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(25.9.18) 文學入門 井上靖 「おろしゃ国酔夢譚」

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(北海道 ハマナス)

 私は井上靖氏の小説はどれも好きなのだが,わけても「おろしゃ国酔夢譚」は特に好きな小説だ。この小説は1966年から足かけ3年をかけて文芸春秋に掲載されたドキュメンタリータッチの小説で、私が丁度大学生の時に書かれている。当時この小説を読んでひどく感銘を受けたが残念なことに18世紀後半の時代的背景が分からず、必ずしも十分に理解したとは言えなかった。

 今回読書会のテーマ本がこの小説だったので、読み返してみて主人公の大黒屋光太夫こうだゆう)のたどった数奇な運命に再び感動した。
光太夫伊勢白子現在の三重県鈴鹿市)の廻船の船頭で、コメを積んで江戸に向かう途中台風にあい17名の乗組員とともに7か月にわたって漂流し、アリューシャン列島アムチトカ島にたどり着いた。1782年のことである。
アムチトカ島などと言われてもどこにあるかさっぱりだが地図で調べると日付変更線を越えたあたりで、戦争経験者ならキスカ島アッツ島に近いと言えばイメージがわくだろう。

 当時この島には原住民アレウト人)と海獣の毛皮をとるためのロシア人が住んでいた。ロシア人は毛皮商人といってもロシアの国策会社で毛皮は第一級の輸出品だった)の配下にあり、約3年間の契約で原住民を使役して毛皮を集める仕事をしていた。
光太夫は毛皮商人の船を待ってカムチャッカにわたりそこでロシア政府と交渉して日本に帰してもらうつもりだったが、やってきた毛皮商人の船は難破してしまい、さらに3年間(都合6年間)ロシアとの音信が取れない状況になってしまった。
このため日本人とロシア人が共同作業で船を作り、ようやっとのことで1787年にカムチャッカに渡った。

 アムチトカ島の寒さは尋常でなく7名の乗組員が死亡し、その後の移動でも次々に病死したため最終的に生き残ったのは5名になっている(約10年間に7割が死に絶えてしまった)。
光太夫はカムチャッカ半島に渡ったあと、対岸のオホーツク、シベリアのヤクーツク、イルクーツクを経由してロシアの首都サンクトペテルブルグ皇帝エカチェリーナ2世に謁見し、日本への帰国が許され10年間のロシア生活の後日本に帰国している。

 私はイルクーツクという町を3回訪問したことがあるのでよく知っている。バイカル湖のほとり(正確に言うとアンガラ川のほとり)に建設された美しい町で当時シベリア全体の統括を行っていた。
ここで光太夫は当時のロシアにおける最高の知識人の一人だったキリル・ラックスマンに遭遇するのだが、このラックスマンが支援してくれたことで日本帰還がかなうことになった。

 この小説を読むとキリル・ラックスマンという鉱物学、植物学、地理学、古生物学に大きな足跡を残した学者が、同時に光太夫を支援して、遠く日本の地理や植生に興味を持ち自身でも日本に渡ろうとした情熱が伝わってくる。

注)ロシア人には時々こうしたスケールの大きな、精神の自由な人物が現れる。キリル・ラックスマンはもっとも魅力的なロシア人の一人だ。

 当時ロシアはシベリア経営に乗り出したばかりだが、その東方に位置する日本との交易が可能になれば資材をわざわざヨーロッパロシアから運搬する必要がなく簡単に入手できるはずだった。
エカチェリーナ2世が国書をしたため、それをキリル・ラックスマンの息子アダム・ラックスマンに持たせ、さらに日本帰還を望んだ光太夫を含む3名を送り返すことにしたのもそうした理由からだった。
光太夫が帰還したのは1792年で、時の老中は松平定信だった。

 松平定信は北方警備に熱心だったから光太夫から聞き取った情報は第一級の重要性があることは認識したが、根が保守主義者で交易については拒絶をしている。
もし、この時の老中が前任者で失脚した田沼意次だったらまた違った対応になっただろう。田沼意次は現在でいうグローバリストだから、この機会をとらえてロシアとの交易を許可したかもしれない(函館あたりに出島ができた可能性がある)。

 この小説を読むと18世紀後半のロシアというものがよくわかり、わけてもそのシベリア経営の歴史が世界史のいかなる書物よりもよくわかる。
井上靖氏はこの小説を書くにあたって知られていたほとんどすべての記録を参照にしたが、もっとも参考になったのは光太夫からロシアの状況を聞き取りそれを北槎聞略ほくさぶんりゃく)として記録に残した桂川甫周の書だった。

 桂川甫周は当時の最高の知識人で今でいえば東大総長のような立場の人だが、光太夫自身がインテリでロシヤの風物や自然や人々の生活を書き残しており、それを日本最高の知識人が聞き取りをして編集をしている。
もっとも徳川幕府としてはそうした情報を一般に漏らすことを恐れて外部秘にしたため、大槻玄沢といった一部の蘭学者以外はこの情報に接していない桂川甫周は大槻玄沢と親交があった

 光太夫は帰国後幕府によって半ば監視状態に置かれたが、光太夫以上に海外の事情(特にロシア通)はいなかったため、大槻玄沢等とひたしく交わったことで蘭学者は正確な世界情勢を知ることができた。
一般に蘭学は医学のことだと思われているが実際は当時の私的な世界情勢を分析するシンクタンクの役割も演じていた。

注)幕府が時に蘭学者を弾圧したのは知りすぎたものを恐れたためで、できる限り医学といった狭い範囲に押し込めようとした。

 光太夫の江戸期における立場を理解することは難しいが、現在の日本人のイメージでいうと宇宙人に誘拐されてその後地球に帰ってきた地球人のようなものだったといえる。
井上靖氏はあまり感情を交えず光太夫がたどった運命をできるだけ客観的に記載しようとしているが、読む者にとっては光太夫が経験した過酷な運命と、それでも日本に帰ろうとした情念には感動せざる得ない。
多くの人に読むことを薦めたい本と言える。

なお、文学入門の過去の記事は以下に入っております。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/cat43898465/index.html

(別件)ちはら台・おゆみ野ハーフ・フルマラソン開催のお知らせ。

以下の日程でハーフ・フルマラソンを開催します。

・日程 10月6日(日) 10時スタート
・集合場所 ちはら台かずさの道 ちはら台走友会集合場所(地図添付)
・コース  ちはら台のかずさの道とおゆみ野の四季の道を使用(地図参照)

https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&tab=wl

・参加費用 300円(ゼッケン代と飲み物代)
・参加資格 高校生以上ならだれでも可
・ルール 1か所信号があります。交通規則を守って赤信号では停止(この間の時間はネットタイムに含めませんので、各自時計を止めて調整)
・結果はこのブログに掲載します。
・その他 雨天決行ですので走る人は各自雨具等を用意して走ってください。

 *人数確認のため参加予定者はこのブログのメールかコメントを使用して、氏名、年齢、住所を連絡していただけると幸いです(ちはら台走友会のメンバーはその必要はありません)
  

 
 

 

 

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コメント

井上靖は、僕も好きです。「おろしゃ国酔夢譚」について、このブログを読んで、当時の時代的背景について理解が深まりました。「天平の甍」も好きな小説です。先人が大陸の文化を学び、日本に伝えようとした遣隋使の時代。海中に没していく万巻の経典を想像し、写経した僧に思いをいたすと、何とか絵画で表現できないものかとそのたびに強く、非才を認識させられます。
8月以来、時折、拝見しています。毎回、写真が美しくて楽しんでいます。文学にも造詣があるのですね。これからも楽しみにしています。

(山崎)井上靖のファンと知って嬉しくなりました。これからもよろしくお願いいたします。

投稿: 秋田 治 | 2013年9月19日 (木) 12時32分

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