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(26.4.13) NHK 秀吉の聚楽第の再現 巨大な城だとは知らなかった!

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  ほんとかい!! 
目を見張った。豊臣秀吉が京都に建設した聚楽第じゅらくてい)のことである。聚楽第を建築した目的は秀吉が関白を拝命されたことから京都に邸宅を構えることになったためだが、私は当初京都の公家の屋敷のようなものだったと思っていた。

 ところが今回NHK歴史ヒストリアで再現されたCG(コンピュータ・グラフックス)を見て心底驚いた。
ほとんど大阪城と同じ堅牢な城だったからである。
何、秀吉は大阪でなく京都を本拠地にしようとしてたのか???

 応仁の乱で荒れ果てていた京都を現在のような京都に再興したのは秀吉だという。
当時の京都は人口3万程度の田舎町しばらく前のおゆみ野レベルだ)に過ぎず、「汝や知る 都は野辺の夕雲雀 上がるを見ても 落つる涙は」と歌われたほど麦畑が広がっていた。
ここを往時の雅な京都に復活するため、秀吉が京都大改造計画に乗り出したという。

 京都に聚楽第という巨大な城を元の御所の跡地に建設し(1587年)、各地の大名の邸宅を作ってその妻子を京都に住まわせ、町人町を作って町人を呼び寄せ、さらに京都の周りに約5mの土塀を23kmにわたって張り巡らしたという。
私は日本には城壁が存在しないと思っていたが土壁とはいえ京都は城壁に囲まれた都市になっていた。

 おかげで京都の人口は一挙に増えて3万人が10万人にまでなり、当時としては大都市に変身した。
そして1588年には時の後陽成天皇の聚楽第行幸を成功させている。
みよ、私こそが天皇を凌駕するこの日本の支配だ」天皇を自宅に御幸させることができるのが真の日本の支配者だという意味である。
秀吉は京都を後の江戸と同じように大改造を図って日本の首都にしようと思っていたようだ。

 ところがこうした計画が一挙に崩壊したのは豊臣家の後継者争いのせいだが、はっきり言えば秀吉がぼけたからである。
当初秀吉はこの聚楽第で政務をとっていたが、1591年関白職を甥の秀次に譲って城は関白秀次の居城とし、自身は大阪に城を作って引きこもった。
このあたりは家康が秀忠に家督を譲って駿府に引きこもったのと似ているが、実際は秀次は何の能力もなかったので実質的な政務はすべて秀吉のいる大阪城で行われた(秀次はただ京都の見張り役としての位置づけしか得られなかった)。

 しかし聚楽第はその壮麗さで当時の大名の美意識を刺激したらしく、毛利の広島城や家康の江戸城の原型になったという。特に壁の色に特色があり、異色の白塗りだった。この時代白塗りの漆喰は腐食が激しくて城の外壁には適さないと言われていたが、この聚楽第で技術的ブレークスルーがあったのだろう。

 この豪華絢爛たる城はルイス・フロイスによってヨーロッパにも知られており、内部は金をふんだんに使用した黄金の国ジパングそのものであったらしい。
ところが聚楽第は建築後8年で当の秀吉によって徹底的に取り壊され跡形もなくなってしまった
なぜ秀吉がそんな無駄なことをしたのかと言えばすべてわが子秀頼のためで、さらに言えばボケが始まっていたからだと思う。

注)私は晩年の秀吉はアルツハイマー病にかかっていたのではないかと疑っている。

  秀頼が生まれると甥に関白職を譲ってしまったことを悔いた。
何ということだ。豊臣の跡継ぎをあんな何のとりえもない秀次なんかに譲って俺はバカだ!!
何の咎もなかった秀次を罪をでっち上げて切腹させ、さらに妻妾30名余りを京都の三条河原で斬殺した。1595年のことである。
太閤様、ご乱心」この光景を見たほとんどの人がそう思った。

 秀吉はその3年後の1598年には死亡しているからこのころはボケがかなりひどく進んでいたと思われる。
聚楽第を徹底的に破壊させた目的は秀次の記憶をこの世から完全に抹殺しろ」と秀吉が命じたからだ。
この城を創るために資金と人員を動員された諸大名はこの秀吉の命令を聞いて「太閤様の政権はながくないな・・・・」と感じたと思われる。

 秀吉が死亡した2年後には関ヶ原の戦いで実質的に豊臣政権は終わったが、秀次がたとえどんなに無能であったとしてもそれを殺害したのは騒乱のもとを作ったようなものだ。
これをそばで見ていた家康は後継者の秀忠がどんなに無能で軍事センスがゼロであっても廃嫡することはせず二代将軍に指名している。
秀吉の二の舞だけは避けよう」冷静な家康らしい判断だ。

 かくして聚楽第は豊臣政権の栄華と没落の象徴のような城となった。

別件1) 第2回ちはら台・おゆみ野ハーフマラソンのお知らせ

以下の日程でハーフマラソンを開催いたします。
① 4月27日(日曜日)
② 午前10時スタート(雨天決行)
③ スタート・ゴール ちはら台走友会のかずさの道の集合場所(前回と同じでセンドーのうえ)
④ 費用300円(実費)
⑤ 参加希望者はこのブログのコメントかメール機能を使用して参加希望を連絡してください。


*本件はかずさの道や四季の道を使用したハーフマラソンを開催するための準備大会です。


別件2) 現在おゆみ野クリーンクラブのカンパを求めております。その資金を基におゆみ野四季の道の清掃活動やベンチの補修を行っております。ご協力をいただければ幸いです。

カンパの送付先

・千葉銀行 鎌取支店(092)
・おゆみ野クリーンクラブ 普通預金口座(3743511)

・郵貯銀行 店名 058 (ゼロゴハチ)
・おゆみ野クリーンクラブ 普通預金口座(3695852)


なお、おゆみ野クリーンクラブの活動の実態は以下を参照してください。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-9bc7.html


 

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