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(25.12.6) NHK 歴史ヒストリア 英雄を記録した男 太田牛一

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(今頃朝顔が咲いていた)

  私は長い間信長の生涯を記した「信長公記」という書物も、またこれを記載した太田牛一ぎゅういち)という人物のことも知らなかった。
公記」というのだから信長か秀吉に命じられて記載した公文書で、太田牛一は古事記を編纂した太安万侶のような人物だと勝手に思っていた。

 今回NHK で放送した「歴史ヒストリア 英雄を記録した男 大田牛一」を見て、私の予想が全く間違っていたことを知った。
太田牛一は信長の側近ではあったが、秀吉光秀勝家と言った歴史に華々しく登場する武将とは異なり、まったく地味な一種の記録係だった。

注)私は「信長公記」を「信長の公式の記録」と読んでいたが、「信長公の記録」だとこの番組を見て始めて知った。

 しかもその記録係とは公的に命じられたものでなく、まったく個人的に信長の行動の一挙手一動を日記として書き留めていたのであり、当初は公開して世に問おうとしたものではなかった。
牛一は今でいうメモ魔であらゆることをメモに残し、それを日記として綴っていた。
その日記が「信長公記」として世に残ったのは、信長が本能寺の変で明智光秀に打たれ無念の最期を遂げた後、太田牛一が何としても信長の生涯をこの世に残しておきたかったからだ。

 太田牛一は信長の死後秀吉のもとに仕えていたが、たった一人の決心で「信長公記」という全15巻の書物を書き残す作業に取り掛かった。
メモと日記が基礎資料で、1巻の内容は1年間の記録とし、全15巻は太田牛一が信長に仕えた15年間の記録に相当する。

 今私たちが信長という人物の性格や立ち居振る舞い、そして戦国の雌雄を決した武田軍との長篠の戦いの詳細、および焼け落ちてしまって今はなき安土城の内部の様の詳細が分かるのはすべて大田牛一が残した「信長公記」があるからだ。
太田牛一は今なら才能豊かなルポライターや戦場カメラマンと言ったところで、信長のそばにいてその詳細な記録を私的に残し続けてきた。

 本能寺の変が起こった時は太田牛一は本能寺におらず災厄を免れたが、主君の無念の最期を知るべく生き残った人物を探し求め、生存していた信長の侍女から信長の最後の言葉を聞き取った。
是非に及ばず」というのがその言葉で「天が命じたことなら致し方がない」という意味だ。
また牛一は信長を討った光秀の最後の言葉も、落ち武者狩りに参加した農民から聞いている。「首を知恩院に葬ってくれ」というのがその最後の言葉だったそうだ。
この言葉を聞いても信長と光秀の人間のスケールの差が分かる。天が命じたならその運命を引き受けようという信長と、あくまで成仏を願って首を収める場所を指定する光秀の差だ。

 私は今回の太田牛一の生涯を知って、この牛一という人物に非常なシンパシーを感じた。大田牛一自身は戦国武将としては全く無名の存在で、歴史に名を残すような武勲は何もしていないが、「信長公記」を書き残したことで、当時のどの武将よりも大きな足跡を歴史に刻んだ。
私たちが信長の時代を知るのは主としてこの「信長公記」によってであり、大田牛一が見た目で信長を見ているのだ。

 太田牛一は秀吉の死後は秀頼に仕え87年の生涯を終えている。日本史に残る英雄の生涯を15年間の書物にまとめて牛一はその生涯を閉じたが、この人物のおかげで私たちは歴史を追体験できる。
中国には司馬遷という偉大な歴史家がいたが、太田牛一も日本史の大転換点でそれに迫る足跡を残したのだと改めて感動した。
歴史を動かすことができなくても動かした人を正確に記載すればそれが歴史的人物になるという稀有な存在だったといっていいだろう。

なお、日本史に関するブログ記事は以下にまとめて入っております。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat47308511/index.html
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/cat41526340/index.html

 

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コメント

山崎さんありがとうございます。
山崎さんのこの太田牛一の情報に驚き、図書館で「信長公記、太田牛一著、中川太古訳、新人物往来社上下」を借りて読んでみました。
目からうろこでした。
あの信長の世を欺く茶筅髷やだらしない姿、斉藤道三との会見前と後の差、敦盛の舞、桶狭間奇襲などなどが全部実話であったと知りました。
私は、水戸黄門などのように、歴史ものは面白おかしく芝居にしたもので、信憑性などあまりないものと思っていました。
凄まじかったです、たとえば「朝倉義景や浅井長政の首を肴に元旦に酒宴をした、皆が謡をうたい信長は上機嫌であった」などなど武士は剛毅ですね。
全編の殺戮のすさまじさや命がけで日々生きて戦っていた様子がわかりました。
今の北朝鮮のようなことが日常茶飯事だったようで、勉強になりました。
歴史ものを見る目が確かに変わりました。ありがとうございました。

(山崎)「信長公記」をさっそく読まれるとはアブラコさんは勉強家ですね。

投稿: アブラコ | 2013年12月19日 (木) 13時41分

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