だが、通常の浮世絵が美人画や役者絵だったのに対して富嶽三十六景という風景画であったところが違う。
北斎を中心とする日本の浮世絵は幕末日本にきた西洋人が好んで購入した土産品で、これがヨーロッパに広く行き渡り、特にフランスの印象派の画家に強烈なインパクトを与えた。

 ゴッホマネの作品に浮世絵の模写がよく描かれているが、作曲家ドビッシーは北斎の最高傑作の一つ「神奈川沖浪裏」を見て交響詩「」を作曲している。
アメリカの雑誌LIFEが選んだ「過去1000年に世界を作った100人」の中に唯一選ばれた日本人がいるが、それが葛飾北斎である。
世界の絵画史や芸術に与えたその影響力を評価されたのだが、ゴッホは感極まって「日本の芸術を研究すると賢く哲学的で知的な人物を知ることができる」とまで言い切った。

注)「神奈川沖裏波」をイメージできない人は以下参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E6%B2%96%E6%B5%AA%E8%A3%8F

 今でこそ浮世絵は江戸時代を代表する芸術と認められているが、当時の江戸市民の感覚はそれとは程遠く、私たちが漫画やアニメを見る感覚で浮世絵を見ていた。
当時の正統派の絵画は幕府や朝廷と言ったパトロンが控えていた狩野派や土佐派や琳派であって、一方浮世絵は一杯のかけそばの値段で購入できる庶民のプロマイドに過ぎなかった。

 現在の日本においても美術館で飾られているのは絵画や彫刻が主体だ。
私は手塚治虫火の鳥さいとう・たかをの「ゴルゴ13」や白戸三平の「ワタリ」や「カムイ伝は日本の誇る最高芸術作品だと思っている。しかし現在の日本人がこうした漫画を必ずしも日本を代表する芸術とは思っていないように、江戸庶民も浮世絵を一段低い芸だと思っていた。

注)日本の総理大臣の中で麻生太郎氏だけは漫画やアニメに強い共感を持っていたが、一方マスコミからは漫画ばかり見ているからまともに漢字も読めないと揶揄されていた。

 また葛飾北斎は大変な奇人だったらしく、生涯に93回も家の引っ越しをしたが家を片付けることをせずちらかしぱなしにしたため、住環境が崩壊してしまったからだという。
家族はいたが家族も相当な奇人だったらしく、北斎に代わって家を整えることは全くしなかったらしい。
北斎自身は布団をひっかぶりながら絵を描いていたが、ゴッホがこれを見たら腰を抜かしただろう。
本当にこれが私の愛した哲学的な北斎か!!!」

 しかし北斎の絵画に対するセンスは他のどの浮世絵師よりも抜きんでていた。当初は勝川派に弟子入りしたのだが飽き足らず、狩野派、土佐派、琳派に教えを乞い、そして西洋絵画の遠近法までもマスターしようとしていたのだからすごい。
北斎の風景画の傑作富嶽三十六景は1831年から数年をかけて出版されたのだが、当時北斎は70歳を過ぎていた
北斎はこの富嶽三十六景を海外(中国)から輸入したベルリンブルーという絵具を利用して描いたのだが、このベルリンブルーなくしては北斎の風景画はなかったという。

 私は全く知らなかったが浮世絵には赤が多用され、その色彩の再現力は素晴らしかったが、一方青は全くダメで日本の絵具を使用する限り青は色落ちしてすぐに使い物にならなかったという。
それに対し西洋絵画で使用されていたベルリンブルーは青の発色が抜群で色落ちがなかったため、風景画を作成するのに最適な顔料だった。
このベルリンブルーが幕末時期には中国経由で日本に多量に輸入されたことが北斎に幸いした。

 当時の江戸市民にとってこの富嶽三十六景は一種の旅行案内書のようなものだったらしい。この浮世絵を見て市民は「今年はぜひ赤富士を見るために富士山参りをしようじゃねいか」などと相談していた。
富士山のお参りは富士講と言ったが、今でいう旅行社で一年間費用を積み立て、その資金で講が準備した旅行日程で富士山登山を行っていた。

 江戸時代は一般に他国に旅行するのは幕府が統制していたため極端に難しかったが宗教的な旅行お伊勢参り、冨士講登山等)は許されていたので、これを理由に庶民は観光旅行をしていた。
旅行者は富嶽三十六景と実物を見比べながら富士山に向かっていたらしい。

 北斎は生涯に北斎漫画やこの富嶽三十六景などの傑作を残し90歳の長命で、ペリーが日本にやってくる4年前に死亡している。
最後の言葉は「天があと10年、いや5年の命を与えてくれるなら、真の絵描きになれたのに」という言葉だが、北斎は最後までまだ自分が真の絵描きだとは思っていなかったらしい。何ともすさまじいまでの生き方だと思う。

注)北斎の作品は以下参照
http://bakumatsu.org/blog/2012/12/hokusai.html

 

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