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(26.2.14) 奥州藤原氏はなぜ敗北したか! 経済大国・軍事小国の末路

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(千葉でこれほどの雪が降ることは珍しい)

(これは昨日の「東北はなぜ寂しいのか? 奥州藤原氏の敗北と平泉の衰退」の続きです。昨日の文章を読まれてない方は以下参照)
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-d27a.html

  当時奥州藤原氏はロシア方面とも南宋とも交易ルートを持っていたというから相当手広い経済活動だが、何と言っても北方の蝦夷地とさらに北の現在のロシアとの交易が重要だった。そしてその富は膨大だったという。

注)狩猟民族(当時東北は半狩猟、半農業)は稲作民族に比較して進取の気風が強く、外国貿易を積極的に行った

 一方頼朝率いる鎌倉武士団は関東平野の痩せた土地に群生する農民兼武士で農業以外の生産方法を知らなかったから貧しく、東北の富が垂涎の的だったという。
何とかしてあの土地の富が手に入れられたら俺の政権の基盤は強固なものになる
頼朝は機会さえあれば奥州を鎌倉武士団の手で奪おうとしていたが、その絶好の機会が訪れた。
平家を滅ぼした後用済みになった義経を奥州藤原氏の秀衡ひでひら)がかくまったからだ。
頼朝は後白河法皇を脅しあげて義経追討の院宣を出させていたが、今度は奥州藤原氏に対する院宣を出さすことに成功した。
義経の首を差し出せ。さもないと奥州藤原氏を成敗する

注)頼朝が奥州に執着したのは、かつて後三年の役(1087年)では源義家が奥州藤原氏と組んで清原氏を打ち破ったのだが、その戦後処理で手柄はすべて奥州藤原氏のものになってしまった(朝廷は源氏が大きくなるのを嫌った)。
だから源頼朝とすれば「あの時源氏の土地になったはずだ」との思いは強かった。


 平氏滅亡後の政治情勢はちょうど中国の三国志のような状況と思うとイメージがわく。
京都には権威はあるが権力も金もない後白河法皇率いる公家勢力があり、鎌倉には金も権威もないが権力はある頼朝率いる鎌倉武士団がおり、そして東北には権威も権力もないが財力が豊かな奥州藤原氏が存在していた。

注)金持ちだが防衛力が弱いと世界から食い物にされるのは戦後の日本の歴史がしめしており、当然奥州藤原氏は鎌倉から狙われる立場にあった。

 この情勢下で後白河法皇は強大な鎌倉武士団を分裂させるための策略として、源義経に官位と褒賞を与えて取り込みを図った。
義経は軍事以外のことには全く素人だから易々と後白河法皇に取り込まれてしまったため、頼朝は怒って義経追討の院宣を後白河法皇に強引に出させた。

 そこで後白河法皇は義経追討の院宣を出す一方、義経を奥州藤原氏に逃して奥州藤原氏と手を組ましめ、鎌倉と奥州を鼎立させ、京都の権威を守ろうとしたという
だが実際は京都と奥州の連携は容易でなかった。
当時は通信事情が極端に悪く江戸期でも京都・平泉間は(徒歩で)1か月程度かかったから、このころはこの倍程度の時間がかかったとみてよさそうだ。
往復で4か月で、もたもたして返事を伸ばしていたら半年はかかる。これでは提携など夢のまた夢だ。

 こうした時は明確な意志のもとに行動する方が勝だ。結局頼朝が勝利したのは武家政権を確立するという明確なビジョンを持っていたからで、一方奥州藤原氏は一族の存続は考えていたが、それ以上のビジョンはなかったため防戦一方に押しやられた。

 当主秀衡は義経を軍事総司令官にして鎌倉と戦う決心をしたが病死してしまい、秀衡の後を引き継いだ泰衡は1年間の逡巡ののち義経を殺害したのに、頼朝はすぐさま奥州追討に乗り出した。
後白河法皇は「停戦せよ」と命じたが、頼朝は無視した。
奥州はもともと源氏の土地で奥州藤原氏は源氏の配下だから棟梁が部下を成敗しているのだというのがその論理だったが、相当強引だ。

 私には奥州藤原氏の滅亡が、豊かだが防衛力が劣った国は軍事大国に滅ぼされるという典型的な例に見える。
泰衡はただ恭順の姿勢さえ取れば軍事大国の魔手から逃れられると判断したが、侵略の意図のある軍事大国はどんな理由をつけても侵略の手は緩めない。
現在の中国が日本を含めた周辺地域の支配を狙っているとき、泰衡のわだちを踏まないことが最も重要な教訓だろう。

(別件)ちはら台マラソンのご案内

3月15日(土)に第1回市原ちはら台マラソンが行われます。
   種目は10km、5km、2km、1kmです。
   コースはすべて公道を使用して、白バイの先導もあります。

コースは以下のとおりです。

(10km)
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=561210b401f2b16a5c8bdc88ecb
b0880

(5km)
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=52a9cd953c0833d66bc02ab0c21
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runnetの参加申し込み締め切りは 2月17日までです


 




 

 

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